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2009年08月16日

山と湖: カナディアンロッキーのすすめ

Vol. 121

山と湖: カナディアンロッキーのすすめ

 

8月上旬、喉に痛みを感じ風邪でもひいたのかと思っていたら、はるか南のサンタバーバラで起きた山火事の煙のせいでした。煙ははるばる450キロを旅して、サンフランシスコ・ベイエリアまで流れ込んでいたようです。

はるばる旅をするのは、山火事の煙ばかりではありません。先日わたしも1600キロを飛んで、カナダの西側に行ってきました。そんなわけで、今月は、カナダが誇る雄大な自然をつづってみることにいたしましょう。

<山>
カナダ・アルバータ州のカルガリーに降り立つと、ここが1000メートルの高地であることを感じます。飛行機は台地に築かれた街に降り立つ感覚ですし、草地の緑も平地よりもずいぶんと淡い印象です。その高地カルガリーをあとにして、車は一路西にカナディアンロッキーへと向かいます。
カナディアンロッキー(Canadian Rockies)は、カナダの西側の2州、アルバータとブリティッシュコロンビアの間にそびえる山脈で、アメリカのコロラド州やモンタナ州を南北に走るロッキー山脈の連なりとなります。ゆえに、その雄大さは、アメリカのロッキーにも引けを取りません。
 


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カルガリー空港を出て間もなく、前方には奇怪な山並みが姿を現します。遠くにあるのでまだ青いシルエットのままですが、その不規則な稜線は、てんでばらばらに切り紙細工を施したよう。
さらに西に進んで行くと、一本道の大陸横断1号線は、いよいよ山脈の中に突入します。右にも、左にも、山肌をあらわにした険しい山々がそびえ、これがどんよりとした曇りだったら、どんなに恐ろしいものだろうと、いきなり自然の威力を感じるのです。


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最初にこれを見た人は、いったいどんな言葉を発したのだろう。この地で生まれた先住民族の子供たちは、いったいいくつの頃に、この山々の存在をはっきりと認識したのだろうと、脈絡もない疑問が頭に浮かんできます。今は出逢うこともない「先住民族」を意識するほど、目の前に広がる大きな景色には畏敬の念を感じるのです。

けれども、たとえばハワイの山々が、ときには怒りをあらわにする厳しい神の集う場とすると、こちらは、ちょっと暢気な神々の住処なのかもしれません。細かいことは気にしない、そんな神々の気質がそこはかと表れているようでもあります。

カナディアンロッキーの魅力は、やはり、そのスケールの大きさにあるでしょうか。この辺りには、バンフ、ヨーホー、ジャスパー、クートゥニーと名だたる国立公園が隣接していますが、1984年には、これら4つの国立公園と3つの州立公園を合わせて、「カナディアンロッキー山岳公園群(Canadian Rocky Mountain Parks)」としてユネスコの世界遺産にも登録されています。
そもそも、カナダという国は、国土はアメリカよりも若干大きいわりに、国の人口はカリフォルニア州よりも少ないくらいです(約3,300万人対3,600万人)。ということは、でっかい土地に人はちょっと。だから、とくにカナディアンロッキーの地方では、どでかい山々が鎮座する隙間に人間がちょこっと住まわせてもらっている感があるのです。

そして、カナディアンロッキーのもうひとつの魅力は、夏でも冬でも年間を通して楽しめることでしょうか。もちろん、高地であるために冬場の積雪は激しいわけですが、それでも大きなスキー場があちらこちらに完備されていて、ホテル発着のバスに乗れば楽にスキー場まで連れて行ってもらえます。


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厳しい冬が明け、春から夏ともなれば、ハイキングにキャンプ、乗馬にボートと、やることは尽きません。ハイキングコースもキャンプ場も、それこそ「星の数ほど」整備されていますし、山歩きにしても、ベテランから初心者まで誰でもトライできるように段階的に準備されているのです。
とくにアウトドア派でなくとも、十分に自然を感じることもできます。わたし自身は、生まれて一度もキャンプをしたことがないほどの「インドア派」ではありますが、国立公園群を突っ切るハイウェイ(大陸横断1号線やアイスフィールズ・パークウェイ)が整備されているので、車で移動しながら目の前に広がるパノラマを楽しむことができるのです。

そんなカナディアンロッキーの目玉のひとつに、コロンビア氷原(Columbia Icefield)があります。バンフやルイーズ湖の集落から北に2、3時間向かって、バンフ国立公園がジャスパー国立公園に代わる境界線の近くです。幹線道路のアイスフィールズ・パークウェイ(93号線)からも見えているので、迷うことはまったくありません。
ここでは、まず駐車場にあるビジターセンターからシャトルバスに乗り、雪上車の停留所まで連れて行かれます。ここででっかい数十人乗りの雪上車に乗り換え、これでゴトゴトと急斜面を登って、氷原から流れ出すアサバスカ氷河(Athabasca Glacier)まで連れて行ってもらえます。
そうなんです、雪上車を降りて、氷河の上を歩けるのです!
 


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もちろん、氷河が固く安定した停車地のまわりを歩けるだけなのですが、それでも、氷河に足を踏み入れ、氷原を間近で仰ぎ見られるなんて、そんなに体験できることではありません。下界は摂氏20度と暖かいのに、氷河の上はたったの5度。寒がりのわたしは、4枚も重ね着をしておりました。
遠くに氷河を歩く隊列をいくつか見かけましたが、こちらはプロのガイドに付き添われたベテランのハイカーだそうです。氷河には底なしのクレバスがあちこちに隠れているので、ガイドがいないと歩けない規則になっているのです。「落ちたら最後、クレバスの中で人知れず凍てつくことになる」と、雪上車のドライバーはみんなを脅しておりました。
 


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コロンビア氷原は、いくつかの山頂をカバーするほどの大きな雪原なのですが、そこからアサバスカ氷河、隣のドーム氷河(Dome Glacier)と、8つの氷河となって四方に流れ出しているのです。
雪が30メートルほど積もると、雪の重みで底の部分が圧縮され氷になる。雪は圧縮されると空気が抜け、青白く光を反射するようになり、氷の固まりは1立方メートル当たり1トンの重みにもなる。この降雪と圧縮のプロセスを繰り返していると、そのうちに氷の層は氷河となって下へ流れ出す、そんなメカニズムなのです。
なんでも、アサバスカ氷河の氷は上から下まで150年もかかってゆったりと動くそうですが、氷原のてっぺんから数えると、実に500年の悠久のプロセスだそうです。
 


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けれども、そんな大きな氷雪の固まりも、時代の流れには勝てないようです。地球温暖化の影響か、氷河がどんどん後退しているのです。なんと1843年には、こちらの写真のカナダの国旗までは氷河があったそうです(左がアサバスカ氷河、右がドーム氷河)。
それから160余年の歳月が流れ、気が付いてみると、はるか遠くまで氷河は後退している。そして、氷河の下流には、溶け出した水が湖を成している。
そういったお話は、6年前に旅したスイスでも耳にいたしましたが、世界のあちらこちらで、「あと100年経ったら、ここの氷河はすっかり消滅してしまう」とも言われているようです。

今から1万年前まで続いた氷河期の更新世(Pleistocene)は、氷期と間氷期を繰り返し、気温の変化が激しい時代ではありましたが、それでも、10万年周期で平均気温が10度(摂氏)上下するほどの変化でした。そして、地上の生物にとっては、数千年のうちに数度変わるだけでも、急激な「壊滅的な」変化となるのです。

アサバスカ氷河に立ってみて、足下に広がる氷の固まりに愛着すら覚えたわけですが、そんな自然の偉大さとはかなさを感じるだけでも、カナディアンロッキーのドライブは、十分に価値のあるものかもしれませんね。

<湖>


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そもそも、どうして今回カナディアンロッキーを旅したかというと、かれこれ18年前に、スキーをしにこの辺りを訪れたことがあるからなのです。そのときは、バンフの街にある「バンフ・スプリングス・ホテル(Banff Springs Hotel)」に一週間滞在して、思う存分スキーを楽しみました。最終日にはあちらこちらをドライブして、有名なルイーズ湖(Lake Louise、レイクルイーズ)にも足を伸ばしたのでした。
もちろん、冬場なので辺りは雪に埋もれ馬ゾリが走ったりしているわけですが、ルイーズ湖には厚い氷が張って、ここでアイススケートができるようになっています。アイスリンクのまわりには、角の立派なエルク(大型の鹿)の氷の彫刻が施され、歓迎ムードに満ちています。
わたしは北の育ちではないので、自然の氷でスケートをするのは初めてだったのですが、これがなんとも難しい。氷を平にする「ザンボーニ(製氷車)」なんてあるわけがないので、表面がゴツゴツとしていて、スケート靴のブレードがひっかかるのです。滑るというよりも、まるでヨチヨチ歩きです。
あんなにヘタクソなスケートをしたのは、最初にスケートにトライした日以来だったのですが、そこで悔し紛れに思ったのでした。「ふん、氷のないときに、もう一度来るぞ!」
 


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まあ、ルイーズ湖というのは、その神秘的なエメラルド色の水から、「カナディアンロッキーの宝石」と称されるほどの美しい湖です。ですから、一度は氷のないときに訪れた方が良い場所であることは確かなのです。
そして、この神秘の湖レイクルイーズが、二度目の旅の宿泊地となりました。19世紀末から湖畔にたたずむ、「シャトー・レイクルイーズ(Chateau Lake Louise)」という老舗のホテルでした。

旅に出る前、お向かいさんがこんな話をしてくれました。「わたしの祖母の名はルイーズというのだけれど、それは曾祖父が付けた名前なの。生まれたばかりの祖母の目が真っ青で、まるでルイーズ湖のようだったから、ルイーズという名になったのよ」と。きっと愛娘に名付けるほどに、一度見た湖の色が忘れられなかったことでしょう。
そんなイメージがあったので、ルイーズ湖は青いのかと思っておりましたが、実際には、宝石のエメラルドに白を混ぜたような色なのです。ちょっと青みがかった緑とも言いましょうか。


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そして、ルイーズ湖という名は、輝かしいヴィクトリア朝を築いたイギリスのヴィクトリア女王の娘、ルイーズ・キャロライン・アルバータに由来するそうです。夫がカナダ総督に任命されたために、カナダに住み民にも好かれたそうですが、泊まった部屋の壁にも、ルイーズ王女の写真が2枚も掲げてありました。(ちなみに、ルイーズ王女は、アメリカが独立宣言をしたときの英国王、ジョージ3世のひ孫にあたります。)

それにしても、どうしてこんな湖の色になるのだろう? これは、旅に出かける前のわたしの最大の謎でした。
すると、その悩ましい謎は、コロンビア氷原の雪上車のドライバーが解き明かしてくれました。答えは、「石の粉(rock flour)」にあるのだよと。
なんでも、カナディアンロッキーの山々は、マグマから成る火成岩ではなくて、石灰岩(limestone)、砂岩(sandstone)、頁岩(けつがん、shale)といった堆積岩で形成されているそうです。これらの堆積岩は雨水や雪解け水で砕け易く、砕けて粉なった石が水に溶け出し、それが川となってどんどん湖に流れ込んでいるのです。


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とくに、貝殻や水生の生物の骨格が海底に堆積してできた石灰岩は、炭酸カルシウム(calcium carbonate)を主成分とするので、水に触れると崩れ易い性質を持っているようです。セメントの原料ともなり、粉末は乳白色。
そして、このような乳白色の石の粒子が、周辺の湖をハッとするほどに鮮やかなものとしているのですね。フワフワと水に浮かぶ粒子は、青や緑の光をよく反射するのだそうです。
こちらは、ルイーズ湖に近いエメラルド湖(Emerald Lake)ですが、その絵の具を溶かし込んだような鮮やかな色から、ルイーズ湖と同じくらい有名な湖となっています。近くの山のてっぺんからは、古生代カンブリア紀の珍しい海の生物が化石になって発見され、「バージェス頁岩(Burgess Shale)」という名で学術的にも有名になっています。
 


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こちらの写真は、ルイーズ湖の源流となる白い川です。夏場は雨が多いことと、近くの氷河の雪解け水が絶えず流れ込んでいることから、水かさも増していますし、かなりの白さとなっています。こんなに白い川は、アメリカのワシントン州(太平洋側)でも見たことがあるのですが、ワシントン州はカナダのお隣でもありますし、この一帯は成り立ちが似ているのでしょう。
有名なアリゾナ州のグランドキャニオンも、おもに堆積岩でできていて、これをコロラド川がせっせと浸食した造形なんだそうです。全体に赤っぽくて、火山の島々ハワイの真っ赤な泥を思い浮かべますけれど、赤い色は、岩に含まれる酸化鉄(iron oxide)の色だそうです。
それにしても、カナディアンロッキーの険しい山肌しかり、グランドキャニオンの落差のある谷間しかり、あんなものを造り出すなんて、自然の力にも驚きではあります。

そんなわけで、ようやく念願の夏のルイーズ湖を訪れ、その源流まで見せてもらったわけですが、この湖は、眺めているだけでも心が浄化されるような場所でしょうか。夏場は人が多いので、湖畔のボート乗り場やハイキングルートはごった返しの感もありますけれど、部屋のバルコニーから湖面を見下ろしていると、湖畔の喧噪はミュートボタンでかき消されたようだし、目の前の山やはるか向こうの氷河が覆いかぶさってくるような迫力もあります。


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そして、湖の色は、空模様や時刻、風の具合によって刻々と変化し、一日眺めていても飽きないほどです。凪いだ朝方は、エメラルドの輝きを青緑で封じ込めたような色。太陽が昇って暖かくなると、小さく波立つ湖面には、だんだんと明るさが増してくる。そして、日が向こうの山に沈み、湖面が再び鏡のように静かになれば、緑青(ろくしょう)はわずかに黒みを帯びていく。

湖の色は季節によっても変わると言われているようですが、「turquoise(青緑)」という言葉がいったいどんな形容詞で飾られるのかと、またふつふつと興味が湧いてくるのでした。

<鉄道>


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ルイーズ湖からアイスフィールズ・パークウェイ(93号線)を北に向かうと、「クロウフット」という名の氷河が左手に見えてきます。「クロウフット(Crowfoot)」、つまり「カラスの足」という名前ですが、これは、カラスの足のように鋭い爪の生えた鳥の足に似ているところからきています。
近年、氷河の融解が進んでいて、爪の部分が消えかかっているそうですが、それでも、道路沿いのボウ湖(Bow Lake)にかぶさる格好のカラスの足は、まだまだ迫力があるのです。

そして、この「クロウフット」という名は、先住部族のリーダーの名でもあります。ブラックフット(原語Siksiká)というアルバータ州南部を領土とする部族連合のリーダーでした。戦いのたびに傷を負いながらも、味方を何度も勝利に導いた勇敢な人物と伝えられています。
19世紀末、このクロウフットのもとに、ローマカトリックの伝道師アルバート・ランコムがやって来ました。ブラックフットの領土に鉄道を通して欲しいと、直談判に訪れたのです。

1881年、カナダの東側から大陸横断鉄道を敷こうと、カナダ太平洋鉄道(Canadian Pacific Railway、通称CPR)が設立されました。実際にオンタリオから西に向けて鉄道工事を始めてみると、いくつかの大きな障害が出てきました。そのうちのひとつが、先住民族の領土に線路を通すことでした。
この頃は、とくに西側のアルバータ州やブリティッシュコロンビア州には、まだまだ伝統的な生活を守る先住部族も多く、彼らの領土に足を踏み入れることは「ご法度」とも言えることでした。
そこで、懐柔策に駆り出されたのが、ランコム伝道師。彼は、ブラックフットのリーダーであるクロウフットと会談を重ね、説得にあたります。相手は、百戦錬磨の勇敢な戦士です。味方をあやつり、実力で工事を阻止することは可能なのです。
けれども、結局はクロウフットも時代の流れを悟り、自分の領土に鉄道を通すことに合意します。戦いというものを知っているだけに、無駄に血を流すことを嫌ったのかもしれません。その後、工事を阻止しようと実際に武力行使に出た周辺部族もありましたが、クロウフットは参戦をかたくなに拒否したそうです。
 


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そんなCPRの西に向けた大陸横断ではありましたが、1885年暮れには、早くも目的地である太平洋岸のブリティッシュコロンビア州まで到達するのです。
これによって、「1885年までには大陸を横断してやる!」というCPRの約束は守られたわけではありますが、工事には、多大な犠牲が伴いました。上述の先住部族の抵抗で血が流されたこともありますが、工事に駆り出された人夫たちの労働条件も過酷なものだったのです。
人夫の多くはヨーロッパからの貧しい移民でしたが、アメリカの大陸横断鉄道と同様、発破作業などの危険な仕事は、もっぱら中国人人夫の担当となっておりました。彼らは「クーリー(coolies)」と侮蔑の名で呼ばれ、食事代や宿泊費を雇い主に取られると、もともと安い賃金は手元にほとんど残らなかったと言われています。

一方、カナディアンロッキーの難所も人の前に大きく立ちはだかっておりました。最短距離を考えると、険しい谷間でも線路を通さなければならなかったのです。最大の難所となったのは、キッキングホース峠(Kicking Horse Pass、訳して「蹴り上げ馬の峠」)でした。
ここでは実際に鉄道が開通したあとも、事故が絶えませんでした。落差が激し過ぎるために、列車が安全に通れる線路の傾斜度ではなかったのです。
 


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そこで、1909年に完成させたのが、スパイラルトンネル(Spiral Tunnels、訳して「渦巻きのトンネル」)。端的に言うと、高低差の部分をまっすぐに行こうとしないで、ぐるぐるとトンネルで遠巻きにしながらクリアしましょうよ、というコンセプトなのです。
こちらは、実際に列車がやって来たところです。ちょっと見にくいですが、写真の下方、左から右に向かって列車が進んでいて、はるか向こうの先頭部分(写真中央部)は、山腹で口を開けるトンネルにまさに突入しようとしています。


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そして、このトンネルに入った列車がどこから出てくるかというと、右巻きにグルッと回転したあと、線路の下にぽっかりと開いたトンネルの出口から出てくるのです。多分、トンネルの中はかなりの下り坂になっているのでしょうが、それでも、直接勾配を突っ切ろうとするよりもずいぶんと緩やかな傾斜のはずです。
こちらの見晴し台からは、長い貨物列車がトンネルから出て来るときに、最後尾はようやくトンネルの中に消えて行く、という珍しい光景を眺められるのです。場所は、ルイーズ湖からエメラルド湖に向かう1号線の途中、下り坂の右手にあります(列車が通る時間になったら自然と人が群がってくるので、見落とすことはありません)。
 


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もともとCPRの大陸横断鉄道は、東と西を結ぶ大事な産業連絡路ではありましたが、カナディアンロッキーの周辺には、バンフやルイーズ湖という風光明媚な地も点在しています。これらの名所にヨーロッパや東海岸から金持ちを呼んで一大観光地としよう、そんな意図もあったようです(こちらの写真は、昔懐かしいバンフ駅)。
「景色を運び出せないなら、旅行者を運び込め!(Since we can’t export the scenery, we’ll import the tourists)」というのが当時の鉄道関係者の合言葉だったようですが、そうやって19世紀末には、バンフ・スプリングス・ホテルやシャトー・レイクルイーズという名だたるホテルが築かれたのでした。

今は、列車に乗らなくとも、金持ちでなくとも、誰もが気楽に行ける便利な時代となりました。

後記: 山があって、氷河があって、湖があって、どことなくスイスを彷彿とさせるカナディアンロッキーの風景ではありますが、「スイスよりも大きいかな」というのが個人的な印象でした。もしかしたら、この規模と美しさからいくと、世界でも屈指の景色かもしれない、とも感じたのでした。まあ、最終的には、個人の好みの問題ではありますが。

それにしても、思ったよりも日本人観光客が少ないのにはがっかりしてしまいました。アジア系観光客となると中国人と韓国人が多く、何人か日本人を見かけたのは、ルイーズ湖のまわりとコロンビア氷原だけでした。
もしかすると、今どきの日本では、カナダなんて流行らないのかもしれませんね。今は「象の背中に揺られてジャングル探検」とエキゾチックなものが受けるのかもしれませんが、もっとカナダの自然を見直そうよ!と、ちょっと不満が残ったのでした。

高山病にかかり易いわたしは、標高1600メートルの宿泊地はギリギリの線でしたが、酸素が足りない脳細胞は、深い思索をすっかりあきらめ、ボ〜ッと過ごそうよと決め込んでいたようです。「大きいなあ」「きれいだなあ」「すごいなあ」ばかりを繰り返しておりました。
旅から戻ると、今度は「楽しかったなあ」を連呼していたのですが、そこまで子供のような反応をするということは、よほど楽しかったということなのでしょう。
 


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そういえば、近年アメリカでは、「take it easy(ゆっくりやろうよ)」という言葉を耳にしなくなったような気がいたします。とくに昨年の金融危機以来、労働人口が減っているわりに生産性は上がり続けているそうなので、労働者はギリギリと締め付けられて「ゆとり」がなくなったということでしょう。
たまには、ゆっくりやってもバチは当たらないでしょうに。

というわけで、日本からはちょっと遠いですが、機会がありましたらカナディアンロッキーへぜひどうぞ。大きな自然を「体感」できることでしょう。

夏来 潤(なつき じゅん)



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