Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2014年04月26日

新しい季節: スーパーグローバルって?

Vol. 177

新しい季節: スーパーグローバルって?

 


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4月。日本では新入生や新社会人と、新たなスタートを切った方もたくさんいらっしゃることでしょう。

シリコンバレー界隈でも、メジャーリーグ野球の開幕ホームゲームが開かれたり、フットボールのサンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)の新スタジアムが完成間近だったり(写真)と、新しいものが目につく季節となりました。

というわけで、「新しい」がキーワードの今月は、学びの場・学校にまつわる雑談を二ついたしましょうか。

<大海原の先は・・・>
世の中って、つくづく不思議なところだと思うんです。

たとえば、子供の頃は、自分の生活の場は「学校」という小さな空間に閉じ込められていて、学校が世界のすべてみたいなところがありますよね。

けれども、長じて「社会」という晴れ舞台に出てみると、学校でどんな成績だったかとか、どれだけ品行方正だったかとか、そんなことはほとんど関係がないではありませんか。

先日、昔の友たちと会する機会があったのですが、それぞれが社会の要職に就かれている様子で、少なからず驚くとともに、鼻が高い気分にもなったのでした。

その場には「病院の事務責任者」「会社の人事部長」「商売をしながら3人の息子を育てあげた肝っ玉母さん」と、いろんな経歴の方が集(つど)いましたが、仲間内には「会社経営者」「銀行の重役」「県警本部の人間」と、それぞれが散らばった先で、立派な肩書きを持たれているようでした。

中でも病院と県警本部は、「へ〜、あいつがねぇ」とまわりが感心するような華麗な変身を遂げていて、とくに捜査二課の知能犯担当刑事あがりの県警くんは、「学校の頃からは想像できない!」と、みんなに賛辞を贈られているようではあります。

ある日、県警くんが学校のまわりで張り込みをしていたのですが、彼を教えたことのある社会科の先生が嬉しそうに話しかけてきて、ひどく困ったことがありました。先生は、そこの教頭に出世していて、ただただ懐かしくて話しかけてきたのですが、それだと目立って張り込みがおじゃんになる! なんてことには、まったく頭がまわらなかったみたいです。
 


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ま、そんなわけですので、ひとたび学校を出て、大海原に漕ぎ出し、新大陸に着岸したあと、そこでどう成長していくかは、そのときのお楽しみ。

人はそれぞれ、子供の頃にかくれんぼをした裏山や、あめ玉を失敬して大目玉を食らった商店街、ボランティアのゴミ拾いをした人気(ひとけ)のない海辺と、いろんな風景を心に抱いているでしょう。それが10年、20年、30年たったら、思いもよらない展開を見せることもあるのです。

そう、それが人の幅とでも言いましょうか。

人は、いかようにも化けられる生き物です。もちろん、化けるには、それなりの技と忍耐が必要ですが、もしも狐と狸と人間が「化かし合い」をやったら、優勝するのは、きっと人間なんでしょう。

というわけで、お次は、ちょっとだけ真面目なお話をいたしましょう。

<スーパーグローバルって、なに?>
世に「スーパーグローバル」という言葉があるそうな。

日本人の大好きな「グローバル」に「スーパー」が付いて「とってもグローバル」の意と察するのですが、スーパーグローバルハイスクール、スーパーグローバル大学と、学校に使う言葉だそうです。

近年、文部科学省が推進する概念(ゆえに教育現場に国費を投入する行政事業のひとつ)ですが、最初に耳にして思ったのが「その言葉の定義は何?」でした。

文科省の『スーパーグローバル大学等事業』の中では、「世界の大学ランキング・トップ100を目指せる大学(トップ型)」または「日本社会のグローバル化を牽引する大学(グローバル化牽引型)」と定義付けされていて、申請のあった国公私立大学の中から、それぞれ10校、20校を選定し補助金を出すことになっています。

が、もしかすると、当のお役人にも言葉の真に目指すところは理解できていないのかもしれません。

ですから、実社会で経験豊かな方々が、それぞれの立場から助言すべき事柄だと思うのですが、たとえば、テクノロジー業界の観点から技術系大学の現場にこんな提案をした方がいらっしゃいます。

今は、社会人や学生という隔たりもなく、優秀なモバイルアプリをつくれば誰でも世に出せる時代になっている。
だから、たとえば自由研究室をつくって、学生に目新しいガジェットで遊ばせたり、業界から先輩を招いて話をしてもらったりと、アイディアと刺激の場としてみる。そこでアプリコンテストを開いて、その中から芽が出そうなものを選び、彼らにシリコンバレーのベンチャーキャピタリスト(VC)に話をさせて、創業資金を募るチャレンジを与えてみたら?

なにも無理して英語でプレゼンする必要はない。なぜなら、シリコンバレーにも日本人のVCはいるので、日本語で話ができる。ここで大事なことは、英語を使ってピッチするというような表面的なことではなく、自分のアイディアをビジネスに展開していく実質的なチャレンジをさせること。
 


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VCと話をすれば、今まで自分の環境では見えなかったものが見えてくる。とくにシリコンバレーのVCとなると、日々世界中からやって来た起業家と接しているので、VCを通して世界が見えてくる。それは、十分に「グローバル」なことと言えるだろう。

ここで学校に戻り、VCから吸収したものを反芻したり、仲間と共有したり、次のアイディアに取り入れたりするわけだが、そのような吸収と伝播のプロセスを何回か繰り返していくうちに、新しいことを考える素地・環境が学内に培われていくのではないだろうか。

もちろん、一年や二年で成し遂げられる構想ではないが、手始めに「シリコンバレーに行ってVCにビジネスプランを提示する」ことをメジャーメント(達成評価基準)として文科省に申請書を出してみたら? と。

これを提案されたのは、こちらの『シリコンバレーナウ』のスポンサーでもあるKii株式会社・代表取締役会長 荒井 真成氏ですが、この話を聞いて、なるほど素晴らしい教育現場へのアドバイスだと思ったのでした。

以前も2012年3月号で書いたことがありますが、「グローバル化」というのは、決して「英語教育」というような表層ではないと、わたし自身は信じています。
ですから、グローバルな社会人になりたいと願うのだったら、仕事の感覚を養う方が先決だという持論を展開させていただきました。なぜなら、英語や日本語という言葉はコミュニケーションの手段のひとつであって、コミュニケーションの中身ではないからです。

コミュニケーションの手段というのは、なにも言葉ばかりではありません。たとえばパン屋さんなら、湿気の多い日本でパリッとした欧風パンを焼き上げるために、材料の配分だとか、焼き加減だとか、素人にはわからないコツが「言葉」となるでしょう。
自然科学者なら数式だったり、エンジニアならプログラムのコードだったり、ブラジルのカポエイラの格闘家なら蹴りや回転の技だったり、そんなものが「言葉」に代わってコミュニケーションの媒体となるでしょう。

だったら、肝心のコミュニケーションの「中身」は何だろう? と考えると、それは「相手に伝えたいもの」だと思うのです。
先述の大学現場へのアドバイスでは、「どうやって僕の(わたしの)モバイルアプリを世界に広げるか」という学生自身のプランが、相手(VC)に伝えたい中身。伝える媒体は母国語の日本語でもいいから、どうしても相手に聞いてもらいたい自分自身のプランです。

相手に伝えたいものは、自分の感覚や経験や熟考から生まれてくるものであって、決して一朝一夕に生まれるものではないし、人から教わるものでもないし、自分にしか伝えられないものだと思うのです。もちろん、それが「最適」「最善」のものである保証などありません。
けれども、自分にしか伝えられないから、普遍性があり、世界に出て行っても通用する、といった感じ。
 


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そんなわけで、個人的には「伝えたいものを持っている」のが「グローバル化」だと思っているんです。

どこに住んでいようと、とくにお金をかけなくても、「スーパーグローバル」とスローガンを掲げなくても、心の持ちようで誰にでもできるのがグローバル! と信じているのですが、いかがでしょうか?

夏来 潤(なつき じゅん)

写真の説明: 冒頭の航空写真は、シリコンバレー・サンタクララ市に建設中のフットボールチーム・サンフランシスコ49ersの新スタジアム。8月2日のプロサッカーの試合が「こけら落とし」となります。

第2話の航空写真2枚は、最初がベンチャーキャピタリストの多いパロアルト市周辺を南西から眺めたところ。手前には私立スタンフォード大学、奥のダンバートン橋のたもと(左側、橋と海の間)にはフェイスブック(Facebook)のキャンパスが見えています。
2枚目は、モバイル分野の起業が盛んなサンフランシスコ市を西から眺めたところ。ちょうど写真の右端が市の境界線で、2つの橋は、ゴールデンゲート橋(左)とベイブリッジ(中央)です。



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