年末号:カリフォルニアの災害、お葬式、高専ロボコン

Vol. 220



2018年も終わりに近づきました。今月は、一年を振り返って、アメリカと日本の話題を4つピックアップいたしましょう。

<カリフォルニアの災害>
日本では、「」が今年の漢字となったそうですが、カリフォルニアでも災害の多い年でした。

とくに、先月8日に北カリフォルニア(ビュート郡)で起きた山火事は、州史上最悪の山火事となり、同25日ようやく鎮火したものの、焼失面積や人命ともに甚大な被害をもたらしました。

この山火事が起こった時、わたしは日本に滞在していたのですが、現地の人が「とにかく広がり方が異常だ」と言っていたように、アメリカンフットボール・フィールド大をたった一秒間で焼失するという猛スピードに、驚きと恐れを感じました。

昨年10月号でもご紹介していますが、ナパやソノマのワイン名産地で大規模な山火事が発生し、やはり甚大な被害が出ました。この時も、時速100キロメートルの強風にあおられ、火がまたたく間に燃え広がり、数十キロ離れた住宅地も一夜で焼き尽くしました。

この巨大山火事では、ソノマに自宅を持つ知人が、命からがら避難している間に、せっかく7年かけてコツコツとリフォームしてきた自宅を失うという災禍に見舞われました。



この昨年秋の火事あたりから、山火事に如実な変化が見られるといいます。それは、炎が竜巻のように舞い上がり、巨大な「火の竜巻(fire tornado)」となって、触れるものすべてをことごとく焼き尽くすこと。そして、燃料となる樹木や住宅を求めて、ものすごいスピードで延焼すること。

もちろん、山火事では炎が竜巻のように炎上することがあります。けれども、その規模が巨大であるがために、自ら巻き上げる火の柱が突風を起こし、風を原動力としてどんどんと移動し、ルート上にある「獲物」を焼き尽くしていくのです。そのため「火の悪魔(fire devil)」とも呼ばれます。(写真は今年7月、北カリフォルニア(レッディング)で起きた火の竜巻)

こういった変化の原因は、数年間続いたカリフォルニアの「干ばつ」で樹木が乾燥しきったこともありますが、それに加えて、温暖化現象で空気が暖かくなり、竜巻が起こりやすくなったせいだともいわれます。とにかく、ひとたび火が起きてしまうと、消火のプロ集団ですら手がつけられない状態になるのです。



先月の山火事は、二週間も燃え続けたため延焼範囲も広く(東京23区ほどが焼失)、サンフランシスコや南のシリコンバレーでも、PM2.5対応(N95)のマスクをしなければ、外に出られないほどでした。さまざまな化学物質の宝庫である住宅や石油スタンドが焼き尽くされたのですから、体に害のある煙がイヤと言うほど排出されたのです。(写真は、スモッグ警戒警報が最悪となった日のサンフランシスコの摩天楼)

山火事が鎮火して、あたりのスモッグが消えていくと、マスクをしないで呼吸ができる喜びをかみしめたのでした。そして、きれいな空気や水というものは、人が守っていかないといけないのだと改めて痛感したのです。



<またひとり、逝かれました>
あまり縁起の良い話題ではありませんが、12月初頭に執り行われたお葬式のお話をいたしましょう。

11月末日、第41代大統領ジョージ H. W. ブッシュ氏が94歳で亡くなりました。3日後に地元テキサス州から首都ワシントンD.C.に棺が運ばれ、議会議事堂ホールで市民にお別れの機会(the public viewing)が与えられたあと、ワシントン大聖堂で国葬(the state funeral)が執り行われました。

この12月5日は、国の役所や連邦機関である郵便局、そして株式市場などはお休みとなり、喪に服す一日(a day of mourning)とされました。会社やお店などは、よほどの事情がない限り通常営業していたはずですが、あちらこちらに掲げられる国旗は、弔意を表すため半旗(half-staff)とされました。



亡くなられたブッシュ大統領と、長男である第43代大統領ジョージ W. ブッシュ氏は、ともに共和党の政治家なので、正直に申し上げますと、わたし自身は大っ嫌いな大統領のお二人でした。

お父さんのブッシュ大統領(在任一期:1989年1月〜1993年1月)は、ペルシャ湾で「湾岸戦争」を始めた人だし、息子のブッシュ大統領(在任二期:2001年1月〜2009年1月)は、先のクリントン政権で副大統領を務めたアル・ゴア氏から大統領の座を「奪い取った」ご仁。そして、2001年9月にニューヨークで同時多発テロが起きると、自身もアフガニスタンを侵略、と良い印象がなかったのです。(そう、こちらの「シリコンバレーナウ」シリーズも、以前はブッシュ二世に対する批判を原動力として書いていた覚えがあります)



けれども、時が経てば嫌な思い出も薄らいでくるのか、故ブッシュ大統領を惜しむ声もすんなりと耳に入ってくるのです。

在任中の1989年10月、カリフォルニア州で大地震が起き、サンフランシスコの街中でも住宅が倒壊・炎上したり、高速道路が落下したりと甚大な被害が出ました。故ブッシュ大統領は、すぐにカリフォルニアに飛んで来て現地視察を行い、いち早く国から補助金を出し復興に努めるようにと指示されたそうです。

もちろん、サンフランシスコはリベラルな街なので、ブッシュ大統領に投票した人は少なかったはずです。が、当のご本人は、そんな思想の違いを意識することなく、目の前の問題に立ち向かう広い心を持っていた、と当時のサンフランシスコ市長アート・アグノス氏も回顧されていました。(Photo of Loma Prieta Earthquake by J.K. Nakata, United States Geological Survey)



先月起きた北カリフォルニアの史上最悪級の山火事では、甚大な被害が出ている間に、現政権のトランプ大統領はツイッターでこうつぶやきました。「カリフォルニアは、自然を守ることを言い訳にして、森林を計画的に伐採するなど山火事対策ができていない」と。

これは、人が苦しんでいる時にあまりに非常識なコメントであると非難されましたが、おそらく、ブッシュさんだったら、そんな冷酷な感想は決して口にされなかったことでしょう。



今年8月には、長年上院議員を務めたジョン・マケイン氏(共和党、アリゾナ州選出)が闘病に破れ、同じく議会議事堂ホールで市民のお別れが行われたあと、ワシントン大聖堂で葬儀が執り行われたばかりでした。

奇しくも、故ブッシュ大統領とマケイン氏は、海軍兵士として参戦した経験を持ちます。ブッシュさんは、太平洋戦争で海軍パイロットとして日本軍と戦い、すんでのところで命を失うところでした。マケインさんは、ヴェトナム戦争で北軍の捕虜となり、痛手を負って生死の境をさまよいました。

現大統領が「足の骨が出っ張っていて、(ヴェトナム戦争の)徴兵には応じられない」と逃げたことを考えると、現大統領とブッシュ氏やマケイン氏の間には、「国に尽くす」想いに天と地ほどの隔たりがあるのでしょう。



パパ・ブッシュさんのお葬式では、長男ジョージさん(第43代大統領)が追悼のあいさつをして、こう締めくくられました。

「わたし達は悲しくて涙を流しているけれど、偉大で品格があり、息子や娘にとって最高の父親であるあなたを知り得て、愛することができた喜びを分かち合わんことを(Through our tears, let us know the blessings of knowing and loving you, a great and noble man, the best father a son or daughter could have)」

日本語にすると、なんとなく口幅ったい、大げさな言いようかもしれませんが、「ベスト・ファーザー」と言いながら涙で言葉につまった様を見ていると、パパ・ブッシュさんをまったく知らない人でも、とっても立派な人物だったのだろうと想像に難くないのでした。



第41代大統領の国葬では、現大統領が弔辞を依頼されないという異例な行事となりましたが、「立派な政治家(statesman)というものは、単なる口先だけのポリティシャン(politician)とは違う」と、誰もがかみしめた服喪の一日となったのでした。



<高専ロボコン!>
話題はガラリと変わって、日本の「高専ロボコン」のお話です。

「高専ロボコン」と聞いて、まず思い出すのが、NHKが開催する『全国高等専門学校 ロボットコンテスト』。各地区大会を勝ち抜いた精鋭たちが東京・両国国技館の全国大会に集い、最優秀ロボットを決める白熱のコンテストです。



今年は第31回を迎え、さらにパワーアップ。競技課題は、フィールドをカフェに見立てた「Bottle-Flip Cafe(ボトルフリップ・カフェ)」。フィールドに点在する8つのテーブルに向かってロボット2台がペットボトルを投げ、まっすぐに着地させるというもの。ネットで人気の「ボトルフリップ」に、ロボットが挑戦するのです。

ロボットが遠くにペットボトルを投げるだけでも難しそうなのに、人が操作する「手動ロボット」は活動範囲が限られ、ポイントゲッターは「自動ロボット」。つまり、スタートボタンを押したあとは、すべて自動制御でテーブルを探し出し、ボトルを投げ、テーブルにボトルがいっぱいになったら次のテーブルへと移動する、といったスゴい技を備えます。なんでも、ロボコン史上初の自動ロボットの登場だとか。

試合時間は、わずか2分。ボトルは20本。予選リーグでは、高得点を出したチームが勝ち、決勝トーナメントでは、8つすべてのテーブルにボトルをのせる「Vゴール」が解禁となります。ですから、予選と決勝では、おのずと戦略が変わってくるのです。

テレビで「高専ロボコン」をやっていると、必ず釘付けになるわたしは、今年の課題をクリアするのは不可能だろう! と、その難易度の高さに驚いたのですが、高専生諸君を甘く見てはいけません。各チームそれぞれに工夫をこらした戦術で、びっくりするような高得点をあげるチームも次々と登場するのです。



四国地区大会を皮切りに、北海道、東北、関東甲信越、東海北陸、近畿、中国、九州沖縄と、8つの地区大会と全国大会すべての対決を映像で観戦させていただきましたが、それぞれに違う戦術の中からも、「ここがミソ」という要素を感じ取りました。

まずは、基本のボトル。350グラム以下なら内容物は問いませんが、水では安定しません。衝撃を吸収する「消臭ビーズ」(柔らかい小さな球体)を使ったチームが多かったですが、中には粘性の高い「水飴」や、安定感を求めた「水風船」や「輪ゴム」、粒状の「砂」や「トウモロコシ」と、千差万別。倒れても戻りやすい水飴は、面白い選択かと見受けました。(写真は、水飴を使った豊田高専Bチーム)

ボトルは500mlより大きければ形状も自由ですが、一気に5点を獲得できる中央の2段テーブルの上段(高さ2.4メートル、直径30センチ)にたくさん載せるには、丸型よりも角形が安定するようです。



一方、ロボットのボトルの投げ方ですが、こちらは「フリップ(回転させる)」にこだわり過ぎたチームが多かったようです。腕をグルグル回して一回転、二回転させてテーブルに着地させるよりも、ほぼ真下からまっすぐに射出するタイプが安定的で、高得点が得られます。当然のことながら、一本ずつ投げるよりも、大量装填で一気に発射するか、次々と連射する方が素早く高得点を狙えます。(写真は、安定した打ち上げ方式を採用する北九州高専Bチーム)



ロボットを単体で使うか、2台を「合体」させて2段テーブルの上段を狙うかで、戦略は大きく分かれます。手動ロボットを自動ロボットに載せれば、高さを狙える一方、時間がかかり過ぎたり、合体がうまく行かなかったりと、この点では、単体の方に軍杯が上がったようです。

ただし、熊本高専八代キャンパスAチーム(写真)のように、予選は合体で高得点を狙い、決勝は単体で「Vゴール」を狙うという器用な戦略もありました。こちらのチームは、奇策と高得点ゲットを評価され、全国大会で見事「ロボコン大賞」に輝きました。



まあ、細かく述べるとキリがないですが、特筆すべきは、ロボットは2台とも自動ロボットで勝負した鈴鹿高専Aチーム。こちらは、フィールド脇の高い位置にカメラを設置して、相手チームが設置した移動テーブルの位置を把握。位置情報を伝えられたロボットは、フィールド内を自由になめらかに動き回ります(通常は、テーブル横に貼られた白線をガイドとして直線的に移動しますが、鈴鹿チームは AI(人工知能)のマシンラーニングによる動きに挑戦)。

広島商船高専Aチームなども、フィールド脇の距離センサーを使って、ロボットとテーブルの距離を検知し、指示を出す方式を採用。その甲斐あって、広島商船は「Vゴール」をわずか21秒(!)で達成し、その輝かしい記録を香川高専高松キャンパスチームと分かち合っています。



そして、25チーム参加した全国大会の競技優勝は、決勝戦で函館高専を下した、一関高専チーム。東北地区大会から全国大会まで、一貫して抜群の安定感を見せた2台のロボットです。あせらず、欲張らず、1本ずつ確実にテーブルにのせていく戦法の勝利でした(あせりを見せないメンバーの性格が、ロボットにも出ていたような気もします)。

というわけで、世に名を馳せるNHKの「高専ロボコン」。お次は、あまり知られていない、もうひとつの高専ロボコンのお話をいたしましょう。



<もうひとつの高専ロボコン>
そうなんです、世に風変わりな高専ロボコンが存在するそうな。

その名も『廃炉創造ロボコン』。福島高専の呼びかけで始まった、文部科学省主催のロボットコンテストで、今年は3回目となります。12月15日、全国14の高専とマレーシア工科大学から16チームが参加し、会場の楢葉遠隔技術開発センター(福島県双葉郡楢葉町)に集結しました。



「廃炉ロボコン」は、その名が示す通り、原子力発電所の「廃炉」作業に貢献できないかとスタートしたロボコン。今年の競技課題は、名づけて「わかさぎ釣り」。実際に、福島第一原発で行われた核燃料デブリの回収作業を模した競技内容です。(写真は、第一原発1号機で行われた炉心内部調査のイメージ図)

長さ4メートル、内径24センチの配管を通して小型ロボットを送り込み、その先の円形の足場にロボットが到達したら穴から子機を下ろし、3.2メートル下にたまったデブリ(競技ではテニスボール)を回収して、遠隔操作をする作業員の手元へと持ち帰る、という課題。実際の回収作業が「わかさぎ釣り型」と呼ばれたことから、課題が命名されました。(写真は、会場に設営された擬似炉心。足場の左側からロボットを送り込みます:産経フォト、2018年12月15日)



さすがにハードルの高い課題だったので、制限時間10分以内にボールを持ち帰るのは難しく、子機が何度もトライしてボールをつかんだのに、あえなく時間切れ、ということもしばしば。

しかし、長岡高専チームは、見事5分(!)でゴールし、優勝に輝きました。なんでも、このチームのメンバーは、4年連続で「NHK高専ロボコン」に出場していて、その経験を生かしてロボットづくりに励んだとのこと。

「廃炉ロボコン」は、原発の廃炉だけではなく、災害レスキューやインフラ整備の分野でも活躍できる人材を育てるのが目標だそうです。こういったロボコンで興味をかき立てられ、将来は災害に立ち向かう分野に挑戦しようと決意した若者もたくさんいらっしゃることでしょう。



「NHK高専ロボコン」も「廃炉創造ロボコン」も、また違ったタイトルの「ロボコン」も、これに参加できるのはスゴいことだと思います。

残念ながら、「ほんとはうまく行く予定だったのに、本番はダメだった・・・」ということも多々あるでしょう。機械的な不具合が出た、プログラムに若干のミスがあった、本番会場への微調整にしくじった、会場内の混信や通信障害でうまく動かなかった、と本領を発揮できずに涙する高専生も少なくないでしょう。

けれども、仲間と一緒にひとつの大きなプロジェクトを成し遂げる機会は、なかなか得られるものではありません。その過程でたくさん挫折を味わって、悔しい気持ちをこれからの原動力に替えていただければいいなと思った次第でした。



というわけで、2018年も間もなく幕を閉じようとしています。新しい年が、皆様にとって良い年となりますように!



夏来 潤(なつき じゅん)

Carry on a conversation(会話をする)

今日の話題は、carry on a conversation

つまり、「会話をする」というお話です。



いえ、単なる世間話ですので、どうぞ気楽にお読みください。



どうして、こんな話題を選んだかというと、先日、クリスマスパーティーで雑談をしていたら、こう嘆いた方がいらっしゃったから。



Some of the young people nowadays don’t know how to carry on a conversation

「近ごろの若い人の中には、どうやって会話をしていいのかわからない人がいる」というのです。



もちろん、これをおっしゃった方はそんなに若くはないですが、そんなにお歳を召した方でもありません。

近ごろ、オフィスとかレストランとか、コーヒー屋さんとか、いろんな場で知らない若い人と隣同士になって気軽に話しかけたりするんだけれど、まるで「この人って誰? なんで僕に話しかけているの?」といぶかるかのように、反応が悪く、会話が成り立たない人が多すぎる、と。



こうおっしゃるまで彼は、日本を訪問した体験談などを披露されていました。筑波の研究機関では、お米のゲノム(遺伝情報)を解明するシステム構築のお手伝いをしたこともあって、滞在中に日本の食べ物も好きになったというようなお話。



I have acquired taste for sashimi and sake, and now I love the Japanese food

「わたしは刺身や日本酒の味がわかるようになって、今では日本食が大好きになったよ」と。



そんなお話をなさっていたので、「もしかすると、会話ができないというのは、日本の若者のことですか?」と確認してみたのですが、彼は、すぐさま否定するのです。「いやいや、こちら(アメリカ)の話だよ」と。



なるほど、これまでアメリカでは、知らない人同士でも、楽しく会話をすることを「国是(こくぜ)」としているようなところがあって、相手が誰であっても、何かしら共通の話題を見つけて、たえずペチャクチャと雑談をしている印象がありました。

まるで、言葉を交わすことで、人とのつながりを楽しんでいるみたいに。



ところが、近ごろは、ごく限られた人(自分がよく知っている人)としか会話をしないぞ! と決め込んでいる若者が多いようだ、という彼の認識でした。

おそらく、インターネットが普及したことによって、会話のやり方や会話の相手すらも仮想空間に移ってきたから、という理由もあるのでしょう。べつに、生きた(目の前の)人間と話さなくても、僕には他に話をする相手はいくらでもいるし、その方が同じ興味を分かちあって話が通じやすくて楽だ、というのでしょう。



そうなんです、遊園地で行列に並んでいるときとか、パーティーで知らない人と会ったときには、まずは、相手がどんな人であるかを観察して、この相手と友好的に話すにはどんなトピックを選んだらいいのかな? と、瞬時に判断しなければなりません。

もしも相手が話に乗ってこなかったり、表情がこわばったりしていたら、それは避けた方がいい話題なのかもしれませんし、逆に、ニコニコして饒舌になったら、相手にとっては楽しい話題なのでしょう。



そう、「知らない人と会話をする」ということは、そういった脳や五感を総動員する高度な技なのかもしれません。

まるで相手の球を受けたり、打ち返したりという、高度な卓球の技のようなもの。



ですから、ごく自然なことではありますが、それが得意な人と苦手な人が出てくるのでしょう。


そして、日本人にとっては、英語の会話は苦手というケースもあるかもしれません。



先日、NHKの『ドキュメント72時間』という番組を観ていたら、大阪の英会話学校が撮影場所になっていて、みなさん一様に英会話の習得に努力なさっているようでした。

この番組は、一定の場所に72時間(3日間)カメラを置いて、そこを訪れる方々に話を聞く、という面白い企画。どなたも自分を飾ることなく、さまざまな人生体験をサラリとご披露なさるところが魅力です。



この英会話学校の回では、もうすぐ海外赴任をするからとか、思うところあって自分を変えたいからとか、両親を海外旅行に連れて行って親孝行をしたいからとか、いろんな理由で英会話を学びに来られていました。

テキストを使った予習や復習も怠らず、どなたも真面目に取り組んでいらっしゃいましたが、実際に40分間にわたる先生との一対一セッションとなると、なかなか会話が続きません。

多くの場合は、伝えたいことはたくさんあるのに、言葉が口から出て来ない、という感じでした。



それを見ていて、わたし自身は、少し不思議に思ったのでした。「もしかすると、これは英語だけの問題じゃないのでは?」と。

そう、母国語であっても、普段から自分の考えていること、感じたことを言葉にして表現することに慣れていない方もいらっしゃるのかもしれない、と思い当たったのです。



もちろん、日本語ではうまく表現できるのに、英語になるとできない、というケースはあるでしょう。こういった場合は、少しずつ形容詞や動詞などの語句の蓄積を増やしていけばいいのでしょう。

けれども、もしかすると「母国語であっても、言葉で表現する」ことが苦手なケースもあるのではないでしょうか。

だとすると、それは「どの言語を使うか」という問題ではなく、「言葉を使って対象をどう表現すればいいのか」という問題になるのでしょう。



ですから、まずは、目の前の景色や出来事や自分の考えていることを言葉にしてみる。それを習慣化することで、言葉で表現することに慣れていけばいいのではないかな、とも感じたのでした。

たとえば、自分は「これが好き、嫌い」だけではなく、「なぜそう思うのか」を突き詰めて考えてみて、知らない人に説明するにはどうすればいいのかな? と言葉を組み立ててみるとか。



アメリカの子供たちは、「どうして?」という部分を大事にしなさいと習いますが、新しい言葉で考えて、表現するというのは、子供が大人へと成長する過程に似ているのかもしれません。



そう、日本語という言語は、叙情的なポエティック(詩的)な言葉ではありますが、それに比べて、英語はわりと論理的な言語です。ですから、話し手も自然と「なぜ?(because)」の部分にこだわりを持つようになるのでしょう。

たとえば、冬の始まり(the first day of winter)というと、日本では11月上旬の「二十四節気の立冬」とされますが、アメリカでは、冬至(winter solstice、今年は12月21日)の午後2時23分(太平洋標準時間)などと、きっちりと天文学的に定義されます。



こういうのも、言語や考え方を反映した「お国柄」なのかもしれません。


番組『ドキュメント72時間』の英会話学校では、ある女性が、こんなに簡単な言葉で自分の思いを表現されていました。



I want to see aurora

「わたしはオーロラが見てみたいです」と。

とにかく、子供の頃から「きれいなオーロラが見てみたい!」というのが夢だったそうですが、その心意気がドンと伝わってくるような、ストレートないい表現だと思います。



ちょっと気取って表現しようと思ったら、このように言い換えることもできるかもしれません。



I want to visit the Arctic countries and see the northern lights

「わたしは北極圏の国々を訪ねて、オーロラが見てみたい」と、少しだけ情報を付け加えてみたらいかがでしょうか。(オーロラは、northern lights と表現することが多いですね)



そう、どんなにつたない「I want to 〜」の構文であっても、思いは十分にドンと相手に伝わるはずなのです。


11月中旬、成田空港からサンフランシスコに戻る飛行機に搭乗する前、航空会社の地上乗務員の方と話をする機会がありました。



彼女は、生まれてすぐにシリコンバレーに引っ越して、3歳まで過ごしたそうです。ですから、耳は英語に慣れていて、聞くことは得意だとおっしゃいます。

けれども、自分から話すことには慣れていないので、もう少し英語がうまくなって、将来はアメリカなどの英語圏の国で働きたいとおっしゃっていました。

空港では、外国人のお客さんと英語で話すことも多いけれど、話す内容が限られているので、もっと幅広いトピックで会話ができるようになりたい。なぜなら、英語圏の方々は自分の好き嫌いを自覚していて、自己表現に長けていらっしゃるので、話をしていても相手を理解しやすいから、と。



そんな彼女に対して、わたしは二つお伝えしたことがありました。

まずは、英語はあくまでも互いに心を交わす「媒体(medium)」であるということ。



そう、何語であっても、言葉というものは、気持ちや考えを伝える手段でしかありません。ですから、一番大事なことは、「言葉がうまくなる」ことではなく、言葉で伝えたい「何かを持つ」ことではないでしょうか。

誰かに伝えたい何かをたくさん持っているからこそ、伝える手段である言葉も上達したくなる、ということでしょうか。だって言葉がうまくたって、伝える内容を持っていなければ、いったい何を話したらいいのでしょうか?



ですから、わたし自身は、まずは母国語でいいから、伝える内容を自分の中に蓄積することが先決ではないかと思っているのです。



そして、もうひとつ彼女にお伝えしたことは、上達について。

普段、どんなに懸命に努力していても、自分の上達が見えずにがっくりすることもあるけれど、実は、上達を自覚する瞬間は突然にやって来る、ということ。



たぶん、楽器を弾くとか、跳び箱をクリアするのと同じなんだと思いますが、言葉の上達というものは、右肩上がりに少しずつ感じるものではなく、何かのきっかけで、突然、自覚するものだと思っているのです。

たとえば、海外で一年を過ごして日本に里帰りしたあと、また外国語の生活に戻ったときとか、久しぶりに誰かに会って前よりもスムーズに会話ができたときとか、突然「自分ってうまくなったかも?」と感じるものではないでしょうか。



ですから、日々「自分はなかなか上達しない」などと悲観することなく、気長に積み重ねていけばいいのではないかと思っているのです。(だって、何十年も英語圏にいるわたしなどでも、新聞記事を読んでいると、人生で一度も見たこともない単語にひょっこりと出くわすのですから、人の言葉というものは、奥深くて難しいのです。)



というわけで、これから大きく羽ばたいていく彼女にとっては、わたしの意見など何のアドバイスにもなっていなかったでしょうけれど、せっかく「耳が慣れている」方なので、何かしら言ってさしあげようと思った次第でした。



そう、会話というものは、相手を知りたいし、自分を伝えたいという願望から生まれたもの。

どんなに世の中が便利になっても、やっぱり、目の前にいる人の表情を読みながら、うまく話を進めていきたい(carry on a conversation)と願うものではないでしょうか。



マッドマックス:自動運転に近づいたテスラ

Vol. 219



車がないと、生きていけないアメリカ。今月は、ドライバーをアシストする電気自動車の新機能と、近頃シリコンバレーで見かける自動運転技術のテスト車両のお話をいたしましょう。



<マッドマックスで車を追い越せ!>

10月最終週、電気自動車で有名なテスラ(Tesla, Inc.,本社:シリコンバレー パロアルト)は、アメリカ国内で新機能をリリースしました。名付けて、「ナビゲート・オン・オートパイロット(Navigate on Autopilot)」。

2016年2月にリリースされた走行補助機能「オートパイロット」をさらにパワーアップしたものです。

従来のオートパイロット機能は、自動的に速度調整をしたり、ドライバーが方向指示器を動かすと車線変更してくれたりというアシスト機能でした。今回の「ナビゲート・オン・オートパイロット」は、フリーウェイに入ってから出る時点まで、ほぼすべてを車が自ら判断して運転するという画期的なものです。



まず、一般道からフリーウェイに入ると「オートパイロット」をオンにして、ナビゲーションで行き先を設定します。すると、画面に「ナビゲート・オン・オートパイロット」のボタン(画面左のブルーの表示枠)が出てくるので、これをオン。それだけで、フリーウェイの入り口から出口まで、周りの道路の混み具合や向かう先の混雑状況を考えて、車が自動的に走行経路や走行車線を選んでくれるのです。(オートパイロット拡張機能(自動運転用のカメラなど)を搭載したモデルで、事前にソフトウェアアップグレード後に表示される「ナビゲート・オン・オートパイロット」機能を有効にしておきます。)



従来の「オートパイロット」では、ひとつのフリーウェイから別のフリーウェイへの乗り換えや、フリーウェイの出口から出て行くことなどはできませんでした。そういったシチュエーションでは、ドライバーの運転に切り替える必要がありましたが、新機能を使うと、そんな芸当もすんなりとやってくれるのです。(写真は、国道101号線から州間280号線に自動的に向かって行く様子)



ただし、フリーウェイ走行中に車線変更をする際、画面に出て来た「やってもいいですか?(Confirm lane change to follow route)」というお伺いに対して、いちいち許可を与えなければならないのが面倒くさいのですが、これは、技術的な未熟さではなく、ドライバーがちゃんと注意を払っているかを試しているそうです。(まだベータ版なので、今はドライバーの行動分析を行なう段階にあり、そのうちにお伺いを立てることなく、自動的にスイスイと車線変更するようになるとか。)



それで、今月号の題名にもなっている「マッドマックス(Mad Max)」というテスラのネーミングですが、なにやら、メル・ギブソン主演の映画『マッドマックス』(1979年リリース)を思い浮かべます。オーストラリアの荒野を警官マックスと暴徒化した暴走族グループがブンブンと走り回るアクション映画ですね。

実は、その連想は正しいようで、今年の夏、テスラCEOイーロン・マスク氏が「もうすぐマッドマックスが出るよ」と発言して、最初は誰もが冗談だろうと思っていたところ、どうやら本気で映画の中の近未来を思い描いて吐いたお言葉だったそう。

つまり、映画の世界は、すぐそこに! というわけですが、「マッドマックス」とは、周りの遅い車をどれくらいアグレッシブ(積極的)に追い抜くか? という選択肢のことです。選択肢には「無効(Disabled)、穏やか(Mild)、平均(Average)、マッドマックス(Mad Max)」と4つあって、マッドマックス・モードでは、設定された速度を遵守しようと、機会が訪れれば、車が積極的に車線変更を試みます。

そのために、人間のドライバーはフリーウェイ出口近くの車線ではスローダウンするところを、車は「よし、車線が空いたぜ!」と、グングン加速してしまうので、乗っている側としてはちょっと怖いです。



けれども、それでも人間よりは安全だろうと思うのですが、その根拠は、新しいソフトウェアアップグレード。10月初頭にリリースされたバージョン9.0では、車に装備する8個のカメラすべてが使えるようになりました。これに従来のカメラやレーダー、超音波センサーからの情報を加えることで、周囲360度がグルリと見渡せるようになったのです。ですから、理論的には死角(blind spot)がなくなったということで、確実に人間よりはよく見えているはずなのです。



まあ、ひとたびフリーウェイから下りると、ドライバーが自ら運転することに変わりはありませんが、それでも、刻一刻と変化する渋滞状況を考えながら適切にナビゲートしてくれるので、そういった観点からも、パワーアップしたオートパイロット機能は画期的なものだと思うのです。



そんなわけで、何かと注目の集まるテスラですが、最新の「モデル3」は、アメリカ国内では第3四半期に一番の売上高を誇る車種となったとか(電気自動車、ガソリン車を含めて売上額で一位、台数では5位)。



新しい「ナビゲート・オン・オートパイロット」は、新規売り上げ増加に貢献するだろう、と感じているのです。



<近所で見かける自動運転のテスト車両>

テスラの車がどんどん自動運転に近づいている中で、最初から自立型の車(autonomous car)に取り組む企業のお話をいたしましょう。

そう、近頃はそういったプロジェクトも佳境を迎えているようで、シリコンバレーやサンフランシスコの街中では、自動運転技術のテスト走行車を頻繁に見かけるようになりました。



まずは、グーグルの親会社アルファベット傘下にある、ウェイモ(Waymo)。グーグルの一部門が子会社化したもので、本拠地はグーグルと同じく、シリコンバレーのマウンテンヴュー。いち早く自動運転技術に取り組み始めた企業です。



今年3月号でもご紹介しましたが、ウェイモは、昨年からアリゾナ州フェニックス郊外で一般市民の希望者(およそ400家族)を募って、学校や職場の送り迎えなどの乗車体験プロジェクトを展開してきました。

ウェイモが繰り広げるのは、人気のクライスラー「パシフィカ」というハイブリッドミニバンに自動運転機能を搭載した走行実験で、運転席にはドライバーは乗らず、希望者はタクシーに乗車するように後部座席でゆったりと過ごします。



そのウェイモは、年内にもフェニックス市近郊で配車サービス(ride-hailing service)を開始するとされています。そう、アメリカの都市部では不可欠になってきたウーバー(Uber)や リフト(Lyft)などの配車サービスのように、スマートフォンアプリで好きなときに、好きな場所に車を呼ぶサービスです。

当初は、体験プロジェクトの中から対象者を選び、運転席にはドライバーが乗って、万が一の際に備えます。走行区画も限られるようですが、そのうちに対象者もサービス範囲も拡大し、ドライバーなしの完全な自動運転に切り替えていくプランのようです。



先日は、地元マウンテンヴューでテスト車両2台を続けざまに見かけましたが、アリゾナ州の配車サービスを成功させようと、実地テストにも拍車がかかっているのでしょう。



さすがに、ウェイモは自動運転の老舗だけあって「Waymo印」の車はあちこちで見かけますが、先日初めて見かけたのが、アップルの自動運転車。

噂の通り、白いレクサスのハイブリッドSUV(RX 450h)で、信号を隔てて逆車線に停止していたものの、車体の上にでっかい装置がついているので、一目瞭然。ウェイモと比べると、レーダーやライダー(光レーダー)、ビジョンカメラと、ひどく大掛かりな印象もありました。(Photo from iDownloadBlog.com)



見かけたのは、9月に目の手術を受けた病院の前。病院は、巨大宇宙船みたいなアップルの新本社キャンパスの隣にあって、手術の翌日で片目が覆われていたものの、あんなにでっかい仕掛けを見逃すことはありません。なんでもアップルの実験車両は、走行データ収集を頭上の仕掛けでやっているので、あんなに大掛かりに見えるとか。



その日の帰り道、今度は、へんてこりんな名前の自動運転車を見かけました。なにやら中国語のようですが、こちらは、中国のジンチー(JingChi:景馳科技)という自動運転分野のスタートアップ。

昨年4月に設立されたばかりの会社ですが、シリコンバレーに開発拠点を構え、昨年6月からは、地元サニーヴェイル市を中心に公道走行テストを開始しています。「頭脳」の部分には、NVIDIAのAI(人工知能)プラットフォームを採用し、経験学習と推論を駆使してスムーズな運転を目指しているとのこと。

本国の中国では、自動運転車の配車サービス「ロボタクシー」を展開しようと目論んでいるそうで、上海から内陸部に向かった安慶市と契約を結び、年内にもロボタクシーの実験走行を始めるそうです。



ジンチーは、カリフォルニア州陸運局に公道テストを申し出た34番目の企業だそうで、今では、50社ほどがシリコンバレー周辺で自動運転車の開発に携わると言われます。



そして、こちらは、サンフランシスコの海際で見かけたジェネラルモーターズ(GM)傘下のクルーズ(Cruise)。

クルーズは、2013年にサンフランシスコで起業された自動運転分野のスタートアップですが、2016年に大御所GMに買収されたことで、開発にも拍車がかかっています。



「ボルト(Bolt)」という人気の電気自動車がベースになっていて、実験走行の際は、運転席と助手席に担当者が乗り込みます。次世代(第4世代)モデルは、「ハンドルなし、ペダルなし」になると表明され、来年には米市場で販売予定ということです。(ただし、個人的には、来年中に「ハンドルなし、ペダルなし」の車をカリフォルニアで販売することは法的に難しい、と踏んでいます。)



来年一月からは、GM本体のプレジデント、ダン・アマン氏がクルーズのトップに就任することとなり、来年開始予定の「ロボタクシー」への取り組みもグンと加速するようです。



というわけで、アメリカ国内では、電気自動車のテスラ、自動運転技術の先駆者ウェイモ、大御所GM率いるクルーズ、中国から参戦するスタートアップ企業と、自立型の車の実現に向けて、開発競争が白熱しているところです。



自立型と聞くと、ハンドルがないとか、流線形をしているとか、何かしら未来的な車を想像しがちですが、広くドライバーの行動パターンを蓄積し、実地データ分析に優れるテスラだって、意外と近いポジションにいるのでは? と感じているのです。



なぜなら、テスラは日常的に使う乗用車を販売していて、それに少しずつ機能を追加することで、いつの間にか車が自立していって、消費者が「自動運転」という大きな抵抗を感じないまま、知らないうちに自動運転機能を利用しているから。



何事においても、そういう自然な流れというのは、大事だと思うのです。



夏来 潤(なつき じゅん)



晩秋の風物詩

10月の終わりから11月中旬まで、日本で過ごしました。



「今年は寒い」と聞いていたのに、滞在中は暖かい日々が続き、アメリカに戻る直前になって、初めて秋らしさを感じました。



今回の滞在で驚いたのは、日本で「ハロウィーン(Halloween)」が広がっていること。



東京・渋谷などは、夜を徹して大騒ぎの中心地になっているようで、「ケルト人の新年」はここまで浸透しているのか! と、びっくりなのです。



そう、ハロウィーンとは、もともとカトリック信者からすると「ケルト人の邪教のお祝い」。あの世とこの世の壁が薄くなって、あちら側から戻って来る魂たちをお迎えする時期。



ですから、怖いコスチュームもOKというわけですが、ハロウィーンが日本に伝わると、ご当地なりの祝い方もあって、目を見張るものがありました。




たとえば、こちらは、日本酒の一升瓶。



東京・六本木のお店で飲ませていただいた、ハロウィーン限定の純米酒。



龍神酒造さん(群馬県館林市)の『尾瀬の雪どけ』と記憶しております。純米大吟醸かと思いますが、味わい深く、バランスのとれた逸品です。



そう、ラベルの可愛らしさに惑わされてはいけません。じっくりと味わうべき、良き酒なのです。




そして、こちらは、ミシュラン三つ星のレストラン、龍吟(りゅうぎん)の一品。



名付けて、収穫祭の椀。



今年8月、それまで15年も店を構えた六本木から、完成したばかりの東京ミッドタウン日比谷に移り、心機一転。内装から調度品から器から、すべてに料理人・山本 征治(やまもと せいじ)氏のこだわりが光ります。



10月は、ハロウィーンの楽しい器でお出しする吸物。



お椀は特別にしつらえたものですが、蓋を開けてみて、またまたびっくり!



蓋の裏側にも、美しい絵が施されます。



金地の背景に、黒の古木やパンプキンの怪物たちと、空を舞う赤や黒のコウモリたちが効果的に配置されています。



肝心の吸物は? というと、もっちりとした甘鯛やお餅でくるんだ車海老のしんじょが主役ですが、脇役で登場した松茸やオクラ、柚子のデコレーションさえも、うまみの利いた一番出汁の中で存在感を出しています。



存在感といえば、黒いコウモリ。珍しい「水前寺海苔(すいぜんじ のり)」でできています。水前寺海苔をいただいたのは初めてですが、その肉厚さと海苔としては珍しい歯ごたえに、驚きを感じました。え、これが海苔なの? と。



そして、すべてをいただくと、こんな仕掛けもありました。



またまた違った絵柄が隠されていて、大きな蜘蛛の巣を背に、お化けやパンプキンたちが、みんなに笑いかけています。



どうだった? おいしかったでしょ? と語りかけているようにも見えるでしょうか。




そんなわけで、日本では10月末のハロウィーンが終わると、一気にクリスマスの雰囲気に包まれます。



まあ、それが、感謝祭(Thanksgiving)を祝うアメリカとは、ちょっと違うところでしょうか。



感謝祭になると、家族や親戚、親しい友人たちが集まって、ご馳走に舌鼓を打ちながら「感謝する(give thanks)」一日となります。



「健康でいられてありがたいな」「仕事が順調にいって感謝してるよ」「家族と一緒に仲良く過ごせて嬉しいわ」と、ひとりひとりが、それぞれの言葉で感謝の意を表す一日なのです。



そんな冬を迎える一日。これも、この季節の風物詩かな? と思いました。



それは、これから気になってくる「ひび・あかぎれ」を治す薬のコマーシャル。



指の関節のあたりが、水仕事などで切れてしまう Cracked skin(あかぎれ)。



そんなしつこい症状も一回クリームを塗布したら治りますよ! という宣伝は、アメリカでも日本でも、効き目バツグンでしょうか!



余談ではありますが:



文中に出てきたレストラン龍吟ですが、こちらには名物のフクロウが二羽暮らしているのです。その名も「りゅうちゃん」「ぎんちゃん」と言いますが、六本木のお店の頃からの同居人で、レストランに隣接した専用のお部屋でのんびりと暮らしています。



(どちらが「りゅうちゃん」か「ぎんちゃん」か忘れてしまいましたが)こちらは、パッチリとした目のシベリアワシミミズク。さすがに、お客さんに慣れているのか、眠そうな目をパチパチと開けながら、素人の写真家にもフォトチャンスを与えてくれるのです。



こちらは、たぶん「トラフズク」の仲間だったと思うのですが、体全体に虎の模様みたいな斑(ふ)があるのが特徴です。ヨーロッパから来たと伺った記憶があるのですが、もうひとりと比べて、お客さんにサービスをするわけでもなく、マイペースな性格なのかもしれません。



わたしは、レストランが移ると聞いて、まず「りゅうちゃん」「ぎんちゃん」はどうするんだろう? と心配してしまったのですが、「一緒に移る」のが条件でミッドタウン日比谷に引っ越すことになったそうです。



二人とも元気そうにしていたので、安心いたしました。





市民の「足」になれるかな?:スクーター再開の日

Vol. 218



一度はサンフランシスコの街から姿を消した、電動スクーターのシェアサービス。先日、新たに市から認められた2社が営業を再開しています。今月は、そんなお騒がせなシェアサービスのお話をいたしましょう。



<スクーターが消えた日>

今年4月号でもお伝えしましたが、近頃アメリカの都市部では、新しい「足」が大流行しています。それは、貸し自転車に代わる、電動スクーター(electric scooter、e-scooter)のシェアサービス。スマートフォンアプリを使って、どこでも好きな場所で乗り降りができる、便利なサービスです。

車に乗るまでもない、でも歩くのにはちょっと遠い。そんなダウンタウン周辺の悩みをうまく解決してくれます。



サンフランシスコの街では、3月末に初登場したものの、翌月には、もう10年も存在していたかのように大きな顔をして走り回り、街角には何台ものスクーターが乗り捨てられ、歩行者の邪魔になるだけではなく、安全性の問題も指摘されていました。

この無秩序な状態に頭を痛めたサンフランシスコ市当局は、5月末、電動スクーターを運営する3社に対して「新たに営業認可を与える審査プロセスに入るので、6月4日までに、一旦すべてのスクーターを撤去しろ」と行政命令を下しました。

そう、この日の深夜以降は、街角からすっかりスクーターが消えてしまったのでした。



同様の悩みを抱える街は多く、サンフランシスコばかりではなく、コロラド州デンヴァー、テキサス州オースティン、そしてハワイのホノルルでも、このような行政命令が下されたと聞きます。



さすがに急に「足」が消えてしまったので、不便を感じた一部のユーザは、「マイスクーター」を購入して対応したようです。一度味を占めたら、便利なものは、なかなか手放したくない! だったら、少々高くたって、なかなか良い投資になるのでしょう。



<スクーターが再開した日>

そして、8月末、12社が参加した市交通局による業者選定プロセスが完了し、それまで営業していたスピン(Spin:本社サンフランシスコ)、ライムバイク(LimeBike:サンマテオ)、バード(Bird:南カリフォルニア・サンタモニカ)の3社は見事に落選し、新しくスクート(Scoot)とスキップ(Skip)という2社が選ばれたのでした。

両社は625台ずつのスクーターを市内に設置し、1年間の試験運用の後に、台数を倍に増やせるとのこと。市は最大6社までは認可するということでしたので、なかなか厳しい選択なのでした。

シリコンバレーのサンノゼ市などでも人気を博しているライムバイクは、「市の選定プロセスは偏っていて、選定条件も不明瞭だ」として裁判所に申し立てをしましたが、あっさりと却下され、10月15日のスクーター再開の日を迎えました。



こちらは、その再開当日に撮影したものですが、業者が並べたばかりなのか、スクートの赤い電動スクーターがお行儀よく並んでいます。

再開して3時間ほどしかたっていないので、利用者はごく少数でしたが、実は、この会社は、市内での営業は初めてではありません。



2012年にサンフランシスコで起業されたスクートは、今年に入って市内で電動バイクのシェアサービスを開始していました。赤のイメージカラーで街角でも目立つ存在ですが、スペインのバルセロナとチリのサンティアゴでは、電動自転車と電動スクーターのシェアサービスを展開しているとのこと。

市内に設置される電動バイクも、いつも整然と並べられていて、そんな生真面目な企業体質が市当局に認められたのかもしれません。



一方、こちらは、スキップの電動スクーター。イメージカラーの青が鮮やかですが、名前には馴染みがありません。なんでも、本社はサンフランシスコのようですが、オレゴン州ポートランドで電動スクーターのシェアサービスを展開している様子。

ポートランドは山に囲まれ、坂道が多いので、傾斜のある場所でも利用状況は実証済み。ですから、坂の多いサンフランシスコでも、平たいダウンタウン地区だけではなく、西側の丘の多い住宅街でもサービスを提供するそうです。



実際にスキップに乗っているところを見ていると、ボードには、小さなヘッドライトとテールランプが付いていて、薄暗い路上を照らしてくれると同時に、車からも見やすくなっているようです。他社との差別化を目指す工夫のひとつなのかもしれません。



このように、これまで営業してきた3社ではなく、スクートとスキップが選ばれた背景には、事前に市当局にお伺いを立てて、ともにシェアサービスのあり方を協議してきたからだとか。そう、これまでの3社には無許可で好き勝手に営業され、市民からの苦情が相次いだことが、当局にとっては腹に据えかねたのかもしれません。

実際、3社のうちライムバイクとバードに対しては、怪我をさせられた歩行者やスクーターの不具合で怪我をしたライダーが集団訴訟を起こしていて、企業体質というのは、営業認可の重要条件だったようです。



けれども、運営する側がどんなに品行方正でも、「ライダーはヘルメットをかぶり、歩道ではなく車道もしくは自転車レーンをゆっくりと走行し、指定された場所で返却する」という最低限のルールが守られるかどうかは、なんといっても利用者次第。

そう、スクーターを使い終えたら、歩道の端に設置された自転車ラックで安全に返却するのがルールです。このように、路上にはステンシルで自転車のイラストと「市交通局指定の自転車ラック(SFMTA Bike Rack)」が描かれ、スクーター再開の日に備えています。



が、時がたてばルールなんて忘れてしまうこともあるでしょうし、最初からルールを守らない人が多いのも現状です(そうなんです、ヘルメットをかぶらない利用者も頻繁に見かけます)。

新たに営業を許可されたスキップは、無料でヘルメットをライダーに配布していましたし、使い終わって駐車したところを写真で報告するルールになっていて、違反者には罰則を与えるとしています。



ところが、蓋を開けてみると、規則はなかなか徹底していないのが現実です。こちらは、再開からちょうど一週間たった夕方の様子。メインストリート・マーケット通りにある地下鉄(BART)駅に向かおうと、利用者はここでエイッと乗り捨てたようです。



ルールは、利用者と街の秩序を守るためのもの。それをどれだけ浸透させられるのかが、電動スクーターシェアサービスの成功の鍵となるのでしょう。



夏来 潤(なつき じゅん)



海が見えなくなりました!

いえ、たいしたお話ではないんですが、近ごろ「イヤだなぁ」と思っていることがあるんです。



我が家は普段、「シリコンバレー」と呼ばれる盆地のサンノゼ市(San Jose)に暮らしているのですが、ときどきサンフランシスコの街にやって来ることがあります。



そのときに滞在する部屋は、見晴らしが良く、当初は海が見えたんです。



こちらは、部屋の内装を整えて、机を置いてみたばかりのころの写真。



ほら、パソコンの向こう側には、ベイブリッジが見えているでしょう。



そう、ベイブリッジというのは、サンフランシスコ湾にかかる橋で、正式には「サンフランシスコ〜オークランド・ベイブリッジ(the San Francisco-Oakland Bay Bridge)」。これを渡ると、東の対岸にあるオークランド市や大学街で有名なバークレー市に行けます。



青い海には、橋の足下を行き交う、白い帆のヨットが浮かんでいるのも見えています。



ときには、重そうな巨大コンテナー船が、器用にベイブリッジの下をかいくぐってオークランド港に向かって行くのも見えました。



オークランド港は、アメリカで五番目に大きな港。年間に250万ものコンテナーが運び込まれるそうで、ベイブリッジの下の「交通量」もかなりなものなのです。



こちらが東側なので、太陽はここから昇り、朝早く起きると、部屋からは美しい日の出も見えました。



残念ながら、わたしは早起きはしないので、こちらは連れ合いが撮ったものですが、明るい陽光を受けて、ベイブリッジの橋脚がくっきりと浮かんでいます。



大恐慌時代の1933年に工事が始まり、1936年に開通したベイブリッジ。その歴史のせいでしょうか、単なる橋なのに、なんとなく荘厳な感じもします。




自慢だったのは、ベイブリッジばかりではなく、サンフランシスコのダウンタウン地区が一望できることもありました。



こちらはカメラを東に向けたアングルですが、斜め左側が金融街(ファイナンシャル・ディストリクト)の辺り。新旧入り混じって、高層ビルが建ち並ぶところです。



サンフランシスコは、アメリカ西部の中でも、いち早く都市化が進んだところ。19世紀末には金融でも文化でも西側をリードしていた街なので、街歩きをしながら、さまざまな建築様式の歴史的建造物を見上げるのも楽しいものなのです。



ここは街のメインストリートであるマーケット通りからも近く、マーケット通りに並行するハワード通りがまっすぐに走っているのも見えています。



夕刻ともなると、ガラス張りの高層マンションが、窓に夕日を受けてピカピカと光を放ちます。



この辺りのマンションは、丸みを帯びた設計のものが多く、いろんな角度で街を一望できるように配慮されているようです。



海沿いでなくとも、海と橋を満喫できる。それが、この部屋の魅力でした。




ところが、机を置いたころから6年たつと・・・



海や橋なんて、ほとんど見えなくなってしまったのでした。



こちらは、上の夕方の写真と、ほぼ同じ角度で撮ったものです。



まず、何やら黒い物体が目の前に見えていますが、こちらは、机の真ん前に建ったビル。



プロフェッショナルの方々をターゲットにした有名なソーシャルネットワークの本社ビルです。



ビルの上層の10階分は、重役の方々の部屋になっているそうですが、サンフランシスコに通って来るのは「道が混んでてイヤ!」という方が多く、ほとんど使われていないそうです。(だったら、こんなに高いビルを建てて、周りの人たちの眺望を邪魔しなければいいのに・・・)



そして、右側のリンコンの丘に建つ高層ビル。こちらは、当初は1棟しかなかったんですが、数年のうちに4棟に増えています!



どれも分譲マンションやアパートなのですが、過去数年のうちに「ひどい住宅難」におちいったサンフランシスコ市では、土地が限られているので、上へ、上へと居住空間が伸びていくしか方法がないのです。



ここは、1850年代にはサンフランシスコ最初の高級住宅街になった丘。150年たってみると、こんなにニョキニョキと高層ビルが建っているなんて、昔の住民が見たら、いったい何と言うでしょう?




そして、とどめを刺すかのように、建ち始めた建物が2棟。わたしの大事な「海と橋」を、ほぼすべてブロックしてしまったのです。



それは、フォルサム通りの海に近い場所に建築中の高層ビル2棟。手前はオフィスビルで、向こう側が高層マンション。ガラス張りのタワーの横には同じマンションの別棟が建っていて、その間には、オシャレなショッピングの小道がつくられる予定です。



ちなみに、左側に頭をのぞかせているヘンテコリンな建物は、フリーモント通りに建つ「超高級億ション」。すでに売り出し中ですが、電話やインターネット、テレビが完備され、家具を運び込んだら、あとはスーツケースでお引越しできるというコンセプトになっています。



どちらの高層マンションも、埋立地ではなく、しっかりとした岩盤の上に建つので、近頃、市内で問題になっている「傾く高層マンション」とは事情が違うのです。



最近は、サンフランシスコに新たに登場する高層マンションのモデルルームを冷やかすのが趣味になっている我が家ですが、部屋から海や橋が見えなくなっても、なかなか慣れた場所から動きたくないのも事実です。



だって、上へ、上へと伸びる高層ビルは、値段だって、上へ上へと伸びているのですから。




というわけで、蛇足ではありますが、サンフランシスコの街を遠くから眺めるには、「ここが一番!」というところをお教えいたしましょう。



こちらがその遠景になりますが、残念ながらこの日は、夏も終わりの9月最後の週末。暗い雲が空をおおって、カリフォルニアご自慢の「青い空と青い海」とはいかないものの、晴れた日には、サンフランシスコのスカイラインがくっきりと見える場所なんです。



ベイブリッジの途中にイェルバブエナ島(Yerba Buena Island)というのがあって、そこから橋を降りて、トレジャー島(Treasure Island)という人工島まで行くと、海をへだてて西側にはサンフランシスコのダウンタウンが一望できるのです。



このトレジャー島は、その昔、海軍基地だったところで、一般人が入れるのは基地の入り口まででした。が、1997年に基地が閉鎖されてからは、住宅地にしようと再開発が進んでいるところです。



近年は、基地の住宅を改築して一般市民も住んでいますし、自由に立ち入ることもできます。立ち寄ったときには、海沿いで「オクトーバーフェスト」をやっていて、散歩ついでにビールを愛する人たちが集まっていました。



ここからの夜景は、よく絵ハガキにもなっていますが、とにかく、サンフランシスコのダウンタウンをいっぺんに眺めるには、一等地でしょうか。



というわけで、部屋から海や橋が見えなくなって、ちょっとさびしくなった今日この頃。



近頃は、海の方までお散歩することも、ずいぶんと増えています。



晴れた日には、トレジャー島に足を延ばして、サンフランシスコの街を外から眺めることも増えていくことでしょう。



今月号はお休みいたします



間もなく、目の奥にある網膜の手術を受けることになっておりますので、今月号は、お休みすることにいたします。

わが人生7回目の手術となりますが、さすがに目ともなると、怖くて、怖くて、逃げ出したいのが正直な気持ちです。



今年は、サン=テグジュペリの「星の王子様」のカレンダーを眺めて暮らしているのですが、8月のページには、こんな文章が引用されていました。

And now here is my secret, a very simple secret: It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eye.

ざっくりと和訳をいたしますと、こんな感じでしょうか。

「ねえ、僕の秘密、とっても簡単な秘密を教えてあげようか。人って、心でしか正しくモノを見られないんだ。本当に大切なものっていうのは、目には見えないんだよ。」



なるほど、目はモノを見る通過点であって、最終的には脳で信号を処理して、人はいろんなことを感じています。心が曇っていると、モノが暗く見えてしまうし、逆にウキウキしていると、なにもかもがバラ色に見えることもあるでしょう。

けれども、目から伝わった映像が曲がっていたりすると、物事を誤解する原因にもなるでしょう? と、へ理屈を唱えたくなる今日この頃なのでした。

今はただ、「しっかりと目と心でモノを見ています」と宣言できればいいなと願っているところです。



夏来 潤(なつき じゅん)

サリンジャーのメランコリー

サリンジャーというのは、かの有名な J. D.サリンジャー氏(1919年〜2010年)のこと。



ニューヨーク・マンハッタン生まれの小説家で、1951年に発表した『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』で名声を博したお方。



『ライ麦畑』は、当時の(そして今も)ティーンエージャーの心を奪うほど、思春期の内面をうまく軽妙に描いた作品です。



まさにアメリカの代表作家として地位を築かれた小説ですが、意外にも、彼は作家としての創作期間は短いし、本として発行した作品も少ないのです。



そんな彼はティーンエージャーの頃から物を書くのが大好きで、学校の新聞に記事を書いたり、自分でお話を書いたりと、とにかく書くことを生活の一部とした方でした。



なんでも、第二次世界大戦に徴兵されてヨーロッパの戦線でドイツ兵捕虜を取り調べていた時にも、紙とペンさえあれば時間を惜しんで小説を書かれていたそうで、爆弾すら物ともしない、「筋金入りの物書き」と言えるでしょう。



代表作の『ライ麦畑』は、この激しい戦場で書かれたものだそうですよ。




そんなサリンジャー氏、戦争から戻ると有名なニューヨーカー誌(The New Yorker)に作品を載せるようになったのですが、こんなエピソードがあるそうな。



あるとき、次号に載せようとしている原稿の中に、コンマ(句読点「,」)が抜けているんじゃないか? と思われる箇所がありました。



編集担当者は、その点について直接サリンジャー氏に尋ねようと思ったのですが、彼はなかなかつかまりません。



そこで、「文法的に正しいのは、コンマを入れること。だから、編集して次号に載せよう」と決断した編集者は、サリンジャー氏の了解なしにコンマを入れました。



無事に刷り上がり、最新号がニュースタンドに並んだ頃、サリンジャー氏は編集者から連絡をもらってびっくり!



自作のショートストーリーに、自身の知らない、余分なコンマが付け加えられている、と!



もう目の前は真っ暗、

「あ〜どうしてこんなところにコンマを付けるんだぁ」と落胆し、しばらくの間、メランコリー(憂うつ)でふさぎ込んだ、と伝えられます。




このエピソードは、米公共放送『アメリカンマスターズ(American Masters)』シリーズのドキュメンタリー番組『サリンジャー(Salinger)』(2014年制作)で紹介されていたものです。



だいぶ前に観たのですが、いつまでも心に残ったひとコマです。



おそらく、サリンジャー氏の細やかさ、神経質さ、作品に対する思い入れを描こうと挿入されたのでしょう。



けれども、わたし自身は、このときのサリンジャー氏のメランコリーは、よくわかるのです。



それは、たったひとつのコンマにしても、原文にないものは、勝手に入れるべきではない、と思うからです。



まあ、編集者は良かれと思ってやったことではありますが、やはり書き手としては、句読点ひとつにしても一字一字にこだわりがあるわけで、それを了解なしに変更されると、「作品が崩れる!」と気落ちすることもあるのでしょう。



少なくとも、このときのサリンジャー氏にとっては、「ニュアンスが変わってしまった!」と落胆するくらいの大事件だったのでしょう。




そんなわけで、たったひとつのコンマでメランコリーになったサリンジャー氏。



この方は、恋多き人物でもあったようで、こんなエピソードもあるんです。



サリンジャー氏が23歳の頃、ニューヨークの社交場となっている有名なナイトクラブで、ウーナ・オニールさんという女性に出会いました。



ウーナさんは、まだ学校に通っていた16歳のティーンで、サリンジャーさんは、彼女が暖炉の前に座り、チロチロと燃える火に頬を照らされるさまにクギづけになったそう。



そこで二人はデートするようになったのですが、それから2年ほどして、びっくりするようなニュースが舞い込みます。



その美貌から、ニューヨークの社交界でもてはやされるようになったウーナさんは、ハリウッドに移って映画女優の道を目指すのですが、そこで知り合った大スターと結婚するんだ、と!



その大スターとは、チャーリー・チャップリン。



そう、あの「喜劇の王様」チャップリン。



ウーナさんが18歳の誕生日を迎える頃で、間もなく54歳になるチャップリン氏とは、36歳の年の差婚です!



ウーナさんのお父さんであるノーベル賞劇作家ユージン・オニール氏は、チャップリン氏よりわずか数ヶ月の年長。もともとウーナさんとは疎遠だった親子関係は、この結婚を機に完全に断ち切られたといわれます。




まあ、サリンジャーさんにとっても、寝耳に水だったことでしょうが、そこから彼は執筆に打ち込み、30代半ばで最初の結婚をなさいます。



この結婚生活はなにかと波風も多かったようで、12年で破局を迎えます。が、創作活動は円熟期を迎え、自ら世に出した4冊の本は、すべてこの時期に出版されています。



こちらは、3冊目『フラニーとズーイ(Franny and Zooey)』を出版なさった1961年にタイム誌の表紙を飾ったポートレート。前作から8年の歳月が流れ、新作は大いに話題になったことでしょう。(Portrait of Salinger in 1961 by Robert Vickrey; cover of the September 15 issue of Time magazine)



最初の結婚は破局に終わったサリンジャーさん。その後は、愛人と暮らしたのち再婚も2回されていて、公の場から姿を消しながらも、創作に専念された時期もあったようです。



けれども、作品を発表することはなく、とかく謎の多い方ではあるのです。



「書くのは大好きだけど、出版しないのが平和なのさ」と述べたこともあるそうで、人生で起きるさまざまな「メランコリー」が重なって、ペンでつづった心の中は、誰の目にも触れさせたくなかったのかもしれませんね。



ちなみに、若き恋の失恋相手であるウーナさん。この方は、ご主人チャップリン氏が亡くなるまで仲睦まじく過ごされて、8人のお子さんに恵まれたそうですよ。



<付記>

本棚の奥をゴソゴソと探していたら、サリンジャー氏が存命中に発表した4冊すべてが出てきました!

本を読んで何を感じたのかはまったく記憶にありませんが、もう一度ページをめくってみようかとも思っています。



Like(〜みたいに)

今日のお題は、like という言葉。



動詞として使うと、「好む」という意味ですね。たとえば、



I like to dance

わたしは、ダンスをするのが好きです



ソーシャルネットワークの人気サイト Facebook(フェイスブック)でも、「like」ボタンがありますが、こちらも「好き」という意味ですね。



親指を立てる「thumbs-up(いいねぇ)」のジェスチャーが付いています。




けれども、今日の使い方は動詞ではなく、接続詞としての like



接続詞 like は「まるで〜のように」という意味になり、このあとに文章が続きます。



You look like you have seen a ghost

きみは、まるでお化けでも見たように(驚いて)見えるよ



このような接続詞としての like は、「as if 〜(まるで〜のように)」と同じですので、互いに言い換えることができます。



You look as if you have seen a ghost

まるでお化けでも見たように驚いてるね



こちらの as if 〜 が正式ではありますが、会話の中では like を使う方が一般的だと思います。




それで、「〜みたいに」という接続詞から派生したのだと思いますが、誰かの言葉を引用するときにも like を使ったりします。



I was like, “No, you can’t do it”, but he was like, “I’ll do what I want”



なんとなく、like がたくさん出てきてややこしいですが、こういった意味になります。



わたしは「そんなことしちゃダメよ」って言ったんだけど、彼は「自分のやりたいようにするだけさ」って感じだったのよ



こんな風に、とくにティーンエージャーの話し言葉には、like が頻繁に登場する傾向があります。



こういった口語形では、必ずしも「時制の一致」が守られないことも多いです。そう、過去の話をしているときにも、現在形がひょっこりと顔を出したりするのです。



He told me all kinds of bad things about her, so I’m like, “Never talk to me again!”

彼は、彼女の悪口ばっかり言うもんだから、「もう二度とわたしに話しかけないで!」って感じよね



本来は、過去の出来事なので I was like 〜 となるべきところですが、言いやすいので I’m like 〜 を使っています。たぶん、それがクールな使い方なんでしょうね。



まあ、話し言葉ですので、文法を完璧にする必要はないと思いますが、ときどきティーンエージャーの like の使い方はいかがなものか? と眉をひそめることがあるのです。



日本語でも、「あ〜」とか「え〜」とか言葉をつなぐように意味のない音を入れることがありますが、アメリカのティーンエージャーにとっては、like は間合いをとるような言葉かもしれない、と納得するようになりました。




それで、英語で「あ〜」とか「え〜」に似たようなものには、 you know というのがありますね。



He came from, you know, a wealthy family

彼は、え〜っと、裕福な家庭の出だよね



この場合、you know という表現は「あなたは知っているよね」という意味よりも、「そうなんだよね」と念を押すような感じになります。



I’m single, you know

わたしって独身なのよ



こんな風に、相手が「わたしは独身」だと知っているかどうかはべつとして、「わたしって独身なのよ!」と強調しておきたいときに使います。



I’m his mother, you know

わたしは、あの子の母親なのよ



と、相手も「わたしがあの子の母親」であることを十分にわかっているケースにも、念押しをするように使います。



このように you know が最後につく場合は、相手に確認するように、ちょっと語尾が上がったりします。




似たような表現で、you know what I mean というのがあります。



この場合は、「僕の言ってることがわかるよね」と、相手に念を押すような感じになります。



I went to that high school, you know what I mean, so I know what it’s like being there

僕はあの高校に通ってたんだよ、だから、あそこがどんな感じかよく知ってるんだ



この表現をちょっと変えて、if you know what I mean と「if」をくっつけることもあります。



そうなると、なんとなく秘密にしていることを遠回しに暴露しているような、if you know what I mean と言いながら、いわくありげに目くばせ(ウインク)をしているシーンを思い浮かべます。



He’s kind of weird, if you know what I mean

彼って、ちょっと変だよね(僕の言わんとしてるところは、わかってくれるよね)



この you know what I mean に似た表現で、you know what I’m saying というのがあります。



She’s like a queen of soul, you know what I’m saying

彼女は、ソウルミュージックの女王みたいな人だよね(わかってくれるよね)



こちらは、どちらかというと、ラップミュージシャンみたいな黒人男性の方々が使われるイメージがあるのです。



意味や使い方は you know what I mean とまったく同じではありますが、響きがちょっと違ってくるでしょうか。




この you know what I’m saying に似ていますが、I’m just saying というのもあります。



こちらは、ちょっと意味合いが変わってきて、自分が言うことで相手が気を悪くするようなときに使います。



そう、「ちょっと言ってみただけ(本気じゃないから、気にしないで)」と、言い訳に近い表現になります。



Ten minutes is enough for you to go to his office and come back, I’m just saying, so you can be a murderer



こちらは犯罪ドラマに出てきたセリフですが、「10分あったら、あなたが彼のオフィスに行って戻って来るには十分な時間だから、(ただ言ってるだけだけど)あなたも犯人になり得るのよね」という意味になります。



そして、自分の発言で、相手が怒ってしまったときにも、



I’m just saying

ただ言ってみただけさ(悪かったよ、怒らないでよ)



と答えて、自分の逃げ道をつくることがあります。



そういう意味では、Just kidding(冗談だよ、本気にしないでよ)に似たような「逃げ口上」といえるでしょうか。




ついでではありますが、you know が出てくる表現には、こんなものもあります。



You know what?



You know something?



この二つの言い方は、「あのね」と話を切り出すときに使います。



もともとは「あなたは知ってる?」という意味ではありますが、「あのねぇ」と相手の気をひくために使う言葉になります。



You know what? と言われると、何か重要な告白でもする気配を感じるので、「いったい何かしら?」と身を乗り出して聞いてみたくなるのです。




と、like のお話が、すっかり you know の方にそれてしまいましたが、最後にちょっとだけ付け加えておきましょう。



一般的には、間合いをとるような like とか you know といった言葉は頻繁に使うべきではない、と言われます。



もちろん、日常会話で使うのはまったく問題はありませんが、ビジネスの場でプレゼンテーションをするときとか、学会で真面目な話をするときとか、そんな場面では口語調の likeyou know は避けた方が無難でしょう。



なぜなら、自分の言いたいことを的確な言葉でストレートに表現できない人だな、と思われてしまいますからね。



そんなわけで、わたし自身は you know は使わないのですが、その代わり、自分の表現に自信がないと、すぐにこちらの言葉を付け加えてしまいます。



Something like that



そう、「なんとなくそんな感じ」といった感じでしょうか。



It’s called complacency or something (like that)

それって自己満足とかなんとか呼ばれてるのよね



こちらの something like that も、you know と同じことで、自分の言うことがぼやけて聞こえるので、ビジネスのような正式な場面では頻繁に使わない方がいいかと思います。



そう、これはわたしの学校時代からのクセで、稚拙に聞こえるのはわかっているのですが、便利だからついつい使っちゃうんですよね・・・。



<蛇足ですが、写真の説明をどうぞ>

こちらに掲載した写真は、サンフランシスコの海沿いにある学校になります。観光地として有名な「ピア39(39番埠頭)」と「ゴールデンゲートブリッジ」の間には、「フォートメイソン(Fort Mason)」という昔の米陸軍の基地があります。1910年代から、ここからハワイやフィリピンの基地に向けて物資を輸送していたそうですよ。



1970年代には軍用地から国立公園の一部となり、現在は、アートの中心地を目指して、再開発中です。劇場や展示ホール、イベントホール、レストランがオープンしたのに加えて、サンフランシスコ市立大学の美術学科とサンフランシスコ・アートインスティテュートという二つの美術学校が置かれます。(最後の写真2枚がアートインスティテュートですが、建物の正面にある記章は校章ではなく、昔の陸軍の記章です)



なにせ旧軍港に面した倉庫を改造していますので、だだっ広いスペースの校舎は、いかようにも利用できそうです。寒流を渡る風は冷たく、霧がやってくることもあって肌寒いところですが、海に突き出した立地は、創作意欲をかき立ててくれそうですよね。



一瞬の間に闇:シリコンバレーの詐欺事件

Vol.217

今月は、いきなり犯罪の匂いのする題名ですが、世界じゅうどこに住んでいても、悪い人間はいる、というお話です。



<え、Pくんが?!>

そうなんです、我が家が直接的に被害に遭ったわけではないんですが、間接的に影響を被ったというお話を一席。

こちらの「シリコンバレーナウ」シリーズにも二度ほど登場してもらったことがありますが、我が家のファイナンシャルアドバイザー「Pくん」に災いが降りかかったのでした。

7月の最終月曜日、お昼休みを終えた時間帯に、連れ合いが書斎から下りて来て、「Pくんがクビになったって電話してきたよ」と言うのです。わたしもあんぐりと口を開けて返答につまったのですが、なんでも、彼のクライアントと名乗る人物が「この口座にお金を振り込んでよ」とメールで依頼してきて、彼のアシスタントが十分にチェックせずにクライアントの口座からお金を振り込んでしまったとか。

もちろん、クライアントは被害額を返してもらったし、Pくんが勤める投資銀行だって、なにがしかの保険に入っているに違いありません。ですから、この詐欺事件での実害はなかったに等しいでしょう。けれども、そこはお堅い金融機関。このような悪評の立ちそうな出来事が起きて、「けじめ」をつけないわけにはいきません。そのとばっちりで、Pくんが「監督責任」を問われて解雇となったのでした。

Pくんは、シリコンバレーのカトリック系私立大学に在学中、インターンとしてある投資銀行で働き始めました。卒業後は、この投資銀行に就職し、我が家の元ファイナンシャルアドバイザーの弟子となり、彼らが別の投資銀行に転職する際に、Pくんにバトンタッチしてもらいました。それが、ドットコムバブル(ネットバブル)がはじけて間もない、2002年末。

そこから大手銀行の投資部に移籍し、さらに現在の投資銀行に転職する際も、ずっとPくんに面倒をみてもらっていました。ですから、今の銀行に移って10年、全体では、もう16年の付き合いになります。以前も書かせていただきましたが、その間、Pくんの業界での熟練ぶりと、人としての成長ぶりを見せてもらったのでした。

二十歳のときにインターンを始めた彼も、今月には「40歳」というマイルストーンを迎え、若々しいイメージも、三人の子を持つパパの貫禄に変わっています。

それで、まだ5ヶ月の乳のみ児を抱えるPくんは、これまでのコネクションを最大限に使って投資系の金融機関で職探しを始め、2週間のうちには「内定」をもらいました。まさか自分がクビになるとは夢にも思いませんでしたが、「もしも別の金融機関で働くとしたら、こんなところがいいな」と、日頃から二、三社に目星を付けていたそうです。

そのうちの一社から、先日、正式にオファーをいただき、めでたく契約書を交わしたのでした。今はサンフランシスコ支社に在籍しますが、これからシリコンバレー支社を盛り立てる、という大きなミッションもいただきました。

そんな風に、Pくんにとっては良い結果となりましたが、我が家にとっては「災難」は続くのです。べつに、今の銀行に不服はないのですが、Pくんが「うちに来い」と強行に誘ってくるのです。新しいところも悪くはなさそうですので、移っても問題はないとは思うのですが、まあ、今の口座から自動引き落としになっている支払い件数が多くて、それを変えると思うと、もうゾッとするのです。だって、アメリカでは、何事も一回ではうまくいかないのが常ですから。

さらには、12月までの会計年度の途中で銀行を変えると、(アメリカでは全員がやらなくてはいけない)確定申告をお願いしている会計士への報告も複雑になりそうですし、考えただけで、心臓の鼓動が速くなるのでした・・・。

<シリコンバレーの巧妙な詐欺>

というわけで、銀行を移るのは、ちょっと保留にさせてもらっていますが、詐欺といえば、シリコンバレーでは決して珍しい出来事ではありません。

たとえば、Pくんのケースでは、「犯人」がメールシステムにハッキングしてきて、クライアントとPくんの関係を詳細に盗み見て、うまくクライアントになりすましてメールで口座振込を指示してきたのでした。こういったケースでは、気がついた時には口座は解約されていますし、そもそも誰が開いたものか正体は定かではありません。ですから、犯人は十中八九捕まらないタイプの詐欺事件です。

こんなケースもありました。ある会社の財務責任者にCEO(最高経営責任者)と名乗る人物からメールがあって、「製品展示会にブースを出すから、スペースを確保するために主催者側に出展料を支払わないといけない。だから、仲介者の口座に緊急に入金してくれ」と依頼されました。そこで、はなっから信じ込んだ財務責任者が大手銀行の指定口座に4万ドル(約440万円)を振り込んだのですが、それは、まったくのウソ。

このケースでは、メールのハッキングではなく「なりすまし」だったのですが、この会社のCEOと財務責任者が誰であるかを知っていて、それを利用してやろう、と目論んだ詐欺事件でした。もちろん、指定された銀行には調査と口座の抹消を依頼し、銀行からもFBI(連邦捜査局)に被害届が出されましたが、時すでに遅し。被害金額が戻ってくることはありませんでした。

こういったケースは少なくないので、Pくんもクライアントの幾人かから、「僕も同じようなことを経験したよ。だから気落ちしないように」と、慰めの言葉がかけられたとか。

1990年代後半のインターネットバブルの頃には、こんなケースもありました。友人がフェラーリを買おうとして、ディーラーと名乗る人物に全額を前金で支払ったのですが、いつまでもたっても納車されません。どうしたのかと思って連絡しようとしても、相手にはつながらない。そこで初めて「え、これって詐欺?!」と気がついたのでした。

このケースでも、FBIが捜査に乗り出したのですが、真っ赤なフェラーリが夢で終わっただけではなく、お金は一銭も戻ってきませんでした。(Photo of Ferrari coupe by Norbert Aepli、from Wikimedia Commons)

こちらのフェラーリの事件は、直接犯人に出会って騙されたケースですが、昨今、とくに企業が絡んだ事件では、メールを使った詐欺が主流なのではないかとも思われます。ですから、メールで「緊急だから」と送金依頼があったとしても、電話で相手に確認する一手間をかけないと、信用できない状況になっているのかもしれません。

そう、古き良き電話も、役に立つことがあるのです。

<アメリカ版「オレオレ詐欺」>

それで、日本では電話に頼る世代の方々をターゲットに「オレオレ詐欺」が横行すると聞きますが、実は、アメリカにも似たような手口があるんですよ!

こちらの場合は、若い親世代をターゲットにした「誘拐詐欺」です。だいたい、こんな風なシナリオでしょうか。

子供を学校に送ってしばらくすると、お母さんのスマホの着信音が鳴ります。電話口の相手は、「お前の子供をあずかっている。このまま電話を切らずに、銀行で金をおろせ。そして、近くのスーパーマーケットにあるATMでこの口座に振り込め」と要求してきます。

恐ろしいことに、背後には子供の叫び声が聞こえ、相手は「従わないと、子供の指を切り落とすぞ」とか「子供がボディーバッグに入って戻ってきてもいいのか」と脅しをかけてきます。

あるケースでは、ATMで振り込む直前に友達のお母さんとメッセージをやりとりできて、「あら、あなたの娘さんなら、うちの娘と一緒に遊んでるわよ」と、誘拐が架空であったことが発覚しました。が、犯人との電話を切ることもできずに、事実確認ができなくて、お金を振り込んでしまうケースも続出しています。

FBIも2年ほど前から警告を発している架空誘拐(virtual kidnapping)の詐欺事件ですが、犯人の大部分は、メキシコの刑務所に入っているのだといいます。刑務所に「密輸」した携帯電話を使って、アメリカの一般家庭に電話をかけて誘拐をほのめかす手口。

まずは、狙った都市の市外局番と上三桁の番号を(刑務所に設置された)ネットで調べ、手当たり次第に電話をかけて子供の叫び声を聞かせる。「メアリー! メアリーは大丈夫なの?」と相手が食いついてきたところで、「お前の子供をあずかった」と脅し、身代金としてメキシコの銀行口座に振込を要求する。国境を超えると、まとまった金額は送金できないので、複数の口座に少額ずつ振り込むように指示されることもあるとか。中には、刑務所にいながら詐欺グループを結成し、アメリカに住む仲間に多額の身代金を受け取らせたケースもあります。

基本的には、ランダムに電話をかけるので、国境近くの都市に住む誰もが被害に遭う可能性のあるスキームです。が、近頃はフェイスブックなどのソーシャルネットワークに書き込まれた情報をもとに、家族構成や生活パターンを把握できるのも犯罪に拍車をかける要因ともなっているようです。

詐欺に使われた電話は足がつかないものだったり、すでに解約されていたりと、犯人を特定する糸口とはなりません。ですから、叩こうと思っても叩けない「モグラ叩き(Whack-A-Mole)」のようなものでしょうか。

メキシコをはじめとして、海外にはアメリカで働いた経験のある人が多いので、「金のありか」を鼻で嗅ぎ分けるのは容易なことでしょう。そして、アメリカの中でもカリフォルニア州、とくにシリコンバレーには「お金がたくさんあるに違いない」というイメージが定着していて、なにかと国内外からのターゲットになりやすいのかもしれません。

いつの時代も、自分の情報は必要以上に公開しない、お金を振り込む前には再度確認する、というのが一番の防衛策なのかもしれませんね。

夏来 潤(なつき じゅん)

タクシー運転手のちょっといい話

今年は、カリフォルニアも猛暑続きで、例年とは違った夏になっています。



いつまでも太陽がギラギラと輝き、暑さが尾を引きます。



そんな夏の早朝、変わった夢を見ました。



小説家になって、短編を書き始めるという夢。



主人公は、二十歳くらいの女のコ。彼女には仲良しのお父さんがいて、そうだなぁ、年の近いパパではなくて、ちょっと年上の60代にしておこうかな、と修正を入れながら、文章を書いています。



日ごろ、書きかけの記事のアラを夢で見つけて、翌日にあわてて修正することがあるのですが、夢の中とはいえ、ちゃんと文法や論理展開にも気をつけて、一文ずつ丁寧に書いていきます。(残念ながら、段落ひとつを書き上げたら、夢が消えてしまって、短編は未完のまま・・・)




このときは、なぜか英語の小説を書いていたのですが、さすがにアメリカにいると、英語でしゃべったり、文章を書いたり、という夢はたくさん見ます。



が、不思議なことに、日本に何日間か滞在していると、「自分は英語が話せたかな?」と首をかしげるくらい、まったく英語が出てこなくなります。



きっとそれは、耳から何語を聞いているか? によるのだと思いますが、だとしたら、日本では日本語以外の言葉があまり聞こえてこないので、外国語を学ぶには必ずしも最適な環境とは言えないのかもしれません。



けれども、すごいタクシーの運転手さんがいらっしゃったんですよ。



6月の梅雨の晴れ間、東京のホテルから羽田空港に向かうタクシーの中で、運転手さんにこんなことを聞いてみました。



「もうすぐ東京オリンピックがありますが、何かタクシー会社として英語のお勉強をさせられていますか?」と。



すると、会社からは特別な指示はないけれど、日ごろから英語のコミュニケーションに留意しているという運転手さんは、こんな話をしてくれました。



この方は、よく外国人が泊まるホテルからお客さんを乗せるそうですが、ある晩、六本木のレストランに連れていってくれと男性に地図を見せられて、車を出しました。



大きな道を北西に進み、六本木通りで左に曲がったころ、レストランのある場所には直接右折して入れないので、もしも行ったことのあるレストランなら、六本木通りで車を降りてもらって、横断歩道を渡った方が早いだろう、と考えをめぐらせました。



とっさに、「Have you been here?(このレストランには行ったことがあるの?)」と口をついて出てきたのですが、彼の答えは「ノー」でした。



そうなると、少々回り道をしてもレストランの前まで連れて行ってあげないといけないと思った運転手さんは、ちょっと先で右折して、少し遠回りをしてお店の前に車を止めました。



そこは、誇り高き日本のタクシー運転手。遠回りして料金が若干高くなったので、どうしても説明をして納得してもらわなくてはなりません。



そこで、しどろもどろになりながらも、「この道は traffic regulations(交通規則)で右折箇所が限られています。あなたが初めてのレストランだとおっしゃったので、ちょっと遠回りになりましたが、右折できるところで曲がって、お店の前に車をつけました」と報告しました。



すると、お客さんは、その心配りによほど感動したのか、グッと言葉につまりながら目頭を押さえ、半ば涙声で「ありがとう、助かったよ。おつりはいらないから」と、2千円を運転手さんに押し付けて、早々に車を降りて行かれたとか。



なんとなく、あの缶コーヒーの宣伝に出てくるアメリカの俳優さんに似た紳士だったそうですが、涙を見られるのがいやだったのかもしれない、と運転手さんはおっしゃっていました。




こちらのタクシー運転手さん、べつにこれといって英会話教室に通われているわけではありませんが、普段から、耳で聞くことを心がけていらっしゃるとか。



そして、お父様が英会話の得意な方で、昔から「英語の教科書に出てくる文章を丸暗記しなさい」と教育されていました。おかげで、英語の点数はいつも良かったそう。



実は、わたし自身もこの方法が理にかなっていると感じているのですが、文章を丸ごと覚えていると、何かのときに、シチュエーションに合わせて、サッと自然に文章が口から出てくるはずなんです。



そう、とくに慣用句などは、理屈を考えないで、サラッと出てくればいいものでしょう。ですから、何回も復唱して、文章の丸覚えで会得するのが一番ではないかと感じているのです。



この運転手さんだって、教科書のどこかで覚えていたから、Have you been here ?(Have you been to this restaurant ?)という、ちょっと高級な表現が正しい文法でスラスラと出てきたのでしょう。



そして、何よりも、「遠回りをして申し訳なかったけれど、あなたのことを考えてレストランの前まで来ました」と誠意を持って説明をしたからこそ、相手だって納得して、予想もしなかった心配りに感じ入ったのではないでしょうか。



まあ、相手によっては、誠意が通じなかったり、誠意がかえって面倒くさいと感じたりするお客さんもいることでしょう。ですから、こちらも相手を見極めなから、接し方を変えることが肝要となりますが、まずは、誠意がコミュニケーション手段の第一歩ではないかと思っているのです。



というわけで、東京オリンピックを控えて、日本全国で、何かと国際語・英語のコミュニケーションが増えていくことでしょう。



一番大切なことは、英語の出来そのものではなくて、伝える内容と心だと思うのです。



偶然にお会いしたタクシー運転手さんは、そういう点では、立派な「国際親善大使」とお呼びできるのはないでしょうか。



Monkey off my back(猿よ、去れ!)

日本語には、動物や鳥を使ったことわざや格言がありますよね。



たとえば、こんなものがあるでしょうか。



犬も歩けば棒に当たる



スズメ百まで踊り忘れず



それから、猿も木から落ちる、というのもありますね。



それと同じように、英語にも、動物が出てくる表現は多いです。



日頃よく耳にする中には、こんなものがあるでしょうか。



Monkey see, monkey do



こちらは、わざと文法を間違えて、子供や英語を習いたての人が使うような稚拙な表現にしてありますが、「猿は見て(Monkey see)、行動する(Monkey do)」というわけです。



ですから、「猿は、見よう見まねで行動する、新しいことを学ぶ」といった感じでしょうか。日本語にも「猿マネ」という言葉がありますが、親や周りの人のマネをしているうちに、自然と新しい知識や技を身につけることをさします。



考えてみると、日本文化には「とにかく最初はマネをして、体で覚えろ、理屈はあとでついてくる」という考えも根強いですよね。日本舞踊とか茶道、料理なども、そういった面があるのかもしれません。



きっと世の中には、物事の筋道を考えながら習得するものと、猿マネをするうちに自然と会得するものと、両方の学び方があるのでしょう。



お猿さんといえば、日光東照宮の神厩舎(しんきゅうしゃ:ご神馬の厩)にいる、かの有名な「三猿(さんざる)」の彫刻を思い浮かべます。



猿はとっても賢いので、相手に対して礼を失するようなことは「見ない、聞かない、言わない」と、自己を律するワザを会得している、というわけです。そんな賢い猿に比べると、「自分は、お猿さんにも劣っているな」とハッとすることもたびたびでしょうか。(Photo of Three wise monkeys by Jakub Hałun, from Wikimedia Commons)




そして、今日のお題にもなっていますが、猿を使った表現には、こんな不思議なものもあります。



Get a monkey off my back



「猿をわたしの背中からおろす」というわけですが、



今まで(わたしを悩ませていた)問題を克服する、悪い癖をきっぱりと断ち切る、といった痛快な意味になります。



この場合、わたしの背中に乗っかっている猿(a monkey on my back)というと、「心にひっかかっている難題、障壁」とか「どうしてもやめられない悪い癖」といった意味があります。



ですから、その「猿(難題、悪い癖)を背中から引きずり下ろす(get a monkey off my back)」ことで、「問題におさらばできた、解放された」「晴れて障壁を克服した」と、心がすっきりしたようなニュアンスになります。



とっても印象深いシーンがあって、それは、アメリカンフットボールのサンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)が久しぶりにチャンピオンになったとき。



1980年代に4回も優勝した黄金期からメンバーも入れ替わり、どうしても勝てない時期が続いていた、1994年のシーズン。久しぶりにチームがチャンピオンに返り咲き、攻撃の司令塔であるクウォーターバック、スティーブ・ヤング選手が見せた不思議な行動。



それは、「誰か、お願いだからこの猿を背中から取ってくれよ!(Would somebody please get this monkey off my back!)」と叫びながら、チームメートに駆け寄るシーン。



ヤング選手に背中を向けられたチームメートは、彼の背中にくっついている見えない猿をガブガブと「噛み切ってあげた」のでした!



そうなんです、「なかなか勝てないねぇ」「あんたは、先代のスーパースター、ジョー・モンタナとは違うんだよ」とプレッシャーに押しつぶされそうになっていたところ、ようやく優勝を勝ち取ったので、「大きな壁を克服したぞ!」と喜び勇んで、猿を背中から引きずり下ろしてもらったのでした。



この猿は、相当に大きかったのか、それとも何匹も乗っかっていたのか、優勝トロフィーの授与式でも、ヤング選手は自分の背中から何度も、何度も猿を引きずり下ろすジェスチャーを披露してくれたのでした。



それ以来、またまた49ersは優勝から遠のいていますが、次にチャンピオントロフィーをもらったときにも、「背中から猿を引きずり下ろす」選手が出てくるでしょうか?




それで、どうして悪いことが「猿」なのか? とずうっと疑問に感じていたのですが、どうやら、語源は定かではないようです。



でも、猿は他の動物に乗っかって意のままに蹂躙(じゅうりん)するとか、猿は「悪い魂である」とする文化圏もあるようなので、そこから英語の表現に転じたのだろう、という説もあるようです。



いずれにしても、「賢い猿」に恐れを抱いた人間が、勝手につくりあげたイメージのようではありますが、他にも、動物が好ましくない使われ方をしている例もあるんです。



たとえば、ゴリラ。



800-pound gorilla



つまり、「800ポンドのゴリラ」というのがあります。



800ポンド(発音は「パウンド」)というと、360キログラムですが、それほど大きな、力強いゴリラ、というわけです。



こちらは、「太刀打ちできないような大きな存在」という意味になります。



たとえば、業界を牛耳る大企業とか、大物政治家や政党、軍事的な勢力や司法機関と、庶民がどんなにがんばって抗(あらが)おうとしても、絶対に勝てない相手、といった意味があります。



そういった大きな存在が、「強大な力を利用して、自分のやり方をごり押しする」といったニュアンスが含まれていることもあります。



例としては、ファストフード界のマクドナルドとか、流通産業のウォールマート、iPhoneで有名なアップル、そして、中国なども 800-pound gorilla として比喩されたことがあるようです。



実際には、ゴリラは200キロ(430ポンド)を超えることは珍しいようなので、800ポンドのゴリラというのは、ひどく誇張した表現になります。



ですから、「普段はあり得ないような、巨大な力」という意味で、誰かが使い始めたのかもしれません。(Photo of “Koko” from The Gorilla Foundation’s Website, “Koko loves your bday cards” taken by Ron Cohn on August 29, 2017)




似たような表現には、こんなものがあります。



Elephant in the room



つまり、「部屋の中にいる象」というわけです。



There is an elephant in the room



こんな風に、「部屋の中に象がいる」といった使い方をします。



そう、象さんが部屋の中にいれば、誰もが気づくわけではありますが、そんな大きな存在(問題)ですら、無視したい、語りたくない、といった意味になります。



当初は、博物館で虫の標本を観察する昆虫学者が象に気づかなかったところから、「小さなものばかり見ていると、大きな存在に気づかない」という意味だったようです。が、時代とともに「誰もがわかっていることなのに、表だって議論することを避けたい難題」という風に変わってきたみたいです。



もしかすると、議論することで、さらに厄介な難題が降りかかってくるのかもしれません。または、言葉にすること自体がタブーとされているのかもしれません。



いずれにしても、誰もが見えているのに、「いないことにしよう」と頭の中で存在を消そうとしているのが、elephant in the room というわけです。




というわけで、動物を使った英語の表現には、好ましくないものもありますが、ここで一番迷惑だと思っているのは、動物たち本人かもしれませんよね。



お猿さんだって、ゴリラさんだって、象さんだって、「なんで自分が引き合いに出されるの?」と、首をかしげていることでしょう。



でも、考えてみると、いろんな文化圏のことわざに動物が登場するのは、人間が動物の中に「自分たち」を見つけるからかもしれません。



自分たちに似ているところを発見して、自身のことを学んだり、はたまた動物たちから新しいワザを教えてもらったりと、そんな自然界への畏敬の念をことわざにしてきたのかもしれません。



<追記>

蛇足ではありますが、文中のゴリラの写真「Koko(ココ)」ちゃんについて、ちょっと解説をいたしましょう。



ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、このココちゃんは、ゴリラの中でも超有名人で、1971年にサンフランシスコ動物園で生まれたローランドゴリラのメスです。生後6ヶ月に大病をしたことで、お母さんゴリラではなく、飼育員が代わって世話をすることになりました。



ちょうどその頃、近くのスタンフォード大学で動物心理学を研究していたフランシーン“ペニー”・パターソンさんが、「ゴリラに手話(sign language)を教える」ことを博士課程の研究題材に選び、動物園にいるココのもとに足繁く通って、手話を教え始めました。先に1960年代には、「Washoe (ワショー)」というメスのチンパンジーに手話を教えるプロジェクトがあって、それにヒントを得たのです。



最初の2年で、ココは80の手話単語を覚え、3年目からはスタンフォード大学でペニーさんがお母さんになって飼育することになり、学習速度がグンと加速。彼女が論文を完成するまでには300の言葉を習得した、とされています。



たとえば、最初に覚えた言葉には「食べる(eat)」「飲む(drink)」「もっと(more)」「鍵(key)」「開ける(open)」などがありますが、ドアの前にいるココが、ペニーさんに向かって「Key Open Key Out The Gorilla(ドアを開けてわたしを出して)」とジェスチャーをしているシーンも記録されています。(英BBCのドキュメンタリー番組『Koko: The Gorilla Who Talks To People (2016年制作)』より)



手話を動物に教える試みは、1980年代以降はあまり行われていませんが、その後の研究では、自然界の中でもゴリラをはじめとして動物同士の身ぶり手ぶりを使ったコミュニケーションが確認されています。ですから、教え方によっては、人間界の手話だって、うまく習得できるのかもしれません。



ココちゃんは、ペニーさんの論文発表後は近くのウッドサイドに設立された「ゴリラ財団(The Gorilla Foundation)」で暮らしておりましたが、今年6月、惜しまれながら46歳で永眠いたしました。



上の写真のバースデーカードを「読む」姿が、最後の誕生日となりました。(Photo of “Koko”, “Sweet Dreams, Koko” taken by Ron Cohn in June 2015, from The Gorilla Foundation’s Website)



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