ラジオでは語れなかった新製品: マイクロソフトのタブレット

Vol. 159

ラジオでは語れなかった新製品: マイクロソフトのタブレット

そうなんです、先月に引き続き、またラジオ番組に出演いたしました。

そんなわけで、今月は、番組でざっくりとご紹介したアメリカのタブレットの動向や、残念ながらご紹介できなかったマイクロソフトの新製品、そして、マイクロソフトとアップルのアプローチの違いと、タブレット界のお話をいたしましょう。

<アメリカのタブレット進化論>


JFN Flowers Radio.png

10月中旬に出演したラジオ番組は、JFN系列の『Flowers(フラワーズ)』という午後の番組。
先月のFM東京『Blue Ocean(ブルーオーシャン)』と同様に、こちらも女性をターゲットとした番組です。

世界各地のリポーターにインタビューをする「World Flowers Network(ワールド・フラワーズネットワーク)」は、日本時間では午後4時の枠。
シリコンバレーは前日の真夜中で、日本から戻ったばかりの時差ボケの中、眠い目をこすりながらの電話インタビューとなりました。

話題は、ずばりタブレット。2010年4月にアップル「iPad(アイパッド)」が発売されて以来、タブレットはどこでも持ち歩ける小型コンピュータとして、大人気のフォームファクタ(形状)。
 


Apple San Jose event 102312 iPad mini.png

翌週10月23日には、いよいよアップルが「iPad mini(アイパッド・ミニ)」を発表するぞ! と噂され、先月の「iPhone 5(アイフォーン5)」発売に引き続き、またまたアップルフィーバー到来の兆しです。
タブレットの話題を取り上げるには、絶好のタイミングです。
(写真は、23日のアップル・イベントの招待状。「We’ve got a little more to show you(もうちょっとお見せするものがあるんです)」の「little(小さい)」という言葉は、小さい「ミニ」を指しているに違いない!と、みんなで大騒ぎ)

というわけで、ラジオ出演を控えて、わたしなりに、タブレットの進化について考えてみました。
 


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日本とは対照的に、アメリカでは、アップルiPadがお目見えする前に、オンラインショップ・アマゾン(Amazon.com)の「Kindle(キンドル)」が広く市民権を得ていました。
これは、いわゆる「電子書籍(e-book、e-reader)」と呼ばれるもので、白黒画面の「本を読む」ことに特化した製品でした。

「イーインク(e-ink)」と呼ばれる表示技術を使い、黒の濃淡でイラストも表示されるし、太陽光の下でも文字が読みやすいし、おまけに1000冊くらいの本をいつも携帯できると、人気商品となりました。
AT&Tの携帯ネットワークにも(無料で)つながるので、公園のベンチや駅の待合室と、思いついたらサクッと本が買えるところも受けました。

もともとアメリカ人は、パソコンなどの機械に慣れている人が多いので、あまり抵抗なく、電子書籍が広まった背景もあります。

そして、隠れた理由としては、何を読んでいるのかバレにくいということも。
そう、アメリカでは、日本のように本にカバーをかける習慣がないので、何を読んでいるのかすぐにバレてしまうのですが、電子書籍だったら、画面を覗き込まない限り、人にはわからないでしょう。
「これで、あのセクシー度満点のベストセラー(たとえば『Fifty Shades of Grey』三部作)を読んでいても、ぜんぜん恥ずかしくないわぁ」と、女性読者の電子書籍好きがクローズアップされたりもしています。
 


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そんな風に、人気バツグンの電子書籍。ところが、2年半前、アップルがiPadを売り出すと、ガラリと様相が変わってくるのです。

だって、あれほど美しいカラー画面で、きれいな色を再現できるとなると、白黒画面は見劣りするでしょう。
ページをめくるのだって、ペラ〜ッとあれだけリアリティー満点に再現されると、カキッ、カキッとキーを押してページを進めるのが、まったくウソくさく感じるでしょう。

そう、あの「おまけ」に付いてきた『熊のプーさん』。ページをめくってみて感動しなかった人などいないでしょう。

そこで、しまった! とあせったアマゾンは、昨年11月にKindleのカラー版を出すことになるのです。


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この「Kindle Fire(キンドル・ファイア)」は、もう単なる電子書籍ではありません。
グーグルのアンドロイドOSをもとにした立派なタブレット端末で、本が読めるだけではなく、テレビ番組を観たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりと、アップルiPadに酷似した製品なのでした。

これを期に、アマゾンが出すKindleシリーズは、従来通りの白黒画面Kindleと、iPadみたいなカラー画面タブレットKindle Fireの両刀使いとなりました。
先月、HD(高画質)対応の「Kindle Fire HD」が発表されたこともあって、白黒版Kindleは4機種、カラー版Kindle Fireも4機種と充実の品揃えです。

今では、アメリカで売られるタブレット製品の2割は、Kindleファミリーだとも言われています。

というわけで、いつの間にやら、電子書籍とタブレットの垣根がすっかりボヤけてしまったのですが、ここでプレッシャーを感じたのが、iPadを売るアップル。
いくらタブレットの先駆的存在で、教育界を始めとして圧倒的な強さを見せるiPadであっても、もっと小さくて、もっと安いタブレットに首位の座を脅かされることもあるのではないか・・・と。


Kindle Fire horizontal.png

そう、アマゾンの「Kindle Fire」やグーグルの「Nexus 7(ネクサス7)」と、人気のタブレット製品は、7インチ型(画面サイズが斜めに18センチ)。
9.7インチ型(斜めに25センチ)のiPadと比べると、小さくて、軽くて、上着のポケットにも入るくらい。

もともとiPadの大きさは、「美しいiPadの魅力を味わってもらうには、これくらい大きくないといけない」という故スティーヴ・ジョブス氏の信念からきています。
「7インチ型の小ささなんて、ヤスリで指を削らなければ操作できないじゃないか」と主張していたジョブス氏ではありますが、最晩年には、もう少し小さいiPadでもいいかもね・・・と、妥協を見せていたといわれます。

それから、値段。アマゾン「Kindle Fire HD」の普及モデル(容量16GB、Wi-Fi接続のみ)も、グーグル「Nexus 7」(8GB、Wi-Fi接続のみ(注))も、199ドル(約1万6千円)と格段に安いでしょう。
一番安いiPad(第3世代、16GB、Wi-Fi接続のみ)が499ドル(約4万円)であるのに比べると、破格の値付け。
(注: 後日グーグルは、10インチ型「Nexus 10」を発表したと同時に、「Nexus 7」16GBモデルを199ドルに値下げしています。)

そんなわけで、世の中の動きを注視してみると、小さくて安いiPad miniは、アップルにとって、どうしても必要な製品なのでした。
 


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そこで、10月23日。アップルは、サンノゼの特別イベントでiPad miniを発表したのです。

新製品の仕様は、だいたい噂の通りでした。7.9インチ型(斜めに20センチ)の画面を持ち、オリジナルiPadの3分の2の大きさ。
Kindle Fire や Nexus 7に比べても、ほぼ半分の薄さで、もっと軽い。

が、意外なことに、iPad miniの廉価モデル(容量16GB、Wi-Fi接続のみ)は、329ドル(約2万6千円)と、噂よりも高かったのでした。
「きっと249ドル(約2万円)近辺だろう」との予想より、ずっと高い!

個人的には、「せめて299ドル(約2万4千円)にすべきだった」と思うのですが、アナリストの多くは「299ドルも、329ドルも変わらない」とおっしゃっています。

まあ、27万以上のiPadアプリの品揃えと、アップルというネームバリューを考えれば、「少々高くたって、売れるさ」という予見なのでしょう。

<マイクロソフトのタブレットSurface>
と、そんな風にiPadやKindleがしのぎを削るタブレット界ですが、ここで「俺も!」と乗り出してきたのが、マイクロソフト。
 


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10月16日に「Surface(サーフェス)」というタブレット製品の値段を公表し、いきなり予約受付を開始したのです。
それと同時に、動画配信サイトYouTubeで、アップルを意識したようなヒップな宣伝ビデオを流し、若い視聴者を集めるNBC系列『The Voice(ザ・ヴォイス)』など、テレビでも熱い宣伝合戦を繰り広げます。

残念ながら、この「事件」は、わたしのラジオ出演当日に起きたので、事前の打ち合わせからはもれてしまって番組ではご紹介できませんでした。が、個人的には「おもしろい!」と、エキサイトしてしまったのでした。

だって、このSurfaceタブレットは、アップルの「ミニ化」に逆行して、iPadよりも大きい 10.6インチ型(斜めに27センチ)の画面なのです。
基本ソフトとして、新しいWindows 8のモバイル端末バージョン「Windows RT」が載っていて、魅力を引き出すためには、これくらい大きな画面じゃないとダメだという考えです。

そして、iPadくらい大きいということは、iPadと同じくらい、値段が高いのです。


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Surfaceは、携帯ネットワークにもつながる機種を持つiPadとは違い、いずれの機種もWi-Fi接続のみですが、容量32GBの基本モデルが、499ドル(約4万円、写真)。
「タッチカバー(Touch Cover)」というキーボードカバーが付いたモデルが、599ドル(約4万8千円)。
そして、64GBモデル(タッチカバー付き)が、699ドル(約5万6千円)となっています。
(ちなみに、最新のiPad第4世代(Retinaディスプレイモデル)は、64GBで699ドルなので、Surfaceと同じ値付けですね)

ふ〜ん、なるほど。世の中にあるタブレットの廉価モデルには目もくれず、アップルに似た路線で行くようですね。つまり、世に製品を出す限り、ちゃんと利益を価格に盛り込もうじゃないか、という方針。

そうなんです。商売の観点からすると、小型のタブレットは、おいしい商品ではありません。アマゾン「Kindle Fire」普及モデルも、グーグル「Nexus 7」も、ほとんど原価で売られていると伝えられています(IHS iSuppli社の分析による)。

それが証拠に、アマゾンのCEOジェフ・ベィゾズ氏は、「自分たちは、あくまでも本(電子書籍)を売って利益を得る方針で、Kindleで儲けようとは思っていない」と公言しています。
同様にグーグルも、「Nexus 7は原価で売られていて、利益はない」と公表しています。
 


Microsoft Surface front and back.png

そんなわけで、いよいよ明日(10月26日)Surfaceタブレットが発売となりますが、16日に予約を開始したマイクロソフトは、「最廉価モデルは、わずか一日で完売した」と、強気の発表をしています。
が、これに対して、「初期ロットとして何台用意されていたかは不明」「(高位機種の販売を促進するため)廉価モデルの出荷を控えている可能性もある」と伝える米テクノロジー誌もあります。

新しいアップルiPad(第4世代)とiPad miniが発表された今、Surfaceがどれくらい売上を伸ばすのか、興味あるところです。

<マイクロソフトとアップル>
というわけで、アメリカのタブレット界の動向をざっくりとご説明しましたが、マイクロソフト「Surface」とアップル「iPad」には、決定的に異なる点がひとつあると思うのです。

それは、キーボードに対する考え。
 


Microsoft Touch Cover.png

かたやマイクロソフトは、キーボード付きカバー(「Touch Cover」と「Type Cover」)を売り出し、「執着心」とも呼べるくらいにキーボードにこだわっています。
これに対し、アップルは、「そんなものいらないんじゃない?」と当初の主義を貫きます。

たぶんマイクロソフトにとって、タブレットとは「パソコンの小型版」であるところが、アップルにとっては、あくまでも「新しいコンピュータのあり方」なのです。

そんな新しいコンピューティングの道具に、キーボードやマウスやトラックパッドと従来の入力方式は似つかわしくない。
ガラスの表面を指でなぞるのが新しいやり方であって、文字を入れるには、画面上に出てくるバーチュアル(仮想)キーボードや音声入力で結構。だってバーチュアルキーボードは使い易いし、今や音声認識だって実用レベルでしょう。


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万が一、昔風の物理キーボードが欲しい方は、どうぞワイヤレスキーボード(69ドル)をオプションとしてお求めください。

こういったアップルの主張に対し、マイクロソフトは、「パソコンとキーボード」という既成概念からは抜けきれないようです。「抜けきれない」のか、企業向けの戦略を考え「抜けたくない」のかはわかりませんが、とにかくマイクロソフトにとって、キーボードはコンピューティングの必須条件なのでしょう。

ここでふと思い付くのが、キーボードからは完全に脱却したマイクロソフトの過去の製品です。
奇しくも、今回のタブレット製品と同じ名の「Surface(サーフェス)」。
 


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2008年7月号第4話「マイクロソフトの優れもの」でもご紹介していますが、Surfaceとは、アクリルガラスの表面を持つテーブル状の装置。

まるで、喫茶店のテーブル(または昔のインベーダーゲーム機)みたいな製品ですが、テーブルの表面にワインなどの物体を置くと、底に貼られたラベルからもっと詳しい情報を検索してくれたり、Wi-Fi付きデジタルカメラを置くと、今まで撮った写真を大きく映し出してくれたりと、なんとなく魔法みたいなテーブルでした。
 


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こちらもiPadと同様に、操作は指で行い、たとえば、指でお絵描きなんて楽しい遊びもできるのでした。
写真を拡大したり、並び替えたり、Surfaceテーブルに保存したりするのも、全部指先でチョチョイなのです。つまり、「マルチタッチ」の賢いテーブル。

実際に、シリコンバレーのAT&Tショップで、携帯端末の紹介に使われているのを見たことがありますし、全米でも、ホテルチェーンのシェラトン(Sheraton)でロビーに導入された実例がありました。
それが、いつの間にか姿を見かけなくなってしまって、次にタブレット製品が出てきたときには、名前すら奪われていたのでした。
 


Microsoft original Surface with Samsung.png

まあ、「Surface」という輝かしい名前はタブレットにとられたものの、製品としてはいまだ健在です。なんでも、韓国のサムスン電子とのコラボで、「Samsung SUR 40 with Microsoft PixelSense」という名で販売中。

「複数の人が同時に50箇所を触ったって大丈夫!」というマイクロソフトのマルチタッチ技術に、「PixelSense(ピクセルセンス)」という難しい名が付けられています。が、要するに、「指先を使ったマルチタッチ方式は、捨て去ったわけではありませんよ」という意思表示のようではあります。

このSurfaceテーブルがお目見えした頃、マイクロソフトの共同設立者ビル・ゲイツ氏は、こうおっしゃっていました。
「(マルチタッチの製品は)絶対に世の中に浸透していくだろう。みんなのオフィスとか、自宅とか、居間とか、あらゆるところ(everywhere)にだよ」と。

どうやらゲイツ氏ご自身は、キーボードやマウスから解放された「マルチタッチ」の可能性を大いに買っていたようです。
その点では、アップルの共同設立者、故スティーヴ・ジョブス氏と同じ見解をお持ちだったのでしょう。

ふ〜ん、だとすると、カバーにキーボードが付いてくる新しいSurfaceタブレットは、ゲイツさんにはどう映っているのでしょうか?


Microsoft Chair Bill Gates.png

Surface 発売を控えて、マイクロソフトは、自社ブログサイトにゲイツさんのインタビュービデオを載せています。
「これからは、マルチタッチ、音声入力、カメラ入力が大事になってくるけれど、今までのPC(パソコン)に慣れた人には、キーボードだって大事だよ」と、キーボードの存在を擁護します。

黒いタッチカバーのSurfaceを愛用するゲイツさんは、「(キーボードにマルチタッチと)こんなに使い易いSurfaceは、信じられないくらいのスグレもの(absolutely incredible)」とおっしゃっています。

ま、ゲイツさんが自社製品の悪口を言うわけはありませんが、一般ユーザにはどういう風に受け止められるでしょうか?

夏来 潤(なつき じゅん)

 

Pat on the back(背中をポン!)

今日は、新しい表現をひとつだけご紹介いたしましょう。

それは、pat on the back

最初の pat は、「手のひらでポンと軽くたたく」という動詞です。

最後の the back は、背中。

ですから、pat on the back は、「手のひらで背中をポンと軽くたたく」または「軽くなでる」というような意味になります。

そして、pat は名詞でもありますので、a pat on the back という名詞形もあって、「手のひらで背中をポンとたたくこと」という意味になります。


で、どういうときにこんな行動をするかというと、相手を「良くやったね!」とほめるとき。

He gave me a pat on the back for doing a good presentation.
「彼は、僕がうまいプレゼンをやったので、(背中をポンとたたいて)ほめてくれた」

このように、誰かが実際にポンと背中をたたいてほめるだけではなくて、比喩的に「ほめる」という意味もあります。

たとえば、こんな風に使います。

You can give yourself a pat on the back for doing such a good work.
「そんなにいい仕事をしたんだから、自分で自分をほめてあげてもいいんじゃない」

もちろん、自分で自分の背中をポンとたたくのは難しいので、この場合は「たとえ話」として、背中をたたいてあげてもいいよと言っているわけですね。

ときには、自分をほめてほしいと思っている人もいるようです。

He wants a pat on the back, but does he really deserve it?
「彼は人にほめてもらいたいようだけど、(彼の仕事ぶりは)ほめるに値するのかなぁ?」


(ところで、冒頭の写真は、ジャンボジェット機の背中に乗っかる、スペースシャトル・エンデヴァー(Endeavor)。スペースシャトル各機は、プロジェクト終了後、全米の博物館に移されることになりましたが、9月21日の朝、サンフランシスコの上空を2回旋回したエンデヴァーは、みんなに「ありがとう、さようなら」のご挨拶をしたのち、ロスアンジェルスに飛んで行ったのでした)


それで、どうして pat on the back をご紹介しようかと思ったかというと、この表現に似ているわりに、奇妙な使い方を耳にしたからです。

それは、pat on the chest

メジャーリーグ野球(MLB、Major League Baseball)のサンフランシスコ・ジャイアンツ(San Francisco Giants)の試合をテレビで観ていたときでした。

10月19日のナイターは、ナショナルリーグのチャンピオンを決めるシリーズ(NLCS、National League Championship Series)第5試合。ジャイアンツは1勝3敗と、ここで負ければ「あえなく敗退」の崖っぷち。

敵地セントルイスでカーディナルズ(St. Louis Cardinals)と戦ったジャイアンツは、バリー・ジト投手の好投で、5対0と大勝利!

4勝先勝のチームがリーグチャンピオンとなる中、なんとか首の皮がつながりました。

試合後、8回途中まで投げたジト投手をねぎらって、選手たちがまわりに集まり、彼の「胸」をポンポンとたたくのです。「良くやったぞ!」と。

それを観ていた中継キャスターもこう伝えます。

Everybody is giving Zito a pat on the chest.
「みんなジト投手の胸をたたいて、彼をほめたたえている」

これを聞いたわたしは、「え、どうして背中じゃなくて胸なの?」と疑問に感じたのですが、一緒に観ていた連れ合いによると、何回も続投した投手の肩は、熱を持ってパンパンに腫れ上がり、アイシングが必要なほど。

試合後に背中や肩のあたりをポンポンとたたくのは、もっとも危険なことなのです。

だから、115球も投げたジト投手には、pat on the back ではなくて、pat on the chest

なるほど、球界独特の習慣なんですね。


というわけで、サンフランシスコ・ジャイアンツ。

おととし2010年のワールドシリーズ覇者でもあり、今季も調子が良い。

ここまで順調にプレーオフを勝ち進んできました。

ですから、サンフランシスコの街じゅうが、ジャイアンツがNLCSを突破し、ワールドシリーズに出場することを望んでいる。

街を散歩していると、上の写真のように、あちらこちらで Go Giants! (ジャイアンツがんばれ!)という張り紙を見かけるし、バーでは、Go Giants! のフレーズは看板代わりに使われています。

「でっかいテレビでジャイアンツの試合が観られます」というのは、当たり前。
 こちらの写真のように、「ジャイアンツのチケットを持っている人には、すごい割引だよ!」という誘い文句も見かけます。

いえ、商売人ばかりではなくて、お役所だってノリがいいんですよ。

こちらは、火災に緊急出動するサンフランシスコ消防署のはしご車。

ワンワンとサイレンを鳴らして、消防士もものすごく真剣な眼差しでしたが、ふと見ると、オレンジ色のジャイアンツの旗が掲げられているのです!

消防士だって、人の子。わが街のチームが勝ち進むのを、誰よりも強く望んでいるのです。

さ、もうすぐ「天下分け目」の第6試合。間もなく、サンフランシスコのホーム球場 AT&T Park でプレー開始です。

ここでもう1勝して、シリーズ3勝3敗。ねばりを見せて明日のリーグ最終戦まで持ち込みたいところです。

Go Giants!

がんばれ、ジャイアンツ!

追記: 最後はサンフランシスコ・ジャイアンツの話にそれてしまいましたが、pat on the back について、もうひとこと。

アメリカでは、(愛情表現はべつとして)一般的に人に触れることを避ける傾向にあります。ですから、ほめるにしても、ポンと軽く触る程度にとどめておいて、決してバン!とたたいたりはしません。
 どちらかというと、ほめる目的で人に触れるのは、男性(オフィスの仲間やスポーツチームなど)が多いように感じます。

女性は、あまり pat on the back をすることはないようですが、代わりに、軽く腕に触れたりすることはあるでしょうか。
 いずれにしても、よほど親しい間柄でない限り、男性でも女性でも人に触れるのは避けた方がいいのではないか、と個人的には思っております。

心のハンマー

台風一過の朝は、まるでウソのように晴れわたっていました。

そうなんです、今は日本に滞在しているのですが、「中秋の名月」の晩、首都東京は暴風雨に襲われ、交通機関がマヒするなど大きな影響が出たのでした。

帰宅途中で電車が止まった方は、嵐のさなか、車両の中に避難するように指示されたそうですが、重い車両までが「遊園地のアトラクションのように激しく揺れていた」と体験を語ってくれました。


そんな台風の秋、日本に到着してすぐ、ちょっと驚いたことがありました。

到着してひと眠りした朝、NHKの番組を観ていたら、なにやら深刻な話題を取りあげていました。

それは、『あさイチ』という朝の番組でしたが、「わたしが暴力にハマった理由・・・」などと、物騒な家庭内暴力の話をしているのです。

それで、わたし自身は「いつの時代も、暴力を受けるのは女性なのね」と思いながら聞いていたのですが、どうも話がかみ合いません。

それもそのはず。なんと、暴力をふるっていたのは、ダンナさんではなく、奥さんの方だとか!

近頃は、男性もすいぶんとおとなしくなってきて、女性側の殴ったり蹴ったりという攻撃に抵抗しない方もいらっしゃって、そうなってくると、女性の方もどんどんエスカレートしていって、なかなか自分を律することができなくなるということなのです。


まあ、NHKのさわやかな朝番で取りあげるほど、世の中に広がっている問題なのかとびっくりしたわけですが、半信半疑で話を聞きながら、ひとつ痛感したことがあったのでした。

それは、言葉の暴力にしても、腕力の暴力にしても、男であっても、女であっても、激しい行動に出る人は、なにかしら狭い世界に住んでいるんじゃないか、ということでした。

番組では、自分の激しい行為に対して、あとで冷静に自己分析し、その反省点・改善点を紙に明記することをアドヴァイスしていました。
 そうすると、だんだんと気持ちが落ち着いていって、「悪いことをした」ことが見えてくるそうなのです。

なるほど、それはいいアドヴァイスかもしれません。でも、もしかすると問題の根っこには達していないのかも・・・とも思えるのです。

きっと根っこの部分には、自分の世界の狭さに対するフラストレーションがあって、それを改善しないと、「暴力」という現象は治らないのでは・・・。

そう、暴力とは、自分が生きる世界を打ち破るハンマーになっているのではないかと。

だから、根っこにある問題が解決しなければ、いつまでもハンマーを使い続けてしまうのではないかと。


だとすれば、自分の世界をちょっと広げてみれば? とも感じるのですが、それはなにも、世界に出かけて行って幅広く行動することではないと思うのです。

わたしにとって、自分の世界を広げるということは、世の中を見渡すということなのです。

見渡すということは、考えること。

家からは一歩も出なくても、わざわざ世界に出かけて行かなくても、「考えてみる」ことで、世界じゅうを見渡すことはできるんじゃないかと思うんです。

「世界じゅう」なんて大げさな言葉を使いましたが、たとえば、「ああ、お隣の息子さんは、来年、大学受験なのねぇ」でも「まあ、お隣の国からは、日本に来る観光客がずいぶんと減っているのねぇ」でも、なんでもいいんです。

大事なことは、自分を超えたものを考えること。

すると、自分の生活空間とか世界がどんどん広がって行って、自分は広がった世界の参加者であることを感じることでしょう。

そう、たとえば、科学者や宗教学者は、研究室や書斎にこもってじっと考えているでしょう。

なんであんなにじっとしているのだろう? と不思議に感じるのですが、実は、じっとしている彼らの体の中には、「世界」なんてケチなことは言わず、広大な「宇宙」が広がっているんだと思うんですよ。

考えることで、自分の中の「宇宙」は広がる。そんな風に「宇宙」を広げることが、彼らのお仕事。

そして、もっともっとたくさん考えることで、「宇宙」はどんどん広がって行く。それが、最終的に彼らが目指しているものだと思うのです。


それで、おもしろいことに、自分の「世界」や「宇宙」が広がって行くと、自分という存在が小さくなっていくのに気づくと思うんです。

だって、広大な「世界」や「宇宙」に比べると、自分はちっぽけな生き物ではありませんか。

そうすると、自分が小さいことを自分で認めるようになって、あまり自分にしがみつかなくなると思うんです。ま、わたしのことなんてどうでもいいかな? というような、ちょっと突き放した考え。

すると、自分が自分の世界の王様ではなくなって、他の人のこととか、社会のこととか、自分とは別のものが王様になっていくんだと思います。そう、「王様」というのは、大事なことという意味。

そして、究極になると、自分の世界の中でも、自分という存在が消えてしまうのではないかと想像するのです。

そう、「自分」「自分」「自分」という連呼が、自分の中からすっかり消えてしまって、さらには自分すら消えてしまうのでしょう。

まあ、そこまでに達するには、ちょっとした修行が必要なのでしょうけれど。


というわけで、ごちゃごちゃと変なお話をいたしましたが、言いたかったことは、たったひとつ。

自分の世界が広がって、自分という存在が小さくなると、自分の世界を打ち破ろう! とハンマーをふりまわす必要もないでしょう、ということでした。

だって、ハンマーをふりまして傷つけている相手は、一番大事にしなければならない人なんですものね。

ラジオで語ろう!: アップルの6代目「iPhone 5」

Vol. 158

ラジオで語ろう!: アップルの6代目「iPhone 5」

今月は、新製品、若者の起業、スペースシャトルと、自分の中でホットな話題を3つお話しいたしましょう。

<夏来 潤、ラジオデビュー!>
そうなんです、ラジオ番組にデビューいたしました!

と申しましても、べつにレギュラーになったわけではなくて、朝のラジオ番組にシリコンバレーから電話で生出演しただけのお話です。

FM東京が週日の朝に放送している『Blue Ocean(ブルーオーシャン)』という番組で、パーソナリティーの住吉美紀さん(元NHKアナウンサー)が世界各地に電話インタビューをして、各国のホントとホンネを探るというコーナーです。

それで、わたしが担当したお話は、ずばり、アップル「iPhone 5(アイフォーン5)」とアマゾン「Kindle Fire(キンドル・ファイア)」。


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前日、アップルはサンフランシスコの特別イベントで iPhone 5 を発表したばかりですし、前の週には、オンラインショップ・アマゾンがタブレット製品 Kindle Fire の新型モデル(ハイビジョン動画対応のKindle Fire HD、写真)を発表しています。
スマートフォンとタブレットを語るには、まさに絶好のタイミングだったのです。

まあ、今さらここで iPhone 5 や Kindle Fire の詳細を語るつもりはありませんが、ラジオインタビューを通して、ちょっと驚いたことがありました。

それは、このラジオ番組は「女性向け」に分類される番組なのですが、そこでスマートフォンやタブレットを語ろうという、前向きな姿勢。
電話インタビューは午前9時頃に行われるので、遅めの出勤前の女性会社員か、家族を送り出したあとの主婦の方がターゲットと思われるのですが、やはり今は、レディーの間でも新しいガジェットの話題は欠かせない時代となっているのですね。


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もちろん、「難しい話題は避けてください」という指示はあったのですが、番組担当者やパーソナリティーの住吉さんが興味津々だったのは、アメリカでは iPhone に対してどんな反応なんだろうか? ということ。
日本では、新しいモデルが発表されると話題沸騰だし、発売日にはアップルショップに長蛇の列ができるくらいの人気だけれど、いったい本国ではどうなの? とホンネが聞きたかったようです。

いえ、今さらここでご説明するまでもないでしょうが、アップルが新製品を発表するという噂だけで、メディアも市民も熱い期待に満ちあふれ、発売日には、われ先に新製品を手に入れようと、徹夜組を先頭としてアップルショップやキャリアショップは「半狂乱の渦」に巻き込まれるのです。
 


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今回は、発表イベントの招待状に使われた「12(9月12日のこと)」という数字に、「5」という影が見えると大騒ぎになりました。「5というのは、いよいよ iPhone 5 が出るに違いない!」と、ニュース各局は視聴者の期待感をあおります。
実際に発表が行われた直後(西海岸12日の午前中)、アップルのウェブサイトは、写真を見てみたいというファンが殺到して一時ダウンしてしまいました。

そして、iPhone 5 の予約を開始したら、24時間で2百万台という記録を打ち立てたとか(9月17日アップルの発表)。

まさにアップルは「クール(cool、カッコいい)」の代名詞であり、iPhone はクールを気取れる製品。
そして、アップルにとっても、売上総利益7割を占めるフラッグシップ(旗艦)。

というわけで、ラジオ番組のインタビューでは、もうひとつ驚いたことがあったのでした。

それは、アップルの iPhone とグーグルのAndroid OSを搭載するスマートフォン群を比べると、数の上(販売台数)では後者が追い抜いているという話をしたら、「エッ、そうなんですか?」と驚かれたこと。

あれ、もしかして間違ったことを言ったかな? と不安になったほどのリアクションだったのですが、やはり、人気製品 iPhone は市場で一人勝ちしているに違いないというイメージが先行しているのでしょうね。


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ご存じのように、アップルのタブレット製品「iPad(アイパッド)」は、アマゾン Kindle を始めとする競合製品に対して「タブレット分野の先行機種」という優位性を保っています(電子書籍専用端末としてはKindleの方が先に市場に登場しています)。

とくに学校では、iPadは教科書や家庭とのコミュニケーションの媒体として普及し始めていて、教育分野では、その差が顕著に現れているようです。

けれども、スマートフォンの分野では、米市場でも世界市場でも Android製品群の販売台数が iPhone を追い抜いていますよね。


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なにせ、Android製品群は、世の中に何百機種と出ています。

そう、たとえば、中国市場。中国にはデザインハウスと呼ばれるメーカーが2〜3百社あって、各々が自社ブランドの携帯電話を売り出しています。
もともとはメディアテック(MediaTek、本社・台湾)のチップセットやソフトウェア開発キットを使って、お手頃なフィーチャーフォン(日本でいう「ガラケー」)をつくっていたのですが、それが今、ものスゴい勢いで Android にシフトしています。しかも、品質だってグングン向上している。

そして、同じことは、インドでも起きています。

ですから、グーグル会長エリック・シュミット氏が「全世界で一日130万台のAndroid端末がアクティベートされている」と自慢するのも、当然といえば当然なのかもしれません。
 


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というわけで、こちらもいろいろと参考になったラジオ出演でしたが、さすがに新しい iPhone 5 はスゴそうですね。

アップルショップで触ってみたら、その軽さにびっくり。縦長になったわりに、細長くて持ちやすく、より薄くなって軽さを如実に感じるのです。

「これって、モックアップ(展示用模型)じゃないよね?」と、思わず担当者に質問してしまったくらいです。

でも、そんなアップルだって、ハズすこともあるんですね。9月19日にお目見えした新しい iOS 6 は、「なんだか不備が目立つなぁ・・・」と不満の声も聞こえています。
 


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たとえば、グーグル Maps(マップ、地図)の向こうを張って、アップルは自身の Maps 機能を盛り込みました。
空からの3次元イメージを表示する「フライオーヴァー(写真)」など目新しい取り組みもあるのですが、なにせ、そのデータに間違いが多いと批判が集中。
なんでも、1999年に移転したシリコンバレーの高校が、昔の場所で出てくるとか。アップル本社のすぐ隣にある中学校ですら、違った名前の小学校に化けている・・・。

う〜ん、やはり「餅は餅屋」ということなんでしょうか?

<注目の18歳>
ちょっとした世間話です。

こちらの『シリコンバレー・ナウ』シリーズのスポンサーでもいらっしゃるKii 株式会社ですが、本社は東京・港区にあって、シリコンバレーにも支社をお持ちです。
そのシリコンバレー支社で、昨年夏、インターンとして男のコが働いていました。高校を卒業したばかりの18歳の男のコです。

え、18歳で企業のインターンシップ? と驚かれる方もいらっしゃるでしょうが、このコナーくんは特別なんです。なにせ、高校生のときに、アップルiPhone/iPad向けのアプリをつくり、大人気を博したのですから。
 


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その名も「Flashcards+(フラッシュカード・プラス)」。フラッシュカードというのは、日本では「単語カード」と呼ばれるものですが、たとえば、表に英単語、裏に日本語の意味を書いて覚え、試験に備えるというお勉強道具です。

なんでまたフラッシュカード・アプリをつくろうと思い立ったかというと、アップル製品でペラペラッとページをめくる感覚に魅了されたから。とくにiPadで本のページをめくってみると、まるで本物のような臨場感があるでしょう。それをフラッシュカードで再現してみたかった。


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このアプリを使うと、簡単にバーチュアル単語カードをつくれるだけではなくて、何百万という既存のカード(外国語や歴史の分野)を利用できたり、22カ国語もの音声合成で発音を聞けたりと、特典も多く、しかも無料!
そんなわけで、今まで百万ダウンロードを超える人気アプリとなったのでした。

この人気アプリをつくったコナーくん、名門ハーヴァード大学に進学が決まっていた昨年夏、Kii のお声掛かりで、シリコンバレーで働いてみることになりました。
自身の人気アプリをAndroid環境に移植したり、Kiiのエンジニアのみなさんと社内の開発イベントに参加したりと、ウィスコンシン州の高校を卒業したばかりの男のコには刺激的な夏となったのでした。

そして、夏も終わり、無事にハーヴァード大学に入学したのですが、今年の春、コナーくんがニュースになったという風の便りがありました。それは、彼が新たに起業するというもの。
シリコンバレーの有名人ピーター・シール氏(英語の発音はティール氏)がスポンサーしている「20 Under 20(20歳未満の起業家20人)」に選ばれ、大学を休学して、ビジネスに挑戦するというのです。

昨年2月号の第2話「オバマさんはシリコンバレーがお好き」でもちょっとご紹介していますが、このプログラムは、オンライン支払いシステム PayPal(ペイパル、現在はオークションサイト eBay の傘下)の共同設立者ピーター・シール氏が始めたフェローシップで、今年は2回目。
選ばれた20人には10万ドル(約8百万円)のシードマネー(起業資金)が与えられ、2年の休学の間に、自分のビジネスを軌道に乗せることが課題となります。
「学校に行っている暇があったら、さっさと起業しなさい」というシール氏の哲学が若者を刺激しているのです。
 


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19歳になったコナーくんが挑戦するのは、iPhoneをゲーム機に変身させるゲームコントローラー。その名も「Coco Controller(ココ・コントローラー)」。
iPhoneにスポッとかぶせるだけで、ゲーム機になるというスグれもの。飛行機に乗って愛用のiPhoneでゲームをしようと思ったら、ひどくやりにくかった! というのが発想となりました。

現在は、iPhoneプラットフォームに留まらず、Androidのゲームメーカーとも着々と協業を進めているとのこと。
そのうちに、街角のお店でココ・コントローラーを見かける日も遠くはないのかもしれません。

それにしても、コナーくん。ウィスコンシンの片田舎から東海岸マサチューセッツのハーヴァード大学へ、そして西海岸シリコンバレーのど真ん中へと、アメリカじゅうを駆け巡っています。

これからどんな風に羽ばたいていくのか、成長が楽しみな青年なのです。

<アップルより熱いスペースシャトル>


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9月21日金曜日、いよいよアップル「iPhone 5」が売り出されました。ニューヨークでもサンフランシスコでも、すでに月曜日にはショップの前に徹夜組が現れたそうで、アップルブランドの人気の高さを物語っています。(写真は、サンフランシスコのストックトン通りにあるアップルショップ。もう夕刻なのに辺りは騒然としています)

けれども、この日のシリコンバレーのトップニュースは iPhone ではありません!
トップの座は、スペースシャトル「エンデヴァー(Endeavor)」に譲りました。
なぜって、この朝、エンデヴァーは最後のフライトに飛び立ち、カリフォルニアの人々に「さよなら」を告げたから。
 


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ご存知のように、スペースシャトルのミッションは昨年7月に終わっています。が、残るシャトル3機のうち、エンデヴァーがロスアンジェルスの博物館に引き取られることになって、みんなに空からご挨拶をする最後のご奉公となったのです。

エンデヴァーは、「ベビーシャトル」とも呼ばれる一番新しいシャトル。ボーイング747の背中にちょこんと乗せてもらって、フロリダ州ケープ・カナヴェラルのケネディー宇宙センターから飛び立ち、テキサス州ヒューストンの飛行管制センターにご挨拶したあと、はるばる南カリフォルニアまでやって来ました(並走するのは、空軍のF-16戦闘機)。
 


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21日の朝、ロスアンジェルス近くのエドワーズ空軍基地を飛び立ったエンデヴァーは、一路北へ州都サクラメントを目指します。
州議事堂の上空を飛び、州の要人に敬意を表したあとは、サンフランシスコの街を二度旋回して、北カリフォルニアのみなさんにご挨拶をします。
ベイブリッジやゴールデンゲートブリッジと、海にかかる橋の名所すれすれに低く飛び、太陽に輝く姿を人々の脳裏に焼き付けます。
 


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そして、耐熱タイルの開発や耐久試験でお世話になった、シリコンバレーのNASA研究所(NASA Ames Research Center)を低空飛行したあとは、一路南へ、ロスアンジェルスを目指すのです。

いえ、普通に考えると、フロリダからテキサス経由でカリフォルニア南部に到着したのなら、そのままロスアンジェルスの博物館に運べばいいでしょう。
けれども、わざわざエドワーズ基地からカリフォルニア北部の州都サクラメントへと向かい、サンフランシスコやシリコンバレーの上空を飛んだあと、再びカリフォルニア南部のロスアンジェルス国際空港にタッチダウンしたのは、単にカリフォルニアの人々に「ありがとう、さようなら」を言いたかったからなんです。

そう、全行程5時間の「さよなら飛行」。
 


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だって、30余年のスペースシャトルの歴史の中で、サンフランシスコ界隈の人々には姿を見せたことがない。だから、せめて最後だけでも勇姿を見せてあげたいという、なかなか粋な計らいなのでした。(写真は、サンフランシスコ・ジャイアンツのホーム球場 AT&T Park 上空を飛ぶエンデヴァー。ちなみに、今回の「さよなら飛行」の費用を払ったのはロスアンジェルスの博物館だそうなので、ロスアンジェルスに「ありがとう!」)

フロリダに住んだこともある我が家は、ケネディー宇宙センターにも行ったことがあります。けれども、スペースシャトルの打ち上げは「いつでも見に行ける」という理由で、見たことがありませんでした。
フロリダ南部に住む者にとっては遠すぎることもあったのですが、サンフランシスコ上空を飛ぶエンデヴァーを見て、こう思ったのでした。

「あ〜、やっぱり、スペースシャトルの打ち上げを見に行くべきだった・・・」と。
 


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まあ、「後悔先に立たず」ではありますが、そんな風に後悔するほど、エンデヴァーの姿は、何かしら高貴なオーラに満ちていたのでした。

そして、自分がつくったわけでもないのに、見ていて誇らしい気分にもなったのでした。

お疲れ様でした、エンデヴァー!

夏来 潤(なつき じゅん)

 

「カリフォルニアの旗」誕生の地、ソノマ

一年ほど前、カリフォルニア州の旗についてお話ししたことがありました。

「熊さん」と「一つ星」が図柄となっているもので、もともとは「カリフォルニア共和国(California Republic)」の旗だったというお話でした。

そう、カリフォルニア共和国とは、カリフォルニアがメキシコの領土だった時代(1846年)、33人のアメリカ人がメキシコに対して無血革命を起こし、「ここはカリフォルニア共和国である!」と宣言したことをさしています。

このときに掲げたのが、熊と星をモチーフとした共和国の「熊の旗(the Bear Flag)」。
(写真は、ソノマの広場にある「熊の旗」記念碑)

けれども、共和国の命は、わずか25日。

カリフォルニアには、メキシコと戦争を始めたアメリカ軍が迫っていて、カリフォルニア共和国の旗は、すぐにアメリカの星条旗に取って代わられるのです。


というわけで、この無血革命「熊の旗の革命(the Bear Flag Revolt)」の舞台となったのが、ソノマ(Sonoma)という街です。

サンフランシスコからゴールデンゲート橋を渡って、北に40分ほど行ったところで、ナパバレー(Napa Valley)と並び称される「ワインの名産地」ですね。

ナパの谷間(ナパバレー)の西に位置する、ソノマの谷間(ソノマバレー、Sonoma Valley)にあって、ともにワイン用のぶどう栽培に適した気候と土壌に恵まれます。

ナパバレーには州幹線道路29号線(State Route 29)が、ソノマバレーには12号線(SR 12、写真)が南北に走り、周辺のぶどう畑やワイナリーを結ぶ主要道路となっています。

この二本の道路沿いには、何百という名だたるワイナリーがずらっと並び、ワイン好きにはたまらない風景が楽しめるのです。


ソノマバレーの南端にあるソノマの街(City of Sonoma)は、こぢんまりとした歴史的なたたずまいの街並みです。

街の真ん中には大きな広場と市役所(写真)があって、まわりをオシャレな店やかわいい住宅が取り囲んでいる感じです。

実は、広場が真ん中にある街のつくりは、メキシコにまねているのですね。

だって、街をつくったのは、スペインから独立を果たしたばかりのメキシコだったのですから!

先日のエッセイ「モントレーのおみやげ話」では、スペイン人がカリフォルニアを領土とする上で、プレシディオ(Presidio、要塞)とミッション(Mission、カトリック教会)を各地に築いたお話をいたしましたが、ここソノマの地にも、ミッションが置かれました。

カリフォルニア全土に21箇所あるミッションの中で、一番北に位置し、一番新しくつくられた教会(Mission San Francisco Solano)で、このミッションが建てられた頃(1823年)には、メキシコはスペインの統治をはずれ、独立国となっていました。

が、いまだカリフォルニアはメキシコの統治下にあり、この統治政策の一環として、ソノマにもミッションがつくられ、その後、メキシコ軍も駐屯するようになりました。
 この頃は、イギリスとフランスがカリフォルニアに目をつけ、ロシアも迫って来る勢いでしたから、うかうかとしてはいられなかったのです。

ソノマは、メキシコにとってはカリフォルニア開拓の北部前線基地だったので、街並みも自然とメキシコ風になったというわけですね。


そんな歴史がありますので、街の観光名所は、まずはミッション。

ミッションは、先住民族をキリスト教化するために建てられたものですが、周辺のミウォック(Miwok)、ポモ(Pomo)、パトウィン(Patwin)、ワポ(Wappo)の部族の方々がここに住むようになり、農業や酪農に従事していました。

このように、ミッションは、教会だけではなくて、プエブロ(スペイン語で「村」の意味の集落)の機能を備えたものが一般的で、全盛期には1000人の先住民族がここに暮らし、敷地は4000ヘクタールにまでふくれあがったそうです。

ミッションのチャペル(1840年に再建)は内部見学できますが、「え、ここがアメリカ?」と不思議に感じるくらいに、メキシコ色の強い装飾が施されています。
 しかも、昔のままの素朴さを残していて、19世紀にタイムスリップした錯覚にも落ち入るのです。

チャペルに隣接するパドレ(神父さん)の滞在施設(Padres’ Quarters)も、灰色の修道服のパドレたちが長い廊下を行き来するのが目に浮かぶようです。

ミッションを築いたフランシスコ会(カトリックの修道会)のパドレたちは、頭のてっぺんを剃髪(ていはつ)し、身に着けるものも、ごく質素なのが特徴でした。


そして、ミッションの隣にあるのは、メキシコ軍の兵舎(Sonoma Barracks)。ソノマの前線基地に詰める兵士たちが住んでいました。

薄暗い兵舎の中は、昔のとおりに再現されていて、簡素なベッドからは今にも兵隊さんがガバッと起き上がりそうなリアル感があります。

ベッドの頭上には、カトリック教徒らしく十字架にかけられたイエス・キリスト像が飾られる一方、壁にはいかめしくライフル銃も立てかけてあります。
 そう、夜中にお呼びがかかっても、暗がりでライフルが手に取れるように、ベッドのすぐ脇に立てかけてあるのですね。

そんな暮らしぶりに触れると、今の兵隊さんの生活とあまり変わらないのでは? と想像してみるのです(まあ、今の兵隊さんは、兵舎の中ではライフルの弾を抜くなど、銃に関しては厳しい規則に縛られているようですが、質素な暮らしという点では似ていることでしょう)。

それでも一歩外に出ると、建物は古風な木造りだったり、中庭には漆喰(しっくい)でできた調理用の焚き火台があったりして、それなりに時代の流れを感じさせるのです。


そして、ソノマのもうひとつの観光名所は、メキシコ軍マリアノ・ヴァレホ総司令官(General Mariano Vallejo)の邸宅。

実は、このヴァレホ総司令官こそが、「熊の旗の革命」で33人のアメリカ人に蹂躙(じゅうりん)されたお方なのです。

そう、抵抗することもなく、誰も血を流さずに済んだから、無血革命。

この方はメキシコ軍の総司令官ではありますが、サンノゼの南に位置するモントレーで生まれました。当時はスペインの統治下にあり、国籍はスペインですが、生粋のカリフォルニア生まれ(a native Californian)なのですね!

もともとはサンフランシスコのプレシディオ(ゴールデンゲート橋の足下にある)を守る司令官でしたが、ソノマに赴くよう指示があり、兵士を連れてこの地に引っ越して来ました。

その条件として総督にいただいたのが、ミッション近くにある邸宅の敷地と、周辺に広がる広大な農場。

1841年に建てられた邸宅は、敷地が80ヘクタールもあって、邸宅やゲストハウス、大きな池がゆったりと置かれる一方、ワイン用のぶどうも栽培していました。ナパバレーに先駆けて、ワインづくりも手がけていらっしゃったのですね。

現在、ヴァレホ邸の説明員が待機する建物(写真)は、家畜小屋ではなく、ぶどうなど収穫物の保管庫だったもの。

「ここの木材は、わざわざ東海岸のマサチューセッツ州から運ばれて来たんだよ」と、説明員の方は力説されます。

なんでも、当時はカリフォルニアに製材機がなかったので、遠く東海岸から船で建材を運んでいたとか。まだ大陸横断鉄道もパナマ運河もありませんので、南アメリカの先端、ホーン岬(Cape Horn)をグルッと廻ってやって来たんですね!

そこまで苦労して建てた邸宅は、ごくヨーロッパ調。
 居間にはピアノやハープが置かれ、団らんのひととき、子供たちと楽器の演奏に興じていらっしゃったのでしょうか。

そもそも、ソノマの広場から離れて家を建てたのは、子供たちのためなんですね。広場のまわりには酒場がたくさんあって、教育上よろしくない。だから、街の中心から離れた場所で子供たちを育てようと考えた。

ヴァレホさんと奥方フランシスカさんは16人の子供に恵まれましたが、大人に成長したのは10人。4人いる息子のひとりはお医者さんになり、6人の娘のうち二人はお父さんと一緒に住まわれていたとか(写真は、娘と孫娘に囲まれるヴァレホさん)。

娘さんのひとりは1940年までここに住んでいらっしゃったそうなので、建築から丸100年、この邸宅はヴァレホ家の方々を見守り続けたのでした。

ヴァレホさんは軍人でありながら、ソノマの街を築き、ワインづくりや酪農を奨励し、初代の州上院議員として、州憲法の起草にも尽力しました。

写真で拝見すると、実に温和な方に見受けるのですが、そんな偉人を、地元の方々はとても誇りに思っていらっしゃるようですね。

こぼれ話: 「ヴァレホさん」という表記は英語風のもので、もともとのスペイン語風には、「バイェホ」というのが正しいですね(いずれも、第二音節の「レ」「イェ」にアクセントがあります)。

上にも出てきたように、この方は生粋のカリフォルニア生まれなので、カリフォルニアはメキシコから離れるべきとの考えをお持ちだったようです。

1848年、アメリカがメキシコとの戦争に勝利し、2年後にカリフォルニアは「州」となるのですが、ヴァレホさんはアメリカ国籍の州上院議員となって、州づくりに参画するのです。
 彼はサンノゼに置かれた州都を他に遷(うつ)すことを提案し、1851年、新しい州都は彼の名を取って「ヴァレホ(Vallejo)」と名づけられました(サンフランシスコから湾をへだてた北東の街)。

結局、州都はすぐに他に遷されるのですが、ヴァレホさんが所有していた近くの農場には、今も「ペタルマ農場アドビ(Rancho Petaluma Adobe)」というレンガ造りの建物が残り、国と州の歴史的建造物に指定されています。
 スペインとアメリカ東海岸の建築様式が混ざる「モントレー・コロニアル様式」の代表例だそうです。

それから、ソノマのミッションの正式名称 Mission San Francisco Solano ですが、最後のソラノ(Solano)という部分は、ソノマの昔の名称だということです。

イタリアのアッシジに生まれたフランシスコ会にふさわしく、「ソラノの聖フランシスコ教会」という名前ですね。

モントレーのおみやげ話

前回のエッセイでは、ケータイの「待ち受け画面」を「待ちぶせ画面」だと勘違いした友人のお話をいたしました。

「あなた、『待ちぶせ画面』に娘の写真があったわよね」と、ダンナさんのケータイで、かわいい娘を披露しようとした友人です。

その「自慢の娘」が、ひと月間カナダにホームステイするので、最初の2泊をサンフランシスコ・ベイエリアで過ごすことになりました。

ついでに友人夫婦もサンフランシスコまで付いて来るというので、まずは、サンノゼの我が家に家族3人で泊まることになりました。

娘さんは2泊ののち、カナダのバンクーバーまで飛び立つので、彼女を見送ったあとはサンフランシスコ市内に移動し、4泊して日本に戻るというスケジュールです。


我が家は、それなりに日本からの来客を歓待したことがありますので、サンフランシスコ・ベイエリアで受けそうなところは知っているつもりです。

たとえば、サンノゼの我が家からドライブするとしたら、南に1時間ほど下った、海沿いのモントレー(Monterey)やカーメル(Carmel)。

以前、フォトギャラリーでもご紹介しましたが、ここは太平洋に面した美しいカリフォルニアの海岸線を存分に満喫できるところです。

歴史的にもとっても重要な地でして、モントレーには、スペイン人がカリフォルニアを領土としようとした時代(1770年)に建てられた、プレシディオ(Presidio、要塞)があります。

プレシディオというのは、兵隊さんを駐屯させる基地みたいなものですね。
 スペイン人は、最初のうちは船の上からカリフォルニアを観察していたのですが、そのうちにメキシコから探検隊を派遣し、どんな土地なのかとさぐりを入れ、魅力的な場所だとわかると、プレシディオを築いて新世界戦略の基地としたのでした(写真は、ソノマにある兵舎)

実は、モントレーという街の名は、当時のメキシコ総督の位(メキシコのモントレー伯爵)からきていて、この方がカリフォルニアに探検隊を派遣したので、新しく「発見」したモントレー湾を彼にちなんで名付けたそうです。

メキシコはスペインの統治下にあって、スペイン国王がメキシコ総督を任命し、「新しいスペイン(New Spain)」として支配していた時代です。

その頃は、ロシアもアラスカに足を伸ばそうとしていたので、カリフォルニアを我が物とするためには、モントレーにプレシディオを建てて、しっかりと押さえておきたかったのですね。

(メキシコは1821年にスペインから独立し、カリフォルニアを統治するようになるのですが、写真は、19世紀前半のメキシコの統治時代に使われていたモントレー税関。その頃、モントレーはメキシコのカリフォルニア領土の首都となっていて、モントレー湾に停泊する船はすべて、こちらの税関検査を受けなければなりませんでした)

カリフォルニアを統治したスペイン人やメキシコ人が去ったあと、長い間、モントレーのプレシディオは米国陸軍の駐屯地となっていましたが、現在は、防衛省管轄の防衛語学研究所が置かれています(敷地には軍隊関係者しか入れませんが、プレシディオ博物館(Presidio of Monterey Museum)は無料で一般公開されています)

モントレーと同じ頃(1769年)には、南カリフォルニアのサンディエゴ(San Diego)にもプレシディオが建てられていますので、スペイン人の時代からアメリカ人の時代へと、カリフォルニアの海沿いは、軍事上とても大切な場所であるというわけです。そう、サンディエゴには、西海岸で一番大きな海軍基地がありますものね。


そして、スペイン人の「新世界戦略」といえば、近くのカーメルには、先住民族をキリスト教化するための拠点とした、ミッション(Mission、カトリック教会)があります。

1770年、カーメルの丘の上に建てられた教会(Mission San Carlos Borroméo del río Carmelo)で、今でもカトリック教会として立派に機能しています。

歴史ある教会の中庭には美しい花が咲き乱れ、散策するだけでも、心の静まりを感じるのです。

以前、ここで執り行われた結婚式に出席し、とっても荘厳な結婚の儀に感動したことがありました。


(でも、残念ながら、彼らは数年後に離婚してしまいました・・・ダンナさんは、婚姻前にプロテスタントからカトリックに改宗したのですが、だいたい、カトリック教徒の離婚はご法度では??)


というわけで、プレシディオ、ミッションと、ほんの少しスペイン人の時代の歴史をひも解いてみましたが、モントレーやカーメルは、今では観光地として名高いですね。

モントレーには、ひなびた感じのフィッシャーマンズウォーフ(Fisherman’s Wharf、漁船が着く埠頭)や、昔は缶詰工場だったキャナリーロウ(Cannery Row、缶詰工場の並び)があるのです。

ずっと前、わたしがサンフランシスコに来た頃にお世話になっていたおばあちゃんは、夫とともに日本から移住してきた方で、このモントレーの地に缶詰工場を持ち、たくさんの従業員を雇って、手広くやっていたそうです。

夫が亡くなり缶詰工場は人手に渡りましたが、サンフランシスコのサンセット地区で悠々自適の生活を送っていらっしゃったので、日系移民の中でも、立派に成功を収めた方なのでした。

そう、モントレーは漁港ですので、昔はイワシ(sardine)などの缶詰をつくって、全米にジャンジャン出荷していたのですね。だから、最盛期には、ここに缶詰工場が立ち並んでいた。

今では、缶詰工場跡は観光客相手のお店に変身していますが、今でも近くの海では、アワビ(abalone)が獲(と)れたりするそうですよ。

アワビといえば、先住民族の方々も大好きだったそうですが、19世紀中頃、中国人が労働者としてカリフォルニアに入ってくるようになると、彼らが海に出てアワビ獲りを始めたんだそうです。

1851年、モントレーのちょっと南のポイント・ロボス(Point Lobos、写真)に住み始めたのが最初の居住区となり、そこからカーメル、モントレーと北に移動していったのです。

そう、もともとモントレーに漁港を築いたのは、中国人の方々だったんですね!

最初はアワビ獲りから始まったものの、あまりに海が豊かなので、タラ(cod)やヒラメ(halibut)、カレイ(flounder)、ブリ(yellowtail)、イワシ(sardine)、イカ(squid)と、いろんな魚を獲るようになりました。

海辺ではカキ(oyster)など貝類も獲れたそうですが、このあたりの海には、ラッコ(sea otter)もたくさん住んでいますので、漁師さんとラッコちゃんは、ともに仲良く豊かな海の恩恵にあずかっていたのです。

ここで獲れた鮮魚はサンフランシスコにも運ばれて行ったそうですが、乾燥したアワビやフカヒレ(shark fins)は、遠く中国の広東省にも輸出されたそうですよ。その頃には、中国系漁師さんは大繁盛で、今のキャナリーロウのあたりには、立派な中華街ができていたとか!

1890年代には、日系人も住むようになり、漁をしたり、缶詰工場を建てたり、近くに農地を開墾したりして、モントレーには日本街もできていたのでした。

けれども、19世紀末には、カリフォルニア全体でアジア系移民に対する差別や偏見が厳しくなったことと、モントレーの漁港にはイタリア系の漁師が入ってきたこともあって、モントレーの街はどんどん様変わりしていくのです。

きっと、モントレーのフィッシャーマンズウォーフにイタリア系レストランが多いのも、このときのイタリア系漁師さんたちの末裔ではないでしょうか。

今では、モントレーの街には中華街も日本街も見かけませんし、近くのカーメルは、芸術家が住むようなオシャレな街(写真)に変身していますし、中国人居住区ができた頃のおもかげは、どこにも残っていません。

でも、それは、差別の中にあっても、中国系や日系の方々がたくましく別の産業に従事するようになり、このあたりの漁場や農地から離れて行ったことを示しているのかもしれませんね。

というわけで、なんとなく散漫なモントレーのお話になってしまいましたが、実は、友人家族はショッピングに夢中になっていて、歴史のお話をする機会も限られていたので、「モントレーのおみやげ」の代わりに、ここにつづってみた次第です。

追記: 文中に出てきた「わたしがサンフランシスコに来た頃にお世話になっていたおばあちゃん」ですが、この方は、ある俳優さんのおばあちゃんです。学校でピアノのクラスをとっていたとき、ご自宅のピアノで練習させてもらったり、ご自慢のパウンドケーキをいただいたりと、大変お世話になりました。

モントレーの地を訪れると、必ずおばあちゃんを思い出すのですが、まさにモントレーの歴史を体現なさる方なのです。

それから、ご参考までに、サンフランシスコ市内から「シリコンバレーの首都」サンノゼまでは、車で南に1時間くらいの距離です。サンフランシスコ空港からは、北へ20分行くとサンフランシスコ、南へ40分行くとサンノゼといった位置関係です。
 来年1月には、サンノゼ~成田間にANAの「ドリームライナー」ボーイング787が就航しますので、サンノゼにもグンと来やすくなりますね。

参考文献: モントレーのプレシディオについては、米国陸軍「Presidio of Monterey」ウェブサイト“History of the Presidio” by Dr. Stephen M. Payne を参考にしました。

中国系移民が築いたモントレーの漁業については、モントレー郡歴史協会(Monterey County Historical Society)ウェブサイト“Chinese Start Monterey Fishing Industry” by Jonathan Kemp を参照しました。
 また、日系人のモントレー地方での活躍については、カリフォルニア日本街(California Japantowns)ウェブサイト“Monterey”を参考にいたしました。

アメリカ合衆国? 合州国?

ふと思ったのですが、「アメリカ」という国名を和訳するときに、どんな表記を使われるでしょうか?

アメリカ合衆国

それとも、アメリカ合州国

どうやら、現在は、日本国内では「アメリカ合衆国」という表記で統一されているようですが、以前は違ったんですよね。

そう、以前は「アメリカ合州国」という表記が一般的だったんです。

ものすごく鮮明に覚えているエピソードがあるんですよ。

わたしが子供の頃、父が本の原稿を書いていて、そのときに「合衆国」という表記を使ったんです。そうしたら、編集者の方が「合州国」の間違いでしょ? と、赤ペンで添削したんです。

けれども、父は、「州が合わさった国」という意味よりも、「衆(人種)が寄り集まった国」という意味を強調したかったので、わざと「合衆国」を使っていたんです。

それで、編集者に説明をして、また「合衆国」に直させてもらったのでした(もしかしたら、「これは間違いじゃなくて、わざと使ってるんですよ」と但し書きを付けたのかもしれません)。

いえ、本の編集者って、言葉にもっとも敏感な方々ですから、特別な理由がない限り、一般的な表記から逸脱することはできなかったんですね。


ところが、いつの頃からか、気がついてみると「合衆国」の方が通称になっているんですよ。

アメリカの正式名称は、the United States of America ですから、「合州国」という表記だって間違いではないとは思うのですが・・・。

それで、たとえば、アメリカ自身はどうしているかと思って、在日アメリカ大使館のホームページを調べてみたんです。

すると、彼らは単に「米国」という言葉を使っているんですね。

そう、アメリカ大使館ではなくて、「米国大使館」。

アメリカ政府ではなくて、「米国政府」。

さらには「米国通商代表」とか「米国海兵隊」とか、すべて和訳は「米国」で統一してあるのです。

ふ~ん、なるほど。たしかに、和訳としては、そっちの方がシンプルかもしれませんね。


それで、「合衆国」「合州国」「米国」どんな呼び名を使ったにしても、アメリカっておもしろい国ですよね。

なぜって、ひとつひとつ州が増えていく、といった国の成り立ちをしているから。

もちろん、ここでは、北米大陸に先住民族が暮らしていた頃ではなくて、白人社会ができ上がったあとのアメリカという国のお話をしておりますが、ご存じのように、現在の「50州+首都ワシントンD.C.」ができあがるまでには、かなり時間がかかったんですよね。

そう、日本でいうと、県がひとつひとつ日本国に追加されていった感じ。

アメリカ人だって、どの州が何年にアメリカの仲間入りをした(admitted to the Union)なんて、正確には知らない人がほとんどだと思います。わたしだって知りません(だって、ものすご~く複雑なのですから)。

ただ、なんとなく、最初にイギリスの植民地になった「東部13州(邦)」があって、この13州がイギリスから独立したあと、どんどん西に領土を広げていった、というくらいは知識としてありますね。


そう、イギリスから一番近い大西洋岸には、マサチューセッツやニューハンプシャー、ニューヨークやペンシルヴェニア、そして、南に向かってノースキャロライナ、サウスキャロライナ、ジョージアと、13の州(独立前は「邦」)がありました。

地図では赤い部分になりますが、これが、アメリカオリジナルの東部13州(the original 13 colonies または the original 13 states)と呼ばれていますね。
(13州については、『国旗の日「Flag Day」』というお話で列記したことがあります)

長かったイギリスとの独立戦争(the American Revolutionary War)が終わり、1783年、パリで正式に停戦条約(the 1783 Treaty of Paris)が結ばれたときには、アメリカの東側の3分の1くらいが領土となっていました(地図ではピンク色の部分)。

そして、お次は、真ん中あたりが領土となりました(地図の茶色の部分)。

そう、ルイジアナ買収(the Louisiana Purchase)という言葉は記憶にありませんか?

これは、アメリカの真ん中がスペインの手を離れフランスの領土となっていたものを、1803年、1500万ドル(現在の価値で約2億ドル、180億円くらい)でフランスから買い取ったというものですね。

あれだけでっかい土地ですから、180億円だって安い買い物だったに違いないです。

19世紀も進んでくると、スペインの領土だったフロリダ半島や、メキシコ(スペインから1821年に独立)の統治下にあったテキサスやカリフォルニアの周辺、そしてイギリスと共有していたオレゴンやワシントンと、順繰りにアメリカに加えられていったのでした。

たとえば、カリフォルニアは、1850年に州となっています。ちょうど、前年にシエラネヴァダ山脈で金鉱が発見され、そろそろゴールドラッシュを迎える頃ですね。

ここで、ようやく、本土48州(the contiguous United States または the Lower 48)の完成となります。(1912年にニューメキシコとアリゾナが加わり、48州となっています)

そして、この「本土48州」に加えて、1959年に「飛び地」のアラスカとハワイがアメリカの仲間入りを果たして、現在の50州となりました。

つまりは、本土48州ができあがるまでには、129年(1783年~1912年)。

現在の50州になるまでには、176年(1783年~1959年)もかかったというわけです。


もともとは、先住民族の方々が住んでいた広大な土地を、イギリス、フランス、スペインとヨーロッパ諸国が領土としたあと、独立後のアメリカが少しずつ「自国」の領域を広げていった。

そんな成り立ちをしているので、50州ができあがるまでには、ずいぶんと時間がかかったというわけなのでした。

そうやって考えてみると、「アメリカ合州国」という和訳だって、単に州が集まった国というわけではなくて、歴史の重みのある呼び名のような気もしますよね。

Less is more(少ないのがたくさん?)

今日のお題は、とってもシンプルです。

Less is more.

A is B の基本形ですね。

そう、「AB である」

B」にあたる more は、「もっと多い」「もっとたくさんの」という意味の形容詞ですね。

たとえば、

More and more people are trying to lose weight.
 近頃は、ダイエットしようという人がどんどん増えている。

一方、主語になっている less は、普通は、形容詞として知られていますよね。

たとえば、less than ~ という形で「~より少ない」という意味。

You have less than three minutes to solve the mathematical problem.
 その数学の問題を解くのに、あと3分を切りましたよ。

でも、Less is more の文章では、less は「少ないこと」という意味の名詞となります。


それで、Less is more を和訳してみると、ヘンテコな文章になりませんか?

少ないことが、よりたくさんである。

なんだか哲学的なお言葉ですが、Less is more は、近頃、ちょいと流行っている表現なんです。

少ない方が、より充実している(心が満たされる)、みたいな意味でしょうか。

今まで、とくにアメリカでは、「物質文化(material culture)」と呼ばれてきたように、モノが優先してきたでしょう。モノをたくさん持つことは良いことだ、みたいに。

モノを持てば古くなる。古いものは捨てられる。ちょっと前まで新しかったものが、気がついたら、もうゴミの山に放り込まれている、といった日常。

そんな物質文明に警鐘を鳴らすように、すでに1960年代あたりから、モノにこだわらない人たちも出てきたわけですね。

モノをたくさん持つことは、決して幸福にはつながらない。

それが、Less is more の精神ともいえるでしょうか。


別の表現では、minimalism とも呼ばれています。

「ミニマリズム(最小限主義)」と訳される言葉ですが、たとえば、絵画や音楽の世界では、ごくシンプルな作品を指しますね。

簡単に言って、すっきり、くっきり。まるで清少納言の『枕草子』みたいに、少ない言葉(や音や楽器や色や形)でストレートに心を表現するもの。

そして、建築やインテリアの世界でも、身の回りをすっきりさせて、余計なものを置かない主義を指しますね。そう、ごくモダンな感じ。

日本の「禅(zen)」の精神にも通じるような、余計なものを排除して心を研ぎ澄まし、最小限度のもので自己を表現する、といった感じでしょうか。

ですから、minimalist(ミニマリスト)といえば、芸術家には限りません。たとえば、家の中にあまり物を置かないで、必要最小限のモノと暮らす人のことでもあるのですね。

She is a minimalist and doesn’t keep too many belongings.
 彼女はミニマリストだから、あんまり持ち物を持っていないんです。

この minimalist という言葉も、近頃、よく耳にする表現なんですよ。


それで、この Less is more を書こうと思いついたのは、オリンピック関連の報道で、ロンドンを紹介するひとコマを観たときでした。

ロンドンでお買い物といえば、Harrods(ハロッズ)。19世紀初頭にできた由緒正しいデパートで、豪華絢爛の売り場は、もう歩いているだけで楽しいとか。

けれども、そんなきらびやかな映像を観ながら「昨年イギリスを旅したときには、ハロッズは行かなかったなぁ」と、ふと気がついたのでした。

ロンドンの行動範囲からちょっと外れていたこともありますが、あまり頭の中に「お買い物」という考えが浮かばなかったからでした。それよりも、ウェストミンスター寺院やバッキンガム宮殿の衛兵の行進の方がおもしろそうかなと・・・。

そして、もしかすると、人は歳月とともに、だんだんと Less is more の精神になっていくものかもしれませんね。

ひととおり、いろんなモノを買ってみたし、もういいや! みたいな感じでしょうか。


でも、その反面、「買いたいモノがいつでも買える」幸福な生活を送っているからこそ、Less is more なんて悠長なことを言っていられるのかもしれません。

だって、もしも毎日お腹を空かせていたら、「もっと、もっと食べたい!」と思うでしょう。

わたしの祖母は、若い頃、上海で働いていたことがありました。

決して「たらふく食べられる」状態にはなかったようで、ある日、誰かにいただいたカステラを仲間たちと分け合って食べたとき、こう思ったそうです。

できることなら、このカステラにムシャムシャとかぶりついて、全部ひとりで食べてみたい!

祖母が存命の頃は、上海で働いていたことすら知りませんでしたが、母から聞き語りでこの話を聞いたとき、祖母のかの地での苦労を実感できたのでした。

そして、「嫁」である母にとっても、義母をより深く知るきっかけとなったエピソードなのかもしれません。

というわけで、Less is more

少ない方が、心が充実することもある。

なんだか哲学的な表現でもありますし、いろいろと哲学させられる文章でもあるのです。

国民と市民: 政治家の目線はどこに?

Vol. 156

国民と市民: 政治家の目線はどこに?

めでたくロンドンオリンピックも開幕し、スポーツが繰り広げるドラマにくぎ付けになる季節がやって来ました。

世界対抗のイベントが開かれると、いつも祖国の活躍ぶりが気になるのですが、そんな今月は、「国民」とか「市民」についてつぶやいてみたいと思います。

そのあとに、なつかしい製品のお話も続きます。

<「国民」の独り言>


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普段は、あまり小説を読むことはないのですが、今、人気絶頂の東野圭吾氏の作品を手に取ってみました。
『秘密』という長編小説で、ある男性が妻と娘を事故で失ったところから始まる、ちょっと不思議なお話です。

読み始めて、まず感じたことは、この小説は男性の視点に立ったストーリーなんだな、ということでした。女性にとっては「ふ~ん、男の人の頭の中って、こんなになってるんだぁ」と感心するような、男っぽいモノの見方とでも言いましょうか。
ついでに、和室の卓袱台(ちゃぶだい)に座っているような、どことなく日本家屋の生活空間を眺めているような感じもしたのでした。
 


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それに比べて、宮部みゆき氏の長編小説『理由』を読んだときには、男とも女ともつかないような、中性的な視点を感じたのでした。
現に、この作品には主人公というのが定まってなくて、性別も年齢も違う人々が順繰りに主役を演じ、各々の視点でモノを見ながら、ひとつのストーリーを構成するような小説でした。

ついでに言うなら、「名探偵・浅見光彦」で知られる内田康夫氏の作品群は、どちらかというと第三者的な、登場人物からは引いた視点(ときに作者自身の視点)で書かれているのですが、いずれにしても、書き手が異なれば「視点」の取り方も大きく異なるわけですね。

小説家の「視点」は、政治の世界では「観点」と言うべきものでしょうか。そう、今の言葉で「目線(めせん)」。
よく「国民目線」とも呼ばれますが、政治家がどこからどこに向かって視線を投げかけているのか、ということですね。

それで、私事で恐縮ではありますが、この「国民目線」という言葉が大っ嫌いなのです。それこそ「ヘドが出るくらいに」または「むしずが走るくらいに」大嫌いな言葉なのです。

「国民目線」と耳にすると、政治家のこんな独り言が聞こえて来るような気がするのです。
どれどれ、普段は高みにいるわたしが、わざわざへりくだって国民の視線でモノを考えてやろうじゃないか。いや、まじめに考えなくてもいい。なぜなら、庶民のことなんて、わたしにはまったく関係のないことだから。だが、少しくらいは、国民の立場で考えたふりをした方がいいな。そうしないと、昨今、有権者の受けが悪いからな。

実は、わたしが「国民目線」という言葉を大嫌いになった瞬間があるのです。それは、テレビでこんなコメントを耳にしたとき。
日本政府が原子力なんとか委員会を設けようと、何人かの委員を指名しましたが、指名されたひとりが「これからは、国民目線に立って制度を見直していこうかと・・・」と発言した瞬間。

この「おばさん」は、東京電力の子会社に籍を置く人でしたが、たかが東電の子会社ごときで、ここまで自分を高みに置いているのかと、びっくりしたのでした。
なるほど、子会社がこうなら、親会社は推(お)して知るべし。戦時中の「半官半民・日本発送電」の体質が骨の髄まで染み込んでいるのだろうと、「官」のおごりの恐ろしさを感じたのでした。

東電がこうなら、「官」の権化である役所も、それを司る政治家も同じことなのでしょう。みなさん、ことさら「国民目線」になってみないと、一般市民の立場に立ってモノを考えることなんてできないのでしょうね。

だいたい、「国民」という言葉が存在することから不思議な気がするのですよ。

「国民」という言葉や認識が世の中に存在するならば、それに対峙する「何か」が存在しなければならいわけですが、この「国民 VS. 何か」の構造で「何か」に相当するものが、政治家とか官とか、いわゆる「民」に対峙する「力」なのでしょう。

「力」とは、「民」をコントロールするもの。体制(官僚政治)とか権力(市民生活への影響力)とか、「民」を操ろうとするもの。

 


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わたしが「国民」という言葉を奇異に感じているのは、たぶん英語には「国民」に該当する単語が無いからでしょう。

いえ、たとえば、ある国の国民という意味で、countryman という言葉を使うことがあります。
ただ、こちらは単に「ある国に生まれ、そこに住む人(inhabitant)」の意味合いが強い言葉で、とりたてて「国民 VS. 力」の構図に当てはまるものではありません。

Fellow countrymen! 「我が国の同胞よ!」と、親しげに呼びかける言葉でもあります。

一方、日本語の「国民」に近い単語となると、citizen になるのかもしれません。「市民」と和訳される言葉ですが、これは「国民」の意味合いでよく使われるものです。

たとえば、citizens of the United States というと、「米国民」ということになります。
 


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そして、アメリカの政治家は、こんな表現を好んで使います。

We the citizens of the United States つまり「わたしたち、アメリカ市民」

法的な狭義では、米国の市民権(citizenship)と選挙権を持つ住民(米国生まれか、米国に帰化した移民)という意味ですが、広義には、単にアメリカに住んでいる住民という含蓄もあるのでしょう。

演説では、My fellow citizens! 「わたしの同胞である米国民たちよ!」と呼びかけることもあります。親しみを込めながらも、仲間を鼓舞するような呼びかけになります。
 


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この citizens という言葉の代わりに、単に people(人々)を使うこともあるでしょう。

We the people of the United States 「わたしたち、アメリカに住む者」と、ごく簡潔な表現です。
米国憲法の冒頭(写真)に出てくる主役でもあります。

それで、このような政治家が好んで使う表現に共通することは、「政治家である自分は、国民の中にある」という自覚だと思うのです。

We the people とか、we the citizens というのは、あくまでも政治家は国民と一体であって、「国民 VS. 力」といった、コントロールする側とされる側の構図にはないことを表明した言葉だと思うのです。
つまりは、「政治家は国民の代表者であって、決して権力ではない」という認識があるのではないかと感じるのです。

いえ、わたしは決してアメリカを賛美しているわけではありません。もちろん、アメリカの政治家の中にも、社会的名誉や権限、私利私欲ばかりに目を向けている人もいるでしょう。
ただ、そんな政治家にしたって、「国民 VS. 力」の片鱗を見せただけで、アメリカ国民にそっぽを向かれ、政治生命を失ってしまうのではないかとも思えるのです。

と、いろいろゴチャゴチャとつぶやいてしまいましたが、そんなわけで、「国民目線」という言葉は大っ嫌いだし、そんな表現があること自体、なんだかヘンテコな感じがするんですよ。

<カシオのデジタルカメラ一号機>


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話はガラッと変わります。

先日、連れ合いが、何年かぶりに昔の同僚からメールを受け取りました。シリコンバレーのスタートアップ会社で共に働いた仲間で、彼女が南カリフォルニアに引っ越してからは、連絡も途絶えていたのでした。

突然のメールの主旨は、こんなものでした。

二、三日前、親戚を招いてパーティーを開いたんだけど、その場でデジタルカメラの話題になったのよ。わたしは、あなたが日本からデジタルカメラを買って来て、会社で披露したのを覚えているから、最初にデジタルカメラが登場したのは、1995年だと主張したの。そしたら、「いや、もっと遅いはずだ。だって、アメリカではそんなに早い時期に見たことがない」って反論する人がいたのよ。

わたしは、あの初めて見たデジタルカメラをよく覚えているの。だって、びっくりしちゃったんだもの。だから、もしもあのときのカメラを持っているようだったら、お借りすることはできないかしら? あの反論した親戚に、実物を見せたいのよ。
 


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どうやら「親戚の鼻を明かしたい」という主旨のようではありますが、話題になっていたデジタルカメラとは、その名も「Casio QV-10(カシオ キューヴィー・テン)」。

日本のカシオ計算機が、1995年3月に発売した、一般向けデジタルカメラ第一号機です(写真はWikipediaより)
 


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まあ、最初にデジタルカメラをつくったのは誰でしょう? と問われれば、アメリカのイーストマン・コダック社の方だそうですが、それを誰もが持ち歩けるサイズに小型化し、なおかつ、実用に耐えうる解像度を実現したのが、カシオの QV-10。

左端にあるレンズがクルッと回転するおもしろいデザインで、角度を調整しながら、被写体が撮れます(写真はWikimedia Commonsより)


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そして、なんと言っても、被写体を覗くファインダーの代わりに、液晶画面を採用したところ(!)が画期的でした。画面は小さく、画質もあまり良くありませんが、今の「ファインダーを覗かない」デザインの先駆けとなりました。

さらに、ケーブルでパソコンにつないで画像を簡単に取り込めるようにもなったので、フィルム不要の便利さと相まって、消費者に「デジタルカメラ」の概念が受け入れられるきっかけとなった、輝かしい製品なのです(写真はdigicamhistory.comより)

個人的には、デジタルカメラは世界の文化を変えてしまったほどにスゴい機能だと思っているのですが、大事なのは、最初に誰がつくったかではなくて、最初に消費者に広まったのは、 QV-10 のような、わかりやすくて、使いやすい製品だったということなのです。

というわけで、新しいモノに目がない連れ合いは、発売とほぼ同時に QV-10 を購入し、シリコンバレーの同僚たちに「どうだ、すごいだろう!」と披露したのでした。
それをずっと覚えていた人がいるくらい、シリコンバレーの人にとっても印象深い製品だったわけです。
 


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この「カシオ QV-10」に続いて、1998年には「オリンパス Camedia C-900」を購入しました。ポップアップ式ストロボが付いて、3倍ズームレンズ搭載機としては、世界最軽量のモデルでした(写真はオリンパス社サイト『カメラの歴史』より)

が、残念ながら、今はどちらも手元にありません。デジタルカメラの黎明期に出た製品は、すべて慈善事業に寄付してしまったのでした・・・。

こんなことなら、大事に取っておけばよかったねと後悔したことでしたが、まあ、デジタルカメラのような「消耗品」を全部保存していたら、どれだけ収納スペースが必要になるかわかったものではありません。

だって、テクノロジーの世界は、日進月歩。昨日の新製品も、明日には追い抜かれているかもしれない運命にあるのです。

だからこそ、絶えず前向きなのが、エンジニアの気質です。そう、昨日より今日、今日より明日が一歩前に進んでいられるような、上向きのベクトル。

昨日の作品を見て、「穴があったら入りたい」くらいに恥ずかしいと思わなければ、それは、現状維持にもならない、退屈な下向き曲線。

だから、そんな退屈はイヤだって、みんなががんばる上向きベクトルに支えられてきたのが、日本という国なのでしょう。たとえ上から押さえつけられようとも、「そんなの関係ないじゃん!」って、はねつける強さがあるのです。

夏来 潤(なつき じゅん)

次号のお知らせ: 次回8月号は、新しいモバイルサービスを取り上げ、8月8日に掲載する予定です。



鎌倉の紫陽花(あじさい)

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梅雨時の花は、紫陽花(あじさい)。

雨のシーズンと知りつつ戻った日本では、あちらこちらの街角で可憐な花を見かけました。

東京近郊で紫陽花の名所とされるのは、神奈川県の鎌倉。しっとりとした海沿いの古都ですが、6月下旬の日曜日、花を観ようと鎌倉まで出かけました。

東京の恵比寿(えびす)駅から「湘南新宿ライン」に乗って、鎌倉駅で下車。そこから「江ノ電」の愛称で知られる江ノ島電鉄に乗り換え、極楽寺(ごくらくじ)駅で降ります。

この辺りには、長谷寺(はせでら)や光則寺(こうそくじ)といった紫陽花の名所もありますが、向かった先は成就院(じょうじゅいん)。

なぜって、前日にテレビで紹介していたから。

と、そう思って成就院にやって来た人は大勢いたようでして、極楽寺駅から一本道をのぼって行くと、目の前には、いきなり長蛇の列。列は延々と寺まで連なっているのですが、交通整理の係員まで駆り出され、鎌倉の花の人気を物語っています。

その長蛇の列を見てひるんだ連れ合いは、「もう帰ろうよ」と言うのですが、せっかく鎌倉まで来たのですから、一株くらいは紫陽花を見たいではありませんか。

そこで、あきらめきれずに一本道を進んで行くと、緑のトンネルみたいなこんもりとした箇所が出てきて、さらに先に進むと、テレビで観たような寺の登り口が見えてくるではありませんか!

そうなんです、小高い丘の上の成就院には、登り口がふたつあって、極楽寺駅から手前の方が、混んでいた入り口。そして、遠い方の登り口は、まったく混んでいないので、スイスイと登れそうです。

こちらの登り口は、寺の墓地のある裏手で、ちょうど住職さんが法要を終えて、墓地から出てきたところでした。

そして、紫陽花が咲いているのは、実は、こちら側から登る階段なのですね。

というわけで、順調に紫陽花の道にたどり着いたわけですが、さすがに階段を登り始めると、みなさん色とりどりの花に見とれたり、記念写真を撮ったりと、とたんに交通渋滞しているのです。

さらに、ここの紫陽花の醍醐味は、背景に由比ヶ浜(ゆいがはま)が見えること。ですから、みなさん「煩悩(ぼんのう)」と同じ数の108段を踏みしめながら、花を愛でたり、振り返って海を眺めたりと、まあ、忙しい、忙しい。

この寺には、全部で262株の紫陽花があって、これは『般若心経(はんにゃしんきょう)』の文字数と同じなんだそうです。けれども、実際にはもっとたくさんあるんじゃないかと思えるほど、いろんな紫陽花が丘一面に咲き誇っていたのでした。

紫や青。赤っぽいのや白っぽいの。そして、日本古来の楚々としたガクアジサイに、ぽったりとボリュームのある西洋アジサイ。

まさに、今が見頃! やっぱり、鎌倉に来て良かった!

そんな成就院の花々に加えて、この日は、住宅地に咲く星形の目新しい紫陽花を見つけたり、街路樹の根元に開花する紫陽花に元気をもらったりと、まさに「紫陽花づくし」の一日なのでした。

紫陽花は、わたしの一番好きな花なのですが、それは、カサカサと風化してしまいそうな儚さ(はかなさ)もあり、思わず手で包み込んであげたくなるような花だから。

けれども、その一方で、雨が降れば降るほど、だんだんと元気になっていく不思議な花でもありますね。

雨が降ってくると、そこらじゅうのジメジメを吹き飛ばしてくれるほど、凛(りん)と頭をもたげるのです。

そう、梅雨の紫陽花は、真夏の夜空に咲く、打ち上げ花火のようなもの。

繊細な中にも、華やかさと強さがある。

そして、これほど雨の季節に似つかわしい花は、ほかにはないのかもしれませんね。

「待ちぶせ」画面(?)物語

先日、友人夫婦とランチをしました。昔からの友人夫婦で、東京に来ると定期的に食事をご一緒する夫妻です。

娘さんがいらっしゃるので、夜は自宅に戻りたいということで、いつもランチにするのですが、その娘さんも、もう大学4年生。

お受験を見事に克服し、第一志望の有名私立大学に通う彼女は、来年の春には、一流銀行の営業部に就職が決まっているのです。


折にふれて、彼女の成長ぶりは写真で見せてもらっていたのですが、最後に会ったのは、なにせ中学生の頃。厚ぼったい眼鏡をかけた彼女は、中学生にしては大柄なものの、どことなく子供っぽいイメージが残っていました。

その彼女が、来年就職するのです!

「自分の人生の中で、一番ブスだった(本人談)」中学生の頃からは華麗に変身し、それこそ、どこに出しても恥ずかしくない「自慢の娘」となったのでした。

そこで、娘さんの近況をお披露目しようと、友人がダンナさんに問うのです。

「あなた、娘の写真が『待ちぶせ』画面にあったわよね?」

もちろん、彼女が言いたかったのは「待ち受け画面」のこと。ダンナさんのケータイの待ち受け画面には、娘と友達がにこやかに笑うスナップ写真が採用されていたのでした。

なるほど、どこかのグループでデビューできそうな、かわいらしいレディー。あの分厚い眼鏡の女の子とは、大違いなのです!

女の子って、ほんとに蝶が蛹(さなぎ)から脱皮するように、見事に変身をとげるものですねぇ。


それにしても、友人の「待ちぶせ画面」には大笑いしてしまったのでした。

ふとした勘違いなので、余計におかしいのですが、この言葉を聞いたわたしの頭の中には、こんなストーリーが・・・

たとえば、あるダンナさんのケータイに奥方と娘の写真が採用されていたとしましょう。

ある晩、彼は会食のあと、二軒目に誘われるのです。

でも、いかんせん、彼は会食のあと「すぐに帰る」と約束していました。

が、会社員たるもの、お得意様の誘いをむげに断るわけにもいかない・・・

そこで、ケータイで奥方に連絡しようとするのですが、「待ちぶせ画面」の奥方は、なにやら鋭い目つき・・・

ダンナさんは、なんとなく「二軒目に行く」とは言い出しにくく、口から出た言葉は、「あ、今から帰るね」だったのでした。

そう、まさに行く手をふさごうと、ケータイ画面で「待ちぶせ」していた奥方だったのでした。

と、そんな想像が一気に頭の中を駆けめぐるほど、友人の勘違いは「名言(迷言)」ではありました。


それにしても、このダンナさんは、ブツブツと小言をつぶやきながら家路に着いたことでしょう。「彼女だって、何年か前までは同じ会社にいたんだから、仕事のしきたりは十分にわかっているはずなのに・・・」

いえ、女性は元来、強い生き物なのです。新しい環境への適応能力は、男性とは比べものにならないほどでしょう。

それに、鋭い目つきで行く手を「待ちぶせ」していた奥方は、案外、シャカシャカとへそくりを貯めているのかもしれませんよ。

いえ、自分のためではありません。社会保障制度があてにならないので、ふたりの老後のために、がんばって貯めているんです。

そう、結局のところ、最後にあてになるのは、いつの世も奥方なんですよね。

そして、つねに家族の幸せを第一に考えているのも彼女なんです。

そう、ちょうどこちらの短冊(たんざく)の方のように、「毎日 笑顔ですごせますように」って。

だから、世の中って、問題がありながらも、ちゃんとまわっているものなのかもしれませんね。

食いしん坊な追記: お料理の写真は、最初のものが、東京・港区赤坂にある東京ミッドタウン内の和食レストラン、「HAL YAMASHITA(ハル ヤマシタ)東京」の有機野菜のテリーヌ。ご自慢の有機野菜をふんだんに盛り込んだ、とってもヘルシーなテリーヌです。
 女性にうれしい、カロリーをおさえたランチコースを彩る一品目となります。

次の写真は、港区六本木にある日本料理「龍吟(りゅうぎん)」の夏のコースの一品。名づけて「“焼きとうもろこし”仕立ての流し豆腐 “生うに”と“揚葱”を乗せて」。
 とろりとしたクリーム状のトウモロコシの流し豆腐に、すがすがしいジュレとウニがのっていて、カリッと揚げた葱(ねぎ)のトッピングとかわらしい葱の花が飾られています(ネギの花って、初めて見ました!)。

こちらのお店は、躍動感あふれる鮎(あゆ)の姿焼き「“泳がし鮎”の炭火焼」でも有名なのですが、鮎と同じくらい気に入ったのが、このトウモロコシとウニ。

素人では考えもつかないような、絶妙な素材のハーモニーがすばらしい!

レストランのメニュー

今日は、アメリカのレストランに行ったら、こうした方がいいんじゃないかな? というヒントを、ひとつご紹介いたしましょう。

それは、メニューを見て何を注文するかが決まったら、メニューを閉じて、テーブルの上に置くということ。

なんとなく単純な話にも思えるのですが、これをやらないと、いつまでもオーダーを取りに来てくれないケースもあるのですね。

メニューを開いた状態でテーブルに置いたり、メニューを手に持ったりしていると、「あ~、あの方はメニューを見ながら、まだ迷っていらっしゃるんだな」とウェイター(ウェイトレス)が気を利かせて、わざとオーダーを取りに来ないのです。

人によっては、ドリンクのオーダーを取ったあと、「何かメニューに関してご質問がありますか?(Do you have any questions about the menu?)」と、相手の表情をさぐりに来る場合もあります。

ドリンクを持って来たあと、「お決まりになりましたか? それとも、もう少しお時間が必要ですか?(May I take your order? Or do you need more time?)」と、様子をうかがう人もいます。

けれども、それも人それぞれで、「高級レストラン」と自負するお店では、あまりお客をせかさないのが習慣となっているようです。


元来、西洋人って、メニューを眺めている時間が長いんですよね。

何をあんなに迷っているんだろう? と、こちらが心配になるほど、じっくりと熟考なさるんです。たぶん、料理のことを考えながら、いろいろと迷うのが楽しいのでしょう。

ですから、そんなところでは、「お客をせかさない」のが礼儀なんですね。

決して、ウェイターが「お客を無視している」わけではありませんので、その辺は日本とは違うんだ、と理解していただければ良いと思うのです。

ま、どちらかというと日本人はせっかちですので、「早くオーダーを取りに来てよ!」と思うこともありますが、そういうときには、ウェイターに目くばせをするとか、軽く手を挙げるとか、何かサインを送ってあげればいいのはないでしょうか。

そういう場合でも、あくまでも、メニューは閉じておくことをお勧めします。


それで、ふと思い出したのですが、メニューに関しては、ヨーロッパでおもしろい体験をいたしました。

イタリアに旅したとき、トスカーナ地方を散策したあと首都ローマに立ち寄ったのですが、ここではトスカーナでは味わえないような「高級感あるイタリア料理」を試してみることにしました。

選んでみたのは、ガイドブックにも載っているような老舗の名店で、美しい店内にうやうやしく案内されると、隣のテーブルには、新婚旅行らしき日本人カップルもいらっしゃいました。

真っ白なテーブルクロスの席に着いて、メニューが手渡されると、困ったことに、心配ごとがふたつ出てきました。

ひとつは、どれくらいの品数を頼めばいいのかわからないこと。

イタリアのレストランって、量が多い印象があるでしょう。アンティパスト(Antipasto、前菜)、プリモ(Primo、パスタやリゾットなどの温かい一品)、セコンド(Secondo、肉や魚のメインディッシュ)と並んでくると、プリモあたりでノックアウトされそうなイメージが。

そして、もうひとつ困ったことに、メニューには値段が書かれていなかったのでした!

これには、さすがのわたしも、「え、すべてがマーケットプライス(market price、その日の仕入れ値)なの?」と、冷や汗をかいてしまったのです。

ちらっと連れ合いに目をやると、なにやら落ち着いた表情でメニューを吟味していて、協議の結果、コース料理はやめにして、前菜とメインディッシュ、デザートにしようよと合意したのでした。

で、お料理を楽しんでいる間は、値段のことなんか忘れて(忘れるように努力して)お皿の上の芸術に集中していたのですが、お店を出たあと、値段の無いメニューの話をしてみたのです。

すると、連れ合いは、こう言うではありませんか。「いや、僕のメニューには、ちゃんと値段が書いてあったよ」と。

なんと、イタリアの名店では、レディーにお出しするメニューには、値段を書かない習慣があるらしいんですね!

アメリカでは、そんなお店は極端に少ないし(その後、一度か二度アメリカでも経験しました)、だいたい、世の中に「レディーにはお金の心配をさせてはいけない」という気配りが存在することを知らなかったので、いや、ヨーロッパは違うものだと、ひどく感心したのでした。

この旅のあと、大阪のホテルのイタリアンレストランで、同じように値段の無いメニューを手渡されましたが、もう大丈夫!

冷や汗をかくこともなく、落ち着いてメニューを選べました(だって、値段がわからなければ、好きなものを頼むしかないでしょう?)。


それにしても、残念なことに、あのローマの名店では、「もう洋食はあまり食べたくない」状態だったので、凝ったお料理も少ししか頼みませんでした。

前菜二種にメインディッシュとデザート一品ずつを、ふたりでシェアした記憶があります。が、これは、よく我が家が使う手なのですね。

西洋料理は一皿が大きいし、とくにアメリカのレストランでは、メインよりも前菜の方がおいしかったりするので、前菜をたくさん頼んで、メインは減らす(シェアする)方法もありかと思うのですよ。

だって、自分の食べたいように品数を構成するのも、料理を楽しむ秘訣ですからね。

それでも、あのローマのお店では、隣の日本人カップルの方は、ステーキ付きのコース料理をがっちり頼んで、それを全部たいらげていらっしゃいましたね。

まさか無理をなさったわけではないでしょうが、あれだけ食べられるなんて、頼もしい限りなのです!

追記: レストランの写真は、サンフランシスコのパレスホテル(Palace Hotel)という老舗ホテルにある「ガーデンコート(Garden Court)」というレストランです。
こちらは、19世紀末に建てられたホテルの一階フロアの真ん中にあって、ガラス天井からは優しい光がふりそそぐ、雰囲気の良いお店なのです。
 サンフランシスコの名所であり、優雅なアフタヌーンティーでも有名です。

そして、お料理の写真は、最初のサーモンがガーデンコートのランチメニュー、次のキャビアがANAの国際線機内食。
 最後の和食は、東京・港区麻布十番にある「かどわき」という季節のおまかせ料理店の一品です。
 写真は、平目の薄切りにトリュフのスライスがのったもの。香りよいサマートリュフを平目でくるっと巻いて、こだわりの塩をかけていただきます。

まさに、「日本に生まれてよかった!」と実感するひとときですね。

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