Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2019年11月23日

「AI」の今後:ロボットがあなたを評価する

Vol. 230



近頃なにかと話題の人工知能。アメリカではどんな分野で使われているのか、ひとつの例をご紹介いたしましょう。



<第1話パート1:ロボットが面接官!?>

先日、ワシントンポスト紙の記事に驚いたのでした。近年、人工知能(Artificial Intelligence, AI)がどんどん実用化され、企業が従業員を採用する際に、人間の代わりに面接官を務めている、とのこと。

ワシントンポスト紙が紹介していたのは、HireVue(ハイアーヴュー)という会社の AIシステム。この手の AI採用システムの代表格で、顧客はすでに100社を超えるとか。ホテルチェーンのヒルトン(Hilton)や洗剤など家庭用品で知られるユニリーバ(Unilever)と、そうそうたる企業名が続きます。

AIシステムが担当するのは、最初のスクリーニングの段階。ヒルトンやユニリーバといった大企業には、ひとつの求人に対して就職希望者が殺到するわけですが、AIシステムの判断で候補者をぐんと絞り込み、次の段階、つまり人との面接へと送り込むのです。

これまで約100万人が HireVueのリクルートシステムと「対面」したそうですが、どちらかというと、新卒や、働き始めて間もない「駆け出し」の応募者の絞り込みに使われる場合が多いようです。企業にとっても、今まで数週間かかっていた絞り込み作業が数日で終わる、といった利点があるのです。



この AI面接では、応募者は自宅のパソコンカメラかスマートフォンカメラに向かい、システム画面が提示する数個の質問に対して、ひとつずつ答えていきます。もちろん、人によって答えの長さは違いますが、だいたい30分ほどで終了するとのこと。

質問内容は、各企業や分野によって異なりますが、事前に企業で働く複数の従業員が模擬AI面接をして、彼らの答えと過去の職務評価を比較し、採用の基準をモデル化しておきます。



実際のAI面接では、システムが判断するのは答えの内容だけではありません。表情はこわばっていなかったか、ちゃんとカメラ目線だったか、ハキハキとした声でなめらかに答えていたか、自信に満ちていたかと、人の表情や声色の細かいニュアンスまで判断していきます。

システムが判断材料とする解析データは50万にも及ぶそうですが、顔の表情(画像)から得点の3割を、音声から7割を叩き出すとか。なんでもない仕草や声のトーンにも、システムは「仕事に対する熱意」とか「性格的属性」「将来どれほど成功する可能性があるか」を占う判断材料を見出してしまうのです。



こういった面接マシーンの普及にともない、「どうすれば AIシステムに気に入られるか?」といったテーマで、学生に対して就職活動セミナーを開催する大学も出ているとか。



もちろん、こういった AIシステムの利用には反対意見も多いようです。たとえば、英語がネイティブでない人は、うまく自己アピールができないこともあるし、性格的にシャイな人は緊張してしまって、本来の自分を発揮できない。

また、システムがどんなアルゴリズムを使って人間を判断しているのか明示されていないので、応募者が平等に判断されているのか保証の限りではないし、そもそも AIシステムを使った面接が科学的根拠に基づいているのかも疑問である、といった反論もあります。



ユタ州に本社を置く HireVueは、もともとは遠隔地をつなぐビデオ面接ソフトウェアを売っていた会社。2014年に「AI面接」機能を追加して大企業にも採用されるようになったものの、その中身は秘密のヴェールに包まれます。

ですから自然と反発も生まれるわけですが、単に笑顔を絶やさなかったとか、声の通りが良いとか、難しそうな言葉を駆使したとか、そんなことで判断されては、就職希望者にとってはたまらないのです。



わたし自身はワシントンポスト紙の記事を読んでいて、こんな「はてなマーク」が浮かびました。それは、企業が理想とする属性モデルや成功の指標に沿った人間だけを選ぶと、個性とか組織とは異なるユニークな視点が失われ、従業員がみんな似かよった、それこそロボットみたいな集団になるのではないか? ということ。

この点については、同意見の方が記事で紹介されていて、マイクロソフトのモントリオールの研究所でAIと人の表情を研究するルーク・スターク氏は、あくまでも私見としてこう述べています。

今のベストのAIであっても、たびたび人の表情を間違って読み取ることは広く知られている。しかも、機械は、不確かな内容であっても説得力のある数値で示してみせることが得意。たとえAIが出す面接評価が正しかったとしても、現在勤めている従業員の模擬面接と職務評価を判断基準とすることによって、まるで計算で割り出されたような「単一」の企業文化が生まれるのではないか、と。

(”A face-scanning algorithm increasingly decides whether you deserve the job: HireVue claims it uses artificial intelligence to decide who’s best for a job. Outside experts call it ‘profoundly disturbing’”, by Drew Harwell, November 6, 2019, The Washington Post)



まさに、わたしの言いたかったことをうまく代弁なさっていらっしゃいますが、もしかしたら、本来は企業にとって必要な人材であるにもかかわらず、マシーンの判断で「切り捨てられて」いるのかもしれない、といった恐れはぬぐいきれないでしょう(まあ、この点については、人間の面接官であっても同じ危険性があることは否めませんが・・・)。



<パート2:シリコンバレーでも!?>

実は、この話を親友にしたら、いまどきこういった AI面接官は珍しくないんだとか。彼女の話によると、シリコンバレーの企業がエンジニアを採用する際にも、最初のスクリーニングは、AIシステムが務める場合が多いそうです。

たとえば、「仕事に対する熱意」を判断する漠然とした質問もあるそうですが、具体的なエンジニアリング分野の課題を出して、どれくらい適切な解決策をどれくらい短時間で成し遂げるかを判断する、といった専門性の高い質問もあるそうです。

いずれにしても、最初の AIシステムの面接を2、3段階クリアしなければ、オフィスで待つ人間の面接官には到達できないとか。

そして、実際に人との面接に漕ぎ着けたとしても、これも一回きりでは終わりません。希望者が働くことになる部門、関連部門、人事部門などと、2、3段階のハードルをクリアしなければ結論が出ないのです。

ということは、平均的には数段階のハードルを超えて初めて採用が決まるということで、ひと昔前と比べると、ひどく厳しくなっている印象を受けるのです。わたし自身は、シリコンバレーで最後に面接を経験して長い時間が経っていますが、数人と面接しなければならかったものの、少なくとも一日で終わりました。

これが、会社の経営に携わるエグゼクティブともなると、さらに二日、三日と面接が続くわけですが、いまどきのジョブハンティング(求職)は、エグゼクティブでなくとも一日では終わらない、ということなんでしょう。



親友は、夏に仕事を辞めて、間もなくジョブハンティングに乗り出そうかというところ。「企業のウェブサイトの求人欄を覗いてみても、自分が当てはまりそうな職種には、10人、20人と希望者が殺到していて、なんだか難しそう」と言います。

そして、学校で学んだ内容も仕事ですべて使っていたわけではないので、忘れている部分もあるし、もっと新しい技術も出ているので、基礎から学ばなきゃならないこともある。だから、新旧両方をリフレッシュして就職活動に臨まなければならないのよ、と厳しい表情。

彼女のような優秀なベテランエンジニアは、ここ何年も、面接どころか履歴書を書いたこともない。ですから今は、就職コンサルタントの「面接の対応術」や「履歴書の書き方」「(プロフェッショナルのためのソーシャルサイト)LinkedInの自己紹介法」といったクラスに参加しているとのこと。

そう、面接に漕ぎ着く前に、履歴書を判断するのも AIでしょう。ですから、マシーンが好むような書き方を習得する必要がありますし、採用企業は LinkedInなどのソーシャルメディアでの自己アピールもチェックするでしょうから、「よりプロフェッショナルな自己」を発現しなければなりません。



そんなわけで、どんどん社会に溶け込む AI。もちろん、AI面接システムを駆使する企業側は、自分たちがどんな人材を求めているのか熟知しているはずですが、人間がロボットの「ふるいにかけられる」なんて、なんとも世知辛い世の中になったもんだと、昔かたぎのわたしは、ため息をつくのです。



<第2話:大学同窓生も面接官!?>

先日、友人とランチをしていて驚いたことがありました。彼女は、久方ぶりにカレッジリング(卒業大学の指輪)をつけていて、「わたしが今これをしている理由はね、母校のお手伝いをしているからなの」と語り始めます。

なんでも、彼女の母校であるマサチューセッツ工科大学(通称 MIT)には、卒業生が入学志願者を面接する制度があって、娘が MITに進学して手がかからなくなった今、自分もボランティアで面接制度に参加することにしたんだとか。

こういう制度を、「Alumni Interview(卒業生による面接)」と呼ぶそうですが、調べてみると、MITだけではなく、多くの有名私立大学でやっているようなのです。



わたし自身が大学と大学院で通っていたカリフォルニアとフロリダの州立大学には、そんな制度はありませんでした。ですから、これは公立大学と私立大学の差なのか、それとも、昔と今の違いなのかと疑問に思っていると、私立大学では、昔から行われていた慣習とのこと。

たとえば首都ワシントンD.C.のジョージタウン、ニューヨークのコロンビア、ニューハンプシャーのダートマスと、有名私立大学の多くが、伝統的にこの制度を採用しているようです。公立大学がこれを採用しないのは、毎年願書を提出する入学希望者が多く、ひとりひとりへの面談は実質的に困難だから。



彼女の話によると、これまでエンジニアリング部門の入学志願者4、5人を面接したそうですが、だいたい1時間かけてみっちりと面接したあと、どんな印象を持ったかを1ページのリポートにまとめて大学の入学担当者に送るそうです。

あとで彼女には実際の質問をすべて列記してもらいましたが、20を超える質問の中には、「どうして MITに行きたいの?」「高校の好きな面、嫌いな面は?好きな(嫌いな)科目は?」「どの課外活動が一番好き?」といった、誰もが尋ねそうなものもあります。

けれども、中には「失敗したら、どう対処する?(How do you deal with failure?)」「お金と時間に制限がなかったら、何をしたい?(What to do with unlimited funds and time?)」、「完璧な一日ってどんなもの?(Describe a perfect day)」と内面を問うものや、「あなたの理想とする仕事は?(What’s your dream job?)」「世界の問題の中で何を解決したい?(What world problem would you like to solve?)」と、高校生にはちょっと難しい質問もありました。

「10年後には何をしていると思う?(What do you envision doing in ten years?)」に至っては、大人に聞いても、しっかりした答えが返ってくるのか疑問な類にも思えます。たとえ相手が高校生であろうと、面接とは実に厳しいハードルなのです。



まあ、MITに入りたいと願うくらいですから、みなさん優秀な方ばかりなのでしょう。彼女が面接した方々には、おおむね肯定的な評価を下したそうです。

が、その中にひとりだけ「ダメ出し」をした男の子がいたとか。彼もエンジニアリング学部(工学部)を希望しているそうですが、とにかく「自身過剰(overconfidence)」が際立ったとのこと。

「彼は、農業地帯の高校に通っているから、地元では天才なのよ。でも、そんな人は都会にはたくさんいるわ。たとえ MITに入れたとしても、あんな風だったら、勉学のプレッシャーに負けてしまうわよ」と、辛口の彼女は酷評します。

「しかも、まだ18歳なのに、大人顔負けの車のセールスマンみたいに、ベラベラと自信たっぷりにしゃべるのよ。あんな性格だったら、学業では成功しないわ」と、酷評は続きます。



いえ、彼女が「ダメ出し」したところで、他の同窓生面接官は「褒めそやした」かもしれません。そして、最終的に志願者に入学許可を与えるのは大学側です。SAT やACTなどの全国統一テストのスコア、高校の成績や課外活動を記した入学願書(application)、学校を選んだ理由を説くエッセイなど、判断材料はたくさんあります。ときには、志願者の人種・民族や家族の社会経済的な環境も判断を左右する材料となるでしょう。

ですから、同窓生としての彼女の判断は、氷山の一角と言うべきものかもしれません。

けれども、少なからず母校に誇りを持ち、さまざまな分野で活躍する卒業生が母校を熱望する若者を面接する制度は、なかなか良いのではないかと思った次第です。

とくにアメリカは広大ですから、東海岸の学校は西海岸の志願者を面接するのは難しい。ここで近隣の同窓生たちが面接官となり、責任を持って「わが母校にふさわしい者か?」を判断する。これは、紙面だけではわからないことを複数の人の目で判断することであり、なかなか合理的で、民主的な制度のように感じます。



友人も明言していましたが、この面接制度に参加する卒業生は、何の報酬も受けていません。それでは、どうして大事な時間を割いてまでこれに参加するのかといえば、それは、ひとえに「自分を育ててくれた母校に恩返し(give back)をしたい」という思いがあるからでしょう。その過程で、希望に満ちあふれる若者に出会い、自分もまた刺激を受ける、といった喜ばしい副産物もあるようです。

わたし自身も、例年出身校には寄付をしていますが、母校に寄与できるのは、なにも金銭だけではなく、こういった無形の貢献もあるのだなと、遅まきながら実感しました。



そして、こんな制度が日本にあれば、「紙の上」だけで行われる入試制度の助けになるのかもしれない、とも思ったのでした。



夏来 潤(なつき じゅん)

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