サンノゼの日本街~「別院」と「シャンハイ」の謎

先日、フォトギャラリーでは『サンノゼのお盆祭り』と題して、毎年7月に開かれる「お盆祭り(Obon Festival)」をご紹介しておりました。

 

 毎年、旧暦のお盆のころ、サンノゼの日本街(Japantown)で開かれるお祭りです。

 

 日本では「お盆」というと、おごそかに祖先の魂をお迎えしたあと、この世で歓待して丁重に送り返す、という儀式です。

 

 列島各地で開かれるさまざまな「盆踊り」に加えて、京都の「大文字の送り火」や、広島の「盆燈籠(ぼんとうろう)」、長崎の「精霊流し(しょうろうながし)」と、その土地独自の祖先の迎え方、送り方が見られます。

 

 けれども、アメリカの「お盆祭り」といえば、盆踊り(Obon dance)と太鼓と縁日で賑やかに彩られます。

 

盆踊りは、地獄から解き放たれた喜びを表すそうですので、きちんと仏教の教えに沿ってはいるのでしょうが、踊り、太鼓、屋台で楽しく過ごすとは、お盆が「フェスティバル」になっています(名前だって、Obon Festival ですものね!)。

 

 アメリカでは、祖先のお墓を訪ねるのは、戦死者に想いを馳せるメモリアルデーMemorial Day、戦没者追悼記念日)も多いですが、あくまでも「思い立ったとき」が基本。

 

 ですから、日系コミュニティーに受け継がれたお盆祭りは、「盆踊り」で楽しむことが中心となり、日本のように「墓参り」とは結びつかないのかもしれませんね。

(写真は、サンフランシスコ日本街の歴史を伝える「盆踊り」の碑)

 


 それで、お盆祭りを楽しもうと、サンノゼの日本街に行ってみると、いろんなことに「どうしてだろう?」と疑問を感じるのです。

 

そもそも、お盆祭りの主催者である仏教寺院は、どうして「別院」と呼ばれるのでしょうか?

 

 そうなんです、サンノゼのお寺は、「サンノゼ仏教寺院 別院(San Jose Buddhist Church Betsuin)」というのが正式名称なんです。

 

 別院があるからには、どこかに本院があるはずですよね。

 

 調べてみると、この別院という名称は、京都の浄土真宗のお寺、西本願寺の別院であるという意味だそうです。

 

サンノゼにお寺ができたのは、1902年。立派な本堂は、1937年に建立されたそうですが、「別院」と名乗ることを許されたのは、1966年のこと。

 

 この名は「歴史的にも、地理的にも大事なお寺」であることを示し、アメリカにある寺院としては、ひどく名誉なことなんだそうです。

 

 どうやら、19世紀末、北カリフォルニアで最初に浄土真宗のお寺ができたのは、港街サンフランシスコのようですが、日本からやって来た移民が周辺の農村に散らばるにつれて、お寺も各地に建立されるに至ったようです。

 

そう、最初は子供たちの日本語学校から派生した「仏教青年会」や「婦人会」のような定期的な集まりだったものが、「やっぱり我が街にも立派な寺院が欲しいよね」ということで、コミュニティーの人々の寄付で建立されていったようです。

 

 現在、サンフランシスコ・ベイエリアの寺院で盆踊りが開かれるのは、サンノゼとサンフランシスコに加えて、対岸のオークランド、シリコンバレーのマウンテンヴュー(写真)、それから、海沿いの農業地帯ワトソンヴィルなどですが、どちらも同じ浄土真宗のお寺だそうです。

 


 そして、もうひとつ気になっているサンノゼ日本街の謎があるんです。

 

それは、日本街なのに、「シャンハイ(Shanghai)」というネオンサインがあること。

 

 このネオンサインは、日本街を東西に走るメインストリート、ジャクソン通り(Jackson Street)にあって、饅頭屋さんのシュウエイ堂(Shuei-Do)のビルに掲げられています。(221 Jackson Street

 

 なんだって日本街にシャンハイ(上海)のネーミングがあるのでしょうか?

 

 なんでも、こちらのビルは、1951年、日本街に最も早く建った近代的なビルだそうで、その頃は、鉄筋コンクリートと一面ガラス窓の工法が珍しかったそうです。

 

 このビルには、饅頭屋のシュウエイ堂、ソーコー金物屋(Soko Hardware and Plumbing)、ギンザ・カフェ(Ginza Cafe)、そして シャンハイ・レストラン(Bill’s Shanghai Restaurant)が入っていたとか。

 

 どうやら、シャンハイ・レストランという飲食店が日本街で営業していたようですが、1950年代後半にレストランを経営していた方の息子さんは、「二階で営業していて、下にはお店が三軒入っていた」とおっしゃっています。

 

当時の店の名刺には、「座席300席(seating capacity 300)」とあるので、かなり広い中華レストランだったのでしょう。

(Photo of Bill’s Shanghai Restaurant business cards posted by Willis on Flickr, 2012)

 

 この二階の外壁に「シャンハイ」というサインが掲げてあったそうですが、この方の記憶では一度も点灯したことはなくて、店の入口にあった別の「シャンハイ」というネオンサインに何百もの電球がピカピカしていた、とのこと。

 

 この方のお父様は、亡くなる1968年までレストランを経営していて、その後は、お母様が1972年まで切り盛りしていたとか。

 

 そのあと何年も、二階の店舗スペースは空いたままで、ピカピカに光っていた入口の「シャンハイ」も外されたそうですが、後年、ビルの持ち主が外壁の「シャンハイ」をネオンサインにして保存したようです。

 

 この「シャンハイ」のネオンサインは、レストランがなくなった今でも、日本街の歴史を語る証人として大事に残されているのです。

 


ちなみに、こちらのビルは「土橋ビル(Dobashi Building)」と名づけられていて、向かいにあったドバシ・マーケット(Dobashi Market)という日系スーパーマーケットの一族が建てられたそうです。

 

 戦前は、このビルの場所にはフルショウ(古庄?)写真(Furusho Photography)という写真屋さんがあったようですが、戦時中に隔離された日系人収容所から戻られてからは店を再建されていないようです。

 

ドバシ・マーケットは、1912年に店が誕生した頃には「紀の国屋商店」と呼ばれていましたが、それは日本から移り住んだ一代目のキノスケさんが、紀の川沿いの村で生まれ育ったからだとか。

 

 ウナギや昆布、ウズラの卵やごぼう、ハワイでつくったキムチやフィリピンから輸入したエビのすり身と、日系の食卓には欠かせない食材を並べていました。

 

 今は、ドバシ・マーケットは、ニジヤというオーガニックスーパーに姿を変えていますが、日本街や周辺の住人を支えてきた大事なお店なのでした。

240 Jackson Street、写真は旧ドバシ・マーケットの前に置かれる碑)

 


 そして、土橋ビルにシャンハイ・レストランと一緒に入っていた、ソーコーという金物屋さん。

 

こちらのソーコー金物屋さんは、土橋ビルが完成した1951年末からサンノゼで営業するようになりました。

 が、もともとは、サンフランシスコの日本街にあるソーコー金物屋「アシザワ家」の分家だとか。(1698 Post Street, San Francisco、写真の右端 Soko Hardwareという赤い看板)

 

 サンノゼのソーコーは、土橋ビルの店舗が手狭になったので、すぐ近くの広いスペースに移転して店は繁盛しました。その頃、日本街の東隣には缶詰工場がたくさんあって、ピクルスや果物の缶詰をつくっていたので、工員さんもお得意さんだったようです。

 

 缶詰工場も閉鎖され、日本街もだいぶ静かになって久しい2008年1月末、経営者のビル・アシザワさんがリタイアし、56年のサンノゼでの歴史を閉じています。

 

 本家のソーコー金物屋さんは健在ですが、こちらの「ソーコー」というネーミングは、サンフランシスコの漢字表記「桑港」から来ているそうですよ。

 

というわけで、サンノゼ日本街の「別院」と「シャンハイ」の謎。

 

 わたしが20年前にサンノゼに引っ越してときには、日本らしいもの、昔懐かしいものがたくさんあった日本街。

 

 時代の流れとともに、ずいぶんと様変わりしていますが、同時に新しい息吹もたくさん吹き込まれているようです。

 

 

おもな参考資料:

ドバシ・マーケットについては、『California Japantowns(カリフォルニア州日本街)』のウェブサイト、「旧ドバシ・マーケット(ツガルレストラン)」の項

 

ソーコー金物屋については、サンノゼ・マーキュリー新聞の記事

“Japantown loses a fixture in Soko Hardware” by L. A. Chung, San Jose Mercury News, January 19, 2008

 

戦前1940年のサンノゼ日本街については、こちらの『Japantown Atlas(日本街アトラス)』の地図をご覧になると、感じがつかめます。

 

サンノゼ日本街は、当初、中華街に間借りしていたので、1930年頃までは中国系商店と混在していましたが、1940年になると日本街に生まれ変わっているようです。

 

ストーンフルーツの季節

 アメリカにいると、ちょっと季節を感じにくいかもしれませんね。

 

 とくにカリフォルニアは、春夏秋冬の「四季」ではなくて、乾季と雨季の「二季」。

 

 それでも、食べ物の移り変わりに季節を感じることも多いでしょうか。

 

たとえば、年が明けると、お店にはイチゴが並び始めます。

 

 その頃は、値段もまだお高いですが、3月、4月になると、真っ赤に熟れた甘いイチゴもだんだんお買い得に。

 

 カリフォルニアはイチゴの名産地なので、おいしいイチゴは、わたしの朝のサラダの大事な定番。こちらは、冬の味覚ブラッドオレンジ(blood orange)との鮮やかな赤いコンボです。

 

そして、5月中頃になると、そろそろ「ストーンフルーツ」が出始めます。

 

 以前もご紹介したことがありますが、ストーンフルーツ(stone fruits)というのは、桃とかプラムの実の柔らかなフルーツのこと。

 

 実は柔らかいですが、種が大きくて硬いので「ストーン(石)」フルーツと呼ばれます。

 

 やはり出始めはお高いですが、7月ともなると、お店の果物コーナーでは立派な主役。色とりどりに、いろんな種類のストーンフルーツが山積みです。

 


 そうなんです、わたしもまったく気にしていなかったんですが、桃やプラムの仲間には、種類が多いんですよね。

 

 まず、桃の仲間(peaches)には、日本でもおなじみの白桃(white peach)や黄桃(yellow peach)がありますが、ネクタリンもこの中に入るそうですよ。

 

ネクタリン(nectarines)にもいろいろあって、代表的なものは、白ネクタリン(white nectarine、写真)と黄ネクタリン(yellow nectarine)でしょうか。

 

 いずれのネクタリンも、桃とは違ってツルツルとした感触。でも、実はとってもジューシーで、桃にも劣らないくらいです。

 

 わたし自身は白ネクタリンが大好きですが、こちらはマンゴみたいな、蜜っぽい独特の香りと甘みがあって、おすすめのネクタリンです。

 

 桃も、白桃が好みなんですが、ネクタリンだって、黄色よりも白の方がデリケートなお味じゃないかと思っているんです。

 


 そして、プラムの仲間(plums)になると、もっと色とりどり。

 

行きつけのオーガニックスーパーでは、赤プラム(red plum)、緑プラム(green plum)、黒プラム(black plum)と、地元で採れたプラムをいろいろと紹介してくれます。

 

 まずは、赤プラム(写真の一番左)。こちらは、もともとの品種じゃないかな? と思っているのですが、オーソドックスなプラムといった感じ。

 

 ちょっと繊維質で、甘みも酸味も控えめな、素朴なお味です。そう、あんまり人が手を加えていないような印象でしょうか。

 

 緑プラムは、その名のとおり緑色(写真真ん中の二つ)。色もお味もブドウのマスカットにも通じるものがあります。甘みも酸味も強く、青リンゴのような爽やかさを感じます。

 

 清涼感をお好みの方には、おすすめのプラムでしょうか。

 

そして、わたし自身の「一押し」は、黒プラム!

 

 なぜって、甘くて、ジューシーで、熟した黒プラムは、まるで巨峰のようなコクのあるお味だから。

 

 そう、外観は黒ずんでいてパッとしませんが、皮をむくと、果汁したたる透きとおった果肉。皮の下には、赤い葉脈がはりめぐらされていて、これが黒っぽい色に見せているのでしょう。

 

この日のサラダは、ごくシンプルに黒プラムが主役。

 

 熟してくると、実も黄色っぽい発色から、だんだんと赤くなってくるようです。

 


 一方、桃やプラムのストーンフルーツにも、さまざまな「ハイブリッド」があります。そう、品種を交配させて、新しいものが栽培されているんですね。

 

こちらは、その代表品種であるプルオット(pluot)。

 

 外観は、赤プラムのようでもありますが、切ってみてビックリ。まるでビーツのように、実が真っ赤です!

 

 お味は意外と淡白で、甘みは控えめなんだけれど、とってもジューシーな果実です。

 

そして、アプリアム(aprium)というのもあります。

 

 こちらは、外観もお味も、アプリコット(apricot:英語の発音は「エイプリコット」)に近いフルーツです。

 

 それもそのはず、アプリアムはアプリコットとプラムを交配したものだそうですが、だとすると、たぶん「エイプリアム」と呼ぶのが一般的なんでしょう。

 

果実はジューシーというよりも、ちょっとモソモソした感じで、日本の果物で言えば、ビワみたいな印象でしょうか。

 でも、発色が鮮やかなので、他のものと混ぜても、ひときわ目立ちますね。

 

 アプリアムは、ストーンフルーツの中でも早生(わせ)の品種で、アプリコットは、遅い時期に出回るようです。

 


 というわけで、色とりどりのストーンフルーツ。

 

 カリフォルニアはアジアに近いので、桃をはじめとして、ストーンフルーツの宝庫です。

 

 とりわけ、「シリコンバレー」と呼ばれるサンタクララバレーは、日系農家も多かったので、桃やプラムの果実は深く親しまれてきましたし、大事な作物でもありました。

 

春にはかわいらしい花が咲き誇り、夏になると、立派な実を結ぶ。

 

 シリコンバレーは、その昔「喜びの谷間(the Valley of Heart’s Delight)」と呼ばれました。ストーンフルーツは、その原点のようなものかもしれません。

 

リアリティー番組: ウソ(台本)から出たまこと?

Vol. 192

リアリティー番組: ウソ(台本)から出たまこと?



今月は、リアリティー番組のお話をいたしましょう。ひとつ目は、サンフランシスコが舞台となっている番組。ふたつ目は、リアリティー番組から飛び出した「スター」のお話となっています。

<第1話:サンフランシスコのリアリティー番組>
そうなんです、サンフランシスコがリアリティー番組の舞台となっているのです。

リアリティー番組(Reality TV programs)といえば、CBS系列の『サバイバー(Survivor)』シリーズを始めとして、2000年代前半に一世を風靡したジャンル。
一般人が登場する、台本のないテレビ番組と定義できるでしょうか。 CIMG4045small.jpg

たとえば『サバイバー』だと、熱帯のジャングルや海に浮かんだ孤島が舞台となりますが、今回は、都会のサンフランシスコが舞台。いったい何の番組かと言えば、不動産のエージェント(仲介業者)が活躍する番組です。

そう、不動産市場が焼けこげるくらいにホットなサンフランシスコ・ベイエリアで、いかにして物件をスムーズに(理想的には高く)売れるかと、3人の敏腕エージェントが競い合う番組なのです。

ケーブルチャンネルのBravoが製作する『百万ドルの物件 サンフランシスコ版(Million Dollar Listing San Francisco)』というシリーズで、独立記念日のお祝いが終わったばかりの7月8日、華々しくデビューしました。

昔は芸術一筋だったBravoは、いまやリアリティー番組の大御所。この『百万ドルの物件』の舞台としては、これまでロスアンジェルス、ニューヨーク、マイアミが登場し、サンフランシスコは4番目のロケーションとか。



ネーミングの百万ドルというのは「高い物件」を表すわけですが、初日に登場した「豪邸」は、サンフランシスコのノエバレー地区にあるモダンな3階建、市の南西にある閑静な住宅街の豪邸、そしてベイブリッジを渡った郊外アラモにある超モダンな一軒家。

もちろん、どれも百万ドル(ざっくりと1億円)では買えません。
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まずは、小手調べに、ジャスティンさんがノエバレーを担当するのですが、見晴らしの良い高台のわりに、ダウンタウンからはちょっと離れている。
すぐに買いたい男性が現れたものの、売り主側の強気の提示価格に、これ以上は出せないと断念。
が、最初に申し出ていた声の人物が「じゃあ、僕が現金で買うよ」と、めでたく商談が成立するのです。

いえ、通常の不動産取引では、売値(asking price)が設定してあって、買い手(prospective buyer)がそれより低い値段を提示し、売り主(seller)がそれを呑むか、もうちょっと高い値を再提示(counter offer)して、商談が成立します。
結局は、当初の値段よりも低く売買されるのが普通なのですが、番組の場合は、「もっと高く売れる!」と踏んだ売り主が、値段をどんどんつり上げた(サンフランシスコらしい)ケースとなっています。
そう、欲しいと言った方が不利になり、当初の売値350万ドルは380万ドルに!



そして、「台本がない」リアリティー番組とはいえ、近頃は、ストーリー展開に面白味を持たせるために筆を入れている場合も多いです。
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たとえば、市内の豪邸に二人目のエージェント・ローさんが向かうと、売り主側のエージェントが「高過ぎ!」と思えるような売値を提示してきたり、アラモのモダンな一軒家(写真)では、設計・施工主・売り主を兼ねる夫婦がエージェントのアンドリューさんと売値の設定で折り合わなかったりと、何やかやと問題が起きるように細工してあるのです。

このアラモのケースでは、サンフランシスコ市内から離れているので、200万ドル台に留めておいた方が良いというエージェントの説得で、一時は納得した奥さんでしたが、お得意さんを呼ぶパーティーを大々的に開いたあと、「少なくとも340万ドルでなければ売りたくないわ!」と難色を示すようになったのでした。

ダンナさんが建築士で、奥さんがインテリアデザイナー、息子が不動産開発業となると、我が手で築いた家には「心」が残るし、誰もが欲してくれると信じ込む難しさがあるのです。

初回の放映の直後、サンノゼ・マーキュリー新聞は、エージェントのアンドリューさんとのインタビュー記事を掲載していて、この中で「もしかしたら、もうちょっと高い値段を設定しても良かったのかもしれない」と認めています。 Million Dollar Listing SF-Andrew.png

ここ半年ほど、サンフランシスコの不動産業界にも変化が見られるようになり、以前のように一軒に十数人が集まって競り落とすような競売状態(bidding war)は収まってきて、せいぜい一人、二人が買う意思を見せるようになった、と。
ですから、以前は売値を低めに設定しておいて、たくさん人を集め、「競売」で値をつり上げるのが常套手段だったのが、だんだんと通常の不動産取引に近くなってきた、とのこと。
(”Translating drama of the deal: Interview with Andrew Greenwell” by Richard Scheinin, photo by Aric Crabb, San Jose Mercury News, July 11, 2015)

そのひとつの理由に、中国を始めとする外国からの投資が減速したことがありますが、とくに中国の場合は、本国での不動産の私有は禁じられているのが現状です。
さらに、テクノロジー業界の隆盛のおかげで、世界各地からの流入も激しく、市の人口増加も目を見張るほど(米・国勢調査局の推計では、2013年の市総人口84万人は一年で11,300人増加)。

そんな状況を考えると、サンフランシスコなどの魅力的な市場では、ちょっとやそっとでは「普通」に戻らないのではないか? とも思えるのです。

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現在、市内は、高層ビルの建設ラッシュ。こちらのアングルでは、ほんの一年で、目の前の(邪魔な)ビルを含めて、高層ビルが5本も現れています!

そして、今となっては、サンフランシスコ市内の家の中間値は、116万ドル(120円換算で1億4千万円; 一軒家とマンションの売買物件を上下に二分する中間の値段)。

ということは、街の物件の半分が116万ドルを超えているということで、リアリティー番組『百万ドルの物件』にも堂々と登場できるということでしょうか?!

ま、中には、信じられないボロ屋だってあるんですけれど、さびれた場所だって「up and coming neighborhood(これから人気が出る地区)」と婉曲語を唱えていたら、いつの間にやら「well-established neighborhood(高級住宅地)」に変身してしまうのかもしれません。



<第2話:リアリティー番組から大統領誕生?>
大統領というのは、アメリカの大統領のことです。

4年に一回の大統領選挙が、来年11月8日に迫り来る中、そろそろ民主党、共和党の両党とも、候補者選びに本腰を入れ始める頃でしょうか。

現職のオバマ大統領(民主党)は憲法で定められた「二期8年」の満期となりますので、民主党は代替えとなる人を当選させたいわけですが、事実上の民主党候補と言われるのは、元ファーストレディー、前国務長官のヒラリー・クリントンさん。
現時点では、17名が民主党候補として名乗りを上げていて、副大統領ジョー・バイドゥン氏も「考え中」だそうですが、やっぱり本命はヒラリーさんでしょう。



一方、まったく読めないのが、共和党。

現時点では、共和党大統領候補として出馬した方は33名。あと何人か増えるかもしれませんが、とにかく、誰が候補指名を受けるかは、五里霧中。

が、中でも、ここ数週間とみに人気を上げているのが、不動産王(real estate mogul)でリアリティー番組のスター(reality TV star)、ドナルド・トランプ氏 The_Apprentice_Logo.png

トランプ氏は、もともとニューヨークの高層ビルやリゾート・カジノ開発で大成功を収めた方ですが、NBC系列の『アプレンティス(Apprentice:見習い)』というリアリティー番組で、右腕になりそうな有能なスタッフを選ぶ「ボス」として、視聴者の間で一躍有名になりました。

巨大企業を一代で築き上げた実力を誇るとともに、教育も大事にする人で、たたき上げのチーム(street smarts)と高学歴のチーム(book smarts)を対戦させ、どっちが役に立つかと「品定め」したこともありました。
毎回、ひとりずつ、番組の最後で姿を消しますが、トランプ氏の「あんたはクビだ(You’re fired)」というセリフから、「究極の面接」とも言われました(現在は、セレブが参加する『セレブリティー・アプレンティス』に移行)。

とにかく「歯に衣着せぬ人」とは、この人のことを言うようで、6月16日、大統領候補として名乗りを上げた決起集会で、「大失言」をしでかしました。
事もあろうに、メキシコからアメリカに入って来る人間は、ほとんどが麻薬を運んで来たり、犯罪を持ち込んだりする悪者である、と述べたのです。

「まあ、中には良い人もいる」と付け加えたものの、これが社会の反発を生まない方がおかしいくらいで、この直後、NBCは人気番組『アプレンティス』でトランプ氏の出演を打ち切りましたし、トランプ氏がオーナー権を持っている『ミスUSA』も放映を中止しています。

ところが、不思議なことに、その後、トランプ氏は世論調査でジリジリと支持率を上げ、今では「一番人気」の共和党候補となっているのです! Trump at the Border 072515.png

移民を警戒し、「アメリカとメキシコの国境を強化する!」と宣言するトランプ氏。保守的な共和党支持者の間では、期待の星となっているのでしょう。
こちらの漫画では、その点を風刺。トランプ氏のトレードマークである「前髪」をつたって人々が国境侵入。が、よく見ると、トランプ氏は双眼鏡を口にくわえています。
(Cartoon by Signe Wilkinson/Philadelphia Daily News, from San Jose Mercury News, July 28, 2015)



そんなわけで、近頃、トランプ氏ばかりがもてはやされるので、他の共和党候補者も「失言」で脚光を浴びようとしているようなんです!!

現在、オバマ大統領がイランと進めている、ウラン濃縮制限などの核協議。

ここで枠組みが合意されたことに対して、マイク・ハッカビー候補が「この合意は間違いだらけで、イスラエルをオーブンに導くものだ」と攻撃したのでした。

ここで「オーブン」というのは、第二次世界大戦時、ヒットラーがユダヤ人を迫害した「ホロコースト」を表します。 Pres Obama in Ehiopia 072715.png

そんな前アーカンソー州知事の悪趣味な発言に対して、オバマ大統領は、「国のリーダーたるべき大統領候補者がこんな発言をするなんて、近頃とみに目立つバカげた(ridiculous)政治攻撃のパターンである」と、訪問先のエチオピアで述べています。
加えて、「トランプ氏をヘッドライン(見出し)から引きずり下ろしたい魂胆だろうけどね」とも。
(Photo from WhiteHouse.gov)



いよいよ8月6日には、第一回目の共和党候補テレビ討論会が開かれます。33名も候補者が居並ぶ中、16名が本命候補と言われますが、「トップ10」に入らなければ、討論会にも出させてもらえません。 2016 Rep Pres Candidates.png

すでに「トップ10脱落」と目される中には、唯一の女性候補である元HP(ヒューレット・パッカード)CEOカーリー・フィオリナ氏や、元ニューヨーク州知事ジョージ・パタキ氏が名を連ねています。
現ニュージャージー州知事のクリス・クリスティー氏や、前テキサス州知事のリック・ペリー氏は「危うい」と評されています。
(討論会を放映する FOX TVは、8月4日現在の最新の世論調査5件から支持率トップ10を選ぶそうですが、まるでアイドルの人気投票のよう: Photo from San Jose Mercury News, July 14, 2015)

いずれにしても、来年7月下旬に開かれる共和党全国大会で大統領・副大統領候補が指名されるまで、長〜い闘いが続きます。

が、ひょっとすると、一般人に広く知られる実業家のトランプ氏が指名を受け、選挙で大統領に選ばれることもあるのかもしれません。

保守派の間では、どうやら体制不信(anti-establishment)の精神が脈々と受け継がれていて、「政治家」であることは、かえって不利に働くようにも思えるからです。

となると、リアリティー番組のスターが大統領になるってこと?!



余談ですが: 7月23日、国境都市テキサス州ラレドを訪れたトランプ氏の後ろには、「大統領専用機」を思い起こす自家用ジェット機が。そして、彼がかぶる野球帽には、スローガンである「偉大なアメリカを取り戻そう!(Make America Great Again)」が縫い込まれていました。

カリフォルニア州では年初から、トランプ氏が敵視する「査証なし移民(undocumented immigrants)」にも運転免許証を発行するようになりましたが、今年前半に新たに免許を取得した人の52%(40万人)が「査証なし(いわゆる不法)」と分類されるとか。

先日、国勢調査局が発表したように、カリフォルニアで最大の人種は、もはや白人ではなく、ヒスパニック系(Hispanics:ラテン諸国からの移民と子孫)。

ま、ヒスパニック系を敵に回すと難しいのが、近年の大統領戦でしょうか。

夏来 潤(なつき じゅん)



サンフランシスコのファーマーズマーケット

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サンフランシスコの湾沿いに、フェリービルディング(San Francisco Ferry Building)があります。



街のメインストリート、マーケット通り(Market Street)の突き当たりにあって、文字通り、フェリーが発着する埠頭にあります。



時計台つきの立派な建物が完成したのは、19世紀末。その頃は、フェリービルの前には、ベルト鉄道(Belt Railroad)という列車が走っていて、海沿いの埠頭から埠頭へと貨物を運んでいました。



その中央に位置するフェリービルは、まさに経済の中心であり、街のシンボルだったのです。



1930年代には、対岸のオークランドに向けてベイブリッジが架けられ、橋に車と鉄道が走るようになると、フェリーの本数も減り、一時はビルもオフィスに使われたりして、だんだんと市民から忘れられた存在となりました。



ベルト鉄道も市のストリートカー(San Francisco Municipal Railway)の線路に張り替えられ、周辺も様変わりしています。



ところが、完成から105年たった、2003年。フェリービルは、昔のように復元されたことで新たに生まれ変わり、レストランやカフェ、ワイン屋さんにチーズ屋さん、ハムの専門店やマッシュルームの専門店と、おしゃれなお店がたくさん集まってきました。



Recchiuti(リキューティ)というチョコレート屋さんもあって、ハーブ入りのチョコレートやチョコでコーティングしたナッツ類は、お土産にも最適です。



お勤め帰りの人たちは、ビルの正面にあるカフェでビールジョッキを傾けたり、中のワイン屋さんの一角でコルクを開けたりと、同僚や友人たちと夕食前のひとときを楽しんでいます。



そんなフェリービルでは、毎週ファーマーズマーケット(Framers Market、露天市)が開かれます。



フェリービルのまわりのプラザで開かれるので、フェリープラザ・ファーマーズマーケット(Ferry Plaza Farmers Market)と呼ばれますが、毎年だんだんと大きくなって、ビルの後ろのプラザばかりではなく、ビルの正面や脇にもテントが広がるようになりました。



マーケットは、週に3回、火曜日、木曜日、土曜日の朝10時から2時(土曜日は朝8時から)開かれます。



やっぱり一番大きいのは、土曜日でしょうか。



有機栽培の野菜や果物、花やハーブ、卵に蜂蜜、ハムにチーズと、おいしそうな食べ物のテントが所狭しと並びます。



デニッシュやコーヒーの食べ歩きもできますが、中でも人気なのは、火でゆっくりあぶったローティセリーチキン(rotisserie chicken、ローストチキン)。お昼時には、長蛇の列となります。



ここは、ベイブリッジを眺める場所にあって、絶好のロケーション。けれども、地元の方も、観光の方も、目の前の食べ物に夢中です。



サンフランシスコに来たら、主役はあくまでも「海」なのに、このときばかりは、海や橋や埠頭から離れるフェリーには目もくれず、みなさん品定めに余念がありません。



こちらのファーマーズマーケットは、非営利団体のCUESTA(Center for Urban Education about Sustainable Agriculture)が主催していて、農業を広く都市の住民に知ってもらう役割を果たしているそうです。



食べ物を収穫する上では、自然に優しい、自然と共存した農業(sustainable agriculture)が望ましい、という方針を掲げて20年前から活動を続けています。



ですから、情報ブースでは、水を極力使わないドライ農業(dry farming)のことを教えたり、お料理ブースでは、野菜中心のアジア料理を実演したりと、情報共有を念頭に置いたブースも目立ちます。



そして、もちろん、有機栽培に努める農家と都市住民との橋渡しの役割も果たしていますので、農家にとっても消費者を紹介してもらえて嬉しいし、都市住民にとっても良い食材を提供してもらえてありがたいファーマーズマーケットとなっているのです。



おもしろいと思ったのは、Veggie Valet(野菜のヴァレーパーキング)というシステム。野菜や果物を買うと重くなってくるので、もっとショッピングを続けられるように、ここに荷物を預けられるのです。



わたし自身は、オークランドから出店している Highwire Coffee Roasters(ハイワイア珈琲焙煎工房)でコーヒー豆一袋を買っただけでしたが、手にした荷物が重いと、ショッピングを楽しむ余裕はなくなってしまいますものね。



それにしても、歴史あるフェリービル。



10年ほど前までは、辺りは、人も寄り付かないような寂しい場所でした。



それが、今ではフェリービルばかりではなく、目の前のストリートカー停留所の広場(Harry Bridges Plaza)にも露店が並び、観光客もたくさん訪れるようになりました。



おしゃれなところには、人が集まる。人が集まるところには、活気がある。



サンフランシスコのウォーターフロント(海沿い)も、ずいぶんと楽しい場所になってきました。



そうそう、サンフランシスコの埠頭の番号には、おもしろいルールがあるんですよ。



フェリービルに向かって左側には、Pier 1からPier 49と奇数の埠頭が並び、右側には、Pier 2からPier 50(その先にはPier 70, 80 ~ 96)と偶数の埠頭が並んでいます。



観光地として有名な Pier 39 は39番ですから、フェリービルからずいぶんと左にあります(歩けない距離ではありませんが、ジョギングコースに向いているかもしれません)。



ビルのすぐ左には Pier 1/2(2分の1)というのもありますが、抜けている数字もたくさんあって、時の流れの中で昔の埠頭が姿を消していったんだと思います。





サンノゼのお盆祭り

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7月4日の独立記念日の翌週、サンノゼ市では、恒例の「お盆祭り」が開かれました。



以前、『アメリカのお盆フェスティバル』と題してご紹介したこともありますが、カリフォルニアでは、7月に入ると、あちらこちらでお盆祭り(Obon Festival)が開かれます。



あくまでも「お盆」ですから、仏教寺院のある街で開かれるのですが、サンノゼでは日本街(Japantown)にある別院(San Jose Buddhist Church Betsuin)というお寺で開かれます。



毎年、サンノゼ市の翌週には、マウンテンヴュー市のお寺(Mountain View Buddhist Temple)、その翌週には、サンフランシスコ市のお寺(Buddhist Church of San Francisco)と、7月はお盆祭りラッシュとなります。



サンノゼにもサンフランシスコにも、19世紀末に形成された日本街が残りますが、サンノゼのお盆祭りは今年で第80回、サンフランシスコは第77回の開催となります。



そんな歴史ある祭りですが、アメリカのお盆祭りは、日本を知る目で眺めてみると、ひなびた、懐かしい感じがするのです。



お寺では、日に何回か講話が行われ、その合間に太鼓に耳を傾けたり、フードコートでヤキトリをほおばったり、屋台でゲームを楽しんだりと、昔懐かしい「縁日」の雰囲気でしょうか。



それで、何年かぶりにサンノゼのお盆祭りに足を向けたわたしは、堂々たる太鼓の響きを楽しみながらも、屋台のゲームに興味をひかれたのでした。



いえ、今回は何もやらなかったのですが、「こういったゲームは、いったいどこから来たんだろう?」と興味津々。



だって、「金魚すくい」とか「ヨーヨー釣り」とか、日本の屋台のお遊びとは明らかに違います。



空きビンに向かって輪っかを投げる「輪っか投げ(Ring toss)」やバスケットボール・シュートは、アメリカのストリートフェスティバルでも見かけますが、その他はちょっと異質で、日本街独特のお遊びなんじゃないかな? と思ったのでした。



もちろん、ちょうちん(lantern)を釣り上げるゲームなどは、日本街ならではの工夫ではありますが、たとえば、5セントを白と黒の枠に投げ入れる「ニッケル投げ(Nickel pitch)」や、10セント(ダイム)を色枠に投げ入れる「カラースポット(Color spot)」などは、実際の硬貨を使うので、ギャンブル性が強いではありませんか。



枠にうまく入ったら、白だと5倍、黒だと10倍になるそうですが、なんとなくカジノのルーレットみたいでしょ。



日本人だったら、「お金で遊んではいけません!」と子供をしかりつけそうではありますが、日本街では「大人も遊べるゲーム」として、硬貨を利用する遊びが生まれたのでしょうか?



明治初期、日本からサンタクララバレーに移民が移り住んだ頃には、日本街には圧倒的に男性が多かったので、自然と賭博も余暇の過ごし方となった、と耳にしたことがあります。



日本街に家族で住むようになってからは、野球や相撲、踊りや太鼓がレクリエーションとなったようですが、硬貨を使う屋台のお遊びは、初期の日本街のなごりかもしれないなぁ、と漠然と考えながら歩いていました。



そして、アメリカのフェスティバルと言えば、やっぱり食べ物!



フードコートに登場したのは、餃子に天ぷら、チキンサラダに握り寿司、そして一番人気は、チキン照り焼きとビーフ照り焼き。奥のテリヤキコーナーは、長蛇の列。



もう夕方だったので、みなさん、ガッツリお腹にたまるものが良かったのでしょう。



ここでも日本の屋台フードの定番「焼きそば」や「たこ焼き」は見かけませんでしたが、代わりに「アイスモカ」だの「パールティー」と、おしゃれな響きのメニューを見かけました。



もちろん、お盆祭りの主役は「盆踊り」。



英語では Obon dance とか Bon Odori と表記されるようですが、サンノゼの地元紙マーキュリー新聞には、こんな由来が載っていました。



あるとき、「もくれん」という男性が、地獄にいる母の魂を助けて欲しいと仏陀にお願いしたら、仏陀の弟子が「7番目の月の15日目にお供えをしなさい」と教え、もくれんがその通りにすると、母は地獄から放たれ、嬉しさのあまり彼が踊り出したのが盆踊りの走りとなった、と。



ですから、お盆祭りの中心は「盆踊り」であって、縁日(street fair)などのお楽しみは、あくまでも副産物なんだとか。



今年は、「ええじゃないか、ええじゃないか!」と、賑やかな『ええじゃないか踊り』も登場していましたが、みんなで輪になって楽しむ盆踊りは、しっとりとした余情のある踊りですよね。



盆踊りは、サンノゼやマウンテンヴューに限らず、サンフランシスコの対岸の港街オークランドや、海沿いの農業地帯ワトソンヴィルのような小さな街でも、毎年地元のお寺で開かれているようです。



踊りの輪に大小はあるとは思いますが、盆踊りはきっと、日系の方々だけではなく、地元の人たちの夏の楽しみとなっていることでしょう。



以前、「お盆というのは、そもそも祖先の供養のためにあるんですよ」と太極拳の師匠に教えたら、「え~、そうだったの?」とビックリされたことがありましたが、ドンドンドンと威勢の良い太鼓が響きわたると、「これじゃあ、ゆっくりくつろげないよ」と、祖先の魂も帰って行きそうな感じもするのです。



今年は、歴史ある『サンノゼ太鼓』に加えて、私立スタンフォード大学、州立カリフォルニア大学バークレー校、アーヴァイン校、デイヴィス校と、大学の太鼓道場も自慢の腕を披露していましたね。



というわけで、アメリカのお盆踊りは、縁日や太鼓やテリヤキで楽しく過ごすフェスティバル!



「楽しい」を目当てに、みんながお寺に集まってくる週末なのでした。





「盆踊りの起源」の引用文献: “A gathering of joy: Street event steeped in Buddhist tradition celebrates its 80th year” by Joe Rodriguez, San Jose Mercury News, July 13, 2015



People tend to wilt(人の方が元気なくすよね)

 日本は、まだ梅雨の真っただ中と思います。

 

 一方、カリフォルニアは乾季なので、ほぼ一滴も雨が降りません。

 

 雨季が終わる6月になると、カリフォルニアはとたんに真夏のような暑さになって、それが7月まで尾を引きます。

 

 ひょっとしたら「真夏」のはずの8月よりも、6、7月の方が暑いかな? と感じるくらいです。

 

そして、この頃になると、カリフォルニアのバラも満開となります。

 

 バラは、お日さまが大好きな植物(sun-loving plants)ですので、陽光を浴びると、嬉々として花を咲かせます。

 

 それで、今日のお題は、こちら。バラと人間を比較した文章です。

 

 Roses thrive in the hot sun, but people tend to wilt

 暑い太陽の下でバラは元気モリモリだけれど、人は元気をなくすものです

 

 ここでは、thrivewilt という対照的な動詞が使われていますね。

 

 Roses thrive(バラは元気良く育つ)

 

 People wilt(人はぐったりと元気をなくす)

 

 最初の thrive は、「元気良く育つ」とか「繁栄する」という自動詞。

 

 二つ目の wilt は、「(草木が)しおれる」とか「(人が)弱る」という自動詞。

 

 同じような意味では、wither という動詞もあって、「しぼむ」とか「生気を失う」「(愛情や希望が)衰える」といった意味合いになります。

 

 ですから、上の文章は、「真夏の強い太陽の下では、バラは元気だけれど、逆に人は元気をなくしてしまうものです」と注意を促しているのです。

 

 ちなみに、People tend to wilt に使われている wilt という動詞は、一般的には、人よりも植物に使うことが多いので、「人がしおれる」という表現がおかしくも感じられるのでした。

 


 

 というわけで、ヘンテコリンな警告文ではありますが、こちらは、サンノゼにある市営バラ園(San Jose Municipal Rose Garden)がボランティアを募集していたときに見かけたもの。

 

 バラが一斉に花を咲かせたあとに行う deadheading(デッドヘディング)という行事に参加しましょう! というお誘いでした。

 

いえ、deadheading と言っても、ほとんどの人は聞いたこともありませんが、動詞 deadhead は、ちゃんとした園芸用語だそうです。

 

 文字通り、バラの「死んだ頭(dead head)」つまり「散ってしまった花」を取り去って、新しい花芽を育たせることだそうです。

 

 この市営バラ園には、3500株ものバラが植わっているので、より大勢のボランティアの方々に参加してもらって、「散った頭」を刈り取りたいのですが、参加日時は、土曜日の午前8時から11時。

 

 なぜそんなに早いのかと言えば、夏の太陽が暑すぎない午前中に済ませたいから。

 

 それを見たわたしは、「早い!」とひるんでしまったのでした。

 

ここは、サンノゼ市北部の歴史的区域にある立派なバラ園。ときどき結婚式を挙げるカップルもいらっしゃるような「市の名所」となっています。

 

 ですから、「たった一日限りのコミュニティーサービスの機会ですよ(”One Day” community service opportunity)」と言われると、参加しないことに罪悪感すら抱いてしまうのです。

 

 この日は、ボランティアの人たちがバラの香りを楽しめるようにと、毎朝撒いている有機液体肥料(organic liquid fertilizer)は控えましょうと、そこまで心配りをしてくださったようですし・・・(有機肥料って、プンプン匂うので、せっかくのバラの香りが消えてしまったら台無しですものね!)。

 


 

 そんなわけで、意外と日常会話にも花や動物たちが顔を出してくるのですが、こんな面白い表現もあるんですよ。

 

 We can argue until the cows come home

 牛が家に帰ってくるまで、ずっと討論できるんだけれどね

 

 後ろの until the cows come home というのが慣用句で、「牛が家(牛舎)に帰ってくるまで」つまり「気がすむまでずっと」といった意味合いになります。

 

 Until の代わりに till を使って、till the cows come home とも言います。

 

牧場に放たれた乳牛が、昼間はのんびりと草を食み、夜になると牛舎に戻ってくる、といった牧歌的な風景から生まれた言葉のようですが、転じて「それほど長く、気長に」という意味になりました。

 

 そのあとには、「でも、そんなことはしないよ」といった否定的な文章が続く「反語」のようなものでしょうか。

 

 We can argue until the cows come home, but I won’t change my mind

 好きなだけずっと議論はできるけれど、でも、僕は意見を変えないよ

 

 そう、このように、「いつまで話したって、意見は変えないよ」と否定的な意味で使われることが多いです。

 

 まあ、「牛が帰ってくるまで」と言いながら、牛を見たことがない都会の若い世代も多いので、どちらかと言うと、熟年男性が学術的な説明をする場面で使うような慣用句かもしれません。

(そう、ティーンエージャーの女のコが使うような言葉ではありませんね!)

 


 

 そして、もっとヘンテコリンな表現もあります。

 

 I was running around like a chicken with its head cut off

 わたしは、首を切られた鶏みたいに走り回っていたわ

 

 そうなんです、like a chicken with its head cut off という部分が慣用句。

 

文字通り「首をチョキンと切られた鶏みたいに」という意味ですが、上の文章は、額面通りの意味にも、比喩的にも解釈できますね。

 

 つまり、「(蜂に刺されて痛かったので)その辺を走り回っていた」という風にも取れるし、「とても忙しかったので、あちらこちらと走り回っていた」という意味にも取れます。

 

 いつか、友人が「明日から旅に出るから、その準備で、首を切られた鶏みたいに走り回っていたわ」と言っていましたが、彼女は、この慣用句がお気に入りみたいでした。

 

 鶏は首を切られても少しの間は動く、と聞いたことがありますが、たぶん、そのような実体験から生まれた表現なのでしょう。

 

 生々しい光景であるがゆえに、同時に鋭い描写でもあるでしょうか。

 

 それにしても、until the cows come homelike a chicken with its head cut off

 

 どちらも変な響きですが、歴史を感じさせる表現でもありますよね。

 

 そう、もともとヨーロッパ人がアメリカに流入した頃は、みなさん農業や酪農を営んでいたわけですから、アメリカの言葉にも、自然に密着した営みが受け継がれていてもおかしくはないですよね。

 


 

というわけで、ちょっと話題がそれてしまいましたが、今日は、夏のひとコマをご紹介いたしました。

 

 Roses thrive in the hot sun, but people tend to wilt

 

 バラは暑い太陽に元気をもらうけれど、人はしおれがちなんです

 

三つ星 Benu は日本酒ブーム

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昨年11月にご紹介しておりましたが、サンフランシスコの三つ星レストラン Benu(ベニュー)にまた足を運んでみました。

昨年10月、サンフランシスコ市内では二軒のレストランが「ミシュラン三つ星」に昇格しましたが、一軒がこちらのBenu。もう一軒が、やはり昨年11月にご紹介していた Saison(セゾン)です。

Saison には、三つ星昇格直後にお邪魔したものの、Benu は、とたんに予約が取りにくくなって、ようやく先日足を運ぶことができました。

一年ぶりにお店を訪ねると、テーブルの配置が若干変わっていて、以前よりもスペーシャスな印象。聞くと3ヶ月前にリフォームして、スタッフが動きやすくしたそうです。

以前にも増して、ごくシンプルな「ミニマリスト」の印象で、余分なものは一切排除しました、といった感じのインテリア。

そして、普段はビジネスマンが多い店内は、土曜日の晩の「女子会」やカップルが多かったです。なるほど、アメリカでも女性はグルメなんでしょうか。

というわけで、三つ星になって初めてトライする「おまかせメニュー」ですから、どんな風に進化しているのだろう? と、こちらも興味津々。

以前は20品ほどのコース料理でしたが、今回もデザート二品を含めると17品と盛りだくさん。それでも、ひとつひとつが小さいので、ペロリとたいらげてしまいました!

以前から定番だった『ウズラの「千年卵」』や『牡蠣と豚バラとキムチの鼈甲飴包み揚げ』はそのまま健在。が、やはり看板料理だった『「フカヒレ風」スープ』や『あん肝』は姿を消していました。

代わりに登場した中で、とくに印象に残っている一品は、『キャヴィアと冬瓜(とうがん)とチキンクリーム』。

わたしはキャヴィアが大好きなんですが、伝統的な「洋風」の食べ方(ゆで卵、ディル、玉ねぎのみじん切りとサワークリームを添えて)ではなく、こってりとした冬瓜とチキンクリームの「和風」の取り合わせが絶妙。

日本の金箔が散りばめられていて、そちらも「和」の影響かもしれません。

そして、今回特筆すべきことは、『ポテトサラダの田作り添え』や明石焼風の『ダンジェネスクラブのオムレツ』と、なんとなく日本の居酒屋みたいな品々が登場していたことでした。

『ヒラメと大根の胡麻和え』『ウニとオクラの磯辺揚げ』や、カリカリの『アワビステーキ』に添えたキャベツのコールスローも、どことなく居酒屋を思い起こします。

そう、日本人にとっては親近感の湧くメニューではありますが、その一方で、ウニは「磯辺揚げ」だともったいないし、地元の蟹ダンジェネスクラブも「明石焼」の食感に「お好み焼きソース」風の味付けにすると、もったいない感じがしないでもありません。

もしかすると、オーナーシェフのコリー・リーさんは、日本にいらっしゃって居酒屋を好まれたのかもしれません。が、ウニ(sea urchin)やダンジェネスクラブ(Dungeness crab)、アワビ(abalone)やカエルの足(frog leg)である必然性には、ちょっと欠けるかもしれないなぁ、といった印象を持ちました。

いえ、もちろん、どれもこれも「食べるのがもったいない」くらいに美味しいので、ペロリと食べてしまうんですけれどね!

そして、今回の特徴としては、ワインペアリングに「和」の影響が濃くなったこともあるでしょうか。

もちろん、日本の居酒屋風のお料理が多いので、自然と日本酒が合うことになるのですが、最初の二品の定番(『うずらの「千年卵」』と『牡蠣と豚バラとキムチの鼈甲飴揚げ』)をフランスの白と合わせたあとは、日本酒が二種類続きました。

最初の日本酒は、新潟にある君の井酒造さんの『山廃仕込 純米吟醸』。しっかりとしたコクのある麹の香りは、『ポテトサラダ』や『タラの揚げ物』と、前面に味が出てくるお料理にも負けません。

次のキャヴィアには、べつの日本酒が登場し、こちらは、静岡の大村屋酒造場さんの『若竹 おんな泣かせ 純米大吟醸』だったと記憶しています。君の井さんとは対照的に、すっきりと洗練されたお酒で、不思議なことに、キャヴィアのような淡水系のお味にも絶妙にマッチ。

ソムリエのユーン・ハーさんは、「キャヴィアに日本酒なんて、ロシア人が聞いたら怒りそうだけれど、僕はよく合ってると思うんだよね」と解説してくださいました。

そのあとは、ローヌの白、ベルギーのエール、ブルゴーニュのシャルドネ、メイン『牛あばら肉』に合わせたカリフォルニアのシラーと、ワインやビールが続きます(カリフォルニア・シラーの Copain というワイナリーは、シャルドネも美味しくて、値段もお手頃です)。

けれども、ワインペアリングの「とり」は、やはり日本酒。

奈良の春鹿さんの『発泡性純米酒 ときめき』を、デザートの『イチゴのコンポート、ココナッツとアーモンドクリームのせ』に合わせてありました。

発泡酒(sparkling sake)を味わうことはあまりないですが、瓶の中で酵母がつくり出した泡は、上品で喉ごしが良いです。シャンペンのような爽やかさがあって、イチゴの酸味ともよく合います。

というわけで、今回の「三つ星になった Benu 」は、お料理のコース仕立てには少々「迷い」を感じたのですが、その代わり、ワインペアリングが斬新で、「あ~、ここはワインペアリングにも秀でた店だなぁ」と思ったのでした。

あとでわかったのですが、物静かなソムリエのユーン・ハーさんは、世界に200人ほどしかいない「マスター・ソムリエ」の資格を持っていらっしゃるそうです。

そういえば、ユーンさんは、何かしら大きな楕円のバッジをつけていらっしゃったのですが、それが何を意味するのかまったく理解しておりませんでした。

以前、数年がかりで「マスター・ソムリエ」に挑戦するドイツ人のドキュメンタリーを観たことがあるのですが、ワインやビール、日本酒やヴォッカと世界のアルコール飲料に関する超難易度の知識を必要とするだけではなく、「お店」のセッティングの試験会場では、ありとあらゆる「わがままや試練」に臨機応変に対処しなければならないのです。

たとえば、テーブルが小さすぎて、お決まりの大きなビールグラスが置けないときにはどうするか? などと、頭の柔らかな発想力が求められているようです。

思い起こせば、前回の Benu のご紹介でも書いておりましたが、「角煮」のようなこってりとした牛に合わせた赤ワインが完璧で、お店の方にも「パーフェクトだった」と申し上げたことがありました。

舌に残ったコクのあるソースが、赤ワインとからみ合ったとき、思いもよらない、とろけるようなハーモニーとなったんです。

それ以来、味をしめて「パーフェクトなペアリング」を追い求めるようになったのでした。

そんなわけで、個人的には、なにも「ミシュランの星つき」でなくとも、友達とワイワイ食べるファミレスのハンバーグが美味しいときもあると思うのです。

だって、「食べる」を楽しむには、「場の雰囲気」も大事ですからね。

そして、ワインペアリングなんて、かなり贅沢な趣味だと思っていたのですが、自ら体験してみると、「自分の知らない、こんな世界があったんだなぁ」と、社会勉強をした気になったのでした。

そう、「どうしてみんなワイン、ワインって騒ぐんだろう?」という謎が、少し解けたような感じでしょうか。

「お家ごはん」が一番好きな我が家ではありますが、たまには「とびっきりのレストラン」に行って、楽しく社会勉強をするのもオツなものだと思っているのです。

追記: 今回の Benu では、「女性パワー」を感じたのでした。

お客さんに女子会が多かったこともありますが、ちょっと前までは、キッチンにも女性シェフが3人いらっしゃったそうです。残念ながら、今はたったひとりの女性シェフとなりましたが、フロアスタッフは半分が女性だとか。

そして、ワインペアリングの白ワインのうち、『ウニとオクラの磯辺揚げ』に合わせたローヌの白は、Domaine de Montvac というワイナリーのVacqueyras Blanc “Melodine” (RoussanneやClairetteなど4種のブレンド)。
こちらのワイナリー(創業1860年)は、過去3代「母から娘へ」と受け継がれる女系ワイナリーだそうで、現在は Cecile Dussiereさんがワイナリーを継がれているとか(Vacqueyrasは、少量の良いブドウを育む土地だそうです)。

『アワビのカリカリステーキ』と『トリュフまんじゅう』に合わせたブルゴーニュのシャルドネは、Caroline Lestime Hautes-Côtes de Beaune ‘Sous Equisons’ というワイン。
コート・ド・ボーヌのカロリーヌ・レスティメさんがつくられたワインですが、なんでも、カロリーヌさんは、ジャン・ノエル・ガニャールさんという有名なワインメーカーの一人娘。パリで勉強したあと、生まれ故郷に戻ってワインの道に進まれたとか。

どちらも「優しいお味」に仕上がっていましたが、フランスのワイナリーにも女性パワーがどんどん芽生えているようですね。

ブルーとゴールドのベイエリア: 40年ぶりの優勝です!

Vol. 191

ブルーとゴールドのベイエリア: 40年ぶりの優勝です!

今月は、40年ぶりの優勝にわくベイエリア、古いスタジアムに悩むベイエリアと、明暗を分けたお話です。

<第1話: 奇跡? それとも実力?>
ワールドカップサッカー日本代表「なでしこジャパン」が、グループ首位で決勝トーナメント進出を決めた6月16日(日本時間17日)、サンフランシスコ・ベイエリアは、異様な興奮に包まれていました。
 


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プロバスケットボール(NBA)のゴールデンステート・ウォーリアーズ(the Golden State Worriers)が、40年ぶり(!)の優勝を果たしたのですから。

2ヶ月に渡るプレーオフの死闘の数々。最終戦は、敵地オハイオ州クリーヴランドにて「スーパースター」ラブロン・ジェイムス率いるキャヴァリアーズ(the Cleveland Cavaliers)を破ったのですから、相手に不足はありません。
(Photo by Jose Carlos Fajardo, San Jose Mercury News, June 17, 2015)
 


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プレーオフの期間中、サンフランシスコの高層ビルも「ブルーとゴールド」のチームカラーでライトアップされ、対岸の本拠地オークランドとともにファンの誇りを示します。
なんでも、1960年代、ウォーリアーズの本拠地はサンフランシスコだったそうで、「フォグシティー」にとっても縁の深いチームなのです。
(写真の歴史的建物は、「口コミサイト」Yelpの本社が入るパシフィックベル・ビルディング)

そうなんです、ウォーリアーズが最後に優勝したのは、40年前の1975年。それ以来、「優勝」という言葉には縁遠く、ウォーリアーズ自体が、ちょいと知名度の低いチームとなっておりました。
だって、サンフランシスコ界隈には、アメリカンフットボールの49ers(フォーティーナイナーズ)やレイダーズ、野球のジャイアンツやA’s(アスレティックス)、アイスホッケーのサンノゼ・シャークスや、サッカーのアースクウェイクスと、注目チームがひしめき合っているのですから。

かく言うわたしも、ウォーリアーズには縁がなくて、バスケットボールが「観る」スポーツであることを初めて知ったのでした。

プロの試合となると、うま過ぎて面白味に欠けると思っていたのですが、じ〜っと観ていると、必ずしもシュートが入るわけではないんですねぇ。遠くから無造作に(?)シュートしてはずすこともあるし、直近からシュートしているのに、ゴールにあざ笑われるかのごとくペッと吐き出されることもある。

そして、まあ「一秒」の進むのが遅いこと! とくに地元チームが勝っているときには、時計の針が止まってしまって、イライラするんです。
 


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そんなわけで、バスケットボールを語る資格は持ち合わせておりませんが、ウォーリアーズの40年ぶりの優勝には、「シーズンMVP」ステッフ・カリー選手の功績が大きいのでしょう。
素人のわたしが見ていても、彼のシュートは異常な角度でゴールに吸い込まれていって、しかも、パス出しのうまさは天下一品だというのがわかるのですから。
(Photo by Nhat V. Meyer, MN, June 15, 2015)

そして、ヘッドコーチ一年目のスティーヴ・カー氏も忘れてはなりません。レギュラーシーズン8割を超える勝率(67勝15敗)は、NBAの新人ヘッドコーチとしては、歴代最高の勝率だとか。
昨シーズンは17勝65敗(!)だったそうなので、その変身ぶりは目を見張るようです。
 


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昨年10月には、サンフランシスコ・ジャイアンツがメジャーリーグ優勝を果たし、今度はゴールデンステート・ウォーリアーズがチャンピオンとなって、対岸のオークランドで優勝パレードが開かれる。

なにせオークランドが最後に優勝パレードを味わったのは、1981年にレイダーズがスーパーボウルを制覇したときですから、実に34年ぶりの甘い味わい!
(Photo by Dan Honda, MN, June 20, 2015)

パレードのあと、壇上でオーナーやコーチ、選手たちがあいさつをしたのを生中継で拝聴しておりましたが、先のジャイアンツと同様、「ウォーリアーズは品格(class)で勝ったんだろうな」と、にわかファンのわたしは納得。


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どんどん外に出て行って、時間やお金をおしまずに学校やコミュニティーと接しなさい」と、ヘッドコーチのカー氏は選手にアドバイスしていたそうで、そんなコート外の活動もチーム形成の助けになったんだろう、と想像しておりました。

そして、どんな場面でも忘れないユーモア。ヘッドコーチからは、こんな壇上スピーチも飛び出します。
もう、最初にメンバー表をもらったときには、最悪だったね。みんな、何の取り柄もないし、第一、見てくれよ、このひねくれた性格の面々・・・(中略)ステッフ(カリー)やクレイ(トンプソン)には、僕が一からバスケットにシュートする方法を教えてあげなくちゃならなかったよ
(Photo by Dan Honda, MN, June 20, 2015)
 


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こんな風に、ジョークを飛ばすヘッドコーチしかり、2歳の愛娘ライリーちゃんを会見に同席させるステッフ・カリー選手しかり、チームに悲愴感が漂わないのも勝利の秘訣かもしれませんね。
(Photo by Ray Chavez, MN, June 25, 2015)

そんなわけで、次から次へと「お祝いムード」にひたっている、サンフランシスコ・ベイエリア。お次は、フットボールの49ers!(って、そんなわけには行かないだろうなぁ。次のスーパーボウルは地元で開かれるのになぁ・・・)

追記: ちなみに、オークランドの優勝パレードですが、レイダーズは1983年に再度優勝したものの、そのときはロスアンジェルスが本拠地だったので、パレードはあちら。そして、A’sが対岸のジャイアンツを破ってメジャーリーグ優勝を決めた1989年は、サンフランシスコの大地震のため、パレードは自粛されています。

<第2話: 形あるものは壊される>
そんなわけで、ウォーリアーズが優勝を果たして、金色の優勝トロフィーはベイエリア各地を巡回している、今日この頃。

ウォーリアーズをめぐっては、アリーナをオークランドからサンフランシスコに移転するプランがある中、「古いスタジアム」が物議をかもしておりました。
フットボールのサンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)が一昨年まで使っていた、キャンドルスティックパーク(Candlestick Park)です。
 


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昨年8月にもご紹介しておりましたが、49ersはシリコンバレー・サンタクララ市に豪勢なスタジアムを建造し、昨シーズンに「こけら落とし」を迎えました。来年2月7日には、ここで華々しく『スーパーボウル50』が開かれるのです。

すると、今までのスタジアムはどうするの? という疑問が浮上するわけですが、サンフランシスコ市は「さっさと壊しちゃいましょう!」という結論に達し、昨年末には、解体作業に取り掛かっておりました。なんでも、跡地にはショッピングモールや集合住宅が建てられるとか。

ところが、先日、重大な問題が発覚!
 


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解体業者が、作業にともなう粉塵を抑えようと、事もあろうに飲料水(drinking water)を広大な解体現場に撒いていたとか!

しかも、1時間に何千リットルという水を8週間にわたって撒き続けていた、とか。
(Photo by Karl Mondon, Mercury News, May 15, 2015)

ご存じのように、現在カリフォルニア州は、「干ばつ(drought)4年目」という史上最悪の大試練を経験しています。シャワーは一分でも短く、庭の水撒きも週に2回と、みんなが水を一滴でも節約しようとしているときに、ホコリを抑えるために飲み水を撒いていたとは! と、解体業者は各方面から突き上げられます。

しかも、ほんの近い場所から、市が提供する汚水再生水(recycled sewage water)を無料でもらうことができるのに、この業者は、消防車が緊急時に使う給水口から勝手に水を使っていたというのですから、地元住民は呆れて物が言えません。
 


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問題をすっぱ抜いたサンノゼ・マーキュリー新聞が業者にインタビューすると、「だって市側は、大規模な解体作業には再生水を使っちゃダメだって言ったんだよ」との答え。
それに対して、市の水道局は「それはまったくの誤解だよ。再生水を使ってよと奨励していたのに」と、まったく意見がかみ合いません。

すると、翌日になって、「周辺住民の健康を鑑みて、大規模な建築・解体現場では再生水を使ってはいけない」と、一年前に市が業者に通達していたことが発覚。

じゃあ、悪者はあんたじゃないの! と市に言いたいところですが、近くの汚水処理場の再生水は、単に殺菌してあるだけで、飲み水どころか、シャワーにも適さないので、州の規則にのっとり大規模な散布を禁止した、という経緯があったとか。
 


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ここは、サンフランシスコ湾に突き出した、年中冷たい風が吹き荒れる場所。ですから、周辺住民の健康を守るために水を撒きながら解体することが義務付けられているのです。
最初は、ダイナマイトで爆破(implosion)するプランだったのが、周辺住民のことを考え、ひとつひとつ壊していくことになったわけですが、これだけ水を無駄遣いするのだったら、一気に爆破する方がマシだったのでは? と、疑問が頭をよぎるのです(写真中央、海を走る道路の先から右に突き出した(茶色っぽい)小さな岬がキャンドルスティックポイント)
 


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「水撒き問題」のあと、一時中断された解体作業はすぐに再開され、6月中旬、キャンドルスティックパークのそばを通ってみると、スタンドはほとんどなくなって、あちら側の風景が見えています(写真左、入口の聖フランシスコの像が、ひとり寂しそうに立っています)

今年4月、ブラウン州知事は、州民に対して「2013年の水使用量から25%削減」を義務付けています。
従わないと、給水事業者に罰金が科せられるので、自治体によっては、個人にも罰金が科せられるケースもあります。

けれども、「水を使わない」には限度があるので、これからは、汚水の再生利用とか、海水の淡水化(desalination)とか、「水を生み出す」方法が必須となるのでしょう。
 


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再生水と言えば、シリコンバレー・サンタクララ郡では8年前から再生水を利用していますが、今のところ、ゴルフ場や公共施設の芝生と、使用はごく一部に限られています。
が、サンノゼ市はサンタクララ市とともに、市北部の汚水処理場の改造計画を発表し、「7年後までには、汚水すべてを再生利用する」と目標を掲げています。
(写真は、改造計画発表の際、再生水を飲んでみせるサンノゼ市長サム・リカルド氏(左)とサンタクララ市長ジェイミー・マシューズ氏; Photo by Karl Mondon, MN, April 28, 2015)

近頃は、個人の住宅でも、シャワーやキッチンの水を再生してトイレに使ったり、庭に撒いたりと、上水道(potable water)と中水道(grey water)の両方を利用する家庭も増えてきています。中水道管は「パープルライン」と呼ばれ、紫色のパイプは、上水道と区別がつきやすいようになっています。
 


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それにしても、渦中のキャンドルスティックパーク。以前はスポーツにコンサートと、サンフランシスコ・ベイエリアを興奮の渦に巻き込んでくれた、大きな存在。
解体されるだけでも悲しいことなのに、解体作業でも「鼻つまみ者」となるとは・・・。

そう、昔は、野球のジャイアンツもホーム球場としていたスタジアムなので、夏のナイターともなると、寒くて、寒くて、真冬の格好をしていないと耐えられなかった思い出があります。けれども、風は強いので、勝利のあとの花火は綺麗でしたねぇ。

そして、秋になると、フットボール。すがすがしい9月の空は、抜けるように青く、8月よりもかえって暖かい。そんな晴れた日曜日、49ersの名選手たちが、次々と相手チームをくだしていくのを楽しみにしていたものでした。

追記: 「2013年の25%を節水」というスローガンが掲げられたとき、わたしは心の中で「ふん、属州のオレゴンから水を運べばいいじゃない!」と、うそぶいたのでした。
いえ、実際に同様の私見を明言したカリフォルニア人もいらっしゃったのですが、その直後、ワシントン州の州知事が「干ばつ宣言」をして、西海岸の州は上から下へと未曾有の水不足であることがわかったのでした。

汚水再生水というと、『toilet to tap(トイレから蛇口へ)』などとイヤなニックネームもつけられていましたが、この期に及んで、州民の6割近くが「汚水再生水を飲料水に混ぜてくれてもいいよ」と認めているそうです。

もちろん、再生水の一般利用には、直接飲料水に混ぜるのではなく、地下の水源地(aquifer)に戻して地中の「自然フィルター」にかけるわけですが、それでも個人的には、海水の淡水化に一票を投じたいのですが・・・。

夏来 潤(なつき じゅん)

 

古いスタジアムはどうするの?

こちらは、『Silicon Valley NOW(シリコンバレーナウ)』6月号・第2話「形あるものは壊される」として掲載されたものに、少々加筆いたしました。


前回は、プロバスケットボールのゴールデンステート・ウォーリアーズが40年ぶりの優勝を果たしたお話でしたが、彼らの金色に輝く優勝トロフィーはベイエリア各地を巡回している、今日この頃。(Photo by Jose Carlos Fajardo, San Jose Mercury News, June 17, 2015)

ウォーリアーズをめぐっては、アリーナをオークランドからサンフランシスコに移転するプランがある中、「古いスタジアム」が物議をかもしておりました。

フットボールのサンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)が一昨年まで使っていた、キャンドルスティックパーク(Candlestick Park)です。

以前もご紹介しておりましたが、49ersはシリコンバレー・サンタクララ市に豪勢なスタジアムを建造し、昨シーズンに「こけら落とし」を迎えました。
 来年2月7日には、ここで華々しく『スーパーボウル50』が開かれるのです。

すると、今までのスタジアムはどうするの? という疑問が浮上するわけですが、サンフランシスコ市は「さっさと壊しちゃいましょう!」という結論に達し、昨年末には、解体作業に取り掛かっておりました。なんでも、跡地にはショッピングモールや集合住宅が建てられるとか。

ところが、先日、重大な問題が発覚!

解体業者が、作業にともなう粉塵を抑えようと、事もあろうに飲料水(drinking water)を広大な解体現場に撒いていたとか!

しかも、1時間に何千リットルという水を8週間にわたって撒き続けていた、とか。
(Photo by Karl Mondon, Mercury News, May 15, 2015)

ご存じのように、現在カリフォルニア州は、「干ばつ(drought)4年目」という史上最悪の大試練を経験しています。シャワーは一分でも短く、庭の水撒きも週に2回と、みんなが水を一滴でも節約しようとしているときに、ホコリを抑えるために飲み水を撒いていたとは! と、解体業者は各方面から突き上げられます。

しかも、ほんの近い場所から、市が提供する汚水再生水(recycled sewage water)を無料でもらうことができるのに、この業者は、消防車が緊急時に使う給水口から勝手に水を使っていたというのですから、地元住民は呆れて物が言えません。

問題をすっぱ抜いたサンノゼ・マーキュリー新聞が業者にインタビューすると、「だって市側は、大規模な解体作業には再生水を使っちゃダメだって言ったんだよ」との答え。

それに対して、市の水道局は「それはまったくの誤解だよ。再生水を使ってよと奨励していたのに」と、まったく意見がかみ合いません。

すると、翌日になって、「周辺住民の健康を鑑みて、大規模な建築・解体現場では再生水を使ってはいけない」と、一年前に市が業者に通達していたことが発覚。

じゃあ、悪者はあんたじゃないの! と市に言いたいところですが、近くの汚水処理場の再生水は、単に殺菌してあるだけで、飲み水どころか、シャワーにも適さないので、州の規則にのっとり大規模な散布を禁止した、という経緯があったとか。

ここは、サンフランシスコ湾に突き出した、年中冷たい風が吹き荒れる場所。ですから、周辺住民の健康を守るために、水を撒きながら解体することが義務付けられているのです。
 最初は、ダイナマイトで爆破(implosion)するプランだったのが、周辺住民のことを考え、ひとつひとつ壊していくことになったわけですが、これだけ水を無駄遣いするのだったら、一気に爆破する方がマシだったのでは? と、疑問が頭をよぎるのです(写真中央、海を走る道路の先から右に突き出した(茶色っぽい)小さな岬がキャンドルスティックポイント)。

「水撒き問題」のあと、一時中断された解体作業はすぐに再開され、6月中旬、キャンドルスティックパークのそばを通ってみると、スタンドはほとんどなくなって、あちら側の風景が見えています。
(写真左、入口の聖フランシスコの像が、ひとり寂しそうに立っています)

今年4月、ブラウン州知事は、州民に対して「2013年の水使用量から25%削減」を義務付けています。従わないと、給水事業者に罰金が科せられるので、自治体によっては、個人にも罰金が科せられるケースもあります。

けれども、「水を使わない」には限度があるので、これからは、汚水の再生利用とか、海水の淡水化(desalination)とか、「水を生み出す」方法が必須となるのでしょう。

再生水と言えば、シリコンバレー・サンタクララ郡では8年前から再生水を利用していますが、今のところ、ゴルフ場や公共施設の芝生と、使用はごく一部に限られています。
 が、サンノゼ市はサンタクララ市とともに、市北部の汚水処理場の改造計画を発表し、「7年後までには、汚水すべてを再生利用する」と目標を掲げています。
(写真は、改造計画発表の際、再生水を飲んでみせるサンノゼ市長サム・リカルド氏(左)とサンタクララ市長ジェイミー・マシューズ氏; Photo by Karl Mondon, MN, April 28, 2015)

近頃は、個人の住宅でも、シャワーやキッチンの水を再生してトイレに使ったり、庭に撒いたりと、上水道(potable water)と中水道(grey water)の両方を利用する家庭も増えてきています。
 再生水用のフィルターを通った水は、「パープルライン」と呼ばれる中水道管を流れ、紫色のパイプは、上水道と区別がつきやすいようになっています。

それにしても、渦中のキャンドルスティックパーク。以前はスポーツにコンサートと、サンフランシスコ・ベイエリアを興奮の渦に巻き込んでくれた、大きな存在。
 解体されるだけでも悲しいことなのに、解体作業でも「鼻つまみ者」となるとは・・・。

そう、昔は、野球のジャイアンツもホーム球場としていたスタジアムなので、夏のナイターともなると、寒くて、寒くて、真冬の格好をしていないと耐えられなかった思い出があります。けれども、風は強いので、勝利のあとの花火は綺麗でしたねぇ。

そして、秋になると、フットボール。すがすがしい9月の空は、抜けるように青く、8月よりもかえって暖かい。
 そんな晴れた日曜日、49ersの名選手たちが、次々と相手チームをくだしていくのを楽しみにしていたものでした。

追記: 「2013年の25%を節水」というスローガンが掲げられたとき、わたしは心の中で「ふん、属州のオレゴンから水を運べばいいじゃない!」と、うそぶいたのでした。
 いえ、「属州」というのは冗談ですが、降雨量が多いことで有名なオレゴン州ですので、実際に同様の私見を明言したカリフォルニア人もいらっしゃったのですが、その直後、ワシントン州の州知事が「干ばつ宣言」をして、西海岸の州は上から下へと未曾有の水不足であることがわかったのでした。

汚水再生水というと、『toilet to tap(トイレから蛇口へ)』などとイヤなニックネームもつけられていましたが、この期に及んで、州民の6割近くが「汚水再生水を飲料水に混ぜてくれてもいいよ」と認めているそうです。

もちろん、再生水の一般利用には、再生水を直接飲料水に混ぜるのではなく、地下の水源地(aquifer)に戻して、地中の「自然フィルター」にかけるわけですが、それでも個人的には、海水の淡水化に一票を投じたいのですが・・・。

ブルーとゴールドのベイエリア: 40年ぶりの優勝!

こちらは、『Silicon Valley NOW(シリコンバレーナウ)』6月号・第1話「奇跡? それとも実力?」として掲載されたものです。


ワールドカップサッカー日本代表「なでしこジャパン」が、グループ首位で決勝トーナメント進出を決めた6月16日(日本時間17日)、サンフランシスコ・ベイエリアは、異様な興奮に包まれていました。

プロバスケットボール(NBA)のゴールデンステート・ウォーリアーズ(the Golden State Worriers)が、40年ぶり(!)の優勝を果たしたのですから。

2ヶ月に渡るプレーオフの死闘の数々。最終戦は、敵地オハイオ州クリーヴランドにて「スーパースター」ラブロン・ジェイムス率いるキャヴァリアーズ(the Cleveland Cavaliers)を破ったのですから、相手に不足はありません。

プレーオフの期間中、サンフランシスコの高層ビルも「ブルーとゴールド」のチームカラーでライトアップされ、対岸の本拠地オークランドとともにファンの誇りを示します。
 なんでも、1960年代、ウォーリアーズの本拠地はサンフランシスコだったそうで、「フォグシティー」にとっても縁の深いチームなのです。
(写真の歴史的建物は、「口コミサイト」Yelpの本社が入るパシフィックベル・ビルディング)

そうなんです、ウォーリアーズが最後に優勝したのは、40年前の1975年。それ以来、「優勝」という言葉には縁遠く、ウォーリアーズ自体が、ちょいと知名度の低いチームとなっておりました。

だって、サンフランシスコ界隈には、アメリカンフットボールの49ers(フォーティーナイナーズ)やレイダーズ、野球のジャイアンツA’s(アスレティックス)、アイスホッケーのサンノゼ・シャークスや、サッカーのアースクウェイクスと、注目チームがひしめき合っているのですから。

かく言うわたしも、ウォーリアーズには縁がなくて、バスケットボールが「観る」スポーツであることを初めて知ったのでした。

プロの試合となると、うま過ぎて面白味に欠けると思っていたのですが、じ~っと観ていると、必ずしもシュートが入るわけではないんですねぇ。遠くから無造作に(?)シュートしてはずすこともあるし、直近からシュートしているのに、ゴールにあざ笑われるかのごとくペッと吐き出されることもある。

そして、まあ「一秒」の進むのが遅いこと! とくに地元チームが勝っているときには、時計の針が止まってしまって、イライラするんです。

そんなわけで、バスケットボールを語る資格は持ち合わせておりませんが、ウォーリアーズの40年ぶりの優勝には、「シーズンMVP」ステッフ・カリー選手の功績が大きいのでしょう。
 素人のわたしが見ていても、彼のシュートは異常な角度でゴールに吸い込まれていって、しかも、パス出しのうまさは天下一品だというのがわかるのですから。
(Photo by Nhat V. Meyer, San Jose Mercury News, June 15, 2015)

そして、ヘッドコーチ一年目のスティーヴ・カー氏も忘れてはなりません。レギュラーシーズン8割を超える勝率(67勝15敗)は、NBAの新人ヘッドコーチとしては、歴代最高の勝率だとか。
 昨シーズンは17勝65敗(!)だったそうなので、その変身ぶりは目を見張るようです。
(Photo by Nhat V. Meyer, MN, June 15, 2015)

昨年10月には、サンフランシスコ・ジャイアンツメジャーリーグ優勝を果たし、今度はゴールデンステート・ウォーリアーズがチャンピオンとなって、対岸のオークランドで優勝パレードが開かれる。

なにせオークランドが最後に優勝パレードを味わったのは、1981年にレイダーズがスーパーボウルを制覇したときですから、実に34年ぶりの甘い味わい!
(Photo by Dan Honda, MN, June 20, 2015)

パレードのあと、壇上でオーナーやコーチ、選手たちがあいさつをしたのを生中継で拝聴しておりましたが、先のジャイアンツと同様、「ウォーリアーズは品格(class)で勝ったんだろうな」と、にわかファンのわたしは納得。

どんどん外に出て行って、時間やお金をおしまずに学校やコミュニティーと接しなさい」と、ヘッドコーチのカー氏は選手にアドバイスしていたそうで、そんなコート外の活動もチーム形成の助けになったんだろう、と想像しておりました。

そして、どんな場面でも忘れないユーモア。ヘッドコーチからは、こんな壇上スピーチも飛び出します。

もう、最初にメンバー表をもらったときには、最悪だったね。みんな、何の取り柄もないし、第一、見てくれよ、このひねくれた性格の面々・・・(中略)ステッフ(カリー)やクレイ(トンプソン)には、僕が一からバスケットにシュートする方法を教えてあげなくちゃならなかったよ
(Photo by Dan Honda, MN, June 20, 2015)

こんな風に、ジョークを飛ばすヘッドコーチしかり、2歳の愛娘ライリーちゃんを会見に同席させるステッフ・カリー選手しかり、チームに悲愴感が漂わないのも勝利の秘訣かもしれませんね。
(Photo by Ray Chavez, MN, June 25, 2015)

そんなわけで、次から次へと「お祝いムード」にひたっている、サンフランシスコ・ベイエリア。お次は、フットボールの49ers!(って、そんなわけには行かないだろうなぁ。次のスーパーボウルは地元で開かれるのになぁ・・・)

追記: ちなみに、オークランドの優勝パレードですが、レイダーズは1983年に再度優勝したものの、そのときはロスアンジェルスが本拠地だったので、パレードはあちら。そして、A’sが対岸のジャイアンツを破ってメジャーリーグ優勝を決めた1989年は、サンフランシスコの大地震のため、パレードは自粛されています。

ハミングバードはサルヴィアさんがお好き

そうなんです、今日はハミングバード(和名はちどり)のお話です。

我が家の庭は、もう何年も「土庭」になっておりました。もともと粘土質の土が、カチンコチンにコンクリートのように固まっていたんです。

当然のことながら、そんな砂漠のような庭には、なかなか花は育ちません。

裏庭に咲くのは、スミレやバラ、シャガに似た花と、容赦ない陽光にも耐えられる、強い花々だけでした。

そこで、先日、一念発起して、庭をやり直してもらいました。

新しくお願いすることになった「庭のお手入れ会社」の経営者が、ホイホイとその場でデザインしてくれて、あれよ、あれよと言う間に、2週間で作業が完了してしまいました。

そう、枯れかけた植物を取り払って、肥えた土を入れて花を植え、ドリップイリゲーションを張り巡らせる、という大変な作業ですが、あっと言う間に終了。

「デザイナーに払うお金がもったいないでしょ?」と主張する彼の言葉通り、できばえは上々。

硬派な印象のわりには、「お花いっぱい」のレディー好みに仕上がっています。

年中、花を楽しめるように配慮したという彼の頭の中には、きっと綿密な図面が広がっているのでしょう。

(ドリップイリゲーションは、自動水撒き装置の中でも、スプリンクラーと違って、植物の根元に直接水をやる方法です)


そんな彼は、できあがった庭を前に「この花には、ハミングバードがやって来るんだよ」と言うのです。

ふと見ると、金魚のような赤い花をつける植物。

サルヴィア(Salvia)の一種だそうですが、え~っ、こんな小さな花にハミングバードが蜜を吸いにやって来るの? と、こちらは半信半疑。

以前、我が家にはハニーサックル(Honeysuckle、和名スイカズラ)が植わっていて、そちらはハミングバードの大好物でした。

黄色と白の花は、サルヴィアの「赤い金魚」ほど小さくないので、いかにも蜜がたくさん! といった様子。ですから、ハニーサックルとハミングバードの取り合わせは納得できるのです。

でも、金魚ちゃんはどうかなぁ?

すると、さっそく翌日、お言葉通り、ハミングバードがやって来たではありませんか!

まあ、あんなにちょぼちょぼとした花も目ざとく発見して、ひとつひとつ丁寧にクチバシを入れて蜜を吸っています。

あっちをチューチュー、こっちをチューチュー、咲いている金魚すべてにクチバシをつけています。

翌朝もハミングバードが「朝ごはん」にやって来たし、日の沈みかけた頃にも「ディナー」にやって来るのです。

一度、金魚の隣に植わっているピンクの小花を吸ってみたら、「うわっ、まずい!」と言わんばかりに、すぐに逃げて行きました。

なるほど、こっちじゃなくて、サルヴィアの金魚の方がお好きなんですねぇ。


ハミングバードは、サルヴィアやハニーサックルだけじゃなくて、フューシャ(Fuchsia、和名フクシア)も大好きなんですよね。

わたしもフューシャが大好きなので、中庭に植えてもらったのですが、鉢に植わった翌日、さっそくハミングバードがつられてやって来ました。(残念ながら、写真はまだ撮れていません)

けれども、フューシャって華奢な植物なので、カリフォルニアの容赦ない太陽は、あんまり得意じゃないんです。

日光に当たると、すぐに元気がなくなってしまうので、水をたくさんやって、オーバーヒートしないように気を付けないといけません。

そこで、蒸し暑くなった昼下がり、ジョウロでフューシャに水をかけていたら、ふと父の言葉を思い出したんです。

中学生の頃でしたか、何かとバタバタと飛び回っていた時期。

父がわたしに「花を大事に育てて愛(め)でるような、そんな心の余裕がないとダメだよ」と言ったんです。

どんな状況だったのかはすっかり忘れてしまいましたが、当時の父にとっては、庭の花とか鳥を見るのが大切な息抜きになっていたのでしょう。

園芸が趣味ではないけれど、母が育てる草花や、庭木にやって来る鳥を眺めて、短歌を詠むのが趣味でした。


そんな父の言葉を思い出したから、というわけではありませんが、花を買ってきて植木鉢に植えてみました。

スコップを手にしたのは、もう何年ぶりかわからないほどですが、自分で選んだ花を我が手で植えてみると、余計に愛着がわくものですねぇ。

庭に花々が戻ってきたら、ハミングバードだけではなくて、わたし自身も頻繁に足を向けるようになりました。

そう、用もないのに、庭をふらふらと歩いています。

後日談: このお話を掲載した翌日、ふと見ると、ハミングバードが「ランチタイム」にやって来ていました。

サルヴィアの金魚ちゃんは、朝ごはんやディナーだけではなく、ランチにも最適なんですねぇ。

それにしても、小さな羽をブンブンと羽ばたかせながら、器用に蜜を吸うものですよね!

二度目の二つ星 Quince のマイケルさん

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今年2月に『三つ星よりおいしい(?)二つ星 Quince』と題しまして、サンフランシスコのレストランをご紹介いたしました。

金融街のはずれにある Quince(クインス)というレストランで、オーナーシェフのマイケル・タスクさんがフランスとイタリアで修行したところから、「イタリアン フレンチのお店」と呼ばれています。

それから4ヶ月もたたないうちに、「またあそこに行きたいね」と、連れ合いと再び Quince を訪れました。

というわけで、今回は、前回と違ったところがいくつかありまして、まずは、座席。

前回は、奥の壁際のテーブルで、ずらりとワインボトルが並ぶワインセラーの真下でした。が、今回は、お店の真ん中に飾られる、立派な生け花の真下。そう、前回は「うらやましいなぁ」と、花好きのわたしが横目で盗み見ていた座席でした。

きっと、二度目の訪問なので、グレードアップしていただけたのでしょう。

アミューズが終わり、コース料理が始まる頃になると、テーブルの担当者が「今日は、何かお祝い事ですか?」と尋ねるので、べつに特別な日ではないんですよ、と答えました。

たしかに、まわりは「ハレの日」の華やかさに包まれた様子。

そこで、「前回は素敵な夜を過ごしたので『また来なくては』と思ったのです(We had such a lovely evening last time that we simply had to come back)」と伝えると、彼女は嬉しそうに笑顔を見せてくれました。

そして、せっかくの「二度目」ですから、コース料理も違ったものにトライしてみました。

こちらの Quince には、野菜中心のおまかせコース「ガーデンメニュー(Garden Menu)」と、お肉とシーフードを中心としたおまかせコース「クインスメニュー(Quince Menu)」の二種類があって、わたしは「ガーデンメニュー」を、連れ合いは「クインスメニュー」を選んでみました。

野菜中心と言っても、ヴェジタリアン(菜食主義)とは違って、シーフードも選べます。

この日のメインディッシュは、メイン州産のロブスター! それもあって、ガーデンメニューにしてみました。

そんなわけで、適度に軽く、量も他店より少なめのコース料理を堪能いたしましたが、このお店は、わたしにとっては不思議なところなんです。「何がそんないいの?」と聞かれても、具体的には答えにくい「つかみどころのないお店」とでも言いましょうか。

前回の Quince のお話でも、「気に入った理由は、まず、最初のアミューズ(付け出し)にありました」とご紹介しましたが、アミューズが出てきたところから、ワクワク、ドキドキ、お次はいったい何かしら? と高まりを感じるのです。

それでいて、何かひとつの素材がお皿を独占しているわけではなく、ハーモニーを奏でているような感じ。

それは、ひとつに素材がどれも抜群に良いことがあって、それから、シェフ・マイケルさんの繊細で、穏やかな感性もあるのでしょう。

そして、もしかすると、テーブルに注がれる明るいライトも一役買っているのかもしれません。

アメリカには薄暗いレストランが多いですが、明るく照らすことでテーブルが「舞台」となり、お料理がきちんと「主役」になっているのです。

美しく「目」でおいしいものは、口に運んでもおいしいですよね。

そして、前回と違う経験としては、オーナーシェフのマイケルさんにお会いできたこともありました。

いえ、彼とは面識はなかったのですが、テーブル担当の方が「マイケルは、日本にもよく行くのよ」とおっしゃって、キッチンでご本人に話をつけてくれたようでした。

食事が終わる頃になると、支配人の方がいらっしゃって、「どうぞキッチンにいらしてください」と、案内してくれました。

以前ご紹介した、シリコンバレーの二つ星 Manresa(マンリーサ)のキッチンもそうでしたが、足を踏み入れると、まず、その明るさにびっくりなのです。

きれいに磨かれたステンレスの調理台には、お皿がいくつも行儀よく並んでいて、その上にはスポットライトがこうこうと当たっています。

頭上には数えきれないほどの銅製のフライパンや小鍋がかけられ、向こうには、きちんと小分けにされた色とりどりのスパイス。キッチンの隅には、まるで花屋さんみたいにエディブルフラワー(食用のお花)が飾られ、「戦場」のわりには、すべてが整然としています。

いつお客様を招き入れても恥ずかしくない、といった印象でしょうか。

まだまだ早い時刻だったので、シェフの方々は、みなさん忙しく立ち回っていらっしゃいましたが、その中で、背の高いマイケルさんが、ニコニコと笑顔でわたしたちを迎えてくださいました。

「僕は、日本にもよく行くんだけど、ちょうど来週も行く予定なんだよ」と、気さくに優しい口調で会話を始められます。

なんでも、日本では、麺類とか、おでん、とんかつの店が大好きで、必ずしも「星付きレストラン」ばかりを訪ねるわけではないそうですが、きっとその中で「紙を調理用具に使う」ことを学ばれたのでしょう。

わたしが選んだガーデンメニュー二品目のサラダは、紙を模した柔らかい金属のお皿に入っていて、「自分で開けて楽しむ」演出が施されていました。こちらの金属のお皿は、日本で調達されたそうです。

そして、クインスメニューの口直しのかき氷には、アメリカでは珍しく金箔が飾られていて、「大丈夫よ、食べられる金なのよ」と、スタッフの方が念押ししてくれました。

カジュアルなお店も大好きなマイケルさんですが、東京では行ってみたいお店がいくつかあって、その中に Manresa のデイヴィッド・キンチさんも挙げられた、赤坂の日本料理 松川 がありました。

デイヴィッドも松川が気に入ったみたいですよ、という話をしたら、あ~、彼はよく知っているよ、とおっしゃっていました。なるほど、シェフ同士、いろいろと情報交換をすることもあるのでしょうね。

そして、どうやらサンフランシスコ界隈のシェフの間では、「和」が注目株となっているようです!

ちなみに、赤坂の松川は「一見さんお断り」の割烹の有名店ですが、我が家はまだ行ったことがないので、代わりに連れ合いは、広尾(天現寺)にある 青草窠(せいそうか)をマイケルさんに紹介してみたのでした。

こちらにはよくお邪魔いたしますし、松川の松川 忠由氏は青草窠から独立された方で、青草窠の料理長時代を知る連れ合いは、松川氏と現料理長の山井 望氏のお味に共通するものがあると感じたそうなので。

というわけで、感性の鋭いマイケルさんの日本の旅は、どんな形でお料理に反映されるのか、また次回のお楽しみとなりました!

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