Essay エッセイ
2013年10月20日

ミゼリコルディアの坂

ミゼリコルディア(misericordia)というのは、ラテン語で「慈悲」という意味だそうです。

慈悲と聞いても、あまりピンとくる響きではありませんが、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語では普通に使われている言葉のようです。

そして、ミゼリコルディアというのは、13世紀にイタリア・フィレンツェで生まれた、身分を超えた市民の援助組織の名前であり、その根本精神でもあるようです。

まあ、ボランティアの原点とでもいいましょうか、隣近所の人たちを家族みたいに大切に思う精神のことです。

家族だったら、痛みや喜びを分かち合いたいと思うはずですから、同じ気持ちでコミュニティーの人々にも接しましょうと、そんな感じではないでしょうか。

なんでも、イタリアでは、今でもボランティア組織「ミゼリコルディア」が精力的に活動していて、医師や看護師の救急派遣や、高齢者や体の不自由な人々のサポートと、幅広い分野で活躍しているそうです。

それで、どうして薮から棒にミゼリコルディアのお話をしているかというと、心の中に「ミゼリコルディアの坂」という響きが残っているから。


正式には「大音寺坂」というそうですが、このミゼリコルディアの坂には、もともと援助施設が建っていました。

時は、安土桃山時代。前年に本能寺で織田信長が命を落とし、天下統一を夢見る豊臣秀吉が大坂城を築いたという、1583年(天正11年)。

場所は、大坂城から遠く西に離れた、長崎。

今の万才町(まんざいまち、昔の本博多町・もとはかたまち)の坂には、堺出身の日本人キリシタン、ジュスティーノ山田・ジェスタ夫妻によって「ミゼリコルディアの組」が設立され、サン・ラザロ病院と孤児・老人施設が建てられました。

ここには聖堂も隣接し、近隣の人々の信仰の対象ともなっていました。

病院や施設は、ミゼリコルディアの組が運営していたので、地元では「慈悲屋」として親しまれたそうです。

「ミゼリコルディア」とは、当時の方々にとっては舌がまわらなかったのでしょうけれど、それを「慈悲屋」と名づけるなんて、なんともオシャレなネーミングなのです。

当時は、慈悲屋のそばには長崎奉行所もあったりして、街の中心地だったと思うのです。
 それでも、近隣には、生活に困窮する方々もたくさんいらっしゃったことでしょう。

そんな中にできた慈悲屋は、庶民にとって、ありがたい存在だったのだろうと想像するのです。


ところが、4年後の1587年(天正15年)、秀吉は『バテレン追放令』なるものを発布し、キリスト教の布教を禁ずるのです。

そのため、ミゼリコルディアの坂に建つ聖堂も破壊されてしまいます。

が、さすがに、慈悲屋を壊すのは忍びなかったのでしょう。聖堂が壊されたあとも、近隣住民の援助組織として立派に機能していました。

けれども、安土桃山から江戸と時代が移ると、徳川家康は、キリスト教に対してもっと強硬な政策をとります。1612年、翌13年と禁教令を発布し、全国で布教を禁ずるばかりではなく、神父や信徒を国外追放するのです。

長崎のミゼリコルディアの聖堂跡地には、1617年(元和3年)、大音寺(だいおんじ)というお寺が創建されます。

そして、2年後、ついに慈悲屋も壊されてしまいます。

現在「ミゼリコルディア本部跡」の碑のある坂が「大音寺坂」と呼ばれるのは、ここに大音寺が創建されたからだそうです。

立派な石段となった坂は、誰かが江戸時代の装束で歩いていても何の違和感もないような、趣のあるたたずまいになっています。


今となっては、大音寺さんは寺町界隈に移り、その跡地に建立された坂の上天満宮も長崎地方法務局(写真:石垣の上の建物)となって久しいようです。
 でも、やっぱりこの坂は「大音寺坂」や「天満坂」として親しまれているそうです。

それで、心に残っていたというのは、この「大音寺」という響き。

ミゼリコルディアの坂に創建されたという、由緒あるお寺。

このお寺が、ある人にご縁のあるお寺だと耳にしたから。

神奈川で生まれ、港のある横浜をこよなく愛する友でしたが、ここが先祖代々の菩提寺だそうです。

友はここには眠ってはいませんが、もしかすると、ご先祖は長崎の名士だったのかなと、いろいろと考えを巡らせていたのでした。

だって、江戸時代初めに創建された名刹です。ここが菩提寺ということは、昔から街の中心地に暮らした名家だったのかもしれません。

もしかすると、付近の長崎奉行所の役人だったのか、はたまたミゼリコルディアの坂から移った先(鍛冶屋町・かじやまち)で、手広く商売を営んでいたのか・・・。

今となっては友に尋ねることもできませんが、ミゼリコルディアの坂を訪れ、趣のある石段を歩いてみると、自然と想像がふくらむのでした。


長崎から遠く離れた東京の芝大門(しばだいもん)に、うどん屋さんがありました。

友が大好きだった讃岐うどんのお店で、わたしも連れて行ってもらったことがありますが、今年初めに前を通ると、すっかり取り壊されているんです。

地下鉄・大門駅の入口で、交差点の角という便利な場所にある老舗でしたが、やっぱり時代の流れには勝てないのかなぁ、友と縁のある場所がどんどん消えていくなぁ、と悲しい気分になっていました。

ところが、ネットで探してみると、昨年10月に閉店したあと、今春六本木でお店を再開したとあるではありませんか!

なんとなく、友とつながる糸が断ち切られたあと、またつながったような気がしたのでした。

参考文献: 歴史的な記述に関しては、さまざまなウェブサイトを参照させていただきました。おもなものを以下に列記いたします。

イタリアのボランティア組織ミゼリコルディアについて:バチカン放送局ウェブサイト、バチカンニュース「教皇、イタリアのミゼリコルディア会員らとお会いに(2007年2月10日付)」

長崎のミゼリコルディアの組について:カトリック長崎大司教区ウェブサイト、故・結城了悟神父「教区の歴史・長崎の教会」

「慈悲屋」について:聖パウロ女子修道会ウェブサイト『ラウダーテ』、「キリシタンゆかりの地をたずねて・ミゼリコルディア本部跡」

「大音寺坂」「天満坂」について:ブログサイト『長崎んことばかたらんば』、「大音寺坂・天満坂(2008年5月13日付)」


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