Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2009年07月29日

花火とムーンウォーク: アメリカが輝くとき

Vol. 120

花火とムーンウォーク:アメリカが輝くとき

 


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夏のシリコンバレーは、雨が一滴も降りません。そう思っていたら、先日、車のフロントグラスにチョボチョボと水滴が付いたことがありました。もちろん、こんな雨はすぐに終わってしまうので、残念ながら、恵みの雨とはいきません。ちょっとだけ雨のにおいを感じただけ、といったところでしょうか。(写真は、シリコンバレーにあるStevens Creek水源地)

そんな夏のシリコンバレーからは、アメリカらしいお話をいたしましょう。日頃、いろんな問題を抱えるアメリカですが、誇らしげにパッと輝くこともあるのです。そんなお話です。

<独立記念日>


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ご存じのように、7月4日は、アメリカの独立記念日(Independence Day)ですね。国民の休日が少ないアメリカでも、さすがにこの日はほとんどの人がお休みとなりますので、昼間はみんなでバーベキューをしたり、パレードを見学したり、夜は花火を観たりして楽しく過ごす一日となっております。
日本でも有名でしょうけれど、毎年ニューヨークで開かれるホットドッグ大食い選手権も、この独立記念日に開かれるのですね。

このように「楽しい」イメージの強い独立記念日ですが、いったいこの日は何かと申しますと、それまでイギリスの植民地だったアメリカの13州が独立する旨を記した宣言書(the United States Declaration of Independence)を、米国議会(当時は大陸会議)が採択した日なのです。
実際には、大陸会議の56人の議員がいつ独立宣言に署名したのかは諸説分かれるようですが、1776年の7月か8月だったことは確かなようです(有力な説は8月2日だそうです)。ですから、アメリカは、今年で建国233年ということになりますね。
そして、宣言の採択を祝う独立記念日には、みんな胸を張って星条旗を掲げ、国民であることに誇りを持つという、輝かしい一日ともなっております。

ところで、独立宣言はかなり長い文章なので、いったい何が書かれているのかと疑問に思うわけですが、結局のところ、人間は平等に生まれ、人としての権利を認めてもらわなければならないはずなのに、大英帝国の植民地に生きる自分たちは、英国王ジョージ3世にまったく権利を認めてもらっていないと、イギリスに対する怨みつらみが書かれていると言ってもいいでしょう。
重税を課されているわりに、英国議会へは自分たちの代表を送ることもできないし、自らの政権を樹立することも許されていない。しかも、イギリスの軍隊が駐留して睨みを利かしているではないか。だからこそ、自分たちは絶対君主制に抵抗し、国として独立する必要があるのだと。
そう、宣言のかなりの部分は、ジョージ3世の植民地政策に割かれ、彼がいかに統治者として不適切であるかを説いているのです。その中には、「イギリスが大挙して役人を送り込み、わたしたちを悩ませ、好きなだけタダ飯を食べている」なんていう下りもあるのです。

まあ、そんな「怨みつらみ」の部分も読んでみるとおもしろいものではありますが、この宣言で一番有名な箇所は、冒頭に出てくる独立の主文ですね。今でも、アメリカ国家の中心的理念として引用されることが多いです。
「わたしたちは、以下の事項を自明の真実とする。すべての人間は平等であること。人間は創造主によって、生命、自由、幸福の追求といった侵さざるべき権利を授けられていること。(We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.)」
ゆえに、これらの権利を守るために政府がつくられるわけだが、もし政府が人々に害を及ぼす危険があるときには、これを改めるか、廃止して新たな政府をつくるかの権利が人にはある(it is the Right of the People to alter or to abolish it, and to institute new Government, . . . )。
 


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この歴史的に有名な宣言文を読んでみると、いかに一国の独立宣言であるとはいえ、よくもまあ、こんなにはっきりと物を言えたものだと感心するわけです。
もちろん、これはイギリスに向かって送られた書簡ではなくて、前年に勃発した独立戦争(the American Revolutionary War)を戦う同胞の士気を鼓舞するための宣言ではありますが、相手は強大な軍事力を誇る大英帝国。後にフランス、スペイン、オランダがアメリカの助っ人となったとはいえ、よくもまあ植民地の分際でイギリスに宣戦布告する勇気があったもんだと感心してしまうのです。

しかし、相手は強かった。そんなに簡単には行きません。独立宣言が米国議会で採択されても戦いはさらに続き、7年後の1783年、パリ条約で終戦が締結されて初めて、アメリカは一国として独立が認められることになります。
独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンも、1781年、当時のヴァージニア州知事という役職からイギリス軍に追われ、馬を駆って辛くも逃げたという苦い体験を持つのです。
ちなみに、パリ条約の頃、アメリカという国は大西洋岸からイリノイ州辺りまでの小国でして、カリフォルニア州などは影も形もありませんでした。カリフォルニアでは、50を超すさまざまな先住部族が狩猟採集の生活を営んでおりましたが、1769年以降、スペイン人が植民地メキシコを足がかりにして統治を始めようかと乗り出した頃でした。
 


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そんなわけで、大英帝国を相手に謀反を起こしたアメリカの「勇気ある無謀さ」にも感心するわけですが、それと同時に、同胞を鼓舞した独立宣言とは実にうまく練られた文章だなぁとも感服するのです。
たとえば、上に引用した主文の「すべての人は平等である」という下り。もちろん、この記載には、当時アメリカで労働力として使われていた「奴隷」は除外してありますが、それでも「人は平等である」とはよく言ったものだと感心するのです。

そして、この一文を読むとふと思い出すことがありますよね。そう、幕末・明治維新の思想家、福澤諭吉先生の『学問のすすめ』。冒頭に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という名文が出てきます。
なんでも、好学の福澤先生は、それ以前にアメリカ独立宣言の全文を和訳して『西洋事情』という著書で紹介しているそうで、宣言文の中身は熟知していらっしゃったのですね。
ですから、『学問のすすめ』にも、平等の思想だけではなくて、「政府に対して不平があったら、抗議の手段をとって遠慮なく議論すべきである」とか、「(必要以上に)厳しい政府というものは、民が愚かであることが招いたわざわいである」などと、独立宣言にある自立の精神が脈々と流れているようにも感じるのです。

それから、独立宣言に出てくる「平等」「生命、自由、幸福の追求」といった表現は、日本国憲法の第三章・第十三条「個人の尊重」と第十四条「法の下の平等」にもしっかりと反映されていますね。

そうやって考えてみると、アメリカの独立宣言とは、日本には無関係の無味乾燥の文書というわけではないのですね。

追記: 福澤諭吉先生の『学問のすすめ』は、ちくま新書の現代語版(斎藤孝氏訳、2009年発行)を参照いたしました。第8章「男女間の不合理、親子間の不条理」などを拾い読みしてみると、「このご仁はおもしろい!」と痛感した次第です。

<アメリカって結構シビア>
「輝き」とはまるで正反対ではありますが、何が「シビア」かって、アメリカの労働条件がかなり厳しいというお話です。まあ、労働条件にはいろんな要素が絡んできますが、今は夏休みのシーズンということで、ここでは休暇のお話に絞りましょう。

上のお話の冒頭でもちょっと触れましたが、一般的なイメージに反して、アメリカは国民の休日が少ない国なのです。これはなぜかと言うと、厳密には、「国民の祝日(national holidays)」というものが存在しないからなのです。
えっと驚いてしまうような話ですが、アメリカの連邦議会(国会)には、連邦政府機関とそこで働く公務員、そして連邦議会のお膝元である首都ワシントンDCに対してのみ、休日を定める権限があるのです。
つまり、それ以外の民間人に対しては、国は勝手に休日を定めることはできない。たとえ独立記念日のような大々的な祝日だったとしても。

しかも、国は民間人に対して、「自分たちの祝日を休みにしなさい」とは指導していません。そう、国の法律には、「従業員に祝日(paid holidays)や有給休暇(paid vacation days)を与えなければならない」と課している法律はないのです。
極端に言うと、ある会社が祝日を一日も与えず、しかも有給休暇を一日も与えなくても、それは法律違反にはならないということです。

とは言っても、さすがに一日も休みがないと誰も働いてくれないので、大部分の会社は祝日を何日かお休みにしてあげたり、有給休暇を何日か(お印程度に)与えたりするわけですね。
けれども、たとえ独立記念日のような、誰もがお休みをいただいているときに働かされたとしても、それは法律違反にはならないし、休日出勤手当などはあげなくてもよいということなのです。(公務員の場合は、祝日に出勤すると休日手当をちゃんといただくようですが。)

それでは、州のレベルではどうかと言うと、少なくともカリフォルニア州は、国にぴったりと準拠しています。つまり、カリフォルニアには、「祝日や有給休暇を従業員に与えるべし」という法律はありません。だから、独立記念日に働かされたとしても、訴え出ることはできないのです。
そういう意味では、休日とは、従業員の「権利(rights)」ではなくて、会社が与える「恩恵(benefits)」という位置づけでしょうか。
この点では、アメリカの休日と医療保険制度はよく似ていますね。原則的には、国が国民に与えるべきものではなく、あくまでも、国民が働く企業や団体が責任を持って与えるという理解。何でも民間に委託する態勢が徹底しているアメリカならでは、といったところでしょうか。
 


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わたしが働いていたシリコンバレーのスタートアップ会社では、どの日を休みにしようかと、他のベテラン企業に聞き取り調査をしていました。さすがに世の中の大部分の人が休んでいるときに働かされると、従業員の憤懣が一気に爆発するので、「みんなと一緒に休みましょう」ということになるのですね。
そして、そのときに参考になるのが、国で働く公務員の休日でしょうか。国の公務員は、年間に10の祝日がお休みとなります。
1月の「元日」と「(公民権運動の指導者)キング牧師の誕生日」、2月の「ワシントン初代大統領の誕生日(別名:大統領の日)」、5月の「メモリアルデー(戦没者追悼記念日)」、7月の「独立記念日」、9月の「レーバーデー(労働祭)」、10月の「コロンブス記念日」、11月の「ベテラン(復員軍人)の日」と「感謝祭」、そして12月の「クリスマス」です。
同じ祝日でも、宗教色のかなり濃い「復活祭」や「聖灰の水曜日」、ユダヤ教の「ハヌカ」、そして子供たちに大人気の「ハロウィーン」などはお休みにはなりません。

けれども、公務員が民間人よりも多く休むのは世の常でありまして、企業の場合には、「ワシントンの誕生日」とか「コロンブス記念日」などは、まず休みにはなりません。祝日が休みとなるのは、年間せいぜい7日がいいところでしょう。

そして、有給休暇はというと、それこそ会社の規模や業種によって大きく異なりますし、従業員の職種や就業年数によって十人十色となります。しかし、概してアメリカが他国に劣るのは否めない事実でして、5年~10年勤続で20日(有給休暇と病気休暇を合わせて)というのが関の山のようです(米労働省の統計を参照)。

これは、世界の先進国や新興国と比べても見劣りのする数値でして、ある会社が調べた49カ国のうち、アメリカより休みが少なかったのは、タイとヴェトナムの2カ国だけでした。(Mercer Human Resource Consultingが調査した勤続10年の国別平均有休日数を参照。ここでは、アメリカは祝日10日、有休15日の計25日と定義。ちなみに、日本は祝日15日、有休20日の計35日とされる。現在は、祝日16日?)
 


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まあ、日本では、有給休暇があっても有名無実であり、だからこそ国民の休日が多いのだというわけではありますが、それは何も日本に限ったことではないような気もするのです。アメリカでも、有給休暇を消化できない人が多いので、「退職時に買い取る」制度を採用する企業もあるくらいです。
とくに今は、経済が停滞する厳しい時期。「仕事があるだけでありがたく思え!」という強気の経営者が多いので、労働者はさらに苦境に立たされる。しかも、休暇を取ろうものなら、仕事のメールは毎日チェックするように仕向けられる。

きっとこの夏、一年に44日も休暇がもらえるフィンランドがうらやましい! と叫んでいるアメリカ人も多いことでしょう。

追記: 蛇足ではありますが、有給休暇だけではなく、病気休暇(sick leave days)も国の法律では徹底されていません。国の法律(Family and Medical Leave Act)では、ガンのような重病のみに「無給の病気休暇を与えるべし」と定められています。しかも、従業員50人未満の会社や勤続一年未満の従業員は、この法律には該当しません。
それから、有給休暇に対して、無給で従業員を休ませる日を「furlough days(ファーローデイズと発音)」と言います。近頃は、カリフォルニア州政府のように財政破綻寸前の自治体も多いので、カリフォルニアの公務員も「月に3日」と、無給休暇を余儀なくされています。

<ムーンウォーク>
「ムーンウォーク(moon walk)」と申しましても、先月末に亡くなったマイケル・ジャクソンさんのことではありません。天才エンターテイナーMJの一ファンとしましては、彼のことを書きたいのは山々なのですが、こちらは、本物のムーンウォークのお話です。
 


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7月22日、日本中が皆既日食で騒然となった前日、アメリカでは月面着陸40周年のお祝いで騒然としておりました。新聞やテレビで特集が組まれたばかりではなく、シリコンバレーのグーグルも、自社開発のGoogle Earth(グーグルアース)に「月ツアー」の新機能を加えています(アメリカ時間では7月20日が記念日)。
今から40年前の1969年7月16日、3人の宇宙飛行士を乗せたアポロ11号が地球を飛び立ちました。3日後には無事に月の軌道に乗り、翌7月20日、軌道を周回する司令船から月に降り立ったニール・アームストロング機長とエドウィン“バズ”・オルドリン飛行士のふたりが、人類初のムーンウォーク(月面歩行)を果たしたのでした。もうひとりのメンバー、マイケル・コリンズ飛行士は司令船に残り、月に向かうふたりをサポートしておりました。

きっと、凝ったサイエンスフィクションの観過ぎなのでしょう。今まで、この月面ウォークを目にしても、あまり何とも思いませんでした。けれども、40周年を機によ~く考えてみると、「これは偉業としか言いようがない」と、初めて事の重大さに気が付いたのでした。
何がすごいって、まず、この時代のコンピュータなんて大した頭脳を持っていなかったのです。よくテレビに写っているアポロ11号のヒューストン管制司令室なんて、今に比べると、おもちゃみたいなものかもしれません。
ピコピコとスイッチに明かりが灯って、ずいぶんと偉そうな機械が並んでいるように見えますけれども、ここにあるコンピュータを全部合わせても、今のノートパソコン一台に満たない頭脳でしかなかったとも言われています。

月を周回している司令船(command module “Columbia”)から月着陸船(lunar module “Eagle”)が離れたときなんか、ヒューストンのみんなはストップウォッチ片手に固唾を呑んで見守っていたそうですよ。なぜって、司令船を離れてすぐに着陸船は降下コースを外れ始めたのですが、着陸レーダーを使い始めた途端にコンピュータが「処理不能」のエラーメッセージを放ち、コースを大きく外れているのがわかったときには、もう燃料が底をつきかけていたから。
計算では、高度5万フィートから12分を想定した降下でしたが、飛行士の操縦に切り替えたときには、辺りはフットボール球場くらいのゴツゴツしたクレーターになっていて、とても着陸できる状態ではありません。あと500フィートあるのに、逆噴射(降下第二)エンジンを半開にしても、燃料は2分と残っていない!
訓練では、残りの燃料が30秒になったら、何が何でも着陸しろと言われていたのですが、偶然にもその瞬間、目の前に平地が開けてきたではありませんか! そうやってようやく月面にタッチダウンしたときには、残り30秒を切っておりました。

そして、月から司令船に戻るとき。だいたい、月面にあるものがどうやって軌道上の司令船に合体するのかと、今の技術でも難しい話だと思うのですが、このアポロ11号の着陸船には、エンジンが一個しかありませんでした。ということは、これが不調だと月から飛び立てない!
実際、起きたんです、大きな問題が。月面ウォークから着陸船に戻って来たふたりは、床に何か破片が落ちているのを発見。事もあろうに、上昇エンジンのスイッチが、ゴワゴワと大きな宇宙服にひっかかって壊れてしまったんだそうです。え、スイッチが壊れたら、エンジンがかからないじゃない!
もちろん、飛行士だってそう思ったわけでして、ここで頭脳明晰なオルドリン飛行士は考え付いたのです。ここにペンを差し込んで、スイッチの代わりにしようと。先がフェルト状になっているペンを着陸船に持ち込んでいて、それを差し込んで辛くもエンジンをスタートさせたそうです。

いえね、このとき、それまでに行った上昇エンジンの実験からすると、月から司令船に戻れるのは五分五分ともささやかれていたそうです。当時のニクソン大統領だってそのことは十分に承知していて、ホワイトハウスから月面のふたりに声をかけたときには「ニール、バズ、おめでとう」と労をねぎらっていたくせに、その裏で、側近には死者に向けた賛美の文章を準備させていたのです。
もしも事がうまく運ばなかったならば、「運命がふたりを安らかに月面に立たせ、そして安らかに眠るために月に残した」と、全世界に向けて発表するつもりだったそうです(近年発見されたホワイトハウスの保管文書より)。
けれども、当の飛行士たちは、万が一そうなったとしても最後の最後まで努力し、酸素がなくなったら静かに眠ろうとの決意を胸に抱いておりました。アポロ計画の飛行士には、戦闘パイロットとして実戦を経験した人も多く、誰からの援護もなく危機的状況に立ち向かうのには慣れていたそうです(オルドリン元飛行士ご本人の談話)。
 


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見事に月面着陸を果たした3人の宇宙船は、7月24日明け方、3つのパラシュートに運ばれながら、無事に太平洋に着水しました。高度1万フィートまで下りて来ると、塩を含んだ空気のにおいを感じたそうです。「何とも言えない地球の歓迎だった(That’s quite a welcome-home sensation)」と、オルドリン元飛行士は回想しています。

40年経った今、人々が再び月面着陸に魅了されるのは、画期的な有人飛行を果たした強き、良きアメリカへのノスタルジアばかりではなく、人の力で月に着陸し、人の力で月から生還したドラマがあるからなのでしょう。
技術の粋を集め、テストにテストを重ねて、万全の態勢で臨んだアポロ打ち上げではありましたが、やはりコンピュータ黎明の時代にあれだけのものを月に飛ばしたというのは、人間だって賛美に値するものではありませんか。

追記: このお話は、NASA(アメリカ航空宇宙局)のウェブサイト、サイエンスチャンネル番組「First on the Moon: Untold Story」(2005年制作)、インタビュー番組「Charlie Rose」(1999年7月のオルドリン元飛行士の談話)などを参考にいたしました。
ちなみに、今はとても危なくて月に人を送り込むことなんてできないそうですが、それでも、40周年を機に「月にもう一度」とか「月を足がかりにして、いざ火星へ!」という気運が高まっています。
つい先日、サンフランシスコ・ベイエリアを訪れたバズ・オルドリン氏も、「今こそ、月を超えて火星を目指すとき!」と、NASAに熱いエールを送っています。

アメリカの宇宙開発の理念は、「すべての人類のために平和目的のみであるべき」というもの(連邦法令集にある連邦議会宣言)。その輝かしい理念のもと、宇宙が平和利用されることを多くの地球人が願っていることでしょう。

Here Men From Planet Earth First Set Foot Upon the Moon. July 1969 A.D. We Came In Peace For All Mankind.
(月に残された着陸船の足場に刻まれた碑文「西暦1969年7月、ここに惑星地球の人類が初めて足を踏み入れた。我々はすべての人類のために平和に月を訪れた。」)

夏来 潤(なつき じゅん)

 

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