Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2007年11月30日

連載100回記念!

Vol.100

連載100回記念!


そうなんです、この「シリコンバレー・ナウ」のコーナーも、今月で連載100回を迎えます!

2000年12月から始まった連載も、はや7年。毎月、毎月、よくもまぁ続いたものですことと、自分でも感心しております。「継続は力なり」と言いますけれど、まさに続けることに意義がある、といった感じでしょうか。
その一方で、これだけ続けると、一回でもお休みすることが恐くもありますね。中身はどうであれ、一回穴をあけると自分が負け、みたいな責任感が湧いてくるのです。

途中、ちょっと辛いなぁということもありました。何といっても、2001年9月の同時多発テロは、遠く離れた出来事であったにしても精神的に辛いものでした。その翌月は、自分自身が全身麻酔の手術を受けなくてはならず、ちょっとした不安を抱えてもいました。幸い、手術の方は腹腔鏡で終わったので、術後2時間で病院を追い出されましたが。

そう、アメリカの手術は、8割が外来手術なのです!盲腸の手術でも、入院することはごく稀です。わたしは、その前年に開腹手術を受けたのですが、そのときは術後熱を出したので、さすがに3泊させていただきました。が、こういうのは例外かもしれません。しかも、器官を摘出しているのに、術後24時間キッカリに歩けと言うのです。「きみたちは悪魔か!」と思いながら、泣く泣くベッドを降りて歩いておりました。
まあ、アメリカの病院はスパルタ方式ではありますが、わたしのような人間でも問題なく快復するということは、少しくらいスパルタでもいいのかもしれませんね。

おっと、いきなり話が大きく逸れてしまいましたが、そうそう、100回記念。べつに100回だからといって特別な内容ではありません。最近感じていることを、あれこれと並べてみようかと思います。

ところで、すでにご承知のことではありますが、11月初め、この「シリコンバレー・ナウ」の連載をしていただいている、インテリシンク株式会社のウェブサイトが一新いたしました。それに伴い、このコーナーのURLが「blog(ブログ)」となってしまっているのですが、あえて言わせていただくならば、これは「ブログ」のコーナーではありません。
申し上げるまでもなく、「ブログ」というのは「ウェブ・ログ(Web log)」の略でして、まあ、ネット上の日記のようなものですね。日々起こった事を、覚書程度に記しておくというようなもの。それに対し、このコーナーは、どちらかというと「コラム」と呼ぶべきものでしょうか。世の中で起こった事を、事実に即しておもしろおかしく解説する場所。

ま、名前はどうであれ、読んでくださる方が楽しんでいただけるのであれば、それは筆者冥利に尽きるというものです。

次の100回に向けて、これから再スタートです!


<ワインカントリーのすすめ>
日本では、大きな話題でしたね。あの「ミシュランガイド東京2008」! なんでも、全体の星の数では、パリを大きく凌いでいるとか。さすがは、天下の東京。シェフの方々もすごいし、それを育てる消費者の方々の力(舌)もすごいです。

その東京と同時に初出版となったのが、ロスアンジェルスとラスヴェガス。ロスアンジェルスなんて、三ツ星はゼロだったそうで、ちょっと物足りない気もいたします。ハリウッドのセレブたちが足繁く通うレストランなんて、しょせん名前だけなのでしょうか?

 


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ご存じでしょうか。そのロスアンジェルスに比べ、北カリフォルニアは、まったく状況が異なります。ミシュランガイドは何年か前から発行されていて、2008年版は10月下旬に発売となりました。もちろん、東京ほど大都会ではないので、三ツ星がたくさんあるわけではありません。それどころか、三ツ星はひとつしかありません。それでも、全体の星の数は42に上っています。ニューヨークにもそんなに引けを取らないでしょ。

この「ミシュラン・サンフランシスコ版」を支えているのが、ワインカントリー。つまり、ナパ(Napa)やソノマ(Sonoma)といったワインの名所です。やはり、おいしいワインと手と手を携えるのは、おいしい食事。そんなわけで、腕利きのシェフたちが、ワインの産地にどんどん集まるようになりました。北カリフォルニアのミシュランガイドも、正式には「ミシュラン・サンフランシスコ・ベイエリア&ワインカントリー」といいます。

サンフランシスコ版唯一の三ツ星レストラン「フレンチ・ランドリー(French Laundry)」も、このワインカントリーの一画、ナパのヨーントヴィル(Yountville)にあります。アメリカ屈指のフレンチの巨匠、トーマス・ケラー氏のレストランで、そのこぢんまりとしたお店は、100年ほど前に建てられた洗濯屋さん(ランドリー)の建物を改造しています。
メニューはおまかせコースだそうですが、その天才シェフの作品を味わってみたいと思っても、なかなか予約は取れません。2ヶ月前に予約受付開始となりますが、電話はまず繋がらない。そして、ようやく通じたと思った正午には、リストはもう満杯。そんなわけで、わたし自身も試したことがなければ、友達も誰一人として試した人はありません。
当のミシュランガイドによると、「シェフのおまかせ9品コースは、まるで俳句であるかのごとく、心をこめて構成されている」と評されているのです。
ケラー氏は、このフレンチ・ランドリーだけではなく、「ブーション(Bouchon)」という一ツ星のビストロも、同じくヨーントヴィルの地に持っています。それから、数年前ニューヨークに開いた「パー・セー(Per Se)」は、堂々たる三ツ星レストランだそうです。ちなみに、ラスヴェガスにあるブーションの姉妹店(ヴェネチアン・ホテル内)は、2008年の初年度版では星を逃したとか。

実は、ケラー氏のレストランだけではなく、サンフランシスコ版で星の付いたレストランの3分の1(11店舗)は、ワインカントリーにあるのです。ヨーントヴィルにルーサーフォード(Rutherford)、セント・ヘリーナ(St. Helena)にヘルズバーグ(Healdsburg)。ミシュランガイドに載っているレストランを探しながら、ナパからソノマへと、ワインカントリーを南から北へドライブするのもなかなか楽しいかもしれません。
世界でもトップクラスと誉れの高い料理学校、Culinary Institute of Americaも、ナパのセント・ヘリーナに校舎を持ちます。ここに併設されるレストランは、生徒さんの作る料理とはいえ、かなりおいしいと聞きます(このCIAは、料理専門学校ではありますが、学士号と準学士号が取得できます。ニューヨーク州ハイドパークに本校があり、テキサス州サンアントニオに姉妹校もあるそうです)。

ランチはCIA併設のレストランか、ちょっと軽めにワイナリーのピクニックエリアで。そして、ディナーは本格的に星の付いたレストランで。ワインテイスティングの合間に、そんな行程も乙なものかもしれませんね。

一方、シリコンバレーにも、星の付いたレストランはあるのです。ロスガトスの「マンリーサ(Manresa)」と、マウンテンヴューの「Chez TJ」。ふたつともニツ星です。残念ながら、わたし自身はどちらも試したことがありませんが、Chez TJのシェフ、クリストファー・コストウ氏は、昨年よりも星がひとつ増えたと大喜び。前々から評判の高かったレストランではありますが、その努力が報われたようです。
でも、星がひとつ増えた分、それを保持するのは並大抵のことではありません。きっとコストウ氏も、肩にずしりと「責任」という重荷を感じていることでしょう。

次回、カリフォルニアにお出での際は、シリコンバレーやワインカントリーの有名店にも、ぜひお越しください。日本のレストランと比べてみるのもおもしろいかもしれません。
ちなみに、わたし自身が経験した星付きのレストランは、サンフランシスコのフレンチ「アクア(Aqua)」と、サウサリートの「すし蘭」です。両方ともおすすめであることは確かです。

それにしても、この「ミシュラン・サンフランシスコ版」を見つけるのに、ちょっと苦労いたしました。もちろん、ネットで買えばすぐなのですが、ちょっと観察してみようと、わざわざ本屋さんに出かけたのでした。きっと入り口近くのテーブルに山のように積んであるのだろうと思えば、期待に反し、「トラベル(旅行)」のセクションに、カリフォルニアやベイエリア関連の本と一緒に積まれておりました。

ふ~ん、棚の目立つところに置かれている「ザガット・サンフランシスコ版」と比べて、やはりフランスのミシュランガイドは冷遇されているのでしょうか。

ひとりごと:先月、友達の板前さんから、銀座の懐石料理のお店に移ったよとお知らせを頂いたのでした。じゃあ、今度食べに行くからねぇと軽く返事をしていたのですが、あとでびっくり。なんと、三ツ星ではありませんか! きっともう予約なんて取れないのでしょうね。


<歌舞伎のすすめ>
10月下旬から11月上旬にかけて日本に戻っていたのですが、そのとき、生まれて初めて経験したことがふたつあるのです。ひとつは歌舞伎見物。そして、もうひとつは芸者遊び。

いやはや、双方とも、外国人が日本と聞いてまず頭に描くような、日本文化を代表する「お遊び」ではありますが、意外と日本に住んでいると経験しないものですよね。そこで、古来の日本人の楽しみとはどんなものかと、体験するに至ったわけです。

 


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歌舞伎見物は、銀座一丁目の歌舞伎座にて。宿泊するホテルのお陰で、普段は手に入り難い東の桟敷席での観劇となりました。桟敷席とは、劇場の両脇に一段高く設けてある特等席で、なんでも、西は花道にあまりに近いので、東の方が観やすいとされているんだとか。
とくに、舞台からふたつ目という囲いだったので、それはそれは、良く観えるし、良く聞こえる。すぐ脇に拍子木を打つ人が控えていて、慣れないと耳が痛いくらい。いえ、あの「始まり、始まり?」というやつではなくて、舞台の進行に合わせて、効果音を出すのです。頃合を見計らって、ここぞとばかりに体いっぱい拍子木を床で打ち鳴らす。
拍子木ばかりではありません。三味線と唄も、汗を散らさんばかりの激しい動きを伴い、なんとも表情豊かです。三味線の音や、笛や太鼓の鳴物入りの長唄が、あんなに感情の起伏に富んだものとは、こればっかりは本物を観てみるまではわかりません。

もちろん、「顔見世大歌舞伎」と銘打たれた演目の数々は、あらあの人も、この人も知っているというきらびやかな配役で、これはちょっと贅沢過ぎかと思うほど、満足のいくものでした。
「宮島のだんまり」、「仮名手本忠臣蔵・九段目山科閑居」、「土蜘(つちぐも)」、「三人吉三巴白浪(さんにんきちさ・ともえのしろなみ)」と、いずれも歌舞伎の演目としては、素人にも楽しめるものでした。
「三人吉三」は、「こいつぁ春から縁起がいいわ」と、女装の盗人・お嬢吉三の名せりふでお馴染みになっていますね。
土蛛の精が、まるでスパイダーマンみたいにバンバン蜘蛛の糸を出す「土蜘」では、端役で舞台に登場した片岡仁左衛門(片岡孝夫)と、バチッと目が合ってしまいました。と感じたほど、舞台に近かったのです。

「仮名手本忠臣蔵」は、ご存じ大石内蔵助(劇中では、大星由良之助)のあだ討ちのお話ですが、この九段目は、内蔵助の息子に嫁ぐ娘と養母の愛情物語に仕上がっています。
訳あって、内蔵助の妻にどうしても嫁入りを認められない娘。それを不憫に思った母は、策の限りを尽くすのですが、いっそのこと娘を手にかけ自分も死のうと刀を抜きます。「鳥類でさえ子を思うのに、科(とが)もない子を手にかけるとは・・・」と泣き崩れる母の姿は、クライマックスシーンでもあります(その後、娘はめでたく嫁入りを認められ、あだ討ちの前夜、一夜限りの契りを交わすことができました)。

母役の中村芝翫(なかむら・しかん)の老成した演技もさることながら、娘役の尾上菊之助の美しいこと! 歌舞伎の女形とは、あんなに妖艶なものなのですね。この菊之助さん、見目麗(みめうるわ)しいし、声はよく通る。きっとこれからいい役者さんになりますよ。
あまりに夢中になって観ていたので、この演目が終わる頃には、目と鼻は真っ赤。オペラでもそうなんですが、観ている側の感情移入が激しいと、劇場の照明が明るくなったときに、とっても恥ずかしいですよね。

とにもかくにも、日本人たるもの、一度は歌舞伎見物を経験しなくてはなりませんよ。


<芸者遊びのすすめ>
おっと、そうきたか!という感じですが、芸者遊びのおもしろいこと、おもしろいこと。

みなさま、「芸者遊び」と聞いて、芸妓をはべらせ酒を酌み交わしたり、お遊びで着物を脱がせたりと、いろいろと想像を膨らませていることでしょう。ところが、そんな期待に反し、「芸者遊びとはインテリジェントな遊び」と、わたしには意外な印象が残ったのです。

場所は、東京は神楽坂(かぐらざか)。表通りからトントンと坂を下った料理屋さん。こぢんまりとした座敷に通され、乾杯が終わって一の膳に舌鼓を打った頃に、「失礼します」とお姉さま方が襖を開けます。


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ひとりは落ち着いた身なりの黒の訪問着。そして、もうひとりの若い女性は、これぞ芸妓さんという白塗りのお顔に島田髷(しまだまげ)。この若い芸妓さんが、ちょこんと隣に座って、甲斐甲斐しくお酌をしてくれるのです。

そのうち、ベテランのお姉さんが、お遊びを始めます。ほんとは、隣の座敷を使って踊りを披露したいところだけどと言いながら、取り出したのは小ぶりの灰皿。いえ、タバコは誰も吸いません。これをテーブルの上に伏せて、ふたりでゲームをするのです。「金比羅船々、追風に帆かけてシュラシュシュシュ」という歌がありますよね。これに合わせて、ふたりで勝負をするのです。
まず、歌のリズムに合わせて、ひとりずつ交互に灰皿の上に手を置いていきます。最初は「パー」の形で。そして、相手が灰皿を取り去ると、「グー」の形で。取り去った灰皿は、またすぐに戻されるのですが、そのときは「パー」を出さなくてはなりません。たまに、連続して灰皿がなくなるので、そういうときは、続けて「グー」。出し間違えると、その場で負けです。
聞いているだけじゃ「なあんだ」という感じですが、やってみると意外とこれが難しい。相手の意地悪に気を取られるだけじゃなくて、こちらも意地悪を仕返さなくてはなりません。わたしはこれが苦手でした。

これはほんの一例で、お姉さま方のお遊びは、歌に合わせた手と指の遊びが多いのです。たとえば、「ちゃ茶壷、茶壷。茶壷にゃ蓋がない。底をとって蓋にしろ」のような昔から伝わる童謡に合わせて、指をこう掛け合わせ、最後に手の平をこう動かすみたいな、頭の体操もどきの複雑怪奇な技が生きているのです。

 


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 さて、神楽坂のお姉さん、お次は、マッチ箱を取り出したかと思えば、外箱を打楽器のように指ではじき、サンバのリズムに合わせて「寛一お宮」の物語を替え歌で披露する。マッチ箱も太鼓のようなら、お姉さんの美声もマイクを通したようによく響くこと。
歌が終わると、今度は手ぬぐいを取り出し、器用に「奴さん」を折り始める。この手ぬぐいは噺家さんの手ぬぐいで梅の花が付いているから、こうやって折ると、きれいに花柄が出るでしょと、ちょっとした工夫も忘れません。

マッチや手ぬぐい、盃なんかの小道具も、大事な脇役と早変わりです。こちらの写真は、金沢の花街で使われていたお遊び用の盃を模した、吉祥絵の盃セットです。サイコロを振って図柄が出ると、その絵の盃を持つ人が、お酒をクイッ。「宇多」という目が出てくると、歌や踊りを披露しなければなりません。今どきの一気飲みとは違って、お酒はクイッとやるものですね。 


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そりゃまあ、お酒の席ですから、男女の話にもなるでしょう。お姉さんが披露した歌の中にも、こんなものがありました。「あら痛いわ、血が出たわ。抜いてちょうだいバラのとげ」。初めの句で何やら想像するところを、次の句で見事に打ち破っているわけですね。
そんなきわどいところを歌に込めながら、お姉さん方は代々芸を受け継いできたわけですが、芸妓さんに惚れ込んだ老舗の若旦那が店を放り出すなんて話は、実際にもあったようですね。お姉さんも聞いたことがあると、そんな話をしていました。けれども、この手のお話は普通の職場でもあり得るわけで、現世に男と女がいる限り、どこにでも転がっているような話でしょう。
ましてや、今や芸妓さんも全国から集まる職業婦人。お稽古事に精進し、歌や踊りやエチケットを身に付けた、酒の席のプロフェッショナル。「どうも花柳界を誤解している人が多いみたい」と、お姉さんも嘆いていらっしゃいましたよ。とくに映画の影響なんかもあって、遊郭と間違っている人も多いのだと。

 


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このベテランのお姉さんは、お母さんも芸妓という、生粋の神楽坂の人。神楽坂からは出たことがないというほどの、純粋培養。そして、料理屋さんの女将さんはといえば、この方も神楽坂育ちの元芸妓さん。その縁あって、普通は料亭でしか呼べない芸妓さんを、ここにも呼ぶことができるのだとか。
女将さんも二代続けて花柳に生きる人で、お父さんは「太鼓持」でした。今では、太鼓持の男衆は、東京では浅草に数人いる程度だそうです。そして、昔は三味線や鳴物は生演奏だったのに、今は神楽坂ですら録音テープなんだとか。
今の世の中、一見さんでも芸者遊びができるのは嬉しいけれど、なんとなく時代の流れを感じますね。

とにもかくにも、日本人たるもの、一度は粋な芸者遊びを経験しなくてはなりません。


夏来 潤(なつき じゅん)

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