Life in California
ライフ in カリフォルニア/歴史・習慣
Life in California ライフ in カリフォルニア
2006年03月10日

シリコンバレーってどこでしょう?

シリコンバレー(Silicon Valley)という言葉は、よく耳にされると思います。このサイトでも、「シリコンバレー在住のライター」などと、自己紹介もしております。

でも、このシリコンバレーとは、いったいどこにあるのでしょうか?

こういう地理的な興味をお持ちの方のために、ちょっとここでご説明しておきたいと思うのです。ちょっと長くなってしまいますが、歴史的なお話もいたしましょうか。


まず、大きなくくりからいくと、シリコンバレーは、「北カリフォルニア(Northern California)」にあります。

カリフォルニアは、サンフランシスコ・サンノゼを中心とする北カリフォルニアと、ロスアンジェルス・サンディエゴを中心とする南カリフォルニアに分かれるのですが、シリコンバレーは北の方に入ります。

ちなみに、北と南は、独立した方がいいくらい文化や考え方が違うのだ、と互いの居住者は思っているふしがあります。


そして、北カリフォルニアの中に、「ベイエリア(the Bay Area)」という所があるのですが、シリコンバレーは、このベイエリアの中にあります。

ベイ(湾)というのは、サンフランシスコ湾を指し、ベイエリアというのは、このサンフランシスコ湾に面した地域を指します。「サンフランシスコ・ベイエリア(the San Francisco Bay Area)」といった言い方をする場合もありますね。
(写真の地図の真ん中が、サンフランシスコ湾です。ちなみに、1950年代の高度成長の時期、このサンフランシスコ湾を埋め立てようじゃないかという、とんでもない、どでかい案が浮上したそうです!)

厳密に言うと、ベイエリアは、サンフランシスコ湾に面した9つの郡(county)のことです。
 たとえば、サンフランシスコ市のあるサンフランシスコ郡(the County of San Francisco)、サンノゼ市のあるサンタクララ郡(the County of Santa Clara)、そして、サンフランシスコからベイブリッジを渡った東の対岸、オークランド市やバークレー市のあるアラメダ郡(the County of Alameda)などです。(おもしろいことに、サンフランシスコ市は、自分だけでサンフランシスコ郡を形成しているのです。)

近頃は、人口分布も広がりつつあるので、サンタクルーズ郡(the County of Santa Cruz)もベイエリアに入れることもあるようです。いつかエッセイの中でお話しましたが、サンタクルーズは、サーフィンのメッカとして知られる所ですね。

そして、シリコンバレーというのは、ベイエリアの中の「サンタクララ郡」とほぼ一致していると考えていいと思います(地図の写真の中では、右下の黄色い広がりの部分になります)。

こういう言い方をしているのは、実は、「シリコンバレー」という名前は、地図上には存在しないからなのです。まあ、ニックネームみたいなものなのですね。


ほぼシリコンバレーと考えてもいいサンタクララ郡とは、サンフランシスコの南に広がる、「サンタクララバレー(the Santa Clara Valley)」という盆地にあります。
 西にサンタクルーズ山脈、東にディアブロ山脈をひかえる盆地です。

盆地と言ってもかなり広いので、実際この中にいると、東と西を山脈に囲まれている感覚は、ほとんどありません。

昔を振り返ってみますと、このサンタクララバレーには、紀元前8000年の頃から、「オローニ・インディアン(the Ohlone Indians)」と呼ばれる部族が住んでいました。
 このあたりの盆地は、太平洋岸の海沿いと違って穏やかな気候だし、木の実や植物、小動物といった食べ物も豊富で、きっと住みやすかったのでしょうね。

残念ながら、今は、オローニ・インディアンの部族は残っていません。代わりに、彼らの生活を伝える石器などが残されています。
 写真は、我が家の近所で出土されたオローニ・インディアンの石器です。
 上の写真は、堆積岩のチャートでできた石器で、大きいものはナイフに、小さいものは矢尻(arrowhead)として使われました。

下の写真は、石でできたすり鉢(mortar)とすりこぎ(pestle)で、主食のどんぐりを粉にする道具です。カリフォルニアの多くのインディアン部族は、どんぐりを主食としていたのですね。


先住民族に代わって外からやって来たのは、スペイン人です。17世紀、18世紀頃、スペインは、メキシコを中心に新世界開拓をやっていたので、多くのスペイン人がメキシコ経由でカリフォルニアにやって来ました。

サンタクララバレーという名は、ジュニペロ・セラというフランシスコ会(カトリックの一派)の神父が付けたものです。セラ神父は、1777年、ここに初めての教会を建てました。

そして、同年、サンノゼにプエブロ(スペイン語で「村」の意味の居住区)が置かれ、人々が集まるようになりました。
 この頃は、メキシコから来たスペイン系の人や、先住のインディアン、そしてインディアンと白人の混血で村が構成されていたようです。

1825年以降、このあたりは正式にメキシコの一部と認識されています(その頃、メキシコは、既にスペインから独立した国ではあったのですが、それにしても、カリフォルニアがメキシコの領土だった時代があるんですね!)。


その後、カリフォルニアには、アメリカ本土からの移民も入るようになり、サンタクララバレーも、次第に「アメリカ化」されていきました。

1846年、アメリカとメキシコの戦争も勃発し、1850年、ついにカリフォルニアもアメリカの一部(州)となったのでした。

そして、時を同じくする1848年、カリフォルニアとネヴァダ州の境にあるシエラ・ネヴァダ山脈で金鉱が発見され、カリフォルニアは一夜にして様変わりしてしまいました。アメリカ本土や世界各地から、一気に人が流入するようになったのですね。

それ以降、金の影響(ゴールドラッシュ)で、サンフランシスコやサンノゼの街も、大きく賑わうようになったのです。


というわけで、「シリコンバレー」ともいえるサンタクララバレーには、歴史のある街がたくさんあるのです。

筆頭は、1849年、カリフォルニア最初の州都となったサンノゼ(San Jose)でしょうか。サンノゼは、ロスアンジェルスに先駆け、州内で初めてプエブロ(村)が置かれた所なので、歴史という点では、どこにも引けを取らないのですね。

今となっては、サンノゼは「シリコンバレーの首都(The Capital of Silicon Valley)」とも呼ばれています。
 北カリフォルニアで一番面積が広い都市だし、人口が一番多い街でもあるのですね。
(市の人口は90万人ちょっとなのですが、昨年、ミシガン州デトロイトを追い抜いて、アメリカで10番目に大きい都市となりました。ちなみに、ご近所さんのサンフランシスコは、14番目です)。

サンタクララバレーには、サンノゼの他に、たとえばこんな街があります。

アイルランド系移民によって築かれ、果樹園や鉄道で栄えたサニーヴェイル(Sunnyvale)。(写真は、すっかり住宅地と化したサニーヴェイルに残される、さくらんぼの果樹園)

そして、昔は馬の飼育で名を馳せ、現在は、優秀な公立学校制度のおかげで、アジア系住民が好んで住むようになったクーパティーノ(Cupertino)。
 あの有名なコンピュータ会社アップル(Apple)の本社があることでも知られています。

それから、セコイア(スギ科の巨木)に囲まれた立地で木材業に端を発し、19世紀後半には温泉、20世紀に入ってからはワインで有名となった、おしゃれな街・サラトガ(Saratoga)。
 今でも、ここには緑に囲まれた大きな屋敷が建ち並び、ロスガトス(Los Gatos)などと並んで高級住宅街のひとつとも言われています。

サンタクララバレーに広がるサンタクララ郡には、全部で15の市があるのですが、いずれも個性豊かな、歴史のある街なのです。

昔は、こういったサンタクララの谷間を総称して、「喜びの谷(the Valley of Heart’s Delight)」とも呼ばれていたようです。心が喜びに満ちあふれるような、農作物に恵まれた、豊かな場所という意味だそうです。


そして、今広く使われている「シリコンバレー」という名前は、「シリコン」、つまりコンピュータの集積回路に使われる半導体の材料から来ているのですね。半導体関連の会社が集まっているので、「シリコン」の「バレー(谷)」と呼ばれるようになったのです。
 なんでも、この言葉は、1971年にテクノロジー雑誌で使われたのが最初なのだそうです。

一般的に、テクノロジー産業の発祥の地とされるのは、1939年にヒューレット・パッカード(Hewlett-Packard)が設立された、パロアルト(Palo Alto)という街です。
 名門私立のスタンフォード大学に隣接し、人材も豊富だったのです。産学の相乗効果が、発展のいぶきとなったのですね(写真は、スタンフォード大学構内です)。

そして、戦後まもなく、ニューヨーク州のIBMがサンノゼに研究所と工場を建てたのをきっかけに、この「喜びの谷」にも、ハイテクの会社がどっと殺到するようになりました。

厳密にはサンタクララ郡には含まれませんが、パロアルトの北に面するメンロパーク(Menlo Park)も、シリコンバレーの成長には欠かせない、大事な街となりました。この街は、スタートアップ(起業したばかりの小さな会社)を支えるベンチャーキャピタルがいっぱい集まる所なのです。
 新しいアイデアのある人にとって、ここは、アイデアをビジネスに展開するチャンスの場となるのですね。

こういうハイテク産業の発展に関しては、また後日、詳しく書く機会もあると思いますので、ここでは、これくらいにいたしましょう。

今回は、サンタクララバレーに広がるサンタクララ郡の歴史を、ほんのちょっとだけ紐解いてみました。

追記:ちょっとお断りですが、スペイン人がカリフォルニアに到来した頃の、いわゆる「ミッション時代」の記述箇所で使われている写真は、サンラクララバレーのものではありません。
 教会風のミッションは、カリフォルニア中部サンミゲル(San Miguel)のもので、プエブロ風の建物は、南部のサンタバーバラ(Santa Barbara)のものです。

ちなみに、「ミッション時代(the Mission Era)」というのは、スペインがメキシコやアメリカの新大陸に進出しようとした時代に、カトリック教会を建てながら先住民族を「西洋化」していったというニュアンスがあります。

それから、以前、カリフォルニアの昔を振り返って、怪談をいくつか集めて書いたことがあります。シリコンバレーのサニーヴェイルも登場しています。興味のある方は、こちらへどうぞ。


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