Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2006年11月30日

賑々しい11月:選挙とPS3とお家の一大事

Vol. 88

賑々しい11月:選挙とPS3とお家の一大事


アメリカでは感謝祭も無事に終わり、いよいよクリスマス商戦に突入です。今年は、買い物客の出足も好調のようで、お店のレジはKa-ching! Ka-ching!と、調子の良い音を出しています。ひとたびお買い物に出たら、”倒れるまで買いあさる(shop till you drop)”、それがバーゲン・ハンターたちのモットーなのです。

まあ、そんな賑やかな毎日ですが、11月を振り返って、鮮明に記憶に残るお話を3つほどいたしましょう。


<ソニーの新製品>
いや、もう大騒ぎ!何がって、あのソニーのプレーステーション3(PS3)です。11月17日午前零時1分、一斉に発売開始となったのですが、全米中を騒ぎの渦に巻き込み、この日一番のヘッドラインとなっていました。
金曜日未明の発売に備え、すでに水曜日あたりから、各地の販売店の前ではキャンプを張る人たちの行列が続出。シリコンバレーのBest BuyやFry’sは勿論のこと、大型電器店やWal-Martなどの量販店の存在する街では、どこでも長?い行列です。マンハッタンでは、もう日曜日には一番乗りの人が姿を現したとか。

この騒ぎの発端は、発売当日、全米で40万台しかPS3を準備できなかったこと。全米の小売店に出荷すると、一店舗あたり、100台にも満たないのです。ソニー側は、年内には百万台を準備すると発表しているにもかかわらず、品不足の予告が「希少価値」の期待を呼ぶ結果となりました。
勿論、ソニー自体がPS3の生産に追いつかなかったのでしょうが、アメリカの一般的な見方は、「メディアハイプ(media hype、マスコミの過剰な大騒ぎ)」を引き起こすために、わざと出荷を制限しているのだというもの。アメリカのメディアと消費者は手厳しいのです。ソニーは、品不足のため、ヨーロッパでのPS3発売を来年3月に延期しているそうですが、そんな話は、人々の耳には届きません。

発売直後、アメリカで一番人気のオークションサイトeBayでは、「PS3を売ってあげましょう」というリストのオンパレード。なにせ、600ドルの投資が、2000ドル、3000ドルにもなるのです。ソニーが一台あたり300ドルの赤字を出すと言われるのを尻目に、ラッキーにもPS3を手に入れた人たちは、ちょっとした小遣いを懐に入れています。勿論、「絶対に売らないぞ!」という、ハードコア・ゲーマーたちもいましたが。

サンフランシスコのソニービル「Metreon」。ここでも、発売の何日も前からキャンプを張る人たちが現れ、その数は700にも膨れ上がっていたとか。ソニーは、この若者たちのために、仮設ステージを設けロックバンドを呼んだり、タダで食べ物を配ったりと、サービスに余念がありません。
きわめつけは、PS3の搬送です。発売約4時間前、真っ赤な巨大トラックがどこからともなく現れ、中からは、真っ黒のスーツを着込んだSPとともに、ソニー・アメリカのお偉いさんがPS3の箱を持って登場!そして、まわりは大歓声の渦。空高く掲げられるPS3は、まさに水戸黄門の「葵のご紋」なのです。

この2日後、11月19日に発売となった任天堂のゲーム機Wiiは、比較的静かに消費者に受け入れられています。供給も潤沢に行われ、暴動に近い大騒ぎも、強盗による発砲騒ぎもありませんでした。やっぱり、「品不足」のメディアハイプは恐ろしいものなのです。

真面目な話、騒ぎが収まったら、我が家でもPS3を買ってみようかと話しています。次世代DVDのBlu-rayが魅力的なのです。まあ、60GBのモデルには無線LAN機能(IEEE 802.11b/g)なんかも付いているし、家電製品として考えると、定価600ドルという値段も、そんなに悪くない気はします。
近年、我が家では、ソニーの新製品とは縁遠い日々を送っていました。この夏は、ソニーの薄型液晶テレビを購入してみたのですが、これを機に、またソニー製品を買う機会も増えるのでしょうか。

追記:我が家にとっては、PS3を日米どちらで買うのか?という問題が残っています。アメリカで買ったPS3でも日本のゲームソフトは動くようだし、日本で買ったPS3でもアメリカで販売するBlu-rayディスクは再生できるようです。
だとすると、保証のことを考えて、アメリカで買うのでしょうか。それとも、もう少しドル高になったら、日本で買ったほうがお買い得なのでしょうか。

一方、任天堂のWiiですが、アメリカではさっそく、「テニス肘(ひじ)」ならぬ「任天堂肘(Nintendo elbow)」というのが出てきているようです。お医者さんは、こう警告します。Wiiのリモコンを使う前には、充分にウォームアップすること。


<選挙の余韻>
いや、もう大騒ぎ!何がって、あの全米の中間選挙です。先月号でもご報告いたしましたが、ブッシュ大統領に敵対する民主党が連邦議会を取るかどうかで、国中が揺れていたのです。ホワイトハウスとともに、両院を死守したい共和党は、あの手この手で有権者に迫ります。

そして、11月7日の開票即日、連邦下院は、あっさりと民主党の手に落ちました。民主党が新たに手にした議席は、少なくとも29。必要とされる15議席を軽く越えています(テキサス、ルイジアナなど南部の州で4議席が確定していませんが、大勢に影響はありません)。
一方、最後まで揉めていたのが、連邦上院。100議席のうち51議席を獲得しないと、議会をコントロールできません(50議席ずつになると、チェイニー副大統領が最後の一票を投じるという、とんでもない状況に陥るのです)。
問題は、モンタナ州とヴァージニア州。ここで2議席を獲得しないと、努力が泡と消える民主党。後日、ほんの僅差でこの2議席を勝ち取り、めでたく主導権を握ることとなりました(両州とも、共和党現職候補が敗れています。モンタナ州は疑惑のロビイストとの関係、ヴァージニア州では過去の人種差別的発言が、現職候補の妨げになったようです)。

まさか、両院を失うとは思っていないご様子のブッシュ大統領。忸怩(じくじ)たるものを感じながらも、さっそく選挙の2日後には、下院議長となる民主党のナンシー・ペローシ氏を笑顔でホワイトハウスに招きます。「これから、両党仲良くやっていこうよ」と。その翌日、今度は、上院議長となるハリー・リード氏を招き、固い握手を交わします。
リード氏のときは、民主党に敬意を表し、赤ではなく、青いネクタイを結ぶブッシュ大統領。選挙の翌日、ラムズフェルド国防長官を罷免したときは、まさに、怒り心頭に発する面持ちでの記者会見。この日は、少なくとも表面上は平静さを保ちます(色の話ですが、一般的に、赤は保守的な共和党、青は革新的な民主党を表すとされています。「レッド・ステート、ブルー・ステート(赤い州、青い州)」という表現もすっかり定着してしまいました)。

けれども、お祝いムードも束の間、一枚岩とはいかないのが、民主党です。新たに下院リーダーに選ばれたナンシー・ペローシ氏は、国中でもっともリベラルなサンフランシスコ選出の議員。彼女を心底信頼している民主党員は、南部や中西部出身の議員の中には少ないのかもしれません。
それが証拠に、「ブルー・ドッグ(the Blue Dog Coalition)」と呼ばれる議員連盟があるのです。これは、自らを「穏健派と保守派の民主党員」と呼ぶ議員たちの集まり。あくまでも、国の赤字削減を第一目標とすべきであり、あまりに民主党色の強い討議となったら、自分たちは共和党とともに闘うぞという姿勢の表れなのです。ブッシュ大統領の富裕層への課税削減を守り、ビジネス・フレンドリーな政策を打ち立てようとする民主党員の集まりともされています(ブルー・ドッグという名前は、議員の部屋の壁に掛けられる、青い犬の絵から来ているようです。ちなみに、党自体のマスコットは、共和党が象、民主党がロバです)。

若干の不平分子を抱える民主党。来年1月からは、ペローシ氏の手腕が厳しく問われることになるのでしょう。 不公平感がつのる税制、据え置かれる最低賃金や医療費高騰への適切な対処、同性結婚や幹細胞研究など国を二分する社会問題。そして、日々泥沼化するイラク戦争。問題は、あまりに山積し過ぎているのです。

時代の流れとともに、人の心は移ろうもの。政治にしても、まったく同じことなのでしょう。今まで、大きく右に傾いていた振り子が、ここに来て、ようやく真ん中に戻ろうとしているのかもしれません。
アメリカがイラクに侵入して、間もなく4年。今でこそ、国民は懐疑心を持ち始めていますが、その過ちに気付くまでに、あまりにたくさんの命が失われているのです。その代償に、アメリカはいったい何を勝ち取ったのか。そろそろ国民は、真摯に答えてほしいと願っているようです。


<サンフランシスコのスタジアム>
東京、2016年! 何かといえば、夏のオリンピック開催候補地のことです。同じ年、サンフランシスコも名乗りを上げているのです。いえ、正確には、「上げていた」と言うべきですね。残念なことに、つい先日、立候補を取り下げてしまいました。

事の発端は、サンフランシスコのプロフットボールチーム、サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)。その名の通り、彼らのスタジアムは、ずっとサンフランシスコにあり、昔は、ゴールデンゲート公園内にあるキーザー・パーク、過去35年間は、湾沿いのキャンドルスティック・パークというスタジアムをホームグラウンドにしてきました。
ところが、このキャンドルスティック・パーク、もう40年以上も経っていて、老朽化がかなり進んでいます。そこで、市と開発業者は、スタジアム周辺の再開発も兼ね、立派なスタジアムを造ろうじゃないかとプランを練り始めました。
プロスポーツチームのスタジアム建設ラッシュが吹き荒れる中、今どき、こんなに古い場所を使っているのは、49ersと対岸のオークランド・レイダーズくらいなものです。キャンドルスティックを共用していた野球チーム、サンフランシスコ・ジャイアンツだって、自分の美しいスタジアムを建て、さっさと逃げて行ったではありませんか。

一見、スムーズに運んでいた再開発計画。けれども、今月になって、大問題が起こりました。突然、49ersのオーナーが、シリコンバレーのサンタクララ市に新スタジアムを建てることにしたからね!と宣言したのです。
実は、49ersにとっては、サンタクララ市は自然な選択なんです。なにしろ、チームの本拠地とトレーニンググラウンドは、20年も前からここにあるのですから。
周りには大きな遊園地やコンベンションセンターもあり、公共の交通機関や駐車場は充分に確保されています。市が所有するスペースはふんだんにあり、スタジアムを建てるには充分です。加えて、幹線道路フリーウェイ101号線に近い地の利、市が自ら営む公益事業で低く抑えられる公共料金と、いいことずくめ(明言をはばかられますが、こっちの方が治安もいいのです)。

ここで寝耳に水なのは、サンフランシスコ市。49ersが出て行くとなると、新スタジアムを目当てとしていたオリンピック開催も危うくなります。そこで、急遽、反撃の対策を練り、市長自ら49ersのオーナーとミーティングを始めます。そして、市民からもサポートを得ようと、壮大な再開発計画を公にします。
チーム側は、このプランを「素晴らしい!」と称(たた)えます。だけど、ひとつ大きな問題がある。チームが新スタジアムを望む2012年には、とっても間に合いそうにない!ひとつ間違えば、すべてが遅れてしまうようなギリギリのプランの上に成り立っていると。たとえば、道路の整備は、開発業者が6500戸の住宅を売ってまかなうらしいが、もし順当に利益が出なかったら、いったい誰が金を払うんだ?
決着が付かないまま、サンフランシスコは、オリンピック開催の名乗りを、さっさと取り下げることとなりました。

このサンラクララのスタジアム計画が浮上して以来、北にサンフランシスコ、南にサンタクララと、ベイエリアは二分されているようでもあります。
サンフランシスコ選出のベテラン上院議員ダイアン・ファインスタイン氏は、こう発言します。「もし49ersがサンフランシスコを出て行くのなら、彼らに”サンフランシスコ”の名を使わせない条例を作るべきだ」と。 これに対し、シリコンバレーの新聞、サンノゼ・マーキュリー紙は、社説でこう反撃します。「11月7日の選挙でファインスタイン氏が再選できたのは、シリコンバレーの有権者のお陰でしょ。そこのところを考慮なさった方がいいのでは」と。 いや、真面目な話、彼女の得票は、サンフランシスコの16万票に対し、シリコンバレーは29万票だったそうです。元サンフランシスコ市長という輝かしい経歴はありますが、今は立派にカリフォルニアを代表する政治家なのですね。

キャンドルスティック・パーク。多くのファンにとっては、思い出深い場所なのです。1981年のシーズン、その頃いつもビリの49ersが、何やら突然調子付いた年。1月10日、大事なプレーオフのお相手は、宿敵ダラス・カウボーイズ。もうダメかとみんながあきらめかけたとき、3年目のクォーターバック、ジョー・モンタナから、レシーバーのドゥワイト・クラークへと奇跡のようなタッチダウンパスが決まったあの日。
その年、スーパーボウルを初めて制し、いつしかこのパスは、「The Catch」と呼ばれるようになりました。振り返ると、あれが、49ersの伝説の始まりだったのです。

まあ、そんなスタジアムですから、昔からのファンは、移転に反感を持つのは充分に理解できます。けれども、シリコンバレーだって、49ersのファンは多いのですよ。
11月のある日曜日、49ersがデトロイト・ライオンズに勝った日のこと。我が家の近くを車で通りかかると、おじさんがニコニコとこちらを見ています。何だろうと思っていると、彼の頭の上には、真っ赤な49ersの帽子。49ersの勝利がただただ嬉しくって、街を歩き回って、みんなに笑顔を振りまいていたのですね。

いろいろとお家の事情はあるでしょうが、ファンあってのプロスポーツです。スタジアムが便利で快適な方が、ファンにも喜ばれますよ。


後記:時を同じくして、オークランドの野球チーム、オークランドA’s(アスレチックス)も、ホームグラウンドのオークランド・コロシアムを出て行くぞ!と宣言しています。こちらは、ちょっと南にあるフリーモント市に新スタジアムを建設する計画。土地の所有者は、シリコンバレーの重鎮、ネットワーク機器のシスコ・システムズだそうです。
こちらは本決まりなのか、「A’sは、アメリカで一番進んだ”シスコ・フィールド”でプレーするんだよ」と、テレビで宣伝を流し始めています。まだ土台もできていないのに、なんとも、気が早いことではあります。
実は、フリーモントに決まる前、サンノゼ市という案もあったんです。けれども、詮無きかな、サンノゼは、サンフランシスコ・ジャイアンツの領土。不可侵条約(territorial rights)のお陰で、A’sは入れないのです(なんでも、この不可侵条約、独禁法の例外として、連邦議会にも認められているそうな)。

それにしても、フットボールのスタジアムって、必ずしも名前の場所にあるわけではないんですね。たとえば、ワシントン・レッドスキンズ。彼らのスタジアムは、首都ワシントンDCではなく、お隣のメリーランド州。そして、ニューヨーク・ジャイアンツとニューヨーク・ジェッツが併用するスタジアムは、ニューヨーク州ではなく、ニュージャージー州にあります。だとすると、サンフランシスコ49ersがサンタクララ市に移っても、何の問題もないのではないでしょうか。同じ州なのに。
サンフランシスコ選出のダイアン・ファインスタイン上院議員は、こう仰せになったそうです。サンタクララ市に移るんだったら、「サンタクララ・チップス(Santa Clara Chips)」にでも名前を変えたらと。
このチップとは、勿論、コンピュータチップから来ています。サンタクララには、かの有名なインテルの本社もありますし。


夏来 潤(なつき じゅん)

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