もうすぐハロウィーン

今日は、わたしの誕生日なんです。

いろんな方から「おめでとう!」のメッセージやカードをいただいたり、思いがけなくプレゼントをいただいたりと、ちょっと嬉しい一日ではあるのです。

そんな特別な日が近づいてくると、あ~、もうすぐひとつ歳をとるんだなぁと、少々憂鬱な気分にもなります。

けれども、その一方で、あ、ハロウィーンが目の前だ!と、楽しい気分にもなってくるのです。


そんな10月末の金曜日、新聞にはこんな投稿が載っていました。

ハロウィーンのときには、親はしっかりと子供をみてなさい! と。

投稿というのは、こんなものでした。

うちの近所では、ハロウィーンの晩、20人ほどの親が30人くらいの子供を連れて「トリック・オア・トリート(Trick or Treat、いたずらか、おやつか)」で家々を練り歩くのです。

ところが、歩道で待っている親たちがおしゃべりに夢中で、ちゃんと子供を観察していないときがあるのです。
 現に、我が家の前にやって来たとき、子供たちが我先にとお菓子に殺到したものだから、女の子のひとりが玄関の高いポーチから落ちてしまいました。

幸いにも、この子に怪我はなかったのですが、子供たちがちゃんと順番待ちをするように(take turns accepting candy)と、親たちが指導すべきです。

この件が頭に引っかかっているので、今年はポーチの電灯を消して、ハロウィーンに参加していない意思表示をしようと思います。

そして、この手紙が、日曜日のハロウィーンの参考になるように期待しています。

と、こんな内容でした。

投稿を受けたアビーさんは、このように返事をなさっていました。

まったく、わたしもそう思います。

親御さんたち、あなたのかわいい「お化け」や「鬼さん」や「吸血鬼」をエスコートするときには、どうか注意深くなさってくださいね。あくまでも常識が先行しますから。

Parents, when escorting your little ghosts, goblins and vampires, please remain vigilant. Common sense must prevail.


たしかに、アビーさんも投稿者も正しいのでしょう。

だって、子供たちが自分の家の前で怪我をしたとなったら、それはもう大変なことですものね。アメリカのことですから、すぐに裁判沙汰になるかもしれません。

ですから、この投書の方のように、「もう面倒は看きれないわ!」と、ハロウィーンに参加しないのもわかる気がするのです。

おしゃべりに興じたい気分もわかりますが、「監督責任」を放棄してはいけませんよね。

そして、わたしも、今年はハロウィーンには参加しないかなぁ? とも考えています。

べつに、こちらの投稿のせいではないのですが、なんとなく気乗りがしないのです。

子供たちのかわいいコスチュームは見てみたいですし、日本のお菓子にどんな反応を見せるか観察してみたい気はするのですが・・・。

(そうそう、シリコンバレーの子供たちや親たちは、日本のお菓子が結構好きだったりするんですよ。いつか「歌舞伎揚げ」のおかきをチョコレートの山にしのびこませたら、中国系の親たちに「これって、おいしいのよねぇ」と、イヤに受けたことがありました。それから、「これって日本のお菓子よ」と説明してあげると、こわごわと、でも興味津々に取って行く白人の子供も多いですね。)


その代わり、ハロウィーンの日曜日は、サンフランシスコにお出かけしようかとも考えているんです。

ハロウィーンといえば、パンプキン(お化けの顔にくり抜いたカボチャ)の「オレンジ色」と黒猫の「黒」が主力カラーとなりますが、今は、サンフランシスコの街は、その「オレンジと黒」に塗りつぶされているんですよ。

なぜって、プロ野球チームのサンフランシスコ・ジャイアンツ(the San Francisco Giants)が、ワールドシリーズに出場していて、2勝先制しているから!

ジャイアンツのチームカラーがオレンジと黒なんですが、みんなこの2色を身につけて応援しなくちゃならないんです。だから、街全体がこの色に染まってる。

いつかご紹介しましたが、サンフランシスコは、ハロウィーンの路上パーティーで有名な街なのです。

けれども、今年は、サンフランシスコのみんなが野球に忙しくて、ハロウィーンどころの騒ぎではないのかもしれません。

そんなときに行ってみると、スポーツバーに入っただけで、もうお祭り騒ぎになっているんでしょうね。ちょうどハロウィーンの日は、敵地テキサスで試合(ワールドシリーズ第4戦)をやっていることでもありますし。

ふ~ん、それも、妙案かも!

ちょっと待った!: ティーパーティー暴走中

Vol. 135

ちょっと待った!: ティーパーティー暴走中

いろいろと耳になさっていることとは思いますが、アメリカでは、大事な中間選挙が間近に迫っています。そこで、今月は、そんな選挙のお話などをいたしましょう。

<ティーパーティーの怪>
アメリカでは、11月最初の火曜日は「投票の日(Election Day)」となっています。 今年は11月2日が投票日になり、全米で中間選挙が行われます。
大統領の4年の任期の中間に当たるので「中間選挙(midterm elections)」と呼ばれますが、連邦上院議員の3分の1、連邦下院議員の全員、一部の州知事や州議会議員から、市長、市議会議員、ローカルな役職までと、全米で一斉に投票が行われるのです。

2年前のこの日には大統領選挙が行われ、連邦上院議員一期生のバラク・オバマ氏が次期大統領に選ばれました。


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ところが、昨年1月にオバマ氏が大統領に就任したあたりから、少しずつ不満の種が頭をもたげ、昨年の夏あたりになると、アメリカ全土に飛び火し始めます。一度火がつくと、まるで山火事のように勢いを増し、その「ティーパーティー(Tea Party、茶会)」という名の運動は、広く国民の知るところとなりました。

日本でも報道されていますが、今アメリカでは、このティーパーティー運動が旋風となって吹き荒れているようです。オバマ大統領に敵対する共和党の中でも、とくに急進的な保守派を指し、「オバマ政権をやっつけろ!」という号令のもと、もともと保守的な中西部や南部を中心に勢いをつけています。


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なにせ今は、ホワイトハウス、連邦議会の上院・下院と、すべからく民主党に握られている御代。まずは、連邦議会をひっくり返そうではないかと、声高なシュプレヒコールがこだましています。
「税金を貧乏人に使うのは止めろ!」「不法移民なんて即刻国外追放しろ!」「医療改革なんて余計なことは止めろ!」「オバマはヒットラーと同じ独裁者だ!」

まあ、リベラルな人間の多いカリフォルニアでは支持者はあまりいないので、わたしなどは、遠い対岸の火事場を見物しているような気分でティーパーティー旋風を眺めているところではあります。

その「対岸の火事場」で有名なのが、デラウェア州の連邦上院議員選でしょうか。9月の予備選挙でベテラン議員を破り共和党候補に選ばれたクリスティーン・オドネル氏は、まさにティーパーティーの申し子ともいえる人です。が、きっと口八丁の人物なのでしょう。過去に何回か連邦議員の座をミスった今は、保守派の番組で政治コメンテーターをしています。

そんな彼女の有権者向けテレビコマーシャルは、こんな自己紹介から始まります。「わたしは魔女ではありません(I’m not a witch)。」
どうして「魔女」が選挙コマーシャルに登場するのかは、遠いカリフォルニアにいるわたしにはまったくわかりません。
 


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このオドネル氏、さすがにティーパーティーからお墨付きをいただくだけあって、科学がお嫌いのようです。
たとえば、ダーウィンの進化論などは科学者の絵空事であり、旧約聖書の創世記こそが地球の歴史だと信じているタイプの人なのです。

そんな彼女が、民主党の対立候補との討論会に出席しました。熱心な宗教家の彼女は、「憲法のいったいどこに『政教分離』が掲げてあるのよ?」と、お相手のクリス・クーンズ氏に食ってかかります。
すると、クーンズ氏は冷ややかに答えます。「この質問でわかるように、彼女は我々の憲法をまったく理解していない。(中略) 政教分離は、米国憲法修正第1条に記されているのだ」と。

ま、彼女にとっては相手が悪い。なぜならクーンズ氏は弁護士ですから。そして、討論会が開かれた場所も悪かった。だって大学の法学科(ロースクール)で開かれ、聴衆の多くは法学を専攻する学生だったから。
「え、修正第1条? そこに政教分離という言葉が明記されているとでも言うの?」と悪あがきをする彼女が、聴衆の失笑を買ったのは言うまでもありません。

ちなみに、米国憲法には「政教分離(separation of church and state)」という言葉自体はありません。けれども、修正第1条(the First Amendment to the U. S. Constitution)には「議会は、宗教を設立したり、自由な信仰を妨げたりする法律をつくってはならない」とあって、これが政教分離を指すと理解されています。

というわけで、科学が嫌いなオドネル氏は、難しく書かれた憲法だって自分に都合のいいように解釈しているのでしょう。

アメリカでは、「憲法を守る」ことは、自国への忠誠心と同義語だと解釈されています。この場合の「守る」には「support and defend the Constitution」という言葉が使われ、単に規則を守るのではなく、「力づくでも国内外の敵から守り抜く」というニュアンスを含んでいます。
たとえば、米国市民の宣誓(oath of allegiance)や軍隊入隊の宣誓(oath of enlistment)にもこの句が登場するわけですが、そんなに大切な憲法を理解していないのでは、この国で政治家など務まらないでしょう。

そして、どうやらデラウェア州民の多くもそう思っているようではあります。

追記: 興味深いことに、デラウェアのお隣ペンシルヴェニア州では、クリスティーン・オドネル氏の名が、お仲間の選挙運動の妨げともなっているようです。
「あんなのでいいのか?」との対立候補の問いかけに、かなりの有権者がティーパーティー候補から民主党候補に乗り換え、今はどちらが勝つかわからない状態だと。

ちなみに、ペンシルヴェニアは、アメリカの2、3年後の動向を占うには格好の州(bellwether state)とされています。カリフォルニアは10年先を行っているので、あまり当てにはならないそうです。

<IT業界から大転身?>
カリフォルニア州では、ティーパーティーほど奇異な旋風は吹き荒れていませんが、やはりヘンテコな現象が起きています。それは、まったくの政治の素人が、いきなり重要なポストに就こうとしていることでしょうか。
しかも、IT業界から政治の世界へと大転身を図ろうとしているのです。
 


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ひとりは、メグ・ホイットマン氏。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、彼女は、オークションサイト・イーベイ(eBay)の元CEO(最高経営責任者)で、「ドットコム・バブル」と呼ばれたネット企業の爆発期に巨万の富を築いた人物です。
彼女は共和党から出馬し、アーノルド・シュワルツェネッガー知事の後釜を狙っています。

そして、もうひとりは、HP(ヒューレット・パッカード)の元CEO、カーリー・フィオリナ氏。彼女は共和党候補として連邦上院議員の座を狙っていて、三期18年のベテラン現職・バーバラ・ボクサー民主党議員を引きずり下ろそうとがんばっています。
彼女はホイットマン氏ほどの財力はありませんが、HP在任中、かなりの契約金や年棒、そして何十億円という「さよならボーナス」をもらっています。
 


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このフィオリナ氏のことは過去に何度かご紹介したことがありますが、2002年、彼女はHPとコンパック・コンピュータ(Compaq Computer)の合併を押し通し、その後、二社の融合が芳しくなかったという大きなつまずきがありました。
その過程では、およそ3万人の従業員が解雇されたようで、シリコンバレーでもコンパック本社のあったテキサスでも、彼女を良く思わない人は多いことでしょう。

結果的には、彼女はCEO職を解任されています。

ホイットマン氏の方は、それほど大きな失態はありませんが、バブル期のイーベイの爆発的人気にあぐらをかいて、それ以上の企業に成長させられなかったという経営判断の甘さがありました。(たとえば、進出が遅れた日本市場からはイーベイは撤退しています。それから、インターネット電話のスカイプ(Skype)を高値で買収しましたが、両社の相乗効果を見出せず、4年後には売却するハメになりました。当時アメリカでオークションサイトを利用するユーザ層は、インターネット電話には興味がなかったのですが、自社の顧客層を理解していないというのは、かなり致命的な判断ミスかもしれません。)

そんなこんなで、自分から辞職したことにはなっていますが、ちょっと居づらい部分があったのでしょう。

まあ、IT企業のCEOの座を追われようと、もしかしたら政治家には向いているのかもしれません。ただ、このふたりには、「過去30年ほど、一度も投票したことがない」という汚点があるのです。
投票をしたこともないような人間が、いきなり「カリフォルニア州知事」や「米国上院議員」になれるのか? と、彼女たちの資質を疑問視する有権者も多いのです。

そして、とくに州知事を狙うホイットマン氏は、その財力に物をいわせ、自身の選挙運動に巨額の私財を投入しています。これまで1億4千万ドル以上(約116億円)を自分の懐からつぎ込んでいて、すでにそのほとんどをテレビの選挙運動に使い果たしています。
ですから、カリフォルニア州民は、連日連夜テレビをつけるとホイットマン氏の顔を拝み、民主党対立候補のジェリー・ブラウン州司法長官の悪口を聞くことになるのです。
一説によると、ホイットマン氏は週に3億円以上をテレビコマーシャルにつぎ込み、おかげで州民は一日に26回も彼女の宣伝を観ている計算になるそうです。

まあ、そのわりには、ホイットマン氏もフィオリナ氏も形勢不利ではあるようですが。

深夜コメディー番組のホスト、コメディアンのジェイ・レノ氏が、ホイットマン氏に関して粋なジョークを発していました。

She thinks that the job goes to the highest bidder.(彼女は、州知事職が一番高く値をつけた人間に落札されると思っている。)

ふふっ、なかなか的を射たジョークですね。まったく、金と暇を持て余す人間は、余計なことしか考えないのですから!

さて、最後はガラリと話題が変わりまして、スポーツ界のお話にいたしましょう。

<PGAがやって来た!>
PGAというのは、アメリカのプロゴルファー協会(the Professional Golfers’ Association of America)のことですね。表題の「PGAがやって来た」というのは、恐れ多くも、そのPGAが主催するプロのトーナメントがやって来た! という意味です。

それで、どうしてこれが話題になるのかというと、シリコンバレーでPGAトーナメントが開かれたのは初めてのことだからです。

まあ、「ゴルフなんかに興味はない!」なんておっしゃらずに、どうぞおつきあいくださいませ。
 


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PGAのトーナメントがやって来たのは、シリコンバレー南端の街サン・マーティンにある「コードゥヴァル(CordeValle Golf Club)」というゴルフ場。モダンなコテージの宿泊施設もあって、広いぶどう畑とワイナリーが隣接します。
ここはプライベートのゴルフ場なので、一般には開放されていません。が、ゴルフ場たるもの、いつかはPGAのイベントを呼んでやるぞ! と、近年コースの改善に努め、とうとう今年からPGAツアー(PGA Tour)を呼べることになったのでした。
 


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ま、PGAが来るとしても、いきなり有名なイベントが来ることはありません。「一見さんのゴルフ場」は、下積みから始まるのです。
ここで10月14日から17日まで開かれたイベントは、フライズドットコム・オープン(Frys.com Open)という名の「秋期シリーズ(Fall Series)」のイベントでした。
大きなイベントもすべて終え、2010年の賞金ランキングもおおかた決まった10月には、今季不調だったゴルファーたちが参加するイベントが開かれます。この5つのイベントが「秋期シリーズ」と呼ばれるのです。

そして、シリコンバレー初のPGAトーナメント「フライズドットコム」は、シリコンバレーらしく、コンピュータ/関連機器の大型販売店フライズ(Fry’s)がスポンサーとなっています。そう、店内にはテクノロジーギークたちがひしめき、店員に尋ねるよりも、その辺の客に質問をした方が的確な答えが返ってくるという、不思議なお店です。
フライズは、ゴルフにも熱心で、シリコンバレー南端の丘に自分たちの専用ゴルフ場を持っています。従業員やゲストのみプレーできるそうですが、なかなかいいゴルフ場だと聞いています。

せっかくシリコンバレーで開かれていることですし、日本の今田竜二選手が参加しているので、2日目に見学に行ってみました。
 


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この日は、前日のうだるような暑さが残る好天で、日陰にいてもジワッと汗をかくような陽気。平日なのでギャラリーも少なく、「好きな選手はいくらでも見られる」といった、のどかな雰囲気が漂います。やはり、タイガー・ウッズやフィル・ミケルソンなどの超有名選手が出場していないので、いまいち話題性に欠ける部分があるのかもしれません。
けれども、さすがにPGAのイベントだけあって、何度もプレーしたことのあるゴルフ場が、まるで「別人」のようになっているではありませんか。クラブハウスのまわりには、ものものしくフェンスが張り巡らされ、ホール沿いには見学用のスタンドやテントが建ち並びます。
 


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そして、いつもはゴルフショップの裏口を出ると、そこが1番ホールなのですが、このイベントでは前半9ホールと後半9ホールが入れ替わっていて、1番ホールが10番となっています。(写真は10番ティー、オーストラリアのステュアート・アップルビー選手)
変な話ですが、新しく10番となったコースの上には、電線が何本かかかっていて、ちょうどティーオフした球がこれに当たることがあるのです。2回連続で電線に当てた奇特な友人がいますが、このトーナメントでも、電線に当てたプロがひとりいましたね。
これが「ホールインワン」の扱いになってくれれば嬉しいのですが、そうもいきません。電線に当てる確率もかなり低いとは思いますが、この場合、打ち直しとなりました。
 


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さて、せっかく日本人選手が出ているのだからと、この日は今田選手に付いてまわったのですが、彼は淡々とゴルフをするスタイルのプロ。意外にも一番おもしろかったのは、ギャラリーの方かもしれません。
2番ホール・パー4は右側に深いラフがあるのですが、今田選手と一緒にラウンドしたJ.B. ホームズ選手の球がラフにつかまってしまいました。彼は飛ばし屋なので、ときに右へ左へと大きくはずすことがあるのです。
アメリカの(とくにPGAの)ラフはきついので、真上から見なければ球は見つかりません。同じ組の今田選手とパット・ペレス選手、そしてキャディー全員と審判も加わって球探しが始まったのですが、なかなか見つかりません。そこで、やきもきしたホームズ選手のファンが「よし、僕も参加する!」と、いきなりコースに繰り出し、球探しに加わったのです。

じきに球は見つかってペナルティーもなかったのですが、このファンの奥さんの言い分がおもしろい。「あなたがギャラリーだって誰にもわからないわよ!(You can blend in)」と、堂々とダンナを送り出すのです。(もちろん、ギャラリーはコースへは入れませんよ!)
球が見つかって誇らしいのか、ファンのおじさんが涼しい顔で審判と一緒に戻って来るのが、「なんともアメリカらしい!」と印象に残ったのでした。
 


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そんなのどかな2日目でしたが、わが今田竜二選手は、初日の好調を保ってプレーにブレがなく、この日は4アンダーで通算10アンダー。初日の2位タイから単独2位となったのでした。
3日目になると、若干出入りが激しくなりましたが、まだまだ通算12アンダーの3位タイ。最終日へと大きく望みをつなげます。

そして、冷たい雨の降る最終日。いまいちリズムに乗れない中、この日は2つ落として10アンダー。惜しくも6位タイでトーナメントを終えたのでした。
15番パー5では短いパットが入らず、みすみすバーディーを逃したのですが、これが雨上がりの猛チャージの火種を消してしまったのでしょう。
 


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このイベントは、超有名選手こそいないものの、実は、人気者がたくさん参加していました。たとえば、飛ばし屋で有名なジョン・デイリー選手や、昨年プロデビューを果たした21歳の新星、リッキー・ユタカ・ファウラー選手。
彼は、母方の祖父が日本人ですが、160センチを若干超える小柄の体からは鋭い長打が出るので、近頃とみに人気上昇中です。その「やんちゃ坊主」のような風貌から、日本の石川遼選手と同じく、女性ファンも多いのです。(オレンジのシャツの選手)
 


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そして、忘れてはいけないのが、このイベントで優勝したロコ・メディエイト選手。最終日、17番パー4を2打目でスコンと入れるなど、4日間連続してイーグルを出し、優勝に花を添えてくれました。
ロコさんは、もうシニアツアー目前の47歳のベテランですが、2008年の全米オープンでは、タイガー・ウッズと18ホールのプレーオフを闘い、惜しくも19ホール目で負けてしまったという経歴を持ちます。そんな緊迫した中でも、屈託ない笑顔とお茶目なジェスチャーを見せる彼は、一躍「スターゴルファー」の仲間入りを果たします。

が、なにせPGAツアーで勝ったのは8年前が最後。そんなわけで、今回の優勝は、まさに悲願の勝利となりました。「勝ちたいけど、勝てない」のは、スターであっても避けられない苦い味なのです。

冒頭で「秋期シリーズには、おもに今季不調だったゴルファーたちが参加する」とご説明しました。しかし、これは実に過酷なものでして、シリーズが終わって米国賞金ランキング125位以内に食い込まないと、向こう2年間のPGAトーナメントの出場権がもらえないのです。
となると、ひとつひとつ予選から勝ち登らなければ出場できません。

そして、125位以内のPGAトーナメントプロといっても、いつその立場を追われるかはわかりません。PGAツアーの下には、ネーションワイド・ツアー(Nationwide Tour)というのがあって、ここの上位25人には翌年のPGAツアー出場権が与えられます。
とすると、勢いに乗る彼ら新人くんに蹴落とされない保証などありません。


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さらに、このネーションワイド・ツアーの下には、「Qスクール」と呼ばれる予選トーナメント(Qualifying Tournament)があって、こちらの上位25人にはPGAツアー出場権が、次の上位50人にはネーションワイド・ツアーの出場権が与えられるのです。
そう、ゴルフ界はピラミッド構造になっていて、順繰りに下から上へと、絶えず新しい人材が流入してくる仕組みになっているのです。(写真は、試合前のプロの練習風景)

ですから、優勝したロコさんでさえ、こんな苦しいコメントを残したそうです。「ほんの30分前まで、Qスクールに出るつもりでいたんだよ。でも、もう心配ない。また(来年も)仕事ができる」と。
今田選手も、このイベント前は米国ランキング110位だったので、6位タイという成績でランクを上げ、胸をなでおろしたことでしょう。

今年6月号では、全米オープンに出場した石川遼選手のことを書きました。そのときは、プロに付いてまわって、コースの過酷さにただただ閉口していたのでした。
そして、今回は、秋期シリーズに出場する有名選手たちに触れて、プロゴルファーという華やかな職業の厳しさを痛感したのでした。

いくら好きなことでも、来る日も、来る日も崖っぷちに立たされれば、嫌になることもあるのかもしれません。
けれども、プロの仕事は、ファンに夢を与えることでもあるのです。自分が夢を与えられると思える間は、やってやるぞ! という気になるものなのでしょう。

お断り: 本来は、プロのトーナメントは撮影禁止なのですが、文中にはアップルiPhoneで撮った写真も掲載いたしました(ゴメンなさい、PGAさん)。いえ、普通は、携帯電話は持ち込み禁止なのですが、このイベントはシリコンバレーで開かれたせいか、「ケータイOK」だったんですよ。


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丘の上には、大手携帯キャリアのヴェライゾン・ワイヤレスとAT&Tモビリティーのアンテナトラックが来ていて、準備も万端(赤いのがヴェライゾンで、白いのがAT&T)。ここで電波が届かないなんてことがあったら、それこそ大失態ですものね。

それから、ここのコースは素人には難しく、個人的には普段より10打は余計にたたくと思うのです。が、プロにとっては、距離を伸ばしても易しいようですね。ですから、話題づくりのために「ホールインワン」も可能な短いパー4を残して、8番から終盤の17番に持って来た。だから、前半と後半が入れ替わっていたようです。
ま、ゴルフだって、視聴率を稼がなければならない商売ですからね。

夏来 潤(なつき じゅん)



ピンクの戦士たち

前回は、「ピンク色の東京タワー」と題して、「乳がん月間」に行われるピンクリボンウォークのお話をいたしました。

この記事を掲載した翌日、新聞にはアメリカでピンクリボンウォークに参加したコラムニストの文章が載っていましたので、ここでちょっとご紹介いたしましょう。

彼は、マイアミ・ヘラルド紙のコラムニストなのですが、10月10日の週末、首都ワシントンD.C.で開かれた「スーザン・コウマン・ウォーク(Susan G. Komen 3-Day for the Cure)」に参加したそうです。


前回のお話に出てきた「エイヴォンウォーク(Avon Walk for Breast Cancer)」と同じく、こちらの「スーザン・コウマン」も代表的なピンクリボンウォークなのですが、こちらは3日間で60マイル(およそ100キロメートル)を歩くので、男性でも体は疲れ果て、足はマメだらけになるというような、かなり過酷なウォークらしいです。

けれども、キャンプをしながら首都を歩き回る厳しい行軍の中でも、アメリカ人は楽しむことを忘れていません。
 横断歩道では、ピンクのバレエチュチュを着た男性群が「緑のおばさん」をやってくれましたし、小さな女の子が道行く参加者に「M&M」のチョコレートを手渡して「がんばってね」と励ましてくれました。

きつい登り坂になると、映画『ロッキー(Rocky)』のテーマ曲が流れ、みんなを鼓舞してくれましたし、乳がんの化学療法から髪を短く刈り込んだ参加者は、ここぞとばかりに、ユーモアたっぷりのプラカードを掲げます。
 「あなたたちは、わたしのために歩いているのよ(You’re Walking for Me)!」

一日の行程が終えると、スポンサーが提供してくれたステーキのディナーでスタミナをつけ、誰が考え出してくれたのか、マッサージチェアーという天国のような発明品に感謝をします。

そして、冷たい夜がふけると、男女の区別もなくテントにもぐり込み、ヒソヒソと名前も知らない相手との身の上話に花が咲くのです。


このコラムを書いたレオナード・ピッツ氏(Leonard Pitts Jr.)は、もしかすると、途中で何度も棄権したいと思ったのかもしれません。だって、一般的に、忙しいジャーナリストがスポーツ万能だとは考え難いですから。

でも、どうしてもギブアップできない理由があったのです。それは、読者という味方がいたから。
 なんでも、彼がピンクリボンウォークに参加すると宣言したら、514人の読者がスポンサーとなって28,000ドル(約230万円)を寄付してくれたそうなのです。
 そんな人たちを裏切りたくないという使命感が、ピッツ氏の中にはずっと燃えていて、それが行軍を続ける励みにもなったのでしょう。

みんなからの寄付金は、乳がんの治療法や原因を探る研究費や、医療費を支払えない人々の診察や治療に使われるのです。ピンクリボンウォークには、女性たちや家族の乳がんに対する意識を高めることと同時に、こういった寄付金をつのるという目的もあるのですね。

ウォークへの参加者は、おのおのが寄付金をつのることが条件となっていて、「スーザン・コウマン」の場合は最低2,300ドル(約19万円)、「エイヴォンウォーク」は1,800ドル(約15万円)をつのって初めて参加できるそうです。
 そういう意味では、参加者はみんな、組織力を持った戦士といったところでしょうか。

ピンクリボンウォークばかりではなく、寄付金をつのる別の方法として、「スーザン・コウマン」財団などは、使い古しの携帯電話なども集めています。(上の写真は、携帯電話を入れてポストに投函できるビニール袋です。切手を貼る必要もないので、寄付しやすくなっています。)


それで、どうしてこのピッツ氏のコラムをご紹介しようと思ったかというと、ピンクリボンウォークに対して、自分自身と似たような感想を抱いていらっしゃったからなのでした。

わたしは、東京のピンクリボンウォークの長い行列を見て、こんな感想を持ったのでした。
 「ひとりひとりの歩みは小さいけれど、みんなで歩くことで、何千倍の規模になる。そして、個々が抱いた思いもそれだけ大きくなる」と。

ピッツ氏は、参加者や彼らを陰で支えるボランティアの方々を見て、小さなアリを思い浮かべたとおっしゃいます。

人間というものは、何か大きなことを成し遂げようとするときに、「自分にはできない」などと何かしら否定的なことを考え始め、それが妨げともなる。
 けれども、アリたちは、そんな余計なことは考えない。アリは、地下に築き上げる都市という大きな目的にのみ邁進する。

彼らは、互いに協力し合い、一度にひと粒ずつ土を動かしながら、目的を遂行するのだと。

ま、人をアリさんにたとえることに眉をひそめる方もいらっしゃるかもしれませんが、おっしゃっていることは何となくジワッと伝わってきますよね。


そうそう、男性のコラムニストがピンクリボンウォークに参加するなんて意外に思われたかもしれませんが、こういった催しには、男性だって少数ながら参加なさるんですよ。

そして、前回のお話でもご紹介したように、みんなが集まるスポーツイベントでも、男性の選手たちが大いに協力してくれるのです。

昨年の秋、サンフランシスコの対岸、オークランドにプロ野球を観に行ったときのことでした。この日は、「乳がん啓発の日」となっていて、選手たちも胸にかわいいピンクリボンをつけてプレーしていました。(こちらはご存じ、シアトル・マリナーズのイチロー選手。小さくてわかり難いですが、胸にはピンクリボンがついています。)

中には、試合前のウォーミングアップに、ピンク色の子供用リュックサックを背負って登場した方もいらっしゃって、そのとぼけた様子に「さすがはアメリカ人! 何でも楽しみに変えてしまうんだから」と、感心してしまったのでした。

試合が始まる前、フィールドの女性たちがピンク色の風船を一斉に空に放ったのですが、ひとつひとつの風船にはこんな希望が託されていたのでした。

「早く乳がんを根絶する方法が見つかりますように!」

追記: 前回のお話で、何年か前にマンモグラフィの再検査を受けたことを書きました。再検査の通達から良好な検査結果を受け取るまで、ひどく恐い思いをして過ごしたのですが、そのことを主治医に告げると、こんな答えが返ってきたのでした。
 「そんなの心配しなくていいよ。マンモグラフィを受けた人の3割は再検査になって、その大部分は何でもないんだから」と。

どうやら、X線写真を観察する時点で、どうしても白黒つけられない部分があるようですが、それでも、「疑わしいものがあれば再検査」という方針は良心的ではありますよね。

ピンク色の東京タワー

10月初めの土曜日。この日の東京タワーは、ピンク色でした。

ご存じのように、10月は「乳がん月間」なので、東京タワーもピンク色になって、みんなにそのことを知らせているのです。

この日、東京では、盛大な「ピンクリボン・スマイルウォーク」が開かれました。ピンク色のリボンや服を身につけて、街中を行進するのです。

このピンクリボンウォークは、港区赤坂にある東京ミッドタウンを出発して港区周辺をめぐりましたが、みんなでピンク色の行進をすることで、乳がん検診の大切さを広く知らしめようとしているのです。

わたしは、ホテルの窓から見学させていただきましたが、どこまでも、どこまでも続く長~い行列にすっかり驚いてしまいました。きっと何千人という女性が参加していたのではないでしょうか。

とりたててシュプレヒコールを上げるでもなく、列は整然と進んで行くのですが、これだけの参加者がいると、「おや、何だろう?」と、道行く人々の注目を集めたことでしょう。

ひとりひとりの歩みは小さいけれど、みんなで歩くことで、何千倍の規模になる。そして、個々が抱いた思いもそれだけ大きくなる。そんな効果があるのが、ピンクリボンウォークなのです。

このようなピンクリボンウォークは、もともとアメリカで生まれました。毎年、アメリカ各地で行われる「エイヴォンウォーク(Avon Walk)」は、もっとも有名なものでしょうか。

サンフランシスコでは、毎年7月上旬にエイヴォンウォークが開かれますが、独立記念日近くの暑い天候もなんのその、何千人もの女性たちが互いに助け合いながら、土日2日間で何十キロという距離を歩くのです。

病み上がりの参加者だって、歩ける所まで歩けばいい(あとは並走した送迎車に乗ればいい)というルールなので、「病気と闘って、克服した!」という熱い思いを抱いて参加することにこそ、大きな意義があるのです。


ピンクリボンウォークだけではなくて、10月の「乳がん啓発月間(breast cancer awareness month)」も、アメリカから世界に発信されたものなのでしょう。

そんなアメリカでは、女性の乳がん検診は、かなり広く行われています。

わたしが日本から戻って来た10月初め、病院から電話がかかったので「何かな?」と思っていると、「乳がん検診の時期がめぐってきましたよ」というのです。

婦人科主治医のアシスタントが電話してきたのですが、「あなたが最後にマンモグラフィを受けたのは2年前ですよ。次の予約はいつがいいですか?」と、有無をも言わせず、半強制的にマンモグラフィ検診(mammogram)の予約を取らされたのでした。

乳がん検診には、自分で行う触診(breast self-exam)、専門家が行う触診(clinical breast exam)、そしてマンモグラフィ(乳房のX線撮影)がありますが、やはり一番確実なのがマンモグラフィなのでしょうね。

ただ、あまり愉快な検診ではありませんし、頻繁にX線撮影を受けるのは体に良くないという欠点もありますので、わたしなどは、数ヶ月前に「もうすぐマンモグラフィを受けてください」というお手紙を病院から受け取っても、すっかりと無視していたのでした。

それに、何年か前、マンモグラフィの再検査を受けたことがあるのです。「もう一度検査が必要です」という通達を受け取ってから、二回目の検査を受けて「何でもありません」という結果を受け取るまでの一ヶ月、とっても恐い思いをして過ごした記憶が鮮明に残っています。

けれども、電話をもらって予約を取らされたら、もう逃げるわけにはいきません。何も自覚症状はありませんが、昨日、ちゃんと病院に行ってX線検診を受けてきましたよ。


まあ、若いうちには、マンモグラフィは必須ではないのでしょうが、がんという病気は、年齢が上がるごとに、かかる可能性が増えていく病気です。ですから、主治医から「検診をしてください」と言われれば、それは無視してはいけないのです(と、自分にも警告を発しているところです)。

それに、乳がんは、早期発見が大事なんです。なぜって、マンモグラフィなどの検診で早期発見は可能だし、ひとたび発見されれば、手術や放射線療法、化学療法などで治る確率が高い病気だから。

がんの種類によっては、早期発見はほぼ無理なものもありますから、それに比べると、手遅れにならずに発見できるというのは、ある意味、ありがたいことなのです。

ですから、「乳がん月間」というものがあって、乳がんのことを考えましょう、という時期がわざわざ設定されているのですね。

(上の写真は、昨日の検診でいただいた、かわいらしい「ケア日記(Breast Care Diary)」としおり風のネイルファイル。女性らしく、爪のお手入れを念頭においたネイルファイルには、「The best protection is early detection(最良の守りは、早期発見)」と書いてあります。)


10月10日の日曜日、アメリカ全土で行われたプロフットボールの試合では、選手たちも「乳がん月間」に一役買いました。

みんなでピンク色の靴やタオル、サポーターといったグッズを身につけて、試合に望んだのです。審判だって、ピンクリボンなど何かしらピンク色をまとっていましたよ。

まあ、あんなにごっつい男性たちがピンク色をつけているのはちょっと滑稽ではありましたが、みなさん、それなりに真剣な面持ちではありました。アメリカは乳がんの発症率が高いので、身内に誰かしら経験者のいる選手も多いことでしょう。

そして、ハーフタイムの休憩時間には、フィールドに乳がんを克服した女性たちが繰り出し、スタンドの拍手喝采を受けていました。

フィールドのひとりひとりは小さいけれど、みんなで集まれば、ピンク色の嵐を引き起こせるのです。なぜなら、彼女たちは自分ひとりで闘ったわけではなくて、まわりには、彼女たちを懸命に支えてくれた人たちの輪があるから。

Tailgating(テイルゲーティング)

久しぶりの英語のお話となります。

前回は、お仕事で日本からアメリカに出張したシナリオを書いてみました。

今回は、とってもアメリカらしいお話にいたしましょう。

表題になっている tailgating(テイルゲーティング)という言葉は、アメリカ文化を表す代表的なものかもしれません。

Tailgating は、最後に ~ing の付いた名詞形となっていますが、もともとは tailgate という名詞からきています。

Tailgate(テイルゲート)というのは、車の後部にあるドアのことです。たとえば、スポーツタイプ車の後部ドアだとか、小型トラックの荷台についている小さなドアだとか、一番後ろ(tail)にあるドアや開閉式ゲート(gate)のことです。

そんな単語から派生して、to tailgate というと、まるで誰かの後部ドアにくっつくように、接近して運転することをさします。

まあ、たいていは嫌がらせのためにやることでしょうか。前の車が異常に遅いとか、自分の前に突然割り込んで来たとか、そんな不快感を表すために、わざと前の車を tailgate をするわけですね。


同じく tailgate(後部ドア)から派生した言葉ではありますが、表題の tailgating は、とっても楽しい言葉です。

車の後部ドアを開け放って、パーティーをすることです。Tailgating party(テイルゲーティング・パーティー)または Tailgate party(テイルゲート・パーティー)とも呼ばれます。

車のドアを開け放つと、トランクにはビールや冷たい飲み物が入ったクーラー容器があって、ポテトチップスなんかのおつまみや、ハンバーガーの材料など食べ物も入っています。ハンバーガーやホットドッグを焼くために、小さなバーベキューグリルなんかも入っているでしょうか。

そして、食べ物や飲み物をゴソゴソと出してきて、車を停めたパーキングでパーティーを始めます。

ハンバーガーをこんがりとグリルしてパクついたり、ビールに舌鼓を打ったりと、みんなで歓談のひとときを楽しむのです。

そう、この tailgating は、おもに野球やフットボールなどのスポーツイベントの前に行われます。

どんな街に行こうと、みなさん、ごひいきのチームの試合が始まるのを首を長~くして待っています。ですから、そんな緊張感の混ざる興奮をみんなで楽しむのが tailgating というわけです。

だいたいスポーツイベントでは、食べたり飲んだりというのも楽しみのうちですが、tailgating をやることで、イベントの前から楽しみを始めてやろうというわけですね。

わたしなどは、tailgating という言葉を聞くと、フットボールシーズンを思い出します。

9月に入って、空は澄みわたり、涼しい風が吹くようになると、あ~、フットボールが始まるんだぁと、ピリッとした緊張感を抱くようになります。
 そんな季節になると、多くのアメリカ人は秋の tailgating を楽しむようになるのです。(こちらは、プロフットボールのオークランド・レイダーズのホームスタジアム、マカフィー・コロシアム)

フットボールだけではありません。春から夏は野球、秋から冬はバスケットボールやアイスホッケー。Tailgating のできるイベントが何かしらあるのがアメリカなのです。


Tailgating は、実にアメリカ的な言葉ではありますが、もうひとつアメリカらしいのが、rubbernecking(ラバーネッキング)でしょうか。

こちらも最後に ~ing のついた名詞形となっていますが、もともとは rubberneck という名詞からきています。

直訳すると、何やら不思議な言葉ですよね。だってゴム(rubber)の首(neck)なのですから。

ちょっと想像しにくいですが、rubbernecking というのは、何か興味のあるものをしげしげと車内から見つめることをさします。

多くの場合、高速道路なんかを運転していて、脇で起きた事故を通りすがりに興味津々に眺めることをさしています。

道路に事故車が止まっていると、通り過ぎる車が全員スローダウンして、懸命に詳細を見ようとするので、事故の現場から後ろがひどく渋滞してしまう、という含蓄もあるでしょうか。

どうして「ゴムの首」なのかというと、ゴムがビヨーンと伸びるように、首がニョロッと右から左に伸びて、現場を見ようとするところからきています。

シリコンバレーでは、道路が混む場所はあちらこちらあるのですが、何でもない所で混み始めて「おかしいなぁ」と思っていると、事故だったりすることがよくあります。

そこで、こちらは、「あ~、これは rubbernecking だったんだ」と納得するのです。

そんな場面に遭遇すると、こちらは情けない気持ちになってしまうのです。だって、事故現場(人の不幸)を見たってしょうがないでしょう。
 まあ、中には心の底から心配している人もいるのでしょうが、だいたいは興味本位で rubbernecking をやっている人たちなのでしょうから。

なんでも、rubbernecking というのは、観光地をめぐる観光客を表そうと、1890年代にアメリカで生まれた表現だそうです。

観光地に行くと、みなさん右に左にと忙しく首を動かし、名所旧跡を見ようとしますよね。そんな様子から生まれた言葉なんだそうです。

たとえば、ワイオミング州のイエローストーンという国立公園(Yellowstone National Park)に行くと、バイソン(American bison、別名バッファロー)の群れが堂々と道路を横切って行きます。

こんなに大きな動物が車のそばを通って行くのは、ちょっと恐怖でもあるのですが、そんな大自然と触れたいがために、車内の観光客は懸命に rubbernecking をやるのです。

そこから、事故現場を眺めることにも転用され、今では rubbernecking というと、(興味津々の)自分たちを表す適切な言葉として、アメリカ人に広く愛用されています。

というわけで、楽しい tailgating と、ちょっと複雑な rubbernecking。性質はまったく違いますが、ともにアメリカを表す代表的な言葉なのです。

覚えておくと、便利ですよ!

晩夏の旅: イエローストーンとグランドティートン

Vol. 134

晩夏の旅: イエローストーンとグランドティートン

先日、イエローストーン国立公園と、南に隣接するグランドティートン国立公園を訪ねました。ざっくりというと、カナダからニューメキシコ州まで続くロッキー山脈(the Rocky Mountains)の真ん中あたりの山岳地帯です。

さすがに山の天気は変わりやすく、着いたときには真冬、出るときには真夏といった不思議な旅ではありましたが、今月は、そんな道中を3つのお話にまとめてみました。

<イエローストーン>


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イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)は、1872年、第18代大統領のグラント大統領の時代に設立されました。アメリカで、そして世界で最古の国立公園となります。
グラント大統領というのは、奴隷制をめぐってアメリカ国内が二分された南北戦争のときに北軍の将軍として采配を振った人物なので、ずいぶんと昔に自然の美と保存の大切さに気がついていたものだなぁと感心してしまうのです。

その頃は、ヨーロッパからやって来た「文明」は東海岸と西海岸に沿って分布し、アメリカの「真ん中」は昔のままだったはずですから、そんな時代に、よくもまあ真ん中あたりの広大な自然の美しさに気づいたものだなぁと思うのです。
だって、イエローストーン国立公園が位置するワイオミング州なんて、州としてアメリカに併合されたのは1890年だそうですから、国立公園の方が先(!)ということになるのです。(厳密にいうと、国立公園は北のモンタナ州と西のアイダホ州にちょっとだけ突き出ています。)

どうしてそんなことにこだわっているのかというと、サンフランシスコ空港からコロラド州デンヴァー経由でワイオミング州のコーディー(Cody)に近づいて来ると、最初に連想した言葉がこんなものだったからです。「in the middle of nowhere(何もない所)」。
そう、まさに30人乗りのプロペラ機が降り立とうとした先は、チョボチョボと畑の緑の混じった茶色い地面、乾燥しきった山々。こんな場所に美しい自然などあるのかなと、疑いを持ち始めたくらいでした。
 


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このコーディーという街は、イエローストーン国立公園の東の玄関となる小さな街で、ここから一路西へ小一時間ほど運転すると、国立公園の東ゲートにたどり着きます。道中、右に左に奇怪な岩の山々が登場するので、飽きるということはありません。
この他にゲートは4つあって、四方からのアクセスが可能です。たとえば、スキーリゾートに近いジャクソンホール(Jackson Hole)空港に降り立ち、南に隣接するグランドティートン国立公園から北上する方法もあります。両方の国立公園を訪問する場合は、このルートが効率的かもしれません。

ところで、アメリカでは「イエローストーンは素晴らしい、一度は行った方がいい」という言葉をよく耳にするのですが、何がそんなに有名なのかというと、まずは「オールドフェイスフル(Old Faithful)」という名の間欠泉(geyser、ガイザー)があります。
ご存じのとおり、間欠泉というのは、地中の熱水と蒸気が穴から勢い良く吹き出す現象を指しますが、こちらのオールドフェイスフルは、高く上がることと定期的に吹き出してくれることで有名になっています。
たとえば、前回の吹き出しが1分半続いたら、次回は50分後。2分半だったら65分後。5分だったら95分後と、かなり正確に噴出を予測できるのです。
 


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わたしが到着したときには、すでに間欠泉のまわりのベンチは観客でいっぱい。間もなく始まる雰囲気ではありましたが、そこにパークレンジャー(公園管理官)がやって来て、ちょっとした「余興」を始めます。
「最後にオールドフェイスフルに来たのは、いったい何年前ですか?」と観衆に問いかけるのですが、「10年前」「20年前」「30年前」と年数が増えていっても、挙手がなかなか減らないのです。しまいには、オークションのように一番多い年数の勝負となったのですが、「59年前に7歳のときに来た」という男性が一等賞となりました。
若そうなパパでも「30年前」で手を挙げていたので、このオールドフェイスフルという場所は、子供のときに家族でやって来て、親となって子連れで舞い戻って来る名所なのでしょう。
 


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そんな余興で盛り上がっていると、間もなく吹き出しが始まります。最初は小さく、そのうちに高く吹き上がるのですが、隣の男の子が「Is that it?(え、これだけ?)」と繰り返しパパに尋ねるのです。
いまどきの子供は刺激がないと満足できないのでしょうが、そんな彼でも、しまいには「Wow! So cool!(ワーッ、すごいね!)」と満足なさっていたので、オールドフェイスフルとしても自分の名を汚さなくて済んだのでした。

まあ、カリフォルニアから来た人間としましては、「ワインの名産地ナパ(Napa)の間欠泉だって負けてないゾ!」と思ったのですが、こちらのすごいところは、ひとつの間欠泉で終わらないところ。「オールドフェイスフル」という名は、間欠泉の固有名詞であり、付近一帯の間欠泉や温泉を総称する地域の名でもあるのです。
ですから、あちらこちらに間欠泉の吹き出し口があるし、赤や茶やブルーとカラフルな温泉が散在しているのです。
 


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そう、遊歩道をテクテクと歩いていると、思わぬ所から突然ゴーッと間欠泉が吹き出してくるので、こちらはびっくりしてしまうのです。たとえば、ここは噴出口が盛り上がっていないので、「なんだ、小さいな」と、気にせずに通り過ぎた箇所でした。
すると、突然に噴出が始まり、あわてて引き返したのですが、そういえば、一眼レフを構えた男性が脇に立っていたので、彼はもうすぐシャッターチャンスが巡ってくることを知っていたのでしょう。グシュグシュ、ボコボコといった蒸気の音がヒントとなるのかもしれません。
 


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そして、おもしろいことに、どうもひとつの間欠泉が吹き出すと、それが他と連動しているようなのです。
たとえば、こちらは「オールドフェイスフル」の近くの間欠泉ですが、上でご紹介した間欠泉が吹き出すと、こちらもすぐに活動を始めたのでした。そして、隣では「オールドフェイスフル」も負けずに熱水を噴射し、観客の喝采を浴びるのです。

なんでも、このイエローストーン国立公園には、地球上の間欠泉(約700)の半数以上が存在するんだそうです。ですから、噴出の仕方もよりどりみどり。「オールドフェイスフル」のように、律儀に定期的に吹き出してくれるものから、一度噴出したら、あとは何年も沈黙を守るものまで、さまざまなのです(「オールドフェイスフル」の「フェイスフル(faithful)」は、平均1時間半ごとに、律儀に噴出してくれるところからきています)。
ここには雨や雪がたっぷり降るので、地下水が豊富。それが2000メートルの地中で熱い岩盤に熱せられ、熱水や蒸気となって500年の後に小さな吹き出し口から噴出する。
この地上への長い道のりで圧力を保ってくれているのが、ガイザライト(geyserite)。ガラスの主成分である二酸化ケイ素(silicon dioxide)を多く含み、圧力を逃さないように熱水の通り道をしっかりと補強しているのです(ちょうど圧力鍋のパッキンみたいなものでしょうか)。
 


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そして、間欠泉の吹き出し口がない場合は、熱水は温泉(hot spring)となって地上に出て来るのです。たとえば、こちらは神秘的にブルーの温泉。水の透明度が水晶のように際立って見えるのですが、よく見ると、右側の浅瀬に肋骨(ろっこつ)が落ちているではありませんか!
かなり大きな肋骨で、とがった頭蓋骨の片鱗が残っているところを見ると、鹿か何かの動物が落ちてしまったのでしょう。深い雪に閉ざされた冬の間に、間違って足を踏み外したのでしょうか。
 


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こちらは、おどろおどろしいまでに茶色の温泉。なんだか誰かが絵の具をたらしたようですが、このように派手な色にしているのは、藻に似たバクテリア(algae-like bacteria)。
どうしてまた、こんなに熱い悪環境の所に住むのかは理解を超越していますが、そんな変テコな生物がいるからこそ、訪問者はいろんな色の温泉が楽しめるのです。

そして、温泉の中でも一番有名なのが「モーニンググローリー・プール」。モーニンググローリー(Morning Glory)というのは「朝顔」のことですが、その名のとおり、朝顔の花のような美しい形をしています。


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けれども、長年の観光のせいで、「花」の根元に人が投げ入れたコインやゴミがたまり、熱水がうまく出て来ないようになってしまいました。
湯の温度が下がると、鮮やかなアクアブルーが、濁った緑や茶によどんでくるのです。そこで、この「オールドフェイスフルの顔」ともいえる温泉では、年に一回湯をくみ出して掃除をするようになったそうです。
(温泉が高温だとバクテリアが繁殖しにくいので透明度の高いブルーになるのですが、温度が下がってくると茶色、オレンジ、黄色のバクテリアが繁殖して、カラフルに見えるのです。)

観光と自然保護のバランスをとるのは難しいことではありますが、自然の美しさや不思議さを大衆に知らしめるのも国立公園の大事な役目。このイエローストーンが万人に愛される理由は、いくつもの違った表情を持っているからなのです。
上でご紹介した「オールドフェイスフル」は一番有名な地域ではありますが、公園内は全部で5つの地域に分かれていて、それぞれにまったく違った趣(おもむき)を呈しているのです。
 


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こちらは、「イエローストーンのグランドキャニオン(the Grand Canyon of the Yellowstone)」。深い谷間で有名なグランドキャニオンにも負けないくらいの険しい谷間となっています。
溶岩の谷が間欠泉や温泉の活動によって色鮮やかな壁となったそうですが、深い谷底には川が流れ、上流と下流にふたつの美しい滝があるのです。写真は、「アーティストポイント」と呼ばれる展望台から眺めた下の滝。
雨もよいの真冬のように冷たい朝でしたが、それがかえって墨絵のような味をかもし出しているのです。
 


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そして、こちらは、「マンモス(Mammoth)」の温泉地帯。ここでは山の上から滝のように温泉が流れ出るのですが、それが白いテラスのように段々になって、おもしろい形状の丘をつくっているのです。
白いのは温泉に含まれる石灰分だそうですが、その中にもピンクの結晶が混じったり、ブルーや茶や赤の池ができていたりと、見る者を退屈させない自然の演出となっているのです。
この日は、真夏のように太陽が照りつける午後。光が当たると、白いテラスもピカピカと輝きを放つのです。

こんな風に、いろんな楽しみ方のあるイエローストーンですが、やはり全部をグルッとまわるには2泊くらいは必要でしょう。
たとえばマンモスの温泉に一泊したら、海みたいに大きなイエローストーン湖のほとりに一泊。そんな行程も乙なものかもしれません。

<バイソン>


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いやはや、今回の旅行では、いきなりスピード違反で捕まってしまいましたよ。連れ合いの運転するレンタカーが下り坂で加速したと思ったら、どこからともなく国立公園の警察が現れて、違反チケットを切られてしまいました。
カリフォルニアでは、交通違反は州の高等裁判所の管轄となるので、ワイオミング州の高等裁判所から連絡があるのかと思えば、なんでも、国立公園内の違反は、連邦政府の裁判所に罰金を支払うことになるそうです。

まあ、スピード違反といっても悪質ではなかったので、罰金50ドルと保釈金・手数料55ドルを払えば、連邦地区裁判所に出廷しなくても許してくれるそうです。けれども、園内では公園警察のパトカーをたくさん見かけましたし、パトカーに止められた車も何台か見かけましたので、ここではとくに気を付けた方がいいでしょう。

それで、どうしてそこまで取り締りが厳しいのかといえば、もちろん、スピードを出すと自分が危ないこともありますが、動物がノソノソと道路に出てきて、そんな動物たちと衝突する危険性が大きいからなのです。
ですから、公園内の速度制限は45マイル(時速72キロ)。ピクニックエリアや展望台の近くは、35マイルや25マイルまで減速する箇所もあります。(我が家のケースは、45マイルゾーンを61マイルで運転していたのですが、58マイルまでだったら許してもらえたはずなのでした。)
 


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この辺の道路で見かける動物といえば、まずは、アメリカン・バイソン(American bison)。バッファローとも呼ばれる、牛に似た大きな動物ですが、あんなに大きな生き物に車が追突したら、あちらもこちらもタダでは済まないでしょう。

え、道路にバイソンが? そんなバカな! と思われる方もいらっしゃるでしょうが、これは誇張でも何でもありません。イエローストーンでは、道路を横切るバイソンのご一行様というのは日常の風景なのです。
ご一行様が現れると、道路は彼らに占拠され、彼らが何事もなく通り過ぎるまで「バイソン渋滞」ができるのです。
 


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忘れもしない、わたしが生まれて始めてバイソンを見たのは、フロリダのサファリパークでした。コカコーラの空き缶を持って行けば入場料を割り引いてくれるという、なんとものどかなサファリパークでしたが、園内をのんびりと車で散策していると、道路のはるか向こうにうごめく巨大な物体がいるではありませんか。あんなに大きな動物は見たことがない! と度肝を抜かれたのでした。
それは、象さんやキリンさんに比べたら小さいですよ。でも、牛みたいな形をして、あれほど大きいと、「畏れ(おそれ)」の念すら抱いてしまうのです。(それもそのはず。現存する北米大陸の陸上動物の中では一番大きいそうですから。)
 


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バイソンは社会動物なので、多くは群れを成して生活しています。そして、たぶん気質はおとなしいのでしょう。ですから、道路に現れたとしても、お行儀よく列を成して横断して行くので、むやみに怖がる必要はありません。ウー、ウーと鳴き声をたてながら、そのうちに通り過ぎてしまいます。
けれども、やはり野生の動物なので、近づき過ぎたり、刺激を与えたりというのはご法度なのです。突然、ゴロゴロと地面に転がって土煙を上げたり、何かに触発されてダッと走り出したりすることがあるので、遠くから静かに観察するのが無難なのです。

イエローストーンでは、ヘイドゥン・バレー(Hayden Valley)という平地で頻繁にバイソンを見かけます。ここは険しい山々に囲まれた草原となっているので、草食のバイソンが好んで集まって来るのです。近くにはイエローストーン川も流れ、水浴びにももってこい場所となっています。
そして、平地なので道路からの視界も大きく開けていて、バイソンが群れている姿を望遠レンズでおさめるには最適なスポットなのです。路上にひとりが止まっていると、必ず大人数が集まって来るので、バイソンがいる場所は誰にでもすぐにわかるようになっています。
 


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現在、アメリカにいるバイソンは、1万年ほど前にベーリング海峡を渡ってユーラシア大陸から移って来たバイソンの子孫だそうです。その頃から、アメリカ大陸には先住民族が暮らしていて、食料や衣料や祭事の生活の糧としてバイソンが狩られました。
19世紀になって、アメリカの「真ん中あたり」にも白人が住むようになると、今度は、白人たちの大量殺戮が始まります。肉を食していたばかりではなく、毛皮が高値で売れたからです。毛皮はヨーロッパに輸出されたり、国内の工場に工業用として出荷されたりと、強靭なバイソンの皮はいろんな場面で重宝されたそうです。
 


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この時代には、それこそ何千、何万という単位でバイソンが殺されていったわけですが、そのうちに人間が牧場で飼育し始めたり、牛と掛け合わせて食肉としたりと、少しずつ数を戻していきました。
こちらは、ワイオミング名物のバイソン・ハンバーガーです。牛肉と比べて脂肪分が少ないので、若干ジューシーさに欠けますが、ヘルシーな肉といえるのかもしれません。(もちろん野生ではなくて、飼育されたバイソンの肉が使われています。そして、バイソンの肉だけではパサパサした感じなので、牛のひき肉を混ぜて使うこともあるようです。)
 


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そんな風に絶滅の危機は脱したものの、野生のままのバイソンとなると、ごく少数が残されているだけなのです。イエローストーンにいる3千頭を含めて2万頭のみが、遺伝子的に純粋な野生のバイソンだといわれているようです。(写真中央の薄い茶色は、春に生まれた子供のバイソン)
そして、近隣の牧場主と野生のバイソンは必ずしも友好関係にあるわけではなく、イエローストーンで保護されている3千頭のバイソンですら、公園を出て隣のモンタナ州に舞い込むと、撃ち殺される危険にさらされているのです。
なぜなら、「バイソンは危ない菌(brucellosis、ブルセラ症)を持っているから、牛と接触されたら菌がうつる」と牧場主は恐れているからです。(実際には、最初にブルセラ菌をバイソンにうつしたのは、家畜牛の方だそうです。そして、バイソンから家畜に菌がうつったケースは報告されていないそうです。)

このため、毎年春になると、「牛追い」ならぬ「バイソン追い」の行事が始まるのです。イエローストーン国立公園は柵で囲われているわけではありませんので、バイソンの中には、草を求めて自然と園外に出るものもいます。そこで、隣のモンタナ州に侵入したバイソンたちを、ジープやヘリコプターや馬で追って、園内に戻すのです。
その過程で菌の検査をされ、陽性反応が出ると殺されるバイソンもいるのだとか。(参考文献: Ray Ring, Yellowstone bison: Hazed and confused, High Country News)。
 


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こちらのバイソンは、珍しく首輪を付けているのですが、もしかすると「バイソン追い」の過程で捕らえられて、陰性反応だったので許してもらえたのかもしれません。

19世紀後半、イエローストーン国立公園を設立したのは、グラント大統領でした。けれども彼は、絶滅の危機に瀕するバイソンの保護法案は棄却したそうです。
この頃、広大なアメリカの中央部では、さまざまな先住民族が昔ながらの狩猟採集の生活を営んでいましたが、バイソンを保護するということは、バイソンを糧とする先住民族を保護することになるからです。白人社会にとっては、先住民族には目の前から消えて欲しかったのです。

イエローストーン周辺にも、クロウ(the Crow)、ショショーニ(the Shoshone)、バノック(the Bannock)、ネズ・パース(the Nez Perce)といった先住民族が暮らしていました。豊かな自然を求めて、シャイアン(the Cheyenne)、アラパホ(the Arapaho)、スー(the Sioux)といったグループも遠くから訪れていたそうです。
けれども、イエローストーンが国立公園となったとき、政府はこう宣言していたそうです。「彼らは、勢い良く吹き出す間欠泉が恐いので、この辺には近寄らない」と。

当時は、そうでもいわないと白人の観光客が来てくれないと思ったのでしょう。今は誰もが訪れる、平和な国立公園となっています。

<グランドティートン>


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困ったことに、今回の旅に出かける前は、まったく気乗りがしませんでした。なぜなら、イエローストーン周辺は、標高平均2500メートルの山岳地帯。高山病で確実に具合が悪くなるとわかっている旅には、なかなか気乗りがしないのです。
けれども、そんな心を変えてくれたのが、こちらの切手。アメリカからの航空便98セントの切手ですが、美しいグランドティートンの山並みをモチーフにしています。こんなにきれいな所なら、行ってみたいではありませんか。
 


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グランドティートン国立公園(Grand Teton National Park)は、イエローストーンのすぐ南にあって、車でほんの15分の距離です。ティートンの名が示すとおり、公園の西側には壮大なティートン山脈がそびえ立ち、公園のハイライトとなっています。
園内のいたる所から山脈が望めるのですが、角度や天候や時刻によって微妙に表情を変えるので、それがまた、この公園の大きな魅力となっているのです。
前日に降り積もった雪で、頂きは白いお化粧をしていますが、そんな山並みの中で、わたしが「エヴェレスト」とニックネームを付けた山がありました。このとがった山こそ、グランドティートン山(標高4197メートル)だそうです。(写真では左にそびえる山。右側の高い山は、標高3484メートルのセイント・ジョン)
 


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冬場は、公園の南に位置するスキーリゾート、ティートンビレッジ(Teton Village)でウィンタースポーツを楽しむ手もありますが、夏場は、なんといってもドライブやハイキング。
ここの道路はイエローストーンよりも幅広いですし、遠くに山を望む平原の視界は開けているので、イエローストーンよりも快適なドライブを楽しむことができるのです。付近にはキャンプ場も多いので、でっかいRV(寝泊まりできる大きな車)もたくさん見かけました。

こちらもイエローストーンと同じく、車でグルッと一周できる構造となっていて、西側のティートン・パークロードと東側のジャクソンホール・ハイウェイ上には、観光スポットが点在しています。


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たとえば、トランスフィギュレーション礼拝堂(Chapel of the Transfiguration)。なんとも田舎風の素朴な礼拝堂ですが、草原にポツンと建っているところがいい絵になるのです。実際、キャンバスに絵筆を走らせる画家をふたり見かけました。
この礼拝堂は、1925年、近くの牧場の従業員やゲストのために建てられましたが、現在はジャクソンにある英国国教会派(Episcopal)教会の支部となっているそうです。
西部クラフツマン様式(Western Craftsman)の建物の中も、ごくシンプル。木でできたベンチが何列か並んでいるだけです。ここには金銀の宝飾なんて似つかわしくありません。
 


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こちらの朽ち果てそうな家は、1885年にジョン・カニンガムという男性が建てた小屋。彼は他州からジャクソンホールにやって来て、わな猟師(trapper)を営んでいた人物(わな猟師とは、毛皮をとるためにわなを仕掛けて動物を獲る猟師のこと)。
その後、首尾よく自分の牧場を設立したそうですが、それまでの間、この小屋を住処(すみか)としていたようです。
まあ、事情はどうであれ、きっと彼はここの景色がいたく気に入ったことでしょう。「よしっ、ここにしよう!」と即決したのではないでしょうか。(冬の寒さは半端じゃないでしょうが・・・)
 


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そして、グランドティートンで逃してはいけないのが、ラフティング(rafting)。10人ほど乗れるゴムボートでのんびりと楽しむ川下りです。船頭を兼ねるガイドさんがラフトを操ってくれるので、自分で漕ぐ必要はありません。
急流を行く「ホワイトウォーター・ラフティング」と違って、大きなスネーク川(Snake River)をゆったりと下って行くのですが、それでも時折波が木の葉のようにラフトを揺らし、ピシャッと冷たい水がかかることもあります。それも、晴れていればすぐに乾いてしまいますが。

一緒にラフトに乗り込んだ中には、これを何年も楽しみにして来たという方がいらっしゃったので、ラフティングはグランドティートンの花形行事なのでしょう。この日は、前日までの冷たさがウソのような暖かい日差しで、まわりの緑も山並みの岩肌と雪のコントラストも際立って見えます。


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そして、アメリカの国鳥でありシンボルでもあるハクトウワシ(the Bald Eagle)が、わたしたちのボートを静かに見守っていました。半ば翼を広げ、高見からあたりを見据える姿は、まさに威厳に満ちています。

ここは、思う存分、自然を楽しむ場所。ガイドさんがいうに、もしも北からジャクソンホール空港に入るフライトに乗った場合は、右側の窓際に座るのがコツなんだと。
飛行機はティートン山脈を右手に南下して来るので、美しい山並みが手に届くくらい間近に見えるそうです。
インディアナ州からやって来た彼は、「ここで仕事ができるなんて、自分の人生に何の不満もない」と断言していたのが印象に残りました。

生き物とふれあい、刻一刻と変化する景色を愛で、日々すっかりと忘れていた時間を取り戻す。それができるのが、このワイオミングの自然なのかもしれません。

<後記>


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イエローストーンもグランドティートンも、9月になるとチラチラと雪が舞い始め、10月初頭には、ホテルやロッジも閉じてしまいます。わたしたちが到着した8月末日には、前夜から早朝にかけて雪が降り、公園内の道路は朝8時まで閉鎖されていたそうです。
けれども、そんなに短い夏の間にパッと輝くからこそ、堪能できる自然の美というものがここにはあるのでしょう。

カリフォルニアにも、ヨセミテ(Yosemite National Park)という有名な国立公園があります。こちらも山あり、滝あり、湖ありと雄大な自然を誇り、ロッククライマーに人気の切り立った絶壁「エル・キャピタン(El Capitan)」や、昔ながらの名門ホテル「アワーニー(the Ahwahnee)」で世界中に名を馳せています。
けれども、もしもヨセミテとイエローストーンどちらをお勧めするかと問われれば、個人的には、イエローストーンと答えるでしょう。もちろん、それは人それぞれの好みの問題ではありますが、厳しい冬を乗り越えた夏の緑が、イエローストーンの方が繊細で美しいと思うからです。
そして、星が美しい。グランドティートンの夜空は、人生最高の星空でした。あれほど鮮明に天の川を見たことはありませんでしたし、星々があれほど大きなものだったとは・・・。

もし機会がありましたら、アメリカの「真ん中あたり」の大きな自然を味わってみてください。ひょっとすると、人生観が変わってしまうのかもしれません。

夏来 潤(なつき じゅん)



夏の話題: ステイケーションとインセプション

Vol. 133

夏の話題: ステイケーションとインセプション
 

 


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サンフランシスコ・ベイエリアは、7月、8月と記録的な冷夏でした。もともと霧の濃いサンフランシスコでは、8月の寒さは筋金入りではありますが、その霧が朝晩シリコンバレーあたりまで侵入し、目を覚ますと布団を出るのがイヤなほど肌寒さを感じる日々が続きました。
と思えば、8月終盤、これまた半世紀ぶりの記録破りの猛暑が3日間だけやって来て、いったい地球はどうなっているんだろうと、一抹の不安がよぎるこの頃です。

そんな8月は、経済、娯楽、テクノロジーと3つのお話をいたしましょう。
グーグルさんなどが登場する最後のお話は、ちょっと長めですので、どうぞごゆるりとお読みくださいませ。

<ステイケーションって?>
このなんとも世知辛い世の中で、近頃アメリカでは、ある言葉が流行っています。それは、「ステイケーション(staycation)」。

ゆったりと休暇をとって、どこか遠くにお出かけする「バケーション(vacation)」の親戚となりますが、こちらは「お金にちょっと不安があるので、近場で済ませる束の間のバケーション」という意味になります。
「ステイ(stay)」という部分が表しているように、遠くに行かないで「地元に残る」という意味合いが出てくるわけですね。


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たとえば、サンフランシスコ・ベイエリアでいくと、サンフランシスコからゴールデンゲート橋をちょいと渡ってワインの名産地ナパに一泊、というのがステイケーションの好例となるでしょうか。
まあ、近頃はナパ一泊旅行もなかなかお高いので、普段は行くことのない地元の美術館を訪ねてみる、というのも立派な代替え案となるでしょう。

どうも不況になると、この手の節約型ライフスタイルが芽生えてくるようではありますが、ステイケーションという言葉自体は、あの2008年秋に世界を震撼とさせた「金融危機(the global financial crisis)」(日本では「リーマンショック」)のあとに生み出されたもののようです。


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シリコンバレーの地元紙サンノゼ・マーキュリー新聞でも、毎週日曜日の旅行版に「ステイケーション・スペシャルズ」というコーナーが組まれています。
これによると、最近は、観光都市サンフランシスコにも「Go San Francisco」というお得な割引カードがあって、有効期間中は市内の美術館やら博物館やらケーブルカー体験乗車と、いろんなアトラクションを楽しめるようになっているそうです(スウェーデンの首都ストックホルムの「Stockholm Card」や、東京の美術館「ぐるっとパス」みたいなものでしょうか)。

思い返せば、1990年代後半を彩るインターネットバブルがはじけたあとも、シリコンバレー辺りでは、世知辛いバケーションが出現していましたね。
2000年の後半あたりから、ドットコム(dot-com)を名乗るネット小企業から何万人単位の従業員を抱える大企業まで、すべからくスタッフの縮小が行われたわけですが、みなさん職を失うのが恐いものだから、「いっそのこと、バケーションなんて止めにしよう!」と、休暇を返上する従業員が続出したのでした。あの頃は、どこの企業が何千人解雇するというようなニュースが連日連夜流れていましたから。
なんとか従業員の解雇をまぬがれようと、ネットワーク機器のシスコ・システムズのように、無給の「ボランティア休暇」の参加者を募る企業もありましたっけ。

そう、それまでのクリントン政権下の「行け、行け!」の時代がまるでウソだったかのように、2001年以降、ブッシュ政権下での経済のつまずきは大きなものとなりました。

その巨大なツケ(単年度の財政赤字や累積赤字)を受け継いだオバマ大統領は、連日、針のむしろに座っているようなものでしょうか。
右側の議員の方々からは「国民に金を使い過ぎる」「そのわりに税金を上げようなどと、ビジネス界や金持ちには冷たい」と批判され、左側の方々からは「みんなが困っているときに、もっと政府が助けてあげるべきだ」と批判され、同じ民主党の議員ですら味方してくれないような厳しい状況に陥っています。
そろそろ学校の夏休みが終わる今月中旬、議会で緊急可決された260億ドルの先生の救済法だって、「11月の中間選挙を狙った点数稼ぎだ!」と右側の方々から非難されています。

そして、当の国民からは、こんな声が上がっています。ブッシュ大統領のツケを受け継いだといっても、オバマ大統領は就任してもう18ヶ月も経つのよ! それなのに経済は上向きにならないし、いつまでも失業率は10パーセント近くのままじゃないのよ!


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夏のドライブシーズン中、全米あちらこちらの道路は、連邦政府の経済刺激策のおかげでかなり快適になっているのです(昨年2月に可決された7,870億ドルのThe American Recovery and Reinvestment Act of 2009。法律署名日の換算レートで約73兆円)。
でも、そんな大スポンサーを示す看板なんて、誰の目にも入っていないようではあります。
そして、経済の不安定にアフガニスタン戦争の不人気も相まって、大統領支持率は、就任以来最低の41パーセントに落ちてしまったのでした(8月初頭のUSA Today/Gallup Poll調査)。

けれども、そんな厳しい状況の中でも、オバマ大統領は傍若無人な目標を掲げているのです。それは、「5年の間に輸出額を倍に増やす!」というもの。輸出をグンと増やすことで、国内の労働市場を一気に改善しようという狙いもあります。
すでに輸出審議会(Export Council)も招集されていて、ボーイング、フォード、ディズニー、テレコム業界のヴェライゾン、製薬のファイザー、輸送ネットワークのUPSと、米トップ企業の経営者20人が委員として参加しているのです。

ちょうど2年前、当時の福田康夫首相は、「10年から20年の間に、国民一人当たりのGDP(国内総生産)を世界トップ10に戻す!」という大きな目標を掲げようとしていました(このときには日本は世界ランキング18位)。
が、ご存じの通り、その直後に福田内閣は崩壊してしまったのでした。

わたし自身は、これをなかなかいい目標だと思っていたのですが、オバマ大統領には2013年以降も政権第二期を続投し、目標を貫徹して欲しいものだなぁと思っているところです。
だって、ステイケーションなんて世知辛い流行語は、いつまでも生き延びて欲しくないですからね。

<D-Boxってスゴいかな?>
「ステイケーション」のお話が出たところで、夏場のステイケーションに最適なのが、映画鑑賞かもしれませんね。いえ、ビデオを借りてきて自宅で観るというのはいけません。だって、家ではエアコンが効いてなかったり、臨場感がなかったりと、必ずしも快適とはいえないでしょう。

まあ、アメリカの映画館なんて、だいたい寒いくらいにエアコンを稼働させているものですが、そんな暑さしのぎの理由だけではなくて、つい映画館に足を向けたくなるような「装置」がお目見えしたのです。


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その名も「D-Box(ディーボックス)」。何かといえば、映像に合わせてグググッと動く座席のことです。
よく遊園地のアトラクションにあるでしょう。まわりの映像に合わせて右に左に前に後ろに傾く座席が。わたしなどは、フロリダのエプコットセンターにある「ミクロの決死圏」みたいな乗り物のアトラクションを思い浮かべるのですが、自由自在に傾くだけではなくて、ゴゴゴッと音に合わせて小刻みに振動する座席。
そう、そんな遊園地みたいな座席が、アメリカの映画館に出現したのです。

シリコンバレーでは、ごく最近キャンベルという街の映画館(Camera 7 Cinemas)に登場いたしました。今のところ、シリコンバレーではここだけだそうです。
そんな噂を耳にして、さっそく観に行った映画は、レオナルド・ディカプリオ主演の『Inception(インセプション)』。7月16日に封切られたこの映画は、D-Boxを利用した十数作目の劇場作品となります。

何がすごいかって、プロダクションの段階からD-Box効果を考えて映像が作られていて、そんな映像に合わせてD-Boxの微妙な動きをコーディングするには、それだけで数百時間もかかるんだそうです。
たとえば、ゴーッと地鳴りがして、突然爆発するシーンがあるでしょう。そんな瞬時の動きが求められるような場面だって、ミリ秒の単位で画面とシンクロしているのです。
ですから、この映画には、爆発シーンとか逃走シーンとか銃撃シーンとか、D-Boxの魅力を十分に引き出す場面が2時間半の中にギッチリとちりばめられているのです。
 


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でも、白状いたしますと、わたし自身はD-Box座席に座ったわりに、「動く」モードはオフにして鑑賞しておりました。なぜって、iPad(アイパッド)のレーシングゲームで気持ちが悪くなるタイプなので、前日からめまいと戦っていた不利な状況では、とてもD-Boxと対決する元気などありません。
映画が始まる前には、8月中旬に封切られる『The Expendables(エクスペンダブルズ、シルヴェスター・スタローン主演)』の宣伝が流れたんですが、座席が5度ほど傾いたその一瞬で、「あ、まずい!」って思ってしまいましたね。
そんな(弱気な)人たちのために、モーションは大中小とコントロールできるようになっていて、もし座席が動くのがいやなら、完全にストップできるようにもなっているのです。けれども、座席の背中のスピーカーから響いてくる音響効果をオフにすることはできないので、これだけでも、かなりの振動を味わうことになるのです。

D-Boxは、もともと家庭用の映画室に向けて開発されたそうですが、それが昨年4月に劇場にお目見えして、全米の映画館にも少しずつ広がりつつあるようです。
キャンベルの映画館の場合は、真ん中の22席がD-Box予約席となっていて、通常のチケットよりも8ドル上乗せとなります。事前にオンラインでチケットを購入したら、ふたりで36ドル(手数料込み)もしたので、今の世の中、映画といってもそんなにお安い娯楽ではありません。


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けれども、このD-Boxを応用すれば、目の見えない方でももっと映画を楽しめるようになるのではないかと思うのです。今でも副音声付きの映画はありますが、たとえばD-Box座席に座って、副音声のヘッドフォンを付ければ、映像は目にしなくても、かなりの臨場感が出てくるのではないかと想像するのです。

ところで、当の映画はどうだったかといえば、近頃観た映画の中では、ぴかいちに面白かったですよ。話が何段階にも深く構成されていて、映像の奇抜さと相まって、あっと意表をつかれるような作品となっています。
そして、とくにお勧めしたいのが、主演のレオナルド・ディカプリオのセリフ。あんなに美しく英語を発音してくれる俳優は、めったにいるものではありません。
準主役の渡辺謙さんも、圧倒的な存在感で映画にいい味を添えていますが、きっとレオナルドさんはこう思ったのでしょう。「謙さんが出るから、日本でも人気が出るだろう。だから、セリフはできるだけわかり易くしよう」と。

1993年の『What’s Eating Gilbert Grape(ギルバート・グレイプ)』で、主演のジョニー・デップの弟役を演じた頃から、「彼は天才的な俳優だな」とは思っておりました(この映画では、障害を持ち、言葉もうまくしゃべれない少年を演じています。こちらも心に残るいい作品となっています)。
それが、歳月とともに、演技にもだんだんと磨きがかかっているようにも思えるのです。

きっと、そんな自分なりの新しい発見があるから、そして、その発見を劇場のみんなと分かち合いたいから、今日も観客は映画館に向かうのでしょう。
D-Box、IMAX、3Dと、新手の発明はいろいろとありますが、やっぱり主役は人間ですよね!

<IT業界は混乱の季節>
まるで映画『インセプション』の倒錯した映像のようではあるのですが、振り返ってみると、この夏は、どうも頭が混乱するような季節でした。なぜって、テクノロジーの世界では次から次へといろんな事が起こって、世の中が急激に動いているように思えるからです。

たとえば、こんなニュースがあるでしょうか。グーグルのスマートフォンOS(基本ソフト)アンドロイドが、第2四半期、アメリカのスマートフォン市場でシェアトップになったと。
今年の第1四半期には、アンドロイドがアップルiPhone(アイフォーン)のOSを抜いてシェア2位となっていたところが、第2四半期になると、リサーチ・イン・モーションのブラックベリーOSを抜いて首位に浮上したというのです。
 


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米政財界にあれほど人気のブラックベリーを追い抜いたというのは特筆すべき出来事ではありますが、考えてみれば、アンドロイド搭載のスマートフォンが一番売れているというのは、当たり前のことなのかもしれません。なぜなら、鉄砲の球数が多いですから。
今では、アメリカ市場だけでも二十数種のアンドロイド機が発表されているのですから、販売台数が伸びるのも当然かもしれません。
が、それも嬉しいばかりではなくて、HTCの「Evo 4G(写真)」やモトローラの「Droid X」といった一般消費者向け人気機種の部品生産が追い付かないらしく、年末までは部品不足に悩まされることになるとか。

ということは、アンドロイドの今年の課題は、意外にもメモリーやタッチスクリーンのコントローラと「部品」になるのかもしれません。

こんなニュースもありました。グーグルは、ごく最近、ソーシャルネットワーク向けにゲームを開発する Zinga(ジンガ、日本のソフトバンクが出資し合併会社設立にも合意)にもこっそりと投資しているし、ソーシャルネットワーク最大手Facebook(フェイスブック)でバーチャルペットのアプリケーションで大人気の Slide(スライド、「SuperPoke!」「SuperPoke! Pets」で200カ国3千万人弱のユーザを持つ)など、ソーシャルゲーミングの関連企業をいくつか買収していると。
まあ、グーグルは今年末までに「グーグル・ゲーム(Google Games)」というサービスを立ち上げようとしているそうなので、そのような投資も買収も当たり前なことかもしれません。とくにZingaは、グーグル・ゲームの柱となると目されているようですし。

けれども、その裏側には、なんとなくお家の台所事情が見え隠れするようにも思えませんか。なぜって、スマートフォンOSアンドロイドでは存在感を増すばかりのグーグルですが、頼みの綱となるネット検索での収入の伸びがいまいち鈍化しているから。
近頃、Facebookでは、メジャーな広告主が使う広告費がグイグイと伸びているそうではありませんか。そんなにおいしいソーシャルネットワークの分野にどうにかして食い込みたいと、グーグルは考えていることでしょう。
そう、Facebookの強みは、メンバーひとりひとりの好みや友達関係なんかをギッチリと把握しているところ。だから、広告主だって「有効かも!」と広告費をたくさん支払う気になるのです。
グーグルにとっては、それがうらやましくてしょうがない。じゃ、まずは、ゲームを始めて、ユーザの情報をたんと集めるとしましょうか。

それに、ソーシャルゲーミングの分野は、何やかやとユーザから直接お金が入ってくるでしょう。ゆえに、利益率はかなり高い。Zingaだって売上の半分は営業利益だというではありませんか。そんな商売って、かなりおいしいでしょう。

さらに、ゲームを始めれば、ユーザと自分を金銭的に直結できるのです。Zingaが PayPal(ペイパル、オンラインの支払いシステム、現在はオークションサイトeBayの傘下)を使ってしっかりとお金を集めているように、自分だってユーザの支払いシステムを押さえておきたいではありませんか。そう、ユーザがクレジットカードの番号を登録しておいて、画面をクリックしただけでポンと物が買えるシステムを。
すると、アップルが iTunes(アイチューン、音楽・映像・アプリショップ)を使って、パソコン、iPhone、iPad、iPodといろんなプラットフォームから簡単に物が買えるように工夫しているように、グーグルだって、ユーザから手軽にお金を取れるようになるでしょう。
最初はゲームから始めたにしても、そのうちにいろんな物を売れるようになるかもしれない!
(グーグルは、今年1月から自社ウェブサイトで販売したアンドロイド機「Nexus One(ネクサス・ワン)」では失敗しているので、あれだけのネームバリューがあったにしても、直接ユーザに物を売る難しさは身にしみて知っているのです。そして、グーグルだって Google Checkout(グーグル・チェックアウト)という支払いシステムは持っているのですが、なにせアンドロイド機という小難しい製品から売り始めたものだから、裾野が広がっていないのです。気軽に買える一曲99セントの音楽とは大違いなのです。)

きっとグーグルがアップルをうらやましいと思っているのは、iTunesのような何でも売れる環境なんでしょう。でも、金庫にお金はたくさんあるのですから、何かめぼしいものがあれば、外から買ってくればいいだけの話かもしれません。
グーグルCEO(最高経営責任者)エリック・シュミット氏も「内製できなければ、買収は良い方策である」と明言していらっしゃることですし。(ソーシャルゲーミングSlideは、今年19個目のグーグルのお買い物となりました。)

そして、そのうらやましいiTunesを繰り広げるアップルは、現在、テレビ番組のレンタルを始めようとしている、といったニュースもありますね。iTunesで何かを買おうとすると、結構お高いでしょ。だから、ひとつ99セントで好きな番組を48時間だけ借りられるようにするそうです。
今は、Foxネットワークを持つNews Corp.(ニューズ・コーポレーション)や、ディズニーの傘下ABCと交渉中だそうですが、99セントなら、みなさん「借りてみようかな」という気になるのかもしれません。だって、買うほどではないけれど、ちょっと観てみたいと思う番組はたくさんありますからね。(これについては、9月1日にサンフランシスコで開かれるアップル新製品お披露目会で、詳しく説明があるのかもしれません。)

けれども、この動きには風当たりも強くて、とくに家庭のテレビに番組を配信しているケーブル会社などは、「そんなものが流行ったら困る!」と戦々恐々としているようです。
そんな中でも、メディア王でありNews Corp.トップのルーパート・マードック氏は、新しい番組配信案にかなり乗り気なようではあります。彼は、今年6月、アップルのスティーヴ・ジョブス氏への壇上インタビュー(D8 Conferenceにて)を観客席で熱心に聴いていたそうですが、iTunesのようなサービス展開には可能性を感じているのでしょう。


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現に、News Corp.は、アマゾンの「キンドル」みたいな電子ブック(e-readers)のプラットフォームを開発する会社(Skiff)を買収していますし、有料コンテンツの配信サービスとなるジャーナリズムオンライン(Journalism Online)にも投資しています。
ウォールストリート・ジャーナル紙のような新聞を多数持つメディアの巨頭News Corp.にとって、デジタル配信は、今後の糧となるのかもしれません。
そして、ジャーナリズムの価値と存続の重要性は、スティーヴ・ジョブス氏だって十分に感じているのです。

そんなわけで、そうやって自分の中で説明がつくニュースもあるのですが、「まったくわからない」部類のニュースもたくさんありました。

たとえば、パソコンのマイクロプロセッサで有名なインテルが、セキュリティーソフトウェアの老舗マカフィー(McAfee)を買収するというもの。
え、どうして半導体屋さんがソフトウェア屋さんを買うの? シナジー(相乗効果)はいったいどこに?

それから、ブラックベリーで有名なカナダのリサーチ・イン・モーション(愛称RIM、リム)。近頃、スマートフォン市場ではアンドロイド搭載機に負けそうになっているので、そろそろiPadみたいなタブレット型コンピュータを出そうとしているそうです。
が、そのOSには、無人戦車やBMWに採用されている会社のソフトウェアを使うとか。

RIMは、今年4月、オーディオ機器のハーマン・インターナショナルからQNXソフトウェア・システムズという会社を買収したそうですが、タブレット型新製品「BlackPad(ブラックパッド)」のOSは、そのQNXが担当するそうなのです。
これまでQNXは、BMWの車内メディア・ナビゲーションシステムだとか、米国陸軍の無人戦車「Crusher(クラッシャー、カーネギー・メロン大学開発)」のナビゲーションだとか、はたまた原子力発電所の制御ソフトや心臓モニターシステムと、多岐にわたって開発してきたそうです。

そこで、ふと考えるのです。BlackPadっていったい何者?

そして、こうも考えるのです。最初に「形ありき」で無理矢理ソフトを詰め込んだって、いい製品はできないんじゃないの? と。
 


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ジョブスさんは、こうおっしゃっていました。「iPhoneとiPadは、実は、タブレット型のiPadの方が先にできたんだよ」と。
バーチャルキーボードを使って両手でタイプできるような、マルチタッチのガラスの画面をつくってよと頼んだら、数ヶ月後にiPadみたいなタブレットができてきた。それから数週間すると、指先で画面を次々とスクロールできるようになったよとエンジニアが連絡してきた。
おっと、これだったら電話ができるじゃないかって、それから数年かけてiPhoneを開発したんだよ。やっぱり、電話を出すのが先だからね。(D8 Conferenceの壇上インタビューより)

アップルのiPadは、実は、自然に世の中に誕生したような製品だったのでした。何をするにしたって、「自然体」というのは大事なことなのかもしれません。

というわけで、世の中には、謎のニュースもいっぱい出回っているわけです。が、とくにこの夏は、頭がグチャグチャになるような季節ではありました。

きっと、世界が急激に動いている証拠なんでしょうね。

夏来 潤(なつき じゅん)

 

親のすねかじり(?)

あの~、「親のすねかじり」なんていっても、人間のお話でも、子羊のお話でもありません。

申し訳ありませんが、虫、それもモゾモゾと動くクモ(!)のお話です。

クモがお嫌いな方もたくさんいらっしゃいますので、そういう方は、このお話は絶対に読まないでください。きっと気持ちが悪くなってしまいますよ。


と、前置きをしたところで、先日、ものすごく不思議なことがあったのでした。

ある朝、キッチンで朝ご飯の用意をしていたら、わたしのいる方を目がけてクモが歩いてくるのです。

真っ黒い、細長いクモで、前足と後ろ足が長くて、かなりスマートな感じのクモです。全長2センチくらいはあるでしょうか。

まあ、わたしは決してクモが嫌いではありませんし、ときどき家で見かける種類だったので、べつに驚きもせずに視界の端で観察していたのです。が、困ったことに、どうもわたしの足元に隠れようとしているようでした。

クモって、物陰に隠れるのが好きでしょう。だから、スリッパを履いたわたしの足がちょうどよいと思ったのかもしれません。

さすがに足元に来られると困るので、そこから逃げたのですが、見ていると、そのうちにダンスをするみたいにクルクルと円形に床を歩き回るのです。まるで何かに突き動かされているみたいに、忙しくクルクル、クルクルと。

「あ~困ったわぁ、どうしましょう、どうしましょう」とでもつぶやいているようなせっかちな様子。

そんなにクルクルと回ったって、どこにもたどり着きゃしませんよ。

「変なクモ!」と、わたしは気にもせずに朝ご飯を食べて、それから新聞に没頭していたのですが、ふと気が付くと、キッチンの隅っこで巣を作っているではありませんか。

そう、あのクモの糸を懸命に出して、いつの間にか立派な巣が完成しているのです。

それを見てわたしは、「もうすぐこのクモは死ぬんだな」と思ったのでした。
 なぜなら、クモという生き物は、ある意味、優雅で品のある生き物でして、死期を悟ったクモは物陰に隠れて静かに死を迎えようと「身辺整理」のような行動を始めるからです。

そうか、ある命が終わってしまうのだなと思いながら、そこからそっと離れたのでした。


そして、ほんの4、5分の後、その場に戻ってみると、なんとクモの巣にもうひとつの生き物がいるではありませんか!

それも、飴色をしたミニチュアのクモが!

しかも、ミニチュアはたったの一匹!

ここで、わたしの頭は疑問でいっぱいになったのでした。

このちっちゃいクモは、いったい何者? 黒いクモの子供?

でも、クモって卵を産むんでしょ? しかも、卵からは一匹ではなくて、たくさんの子グモが一気にかえるんでしょ?

そう、クモは幼虫を産む胎生ではなくて、卵を産む卵生ですよね。

でも、もしこのミニチュアグモが黒いクモの子供だとしたら、体から出てきたことになると思うのです。だって、卵のう(たくさんの卵が入った糸のかたまり)なんて見かけなかったですもの。

しかも、ミニチュアが一匹しかいないということは、あの「蜘蛛の子を散らすように」という表現とは矛盾するではありませんか。だって、「たくさん」のものが四方八方に散って逃げるという意味でしょう。一匹しか子供を産まないクモなんて、この世の中にいるのでしょうか?

そして、そんな疑問で頭を悩ましていると、もっと不気味なことが起きたのでした。

この飴色のミニチュアが、まるで獲物を捕らえたみたいに、黒いクモに向かって糸を出しているのです。

それだけではありません。黒いクモにとりついて体液を吸っているのです。ちょうどスネのあたりにかじりついて・・・。


いやはや、いくらクモが大丈夫なわたしでも、これを見たらゾッとしてしまったのですが、そんなことにはお構いなしのミニチュアグモは、だんだんと色を変えていくのでした。

最初は、なんとも頼りない飴色だったのが、少しずつ茶色が濃くなってきて、腹部のあたりはツヤツヤと輝きすら増してくるのです。こうなってくると、小さいながらも、もう立派なクモといった感じでしょうか。

そんなわけで、この日はなんとなく厳しい自然の営みを垣間みたような気分になってしまったのですが、ちょっと調べてみると、クモは卵生ではあるけれど、メスが卵のうを体で守って、まるで幼虫が母親グモの胎内から生まれてくるように見える種類のクモもいるそうです。

コモリグモ(子守蜘蛛)と呼ばれるコモリグモ科のクモに、そんな習性があるのだそうです。

おもしろいことに、コモリグモ科(family Lycosidae)のクモは、糸を出すお尻のあたりに卵のうを抱えて、親戚のキシダグモ科(Pisauridae)のクモは、口のあたりに卵のうを抱えるということです。

だとしたら、わたしには卵のうが見えていなかっただけなのかもしれません。

そして、自然の残酷なところではありますが、子供を産んだあと、子に自分を食べさせる母グモはいるそうですよ。

それにしても、ミニチュアグモが一匹しかいなかったことが妙に気にかかるわけではありますが、このミニチュアくん、丸一日は巣に留まっていたところが、その翌日には、もう姿を消しておりました。

そして、ミイラのようになった黒いクモは、いつの間にか床へと・・・。


こんなお話をすると、「やっぱりクモは不気味だ」と思われるかもしれませんが、地球上にはいろんな生き物がいるということをお伝えしたかっただけなんです。

アメリカ人って、クモを見つけるとすぐに足で踏んづけて殺してしまうのですが、わたし自身は、それはあまりにも残酷だと思っているのです。だって、クモは、どちらかというと害虫を食べてくれる人間の味方なんですよね。

それに、毒を持っているクモなんて、熱帯雨林でもない限り、めったにいるものではありません。
 毒グモのイメージの強いタランチュラだって、かまれたらちょっと痛いくらいで、大部分のタランチュラには毒はないということですよ。

だとしたら、多くのクモには、目の敵(かたき)にされる理由なんてないでしょう?

もし、何かしらの勘違いで歴史的にクモが嫌われるようになったとしたら、それはクモにとっては大いに迷惑な話ですよね。だって命乞いをする間もなく、すぐに殺されてしまうのですから。

そんなクモたちに、ちょっと同情してしまうのでした。

というわけで、あまり気持ちの良い話題ではありませんでしたが、ひとつの世代から次の世代へと、ある命の受け渡しのお話でした。

追記: 最後の写真は、誰かさんの家から逃げ出したペットのタランチュラくん。ゴルフコースをのんびりとお散歩なさっていたところ、カメラを向けたら、ちゃんと立ち止まってポーズをとってくれました。なかなか、フォトジェニックなタランチュラなのです。
 それに、カメラ目線を感じてくれるなんて、いいモデルさんですよね!

自然を守る軍隊

前回は、「赤い海に家を建てよう!」と題して、サンフランシスコ湾の塩田を埋め立てて一大住宅地をつくろうよ! という計画があることをご紹介いたしました。

開発推進派は、地域の住宅事情を改善する絶好のチャンスだと主張する一方、自然保護派は、どうせ塩田を止めるんだったら、いっそのこと昔ながらの湿地に戻しましょうよと反論し、ふたつの主張はどこまでも平行線のままなのでした。

このお話の後半で、国の機関である USACE(the U. S. Army Corps of Engineers)が、開発計画を承認する一機関であることをご説明いたしました。

今日の話題は、この USACE についてなのですが、これがちょっと変わっているんです。


USACE という名前にある ACE の部分は「Army Corps of Engineers」なのですが、「Army」というのはニックネームでも何でもなくて、本物の「米国陸軍(the United States Army)」のことです。

開発計画の承認に軍隊が出てくるのはちょっと意外なことではありますが、USACE という組織は、アメリカ陸軍に所属するエンジニア(技術者)の団体なのですね。

この組織の歴史は古く、まだ植民地だったアメリカがイギリスを相手に独立戦争を起こした時代(1775年)に、当時、陸軍大将だったジョージ・ワシントン(のちに初代大統領)が、ボストンの近くに要塞を建設するために技術者を雇ったのが始まりだそうです。

なんでも、このときには、雇ったほとんどがルイ16世お抱えのフランス人技術者だったとか。その頃は、フランスの方が、大規模な建築技術がうんと進んでいたのでしょう。
 それに、当時フランスとイギリスは張り合っていたので、イギリスを向こうに回した戦争に加担する意義は、フランスにとっても十分にあったのでしょう。 (「Army Corps」という名前を「アーミー・コア」と呼ぶのもフランス式なのでしょうか?)

そんな歴史的背景があって、米国陸軍が公共事業の技術者集団を抱えるようになったわけですが、これまで手がけたプロジェクトは、パナマ運河だとか、ペンタゴン(国防総省)だとか、フロリダのケネディー宇宙センターだとか、それから、あちらこちらのダムや道路だとか、有名なものから無名なものまで数限りなくあるのです。

たとえば、1914年に10年がかりで完成したパナマ運河などは、アメリカの東海岸と西海岸を結ぶ船のルートとして、大変ありがたいものとなりました。それまでは南アメリカの先端をグルッとまわっていたところが、パナマ運河のおかげで航行距離が半分以下となったのです。これで東と西の交易もグンと活性化したのでした。

そんな歴史のある USACE ですが、今では、組織のほとんどは民間人で構成されていて、軍人は数百人しか在籍していません。軍隊に所属していながら、戦争にはあまり関係のない組織というわけです。(もちろん、戦地に派遣されれば、軍隊を前に進めるために道路をつくったり、橋をつくったりと戦争に加担することもあるでしょうけれど。)


そして、前回のお話に出てきたように、USACE に塩田の埋め立て・開発計画を承認する権限があるというのは、この組織には、橋や港の整備、ダムの建設、灌漑工事と、大規模な治水事業を統括する役割があるからです。

まあ、ひとくちに「治水事業」といっても、それこそパナマ運河のような大プロジェクトを成し遂げることから、船の航行の妨げにならないように港のまわりのゴミを回収することまで、仕事は多岐にわたっているのです。ゴミ回収だって、立派な公共事業ですからね。

それと同時に、USACE には「行き過ぎた開発に歯止めをかけ、自然を守る」という大切なミッションもあるのです。そして、単に「守る」だけではなくて、自然環境をもとの姿に戻す「修復(ecological restoration)」のミッションも持っているのです。

ですから、「カーギルの塩田開発計画は、国の法律に照らし合わせて、当局が厳しく審査する」と明言したわけなのですね。自分たちは自然の守り神という自負がありますから、塩田を埋め立てて住宅地にしてしまったら、自然界にどんな影響が出てくるかを厳しく審議してやろうじゃないか、という使命感に燃えているのです。

なんとなく、軍隊というイメージからはほど遠い方たちではありますが、その裏側には、軍の飛行場をつくるような軍事プロジェクトにしても、ダムを築く公共プロジェクトにしても、これまで自分たちは自然を壊し過ぎたなという反省があるのかもしれません。


そんなわけで、アメリカには何とも不思議な組織があるものですが、先日、この USACE の施設を訪れる機会がありました。

サンフランシスコからゴールデンゲート橋(Golden Gate Bridge)を渡ってちょっと先を右に下ると、サウサリート(Sausalito)という有名な街がありますが、このおしゃれな観光地のはずれに USACE の施設があります。

今は改築工事中で普段は閉まっているのですが、8月の夏休み期間中は市民に公開されていて、簡単な教育講座シリーズを開いているのです。

わたしが参加したのは、「どうして湿地を大事にするの?(What’s to love about wetlands?)」という講座で、手軽なデモンストレーションを交えた短い講義なのでした。

サンフランシスコ湾は、その昔、海岸線がすべて湿地で覆われていたというお話はいたしましたが、その先(サンフランシスコ湾の北)にあるサンパブロ湾(San Pablo Bay)も、その東にあるススーン湾(Susuin Bay)も、昔は沿岸全部が湿地帯だったのでした。(写真は南西から湾を眺めていて、手前がサンフランシスコ湾からサンパブロ湾にかけて、右手奥がススーン湾となります。)

とくにススーン湾には、カリフォルニアで一番大きな湿地帯、ススーン湿地(Susuin Marsh)があったり、ススーン湾に注ぎ込むサクラメント川・サンホアキン川の巨大デルタ地帯(Sacramento-San Joaquin River Delta)があったりと、淡水と海水の混ざり合う「入り江(estuary)」のエコシステムが広がっていたのです。

18世紀後半にヨーロッパ人が到来するずっと以前から、サンフランシスコ湾にはオローニ族(the Ohlone)、サンパブロ湾とススーン湾にはミウォック族(the Miwok)やパトウィン族(the Patwin)と、先住民族が周辺の豊かな自然を享受していたのでした。
 「川には魚が豊富で、水面を歩けるほどだし、水辺にはたくさんの渡り鳥が飛来し、一気に飛び立つときには天を真っ暗に覆い尽くすほどだ」というような、スペイン人の記述も残されているそうです。

ということは、歴史的にサンフランシスコ・ベイエリアと湿地とは切っても切れない間柄だったので、湿地というものの意義を市民にも伝えておきたいというわけなのでした。

USACE に所属する公園管理官リンダ・ホームさんは、こう解説してくれました。

湿地には大切な役割がいくつかあるけれど、まず、湿地があることで、海岸線の浸食(erosion)を防いでくれているのですと。

こちらは、ほんとに簡単なデモンストレーションではありますが、左にある緑色のスポンジが湿地を表し、右が湿地のない海岸線を表しています。
 霧吹きを使って同時に水を吹きかけると、スポンジのある方は何も変化がありませんが、右のスポンジのない海岸線はだんだんと崩れてきて、崩れた土砂が水(海)に流されて沈殿するのです。

このように海に流された土砂の一部は、たえず水中に浮遊し、海水の温度を上げる原因ともなるそうです。すると、今までの環境が急激に変わってしまって、魚などの水生生物が住み難くなってしまうのです。

さらに、湿地には自然のエアコンの役割もあって、陸地の温度を適度に下げてくれるのです。コンクリートの埋め立て地なんて、夏場は耐えられないほどに暑かったりしますが、湿地から吹いてくる風は快適に涼しいのです。

現在、USACE は、サウサリートの北にあるハミルトン空軍飛行場を湿地に修復中なのですが、「オーブン」とあだ名がつけられたコンクリートの滑走路を土で埋め立てたら、夏場の周辺気温がグンと下がったとか。

そして、湿地というものは、人間が築く防波堤なんかよりもよっぽど優れていて、嵐で水かさが増したときには、一番いい洪水管理(flood control)の機能を果たしてくれるそうです。
 なぜなら、湿地は信じられないくらいたくさんの水を吸うことができるし、一度吸収した水は、一気にドッと吐き出すのではなくて、少しずつ海に戻してくれるから。しかも、ありがたいことに、きれいな水にして返してくれる、というおまけも付いているのです。

そう、前にもお話しましたが、湿地は自然のフィルターの役目を果たしていて、都市部から流れ出た生活排水や、化学肥料をまいた農地から流れ出る水もきれいに浄化して海に返してくれるのです。

こちらの写真では、土を入れた植木鉢を湿地に見立てていて、これにきたない泥水を注ぐと、あーら不思議。植木鉢の下からは、チョロチョロときれいな水が出てくるのです。
 なんだか、子供の頃にやったような実験ですが、これが湿地の浄化作用となるのですね。
 実際の湿地には植物がいっぱい生えているので、こういった植物たちも浄化に一役買っているそうです。ですから、近頃は、自宅の裏庭に湿地性植物を植えて、シャワーに使った水を浄化して庭にまこうよ、といった水のリサイクルの試みもあるのです。

この湿地のフィルター効果はとても優れたもので、バクテリアだって、湿地を通ると7割ほどが浄化されるという研究もあるくらいなのです。(参考文献: Rebecca Winer, “National Pollutant Removal Performance Database for Stormwater Treatment Practices 2nd Edition”, Center for Watershed Protection, March, 2000)

まさに、湿地はいろんな役目をあわせ持っていて、人間さんがつくるよりもよっぽど上等な自然の設備となっているようですね。


ところで、どうして観光の街サウサリートに USACE の施設があるのかというと、これには、ある目的があったからなのです。

それは、「Bay Model(湾の模型)」と呼ばれる大きな模型をつくるため。

模型というのは、文字通り、サンフランシスコ・ベイエリア全体の巨大な模型で、USACE が手がける治水事業を検討するために、実際に使われていたものなのです。

模型では、周辺の陸地や海や川が精巧に再現されていて、実際に海や川の部分に水を入れてみて、「この川をせき止めたらどうなるだろう」とか「ここにダムを築いたら近隣にどんな影響がでるだろう」とか、そんなことを実験してみたものなのです。
 もちろん、今の時代だったらコンピュータのシミュレーション(模擬実験)でやってしまうことでしょうが、この巨大模型がつくられたのは、1956年から翌年にかけて。

それで、どうしてそんな話になったかというと、とんでもない案が持ち上がったからなのです。

1940年代に地元の実業家がこんなことを言い出したのです。「ススーン湾やサンフランシスコ湾に流れ込む水がもったいないから、この辺の川を全部せき止めて、巨大なダム2つを建設しよう!」と。
 この思い切った案にアメリカの連邦議会も賛同し、計画検討のためにお金を出してくれたので、サウサリートに巨大な模型をつくることになったのでした。

もちろん、そんな計画は撤回されたわけではありますが、それからあとも、「人口増加にそなえて湾を埋め立てよう!」というような話は、湾のあちらこちらで沸き起こったのでした。
かわいそうに、サンフランシスコの市街地と空港の間にあるサンブルーノ山(San Bruno Mountain)なんて、「こんなところに山があったってしょうがない!」と、あやうく頭を削られて、削った土を湾の埋め立てに使われるところでした。

もしこのような計画が進んでいたならば、サンパブロ湾やススーン湾、それからサンフランシスコ湾の大部分は、過去の遺産となってしまっていたのでした。


振り返ってみると、サンフランシスコ・ベイエリアの環境は、先住民族の時代からは大きく様変わりしています。

湾は埋め立てられ、掘り返され、海岸線が著しく変形し、湾周辺に住みつく生物の9割は、在来種ではなく外来種だともいわれます。
 もう後戻りできないことはたくさんあるのです。

けれども、何か人間にできることがあるのではないかと、ここでご紹介した USACE だけではなく、いろんな団体が立ち上がって、可能な限りの自然の修復を行おうとしています。

サンフランシスコ湾ひとつをとってみても、想像もつかないような試練をくぐってきたのです。「赤い海」のことを書き始めたら、今までまったく知らなかったベイエリアの姿が見えてきたのでした。

赤い海に家を建てよう!

前回は、サンフランシスコ湾(San Francisco Bay)のお話をいたしました。

サンフランシスコ空港に向かう飛行機から見える赤い海は、公害などではなくて、昔ながらの塩田なのですよと。

そのほとんどは湾の南部(the South Bay)に集中しているので、空港に着陸しようとすると、いやでも目に入ってくる位置にあるのでした。

湾内では、一世紀以上にわたって塩がつくられてきたわけですが、近年、製塩会社カーギル(Cargill)が塩田の6割を売却して、それがみんなの努力で湿地帯に戻りつつあることもご説明いたしました。

今日の話題は、残りの塩田についてです。


もともと湾南部の塩田は、ふたつのかたまりに分かれていました。

ひとつは湾の東南部をぐるりと取り巻く広大な沿岸部で、サンフランシスコ空港からサンマテオ橋を渡った対岸のヘイワード(Hayward)からサンノゼ北部のアルヴィッソ(Alviso)地区にかけて。
 厳密にいうと、アルヴィッソ地区からさらに西へ、サニーヴェイル、マウンテンヴューの沿岸部まで延々と続いています。

そして、もうひとつは、空港の南にあるレッドウッドシティー(Redwood City)の沿岸です。

長い間、それこそ広大な面積が製塩に使われてきたわけですが、塩田の6割は自然の湿地帯に戻されつつありますので、晴れて50年後には、塩田と湿地・自然保護区が飛び石のように湾内で共存するようになるのです。

一方、残りの塩田。こちらは合わせて4千ヘクタールほどありますが、この中で、レッドウッドシティー沿岸の塩田は、今、周辺住民の熱い視線を浴びているのです。
 なぜなら、カーギル社が開発業者に塩田を売り払って、そこに家やら公園やら学校やらを建てて、一大住宅地をつくろうとしているから。

ここの塩田は580ヘクタールあって、海側の半分は湿地に戻してあげる代わりに、残りの半分は開発しようじゃないかという計画なのです。
 プランが実現すれば、1万2千戸の住宅と5つの学校ができあがり、一気に3万人の住民がここをマイホームと呼ぶことになるのです。


この大きな計画は、すでに2006年あたりからカーギル社の頭に描かれていて、アリゾナ州で高級住宅開発業者をやっているDMBという会社とともに具体案を練っていたようです。
 この頃にはもう、周辺住民に対して、プランに理解を求めるダイレクトメールが送られていたようです。

だって、サンフランシスコ・ベイエリアは、万年、住宅不足で悩んでいるではありませんか。ここに大きな住宅地ができあがれば、収入が比較的低い人たちだって、自分の家を持てるようになるのです。そのためには、塩田を埋め立てるしかないのです!

けれども、そんな一大開発計画が、カリフォルニアですんなりと通るわけがありません。なにせカリフォルニアの住人は、自然をこよなく愛する人たちですから。

そこで、すかさず周辺住民や活動家や科学者たちの反対運動が起こります。どうせ製塩をやめるんだったら、住宅開発ではなく、全部を湿地帯に戻そうよと。

だって、最後にこんなに大きな開発がサンフランシスコ湾で行われたのは、空港の南の埋め立て地にフォスターシティー(Foster City、写真右側)やレッドウッドショアズ(Redwood Shores、写真左側)を築いた50年前のことなのです。
 塩田を自然の湿地帯に戻そうという気運が高まっている今、そんな時代に逆行した大規模な開発が許されるわけはないでしょう!

それに、この辺りの人口が一気に増えるということは、困ることがたくさん出てきます。たとえば、飲み水だって足りなくなるでしょう。もともとカリフォルニアは水に困っている場所なのに。
 道路だって、今以上に混むことになるでしょう。幹線道路のフリーウェイ101号線は、今だって混雑で悩んでいるのに。

そして、住宅が急に増えるということは、職場と住宅地のバランスが取れなくなって、さまざまな問題が起きるでしょう。たとえば、企業から自治体への税金収入は増えない代わりに、警察や消防や、各種公共機関へのストレスは増えるばかり。


そんな反対運動が高まる中、2008年11月には、レッドウッドシティーで複雑な住民投票が行われました。

開発計画に関して、ふたつの条例案が出されたのですが、そのふたつが互いに矛盾しているのです。

ひとつ(Measure W)は、カーギルの塩田に限ることなく、レッドウッドシティー内で何かしらの開発計画が起こったときには、住民の3分の2が賛成しなければ、計画は認められないことにしよう、というもの。
 こちらは、環境保護の活動家たちが提案したものなのですが、住民半分以上の賛成による「単純多数決」よりも、もっと厳しい条件をつけようと意図したものでした。

そして、もうひとつ(Measure V)は、現在カーギルが考慮している塩田開発案は、市議会が認めたあと、住民半分以上の賛成があれば、ゴーサインとすることにしよう、というもの。
 こちらは、市議会が提出したもので、カーギル開発案が順調に通るように配慮したものでした。

けれども、なんとも複雑なもので、両方とも住民投票で却下されてしまったのでした。

う~ん、カーギル案を含めて開発計画全般に厳しい条件をつけるのも好ましくないし、かといって、カーギルの塩田開発を単純に多数決で認めるわけにもいかないし・・・といった微妙な住民の葛藤が表れているようです。

そして、昨年5月、住民の意思がはっきりとかたまらないうちに、カーギル社はレッドウッドシティーに正式に開発計画を提出したのでした。そう、塩田の半分は湿地に戻してあげますが、半分は埋め立てて住宅地にしてしまいますよと。


そんな騒ぎがレッドウッドシティーで巻き起きる中、周辺都市の住民や議会も黙ってはいません。

話題になっているカーギルの塩田は、たまたまレッドウッドシティー内にあるかもしれないが、塩田の問題というものは、サンフランシスコ湾全体の生態系をゆるがす大きな問題である。ゆえに、レッドウッドシティーだけの採決で物事が決められたら、これは大いに筋違いな話であると。

そこで、今年2月、サンフランシスコ・ベイエリアにある9つの郡すべてと、周辺の政治家たち100人ほどがまとまって、プロジェクトに反対する意見書を突き付けたのでした。

これに対して、カーギルとともに開発案を練るDMB社は、「遺憾である」と述べています。

結論を出すのは、周辺住民が計画案を熟知し、賛成・反対の議論が公の場で出尽くしたあとに行われるべきであって、市側がまだ環境インパクトの報告書も作成していないうちから「反対」と決めつけるのは、正規のプロセスを逸脱しており、遺憾に思うものであると。

(写真は、サンフランシスコ湾全体を北から眺めたところです。手前に見える橋は、サンフランシスコとオークランドを結ぶベイブリッジ)


こんな風に、現在は、やれ賛成だ、反対だと、けんけんがくがくと議論が続いている状態ではあります。どっちの側も、「絶対に譲れない!」という構えなのですね。

けれども、そんな混沌とした中でも、カーギル・DMB側がちょっと不利な立場に立たされているのは確かなようです。

たとえば、お隣のメンロパーク市など、正式に開発計画に反対であることを議会で採択する自治体が出ています。

国の環境保護庁(the U. S. Environmental Protection Agency、通称 EPA)も、計画には難色を示していて、「サンフランシスコ湾の環境問題は重要事項なので、とくに注意深く検討がなされるべきである」と言明しています。

そして、今年4月、公共事業を統括する連邦機関USACE(the U. S. Army Corps of Engineers)は、環境保護庁の意見を踏まえた上で、開発業者DMBにこんな通達を出しています。
 「計画は、国の法律(the Clean Water Act)に照らし合わせて当局が厳しく審査し、許可を出すかどうか判断する」と。

この法律というのは、米国内の川、湖、湾、湿地(waters of the United States)の埋め立てを禁止した強力な法律なのです。1972年に連邦議会で可決されています。

この漠然とした「waters」という言葉をどう定義するかは、いつも開発業者と環境保護団体のもめるもとではあるのですが、「この法律に照らし合わせて判断する」とUSACEが言明したということは、どうやら、開発の許可を取るのが難しくなったということになるらしいのです。


まさに波紋は広がるばかりですが、今はレッドウッドシティー側が環境インパクトを調査している段階で、その報告書がお目見えして初めて、USACEは態度を固めるそうです。

万が一、環境保護庁とUSACEが「よし」と認めたにしても、許可を取らなくてはならない連邦機関は他に4つあって、その他、州や地域を管轄する十数の機関からも許可をいただかなくてはならないそうです。

そして、すべての機関からゴーサインをもらったにしても、反対派がそれをすんなりと受け入れるわけはないでしょう。なぜなら、裁判という手があるからです。

裁判ともなれば、それは、それは長い間かかることでしょう・・・。

そんなわけで、ひとつの赤い海(塩田)に家を建てようというのも、容易なことではないのです。

ひょっとすると、何かしらの結論が出る頃には、売却された6割の塩田の方は、すっかりと湿地に戻っているのかもしれません(あちらは50年計画なんですけれどね)。

追記: こちらは、とてもおもしろいビデオで、まるでサンフランシスコ湾の上を飛んでいるかのように疑似体験できるようになっています。
 環境科学者のカリン・ベットマン(Karin Tuxen Bettman)さんが、「塩田を湿地帯に戻すことは大事なことなのです」と主張なさっているビデオなのですが、映像を観ているだけでも十分に楽しいですよ。

それから、環境問題からは逸れてしまいますが、住民の意思を問う「住民投票」についての蛇足です。レッドウッドシティーの住民選挙の箇所を読んで、「あ~、やっぱりアメリカは、住民が条例案を提出する権限が与えられていて、直接参加型の民主主義にできているのだなぁ」と感心なさった方もいらっしゃることでしょう。
 けれども、これは州によって大きく違うのですね。まあ、アメリカは、州が国ほどに違うところがありますので、制度も大きく異なってくるわけですが、いったいに西側の州の方が、住民を参加させる制度が整っているようです。(もちろん、西部の州に限ったわけではありませんが。)
 これには、いろいろと歴史的な背景があるようなので、また後日、詳しくお話することにいたしましょうか。

サンフランシスコの赤い海

先日、わたしが初めてアメリカにやって来て30周年を迎えました。その最初の「冒険」についてちょっとだけ書いたことがあるのですが、今日は、そのお話に出てきたエピソードについてつづってみることにいたしましょう。

エピソードというのは、こんなものでした。

30年前の5月、成田から飛び立った飛行機がいよいよサンフランシスコ空港に近づくと、とにかくびっくりすることがありました。それは、海が真っ赤なこと。

だって、こんなに赤い海は、日本では「赤潮」と呼ばれ、汚染された海の象徴ではありませんか。

それまで、わたしはサンフランシスコという街にきれいなイメージしか抱いていなかったので、いきなり赤い海を見せられて、「こんなに公害だらけなの?」と愕然としてしまったのでした。
 それこそ、到着する以前から、ガラガラと街のイメージが崩れていくのを感じたのでした。

けれども、これは公害なんかではなかったのですね。ずいぶんとあとで知ったのですが、これには、ちゃんとしたわけがあったのです。


サンフランシスコ空港が面しているサンフランシスコ湾(San Francisco Bay)では、1850年代から塩をつくる伝統がありまして、飛行機の窓から見える赤い海は、その製塩作業の一過程だったのです。

昔ながらの製塩というと、海を区切って海水を蒸発させて、塩の結晶をつくる方法がとられますが、サンフランシスコ湾でも、一世紀以上の間、この方法で塩がつくられてきました。

蒸発の過程で、海水の塩分の濃度がだんだんと高くなってきますが、そうなると、塩分を好むエビ(brine shrimp)が大発生して、海が赤く見えるそうなのです。
 そして、もっと濃度が高くなると、今度は赤い藻(algae)が発生して、血のような真っ赤な海に見えるのです。

サンフランシスコ湾の塩田(salt ponds)は、おもにサンフランシスコ空港の南と湾の南東部分にぐるりとあって、ちょうど空港に着陸しようとすると、バンと目に入ってくる位置になるのです。
たとえば、日本からの飛行機は、サンフランシスコの北にあるボデーガ湾(Bodega Bay)辺りから海岸線を南下してくるのですが、一旦、サンフランシスコ空港を通り過ぎて湾上をUターンして、南から滑走路に着陸するのです。ということは、塩田もバッチリと目に入るコースとなっているわけですね。
(こちらの写真は、湾上を南下中で、湾の南東部分を西から眺めているところになります。海にかかる橋は、ダンバートン橋(Dumbarton Bridge)です)

ですから、わたしはいつも心配になってしまうのです。初めてサンフランシスコに到着した方たちは、「なんと汚い海!」と憤慨してしまうのではないかと。
 だって、わたし自身もそう思ったのですから、多くの方が同じことを感じるのではないかと思うのですよ。


それに、赤い海だけではないのです。空港のまわりは、なんだか茶色っぽい海岸線が遠浅になっていて、その中に、まるで蛇がニョロニョロと這ったみたいに川が蛇行しているのです。上から見ていると、ほんとに気味が悪いくらい。

実は、こちらの茶色いウニャウニャ地帯は、自然のままの湿地帯(wetland、marsh)なのです。

その昔、サンフランシスコ湾の沿岸は、すべてこのような海水の湿地帯(saline tidal marsh)になっていたのですね。いろんな水草が生えていたり、その水草を食べる水鳥が住み着いたりと、それこそ自然の宝庫だったのです。

けれども、1848年のカリフォルニアの金鉱発見以来、サンフランシスコや近隣の街の人口も増えていって、湾内の湿地帯を埋め立てて家を建てたり、畑にしたり、塩田にしたり、港にしたりと、急激に開発が進んでいったのでした。

以前、「シリコンバレーってどこでしょう?」というお話でも書きましたが、戦後すぐの1950年代の高度成長期には、「いっそのことサンフランシスコ湾全体を埋め立ててしまおうや!」なんて、とんでもない案が浮上したこともあるそうです。それほど、人間が自然を制しようとする意識が盛んだった時期なのでしょう。

1959年には、湾内の湿地帯1万ヘクタールが塩田と化し、年間百万トンの塩を生産するまでになっていたそうです。(カリフォルニア大学デーヴィス校の環境インパクトに関するウェブサイトを参照)

おかげで、今までに湿地帯の8割が失われてしまったそうですが、それでもある時、みんながふと我に返ったのでした。このままでは、サンフランシスコ湾の自然がすべて壊されてしまう!と。


そこで、湾の自然を昔の状態に戻そうよという動きが生まれ、国や州、地方自治体や草の根の活動家たちが一緒になって、プロジェクトを立ち上げました。

「South Bay Salt Pond Restoration Project(湾南塩田復活プロジェクト)」という名前ですが、まずは塩田を買い取って、区切っていた海を開け放ち、少しずつ昔のような湿地に戻そうよという、壮大なプロジェクトなのです。(South Bay(湾南)というのは、文字通り、サンフランシスコ湾の南側のことで、サンノゼ辺りもこのように呼ばれることもあります。)

サンフランシスコ湾の塩田は、もともとは複数の製塩会社が所有していましたが、戦前にレスリー製塩会社という会社が経営統合します。さらに、これを1978年にカーギル(Cargill)という会社が買い取ります。
 そして、2000年、カーギル社は湾内あちらこちらの製塩作業を統合して、塩田の6割(6700ヘクタール)を国や州に売り払うことに合意します。

2003年、実際に塩田が買収されるときには、国や州の資金だけではなく、自然保護を目的とする個人財団の助けもありました。

カーギルが買収に合意してからは、どうやって塩田を湿地帯に戻せばいいだろうかと綿密な計画が練られましたが、2004年、初めての水門が開け放たれることになります。

塩田の塩の濃度はとても高いのです。一気にそれを湾に流せば、たちまち湾内の生態系が壊れてしまいます。
 ですから、最初はごく一部。湾の水を少しずつ塩田に流し込み、塩分を薄め、自然の流れで徐々に塩田を湿地帯に戻す方法がとられました。

そして、この方法が効果的であることがわかったので、翌年には1000ヘクタール、その翌年には300ヘクタールと、段階的に湿地帯に戻しているところなのです。
 今まで湿地に戻ったところは、こちらのウェブサイトでご覧になれます。まさに「使用前・使用後」みたいに、同じ場所のふたつの写真を比較することができるのです。

現在もプロジェクトは進行中ですが、買い取った塩田の半分を元に戻すだけでも、あと十数年はかかるそうです。全体が自然に戻るには50年。まさに、気の長い、壮大な計画なのですね。


それにしても、どうしてそこまでみんなが昔のままの湿地帯にこだわっているのかというと、湿地は、サンフランシスコ湾周辺で大事な役目を果たしているからなのです。

たとえば、周辺都市に雨が降れば、それが湾に流れ込みます。けれども、都市から流れ出した雨水には、さまざまな人間の営みが混ざっています。
 普段、なにげなく庭に合成肥料をまくこともあるでしょう。家の前で車を洗うこともあるでしょう。そんな日々の生活のもろもろが混ざった水が湾に直接注ぎ込む前に、湿地帯は浄化の役目を果たしてくれているのです。そう、ちょうどフィルターで水を浄化するみたいに。

それだけではなくて、自然の堤防の役割も果たしてくれています。サンフランシスコ湾は内海なので、普段はそんなに波が高いわけではありませんが、それでも、海岸線の浸食をおさえていてくれていますし、嵐で水かさが増したときなどは、都市に水が流れ込まないように、自然の防波堤にもなっているのです。

さらに、湿地帯は、植物、魚、鳥、小動物と、生き物を育む守り神ともなっています。
 昔は、それこそ先住のオローニ族(the Olone)が生活していた頃は、湾には何百という種類の鳥がいて、小さいながらもサメだってたくさんいたそうです。でも、それも今は激減しているのです。

今でも鴨やガチョウ、カモメ、ワシ、シギなどの類は、多くの種類が生息していますが、たとえば、カリフォルニアにしかいないクイナの仲間(California Clapper Rail、くちばしと首の長い、飛ばない水鳥)など、絶滅の危機に瀕している種もあります。
 そんな生き物たちが絶滅してしまわないようにと、今から手を打っておかなければ、すっかり手遅れになってしまうのかもしれません。

そして、湿地帯のような自然があるということは、そのまわりを歩いたり、生き物を観察したりと、人間さんにとってもなんとも心地よいものではありませんか。

カリフォルニアの人たちは、自然を愛する気持ちが強いのです。だからこそ、そんな熱い気持ちを抱きながら、塩田という人間の創造物を自然界に戻そうとがんばっているのです。

ですから、空港のまわりで赤い海を見かけても、「公害だ!」なんて思わないでくださいね。

もうひとつの玉ねぎ

前回、前々回と、果物や野菜のラベルと、食のブランドのお話をいたしました。

それに関連して、短いお話をどうぞ。

前回の「玉ねぎのブランド」でご紹介したビダリア(Vidalia)玉ねぎですが、7月に入って、店先からはもう姿を消してしまったようです。

ビダリアは、だいたい6月に入って各地に出荷されるようですが、数がとても少ないのでしょう。カリフォルニア辺りのお店では、一度入荷して売り切れると、そのあとは追加注文できないもののようです。

先日、いつものオーガニック(有機栽培)のお店に行ってみると、もうビダリアはありませんでした。

けれども、代わりに「ワラワラ(Walla Walla)」があるではありませんか!

ワラワラは、やはり甘い玉ねぎ(sweet onions)として有名なものですが、生産地は西海岸のワシントン州。カリフォルニアの北、オレゴン州のもうひとつ北です。

なんでも、この玉ねぎの原産地はイタリアのコルシカ島だそうですが、フランス人の兵隊さんが種を持ち帰り、その後、それがアメリカ・ワシントン州のワラワラ・バレーでイタリア系農民によって栽培されるようになった、という長い歴史を持つそうです。
 ワラワラ・バレーは、ワシントン州の中でも温暖な気候で、肥沃な土壌。そこで育まれた玉ねぎは、やさしいお味になるのです。

こちらもジョージア州のビダリアと同じように、6月中旬頃から出荷が始まり、もう8月中旬には収穫を終えるそうです。
 ですから、お店では、ビダリアがなくなったショックを顧客が味わわないで済むようにと、「ビダリアの次はワラワラ」と、仕入れの順番を決めてあるのでしょう。

だって、今は夏のバーベキューシーズン。グリルでこんがりと焼いたハンバーガーと、新鮮な玉ねぎは、最適の友。まさに「季節のお味」なのです。


そんなワラワラを、さっそく料理してみました。

ワラワラは、ビダリアと同じように大型の玉ねぎですが、ビダリアが横長な感じなのに対して、こちらは縦長のイメージです。(こちらの写真では、大きさがわかるようにとニンニクを入れてみました。ニンニクだってかなり大きいので、あまり比較にならなかったかもしれませんね。)

そして、大型なわりに、包丁をいれるとサクッとすんなり切れるのです。なぜって、水分がたくさん入っていて、やわらかいからです。

トントンと切っていても、とにかくジューシー。なんでも、玉ねぎの90パーセントは水分だそうですが、だからフライパンで炒めていても、とってもジューシーです。

そして、ビダリアと同じように、鼻にツンとこないので、料理もし易いのです。ビダリアと同じく、玉ねぎのイオウ成分が少ないので、鼻にツンとこないし、甘く感じるのです。なんでも、ワラワラのイオウ分は、普通の玉ねぎの半分だとか。

ワラワラのみずみずしさを失わないようにと、この晩は、チキン・ファヒータ(chicken fajita)をつくってみました。

ファヒータは、メキシコ風のアメリカ料理で、コリアンダー、オレガノ、クミンなど香辛料の利いた、シンプルなお料理です。鶏肉や牛肉を玉ねぎとピーマンで炒めて香辛料を加えますが、最後にライムをしぼって、酸味を利かせてもおいしいです。

ファヒータができあがったら、トルティーヤ(とうもろこしや小麦粉の薄いパン)にのせて、その上にサワークリームをトッピングします。
 レストランでは、ファヒータは鉄板に、トルティーヤはバスケットに盛られて出てくる場合もありますが、食べるときには、トルティーヤにのっけていただきます。
 ほんとうは、メキシコ料理には欠かせないシラントロ(日本語ではパクチー、シャンツァイ、または中国パセリ)をのせれば完璧でしたが、残念ながら手元にありませんでした。

わたしは、なぜだか定期的にチキン・ファヒータが食べたくなるのですが、もしかすると、コリアンダー(シラントロの果実や葉を乾燥して香辛料にしたもの)の味を欲しているのかもしれません。
 そんな「ファヒータ・ファン」のわたしにとって、みずみずしくておいしい玉ねぎは必需品なのです。

ビダリアに比べて、ちょっとだけ甘みが薄いような気もいたしますが、玉ねぎくささがないので、ハンバーガーやサンドイッチにも生のスライスで合うことでしょう。

大きくて、みずみずしいワラワラ。

お店で見かけることがありましたら、ぜひお試しくださいね!

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