Life in California
ライフ in カリフォルニア/歴史・習慣
Life in California ライフ in カリフォルニア
2014年03月16日

サンノゼって、どんなとこ? ~歴史編

先日、「Alligator cracking(アリゲーターがポコポコ)」という英語のお話で、冬のお天気を取り上げてみました。

そのとき冒頭で、サンノゼ空港発の日本直行便(ANA 1075便)のお話が出てきましたので、せっかくですから、サンノゼという街について、お話ししてみましょうか。

今までちょこちょこと書いてきましたが、だいたい、サンノゼ(San Jose)って、カリフォルニアで一番古い街なんですよ!

それなのに、知名度は、かなり低い。外国の人々に知られていないどころか、アメリカ人すら、よく知らない。

ディオン・ウォーウィックさんの1960年代の大ヒットソング『Do You Know the Way to San Jose?(サンノゼへの道)』は、誰もが一度は聞いたことのある歌でしょうが、歌に出てくるサンノゼの街となると、まったく知らない人が多いんです・・・。


そもそも、歴史をひも解きますと、サンノゼに集落ができたのは、1777年。アメリカ西部としては、かなり古いのです。

最初の名前は、スペイン人が名付けた El Pueblo de San Jose de Guadalupe

日本語では「グアダルーペの聖ヨセフの村」という名で、サンノゼ(またはサンホセ)というのは「聖ヨセフ」のこと。つまり、聖マリアの夫であり、イエス・キリストの養父となった方です。
 この名が付けられたのは、聖ヨセフが、スペイン人開拓団の守り主だったから。現在も街の守護聖人とされていて、中心部には聖ヨセフ・バシリカ聖堂(the Cathedral Basilica of St. Joseph)が堂々と建っています。

この頃、ヨーロッパから新世界に進出したスペイン人は、領土としたメキシコ(New Spain)を足がかりとして、現在のカリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスと、アメリカの南西部にも進出しようとしていました。

この辺りには先住民族の集落が広がり、1万年ほど変わらぬ生活を守っていましたが、ヨーロッパやアメリカ東部の「白人」にとっては、喉から手が出るほどに欲しい広大な土地だったのです。

そんな中、スペイン人がカリフォルニア最初の集落をサンノゼにつくったのは、ここが当時認識していた「北カリフォルニア」の真ん中だったから。
 サンノゼの位置する谷間には、肥沃な土壌が広がり、開拓の前線基地(プレシディオ、要塞)を築いたサンフランシスコ(地図の北端)とモントレー(地図の南端)に駐屯するスペイン兵を養うには、最適の場所だと考えたからです。

1821年、メキシコはスペインから独立し、新世界の一国となりますが、カリフォルニアを始めとするアメリカ南西部は、メキシコ領のまま。

ですから、アメリカは自分の領土を西に広げようと、1846年、メキシコと戦争(the Mexican-American War)を始めるのです。

そうなんです。アメリカは「1783年のパリ条約」で正式にイギリスから独立を果たしたとはいえ、当時の領土は、大陸の右半分だけ。
 こちらの図は、現在の50州が州となった年代を表していますが、アメリカとメキシコの戦争が始まった頃は、赤とピンクの州だけが領土でした。(アメリカの国の成り立ちについては、「アメリカ合衆国? 合州国?」というお話で触れたことがあります)

メキシコとの戦争は、2年後の1848年に終結し、そのまた2年後に、カリフォルニアはアメリカの一州となるのですが、このとき、サンノゼが最初の州都(the California’s first State Capital)に選ばれました。だって、カリフォルニアで一番古い、由緒ある街ですもの!

けれども、街の真ん中を流れる「グアダルーペの聖母の川」が氾濫するので、州都はすぐにベニーシャ、ヴァレホ、そして現在のサクラメントと移されるのです。

が、川が氾濫するところは、肥沃な土地。

温暖な地中海性気候も手伝って、豊かな実りに恵まれた土地なのでした。


ちょうどカリフォルニアが州となる頃、1849年のゴールドラッシュを皮切りに、カリフォルニアにどっと人が集まるようになるのです。

まさに世界中が「金」に魅了され、北欧ノルウェーの文豪ヘンリク・イプセンも、戯曲『ペール・ギュント』の中でペールがカリフォルニアで金鉱を掘り当てたくだりを入れています。

やって来たのは「金鉱掘り」ばかりではなく、肥沃なサンノゼや周辺の谷間にも世界各地から人が入植し、19世紀後半は、ドイツやアイルランド、日本を始めとする移民の方々が、どんどん土地を開拓して農地としていきました。

日本は明治維新を迎えた頃で、それまで農業に携わっていた人々ばかりではなく、都市部の士族たちも新天地を求めて海を渡ったそうです。

もともと勤勉で、手先も器用な日系移民は、19世紀末から激しくなった有色人差別の中にありながらも、農場経営で成功を収めるようになりました。大きな果樹園や生花農園を経営する日系家族もたくさんいらっしゃいました。

が、第二次世界大戦で日本とアメリカが戦いの火ぶたを切ると、日系の方々は「敵国のスパイ」として、遠い砂漠の収容所に隔離されました。カリフォルニアだけではなく、アメリカ全土から連行されたのは、全部で12万人。そのうち3分の2はアメリカ国籍だったと言われています。(写真は、サンノゼ日本街にあるサンノゼ日系博物館に再現された収容所監視塔の模型。収容所を取り囲む有刺鉄線を乗り越えると、監視兵から狙撃される)

けれども、移住先のアメリカで幾多の難関を乗り切ってきた日系家族は、収容所をも「快適な住処」にしようとがんばるのです。

ユタ州トーパズの収容所を経験した日系おばあちゃんが、こんな風に語ってくれたことがありました。
 「わたしたちはサソリやコヨーテしか住まない砂漠に見捨てられたけれども、みんなでがんばって灌漑施設をつくり、草も育たない砂漠で作物を収穫するようになったの。それを遠くから見ていた先住民族の男性が、戦後に収容所跡を訪れたわたしたちに『砂漠に長く住む自分たちだって、まさか作物が育つとは思わなかった』と賛辞を贈ってくれたわ。わたしたちは、あの中でベストを尽くしたのよ(We made the best out of it」と。

作物を育て家畜を飼育するだけではなく、先生を募集して学校をつくり、医師や看護師、大工や料理人と各々のスキルを生かしてコミュニティーづくりにも力を注ぎました。
 働くばかりでは息が詰まりますので、週末には映画を鑑賞したり、ダンスパーティーを開いたりと、余暇にも工夫を凝らしました。(写真は、サンノゼ日系博物館に再現された収容所の部屋。ダンボールにタールを塗った壁からは、容赦なく砂が舞い込んだそうです)

ようやく収容所の生活にも慣れた頃、戦争が終わり、それぞれが自分たちの街に戻ることになりましたが、人手に渡ってしまった(ときには奪われた)我が家、我が農地を目の当たりにして、「これだったら、住み慣れた収容所に戻りたい!」と嘆いた方もいらっしゃったそうです。またゼロからの再スタートに、絶望感しか抱けなかったから。

そんなわけで、戦前はアメリカ全土に散らばっていた日本街(Japantown)も、現在は、アメリカ本土には3つしか残っていません(いずれもカリフォルニア州のサンノゼ、サンフランシスコ、ロスアンジェルス)。

ユタ州トーパズ収容所から北東240キロの街ソルトレイクシティーには、日系家族のお墓がいくつも残っていたのを鮮明に覚えていますが、街中には、日本的な要素は何も見当たりませんでした。収容所からユタの我が家に戻った方たちも、その多くはカリフォルニアに引っ越したようです。


と、そんな過去がありますので、サンノゼ空港が、正式には「ノーマンYミネタ・サンノゼ国際空港(Norman Y. Mineta San Jose International Airport)」と名付けられているのは、スゴいことだと思うのですよ。

えらく長い名前ですが、言うまでもなく、最初のノーマンYミネタというのは人名です。

日系2世のノーマン・ミネタさんは、今では有名な政治家ですが、生まれ故郷のサンノゼで政界キャリアがスタートし、1971年にサンノゼ市長になった、という輝かしい経歴があるのです。

それがなぜ「輝かしい」のかって、その頃は、大きな都市で白人じゃない市長が誕生することは、ほとんどあり得なかったし、アジア系市長としてはアメリカ初の快挙だったからです(ちなみに、今のサンフランシスコ市長は中国系のエド・リー市長ですが、彼がサンフランシスコ初のアジア系市長となったのは、40年後の2011年のことでした)。

地元サンノゼから国政に羽ばたいたミネタさんは、その後、アジア系としては「初入閣」を果たし、国の商務省長官、運輸省長官を歴任するのですが、それに誇りを感じたサンノゼ市は、自分たちが持つ空港を「ミネタ・サンノゼ国際空港」と名付けたのでした。

だって、サンノゼという街は、日系の方々とともに歩んできたと言っても過言ではありませんから。

でも、ご本人のミネタさんいわく「光栄なことではあるけれど、僕はまだ生きているよ!」(だって、有名な方が亡くなってから名前を使われるケースが多いでしょ?)

というわけで、ごく限られた視点からサンノゼの歴史を書いてみましたが、次回は、サンノゼから足を伸ばせる観光地のお話をいたしましょうか。

付記: サンノゼ(San Jose)の名前の表記は、好みの分かれるところだと思いますが、いちおう「サンノゼ」というのは英語風で、「サンホセ」というのはスペイン語風だと理解してもいいのではないでしょうか。
 アメリカ人は「サノゼー」と発音する人も多いですが、「サンホセー」とか「サンホゼー」と言う人もいますし、サンノゼ市自身も「City of San José」とスペイン語風に表記しています。

それから、蛇足ではありますが、カリフォルニアで2番目にできた集落は、南カリフォルニアのロスアンジェルス(Los Angeles)です。1781年、スペイン領メキシコから入植者11家族44人が移り住んだのが、街の成り立ちでした。

最初は、El Pueblo Sobre el Rio de Nuestra Señora la Reina de Los Angeles de Porciúncula(天使たちの女王である、われらが聖母のポルシウンクラ川の上にある村)と名付けられましたが、あまりにも長いので、いつの頃からかロスアンジェルスとなりました。ポルシウンクラ川は、今はロスアンジェルス川と呼ばれています。


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