おかえりなさい、チャーリーくん

今年最後の出番は、チャーリーくん。

 

 「チャーリー」とは、かの有名な漫画『ピーナッツ・コミック』の主人公、チャーリー・ブラウン

 

 そう、スヌーピーの同居人ですね。

 

 彼らの生みの親は、長年、サンフランシスコの北サンタローザに住まれたチャールズ・シュルツさん。没後は、この街に美術館ができています。

 

それで、毎年、年末になると、アメリカの郵便局(the U.S. Postal Service)はクリスマス用の切手を発売していて、今年は、チャーリーくんをはじめとして、ピーナッツシリーズの仲間たちがフィーチャーされました。

 

 それを知ったわたしは、ぜひクリスマスカードに使おうと、12月初めにネットで注文したのでした。

 

 ところが、いつまでも届かないのでメールで問い合わせると、「すでに配達したと記録にある」との返事です。

 

 じゃあ、週末が終わったら、再発送してもらうように電話しなきゃ・・・と思っていると、土曜日の朝、誰かが玄関のチャイムを鳴らしています。

 

ドアの外には知らない女性が立っていて、「これって、あなたのでしょう? うちの主人が大事なものだって言うから、持ってきたのよ」と封筒を差し出します。

 

 それは、紛れもなく、郵便局の切手が入った封筒で、ご近所さんの親切に感謝しながらも、「どうして一週間もそのままにしていたんだろう?」と、うらめしくも思ったのでした。

 

 せっかく戻ってきた「チャーリーくん」ですので、すぐに使いたいのですが、国内のクリスマスカードは出したあとだったので、来年の楽しみにとっておくことにしました。

 

(ちなみに、アメリカの切手は、今は国内用の「Forever(永久版)」と、写真のような海外用の「Global Forever(グローバル永久版)」があって、料金が上がっても、いつまでも使えるようになっています。
 チャーリーくんの切手は国内用なので、海外に使う場合は、何枚も貼らないといけないんですよね)

 


 そんなわけで、ちょっとケチのついたクリスマス切手でしたが、サンノゼ市内では、学校のクリスマス行事にケチがついたのでした。

 

 年末のこの時期、市内のカフェに「サンタさん」がやって来るので、ある公立幼稚園では、毎年クリスマス前の金曜日にサンタさんに会いにフィールドトリップ(体験学習)をするそうです。

 

ところが、あるユダヤ教徒のお母さんが、「クリスマスというキリスト教の習慣だけを子供たちに教えるのはおかしい」と異議を唱え、訴えられた学校側は、早々と今年のフィールドトリップをキャンセルしたのでした。

 

 ここで怒ったのが、他の親たち。「ひとりの親が文句を言ったからって、どうして親たち全員に相談もなく、今までの伝統を打ち切るのよ!」と、キリキリと先生たちを責めあげたのでした。

 

 結局は、キャンセルのまま「来年は考えます」ということで落ち着いたのですが、この「事件」をきっかけに、まわりの住民も地元紙の紙面で討論を繰り広げました。

 

 「もともと、公立の学校でクリスマス行事を奨励するのがおかしい。政教分離の主義を貫くためには、フィールドトリップはキャンセルして正しかったよ」と、ある人は主張します。

 

 また、ある人は、「そんなに目くじらを立てることはないでしょう。だって、幼稚園児の話をしているのよ。フィールドトリップの前には、教室でサンタさんにお手紙を書いたり、ソリを引くトナカイについて学んだり、たくさん勉強することだってあるのよ。第一、クリスマスって、みんなに優しくしたり、助け合ったりって思いやりの時期でしょう?」と、大人たちをなだめます。

 


 まあ、「政教分離(the separation of church and state)」というのは、ひどく正論ですよね。

 

 公立学校(幼稚園)であるかぎり、できるだけ宗教色は出すべきではないのでしょう。

 

そして、もしもクリスマスを教えるのなら、ユダヤ教のハヌカ(Hanukkah)、黒人コミュニティーで祝うクワンザ(Kwanza)、ヒンドゥー教のディワリ(Diwali:新年を祝う光の祭典)、アジア系の旧正月と、コミュニティー内で行われる他の習慣も教えるべきなんでしょう。
(ハヌカの燭台メノラの写真は Wikipediaより)

 

 けれども同時に、「そんなに目くじらを立てることではない」という二人目の意見にも賛成です。

 

 だって幼稚園児の話だし、何かしら学ぶことがあれば、クリスマスでもなんでも利用して、考える材料にすればいいのになぁ、と思うのです。

 

 サンタさんに書くお手紙だって、プレゼントをおねだりするばかりではなく、おもちゃを添えて「これを誰かにあげてよ」という子だっているそうですから。

 

わたしの知り合いにイランからやって来た方がいらっしゃって、カトリックの彼は、イスラム教国のイランでは異教徒の少数派。

 

 ですから、「クリスマスツリーは、テヘランのフランス大使館でもらっていた」と言うのです。

 

 キリスト教国ではクリスマス(降誕祭)は大事な時期ではありますが、ツリーを手に入れるのですら苦労する人がいる。

 

 そんな経験を知るのも大事なことかもしれませんよね。

 


 イラン出身の彼は、こうもおっしゃっていました。

 

いとこがシリコンバレーのショッピングモールで、宝石店に勤めているんだけど、年末あまりに買い物客が多くて、そんなのを見ていると、だんだんとクリスマスが嫌いになったらしいよ、と。

 

 まあ、アメリカではショッピングは「娯楽」のようなもので、感謝祭翌日のブラックフライデーお店が黒字になる金曜日)が終わると、今度はサイバーマンデーオフィスでネットショッピングの月曜日)、スーパーサタデークリスマス直前の土曜日)、クリスマス後のクリアランス、年末セールに新年セールと、限りなく「安売り商戦」が続くのです・・・。

 

 そういえば、クリスマスイヴの晩、毎年恒例になっているミサで、ローマ教皇フランシスコはこんなことをおっしゃっていました。

 

 この社会では、みんな商業主義や快楽主義、富、贅沢、見かけ、自己賛美といったものに酔いやすいのだけれど、質素にバランスよく、何が本来の姿かを見極めながら暮らすことが求められているではないか、と。

 

そんなお話をされる「フランシスさん」の左袖には、黄色いシミがあるではありませんか!

 

 そう、この方は、歴代の教皇よりも質素なお召し物なんですが、そんな簡素な服ですら、たくさんは作らずに、着まわしをされるんです。

 

 9月にアメリカにいらっしゃったとき、子供たちと一緒にお絵かきをしたかったんですが、「白の祭服の着替えが一着しかないので、絵の具が付いたら困る」という理由で、参加をあきらめたというエピソードがあるくらいです。

 

それから、頭に乗っける宝冠(miter)は、アルゼンチン・ブエノスアイレスで神父さんだった頃から愛用されているものだとか!

 

 この方は、ブエノスアイレス時代から「質素」「倹約」で知られる方ですので、現代社会の「物欲」とか「虚像」といったものに警鐘を鳴らされるのも無理もないのでしょうね。

 

 そして、わたしのように何教徒でもない者にとっても、何かしら、ありがたく耳を傾けたいことをおっしゃる方なんです。

 

 シンプルな言葉の中にも、深い意味合いが隠されている、というような。

 

 というわけで、いつの間にか「チャーリーくん」のお話が「フランシスさん」のお話に化けてしまいましたが、

 

年末から新年を迎える、この時期

 

 何か新しいことを知ってみようかなと、いつもよりも素直になれる季節かもしれません。

 

 

ハウステンボス 光の祭典

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11月中旬、母とふたりでハウステンボスに出かけました。



ハウステンボスは、長崎県の北部にあって、住所は佐世保(させぼ)市。



県南の長崎市からは、シーサイドライナーという各駅停車で1時間半の場所にあります。



ハウステンボスは、海を望む運河沿いの遊園施設ですが、ここへ向かう JR線も、海沿いを走ります。11月とは思えない穏やかな天気と海の色で、列車の中からもパチパチと写真を撮りました。



なんでも、中間地点にある千綿(ちわた)駅は、ホームの真正面に海を望み、地元の方々の応援でリフォームした駅舎では、カフェでお茶を飲んだり、地元米のおにぎりを食べたりと、のんびりできるようになっているとか。



わたしたちは途中下車しなかったですが、次回はぜひ、穏やかな大村湾に落ちる夕日を楽しみたいものです。



それで、目的地ハウステンボスは、とにかく大きな施設なので、歩く覚悟は必要でしょうか。



どちらかと言うとティーンエージャーに喜ばれそうな「スリラーシティー」や、子供たちが大好きな「アドベンチャーパーク」、それにバンジージャンプやワイヤーロープの滑降と、いろんなアトラクションがありますが、母とふたりの道行きは、落ち着いた街並みの散策となりました。



どの街角も美しく整備され、見学者の少ない平日、ゆったりとした道路を「ひとりじめ」した気分。



そうそう、このレンガ敷きの道路がまた凝っていて、単なる「レンガ敷き」ではないんですよ。斜めに互い違いにレンガを敷く工法を「ヘリンボーン」と言いますが、まあ、このヘリンボーン様式が多用されていること!



言うまでもなく、こちらは時間がかかる工法で、道路に対する「こだわり」にも感心します。園内にちりばめられる美しい建物とは、しっくりとマッチするのです。



そして、光の祭典。



正直に申しますと、訪れる前は、まったく期待していなかったんです。と言うよりも、「光のアート」がオススメだとは知らなかったので、ホテルにチェックインしてからは、お部屋でのんびりとリラックス。



それが、ディナー前のひととき、散歩に出てみて、もうびっくり!



ホテルから運河沿いを散策すると、色とりどりの「光の塊」が見えてきて、そちらに足を向けると、突然、頭の上から降ってくる光の流れ!



これが、『光の滝』と名づけられる、巨大な光の洪水。



いえ、こればっかりは、実際に見てみないと、迫力をお伝えすることはできません。



色が七変幻するだけではなく、背景には映像が現れては消え、あっ、と気がつくと、金色の龍が高い塔へ駆け上る、という演出です。



塔のまわりは、光の野原。歩道には、光の藤棚。運河には、刻々と変化するライトアップと噴水。



花と光、水と光の演出は、寒さが身にしみるまで、ずっと見ていたい光景です。そう、アメリカの「ストレートな」ライトアップとは違って、微妙なパステルカラーも魅力でしょうか。



ディナーを楽しんでいると、母の座席からは、ライトアップされた運河を通るクルーザーが見えたそうですが、船が通るたびに「あ、また通った!」と声を上げる母が、まるで子供のようではありました。



それほど、光というものは、人の心をひきつける力がありますよね。



この旅では、母に美味しいフレンチを! と、そればかり気にかけていましたが、思わぬところで喜んでもらったみたいです。



後日、母にフォトアルバムを作ろうと写真屋さんに行くと、『ハウステンボス』というタイトルを見て「あら、これって日本ですか? 外国かと思った」とおっしゃる店員さん。



そうなんです、外国旅行が大好きな母も、今は時間的な制約があって、国内が限度。けれども、「命の洗濯をした」と言ってくれたので、ハウステンボスの光の祭典は「当たり」だったのかもしれません。



いえ、べつにハウステンボスの宣伝をしているわけではありませんが、入り口の「おもてなし」も、気に入ったのでした。



出迎えてくれたマスコットの「ちゅーりーちゃん」をカメラに収めようと、「もう一度お願い!」とジェスチャーでおねだりしたら、ピッと右足を出して、あいさつしてくれました。



なんでも、右足をピッと出すのが、彼女の得意技なんだとか。



普段は、「日本の『ゆるキャラ』ってなぁに?」と不思議がっていたのですが、かなり喜んでいる自分に気がついたのでした。





年末号: オンディマンド経済、ドローン、 etc.

Vol. 197

年末号: オンディマンド経済、ドローン、etc.

今月は、一年を総括する年末号。ビジネス用語、オモチャ、社会問題と、みっちり3話ありますので、お好きな話題からどうぞ。

<今年のビジネス用語>
まあ、近頃は、世の中の変わりが激しくって流行語も一年ともちませんが、印象に残るビジネス用語を4つご紹介いたしましょう。

1) On-demand economy:「オンディマンド経済」は、「シェアリング経済」「共有経済」とも呼ばれます。一般市民が持ち物や時間を共有して、サービス提供者になったり、まるでテレビのリモコンで好きな「オンディマンド番組」を選ぶように、スマートフォンを使って気軽にサービスを利用したりする、新しい経済構造のことです。
 


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言うまでもなく、スマホでちょちょいと車を呼べる配車サービス Uber(ウーバー)や、一般家庭に泊まれる民泊サービス Airbnb(エアビーアンドビー)といった共有サービスから生まれた言葉です。
サービス提供者も利用者も、誰にも束縛されることなく、気楽に瞬時に「共有プラットフォーム」に参加できるところが受けています(タクシーやホテルより安価なところも評価が高いですね)。

たとえば、配車サービス Uberでは、ドライバーの7割が別の定職を持っていて、週に12時間働き、世帯収入の2割を補完する、というのが平均的だとか(カリフォルニア州だけで Uberドライバー登録者は16万人)。

そんなわけで、数年前は「〜を超える」という意味の流行語 überが、今では「オンディマンド」サービス Uberとして定着し、「なんとか分野のウーバー」という言葉もお目見えします。


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来年に向けて注目されるオンディマンド分野には、食べ物の宅配(food delivery)がありますが、DoorDash(ドアダッシュ)などは、さしずめ「食べ物宅配業のウーバー」。
インキュベーションで名高い Yコンビネータから生まれたサービスで、地元のレストランから45分以内で食事を運んでくれる、というもの。ピザ以外で「出前」のなかったアメリカでは、画期的な発想でしょうか。

でも、個人的には、レストランの雰囲気や行き帰りの街歩きだって大事だと思うのですが・・・。
 


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2) Unicorns:「ユニコーン」とは、ユニコーン(一角獣)のツノのように突出する様を表しますが、評価額が異常に高い(!)未公開企業のことです。
通常、評価額10億ドル(約1,200億円)以上のプライベート会社を指します(評価額(valuation)は、未公開企業が投資を募るときに、ベンチャーキャピタルなどの金融機関が算出)

先述の UberAirbnb は、全米ユニコーンチャートの1位と2位で、他には、ソーシャルサイトの Snapchat(スナップチャット)や Pinterest(ピンタレスト)、データ共有サービスの Dropbox(ドロップボックス)、ロケット開発の SpaceX(スペースX:創設者はテスラ自動車のイーロン・マスク氏)などが名を連ねます。

米テクノロジー業界では、今年、株式公開(Initial Public Offering:通称 IPO)を果たした企業が少なく、昨年62社だったところが、今年は28社にとどまりました。
ひとつの理由として、「評価額の高いユニコーンが公開したがらない」というのがありますが、その背景には、潤沢に与えられる投資とともに、公開すると株価・時価総額を保てない(つまり、公開を果たした企業は業績を厳しく吟味されるので、ある意味、それが怖い)という心理があるのでは? とも言われています。

今年は、中国経済に陰りが出たり、アメリカ経済も期待値ほど上向かなかったりと、不安材料もありましたので、せっかく公開したユニコーンの中にも、公開時の株価を下回る企業も出ています。


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ツイッターの創設者のひとり(現在は再びCEO)ジャック・ドーシー氏が設立した、モバイル決済サービス Square(スクエア)も、残念ながら、その一例となっています。
路上アートショーの版画家も、iPhoneを落としてガラスを割ったときに自宅に来てくれた修理屋さん(iCracked)も、Squareを愛用していたのになぁ・・・。

3) Talent war:「才能戦争」と直訳するとわかりにくいですが、つまり、「才能があると見込んだ人」をめぐって、企業が「人の取り合い」合戦を繰り広げることです。たぶん、一番の激戦区は、シリコンバレーでしょうか。

まあ、「シリコンバレーはもう古いよ」「我が街こそ新しいテクノロジーの中心地だ」と、全米各地の「シリコンなんとか地域」は主張します。
今は、ユタ州にだって、シリコンスロープ(Silicon Slopes)と呼ばれる ITエリアが存在するくらいですから、競争は激化する一方です(ユタ州には、昔からノベル(Novell)社やワードパーフェクトを開発したブリガムヤング大学など産学協業の素地が培われる)

が、まだまだ「タレント」と呼ばれる才能はシリコンバレーに集まっているようで、従業員数の年間伸び率が全米最大なのはサンタクララ郡、いわゆるシリコンバレー。2位は、北に隣接するサンフランシスコ・サンマテオ郡、3位は、上記のユタ州シリコンスロープ(米労働省労働統計局発表の2015年10月時点の年間推移データ)
 


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サンフランシスコ・ベイエリアに憧れ、国内外からやって来る若人は後を絶ちませんが、それは、仕事がしやすい環境、穏やかな気候、東西が混じり合う文化に加えて、西部開拓時代のような「何でもあり」の精神が浸透しているからなのでしょう。

「何でもあり」の中には、伝統や常識にとらわれないこともあるようで、フェイスブックCOOとして名高いシャール・サンドバーグさんは、「(自分が取得したハーヴァードの)MBAはフェイスブックでは必要なかったし、IT企業で働くには重要だとは思わないわ」と、先日インタビューで述べていらっしゃいます。

やっぱりスキルに比べると、学歴は二の次であり、何をできるか(what people can build and do)で採用を決める、と。

4) Perk war: Perkというのは、特典とか福利厚生の意味ですが、「福利厚生戦争」とは、上の「才能戦争」に付随して起きる企業間の争い。つまり、我が社は、他社よりも魅力的な福利厚生を提供していますよ! と知恵比べをする状況を指します。

福利厚生と言えば、お金の面とライフスタイルのサポートがありますが、昨年年末号でご紹介したアップルフェイスブックの「卵子の凍結」などは、その両面を満たしているでしょうか。そう、女性社員の未受精卵を今のうちに凍結して、あとで使えるように保存してあげるよ、という特典です。
今年10月には、デンマークの研究機関が「卵巣の細胞を凍結したあと、がん治療を終えた女性の卵巣に戻したら、3分の1が出産できた」と発表していますので、そのうちに「卵巣細胞の凍結」も福利厚生に入るのかもしれません。

その他、女性に関しては、妊娠したら妊婦服を買う補助をしたり(ビジネス共有アプリの「ユニコーン」Domo)、赤ちゃんが誕生したら出張先から自宅へと母乳の宅配便を負担したり(不動産データのZillow)と、いろんな「生む」サポートが登場しています。


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それから、座禅を組んで瞑想とかバンドのジャムセッションと、オフィス内のタイムオフを奨励する会社もありますが、ちょっと変わった福利厚生も。

クラウドファンディングの Tiltでは、一年以上勤続すると、世界じゅう好きな目的地まで飛行機代を負担してくれるだけではなく、一年に一回「感謝の日」と称して「あなたの人生で大切な人に感謝してあげてください」と、一日のデイオフと250ドル(約3万円)を提供してくれるとか。(参照:”Perk, line and sinker” by Patrick May, San Jose Mercury News, November 27, 2015; 写真はSAPの座禅セッション:by Lipo Ching, SJMN, November 1, 2015)

ちなみに、こちらの『シリコンバレーナウ』を提供される Kii(キィ)株式会社(本社:東京都港区赤坂)では、出産祝いを奮発するなど「仕事は家族のサポートありき」をモットーとされているようです。
ひとり目から段階的に増える出産祝いは、3人目は50万円、4人目は100万、5人目は500万(!)と定められるとか。

<今年のオモチャ>
お次は、オモチャのお話です。

ある晴れた午後、郵便局から戻ってくると、家の前でドローンをいじっている女性がいます。
「これは、怪しげなヤツ!」と警戒しながら声をかけると、お隣さんが売りに出した家の航空映像を撮ろうとする写真家でした。どうやら、前庭から裏庭の上空映像をネット上の物件紹介に使うようです。

ドローン(無人航空機、drone、Unmanned Aerial Vehicle)といえば、2010年7月号でご紹介したような戦闘用のドローンと、日本でも話題になっている趣味の小型ドローン、それからフェイスブックやグーグルが開発中のインターネット配信用の巨大ドローンと、機能もサイズもまちまちです。


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が、小型ドローンが広まるにつれ、アメリカではドローンを嫌う人も増えています。
ひとつに、民間航空機や警察ヘリ、山火事の消火活動機と超接近するケースが増えていることと、プライバシーの問題があります。
我が家の周辺でも、「誰かが裏庭にドローンを飛ばしてきて、家の中を盗み見られた!」と、近隣ソーシャルネットワークで騒ぎになったことがあります。この辺りは、グーグルの「ストリートビュー」撮影車ですら入れませんので、プライバシーにはちょっとうるさいのです。

そして、飛行機とのニアミス(near-collisions)については、全米でかなり問題になっていて、過去2年弱の間に「ドローン接近」が921件も FAA(連邦航空局)に寄せられ、そのうちの241件は明らかに「ニアミス」。
うち90件は商用ジェット機とのニアミスで、28件でパイロットが航路を変更せざるをえなかった、とのこと(バード大学ドローン研究所が2013年12月から今年9月までのデータを分析。FAAのニアミスの定義は、二機の飛行機が500フィート(150メートル)以内に接近すること)


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我が家のあるサンノゼ市は、全米ワースト6位(19件のニアミス)。
サンノゼ空港の辺りは、まだまだ土地がゆったりしているので、のんびりとドローンを飛ばしたい気になるのでしょうが、この空港を利用するわたしとしては、ちょっと怖いデータです。

そんなわけで、クリスマスプレゼント用にドローンが大ブレークする前に、FAAはドローンの登録制度を始めました。当面は、所有者と機数を明らかにするのが目的ですが、割り振られた登録番号をドローンに貼るのが規則だとか。

これまで FAAは、高さ120メートルを超える飛行と、空港6キロ圏内の飛行を禁じてきました。が、それでもニアミスは減らないので、果たして登録制度は効果的なのか? と疑問視する声も聞かれます。
 


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だったら、ドローンのクリスマスプレゼントは止めにして、こんなのはいかがでしょうか?

そう、こちらの愛くるしい小僧は、映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒(Star Wars: The Force Awakens)』のキャラクターをオモチャにしたもの。

Sphero(スフィロ)社が出す『BB-8(ビービーエイト)』ドロイドで、スマートフォンで操作するようになっています。
ダーッと床を駆け抜けたり、興味深げに周辺を探索したりと、なんともユニークな動きを披露します。誰かにぶち当たって「お友達」を発見すると、じっと相手を見つめる仕草が、なんとも愛くるしいのです。
 


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そう、「体」がコロコロと転がる間、「頭」はちゃんと体に乗っかって、ドロイドの形をキープ。何かに激突すると真っ赤になって怒るし、冷静に青の光を発したり、指示を受けるときは賢そうに白く光ったりと、なんとなく感情を持っているようにも見えるのです。

惜しむらくは、ドロイド本体は言葉を発しないので、その点では、オモチャの老舗 Hasbro(ハズブロ)社が出す『BB-8』の方が可愛らしいかも。
でも、赤外線リモコンではなくスマートフォンで操作するSphero社の方が、活動範囲は圧倒的に広いようです(勝手に家じゅうを走り回っています)。

べつに宣伝しているわけではありませんが、『BB-8』は、今季目新しいオモチャ。「今年は新製品が少ないわねぇ」と出足が鈍るクリスマス商戦を、一気に盛り上げてくれるのかもしれません。

<「目には目を」って正しいの?>
というわけで、最後は社会に目を転じたいのですが、今年は、どちらかというと「殺伐とした一年」と言えなくもないでしょうか。

街角を歩けば、「黒人住民を目の敵にする白人警官の暴挙」がクローズアップされ、国を語れば、「民主主義を脅かすイスラム勢力」が浮き彫りになっています。

今年は、奴隷制の廃止(abolition of slavery)を定める米国憲法修正第13条の制定から150周年。
12月6日が記念日でしたが、150年たった今も、「白人」と「黒人」は対立した構図で描かれるし、アジア系やヒスパニック系を含む「有色人種(person of color)」という言葉は死語にはなりません。

いつまでも「肌の色」は、人の属性として日常生活に編み込まれたままです。

そこに、イスラム勢力の脅威が加わったことで、「自分」と「ヤツら」を隔てる垣根が強固になったように見受けられます。そう、「ヤツら」とは、自分のグループ(人種、宗教・思想、社会経済層、居住環境など)には属さない者のことですが、心に垣根ができると、理解できない相手として「敵視する」ことにもつながります。

11月のパリ同時多発テロ、その直後に起きたカリフォルニア州サンバーナーディノの銃乱射事件は、海外のイスラム勢力だけではなく、国内に住むイスラム教徒を敵視する引き金となってしまいました。

サンフランシスコ・ベイエリアのようなリベラルな地域でも、イスラム教徒を罵倒する光景が報道されますし、乱射事件の近隣では、漠然とした恐怖心から銃を求めて住民が列をなす光景も見られます。
ヴァージニア州では、銃の持ち込みを許可する私立大学も出ていますし、遊園地ディズニーランドでは入り口に金属探知機が置かれました。


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FBIは、「どうやって銃乱射事件を乗り切るか?」のハウトゥービデオを公表しています。「まずは逃げろ隠れろ。でなければ抗戦しろ(Run. Hide. Fight.)」と、オフィス環境で生き伸びる術を絵解きします。
なにせ、乱射事件は、誰が当たるかわからない「宝クジ(lottery)」のようなもの。次の弾丸には、自分の名前が刻まれているやもしれません。(Cartoon by Tom Toles / Washington Post, December 4, 2015)

その一方で、オバマ大統領をはじめとして、銃を買いにくくする銃規制(gun control)を説く人も大勢います。

個人的には、銃規制に賛成ですし、自ら銃で武装しようとは夢にも思いませんが、それでも、銃規制に反対する(善良な)一般市民の心情はわからないでもありません。
 


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アメリカは、とてつもなく大きな国ですので、ニューヨークやサンフランシスコといった都会があるかわりに、内陸部には農業・酪農地帯が広がります。
言うまでもなく、人口密度の低い地域では、「誰かが不法侵入しても、警察はすぐには来てくれない」状況にあり、子供の頃から自警(vigilance)の精神が根づくことになります。

それこそ、「自分のことは自分で守れ」と小さい頃から銃に慣れ親しむわけですが、現代のアメリカ社会では、規制が求められる都会であろうと、自警の精神が根づく酪農地帯であろうと、もはや「後戻りできない地点(Point of No Return)」を越えているのではないか? と、そんな気もするのです。

なぜなら、あまりにも手軽に銃が買える時代が長過ぎたため、今さら「銃はダメ」と規制されても、世の中から消す方法が誰にもわからないから。

たとえば、カリフォルニア州は全米でもっとも規制が厳しく、警察は「銃の買い取り運動(gun buy-back program)」を頻繁に実施しています。一切不問で買い取ってくれますが、本当に銃を使おうと思っている人間が、進んで売りに出すでしょうか?
サンバーナーディノの事件では、州内で正規に購入した銃を改造して使った、と伝えられています。

だとしたら、善良な一般市民は、どう考え、どう対処するでしょうか?

エルサルバドルから来た友人は、子供の頃にお父さんから教えられたそうです。強盗が「金を出せ」と銃で脅してきたら、黙って相手を撃ち殺せ、と。
お父さんの心の中では、もはや「正しい、正しくない」の議論はどうでもよくて、ただ自分を守る方法を子供に教えておかなくては、という義務感に満ち溢れていたのでしょう。
 


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アメリカは、まだそこまでではありませんが、自分とは異質の「ヤツらを敵視する」精神が広まると、これに似た状況におちいってしまうのかもしれません。
現に、アメリカが真珠湾攻撃を機に第二次世界大戦に巻き込まれると、日系アメリカ人12万人が砂漠の小屋に隔離された過去があります。
「目には目を」の理屈は、社会の良心を曲げても通ることがあるのです。

そりゃ FBIに教えられるまでもなく、誰かが銃を持って侵入してきたら、「逃げるか、隠れるか、でなければ倒れるまで戦う」でしょうけれど、遊園地に金属探知機が置かれたり、「学びの場」である大学で銃が許されたり、銃の専門店に行列ができたりというのは、社会全体が憂えるべき現象だと思うのです。

「ヤツら」という心の悪魔を退治するのは、決して銃ではないはずだから。
 


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というわけで、思いのほか堅い話になってしまいましたが、来年こそは、地球人みんなが互いを理解し合って、「たった一つの地球を守ろうよ!」と我に返ってくれればいいのになぁ、と願うばかりなのです。

夏来 潤(なつき じゅん)



クリスマスツリーを切らないで!

 12月も、もうなかば。

 

 クリスマスに向けた歳末商戦も、佳境に入りました。

 

 こういった光景を、英語ではこんな風に表現いたしますね。

 

 The holiday shopping season is kicking into high gear

 歳末商戦のシーズンも、ギアチェンジして加速しています

 

 「車好き」のアメリカですから、風物詩だって車を使って表現するのです。

 

そして、12月と言えば、クリスマスツリーを忘れてはいけません。

 

 毎年、クリスマスツリーを飾ると、だんだんと気分が盛り上がってくるし、

 

 第一、家族みんなのために買ったプレゼントは、ツリーの足元に置いておく習慣になっています。

 

 そんなわけで、年末が近づくと、あちらこちらの街角ではクリスマスツリーにする「木」が売られていますが、今年は、こんなニュースがありました。

 

 クリスマスツリーは、ちょっと借りるだけで、来月はちゃんと返しましょう!

 


 そう、普通クリスマスツリーと言えば、本物の木を切ってツリーとしますよね。

 

山や栽培地で買うなら、選んだ木をその場で切ってもらうし、お店や街角の業者から買うなら、すでに切ってある木を選んで買うことになります。

 

 こちらのお店のように、Fresh-cut trees(切ったばかりの木)だよと、みなさん、活きの良さをアピールします。

 

 選んだ木は、自分で家に運ぶのが一般的なので、12月になると、誇らしげに、大きなツリーを乗せて走る車も風物詩となっています。

 

そうなんです、クリスマスツリーを選ぶのは、一年の大仕事。

 

 「あ、あの木がいいわ!」「いや、こっちの方がカッコいいわ!」と、あれこれ枝ぶりを見ながら木を選ぶのを年末行事としている家族もたくさんいます。

 

 ところが、サンノゼ市の自然保護団体は、こんなプログラムを始めました。

 

 「クリスマスツリーの植木鉢をお貸ししますよ」と。

 

 こちらは、Our City Forest(わたしたちの市の森)という団体が昨年から始めた試みで、近隣コミュニティーの方々に鉢植えのツリーを貸し出し、年が明けたら返してもらって街路樹として植える、というもの。

 

 貸し出すのですから、買うわけではありませんが、活動を援助してもらおうと15ドルから75ドル(1,800~9,000円)の寄付を受け付けているそうです。

 

 木の種類は、イトスギ(cypress)、エゾマツ(spruce)、モミ(white fir)、マツ(pine)、セイヨウスギ(cedar)と、いろいろ。でも、鉢植えの中には、軽い飾りでなければ、ぺっしょりとしおれてしまう小さな木もあるとか・・・。

 

それでも、小さな木をいたわりながら飾り付けをするのも、なかなか愛着がわくものだそうですよ。

 

 「去年は、ほんとに『負け犬(underdog)』みたいなクリスマスツリーで、幹にライトを巻いただけで終わったの。でもね、これが今までで最高のツリーになったわ」とおっしゃる方も。

 

(写真は、お父さんのためにツリーを運ぶマイクさんとデビーさんの兄妹。昨年の「負け犬」よりは、少しは強そうでしょうか?:Photo by Karl Mondon, San Jose Mercury News, December 5, 2015)

 


 通常、本物の木を買ってきてクリスマスツリーに使った場合は、年が明けると、市が「リサイクル資源」として回収します。

 

 何にするのかって、小さく砕いて、庭にまく木クズ(mulch)として使い回しをするのです。

 

そう、アメリカの庭は、mulch (「モーチ」といった風に発音)と呼ばれる「木クズ」をまくことが多いですね。

 

 見た目も美しいし、木のいい匂いがするし、第一、土中の水分の蒸発を防いでくれるので、一石二鳥(一石三鳥?)。

 

 大きな街路樹の枝を伐採したときや、回収したクリスマスツリーなどは、この木クズの格好の材料となります。

 

 だから、本物の木を使ったにしても、資源を無駄にしているわけではないのですが、新年がやって来て、家の前に放置されるクリスマスツリーを見ていると、なんだかかわいそうに思えるのです。

 

 クリスマスの時期は、あれほど脚光を浴びていたのに・・・と。

 

わたしなどは、「木を切る」ところからかわいそうで、長年プラスチックの(ニセ)ツリーを愛用しているくらい。

 

 ですから、「あとでツリーを街に植える」と聞いて、嬉しくなったのでした。

 

(写真は、サンフランシスコ・ジャイアンツのホーム球場 AT&Tパークにあるショップ。クマさんがたくさん飾ってありますが、これだと本物の木じゃなくても OKですよね!)

 


そんなツリーのお話を書いていたら、車の中に大事そうにツリーを乗せたご近所さんとお会いしました。

 

 丸っこい小さな車に、ツリーとふたりで仲良く収まっていて、ほほえましい光景です。

 

 なんでも、普通は車の天井に乗せるところを、お店がネットをかぶせてくれて、ちゃんと車内に乗るようにしてくれた、と。

 

 お散歩中にも出会った彼は、前庭でツリーの枝ぶりを整えているところでした。

 

 切った枝をあげようか? とおっしゃるので、「う~ん、枝だけじゃねぇ」と思いながら、ご辞退申し上げたのですが、あとで「もらっておけば良かったなぁ」と、後悔したのでした。

 

 それほど、本物のツリーって、いい香りがするんですよねぇ。

 

そう、これだけは、ニセツリーにはできない演出です。

 

 この香りを求めて、「わたしは絶対に本物のツリーじゃないとイヤだわ!」とおっしゃる方も多いのですが、

 

 なるほど、その心情はわからないでもありませんね。

 

ゆっくり行きましょう

ある朝、カーテンを開けると、なんとも幻想的な風景が広がっていました。

 

 朝から濃い霧がかかり、世の中すべてが「優しく」見えます。

 

 あ~、綺麗だなぁと、のん気に写真を撮っていたものの、

 

 この日は、近くで災難がありました。

 

 この写真を撮るちょっと前、近くの道路で、車が大破したのでした。

 我が家の辺りから幹線道路に出ようとすると、どの方角も「下り坂」になるのですが、ここは、とくに丘をぬって曲がりくねる、急な下り。

 

 その下り道で車がスリップして、中央分離帯の木に激突したのでした。

 

 そのときは、もっともっと濃い霧で、視界も悪いし、道路が霧粒で濡れていたのでしょう。

 

 近隣コミュニティーのソーシャルサイトでは、警告の意味で写真を掲載した方がいらっしゃいましたが、赤い二人乗りの車がぺしゃんこで、救急車を待つ警察官がかけたのか、座席には黄色いビニールシートがかぶせられていました。

 

 男性ドライバーは亡くなったそうですが、翌日、現場を通ると、傷ついた木の根元には花やロウソクが手向けられ、痛々しい光景です。

 

 そう、普段から誰もが気をつけないといけないクネクネ道なのに、濡れた路面でスピードを出し過ぎたようでした。

 


もう10年以上も前になりますが、このクネクネ道の下り坂で、こんな光景を目の当たりにしました。

 

 (片側2車線の左側の)追い越し車線を女のコがゆっくりと運転しています。

 

 制限速度は45マイル(72キロ)ですが、30マイル(50キロ弱)ほどのスピードで「ノロノロ運転」と言ってもいいくらいです。

 

 きっと、お父さんから運転を習っているティーンエージャーの女のコなんでしょう。初めて下り坂を運転するのか、後ろから見ていると「おっかなびっくり」な感じもします。

 

 そこに、後ろから「あおる」黒いポルシェのスポーツカー!

 

 あれよ、あれよと言う間に女のコの車に追いついて、後ろから「早く行け!」とばかりに接近するのです。

 

 それが、何メートルか続いたかと思ったら、女のコは「わたし、もうダメ!」と急ブレーキをかけ、道路に斜めになって止まってしまいました。

 

 いやぁ、ものすごく怖かったんだと思いますよ。

 

 だって、後ろから「あおられている」のはわかっているものの、運転に慣れなくて、クネクネ道では簡単に車線変更なんてできなかったのでしょうから。そうなると、もう道の真ん中で止まるしかない!

 

 連れ合いと二人で見ていたわたしは、「まあ、あのポルシェって、どうしようもなく意地悪ね~、オトナのくせに恥を知りなさい!」と、大いに憤慨したのでした。

 

 幸いなことに、このポルシェ以外は、みなさん「運転見習い中のコ」だと理解していたので、事故に結びつくこともなかったのですが、それよりも、彼女の「心の傷」を心配してしまいました。

 

 このことがトラウマになって、運転が怖くなったり、逆に乱暴なドライバーになったりと、影響が出なければいいのになぁと願うばかりなのでした。

 


 この忙しい師走、サンフランシスコ・ベイエリアのフリーウェイでは、こんな電光掲示板を見かけるようになりました。

 

 Drive slow and save a life

 ゆっくり運転して、命を救いましょう

 

 なぜかしら、歳末商戦の時期って、道路が混みますよね。

 

 けれども、どこも渋滞しているからって、先を急ごうとすると、危ない目に遭うかもしれません。

 

「一分、一秒を争うよりも、命の方が大事だよ」

 

 「まっすぐに突き進むばかりじゃなくて、深呼吸をして、まわりを見まわそうよ」


 

 そんな風に教えてくれている電光掲示板なのでした。

 

There’s no Emily here(エミリーはいないよ)

 今日のお題は、こちら。

 

 There’s no Emily here

 

 Emily は人の名前なのに、どうして物みたいに no がついているのかな? と思われるかもしれません。

 

 この場合の Emily は、人名であっても、「エミリーさんと名のつく人」という名詞みたいなものなのです。

 

 ですから、There’s no Emily here というのは、

 

 「ここには、エミリーさんという人はいませんよ」という意味になります。

 

 There’s no Post Office around here

 この辺りに郵便局はありませんよ

 

 といった表現と同じですね。

 


それで、どのような状況でこんな文章が出てくるのかというと、わたしが体験した場面は、間違い電話でした。

 

 そう、前回の英語のお話も、間違い電話をご紹介したものでした。


 が、なぜか近頃、わたしのスマートフォンに間違い電話がかかってくるのです。

 

 しかも、毎日のようにかかってくるのですが、不思議なことに、南サンフランシスコ市(South San Francisco)かフロリダ州(Florida)からの発信なんです!

 

 それで、一度フロリダの電話を取ったら、

 

 May I speak to Emily, please?

 エミリーさんをお願いします

 

 と、相手が言うので、

 

 You have a wrong number

 間違い電話ですよ

 

 と、相手の男性に教えてあげました。

 

 その翌日、今度は南サンフランシスコから何回もかけてきた人物の番号だったので、思い切って出てみると、相手はこうおっしゃいます

 

 Hi, I’m calling regarding a rental unit, and may I speak with Emily, please?

 貸し部屋についてかけているのですが、エミリーさんをお願いできますか

 

 そこで、事情がわかったのでした。

 

 エミリーさんという名前で、どこかに貸し部屋が載っていて、その(間違った)電話番号を見て、わたしのスマホにかけているんだ、と。

 

 相手は「ちゃんとした勤め人」風の男性だったので、こう説明してあげました。

 

 I notice that you keep calling this number, but you have a totally wrong number

 どうやら、あなたは何回もこの番号にかけているようですが、まったくの間違い電話ですよ

 

 それでも、相手はあきらめきれずに、

 

 Oh, so there’s no Emily there?

 それじゃ、そちらにエミリーさんはいないんですね

 

 と言うので、こちらも

 

 No, there’s no Emily here

 いえ、ここにはエミリーさんなんていませんよ

 

 と、再確認したのでした。

 

 心の中で、unfortunately(あいにくなことに)と付け加えながら。

 


 それで、もしもエミリーさんが一緒に住んでいて、どこかに出かけている場合は、

 

 She is not here

 今はちょっと出ています

 

 オフィスで「席をはずしています」と答えてあげたい場合は、

 

 She is away from desk right now

 今は、デスクにおりません

 

 という風に答えます。

 

 でも、エミリーさんなんて存在しない場合は、

 

 There’s no Emily here

 ここには、エミリーさんなんていませんよ

 

 となるわけですね。

それにしても、不思議です。

 さっきも、知らない人の着信履歴がありましたが、どうして「エミリーさん宛の間違い電話」は、南サンフランシスコ市(写真)とフロリダ州からかかってくるんだろう? と。

 

 インターネットで物件を掲載したのなら、世界じゅうで閲覧できるわけだから、世界じゅうから間違い電話がかかってきてもおかしくはない、わけですよねぇ・・・。

 

 

追記: 最後の写真は、南サンフランシスコ一帯を真南から見たもの。南サンフランシスコ市は、南北の緑の山々に囲まれた地域で、その先のごちゃごちゃした部分が、サンフランシスコ市です。

 

 街から見える丘には、「South San Francisco, The Industrial City(南サンフランシスコ、工業の街)」と大きな看板が誇らしげに立ちますが、これは、20世紀初頭から精肉工場や製鉄工場、機械工場などが集まったことを指しています。

 

 そんな南サンフランシスコとフロリダの共通点は、なんでしょう?(う~ん、フロリダに住んだことのあるわたしにも、まったくわかりません・・・)

 

カニ漁に「待った!」が

 11月の3週間を日本で過ごしたあと、カリフォルニアに戻ってみると、こちらは秋本番でした。

 

 東京よりも紅葉は進んでいるし、雨がぱらついたり、朝晩は霜が降りたりして、とにかく肌寒い。

 

けれども、感謝祭の木曜日(11月26日)を迎えると、雲ひとつない青空!

 

 太陽が顔を出すと、心の中も、ポカポカと暖かくなるのです。

 


 ところが、そんな今年の感謝祭は、カリフォルニアに災難が・・・。
 

 

 なぜって、「感謝祭の定番」が食卓から消えてしまったから。

 

 いえ、アメリカじゅうの家庭の食卓にのるターキー(turkey、七面鳥)ではありません。

 

 サンフランシスコ・ベイエリアをはじめとして、西海岸で愛されるダンジェネス・クラブ(Dungeness crab)というカニのことです。

 


 そう、11月になると解禁となる、カニ漁。それは、アメリカも同じことで、例年、感謝祭の頃になると、カニ漁はエンジン全開になります。

 

 待ってました! とばかりに、カニ漁船が戻ってくる埠頭に詰めかける「カニ好き」たちも少なくありません。

 

サンフランシスコもカニ漁で有名なところ。


 観光名所となっている フィッシャーマンズ・ウォーフ(Fisherman’s Wharf、漁師の埠頭)の看板にも、誇らしげにダンジェネス・クラブが描かれています。

 

 ところが、今年は、カニ漁に「待った!」がかかりました。

 

 なんでも、夏の間、海に繁殖した植物プランクトン(phytoplankton)が原因で、カニを検査してみると、毒(biotoxin、生物毒)を持っているケースがあった。それも、人体に害を及ぼす恐れがあるほどの検査値が・・・。

 

 秋になって水温が下がると、カニの身や内臓からは毒も検出されなくなりましたが、2回連続してクリアしなければ、カニ漁にはゴーザインが出ない。

 

というわけで、現在は「おあずけ状態」になっているのですが、これはカリフォルニアだけの話ではなくて、隣接するオレゴン州とワシントン州でも同じ状況なんだとか。

 

 いつもは、12月1日には解禁となるダンジェネス・クラブ漁が、オレゴン全域とワシントンの一部区域で延期となっているそうです。

(Photo of crab fishing by John Green / Bay Area News Group Archives, from San Jose Mercury News, November 25, 2015)

 


 この自然界に発生する毒の正体は、ドウモイ酸(domoic acid)。

 

 普段から、貝やその他の海洋生物は自然に持っている毒素だそうですが、今年は、植物プランクトン、とくに珪藻(けいそう)が大繁殖したせいで、毒のレベルが普段よりも高くなってしまった。

 

 なんでも、人があやまっていっぱい食べると、食中毒を起こすだけではなく、神経毒なので死に至こともあるという、怖い毒です。

 

 ですから、いくらダンジェネス・クラブが「感謝祭の定番」とはいえ、食卓から消えてしまったことに対して、不平を言うわけにはいかないのでした。

 


 さらには、災難はダンジェネス・クラブだけでは終わらず、今年は、イカの漁獲量が、例年の3分の1しかないとか。

 

たとえば、シリコンバレーから山を越えたサンタクルーズの港は、イカ漁が盛んで、ここ数年は「大漁」で潤ってきました。

 

 が、今年は、地球をおおっている「エル・ニーニョ現象」のせいで、イカが獲れないのではないかと言われています。(Photo by Shmuel Thaler / Santa Cruz Sentinel, from San Jose Mercury News, November 26, 2015)

 

 エル・ニーニョ(El Niño)は、太平洋の水面の温度が例年よりも高いことで起こると考えられていますが、そうなると、イカが食べる餌が激減して飢えてしまうか、餌を探して水中深く潜ってしまう。だから、イカ漁にひっかからないのではないか? とも言われています。

 

が、どんな原因であろうとも、イカは、アメリカでは「カラマリ(calamari、イカリングのフライ)」として大人気の食材。(Photo from Wikimedia Commons)

 

 そう、「イカ刺し」や「イカ飯」では食べないけれど、衣をつけて揚げると、みなさんパクパクと食がすすむのです。

 

 ですから、カニだけではなく、イカも少ないと聞くと、「収穫」「ご馳走」「感謝」がテーマの感謝祭のシーズンには、とっても寂しい気分になるのでした。

 


 ちなみに、ダンジェネス・クラブの最新の検査結果は、明日(12月3日)発表されるそうです。

 

 11月中旬の検査では、調べた12匹すべてが基準値をクリアしたそうですが、2回続けて検査をパスして、すぐにでも船を出せるようにと、カニ漁師さんたちは、準備万端です。

 

 カリフォルニアは、アメリカの「サラダボウル」と呼ばれるほど、野菜や果物の名産地であると同時に、海の恩恵を受けてきた場所です。

 

 サンフランシスコからハーフムーンベイ、サンタクルーズからモントレーベイと、昔から小さな漁船で魚やイカ、カニ、あわびを獲ることを生業(なりわい)としてきました。

 

1930年代から50年代にかけては、こちらの『マルセラ号』のような小型漁船が主流でした。

 ひとり、ふたりで漁に出て行っては、その日のうちに帰るので、冷蔵設備も何もない、というシンプルな漁船。

 

 今は、船もちょっとは立派になり、漁獲量も増えてはいるでしょうが、昔ながらの海に頼る生活を続けている方々もたくさんいらっしゃいます。

 

 そんな漁師さんにとっては、これ以上ダンジェネス・クラブ漁が「おあずけ」になったり、「中止」になったりすると、それこそ死活問題。

 

 ですから、漁師さんたちも、お店で売る人たちも、「カニ好き」たちも、どうか、カニ漁にゴーサインが出ますように! と、祈っているところなのです。

 

 

後日談: 残念ながら、12月3日の検査結果報告会では、カリフォルニアのカニ漁に「ゴーサイン」は出ませんでした。

 

 漁師さんや市場関係者を招いて開かれた報告会では、「サンフランシスコからサンタバーバラの区域では基準をクリアしたが、検査値が高い区域もあり、いまだ経過観察が必要だ」と発表されています。

 

 とくに、ダンジェネス・クラブよりも、ロック・クラブ(rock crab)の検査結果が良くなかったそうで、「もうちょっと待ってよ」と判断されたとか。

 

ロック・クラブは、ダンジェネスの親戚で、おもにサンタバーバラ付近の南カリフォルニアで獲れるカニ。

 対して、モントレー以北の北カリフォルニアで獲れ、冬季が旬のダンジェネス。

 

 今シーズン、カリフォルニアで食べられるダンジェネス・クラブは、カナダから輸入したものですが、今は「禁止令」が出ているオレゴン州、ワシントン州では、間もなく「解禁」となることが予想され、クリスマスの時期には、カリフォルニアでも新鮮なカニが食べられるのではないか、と期待されています。

 

 食べられないと知ると、もっともっと食べたくなる。「カニ」に対する執着心は、西も東も同じですね!

 

絶対に避けられないもの: 人生の終焉

Vol. 196

絶対に避けられないもの: 人生の終焉

日頃、人は死ぬことについて考えたくもありません。が、人生の終焉を語ることは、タブーであってはならないはず。

ですから、今月は、誰もが経験する「通過点、死」にまつわるお話を二ついたしましょう。

本題に入る前に、まずは先月号の結果発表からどうぞ。

<先月号のフォローアップ:民泊の住民投票>


Airbnb 2.png

先月号の第1話は、日本でも取り沙汰されている「民泊」のお話でした。

Airbnb(エアービーアンドビー)を始めとする「シェアサービス」誕生の地、サンフランシスコでは、今年2月に施行された市の民泊条例では不十分なので、もっと厳しい規制を定めようと住民提案が出され、11月3日に投票が行われました。

年間75泊の上限、条例で義務化された届け出のない物件についてはサービス側に罰金を科すなど、厳しい規制が提案されましたが、住民投票で否決されました。

なんでも、2月に条例が施行されて以来、自主的に市役所に届け出たのは 700件のみ。本来は何千件も届け出がなければならないのに、条例はうまく機能していないのが現状のようです。

が、Airbnbを筆頭に、サービス側からは10億円以上の資金が集まり、反対運動は盛り上がりを見せました。これまで Airbnbを利用した(泊まったり、泊めてあげたりした)14万人のサンフランシスコ市民に対して、「提案に反対しよう!」との勧誘もあったとか。

市に登録される有権者は45万、そのうち投票するのは約半数であることを考えれば、14万人への勧誘は、かなり有効な手立てだったことでしょう(参照:“Prop. F: S.F. voters reject measure to restrict Airbnb rentals”by Carolyn Said, San Francisco Chronicle, November 4, 2015)
 


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が、住民提案が否決されたとはいえ、賛成45%、反対55% だったので、厳しい規制に賛同した住民はかなり多かったのでした。

建設中の高層マンションが飛ぶように売れる反面、昔ながらの住宅地では、テクノロジー従事者に借家を明け渡せと「立ち退き勧告」に頭を抱える住民もいるサンフランシスコ。

民泊サービスでさらに深刻化する「持つ者と持たざる者(the haves and the have-nots)」の構図に、疑問を抱く住民も多かったのではないでしょうか。

<Final Instructions: 人生最後の指示書>
というわけで、今月の本題に入りましょう。

題名になっている「Final Instructions」というのは、「人生最後のお願い」または「指示書」とでも言いましょうか。つまり、自分が死んだら、お葬式や埋葬はどうして欲しいと、残された人に正式に(法的に)指示を与えておくことです。

まあ、縁起でもない! と毛嫌いされる話題ではありますが、どうやら「最期」について考えておくことは重要なことのようで、先日、我が家では、この「最期の指示書」をしたためたのでした。
 


CIMG9854small.jpg

いえ、自ら進んでやったわけではありません。15年前につくった遺言状(Last Will)や末期医療に関する指示書(Advance Health Care Directive)を見直すことになって、その際、新しい弁護士から「最期の指示書」の草案が送られてきたのでした。

そんなものが世の中に存在するなんてまったく知らなかったので、草案を目にした時には、さすがにギョッとしましたが、弁護士に「こんなの必要なの?」と問えば、「今が絶好のタイミングでしょう」と、つれない返事。やらないわけにはいかなかったのでした。

草案では、「お葬式(memorial service)を望むか、望まないか」「もし望むなら、どこで、どういう風にやってほしいか」「遺体は火葬(cremation)か、埋葬(burial)か」「埋葬地の希望はあるか、もしくは遺灰は撒いてほしいか」などを選択するアンケート形式になっていて、それを法的な体裁に整えてくれるようです。

そんなわけで、あれこれと考えてみたのですが、考えれば考えるほど、誰かに迷惑をかけたくない! という気持ちでいっぱいになるのでした。

ま、お葬式や埋葬の儀式は、残された者のためにあるわけですから、あの世に向かう者がとやかく口を挟む話ではないかもしれませんが、「好きな音楽かけてよ」とか「祭壇にウイスキーのボトルを置いてよ」とか、何かしらこだわりのある場合は、事前に指示しておく価値はあるのでしょう。
 


1953_Bowman_Yogi_Berra.jpg

ところで、9月22日、90歳で亡くなった伝説的な野球選手、ヨギ・ベラ(Yogi Berra)さん。
("1953 Bowman Yogi Berra" by Bowman Gum – Heritage Auctions, from Wikimedia Commons)

ニューヨーク・ヤンキーズの「首位打者キャッチャー」の誉れ高い彼は、イタリア系で背は高くない。だから、「野球の魅力は、小さな選手でも互角に戦えるところだ」と常々語っていらっしゃったとか。

ある日、そのヨギさんが、「あなた、死んだらどこに埋葬してほしい?」と奥さんに聞かれると、間髪入れず、こう答えたとか。

そんなの、わかんないよ。きみが僕を驚かせてくれよWhy don’t you surprise me?)」

なるほど、残された者が決めてあげても、あんまり問題はないのかも。

<Right-to-die: 死ぬ権利>
先月、カリフォルニアでは、州民にとって大事な法律が制定されました。

それは、「死ぬ権利」に関する法律。つまり、病状が末期に進み、治る見込みがないと診断された方が、自ら命を絶つことを選択できる法律です。

以前は、安楽死(euthanasia)と呼ばれていましたが、死ぬことだって、人が生きる上で立派な権利であるという認識が広まり、近年は、死ぬ権利(right-to-die)という表現が好まれるようになりました。

カリフォルニアでは、以前から死ぬ権利を認める法案を通そうという動きがありましたが、20年以上を経てブラウン州知事が法案に署名したことで、ようやく法律が誕生しました。
 


End of Life Option Act 2015.png

正式名称は、『終焉の選択法(the End of Life Option Act)』。すでに4州で同様の法律が成立していて、カリフォルニアが加わったことで、全米の8人にひとりが「終焉を選択できる」環境に居住することになりました。

カリフォルニアの新法が定めているのは、18歳以上のカリフォルニア州民であること、医療的な判断を自ら明らかにできること、余命6ヶ月未満の末期症状であること、そして、強要されない自らの意思であること、などです。

死期を選ぶには二人の医師の賛同が必要で、主治医(Attending Physician)が薬を処方し、コンサルティング医(Consulting Physician)が医師の診断や患者の判断を精査します。

患者の早まった判断を防ぐために、15日以上を隔てて2回、口頭で主治医に意思を伝達したあと、正式に申請書に署名をする際は、2名の証人の立会いが義務づけられています。

さらに、死期を早める薬(an aid-in-dying drug、バルビツール酸系の鎮静薬)を服用する際は、最終確認書に署名をし、これをもって本人への最終確認と証明書とします。かたわらには誰かひとりいることと定められています。

ちなみに、上のお話で出てきた、遺言状とペアの末期医療に関する指示書(Advance Health Care Directive)では、「延命治療はしてほしくない」旨を明記できるものの、死期を選ぶことについては事前に指示できません。そして、新法で許される死期の決断は、本人のみしかできない(家族はできない)ことになっています。

生命保険はおりるの? といった疑問も浮かびますが、死期を選ぶことは自殺ではなく、あくまでも病死と判断されるそうです(以上、参照:“How End of Life act will work” by Lisa M. Krieger, San Jose Mercury News, October 7, 2015)

この新法が誕生した背景には、脳腫瘍をわずらうブリタニー・メイナードさんの存在がありました。

サンフランシスコ・ベイエリアで暮らすブリタニーさんは、「調子のいい時もあるけれど、これからだんだんと悪い時が増える」ことを予見し、自ら死を選ぶことを希望しましたが、カリフォルニア州では許されないことなので、夫と共に隣のオレゴン州に引っ越し、昨年11月、29歳で命を絶ちました。

自作ビデオで「どうか、自分のような患者の立場を理解してほしい」と訴えた姿がテレビでも広く報道され、それが人々の支持を集め、州議会でもスムーズに法案が通ったわけですが、法案に署名をする立場のブラウン州知事は、もともとローマ・カトリックのイエズス会神学校の出身。

あっさりと棄却される可能性もあり、どうなることやら? と支持者は固唾を呑んで見守っていましたが、「最終的には、自分が死に瀕した時に何を欲するかで決めた」と、法案にゴーサインを出しました。

医師に提出する申請書は、『人間らしく、尊厳を持って人生を終えるための薬の申請書』と名づけられていて、あくまでも「普段の自分らしく逝く(to end life in a humane and dignified manner)」というのが趣旨のようです。

とはいえ、先輩にあたるオレゴン州では、年間150人ほどが「薬」を受け取り、実際に服用するのは100人ほど、また医師の4割近くは処方を断るとの統計もあり、「死期を選ぶ」ことに逡巡を抱く人も多いように見受けられます(参照:公共放送局KQEDサンフランシスコ制作『Newsroom』、10月9日放映)

カリフォルニアの新法は、施行の時期は定まっていません。そして、反対派は「絶対に法律をくつがえしてやる!」と息巻いています。

反対派は、やみくもに気炎を吐いているわけではなくて、「逝き方」は他にもあると主張したいのでしょう。たとえば、最期をホスピスで過ごし痛みを和らげてもらうことも、静かに飲食を断ち逝くことも、考慮すべき逝き方だと。

「死期を選ぶ」ことは、人間の権利となり得るのか、それとも死は定められた宿命であり、最期を迎えるまで人は懸命に生き続けなければならないのか?

複雑化した現代社会に、またひとつ選択肢が増えています。

感謝祭の日に「命」に感謝しつつ。
夏来 潤(なつき じゅん)



日本のお巡りさん、がんばる

ある朝、ふと窓の下を見ると、パトカーが止まっています。

 

 ここは、旅先の長崎の街かど。

 

 こんな静かなところにパトカーは不似合いです。

 

 パトカーの中には、お巡りさんがいません。

 

どこへ行ったのかと思えば、

 

 勇ましく防弾チョッキに身を包んだ女性警官が、

 

 シャキシャキと歩き回って

 

 あちらこちらと見回りをしています。

 

 どうやら、あるマンションの下で「不審人物を見た」という通報があったのでしょう。

 

 「Police(警察)」の文字を誇らしげに背にする婦警さん、

 

 ビルの入り口を覗いたり、

 

 階段を数段上ってキョロキョロと辺りを観察してみたりと、

 

 忙しく立ち回ります。

 

おや、こちらは、相棒の先輩警察官。

 

 ベテランそうなお巡りさんで、

 

 マンションの格納庫のドアを開けては、中に不審人物がいないかをチェック。

 

 もう婦警さんがチェックしたのに、建物の入り口を再確認したりしています。

 

 けれども、辺りには誰もいないので、

 

今度は、車のドライバーに話しかけます

 

「誰か、怪しい人物を見かけませんでしたか?」と。

 

 すると、ドライバーさん、我が意を得たりと、

 

「あっちへ行って、右の方にフイっと曲がったよ」と説明している様子。

 

 ということは、「お尋ね者」は、すでに遠くへ逃げたのか?

 

 う~ん、それでも、目撃情報をそのまま鵜呑みにしてはいけません。

 

ですから、お巡りさんの二人組、まだまだマンションの駐車場を歩き回ります。

 

 歩きながら、婦警さんは、

 

「現在、不審人物は立ち去った様子です」と、本部に無線連絡をおこたりません。

 

 その間、先に行く先輩警官は、目の前のコンビニに立ち寄り、

 

「誰か不審人物を見かけませんでしたか?」と

 

 コンビニの店員さんにも確認します。

 

「いやぁ、誰も気づきませんでしたねぇ」という返答だったのか、じきにコンビニから出てくる二人組。

 

 どうやら不審人物は「ガセネタ」だったのか、

 

 それとも、すでに「高飛び」したあとだったのか、

 

 婦警さんは、その旨をテキパキと本部に連絡。

 

先に運転席に乗り込んだ先輩警官に続いて、

 

 「働き者」の婦警さんも、ようやくパトカーに取り込みます。

 

 いやぁ、ご苦労さまでした。

 

 何事もなくて良かったですが、

 

 こういったお巡りさんのがんばりが、日本全国の安全を支えているんですね。

 

それにしても、コンビニの駐車場を立ち去るパトカー、

 

 車の流れに割り込むときには、

 

 まるで緊急に発動するみたいに、赤いライトをぴかぴかしていましたよ。

 

 前回のエッセイでご紹介したアメリカの白バイ隊みたいに、

 

 やっぱり、警察官って「一般市民には使えないワザ」を持っているんですよね。

 

 う~ん、どこの国でもがんばっているお巡りさん、

 

 それくらいの特別待遇は、許してあげましょうか。

 

No business in Washington(用事はありません)

ある穏やかな日曜日。

 

 いつもより早めに目覚めると、枕元のスマートフォンに留守番メッセージが残っています。

 

 誰だろう? と思いながら電話番号を見てみると、

 

 地域コード(area code、日本の市外局番)は 509

 

 発信地はワシントン州スポーケイン(Spokane, Washington)となっています。

 

 ワシントンは、カリフォルニアの上(オレゴン)の上の州。

 

 え、ワシントン州に友達はいないけれど・・・と、いぶかしく感じながらメッセージを再生すると、なにやら、苦情の内容です。

 

 わたしは、あなたの隣の家に住んでいる者だけど、朝早くから目覚まし時計かラジオがガンガンと音楽を鳴らしてうるさいの。だから、あなたがいないのなら、誰かを家によこして、音を止めるようにしてちょうだい、というメッセージ。

 

 え~っ、ワシントン州はシアトルに一度行ったきりで、家など持っていないのに! と驚いたものの、

 

 かなり困っている様子だったので、「間違い電話」であることを伝えようと、彼女にコールバックしたのでした。

 

 幸い、何回か呼び鈴が鳴ると彼女が出てきたので、こう説明しました。

 

 I just received your message, but I live in San Jose, California, and this is totally a wrong number

 あなたのメッセージを受け取りましたが、わたしはカリフォルニア州サンノゼに住んでいて、完全に間違い電話ですよ

 

 それでも、あきらめきれずに食い下がる彼女。

 

 Well, this person also lives in California and recently bought a house next door

 だって、この人物もカリフォルニア州に住んでいて、最近隣の家を買ったのよ

 

 しまった、これじゃ「カリフォルニア説」は通じない!

 

 でも、どうやったら彼女を説得できるのかと頭を回転させ、こう主張してみました。

 

 I have no idea what you’re talking about

 あなたが何を言っているのか、さっぱりわかりません

 

 I have no business in Washington

 わたしにはワシントン州に用事などありません

 

 And I’ve never been to Spokane, Washington in my life

 そして、スポーケインには、一度も行ったことがないのです

 

 だって、スポーケインなんて、名前は聞いたことがあるものの、どこにあるのかも知らないのですから(どうやら、アイダホ州との州境、かなり内陸部のようですが)。

 


 すると、あちらは、ようやく無関係の人に電話をしていることを理解したようで、声色に「あきらめ」が漂います。

 

 それで、ちょっと気の毒に感じたので、どうやって電話番号を入手したのか尋ねてみると、

 

 どうやら隣の家は改装中で、立て看板に「用事があったら、こちらに電話してください」と書かれてあったとのこと。

 

 待ってね、文章を読んでみるからと、書き写した全文を読んでくれたのですが、

 

 なんと、電話番号の最後の桁が、一番違いだったのでした!

 

 10桁の最後の番号が「9」なのに、「8」にかけたという単純ミス。

 

 あらま、ハッ、ハッ、ハッと高らかに照れ笑いしながら、ごめんなさいと謝るので、こちらもまったく怒る気にもならずに、こう返したのでした。

 

 Oh, that’s OK. It sounded like a serious problem, so I wanted to give you some advice

 そんなの大丈夫。なんだかシリアスな問題に聞こえたから、ちょっとアドヴァイスしたかっただけよ

 

 I hope you can solve the problem pretty soon

 すぐに問題が解決するといいですね

 

 そう、他州の方に対しては、カリフォルニア人の心の広いところを見せてあげないといけません!

 

 それにしても、近頃は、携帯電話だけで過ごす人も多いし、州を超えて引っ越しても、すぐには番号を変えない人も多い。

 

 ですから、カリフォルニアの地域コードだったにしても、「わたしは他州にいるから関係ない」という言い訳が成り立たないこともあるんですよね。

 

(ちなみに、アメリカの携帯番号は、通常の固定電話と同じ風に、3桁の地域コードのあとに7桁の番号が続きます)

 


ちょっといい事をしてあげたかな? と、いい気分になったその日の午後。

 

 近くのスーパーでお買い物をしたら、レジの台にお財布が置き去りになっているのに気がつきました。

 

 レジの担当者に尋ねると、「あ、それは、前の女性客のお財布よ。きっと、まだその辺にいるんじゃないかしら」と答えます。

 

 ですから、「わたしが行って、手渡しましょう」と、駐車場で車に荷物を載せている彼女に走り寄り、お財布を手渡したのでした。

 

 布製のシンプルなお財布には、なにやら紙モノがいっぱい詰まっていて、きっと失くしたら大変だったのでしょう。「あら、ありがとう」と、ホッとした表情を見せてくれました。

 

 今日は、ふたつ「いい事」をしたなと、満足して家に戻ってみると、

 

玄関脇にワインボトルの包みが置いてあります。

 

 お向かいさんが旅行中に、大きな荷物を預かったりしていたので、そのお礼に赤ワインをプレゼントしてくれたのでした。

 

 添えてあったカードには、ペン習字のきれいな文字で、こう書いてありました。

 

 Heartfelt thanks for all you did while we were away

 わたしたちが旅行中にいろいろとやってくれて、心からありがとう

 

 もしかすると、「いい事」って、連鎖反応するのかもしれませんね。

 

お巡りさんって、おしゃべり?

ある朝、サンフランシスコの四つ角で、お巡りさんが立ち話をしていました。

 

 どうやら、ふたりとも、サンフランシスコ市警の「白バイ隊」のようです。

 

 この週は、近くの車道をブロックして、テクノロジー企業のイベントが開かれていたので、混乱する市内の交通整理に駆り出されたようでした。

 

 ふたりのお巡りさん、最初は、歩道で何やら話し合いをしていましたが、

 

そのうちに、ひとりがヘルメットをかぶって、その場を立ち去ろうとします。

 

 そろそろ、次の持ち場に移動する時間なのでしょう。

 

 ヘルメットの次は、皮手袋

 

 オートバイに乗るときには、準備を怠ってはいけません。

 

 それでも、懸命に何かを話しかける相棒さん、

 

メット氏がオートバイにまたがっても、話をやめようとしません。

 

 やにわに、オートバイの後ろにまわって、

 

 何やら荷台をゴソゴソと探しまわっています。

 

「君、ちゃんと書類は持ったかな?」とチェックしてあげているのでしょうか。

 

どうやら、探し物は見つかったようで、

 

 あ~、あった、あった

 

 とばかりに、脇ポケットの書類を再確認しています。

 

それでも、話をやめない相棒さん、

 

 今度は、メット氏の脇にまわって

 

 懸命に話しかけ、

 

 なかなか彼を行かせようとしません。

 

じきに、自分もオートバイにまたがって、

 

 最後まで「くらいつく」構えを見せています。

 

 対するメット氏は、

 

 そんな相棒のおしゃべりに疲れたのか、

 

 それとも急に仕事を思い出して、ボスの顔が頭に浮かんだのか、

 

ようやくオートバイを発進し、相棒にさよならします。

 

 でも、ちょっとズルいのは、

 

 そのときだけ青と赤のライトを点滅させ、まるで事件で出動するみたいに、車の流れに割り込むんです。

 

 まあ、それはお巡りさんの特権でもあり、遅れた時間を取り戻したいのでしょうが、

 

 民間人には真似のできない、ちょっとズルい技ではありませんか。

 

 いずれにしても、メット氏に取り残された相棒さん、うつむき加減で寂しそう。

 


というわけで、この日の午後。

 

 サンフランシスコの街中を、南から北へとズンズン走ることがあったのですが、お巡りさんが車を停車させている場面に二箇所も遭遇したのでした。

 

 両方とも、コンパクトな自家用車を止めて職務質問をしている様子。

 

 一件は、かなり深刻な雰囲気でしたが、もう一件は、お巡りさんが世間話でもしているような、和やかな雰囲気。

 

 もしかすると、互いに顔見知りだったのかもしれませんが、お巡りさんは大型パトカーのドアに寄りかかって、ニコニコと何かを諭しているようでもありました。

 

「まあ、世の中いろいろあるけどさぁ、カリカリしないで頑張ってみてよ」とでも言っていたのでしょうか。

 


 そういえば、以前『もう一度、やり直し!』と題して、お巡りさんの話を書いたことがありました。

 

シリコンバレー・ロスガトス市の公園に向かったときのこと。

 

 連れ合いが右折禁止の場所を右折したら、「正しい方法でやり直して来なさい」と警察官に諭された、といったお話でした。

 

 とってもベテランの警官でしたが、「もう一度やり直し」なんて、アメリカの警察には、なんとなくユーモアが通じそうな人もいるんだなぁ、と感じたのでした。

 

 なんでも、サンノゼ市警などでも、一度退職した警察官を「市民警官」として雇い直すことがあるそうですが、長年の経験や地元住民とのつながりは、ベテランの方だからこそ使える「武器」なのかもしれませんね。

 

 市民警官だと、拳銃を携帯できないそうですが、そんな物騒なものよりも、ときには「人とのつながり」の方が威力のあるものなのかもしれません。

 

というわけで、おしゃべりが止まらないお巡りさん。

 

 どんな場面でも、お巡りさんはコミュニケーションが大事です。

 

 だって、アメリカ人って、どんなときでも、お巡りさんに独創的な言い訳をするもの。

 

 ですから、口で負けないように、アメリカのお巡りさんは、「おしゃべり」でなければ務まらないのかもしれませんね。

 

よみがえった Manresa、ついに三つ星!

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10月20日、シリコンバレーの Manresa(マンリーサ)が、ついに「ミシュラン三つ星」の栄光に輝きました。



今年3月、『災害からよみがえった二つ星 Manresa』としてご紹介しておりましたが、シリコンバレー・ロスガトス(Los Gatos)市にある名物レストランです。



シリコンバレーには、「キラ星」のつくレストランは少ないですが、ずっと二つ星をキープし続けてきた、地元ご自慢のレストランなのです。



「災害からよみがえった」というのは、昨年7月、独立記念日の直後に起きた火災のことですが、ほぼ全焼という災禍からも見事に立ち直り、昨年の大晦日に再びお店を開けました。



大晦日は、支えてくれたスタッフや身内の方々とのパーティー。そして本格的な営業は、今年の元日から。まさに、2015年は、復興、そして飛躍の年なのでした。



オーナーシェフのデイヴィッド・キンチ氏とは、連れ合いが日本のお店でお会いして以来、メールのやり取りをさせていただいて、「三つ星昇格」のニュースは、我が家にとっても嬉しい出来事なのです。



そして、なによりも、直前に結婚記念日を祝おうと Manreasa にお邪魔し、「デイヴィッドは、またまた腕を上げたよね!」と感心したばかりなので、「昇格」の知らせに大いに納得したのでした。



今回ご紹介している写真は、10月初頭の結婚記念日にお邪魔したときのコースディナーです。



こちらは、「おまかせコース(Tasting menu)」しかありませんので、毎回、まったく違った、斬新なものが出てきます。ですから、「今日は何が出てくるのかなぁ?」と、ワクワク、ドキドキ。



「記念日にお待ちしていますよ」とおっしゃったデイヴィッドさんも、前菜が終わった頃にテーブルに現れ、



There’s more to come(これから、もっとたくさん出てきますよ)と、自信のほどを見せてくれます。



その言葉通り、力作の数々の中、もっとも印象に残ったのが、刺身。



「緑のガスパチョ、刺身スタイル(Green gazpacho, sashimi style)」という名前なので、本来はスープが主役なのかもしれませんが、まあ、こんなに繊細な刺身は、日本でもなかなか食べられるものではない! と、舌を巻いたのでした。



魚はどれも、甘くて繊細で、口の中に「うまみ」がパ~ッと広がります。そして、なにやら貝の身も添えてあって、それがまた、美味しいこと。



あとでデイヴィッドさんに聞いたら、ミルガイだそうで、貝が苦手のわたしでも、貝本来の甘みを堪能できたのでした。なるほど、貝を毛嫌いしてはいけない! と、反省した瞬間でした。



なんでも、魚介類は、わざわざ東京・築地から空輸したものを使っているそうで、「それだけ労力をかけても、最高のものを!」という意気込みをひしひしと感じます。



そして、もうひとつの「お気に入り」は、ひな鳩(squab)。



こちらも、日頃は敬遠する食材ですが、ポトフ(pot au feu)風にあっさりと仕上げた鳩のお肉と「足」が、松茸やネギと絶妙にマッチしています。



ローズマリーを添えた「足」は、手で食べるようになっていて、それこそ、骨までしゃぶって(!)味わいました。「ひもを取って、中を食べてもいいですよ」と許可が出たので、上から下まできれいに食べ尽しました!



そして、これを書きながら学んだのですが、ポタージュ風になっていた「メロンのコンフィ(confi of melon)」というのは、手間がかかるものだそうですね。



コンフィは、油脂や砂糖に漬けて食材を保存する調理法ですが、メロンのような大きな果物をコンフィにするのは手間がかかるとか。「甘くて、美味しいねぇ」と言いながら、ぺろっと食べてしまいましたが、いろいろと奥が深いものですねぇ。



そんなわけで、記念日の Manresa



普段は、たった一皿でも満足のいくものがあれば、その晩のディナーは最高だと感じるのですが、この晩は二皿に大満足だったので、ニコニコと笑顔のディナーになりました。



帰りにキッチンにも案内していただきましたが、デイヴィッドさんには「伝えたいことがある」と、こう申し上げたのでした。



You’re becoming a master of sashimi

あなたは、刺身の達人になっているわねぇ



Oh, that sashimi was just exquisite!

もう、あの刺身は、ほんとにデリケートで美味しかったですよ



いつものように、少年のような目の輝きで、相手の意見に耳を傾けるデイヴィッドさんでしたが、7月にも日本を訪れ、東京のお店を食べ歩きされたそうです。



神楽坂の虎白(こはく)という懐石料理のお店と、西麻布の(たく)というお寿司屋さんに行かれたとか。



加えて「今度は、北海道にも行きたいねぇ」ともおっしゃっていました。



たぶん「魚介類なら北海道」と耳にされているのだと思いますが、刺身に関しては、東京にもぜひ行っていただきたいお店があるので、次回は、連れ合いが東京にいるときに一緒に食べに行ってくださいね、と頼んでおきました。



日本各地には、「その土地ならでは」の素材がたくさんありますが、いつか福岡の近松(ちかまつ)というお寿司屋さんで食べたタコが、忘れられません。柔らかくて甘くて、タコが苦手のわたしも「タコって、本来はこんな味なのかぁ」と学んだのでした。



きっと、いろんなものが苦手だと思っているのは、本来の味を知らないだけなんでしょうねぇ。



日本各地をめぐる「三つ星シェフ」が新しい食材に出会ったら、いったいどんな風に興味をひかれるのか、それ自体、とっても興味をひかれるのでした。



Manresa に三つ星のニュースが届いたのは、火曜日。お店の定休日でスタッフはいないし、デイヴィッドさんは、アイルランドのイベントに出張されていたそうですが、お店のスタッフに向かって「あなたたちが支えてくれたお陰だよ」とツイートなさったとか。



「おめでとう!」を伝えた連れ合いのメールに対しては、「僕たちも、これほど嬉しいことはありません(We couldn’t be any happier!)」と、すぐに返事がありました。



三つ星になると、これまで以上にズシリと重い名誉と責任がのしかかってきますが、これからも、今までのように自分なりの味を追求していって欲しいな、と祈っているところなのです。



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