Essay エッセイ
2013年05月04日

時の流れ~サンフランシスコの場合

先月は、ボストンマラソンで連続爆破の悲劇が起こりましたが、わずか数日のうちに犯人が拘束され、アメリカ全土がほっと胸をなでおろしたことでした。

命を落とされたり被害に遭われた方々、勇敢に助けに向かった方々、そして犯人拘束に尽力した捜査関係者にみんなが思いを馳せ、心を痛めたり、大いに励まされたりと、いろんな感情の起伏を体験した一週間ではありました。

そして、その同じ週、はるか遠いサンフランシスコでは、サンフランシスコ大地震から107周年を迎えておりました。

以前も何回かご紹介したことがありますが、1906年4月18日未明、サンフランシスコの西の海底で起こったマグニチュード7.9の大地震が、ゴールドラッシュで栄えた街を突然襲ったのです。

毎年、この日になると記念式典が開かれるのですが、今年は連続爆破事件のおかげで、どちらかというと影の薄い記念日となりました。が、例年通り、地震が起きた早朝5時12分には、市内で式典が開かれました。

けれども、今年の式典は、いつもとちょっと違っていたのでした。

ひとつに、式典が開かれた場所。

例年、式典は、目抜き通りマーケットストリートの「ロッタの噴水(Lotta’s Fountain)」の前で開かれます。
 「ロッタの噴水」というのは、1875年に街の中心地に建てられた、小さいながらも美しい噴水ですが、1906年の大地震の直後は、市民の集合場所や家族の安否を記したメモ書きの「掲示板」として使われていたのです。

でも、今年は、噴水の前に怪しい荷物が置いてあったので、急遽べつの場所に移されたのでした。

ボストンマラソン爆破事件の直後ですので、みなさん神経がピリピリしていて、どんな「怪しい荷物」も見逃すことなく、急いで式典を近くのユニオンスクウェアに移したのでした。

でも、何のことはない、洋服の詰まったただのスーツケースだったみたいで、関係者はほっと胸をなでおろしたのでした。

急遽、式典会場となったユニオンスクウェア自体も、地震のあと、市民のための食べ物の配給所のひとつとなったそうなので、式典には最適の場所だったことは確かですね。

地震のあと何ヶ月間も、ゴールデンゲート公園や軍隊の駐屯地プレシディオといった広い場所には、市民を住まわせるテントがずらっと並んでいたのでした。


そして、もうひとつ、今年の式典がいつもと違っていたのは、生存者がひとりも出席されなかったことです。

4年前にもお伝えしたことがありますが、その年の103年祭の直前には、生存者として有名だったハーバート・ハムロールさんが亡くなったので、もう誰も生存者はいらっしゃらないと危惧されていました。
 でも、偶然にも生存者がふたりも「発見」されて、おふたり(106歳のローズさんと103歳のビルさん)は仲良く式典に出席されたのでした。

おふたりは初対面だったので、前夜祭のディナーでは、それこそ「ブラインドデート」となったのでした(上の写真の方がビルさんで、こちらの写真でローズさんの右側にいらっしゃるのは、ローズさんの息子さんです)。

それから4年、生存者は少なくとも3名はいらっしゃるということですが、今年の式典にはどなたも出席されなかったのでした。

残念ながら、ローズさんは、昨年2月に109歳で亡くなられましたが、107歳となったビルさんは健在でいらっしゃいます。でも、朝5時の式典に間に合うように起きるのは辛い・・・という理由で、今年は出席されなかったみたいです。

このビルさんのほかには、ウィニーさんとルースさんという女性の生存者がいらっしゃるそうです。ウィニーさん(107歳でビルさんと同い年)は、昨年の式典に生まれて初めて出席されていて、ルースさん(112歳)は、今年の前夜祭ディナーには元気に出席されたそうです!


ちょっとした有名人のローズさんが亡くなられたのは残念なことではありますが、「うちの家系には、長生きの血が流れているんだよね」と、もうすぐ80歳になる甥のハーマンさんはおっしゃいます。

ローズさんも健康にはとても気をつけていらっしゃったそうで、「一日一個のりんごan apple a day)」を欠かさなかったとか(「一日一個のりんごは医者いらず(An apple a day keeps the doctor away)」と言われていますよね)。

3歳半で大地震に遭い、家族みんなでバーナルハイツの頂上に登って、街が火災で焼かれるのを目の当たりにしたローズさんですが、そんな彼女は、生前こんなことをおっしゃっていたそうです。

サンフランシスコの街は地震で大打撃だったけれど、復興を果たしたあとは、どんどん下り坂(downhill)だったわ。いろんなことが変わってしまって、それは決して良い方にではなく、悪い方に変わったのよと。

今となっては、具体的にどのようなことをさしていらっしゃったのかはわかりませんが、もしかするとローズさんは、あまりに激しい街の変化に警鐘を鳴らされていたのかもしれませんね。

わたし自身にも、33年前に初めてサンフランシスコに住んだ「歴史」があるのですが、それから今を比べると、街は小ぎれいになったものだと感心しているのですよ。

昔は、ダウンタウンのミッションストリートは「悪の巣窟」みたいなイメージがあって、近づかない方がいいと言われていましたが、今は、緑の芝生の美しい公園や近代美術館、コンベンションセンターができたりして、「SOMA(サウス・オヴ・マーケット、略称ソウマ)」とか「Yerba Buena(イェルバ・ブエナ)」と呼ばれるオシャレな地区に変身しています。

そんなわけで、1850年代のゴールドラッシュ以来、この街にはたえず新しい人が集まって来て、街をいいものにしようとする「熱意」に燃えていた場所ではありますが、一世紀を生き抜かれたローズさんにとっては、地震前の古き良き時代が懐かしく感じられたようですね。

「三つ子の魂百まで」ということわざがありますが、ローズさんの街を想う感覚は、三歳児の頃には、すでにできあがっていたということなのでしょうか。

追記: 冒頭の写真は、カリフォルニア大学バークレー校・地震研究所に保存されている、地震直後のサンフランシスコ市庁舎の写真です。
 また、ローズさんにつきましては、地元テレビ局KGO-ABC7ニュースとKTVUチャンネル2の報道を参照いたしました。


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