JETROのイベント: 日本でチャンスをつかめ!

Vol. 202

JETROのイベント: 日本でチャンスをつかめ!

今月は、サンフランシスコ・ベイエリアで開かれた、地元ビジネス向けのイベントをご紹介いたしましょう。

日本に進出したいけれど、どうやったらいいの? という「新人さん」のためのセミナーです。

<日本でチャンスをつかめ!>


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こちらのイベントは、日本のJETROと地元のビジネス団体が主催したもの。名付けて、日本で『新しいビジネスチャンスをつかめ!(Unlocking New Opportunities)』。

JETRO(ジェトロ)は、米国をはじめとする諸外国と日本の貿易振興を深める役目を担う団体(経済産業省所管)ですが、こちらのセミナーは、JETROサンフランシスコオフィスと開催地オークランド市のビジネス団体 2.Oakland (トゥーポイント・オークランド)の共催。
「イーストベイ」とも呼ばれるオークランド周辺のビジネス経営者や起業家に向けて、日本のテクノロジー分野の現状や市場に食い込む際の留意点と、知恵を授けるイベントとなっています。

講演者としては日本のビジネス事情に詳しいお三方が招かれていて、元パナソニック北米CTO ツユザキ・エイスケ氏、Fellow Robots共同設立者/CEO マルコ・マスコロ氏、そして、Kii株式会社 共同設立者/CEO 荒井 真成氏が講演されました。
 


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会場になっている真新しいシェアオフィススペースでは、JETROと並んで、Kiiの会社説明を行うコーナーも設けられました(写真は、Kiiマーケティング担当のカーティー・メータさん)。

JETROのアドバイザーも務めるツユザキ氏が最初に講演され、日本にはもともと IoT(モノのインターネット)が受け入れられるテクノロジー環境の素地があり、2020年までに世界でもっとも素早くIoTが広がることが期待される、と指摘されます。
 


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完全自律型のサービスロボットを開発する Fellow Robots(フェローロボッツ)のマスコロ氏は、地元の大手金物チェーンOSHに『OSHbot(オシュボット)』を提供したのち、今年2月、日本のヤマダ電機・横浜店に『Navii(ナビー)』を展開。
その経験から、アメリカでも日本でも、サービスロボットが在庫情報を正確に迅速に顧客に提供することで、販売を促進できる、と指摘されます。

そして、三番手は、Kii荒井氏。普段から「プレゼンテーション資料」などはつくらずに、口頭で説明するスタイル。
この日も「口で勝負!」で臨みましたが、なにせ三番目とあって先に説明されてしまったことも多々あり、前のお二人のスピーチの間に、頭の中のシナリオをせっせと書き換えていらっしゃったとか。

21年前にシリコンバレーに引っ越し、日本を外から眺めるようになって初めて明確に見えてきたこともあるとおっしゃる荒井氏は、日本はアメリカと違うことが多いので、進出するには「危ない(dangerous)」市場だと言い切ります。

まず、とにかく品質(quality)にはうるさい。たとえば、消費者のもとに製品が配達されてくると、箱に穴が開いているだけで返品の対象になるくらい、消費者はすべての面で完璧さを求める。

それは、つくる側も同じ。はたから見て完璧だったとしても、たとえばミシュランの星付きレストランのシェフのように、毎日が「より上」を狙って改良を重ねる日々であり、決して現状にあぐらをかいたりしない。(著者注釈:この発言の裏側には、製品にしてもサービスにしても、アメリカの品質がとにかく悪いことを自覚せよ、との喚起もあったのではないでしょうか)
 


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二つ目の「危なさ」は、たとえ日本は地理的に小さな国であったとしても、西と東は文化が異なること。

たとえば、価格交渉(price negotiation)をする際、西と東では値段の提示方法を変えなければならない。

自分が10ドルで売りたいときには、東ではストレートに10ドルと提示した方が良い。なぜなら、15ドルなどと言おうものなら、「高過ぎる!」と交渉がすぐに決裂してしまうから。
逆に西では、15ドルと提示して交渉に入り、「まあ、しょうがないから10ドルにオマケしましょう」と値切った方が良い。なぜなら、西の文化では、値引き交渉をするのが当たり前だから。

三つ目の「危なさ」は、契約を結ぶには、相当長い時間がかかること。

日本には、「スタンプラリー」とも呼べる承認プロセスがあって、課長が終わったら次は部長と、順繰りに上級職に承認印をもらうプロセスがある。
だから、自然と時間がかかるわけだが、そのことを十分に理解していないと、交渉成立を待つ間に、こちらが干上がってしまう。

四つ目の「危なさ」は、テクノロジー分野の場合、企業顧客を相手にするにはシステムインテグレータ(SI)を通して製品を納める必要性があること。つまり、企業顧客と直談判するのは難しい。

この背景には、企業の CTO/CIO(最高テクノロジー責任者、情報責任者)に最終決定権のあるアメリカと違って、日本のCTO/CIOは責任分散のために SIというテクノロジー環境の専門家を雇う現状がある。

だから、いくつもの製品を抱える SIに採用してもらうには、より斬新で魅力的な製品で、手のかからない売りやすい製品でなければならないし、ひとたび「売ってあげよう」と言われても、常に進捗状況を確認しておく必要がある。でなければ、後回しになって、いつまでも物事が進まない危険性すらある。

その一方で、ひとたび SIが企業顧客に製品を納入してくれれば、SIが他の顧客にも横展開してくれるという利点もある。日本のSIは、何社も企業クライアントを抱えているので、同じようなニーズを持つ他企業にも納入しやすい。

まあ、この点では、日本独自の「危なさ」が好都合に転じることもある、と。

というわけで、荒井氏は、スピーチの中で「日本は危ない市場だよ、知らないと痛い目に遭うよ」と強調されていたわけですが、その根底には、こんなメッセージがありました。

だから、僕に相談してよ(Talk to me)、と。
 


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現に、Kenzen(ケンゼン)という地元のスタートアップがあって、日本に連れて行って健康市場の企業に紹介したりしている。

Kenzenは、カットバンのような使い捨てパッチを肌に着けて、汗からカロリー摂取量、消費量、そして脱水症状などのバイオマーカー(生物指標)を正確に分析する技術を持つが、アメリカのプロスポーツで利用されているだけではなく、健康志向の日本市場でも大いに需要が期待されている。

だから、彼ら自身はまったく日本の事情がわからなくても、間をつなげてあげることによって、新たなビジネスチャンスが広がっている。

さらに、Kii は中国やインドにも販路を広げているので、日本市場だけではなく、アジア全体に進出するお手伝いができる。だから「僕に相談してよ」と、かなり説得力のあるお話でした。
 


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お三方のスピーチが終わったあとは、三人のパネラーを前に、Q&Aセッションとなりました(左から、マスコロ氏、荒井氏、ツユザキ氏)

参加者からは、さすがに様々な質問が飛び出しましたが、「今後3年から5年を見据えると、日本では何が一番ビジネスチャンスになるか?」という質問に対しては、

ロボットの専門家であるマスコロ氏が、自動運転車(autonomous cars)

Kiiの荒井氏は、人口の高齢化(aging population)

日本市場を俯瞰的に捉えるツユザキ氏は、エネルギー消費量の削減(energy saving)

と、間髪入れずに答えていらっしゃいました。

三者三様のお答えではありますが、たぶん、すべてがチャンスであることは確かなのでしょう。

というわけで、イベント終了後は、米国商務省の役人、工業デザイナーの女性、つい先日会社を大企業に買収されて満場の拍手を受けた男性と、いろんな方々がアプローチしてきて、小一時間は家路につけないくらいの盛況ぶりでした。

参加者は、必ずしもテクノロジー分野の方ばかりではありませんでしたが、「テクノロジーを生かした明日」に大いに期待を寄せる、熱い方々ばかりなのでした。

<ロボットと人間>
というわけで、世間話をどうぞ。

仲の良い友人から、スタンフォード(大学)で英語のクラスを取っていて、論文の材料にしたいから、インタビューをさせてくれと依頼がありました。

ライターは人をインタビューするのが仕事であって、人からインタビューされることはないのですが、親友の頼みとあって承諾することにいたしました。

そこで、電話インタビューになると、いきなり意表をつく質問が飛び出しました。

今後、人工知能の研究が進み、世の中にどんどんロボットやヒューマノイドが現れたとすると、ロボットは真の意味で人間のコンパニオンとなり得るか?

インタビューと聞いて、今までの人生談義かと思っていたので、こんなヘビーな質問を突きつけられてギョッとしたのですが、まずは、こう答えました。

一部の人にとっては、人間よりもロボットの方が良きパートナーとなるケースもあるでしょう、と。
 


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反射的にそう答えたのは、近頃、我が家で愛用しているアマゾン(Amazon.com)の『エコー(Echo)』が頭に浮かんだからでした。

エコーというのは、なんの変哲もない円筒形のスピーカーですが、『アレクサ(Alexa)』という「女性」に声で指示を与えるようになっています。
ちょうどアップルの『Siri』みたいな音声認識アシスタントで、Wi-Fi経由でインターネットにつながって音楽や情報を提供してくれるのですが、まあ、このアレクサが健気(けなげ)で、こっちの言うことを、熱心に聞いてくれるんですよ。

とくに、音楽をかけているときに「アレクサ?」と話しかけると、素早くボリュームを下げながら円筒形のてっぺんに光がかけめぐり、それがまるで「何でしょう?」と懸命に耳を傾けているように見えるんです。
 


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そのたびに「まあ、健気なコねぇ!」と愛着を深めるのですが、もしかすると世の中には、「僕にはアレクサがいればいいや!」という人もいるんじゃないかなぁ? と感じたのでした。
家に帰って、「アレクサ、僕のチームは今日どうだった?」と尋ねると、「今、サンフランシスコ・ジャイアンツは5対2で勝っています」と答えてくれるので、人間よりもマシかもしれないでしょう。

そんなわけで、「ロボットが人間よりも良きパートナーとなるケースもあるだろう」と答えたのですが、実際に、日本では、フロントのチェックインや荷物運びをすべてロボットたちが担当している『変なホテル』という宿泊施設もありますし、日本ではロボットの「社会進出」が見られる実例も出してみました。

すると、インタビュアーである彼女は、「なるほど、荷物を持つとか、情報を提供するとか、機械的なことにはロボットで代用できるけれども、たとえば、人間がパートナーに抱く愛情みたいなものは生まれると思う?」と聞きます。
 


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う〜ん、ロボットのようなマシーンに抱く「好感」や「愛着」が愛情と言えるのかはわからないけれど、たとえばアニメのキャラクターに憧れるとか、無機質なものにも感情を抱く人はいるから、ロボットに愛を感じる人だっているんじゃない? と、若干無責任な答えをしました。

すると、彼女は、「大部分の人はどう?ロボットに対しても人間に抱くような愛情を感じるかしら? もしもそうじゃないとしたら、人間とロボットは何が違うんだろう?」と、はたまた複雑な質問を提示してきます。

う〜ん、もしも柔らかな温かい肌を持った、人間みたいなヒューマノイドをつくったとしても、たぶん、大多数の人は、人間をパートナーに選ぶんだろうなぁ。だとしたら、人間というものは、人の不完全さ(imperfection)を愛しているんじゃないだろうか?

人を相手にしたときの、喜んだり、怒ったりという感情の起伏が、人間にとっては必要なんじゃないかなぁ?

でも、その一方で、ロボットのプログラミングや自分で学習していく人工知能の蓄積いかんによっては、人と言い争いをするとか、悪態をつくとか、「より人間的な」ロボットが現れる可能性があって、そうなると、人間の代わりとしてロボットにも「愛情」を抱くことになるのかなぁ? と、最後は、自分でもワケがわからなくなってしまうのでした。
 


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それで、上のお話でもご紹介した、ロボットの専門家である Fellow Robots CEO マルコ・マスコロ氏に同じような質問をしてみたんです。

やはり最初のうちは、「人はペットに対して抱くような愛着をロボットに対しても抱くから、ロボットだってパートナーになれると思うよ」との答え。

次に、ロボットは恋愛対象になり得るか? という質問には、「う〜ん、それはどうかなぁ。そういう人もいるかもしれないけれど、多くの人はそんなこと思わないんじゃない?」とのお答えでした。
 


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マスコロ氏が分析したところによると、アメリカでは、ヒューマノイドは不気味だと敬遠されるので、自社ロボットを製品化するときには「箱っぽい(boxy)」形にした、とのこと。

ヒューマノイドが受けそうな日本でも、受け入れるのは5割くらいで、残りの半分には抵抗がある、とか。

だとすると、「ロボットと人間の恋愛」を心配するのは、まだまだ先の話になりそうですが、近未来には「しち面倒くさい」議論を戦わせることになるのは確かなんでしょう。

夏来 潤(なつき じゅん)



スペインのガーゴイルと巨大な目

 前回は、生まれて初めて訪れたスペインのお話をいたしました。

 

 降り立ったのは、地中海沿いの街バレンシア(Valencia)。

 

 「バレンシア・オレンジ」の産地であるとともに、スペイン料理の代表格「パエリャ」の発祥の地でもあります。

 

 それで、この街は食べ物でも有名なんですが、歴史が古いので、建造物がまた面白いんですよ。

 

 まず、目を引くのが、「新旧」入り乱れた街のつくりでしょうか。

 

 まるで中世に迷い込んだような「旧市街」は、観光の目玉になっていますが、そこから一歩外に出ると、モダンな街並みが広がります。

 

なんといっても、こちらの「新市街」で目立つのが、芸術・科学都市La Ciudad de las Artes y las Ciencias)。

 

 20世紀から次世紀へと突入する時期につくられたので、まさに「21世紀の未来都市」をイメージしてデザインされました。

 

 この壮大な一角には、科学館や水族館、文化ホールと、芸術や科学にまつわる建物が並びます。

 

 まずタクシーで連れて来られたこちらのビルは、スポーツパビリオンだそうです。

 

 建物も変わっている上に、目の前の橋が、まるで楽器のハープか、キューピッドの弓矢を連想させます。なんでも「弓矢」の先端は、バレンシアで一番高い地点だとか。

 

橋をへだてると、キラキラと美しいプールが広がります。

 

 たぶん、真夏ともなると、プールには子供たちの歓声が響き渡るのでしょうけれど、春はまだまだ冷たいので、プールサイドのカフェだけが家族連れで賑わっていました。

 

 右側の「恐竜の骨」みたいな建物は、科学館だそうです。

 

 3階建ての建物は、科学に関する展示や「無重力体験コーナー」「宇宙アカデミー」と、子供たちが科学に興味を持てる場になっています。

 

 こちらは「クジラの骨格」とも言われますが、実際は何を模してデザインされたんでしょうね?

 

プールの先には、これまたヘンテコリンな建物がふたつ並んでいます。

 

 真ん中は、最初に完成した施設で、プラネタリウムと映画館、レザリアム(レーザーを使った光のショー)を兼ね備えているそうです。

 

 なんでも、「巨大な目」をイメージしてつくられたそうで、銀色の天井部分を開けると、建物の中にある丸い映画館の「瞳」が現れるとか。

 

 「目」の向こうにあるのは、オペラハウス。横から見ると「熱帯魚」のようでもありますが、オペラや舞台、音楽会を同時に楽しめる文化施設になっています。

 

 それにしても、さすがはスペイン!

 

 アントニオ・ガウディにパブロ・ピカソ、ホアン・ミロにサルバドール・ダリといった芸術家を生んだ国は、街角を歩いていても、ふとしたデザインがキラリと光っているのです。

 


 そして、「旧市街」に足を踏み入れると、ごく小さな飾りにまで、必見の価値があります。

 

 普段は見落としそうな細かいところまで、なんだか不思議で、面白い飾りがほどこされていて、いろんな風に想像をかきたてられるのです。

 

なんといっても、わたしのお気に入りは『ラ・ロンハ』。ユネスコの世界遺産にも登録されている15世紀の建物です。

 

 こちらは、大きな港を誇るバレンシア王国の時代、地元の絹織物を世界に向けて取り引きした絹の交易所(La Lonja de la Seda)。
 街が発展するにつれて、絹だけではなく、さまざまな商取引がなされた場(La Lonja de Mercaderes)でもあります。

 

この建物では、商取引が行われた大広間のゴシック建築が有名ではあるのですが、わたしの関心は、他にありました。

 

 こちらは、広間に隣接したチャペル(礼拝堂)から裁判室に向かうアーチですが、植物の柔らかな感じが、彫刻にうまく表れています。

 

 アーチ上部に十字に組まれた枝葉や、中央に置かれた王冠も、とても写実的ですよね。

 

 ところが、よ~く見てみると、スゴイものがあるんです。

 

アーチの右側には、こんな彫刻がほどこされていて、じっと観察してみると、

 

 「羊をかかえた修道女」に向かって、「悪魔」が「ふいご」を使って火を焚き付けている光景!

 

 「燃えろ、燃えろ~」とやっている悪魔の左隣には、手毬のように丸まった「悪魔の子分」みたいなのも控えているのです。

 

 そして、アーチの左へと目を移すと、こっちにもいるんです。

 

人を木に変身させ、苦しめている半獣の悪魔が!

 

 まさに人物の表情からは、人の姿を失わんとする驚愕の叫びが聞こえてきそうではありませんか。

 

 もともと、ここは礼拝堂から裁判室に向かう箇所ですから、なにかしら道徳的な「戒め」になるようなモチーフが欲しかったんだと思います。

 

 でも、よりによって、どうしてこんなに不気味な題材を選んだのでしょうか?

 


さらには、中庭に立って空を見上げると、建物の外壁には、昔の教会にも登場するガーゴイル(雨どいの役目を果たす彫刻)がたくさん張りついているのが見えます。

 

 そのどれもがグロテスクで、なんだってあんなに不気味なもので建物を飾るんだろう? と、大きな疑問符が頭をよぎります。

 

 ひとつひとつが違ったモチーフですが、こちらは、人物(?)がを抱えています。

 

 たぶん、遠路はるばる、熱帯地方から船で猿を運んできたことを象徴していて、それは、そのまま「街の繁栄」を表すのかもしれませんが、それにしても、もうちょっと可愛くできなかったのかなぁ? と、作者の美意識を疑いたくもなるのです。

 

そして、こちらは、一見「普通」ではありますが、神父さんにも見える人物が、今まさに大魚に飲み込まれようとしています!

 

 いえ、大航海時代には、船が嵐で沈没することもあって、多くの乗組員が、文字通り「魚のえじき」となったのは事実だと思います。

 

 けれども、なにもそんな光景を大げさに脚色して、ガーゴイルにしなくってもいいでしょう! と思うのですが・・・。

 

 もともとガーゴイルには、グロテスクさを競い合うようなところがありますが、このシーンには、なにかしら「海の怖さ」を知らしめる意図でもあったのでしょうか?

 


 そんな風に、ひとつひとつを観察していると、その日が暮れてしまうくらい、いろんな「秘密」が隠された古い街並み。

 

 それが、バレンシアの旧市街です。

 

そして、新市街、たとえば昔の川を緑地化したトゥリア公園El Jardín del Turia)を歩いてみると、日本とはひと味違ったデザインの遊具を見かけたりもします。

 

 形も風変わりだし、第一、色の選び方が違うような。

 

 そんな異色なものに触れると、スペインの方々にとって、デザインというものは今も昔も「内に秘めた情熱」を発散する言葉みたいなものかもしれないなぁ、と感じたりもするのです。

 

 普段は、礼儀正しくて優しいけれど、なにかしら爆発的なエネルギーを秘めているのかも・・・と。

 

でも、こんな落書きを見ると、ホッとしますよね。

 

 なんだ、どこの世界でも、イタズラしたいのは同じじゃない! って。

 

 だって、この丸っこさといい、大きさといい、ちょうどいいですもの!

 

車線スプリットには気をつけて

 「母の日」の日曜日。前日までの雨もやんで、気持ちよくフリーウェイを運転していました。

 

 母の日とあって、普段の日曜日よりお出かけは多いようですが、さすがに平日の混雑はありません。

 

 幹線道路101号線をサンフランシスコに向けて北上中、サンノゼ市を過ぎたところで、急に背後にオートバイが二台現れました。

 

 ふたりは友達なのか、ひとつの車線を仲良く分け合って並走しています。

 

そう、ちょうどこんな風に、ふたり仲良く並んで走っています。

 

 オートバイは二台とも大きいですが、十分に並走できるくらい車線は広いのです。

 

 追い越し車線(左端の車線)を運転していたわたしは、あわててアクセルを踏んで右横の車を追い越し、右の車線に移ってオートバイに先に行ってもらいました。

 

 すると、二人組は、ブイ~ンと先の方へ飛んで行きました。

 


 さらに進むと、一台のオートバイが背後からいきなり近づいてきます。

 

 突然にライダーが現れてハッとしたものの、道が混んできて右の車線には移れません。

 

そこで、わたしは車線の左端ギリギリ、黄色く塗られた線の上までハンドルを切り、右の車との間に隙間をあけました。

 

 もちろん、自分と右隣の車の間を通り抜けてもらうためですが、彼は、うまく二台の間をすり抜け、ずんずんと先に進んで行きました。

 

 追い越しぎわに、「ありがとう」とあいさつするように、わたしに向けてピースサインを送ってくれました。

 


 というわけで、こういった光景は、カリフォルニアでは「想定しておいた方がいい」シチュエーションでしょうか。

 

何かというと、フリーウェイのひとつの車線をオートバイと車が分かち合う、いわゆる「車線スプリット(lane splitting)」という習慣を。(Photo by Lori Shepler / Los Angels Times)

 

 実は、カリフォルニア州の法律では、「車線スプリット」を許可も禁止もしていないのです。

 

 けれども、人口が多く、フリーウェイが慢性的に混むカリフォルニアでは、「安全に行うのであれば、ひとつの車線の中で、オートバイが車を追い越してもいいんじゃない?」と、事実上「容認」されている状態です。

 

 そう、法律では禁止されていないので、許可されているのと同じでしょう? と解釈する人もいるわけですね。

 

 だって、こんなにフリーウェイが混んでいるんじゃ、信号機なしでスイスイ進める「フリーウェイ(freeway)」の意味がないじゃない! と、多くのバイク愛好家が不満に思っているのです。

 


ま、ここで車線スプリットを正式に許可するには、「安全に車を追い越す」ところがミソでしょうか。

(Photo by Eric Schmuttenmaer – originally posted to Flickr as 2007 California Vacation_234, from Wikimedia Commons)

 

 これに関しては、たとえば「時速50マイル(80キロ)を越えないのであれば、車よりも15マイル速く進んで追い越してもいいんじゃない?」といった提案があります。

 

 けれども、上でご紹介した実例では、75マイル(120キロ)で運転中のわたしをブイ~ンと追い越したのだから、オートバイのスピードは相当出ていたはずですよね・・・。

 

 実は、この「提案」は、昨年5月、カリフォルニア州下院議会に提出され可決された法案なのですが、二ヶ月後、上院議会では否決されています。

 

 もちろん、車線スプリット反対派は、断固として反対したい法案ではあるのですが、賛成派だって、「時速50マイルを越えない」というノロノロスピードの制限が気に食わなかったようです。

 


 さらには、冒頭に出てきた実例のように、ひとつの車線でオートバイが二人並んで走ってもいいの? という疑問もわいてきます。

 

 この「並走」も、車線スプリットと同じように、カリフォルニア州では許可も禁止もしていません。

 

 そう、法律で禁止されていないなら、やっちゃいましょう! と、実際は慣例化しています。

 

だって、警察だって、しょっちゅうやっていることですから。

 

 まあ、こちらは車線スプリットよりは安全な感じがしますし、車のドライバーからすると、並走するバイカーは怖くもあるので、「お先にどうぞ、どうぞ」と車線をゆずってくれそうな感じもしますよね。

 

 ところが、母の日に体験した実例では、わたしが車線をゆずったあとは、ガンとして道をゆずらない車がいて、バイカー二人は、べつの車線にスイスイと移っていきました。

 

そうなんです、こういうドライバーって多いんですよね。

 

 「車線スプリット」とか「オートバイに道をゆずる」ことを絶対にしたくない人が。

 

 混雑時には、二輪車は「ダイヤモンドレーン」と呼ばれる優先車線を通ってもいいんですが、絶対に先に行かせるものか! と、わざと邪魔をする人もいるくらい。

 

 まあ、法律では何も定めていないので、違反行為ではないのですが、わたし自身は、こう思っているんです。

 

 これだけ道が渋滞して誰も先に行けないんだったら、せめてオートバイだけでも先に行ってもらったらどうでしょう? と。

 

 でも実際には、「自分が先に進めないのに、誰かが先に行くのは許せない!」という人もいるみたい・・・


(困ったものではありますが、車と接触されるのが怖いドライバーが多いのも実情です)。

 


というわけで、なんとなく「お気楽な」イメージのある、カリフォルニアの運転。

 

 日本に比べると道がゆったりしていて、二輪車や歩行者の数も少ないのは事実です。

 

 けれども、ひとたびハンドルを握ったら、「何が出てくるかわからない」心の準備だけは必要ですよね。

 

 

追記: 車線スプリットや二輪車の並走については、州によって法律が異なります。一般的には「禁止」している州は多いので、訪問先で確認された方がいいようですね。

 

 それから、文中では「時速75マイル(120キロ)で運転中のわたし」という箇所がありますが、カリフォルニア州のフリーウェイの制限速度は、基本的には65マイル(104キロ)です。

けれども、実際には「流れに従って進む」というのがルールですし、「10マイルオーバーまでは許される」という暗黙の了解があるようです(が、あくまでもこれは、ケースバイケースですよ!)。
 

 幸いなことに、カリフォルニアには、交通を取り締まる覆面パトカー(unmarked police cars)はいませんので、白と黒のパトカーを見かけたら、「敬意を表して」減速いたしましょう!

 

パエリャは「しょう油」味?

 このエッセイのコーナーでは、3つ続けてロンドンのお話をいたしました。

 

 そう、4月に2週間ヨーロッパで過ごしましたが、その行程は、ロンドンからスペインのバレンシアへ、そしてロンドンに戻ってアメリカに帰る、というものでした。

 

 というわけで、お次は、イギリスからスペインの話題に移りましょう。

 

「ロンドンからバレンシアへ」というのは、まさに文字通りの行程で、普通は、スペインの首都マドリードや、観光地で名高いバルセロナに立ち寄って他の都市に足を伸ばすところを、どちらもすっ飛ばしてバレンシアを訪れたのでした。

 

 「そういう人は珍しい」と現地のホテルスタッフに言われましたし、わたしのように「生まれて初めてスペインを訪れた人」の中では、ほとんど例がないのかもしれません。

 

 いえ、バレンシアには用事があって、寄り道する余裕はなかったのですが、あまり知られていない名前のわりに、スペインではマドリード、バルセロナに次いで、3番目に大きな都市だそうですよ!

 

 ここで、あれ? と思われた方もいらっしゃることでしょう。

 

 そう、「バレンシア」というのは、「バレンシア・オレンジ」の原産地です。

 

先日、スーパーでは「カリフォルニア産のバレンシア・オレンジ」を見かけて驚いたのですが、今となっては、品種の名前にもなっているようですね。

 

 さすがにオレンジの産地とあって、街を歩いていると、もぎたてのオレンジをジュースにしてくれるスタンドもたくさん見かけます。

 

 そして、街からちょっと離れると、見渡す限りのオレンジ畑が広がり、青々とした枝の間には、黄色い実がたわわに実っているのが見えます。

 

 まさに、オレンジは「街の大事な産物」なんです。

 


 というわけで、バレンシアはいったいどこにあるの? といえば、スペインの「東海岸」にあって、地中海に面しています。

 

北に面した大西洋よりも、地中海は暖かいので、気候は温暖で乾燥しています。

 

 同じように地中海に面しているバルセロナからは、ちょっと南になります。

 

 「ちょっと南」とはいえ、バルセロナからは飛行機の直行便はありませんし、列車は鈍行しかないので、トコトコと3時間かけることになって、それがバルセロナをすっ飛ばした理由のひとつでした。

 

 そう、バレンシアは、国内のバルセロナから行くよりも、ロンドンから飛んだ方が便利なんです!!

 

 街の成り立ちは古く、ローマ時代の紀元前2世紀だそうです。

 

最初は、ローマ帝国の植民地として生まれましたが、世界の主導権が移りゆく中、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の植民地となったり、ムーア人の侵入によってイスラム教の支配を受けたりと、さまざまな経緯があるのですが、その後、スペイン人が国を奪回した(レコンキスタ)頃から、めきめきと力をつけていくのです。

 

 商業都市から「バレンシア王国」となって、栄華を極めた時代もありました。
(写真は、現在のバレンシア市の紋章。王冠とコウモリは、バレンシアが統一連合「アラゴン連合王国」の一員であったことを示しています)

 

やはり、地中海に面した「地の利」がありますので、大きな港が築かれ、絹織物の取引などで豊かになっていきました。


 その頃の絹の交易所は『ラ・ロンハLa LonjaLonja de la Seda)』と呼ばれ、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

 

 今でも、バレンシアはヨーロッパの主要な港湾になっていて、地中海に面した港の中では、荷揚げで一番の規模を誇るとか。

 

 ここからは日本へも、オレンジやマグロが輸出されているようですよ。

 


 バレンシアは、「旧市街」と「新市街」に分かれますが、旧市街は、石造りの立派な建物や広場が並んでいて、まさに、中世に迷い込んだような印象があります。

 

街が古く、歴史も複雑なので、歩いてみると、どことなく「つかみどころのない」感じもします。

 

 そう、教会がモスクに改築された時代もあるので、キリスト教とイスラム教の様式が混ざったりして、そんな装飾を眺めていると、なんとも不思議な感じもするのです。

 

 そういう点では、トルコのイスタンブールにある『アヤソフィア』などのモスクとも似ているでしょうか。教会とモスクは、長い歴史の上で、たびたび入れ替わることがあるのです。

 

そして、古い街並はクネクネと入り組んでいるので、まっすぐに歩いているつもりでも、「あれ、さっきここを歩いたよね」と、迷いやすい街でもあります。

 

 古い街には、攻めて来た相手を撹乱させるために、わざと道をくねらせて造ったところも多いようですが、そういう点では、ギリシャのミコノス島やチェコ共和国の首都プラハにも似ているでしょうか。

 

 それでも、旧市街は、ちょうど良いサイズですし、ふいっと角を曲がるたびに、新しい広場を見つけたりするので、街歩きをするには楽しいところです。

 

 迷子になったとしても、すぐにどこかの見慣れた広場が出てきますので、「方向音痴」の方だって心配はいりません。

 


 それで、バレンシアといえば、オレンジで有名なばかりではなく、

 

 スペイン料理の代表格ともいえる「パエリャpaella)」の発祥の地だとか!

 

 パエリャといえば、魚介スープで煮込んだ「西洋おじや」みたいなものですが、お魚やお米を愛するところが、日本と似ていますよね。

 

 一日が終わる頃、好みのアルコール飲料を傾けながら、タパスtapas)のおつまみを楽しんだあとは、「締め」はやはりパエリャでしょうか。

 

 じっくりと魚介のうまみがしみ込んだ「西洋おじや」を食べると、ほっとお腹が満たされるのです。

 

パエリャの発祥地バレンシアでは、鶏肉うさぎ肉のパエリャが名物だそうです。(写真では、左側の鍋)

 

 「うさぎ」と聞いて え? と思われた方もいらっしゃるでしょうけれど、うさぎの肉は、甘みのある鶏肉の感じで、まったく違和感のないお味です。

 

 ですから、鶏とうさぎのコンビネーションで、ちょうど良いコクが出るようです。

 

平たいパエリャ鍋を使うと、底の方が「おこげ」のようにこんがりと仕上がりますので、その香ばしい部分をこそげるようにして皿に盛ります。

 

 レストランでは、「観光客じゃ、うまくできないだろう」と思ったのか、何も言わずに、せっせと鍋の底からかき混ぜながら、さっさとお皿に取り分けてくれました(おかげで、全体の写真を撮る暇もありませんでした・・・)。

 

 ま、見かけはあまりカラフルではありませんが、日本の「おじや」みたいに、食材のコクがしみ込んでいて美味しいのです。

 


それから、こちらは、パエリャの米をパスタで代用した「フィデウアfideuà)」という食べ物。

 

 こちらもバレンシア発祥のようですが、パエリャが「おじや」だとすると、こちらは、まさに「焼きそば」なんです!!

 

 もしかすると、しょう油でも入っているのかな? と疑ってしまうほど、日本の味がするんですよ。

 

こちらは、エビやムール貝、ラングスティーヌ(手長エビ、スカンピ)が入っていて、魚介のうまみがよく出る一品です。それが余計に「エビ入り焼きそば」みたいに感じる理由かもしれません。

 

 これには「青のり」が良く合いそうだねぇ、と、連れ合いとふたりで納得したのでした。そう、次回バレンシアに来るときには、青のりを持って来ようかと思ったくらい!

 

 さすがに、現地の方に「フィデウアはしょう油っぽい味がした」と言ったら、ギョッと驚かれてしまったのですが、わたし自身は、そう主張したいほど「日本の味」を感じたのでした。

 

 生まれて初めて訪ねたスペインは、何の違和感もなくすうっと入り込める感じがしたのですが、それはきっと、味覚が似ていることもあるんじゃないかなぁ と、大いに納得したのでした。

 

 

後記: まあ、味覚は似ているとはいえ、スペイン人と日本人が違うところに、生活パターンがありますね。

 昼食も遅いし、夕食も夜の9時くらいから始まります。バレンシア最後の晩は、現地の方々とのコースディナーが9時からだったのですが、さすがに、それは疲れますよねぇ。

 

 スペインの方って、決して朝も夜も遅い「宵っ張りの朝寝坊」ではありませんし、今となっては「シエスタ(昼寝)」をするわけでもありませんし、単に、ご飯の時間が「ずれている」感じでしょうか。

 「もう、それに慣れているからねぇ」とおっしゃいますが、だったら、一度オフィスから家に戻ってディナーに出かけなくても、仕事帰りにレストランに寄ったらどうですか? と、おせっかいなアドバイスをしたくもなるのです。

 

 それから、街の名のバレンシアは Valencia と書きますが、スペイン語の「V」は英語の「B」みたいな発音なので、「バレンシア」と表記いたしました。厳密には、スペインのスペイン語では「c」は舌を噛み、英語の「th」みたいな音になりますが、表現できないので「シ」といたしました。

 

ミルクティーって紅茶が先!

先日『ミルクティーってミルクが先?』というお話をいたしました。

 

 イギリスに行くと、どうも紅茶の「お作法」がわからなくて、

 

 いったい何が正しいんだろう? と、ひとり迷っていたお話でした。

 

 それで、困ったときには、誰かに聞いてみようと思い立って、ロンドン出身の友人に質問してみました。

 

 すると、彼なりの明瞭な回答をいただきましたので、ここでご紹介いたしましょう。

 


 まずは、ひとつ目の「謎」: 日本のようにレモンを入れるのは「邪道」であって、イギリスではいつもミルクを入れる?

 

 これは、ずばり、正しくないようです。

 

 もちろん、レモンを入れることは、ミルクに比べて圧倒的に少なく、ミルクの方が常識(norm)になっているとか。

 

 だって、「紅茶にはミルクを入れますか?(Do you take milk with your tea?)」というのは、接待のあいさつ代わりにもなっていますものね。

 

 けれども、イギリス人だって、とくに高級な銘柄を楽しむときには、レモンを入れることもあるそうです。

 

 こういった紅茶の場合は、ティーバッグはいけません。

 

 ティーポットに紅茶の葉を入れて、沸騰したてのお湯を入れ何分か蒸らす、とルールを守っていれた紅茶に、レモンを添えるそうです。

 

これで、ホテルのティールームで「紅茶にはミルクかスライスレモンを入れますか?」と聞かれたのも、ルームサービスの朝の紅茶にレモンが添えられていたのも、大いに納得です。

 

 「レモンを入れる = 品質の高い紅茶」という意識があるので、お客様に「レモンをお出しする」ことは、「良いお茶を使っています」という誇りの表れだったんですね。

 

ちなみに、こちらのホテルでは、紅茶もカモミールティーのようなハーブティーも、ティーポットにはなみなみと葉が入っていて、「濃いお茶」が好みのわたしにとっても、かなり濃い味わいでした。

 

 きっと「葉っぱをケチってはいけない」というのが、こちらのモットーなんでしょう!

 


 というわけで、お次は、ふたつ目の「謎」: ミルクティーにするときに、ミルクと紅茶はどちらが先?

 

 友人が断言するに、「絶対に紅茶が先」だそうです。

 

 こちらは聞きもしないのに自分から教えてくれたのですが、彼の言葉では、

 

 The milk should always be added after the tea, never milk first

 ミルクはいつも紅茶のあとに入れるべきものであって、絶対にミルクが先ではない

 

 ということでした。

 

 「絶対にミルクは先じゃない(never milk first)」とは、彼にしては珍しく強い口調でした。

 

 これには、異論もあるのではないかと思います。

 

 だって、人がやることに「絶対」ということはありませんので、「もちろんミルクが先よ!」と主張する方もいらっしゃることでしょう。

 

 どっちを先に入れるかで、温度や香りや味に変化が生まれる、とも言いますものね。

 

ですから、「紅茶を先に入れた方が香り高い」という意見と、「いや、ミルクを先に入れた方が絶対においしい」と両方の意見があっても、おかしくはないのかもしれません。

 

 ただ、お客様を接待するときに、どういう風に紅茶をいれるか? というのには、何かしら「社会通念」みたいものがあるのかもしれません。

 

 友人は、ウェストミンスター寺院の敷地内にある学校に通っていたらしく、勝手に想像するに、比較的「良いお育ち」のようなので、「自分の一族は、絶対にミルクなんか先に入れないよ!」といった、こだわりみたいなものがあるのかもしれませんよね。

 


 それから、ミルクを入れてミルクティーにするのは、どちらかというと味の濃い「ブレックファースト(Breakfast)系」の紅茶が一般的だ、とも伺いました。

 

ブレックファースト系というと、イングリッシュ・ブレックファースト(English Breakfast)が有名ですけれど、名前のように「朝食」のときに飲むばかりではなく、「朝10時の休憩」とか、「アフタヌーンティー」のときにも飲んだりするとか。

 

 わたし自身も、「がっつり」と渋みと奥行きのあるイングリッシュ・ブレックファーストが大好きですが、こちらは、もともとアメリカスコットランドで広まったブレンドティーである、という説が有力だとか。

 

 まあ、わざわざ名前に「イングリッシュ」と付けたということは、どこか別の場所で生まれて「英国風」と名付けた可能性が高いわけですよね!

 

 でも、今となっては、イングリッシュ・ブレックファーストは「イギリスの紅茶ナンバーワン」みたいなイメージすらあるのです。

 


 それから、友人は、こんな面白い言葉も教えてくれました。

 

 それは、Builder’s tea というもの。

 

 直訳すると「建築関係者(builder)の紅茶」ですが、今では一般的な口語になっているとか(アメリカでは聞いたことはありませんが)。

 

 こちらは「真っ黒(black)に見えるくらい濃い紅茶(strong tea)」という意味で、

 

マグカップの中に直接葉っぱを入れるか、もしくはティーバッグを入れて、とっても濃く出す紅茶のことだそうです。
(Photo by Factorylad, from Wikimedia Commons)

 

 ミルクとお砂糖を入れることも多いそうですが、朝10時や午後3時の休憩に「エネルギー補給」のために飲む紅茶が、Builder’s tea と呼ばれるようになったようですね。

 

 働いている工事現場や工場、オフィスなどでは、悠々とティーポットでお茶をいれる暇はないので、マグカップとティーバッグでチャカチャカっといれちゃいましょう、というわけです。

 

 わたし自身も、いつもそうしているのですが、紅茶の醍醐味って、そういった気取らないところにあるんじゃないかなぁ? と、庶民としては思ってしまうのでした。

 


そういえば、母は若い頃に「イギリス家庭の紅茶とスコーンのティータイムに憧れていた」と聞いて育ったのを思い出しました。

 

 たしかに、ティーポットでお茶をいれて、午後のひとときを楽しむなんて、ぜいたくな過ごし方ですよね。

 

 そんな風に、いろいろと「こだわり」や「決めごと」があるのが紅茶の文化ではありますが、好きなときに、好きようにいれたお茶を楽しむのが、一番おいしいのかもしれませんね。

 

ミルクティーってミルクが先?

 前回のエッセイに引き続き、4月に訪れたイギリスのお話をいたしましょう。

 

イギリスと聞くと、まず思い浮かべることがありますが、紅茶(black tea)もそのひとつでしょうか。

 

 「紅茶 = イギリス」と連想するくらい、「イギリス人は紅茶を飲む」イメージがありますよね。

 

 アフタヌーンティー(afternoon tea)は、今や世界じゅうに知られていますが、こちらは、貴族の方々の遅い夕食の習慣から、午後3時を過ぎて「小腹を満たす」ものとして生まれたそうです。

 

 産業革命をきっかけに、工場で働く方々が増えると、ここでもお砂糖を入れた紅茶や、スコーンやサンドイッチを「午後のエネルギー源」として活用されていたとか。

 

たしかに、甘いものをいただくと、元気が出るような気がします。

 

 でも、もしかすると「甘いものを楽しむために紅茶を飲んでいるのかな?」と、お菓子のショーウィンドウを覗きながら思ってしまうのです。

 

 まあ、近年は、イギリス人も好んでコーヒーを飲むようになって、街じゅうにカフェが出現していますが、まだまだ紅茶だって健在。

 

 有名デパートのハロッズ(Harrods)に行くと、ひと部屋が丸ごと紅茶にあてられていて、たくさんの商品棚や壁面には、紅茶葉の缶やティーバッグの箱がずらりと陳列されています。

 

 紅茶好きの方にとっては、まさに「壮観」な眺めでしょうか。

 


 それで、紅茶に関しては、ちょっと戸惑うこともあるのです。

 

 一般的に「イギリスでは、紅茶にはミルクを入れるもので、日本のようにレモンを入れるのは邪道」と言われるでしょう?

 

でも、ホテルのティールームでは、「紅茶にはミルクかスライスレモンを入れますか?」と聞かれましたし、ルームサービスの朝の紅茶には、スライスレモンが添えてありました・・・

 

 が、それは、外国人宿泊客の多い、こちらの習慣といたしましょうか。

 

 それで、紅茶にはミルクを入れるものと仮定すると、お次は、カップに注ぐのは「ミルクが先か、紅茶が先か?」という問題が出てきます。

 

 一般的に広まっている説に、「カップに茶渋が付かないように、ミルクを先に入れるのが正しい」というのがあります。

 

 けれども、その一方で、「紅茶を先に入れて、それから好きなだけミルクを注ぐのがよろしい」という説もあります。

 

こちらの説の背景には、「もともとアフタヌーンティーで午後の紅茶を楽しんでいた貴族の方々は、カップの茶渋なんて気にしなくてもよかったので、紅茶を先に入れて、ミルクを入れていた」という、もっともらしい理由づけもあります。

 

 でも、実際にイギリスには「ミルクを先に」入れる習慣もあったようですので、ますます謎は深まるのです。

 

 まあ、わたしとしましては、熱い紅茶をカップに注いだあとミルクを入れた方が、紅茶が冷めないでいいんじゃないかな? とは思っているのですが・・・。

 

 でも、こんな体験もありました。

 

アメリカに戻ってくる直前に泊まっていたホテルでは、紅茶にミルクをお願いしたら、「熱い(hot)のがいいですか、冷たいまま(cold)でいいですか?」と聞かれました。

 

 ビュッフェ形式の食べ物を取ってくると、テーブルには熱いティーポットが置かれていて、席につくと、間髪入れずに温めたミルクが運ばれてきました。

 

 まあ、そのタイミングが(まるでドア越しに見張っていたように)絶妙だったこと!

 

 そこで思ったのですが、温めたミルクだと、どっちを先に入れても OKかなぁ、と。

 


 というわけで、ロンドンでは紅茶ばかり飲んでいたので、紅茶の「お作法」が気になったのですが、

 

 ほかに気になった中には、イギリス英語がありました。

 

 いえ、近頃は、アメリカでもイギリスのドラマばかり観ているおかげで、ブリティッシュ・イングリッシュだって、かなりわかるようになりました。

 

 けれども、ロンドンで「ネイティブ」の方々の言葉を聞いていると、いろんな発音の仕方があるように感じるのです。そう、テレビに出てくる話し方ばかりではなく、かなり「わかりにくい発音」もある、と。

 

典型的なブリティッシュ・イングリッシュを体験できるドラマに、日本でも放映されている『Downton Abbey(ダウントン・アビー)』がありますね。

 

 以前、ファーストレディーのミシェル・オバマさんが「はまっている」ドラマとしてご紹介したことがありますが、こちらは、20世紀初頭のお屋敷の「上階(upstairs)」に住む貴族の一家と、彼らを支えて「下の階(downstairs)」で働く方々と、両方でお話が発展するところが魅力となっています。

 

 そこで感じるのですが、「上階」の方々の発音は聞き取りやすいけれど、「下の階」で働く方々の中には、早すぎたり、不鮮明だったり、イントネーションが違ったりと、聞き取りにくいところも多々あります。

 

 もちろん、これはドラマのお話であって、今となっては、この頃のような明らかな「違い」はないと、現地の方からも伺いましたが、それでも、ホテルやタクシーでは、なんとなく聞き取りにくいこともありました。

 

 それで、現地の方がおっしゃるに、ロンドンの中にも「方言(dialects)」があることが、わかりにくい理由のひとつじゃないか、と。

 

 有名な「方言」には、コックニー(cockney)と呼ばれる、ロンドンの東側のアクセントがありますが、そのほかにも、ロンドンの中だけで4つか5つ違った「方言」があるんだとか。

 

たしかに、ロンドンから南へ、海沿いのブライトン(Brighton)という街に行ったときに「浜っこ」の言葉を感じたことがありますが、ブリティッシュ・イングリッシュにも、「江戸っこ」とか「浜っこ」とか「京のお公家さん」みたいな方言があるんでしょう。

 

 それから、言葉が違って聞こえるのは、個人の「表現の仕方」もあるんじゃないかと、現地の方は指摘されていました。

 

まあ、いろいろと本を読んだり、違った国から来た人と接した経験があったりすると、それだけ表現が豊かになってきて、相手がわかりにくそうにしていたら、言葉を言い換えるでしょう、と。

 

 昔の例では、いわゆる「上階」の方々は、カラフルな言葉をつなげて表現することを楽しみ、忙しくて時間のない「下の階」の方々は、ダイレクトに相手に伝わるようにと、短く、ワンショットで表現されていた。

 

 ですから、今だって、ポポンとワンショットで済ませる方もいらっしゃれば、どうしても伝えたいことがあると、いろいろと言い換える努力を怠らない方もいらっしゃるのでしょう。

 

 ま、言葉は「いきもの」みたいなものですから、個人の好みで違って聞こえることだってあるんでしょうね。

 


 一年前からロンドンに住む友人は、近頃は法律事務所に通うようになったそうですが、ここには、こんな方がいらっしゃると教えてくれました。

 

 なんでも、この方のおばあちゃんは、出かけるときはいつも帽子と手袋を身につけ、午後は「アフタヌーンティー」を楽しむのを日課としていた、とか。

 

まるでロイヤルファミリーか、ドラマの主人公みたいですが、そういった習慣だって、世代交代やグローバル化によって、だんだんと風化するものなんでしょう。

 

 だって、ロンドンの街角には、ひとブロックごとにカフェが建ち並び、エスプレッソやカプチーノが幅を利かせているくらいですから・・・。

 

 

蛇足ではありますが:

 題名には「ミルクティー」という言葉を使いましたが、現地では一般的に、「ミルクを入れた紅茶(tea with milk)」という言い方をしませんか?

 

 わたし自身は、だんだんと慣れてくると、「イングリッシュ・ブレックファーストと温めたミルクを(English Breakfast with hot milk)」と、銘柄や牛乳の温度も指定するようになりました。

 そうそう、「ミルク」というと日本では違った製品になるようですが、欧米では、いわゆる「牛乳」ですよね。

 

それから、普段は「おみやげ」を買わない我が家ですが、ハロッズではティーバッグを2箱買ってきて、2種類を半分っこにして、近くに住む親友に差し上げました。

 彼女は、イギリス連邦のカナダを訪れて以来「アフタヌーンティー」の大ファンになったので、イギリスの紅茶なら喜んでくれるかなと思ったのでした。

 

 「アッサム(Assam)」は、すっきりとした上品な味わいで、「ブレンド49」は、パンチの効いた渋みが前面に出る、コクのあるお味となっています。

 

Like father, like son(この父にして息子あり)

 今日のお題は、Like father, like son

 

 昔からの有名なことわざで、「この父にして息子あり」という意味です。

 

 つまり、息子というものは、父親によく似るものだ、という格言。

 

 文法的には、「~に似る」という意味の前置詞 like を使って

 

 「父のようで(like father)、息子のようで(like son)」という漠然とした言い方になっていますが、

 

 一般的に使われる表現なので、そのまま覚えていると便利だと思います。

 


 「~にそっくりな、うりふたつ」という意味では、spitting image という言葉もあります。

 

 He is the spitting image of his father at the same age

 彼は、同年齢だったときのお父さんとうりふたつです

 

 こちらは、どちらかというと姿かたちが似ていることを表しますが、

 

 Like father, like son の方は、

 

 外観よりも、好ましくない習性も含めて、クセや習慣が似ている、もしくは、父親のあとを継いで同じことを目指したり、同じ職業についたりすることを指しています。

 

 そう、良いことも悪いこともひっくるめて「父親を見習う」といった感じでしょうか。

 


この Like father, like son をひねって、

 

 Like father, like daughter

 

 という表現を耳にすることもあります。

 

 「娘というものは、父親によく似るものだ」というわけですが、お父さんの子どもである以上、「息子」だけではなく、「娘」だって父親に似ることが多々あるのです。

 

 もともとの格言ではありませんが、今では、堂々と市民権を得ているように思います。

 


 それで、Like father, like son

 

 そして Like father, like daughter を「お題」に選んだ理由は、

 

ロンドンで出会った紳士にありました。

 

 テムズ川を見下ろす老舗ホテルのロビーで、外から戻ってくる連れ合いと待ち合わせをしていると、背の高いスーツ姿の紳士と、若い中東系のオシャレな女性が近づいてきて、

 

 Excuse me, but may I ask where you are from?

 失礼ですが、どこからいらっしゃったか教えていただいてもいいですか?

 

 といった質問をなさるのです。

 

 最初は、いきなり声をかけられて驚いたのですが、話しているうちに、「この人、日本人かな?」と親しげにアプローチしてきたことがわかったので、

 

 I’m from California, but originally from Japan

 カリフォルニアから来ましたが、もともとは日本の出身です

 

 と答えました。

 

なんでも、この方は、社交ダンスでルンバを楽しむ81歳の紳士で、年齢にあやかって81ヶ国の言葉を学んでいらっしゃるとか。

 

 奥さんは「福岡から来た、ピアノの上手な女性」と写真も見せていただきましたが、学んだ外国語を忘れないようにと、日々ロンドンの老舗ホテルに足を向けては、外国人宿泊者やスタッフと言葉を交わすことを日課とされているそうです。

 

 Today I spoke 18 different languages so far

 今日は、これまで18ヶ国語を話しましたよ

 

 とおっしゃっていましたが、こちらのロビーでも、スペインから来たスタッフとスペイン語を交わしたばかりで、連れの外国女性とはバーで出会ったばかりだとか。

 

 日本語もかなり達者な方でしたが、この紳士が、いきなり尋ねるのです。

 

 Are you a professor?

 あなたは、大学の先生ですか?  と。

 

 どうしてそう聞かれたのかと疑問に思っていると、

 

 You looked interesting

 あなたは、なんとなく面白そうに見えた

 

 と、なんとも漠然としたことをおっしゃいます。

 

 それでも、わたしの父は何十年も大学で教鞭をとっていたので、「やっぱり、父親の雰囲気を受け継いでいるのかなぁ?」と恐れ入りながら、

 

 Like father, like daughter

 

 という言葉を思い浮かべたのでした。

 


 まあ、ときどき「学校の先生ですか?」と聞かれたこともありますし、「お医者さん」と勘違いされたこともありました(アメリカには、アジア系のお医者さんが多いので)。

 

それでも、カジュアルなジーンズ姿で突っ立っていて、大学の先生(professor)かと聞かれたのは、意外な展開でした。

 

 まさに Like father, like son

 

 そして Like father, like daughter というのは、

 

 姿かたちや口調、クセや習慣ばかりではなく、そこはかとなく漂う雰囲気だって「親によく似る」ということなんでしょうねぇ。

 

 

蛇足ではありますが:

 こちらの紳士が足繁く通うロンドンの老舗ホテルは3つあって、お目にかかったサヴォイ(Savoy)のほかに、リッツ(Ritz)とウォルドーフ(Waldorf)があるそうです。

 

こういったホテルには、必ず外国人宿泊客がいるから、という理由なんでしょう(写真は、舞台が設けられたサヴォイのボールルーム(宴会場))

 

 リッツの創建者セザール・リッツは、パリのリッツ(ダイアナ妃が亡くなる直前に宿泊されていたホテル)を創業したことで有名ですが、なんでも、自分のホテルチェーンを築く前に、サヴォイの支配人を務めて腕を磨いた方だとか。

 サヴォイの近くにあるウォルドーフは、ニューヨーク生まれでイギリスに帰化した実業家、ウィリアム・ウォルドーフ・アスター氏が創業したもので、幅広いビジネスのひとつとして、アメリカ風のホテルをイギリスで実現しようと意図されたとか。

 

 サヴォイの創業は1889年、リッツは1906年、ウォルドーフは1908年と、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ロンドンをはじめとしてヨーロッパには華やかなホテルが次々と現れたようですね。

 

サヴォイには、丸いステンドグラスの天窓をいただくティールームもあって、ここでは、イギリス名物のアフタヌーンティー(afternoon tea)を楽しめます。

 わたし自身はチャンスがありませんでしたが、朝の11時からと、午後1時、3時と、三交代制で予約が取れるそうです。週末には、まさに「満員御礼」でした!

 

 ここでは、朝10時半まで朝食もやっていて、ギリギリで駆け込んだわたしがボ~ッと新聞を読みながら、フルーツサラダを食べていると、商談をするグループを何組も見かけました。

 

 どのテーブルにも女性のビジネスパーソンがいらっしゃいましたが、「ビジネス・アフタヌーンティー」とは、レディーならでは! のオシャレな発想でしょうか。明るくゴージャスな雰囲気では、きっと商談もスムーズに進むことでしょう。

 

May I help you?(ご用は?)

 今日のお題は、May I help you?

 

 簡単な表現ではありますが、いろんな場面で使われます。

 

直訳すると「わたしがあなたを助けてさしあげましょうか?」となりますが、

 

 どちらかというと、かしこまった言い方なので、お店で使われることが多いです。

 

 お店に入ると、店員さんがこう声をかけてくれます。

 

 May I help you?

 何かお探しでしょうか?

 

 これに対して、何か具体的に探しているものがあれば、

 

 Yes, I’m looking for ~

 はい、~を探しているんですが

 

 と、探し物の内容を伝えます。

 

 一方、「いえ、ただ店内を見させていただいているだけですので」と言いたいときには、

 

 I’m just looking, thank you

 

 もしくは、

 

 I’m just browsing, thank you と答えます。

 

 (こちらの browse(ブラウズ)という言葉は、「ちょろっと眺める」という意味ですが、「眺める」が転じて、インターネットにアクセスする「ブラウザ(browser)」という言葉が生まれました)

 


 すると、あちらは、それ以上食い下がることもなく、

 

 Please let me know if you have any questions

 もしも何かご質問がありましたら、声をかけてくださいね

 

 と、親切に言ってくれますので、

 

 こちらは、Thank you と、にこやかに返します。

 

(こういう場合、あくまでも仏頂面はいけませんので、ニコリとうなずくだけでも十分でしょう)

 


そして、普段は、穏やかに May I help you? と声をかけてくれる店員さんですが、

 

 店内に怪しげな人物が入ってくると、緊張した声色で May I help you? と尋ねます。

 

 こちらの場合は、まさに「あなた、この店に何かご用ですか?」と、詰問するような感じでしょうか。

 

 それから、冒頭に書いたように、May I help you? というのは、かしこまった言い方なので、友達同士では使わないでしょう。

 

 もしも「何か助けてあげられることはあるかな?」と声をかけたい場合には、

 

 Is there anything I can do (for you)?

 何か、わたしが(あなたに)してあげられることはある?

 

 と尋ねるのが一般的でしょうか。

 


 それで、どうして May I help you? をご紹介しているのかというと、

 

 先日訪れたロンドンのホテルで、こう聞かれたからでした。

 

 May I help you unpacking?

 

 そう、文字通り「あなたが荷解き(unpack)するのを手伝ってさしあげましょうか?」という意味です。

 

このホテルにチェックインすると、執事(butler)と名乗る方が部屋まで案内してくれて「何かお飲み物(refreshment)をお持ちしましょうか」と尋ねるので、連れ合いはシャンパンを、わたしはカモミールティーを頼みました。

 

 そして、一時して戻ってきた執事の方が、わたしが服をハンガーに掛けようとしているのを見て、

 

 May I help you unpacking?

 荷解きをお手伝いいたしましょうか?

 

 と、当然のように尋ねるのでした。

 

 いえ、こんなことを聞かれたのは、生まれて初めてなので、内心「ヒエ~ッ」とうろたえながら、

 

 Oh, no, I’m fine, thank you very much

 

 と、失礼のないように答えたのでした。

 

 さらに、執事の方は、「もしもプレス(アイロンかけ)やランドリーが必要でしたら、わたくしがコーディネートいたしますので、いつでも声をおかけください」とおっしゃるのです。

 

 なるほど、執事の方にとっては、泊まり客がいつもパリッとした格好でお出かけできるように、常に心配りをするのが「お仕事」なんだな、と悟ったのでした。

 

 その昔、イギリスの貴族の方々が大きなお屋敷に住んでいた頃は、男性は男性の「お付き」に、女性はメイドさんに服を着せてもらっていて、自分で服を着ることはなかったのですが、なんとなく、その頃を彷彿とさせるではありませんか!

 

 なんでも、現地に住む友人によると、このホテルは「執事がいる」ことで有名だそうで、オペラや舞台の「絶対に取れないチケット」だって、どこからともなく調達してこられるとか。

 

いえ、わたしには、そんな用事はなかったので、テムズ川を見下ろすテラスでしたためた母宛の手紙を「出しておいてくださいね」と頼んだのが、唯一の頼み事となりました(やっぱり、庶民にとっては、人に何かを頼むのって気がひけますよねぇ)。

 


その晩は、サンフランシスコから到着したばかりだったので、ホテルのレストランで食事をしたのですが、こちらのレストランだって、ウェイターの方が丁寧だったのが印象的でした。

 

 お隣のテーブルでは、次々と「注文をつける」紳士に対して、

 

 いちいち As you wish と、低姿勢で答えるのです。

 

 As you wish とは、「思し召しのままに」という意味ですが、

 

 わたしの感覚では、中世の王様に対して、家来が深々と頭を下げながら「思し召しのままに」と答えているような感じがするのです。

 

 まあ、アメリカのレストランでは、As you wish なんて、絶対に耳にすることはないでしょうけれど、

 

 こちらのホテルのレストランで聞いていると、ごく自然な感じもするのでした。

 

 

追記: こちらは、サヴォイ(Savoy)という老舗のホテルでしたが、19世紀に建てられた建物のわりに、2年の大改築を経て2010年に再オープンしたそうで、部屋も快適でした。

 

オープン当初から、王族や貴族の方々、政界の重鎮、映画界のトップスターなどが集う「華やかなホテル」として名を馳せたそうで、ボールルーム(宴会場)の外には、若かりし頃のエリザベス2世がダンスを楽しまれる写真が、さりげなく飾られていました。

 1953年には、女王の即位を祝って「戴冠記念ダンスパーティー」も開かれたそうですが、こちらは、即位する2年前のお姿だそうです。

 

 「2010年の再オープンの際には、チャールズ皇太子もお祝いに立ち寄られた」と、玄関の脇には碑が埋め込まれていました。

 

 そして、映画『風と共に去りぬ』の主人公を演じたヴィヴィアン・リーさんと、シェイクスピア俳優の夫、ローレンス・オリヴィエさんも、このサヴォイで出会ったそうですよ。

 

あさっては雪でしょう

 日本は、いよいよゴールデンウィークに突入し、「どこにお出かけしようかなぁ?」と考えをめぐらせていらっしゃる方も多いことでしょう。

 

そんな4月は、一足先にヨーロッパで2週間を過ごしてきました。

 

 今回は、イギリスのロンドンからスペインへ、そしてロンドンに戻ってアメリカに帰る、という行程でしたが、半分「用事」で、半分は「観光」のようなものでした。

 

 ロンドンの業界イベントに参加したあと、スペインのバレンシアという街を訪れる用事があったのですが、まあ、イギリスが大好きなわたしとしましては、ロンドンに行けるだけで嬉しいのです。

 

 ロンドンといえば、何年も前に、サンフランシスコから「一泊出張」のトンボ帰りをして以来、未知の世界のままでしたが、数年前に、チェコ共和国の首都プラハから乗った『オリエント急行』が、ロンドンのヴィクトリア駅に到着したのをきっかけに、初めて街歩きをしてみました。

 

 それ以来、ロンドンとイギリスという国の大ファンになってしまって、業界イベントを口実に、再度ロンドンを訪ねることにしたのでした。

 


二度目のロンドンとなると、少しは「余裕」が出てきて、だんだんと街のつくりもわかってきたのですが、まあ、この街は、各々の地区に特色があって、たくさんの違った表情を見せてくれるところですよね。

 

 どこに足を向けても、何かしら発見があって、まったく飽きることがない街。

 

 そして、あちらこちらを歩いていて感心するのですが、都会なのに「緑」が豊かです。

 

 だいたい、バッキンガム宮殿を中心とした街の真ん中に、グリーンパークだの、ハイドパークだの、ちょっと北にはリージェンツパークだのって、広大な緑が残されていること自体が驚きです。

 

それに、人々の住む街角だって、ちょっとしたスペースがあると、みなさん美しく「緑のじゅうたん」を敷かれて、屋外の時間を大切にされています。

 

 アメリカ人はよく、「ドイツは緑が美しい」とか「アイルランドほどきれいな国は見たことがない」と言いますが、わたしとしましては、大国の首都なのに、これほど自然を感じるロンドンの緑が美しい! と思ってしまうのでした(それも、ひいき目で見ているのかもしれませんが)。

 


 そんなロンドンにも、弱点があるようにも感じるのです。

 

それは、「肌寒い」ことと、「天気が変わりやすい」こと。

 

 到着したのは、4月ももう中旬という頃なのに、風は強いし、まるで真冬のように肌寒かったです。

 

 そして、朝はカラリと晴れていても、午後からは急に黒雲が張り出してきて、突然、大雨になったりするのです。

 

 そんな風だから、月曜日は午後から驟雨(しゅうう)で、火曜日は日焼けするほど天気が良くて、水曜日は、昼間は17度と例年より暖かいのに、夜は冷たい小糠雨(こぬかあめ)と、コロコロとお天気が変わります。

 


スペインで一週間を過ごしたあと、戻ってきたロンドンも、まったく同じ感じでした。

 

 チェックインしたホテルでは、「明日はエリザベス2世のお誕生日を祝って、目の前のハイドパークで空砲が鳴りますので、驚かないでくださいね」とお手紙を受け取りましたが、翌日の4月21日は、まさに90回目のお誕生日を祝うかのような晴天!

 

正午の礼砲(Gun Salute)に間に合うようにと、急いでハイドパークに向かいましたが、吹きっさらしの風は冷たいけれど、日が差して気持ちの良い一日でした。

 

 ところが、その翌日は、朝から真冬の冷え込みで、正午を過ぎる頃にはパラパラと雨も降り出します。

 

 その午前中にホテルでミーティングをしていた連れ合いは、相手の方から「あさっては、雪になるかもしれませんよ」と言われたのでした!

 

 いえ、翌日はアメリカに戻るタイミングだったので、実際に雪が降ったのかは存じませんが、まあ、4月の下旬に雪が降る可能性があるなんて、このロンドンという街は、どこまで天気が悪いんだろう? と、恐れ入ったのでした。

 

 どうやら、ロンドンは、日本の最北端・宗谷岬(そうやみさき)よりもにある(!)ようなので、なかなか春がやって来ないのも、仕方のないことかもしれませんが・・・。

 

たとえばロンドンで雨に降られると、無料で楽しめる美術館や博物館に入ったり、数々の有名なデパートめぐりをしたりと、充実した屋内の過ごし方はたくさんあります。

 

 でも、「う~ん、美術館やデパートが多いのは、お天気が悪いからなのかなぁ?」と、妙な勘ぐりをしてしまうのでした。

 


たぶん、ロンドンの肌寒さが気になったのは、いきなりカリフォルニアから訪れたからなんでしょうけれど、ロンドン最後の晩に、こんな会話をしたのが印象に残りました。

 

 どこから来たの? と現地の女性に聞かれたので、カリフォルニアに住んでいて、明日はサンフランシスコ空港に向けて飛び立つと答えると、いきなり彼女の声がワントーン上がって、

 

 まあ、うらやましい! わたしと代わってほしいくらいだわぁ!

 

 アメリカっていえば、10月にサンフランシスコとラスヴェガスに行くんだけれど、もう待ちきれないわよ~、と情熱をこめておっしゃるのです。

 

 なるほど、ロンドンに住んでいらっしゃると、「一日じゅう晴れる」ことが少ないので、乾季の夏は一滴も雨が降らないカリフォルニアが、うらやましく感じられるのでしょう。

 

でも、その一方で、ロンドンの緑が美しいのは、「恵みの雨」があるからこそ、とも思うんですけれど。

 

 カリフォルニアなんて、夏の山は真っ茶色で、「黄金色」と言うとカッコいいですが、その実、カラカラと音がしそうな「枯れ草」の色ですもの。

 

 やっぱり、どこに住んでいても、「あっちの方が良さそうだなぁ」と、無い物ねだりをしてしまうものなんでしょうか。

 

 

追記: 明日はスペインに向かうからと、ロンドンのピカデリーで「夏の帽子」を探しまわったのですが、老舗のバーバリーをはじめとして、「まだ冬用の毛糸の帽子しか置いていません」というお店も多かったです。

 

 素敵なレストランでディナーをする前で、ホテルで着替える時間もなくなってジーンズのまま食事をすることになったのですが、やっぱり「餅は餅屋」です。

スペインのバレンシアに到着して、さっそく街歩きをしてみると、最初に見かけたお店で素敵な帽子を見つけました!

 

 4月のロンドンは、まだまだ春が待ち遠しい季節なんでしょうけれど、そういえば、何年も前に「一泊出張」をした8月下旬だって、まったく暑かった記憶がないんです・・・。

 

ロンドンのイベント: スマート IoT(アイオーティー)

Vol. 201

ロンドンのイベント: スマート IoT(アイオーティー)

今月は、2週間をヨーロッパで過ごしました。というわけで、イギリスでのイベントとスペインのお話をいたしましょう。

<ヨーロッパで IoT>


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今回訪れたのは、はるばる大西洋を超えて、イギリスの首都ロンドンで開かれたイベント。
その名も『スマート・アイオーティー・ロンドン(Smart IoT London)』。

IoT(アイオーティー)というのは、モノのインターネット(Internet of Things)を略したもので、英語圏ではよく使われる名称です。
それに「スマート」が付いて、「モノのインターネットを幅広い分野に賢く利用していこう!」といった主旨のイベントでしょうか。

普通、「モノのインターネット」と聞くと、身の回りの便利なモノを思い浮かべます。たとえば、遠隔地から家を監視したり、鍵をかけたり、はたまた、スマートフォン経由でライトの色や明るさを調整したりと、そんな身近な使い方。

一方、こちらのイベントは、身近なモノから離れた「業界寄り」のイベントで、面白いガジェットや利用法を展示するよりも、IoTをさまざまな分野で推進する上で、どんなことに留意すべきかと、これまで得た知識を共有する場となっています。

たとえば、街じゅうに IoTを展開すれば、車や人の流れを分析して渋滞を緩和してくれる「賢い信号」とか、ガソリンスタンドの価格を比較してくれる「旬のお助け情報」とか、駐車場の空き状況をタイムリーに教えてくれる「スマートパーキング」と、便利なサービスが実現できる。

それから、今までは販売店に車のタイヤを卸すばかりだった製造会社も、タイヤの空気圧や燃費、タイヤ寿命といった実地データを蓄積・分析することで、データを付加価値として販売できるようになる。
 


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そんな「IoTの可能性を探る」イベントでしたが、会場では、Kii 株式会社もブースを出展。

Kiiは、IoTデバイス/サービス向けのクラウドプラットフォームとアナリティクス(ビッグデータ分析)を提供し、デバイスメーカーやサービス・アプリ提供者の「IoT化」を総合的に支援していますが、入口の真ん前という好位置とオレンジ色のかわいらしいロゴにひかれて、足を止める「一見さん」も多かったです。
(写真は、右がイギリスのセールス担当アンソニー・フルゴーニさん、左がドイツのセールス担当マーティン・タントウさん、真ん中がCEO 荒井 真成さん)
 


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そして、こちらのイベントは情報共有を目的としているので、数々の講演にも重きが置かれましたが、初日には、Kiiの共同設立者/CEO 荒井氏も講演されました。

お題目は、ずばり「どうやったら IoTで収入を増やせるか?」

たとえば、直接「消費者」にモノを売っている会社だと、一回製品を売り切って、それっきり収入は途絶えてしまう。ここでは、常に価格と生産コストのバランスが問題となるし、ひとたび競合製品が現れると、価格のしのぎあいとなり苦しくなってくる。

ところが、インターネットにつながることによって何かしらの付加価値をつけて、月額課金(recurring revenue)を得る構造をつくれば、定期的に利用者からサービス料を取ることができる。魅力的なサービスにひかれて利用者が増えれば、それだけ継続的に収入も増える。

IoT分野で「付加価値」の例となるものには、たとえば高齢者向けのサービスがあるだろう。

ひとり暮らしの親が元気にしているか? というのは、誰でも気になることだが、家の中で倒れたりした場合にはスマートフォンに緊急通知が来るとか、ドアに取り付けたセンサーで普段通りに開閉されているかを検知するとか、リビングルームのセンサーで元気に会話しているかをモニターするとか、親を持つ世代が欲するサービスは多種多様であり、そういった付加価値にはサービス料を支払っても利用したい人は多いはず。

似たような付加価値には、子供向けの「迷子防止サービス(GPSを利用した居場所特定)」や大人向けの「健康管理サービス(健康指標の推移分析)」などもあるが、あくまでも利用者をつなぎとめるためには、「あったらいいな(nice-to-have)」ではなく「なくてはならない(must-to-have)」サービスでなければならない。
「あったらいいな」くらいだと、多くのウェアラブル製品のように「3ヶ月経ったらホコリをかぶる」状態となり、サービス料など望めなくなってしまう。

ひとたび不可欠なサービスを実現して、利用者のビッグデータを蓄積するようになると、分析データを保険会社などに提供したり、より個人にフィットした広告が可能になったり、利用者が関心を抱くような新たなサービスを提案できたりと、収益の幅も広まるだろう。

といった内容の講演でしたが、荒井氏は、この『スマート・アイオーティー・ロンドン』の役員でもあり、イベント運営にアドバイスをする立場でもいらっしゃるとか。

そんな IoTの専門家は、ユニークな視点を持っていて、それは、インターネットとの比較論。

1995年を境に、アカデミアから一般へと一気に広がったインターネットは、2000年にネットバブルがはじけるまで爆発的な進化を遂げ、その後は自然淘汰を経て成熟期に入ったが、その過程で「eコマース(オンライン商取引)」「ブログやソーシャルネットワーク」「ニュース情報配信」「音楽や映画のストリーミング」といった各々の分野が確立され、もはや「インターネット」という漠然とした総称は使われなくなった。

ところが、「IoT」となると、いまだに「何が必要とされているのだろう?」と模索している段階で、漠然と「IoT」と呼ばれ続けているわけだが、それも時間の問題で、ひとたび「スマートホーム」「スマートビルディング」「スマートシティー(都市の IoT化)」といった分野が具体性を帯び、暮らしの一部となれば、「IoT」という総称は姿を消すだろう。

つまり、総称が存在しているうちは、まだまだみんなが模索する混沌とした状態であって、人々の生活に深く溶け込んで初めて、呼び名が変わっていく、という説。

なるほど、なかなか説得力のある比較論であり、「IoT」というヘンテコリンな名前がなくなるのも、そう遠くはないことでしょう。

<地中海の街、バレンシア>
というわけで、ロンドンの次は、スペインのバレンシアという街を訪ねました。

バレンシアは Valencia と書きますが、スペイン語の「V」は英語の「B」のような発音なので、「バレンシア」と表記いたしましょう。そう、「バレンシア・オレンジ」で有名な、オレンジの名産地ですね。
 


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郊外には、それこそ見渡す限りのオレンジ畑が広がりますが、バレンシアの街自体はかなりの都会で、マドリッドとバルセロナに次いでスペインで三番目に大きな都市だとか。

旧市街は、中世をそのまま温存したような古い建物や広場があって、逆に新市街は、「未来都市」をイメージ化したような斬新な建物も立ち並ぶ、面白い対比の街です。
 


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とくに旧市街の「バレンシア大聖堂」をはじめとする荘厳な教会や、世界遺産にもなっている「ラ・ロンハ」と呼ばれる絹交易所のゴシック建築は、細部にまで美しく装飾が施され、当時のバレンシアの勢力と経済・文化の発展をうかがい知ることができます。

バレンシア大学という名門校もあって、夏の間ここで学ぶのは、多くのヨーロッパの大学生の憧れとなっているとか。

そんなバレンシアには、Kii の開発チームのひとつが置かれていて、こちらでは IoTプラットフォームの中核となる部分を開発されているそうです。

バレンシアの開発チームは、6名という少数精鋭ですが、そのうちの3人は大学の同期だとか。やはり、スペインでも技術スタッフを雇うのは難しいそうで、「人のつながり」でリクルートすることも多々あるようです。
 


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こちらは、Kiiバレンシアオフィスで撮影した記念写真。

後方左から、ジムに通って筋肉を鍛えるわりにチョコレートが大好きなフアン・モレノさん; チームのまとめ役を務めるかたわら、海で泳ぐのが大好きなフランシスコ・ロサノさん; 物静かな「猫舌」で、2歳の男の子のパパでもあるホルヘ・カステリャノスさん; フランシスコさんの大学の同期で、まるで日本のスポーツ漫画の主人公風のマスクを持つアルベルト・セルダンさん; 同級生フランシスコさんに誘われた古株で、地域の歴史や文化にも詳しいフアン・オリバレスさん。
前列右から、スペイン語なまりを感じない英語を話し、ガールフレンド思いのエウヘニオ・クエバスさん; マドリード在住のSEで、8年前にアルゼンチンからスペインに移り住んだヘルマン・ビスクーソさん; そしてCEOの荒井さんです。
 


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バレンシアは地中海に面した街ですので、海沿いには、ずうっと美しい砂浜が広がります。
今の時期は、風も強いし海水が冷たいので、ウェットスーツを着ないと沖まで泳げないそうですが、それでも週末には、砂浜もビーチ沿いに軒を連ねる飲食店も賑わっていました。

そんな立地条件ですので、バレンシアには、スペイン最大の港湾である「バレンシア港」があって、地中海の物流の要となっています。
ここから日本へもオレンジばかりではなく、マグロを輸出したりするそうですが、貨物船が頻繁に行き来するということは、IoTを利用した「スマートポート(smart port)」を実現できるのかもしれません。

スマートポート、つまり「賢い港湾」とは、IoTを使って、効率良く港湾業務を推し進める構想を指します。
たとえば、貨物船に積んだコンテナにタグを貼って、積載貨物の明細を瞬時に把握するとか、重量や重心のデータを明らかにすることで、ガントリークレーンでコンテナを下ろす際やトレーラーで運ぶ際に事故を防ぐとか、荷下ろしを効率良く行うことで、沖に停泊中の貨物船が早く港に入れるとか、そういった業務改善が含まれます(なんでも、先に入った船の荷下ろしを待ちながら、沖で待機する貨物船も多いとか)。


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それから、空になったコンテナには、何かを詰めて持って帰りたいわけですが、そういったマッチングだって、IoTを利用すれば、うまくできそうですよね。

港湾業務をはじめとして、世の中の「お仕事」には、いろいろと改善の余地がありそうですが、バレンシアという街は、いろいろと試してみるには絶好の拠点なのかもしれません。

<後記>
今回訪れたイギリスとスペインでは、「やっぱりヨーロッパっていいなぁ」と再認識することとなりました。
 


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もともとイギリスが大好きで、アメリカではいつもイギリスのドラマばかり観ているのですが、初めて訪れたスペインだって、そのまますっと入り込んで行けるほど、何の違和感もない国だと思いました。

 「う〜ん、ヨーロッパに住んでみなければ、人生を無駄に過ごしているんじゃないか?」と焦りすら感じたのですが、アメリカに戻る前夜、「明日サンフランシスコに向けて飛び立つ」ことを伝えると、こう返してきたロンドンの住人がいらっしゃいました。

 「まあ、うらやましい! わたしと代わってほしいくらいだわ。10月にサンフランシスコとラスヴェガスに行くんだけど、もう待ちきれないわよ!」と。
 


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どうやら、彼女は太陽が恋しい方のようですが、たしかに、旅をするのと住んでみるのとでは、いろいろと印象の違う面があるのでしょう。
ロンドンは、朝晴れていても、午後からは大雨と、コロコロと変わるお天気が「日常」のようですし。

それでも、歴史あるヨーロッパに腰を据えて、あちらこちらと足を伸ばせたら、どんなに素敵だろうと思うのでした。

夏来 潤(なつき じゅん)

 

新春のパレード: 旧正月のお祝い

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アメリカでは、お正月(New Year’s Day)を過ぎて、新春に開かれるパレードがいくつかあります。



旧暦で新年を祝う、「旧正月」のパレード。



3月17日の「聖パトリック・デー」のパレード。



そして、「復活祭」のパレード。



旧正月は、Lunar New Year(太陰暦の正月)とか Chinese New Year(中国の正月)と呼ばれていて、中国系、韓国系、ヴェトナム系など、アジア系の方々に広く祝われていますね。



聖パトリック・デー(Saint Patrick’s Day)は、アイルランドの守護聖人パトリックをお祝いする日。今では、「緑色を着て、ビールをたくさん飲む日」として、アメリカでも楽しく祝われています。



そして、復活祭(Easter、イースター)は、イエス・キリストの復活をお祝いする、キリスト教徒にとっては大事な祭日。今年は、3月27日でした。



世界各地から人が集まるサンフランシスコ・ベイエリアでは、どれも大事な一日ですが、とくに中国系の多いサンフランシスコ市では、「旧正月のパレード」は、一大イベントとなっています。



サンフランシスコの中華街は、19世紀中ごろにできた古い一角で、たぶん、アジア大陸を除くと、世界で最大規模なんでしょう。



ですから、1860年から開かれている由緒あるパレードは、規模と迫力でも他に引けを取らず、アメリカじゅうから観光客が見物にやって来ます。



今年は、2月8日が旧正月でしたが、パレードが開かれたのは、2月20日の土曜日。いつも2週間くらいあとに開かれるのです。



例年、雨にたたられることが多いですが、今年はカラリと晴天。空には、満月も昇ります。



パレードの出発は、サンフランシスコのメインストリート、マーケット通り(Market Street)。



海沿いのあたりからスタートしたパレードはまっすぐ進み、そこから、お買い物エリアで有名なユニオンスクエア(Union Square)をクルッと回り、まっすぐ北へと中華街(Chinatown)に向かって進んで行きます。



沿道は長いので、どこで見ても大丈夫だと思いますが、ユニオンスクエアのまわりは、チケットを買って座席で見られます。テレビの生中継もここから放映しますので、絶好のスポットかもしれません。



やっぱり中国系のお祭りですから、獅子舞や龍踊り、少林寺拳法のデモンストレーションと、「見せる」パフォーマンスが多い。ですから、テレビが中継している場所では、演技にもいっそう熱がこもるようです。



実は、わたし自身は、旧正月のパレードを見に行ったのは、今回が初めて。



マサチューセッツ州ご出身のお隣さんは、以前は毎年のように見に行ったそうですが、わたしは要領がわからないので、とりあえず、マーケット通りの出発点に近い場所で見学することにしました。



パレードが始まる5時過ぎには、まだまだ人も少なかったのですが、6時近くになると、だんだんと混んできて、背伸びをしながら写真を撮ることもしばしば。



自分の子供が参加するお母さんなどは、「きゃー、こっちよ~!」と人を押しのけんばかりにスマートフォンでビデオを撮り、子供が行ってしまうと「もう、いいわ」とさっさと引き下がります。



けれども、そんな「混み具合」や「耳元の歓声」というのも、賑やかさ、華やかさのひとつかもしれません。



パレードは、最初のうちは、政治家、警察、消防署、州のハイウェイパトロール隊と、コミュニティーを代表する方々が登場し、みなさんの拍手喝さいを受けます。



お巡りさんは、自分たちのロゴをシールにして子供たちに配り人気者でしたが、おかしかったのは、政治家の方々。



サンフランシスコの市長さん、エド・リー市長をはじめとして、州選出の連邦下院議員、州議会、サンフランシスコ市議会の議員さんたちがオープンカーで目の前を通り過ぎるのですが、まあ、多くの方々にとって、政治家の顔と名前が一致しない。



ですから、「We love you~(愛してますよ~、応援してますよ~)」と叫びながら、「I don’t know who that was(あの人が誰だったか知らないよ)」と、まわりの人たちに白状するのです。



そう、We love you~! とは、まったく「からかい」のメッセージなんですよね。



そして、代表者の方々が行ってしまうと、いよいよ鼓笛隊や大きなフロート(山車)が出てきて、パレードも本番となります。



ここで驚いたのは、中国系の学校が多かったこと。そう、パレードは、学校単位、企業単位で出場するグループが多いのですが、ちびっこの幼稚園児から、中学生、高校生と、中華学校の名前がたくさん目につきました。



そういえば、わたしの知人も、中国とは縁もゆかりもないのに、中国語と英語のバイリンガルの学校に子供を通わせているとおっしゃっていました。



もちろん、中国語はゼロから始めるので、最初のうちはまったくわからないのですが、そのうちに慣れてきて、だんだんと中国語の比重が高くなっているとか。



中学生くらいになると、ほとんどの授業が中国語だけになるようだ、とおっしゃっていましたが、学校の外では母国語の英語になるので、人工的に外国語の環境をつくってあげよう、ということでしょうか。



ですから、パレードに参加する「ちびっこ」たちも、中国系やインド系や白人や黒人と、いろんな肌の色が混じっていて、「ほんとに国際的だなぁ」と感心したのでした。



というわけで、午後8時に終わると書いてあったパレードですが、まあ、そんな8時にきっかりと終わるわけはありません。



だって、8時を過ぎてスタート地点に行ってみると、まだまだたくさんのフロートが待機中!



「いったいいつ出発かなぁ?」と、地べたに座ったり、楽器や踊りの練習をしたりして待っています。ですから、お腹も空いてくるし、間もなく、その場を離れたのでした。



それから、サンフランシスコの中華街では、旧正月の前の週末に「フラワーフェア」、そして、パレードの週末には「ストリートフェア」が開かれます。



中華街の路上で開かれるイベントですが、「フラワーフェア」は、花やご馳走の材料を買って、お正月の準備をするためのもの。



そして、「ストリートフェア」は、パレードとともに旧正月を楽しく過ごすためのものです。



最後の6枚は、「ストリートフェア」で撮影したものでした。



Will happen when it happens(いつか起きるさ)

 今日は、なんとなく「当たり前」に感じる表現をご紹介いたしましょう。

 

 It will happen when it happens

 

 直訳すると「それが起きるときに起きるでしょう」

 

 というわけですが、

 

 「いつ起きるかはっきりとは言えないけれど、いつかは起きるさ」

 

 といった感じでしょうか。

 

 It will の代わりに、It’s going to を使って、

 

 It’s going to happen when it happens

 

 「まあ、気長に待っていれば、ちゃんと事は起きるから、そんなにジリジリしないでよ」

 

 と、安心させる意図も含まれているでしょうか。

 

それで、誰がおっしゃった言葉かといえば、カニ漁の漁師さん。

 

 先日『カニさん、カモ~ン!』と題して、ようやく今ごろになってカリフォルニア州の「カニ漁」が解禁されたお話をいたしました。

 

 復活祭(今年は3月27日)が終わってすぐの火曜日、待ってました! とばかりに、漁師さんたちが一斉に太平洋に向かったのでした。

 

 その漁師さんに「いったい、いつになったら地元のカニがお店に並ぶの?」と記者が質問すると、返ってきた答えがこちら。

 

 It’s going to happen when it happens

 起きるときに、ちゃんと起きるんだから(気長に待っててよ)

 

この場合、it というのは、「カニが店頭に並ぶ」ことを指すわけですが、

 

 「カニが店に並ぶときに、並ぶんだよ」とは、ごく当たり前の話ではあります。

 

 言わなくても、わかっているよ、と返したくなるようなお言葉です。

 


 実は、こういった「当たり前に聞こえる」英語の表現って、よく耳にするんですよ。

 

 たとえば、こんなのがあるでしょうか。

 

 I’ll get there when I get there

 わたしは(目的地に)着くときに着きますよ

 

there「あちら」というのは「目的地」の意味)

 

ある人がどこかに旅立とうとしているとき、

 

 When will you get there?

 あなたは、いつ着きますか

 

 と、尋ねた人がいたとします。

 

 その言葉の中に、

 

 How soon will you get there?

 どれくらいすぐに、あちらに着きますか(すぐに着いてくれないと困るのよ)

 

 といった「詰問」の口調が隠れていたりすると、

 

 I’ll get there when I get there

 (そんなに心配しなくても)着くときには、ちゃんと着くわ

 

 と、切り返すことがあります。

 


 こちらも、同じような表現になります。

 

 We’ll get there when we get there

 わたしたちは(目的地に)着くときに着くんだから

 

この表現は、一家でドライブをしているときなどに、よく耳にします。

 

 何時間かすると、子供たちが車内で飽きてきて、こんなことを聞くんです。

 

 Are we there yet?

 ねぇ、まだ着かないの?

 

(「わたしたちは、まだあちらにはいないの?」という言い方が「まだ着かないの?」という意味になります)

 

 すると、なだめるように

 

 We’ll get there when we get there

 心配しなくても、そのうちに着くわよ

 

 と、お父さんやお母さんが説明するのです。

 


 同じように、なんとなく当たり前の表現には、こういうのもあります。

 

 It is what it is

 

 直訳すると「それは、そのようなものである」というわけです。

 

 ここで what it is は、「そのような存在」といった意味ですね。

 

 ですから、It is what it is とは、

 

 「ま、それって、そんなものなんだから、いろいろ心配したってしょうがないじゃない」といった感じになるでしょうか。

 

 漠然としていて、ひどく哲学的な響きでもありますが、実は、日常会話でよく使われる表現なんですよ。

 

 「もともと、それってそんなものなんだから、ごちゃごちゃ悩まないで、そのまま受け入れようよ」

 

 みたいな含みもあるでしょうか。

 

たとえば、せっかく洗面台を取り付けたのに、スペースの都合で、シャワーまで手がまわらなかった場合、

 

 Oh well, it is what it is

 ま、(スペースの都合で僕のせいじゃないんだから)仕方ないよね

 

 などと、言っておきたいときに使います。

 

(写真は、かの有名な「オリエント急行」の室内の洗面台。昔のままを再現しているので、列車にシャワーはありません)

 

 それから、この表現は、過去に起きたことに対しても使えます。

 

 It is what it is

 そのような出来事だったんだから、今さらしょうがないよね

 

 といった風にも使えます。

 

 漠然として哲学的であるがゆえに、なかなか万能な表現でもあるでしょうか。

 


 というわけで、「当たり前」のようだけど、かなり便利な表現。

 

 聞き慣れないと、なんのことだかわかりにくいけれど、慣れると、いろんな風に使えて重宝する表現。

 

 それが、

 

 It’ll happen when it happens

 

 だったり

 

 We’ll get there when we get there

 

 そして

 

 It is what it is

 

 というわけなのでした。

 

ときに、ジリジリと心配するよりも、

 

「なるようになるさ」と、受け入れた方がいいこともありますよね。

 

 

 

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