Hold the onions (玉ねぎはいらないよ)

この「英語ひとくちメモ」シリーズの最初の頃、こんなことを書きました。

もしサンドイッチに入れて欲しくない材料があったら、どうしましょうと。

(2006年2月6日付けの「Paper or plastic?(どっちがいい?)」で、サンドイッチを買う場面のお話をしています。)


先日、日本に戻っていたとき、テレビでちょうど同じような話題をやっていました。レストランで、嫌いな野菜を入れて欲しくないとき、何と言いますか?と。

この番組では、こう教えていました。

Hold the onions, please.

最初の hold という動詞には、それこそいろんな意味がありますが、「(塩など)を控える」とか「(嫌いな材料)を入れない」という意味もあるのですね。

だから、hold the onions で、「玉ねぎを入れるな」という意味になります。

人参を入れて欲しくないときは、こう言えばいいのですね。

Hold the carrots, please.

(ちょっと気になった方もいらっしゃるでしょうが、onionscarrots の前に定冠詞の the がついているのは、「すべての玉ねぎ」という総称の意味合いを持たせるためなのでしょうね。でも、the を入れなくても結構だと思います。ただ、hold のあとに the が入っていないと、リズムに乗りにくく、とっても言い辛いですけどね。)


ちなみに、この hold という動詞 には、「~をつかむ」とか、「(物や役職を)保有する」とか、「(重さに)耐える」とか、いろんな意味があるので、とっても便利な単語ではありますね。たとえば、

Hold on to it!

(それを)しっかりつかんで、はなさないようにね!

Hold it!

そのままの状態でいろ、つまり、じっとしてろ!


ところで、この Hold the onions, please という表現を耳にしたとき、とっさにこう思ったのでした。自分ではこうは言わないかなって。

最後に please というお願いの言葉を付けているわりに、わたしには、唐突な命令口調に聞こえるのです。きっと、その辺の(いばった)おじさんだったら、よく使う表現なのかもしれませんが。

勿論、場所にもよりますよね。サンドイッチ・スタンドみたいなカジュアルな場所だったら、別に問題はないと思いますが、ちゃんとしたレストランだったら、ちょっとくだけ過ぎにも感じます。

たとえば、サンドイッチ・スタンドだったら、以前書いたように、こんな簡単な表現もありますね。

Do you want everything on it?(材料は全部入れて欲しい?)と聞かれたら、

Everything but onions(玉ねぎを除いたすべて)

または

Everything except for onions


でも、もしレストランだったら?

わたしだったら、回りくどく、こう言うかもしれません。

I don’t care for onions that much, so would you hold the onions?

わたしはあんまり玉ねぎが得意じゃないので、玉ねぎを抜いてくださる?
care for という動詞は、「~を好む」という意味ですね)

いえ、基本的には、hold the onions で結構なんです。でも、ちょっと言い方を変えたいかなと・・・


まあ、ごちゃごちゃと説明させていただきましたが、要するに、日本語と比べて言い回しが単純な英語にしても、使い手や場面によって、いろいろと表現が異なるということを申し上げたかったのです。

たとえば、屈強なトラック野郎みたいな男性が使う言葉と、ティータイムを優雅に楽しむようなマダムが使う言葉とは、非常に違ってくるのです。

Would you like another cup of tea?(もう一杯お紅茶いかが?)

というのと、

Have some more.(もうちょっと飲めよ)

というのでは、だいぶ響きが違いますよね。

日本語には、丁寧語、謙譲語、尊敬語と、難しい「しきたり」がありますが、英語にしたって、ちょっとしたしきたり(言い方)ってものがあるのですね。

とくに、レディーの場合は、言葉にちょっとしたフリルの飾りをつけてみたりするのです。

でも、慣れるまでは、気取らず、シンプルにどうぞ。

Hold the onions, please.

あ~、日本に戻りたい!

3週間近くの東京滞在を終え、カリフォルニアに戻ってまいりました。

戻ってみると、日本の寒さはどこへやら。

こちらは、もう春を飛び越え、一気に初夏の雰囲気です。

日差しは強いし、あたりは燃えるような緑。日本で言うと、ちょうど5月くらいの陽気でしょうか。

我が家の八重桜も、まるで、わたしたちが帰るのを待っていたかのように、ひとつふたつと、花を開かせます。


そんなカリフォルニアに戻って来ると、いつも思うことがあるのです。

なんにもおいしくない!牛乳が水っぽい、コーヒーに香りがない、野菜に季節感がない。なんだか、いつも工場で作られたような、画一的なお味。

ああ、日本の桜海老が食べたい。

春キャベツが食べたい。

竹の子の煮物が食べたい!

まあ、唯一ちょっとはおいしいかなって思えるのは、いちごでしょうか。

ロングステムの立派ないちごが、甘味と酸味を兼ね備え、自然の木の実といったお味です。


と、いろいろと口にするものを並べてみましたが、日本が恋しくなるのは、何も食べ物ばかりではありません。

生活の安心が欲しいのです。いえ、治安の話ではありません。家のお話です。

そう、アメリカの家は、壊れ易いのです。

以前も、「とかくアメリカは住み難い」と題して、家にオフィス棚を作ってもらう苦労話をいたしました。が、今回は、壊れたのです。


ちょっと汚い話で申し訳ないのですが、洗濯をしていると、脱水された水が、隣のトイレから逆流してきたのです!

今の家に引っ越して来て、ちょうど10年。半年ほど前も、まったく同じ状況に陥りましたが、幸い、すぐに逆流は治まり、あとは、カーペットの大掃除くらいで済みました。ところが、今回は、勢いが違う!

結局、水道管屋さん(plumber)を呼び、原因追求してみると、下水管(sewer)がかなり詰まっていたのです。まあ、10年の生活が蓄積したのでしょうが、我が家は、たびたび留守にする。それもいけなかったようですね。

さらに、水道管屋さんが、下水管の診断を勧めるので、胃カメラのお化けみたいなものをずんずん通してみると、家の前庭の方で、下水管にズレ(offset)が生じているとのこと。

ズレが生じると、これは危ない。木の根っこが下水管に食い込んで、いずれは、下水管をふさいでしまうだろうと!実際、モニターで観てみると、すでに木の根っこがグイッと侵食しているのです、10年の間に・・・水を求めて・・・


おっと、この話、どこかで聞いたことがある!

市内に住むお友達が、まったく同じことを言っていたのです。前庭にとっても大きな木があって、根っこが半ば下水管をふさいでいる。だから、定期的に、下水管のお掃除をしてもらわないといけないって。

で、どうして、そもそも、下水管にズレが生じるのでしょう?なんでも、地震によって、地面が動くからだとか。カリフォルニアは、地震大国ですからね。

でも、それなら、同じく地震大国の日本では、どうなのでしょう?下水管がズレて、木の根っこが食い込むなんて聞いたことあります?

う~ん、わたしには、なんとなく、アメリカの工事技術のいい加減さにしか思えないのですけれど・・・


それに、修理に来てもらうと、いろいろとアフターケアも必要なのですよ。

我が家の場合は、下水管を直して、新たに掃除口を設けるのに、30万円かかるとおどされた上に、外したトイレの再設置が下手くそで、もう一度、設置をやり直さなくてはならなくなったんです。おまけに、壁には、大きな傷をつけてくれるし・・・

ひとつ直すと、さらに問題が出て来る。それが、アメリカ流修理でしょうか。

いっそのこと、下水管に悪さをしている木を切ってしまいましょうか?

いえいえ、それは、かわいそう。

せっかく、ここまで大きく育ったのですから。


まあ、フロリダに住んでいた頃から、水の受難には慣れっこになっている我が家です。けれども、そろそろ、何の心配もない生活をしてみたいものですね。

そう思って、がっくりきていると、お向かいさんが陣中見舞いに来てくれました。そして、こう言うのです。

You wish you were still there, don’t you?

ああ、まだ日本にいたかったぁって思ってるでしょ?

まさに、大当たりです!

You woke me up (起こされちゃった)

2月末に日本に来て、かれこれ2週間強。

予定がちょっと延びたので、今回は、3週間近くの東京滞在です。

というわけで、明日はもうアメリカへ戻るのですが、遅ればせながら、サンフランシスコから成田へ向かう空路のお話などをいたしましょう。


わたしにとっても、連れ合いにとっても、長時間飛行機に乗るコツは、食後、すぐに寝てしまうこと。できれば、ずうっと寝ていければ最高で、日本への10時間の飛行時間もグンと短く感じます。

いつも時差ボケ状態の連れ合いは、食後、さっさと寝てしまうのですが、わたしは睡眠効果のある錠剤(メラトニン)を飲んで、がんばって寝ることにしています。

今回の成田への機上でも、同じ儀式を行いました。そう、パターン化してしまうのが大事なのです。

幸い、機内も混んでいないし、ザワザワした雰囲気もないし、じきに眠りに落ちてしまいました。


すると、突然、耳元で会話が聞こえてくるのです。

どうも、通路を隔てた隣のアメリカ人のところに仲間がやって来て、あたり構わず、大きな声で、仕事の話をしているのです。わたしを起こしてしまうほどの大声で、こちらは起こされたことにカチン。

立っている方をじ~っと見上げていると、さすがにあちらも視線に気が付いた風です。そこで、こう言ってあげたのでした。

Could you take it to somewhere else?
 
You woke me up.


どこか別の場所でやってくれない?
 わたし、あなたたちに起こされちゃったのよ。

ひとつめの文章の it とは、「ふたりでやってる会話」といった、行為全体を表すものですね。
 だから、この文章は、「会話を別の場所に持っていってちょうだいな」、つまり、「会話をするなら、別の場所でやってよ」という意味になります。

二番目の文章は、単純明快な構文で、「あなた(あなたたち)が、わたしを起こしてしまいました」という意味ですね。だから、「あなたたちに起こされたのよ!」


そういえば、むかし、Wake me up before you go-go という歌がありましたよね。イギリスの「ワム(Wham)」という二人組みのグループ。

「あなたが踊りに行く前に、僕を起こしてね」といった意味の歌詞。ひとりでつまらない思いをしたくないから、もし踊りに行くんなら、僕も連れてってと歌っています。

わたしを起こしてね。つまり、Wake me up.

これは、外国のホテルなんかでも、よく使われる表現ですね。翌朝7時に起こしてもらいたい場合は、こう頼みます。

Could you wake me up at 7 o’clock tomorrow morning?


さて、ちょっと話がそれてしまいましたが、例のアメリカ人のふたり組みは、どうしたでしょうか。

わたしが文句を言った甲斐あって、あ、ごめんなさいと、あっさり会話をあきらめ、立っていた方は、すごすごと席に戻っていきました。

もともとアメリカ人は、とっても社会性のある人たちです。ちょっとでも相手が不快感を表していると、すぐに善処してくれるのです。
 とくに、シリコンバレーの人たちは、あんまり逆ギレするタイプではないので、おとなしく、レディーの言うことを聞いてくれるのです。

いつか、こんなことがありました。サンノゼの大きな公園で、独立記念日の花火を見ようと芝生に座っていたら、すぐ横でタバコを吸い始めたおばさんがいました。
 見るからに、ちょっと怖そうなおばさんでしたが、煙が顔に来るのには閉口だったので、「わたし煙に弱いから、どこか別の場所に行って吸ってくれない」と頼みました。

Could you move over a little bit because I’m sensitive to smoke?

すると、「なによ、ここは公園じゃない。屋内じゃないのに、タバコも吸えないの」とブツブツ言いながらも、遠くに移動して行きました。
 外見もほんとに怖そうなおばさんでしたし、そのときは、公園の屋台で買ったビールが高いと怒っていたのですが、人の言うことはちゃんときいてくれるのです。(ちなみに、その頃は、公園でタバコを吸っちゃいけないという法令はありませんでしたが、今は、カリフォルニアのあちらこちらでそういった法令ができていると思います。)


さて、成田に向かう飛行機。大きな声の主がいなくなってホッとしたので、機上で起こされたわたしも、じきに眠ることができて、快適な空の旅になったのでした。

でも、彼らには、あとでちゃんとフォローしましたよ。

飛行機を降り、荷物を受け取る場所で、彼らと鉢合わせしたので、こう謝っておきました。

I’m sorry for having interrupted your conversation on board.

I was trying to sleep, so I was a little cranky.

機上では、会話を邪魔してごめんなさいね。
 眠ろうとしていたので、わたしちょっと怒りっぽかったのよ。

すると、大きな声の主は、笑いながら、こう答えてくれました。

Oh, that’s OK. I’m loud.

いいよ、そんなの。僕、声がでかいんだよね。

はい、たしかに、よく通る、朗々とした声でした。

そういえば、わたしの連れ合いも、北海道出身のせいか、声が大きいのです。ひそひそ話なんか、絶対にできません。

まあ、声の大きな人に、悪い人はいないのかもしれませんね。

追記:さて、もうすぐ新学期。

地下鉄に乗っていたら、N大学工学部の袋を持ったおじさんが、NHKのテキスト4月号を広げていました。表紙を見ると、「英会話入門」と「英語徹底トレーニング」。

おじさん、英会話のコツは、「習うより、慣れろ(Practice makes perfect)」ですよ。

構文がどうのこうのというよりも、短い文章をそのまま覚えちゃいましょう!

慕鳥(ぼちょう)さん

前々回のエッセイ「おみやげを買いました」で、シリコンバレーの菜の花畑をご紹介いたしました。

オルソンさんのさくらんぼの果樹園で、一面に咲いていたものです。

そのとき、あんなにたくさんの菜の花を見て、ある詩を思い出していました。

 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 いちめんのなのはな
 かすかなるむぎぶえ
 いちめんのなのはな

第一連はこんな風な、とっても印象深い詩。

誰にでもわかる平易な言葉が、よけいに菜の花の迫力を伝えています。

これは、詩人・山村慕鳥(やまむらぼちょう)の作。大正4年(1915年)に発表された、「風景」という題名の詩です。

一行だけ挿入された「かすかなるむぎぶえ」は、第二連では「ひばりのおしゃべり」、第三連では「やめるはひるのつき」と替えられています。

「やめるはひるのつき」とは、「病めるは昼の月」のことでしょうか。床に臥せって見上げる、昼間のぼんやりとした月なのかもしれません。とすると、「いちめんのなのはな」とは、心の中に咲く花なのでしょうか。


この山村慕鳥という名を聞いて最初に思い出すのが、代表作ともいえる「雲」。誰しも一度は聞いたことがあるかもしれませんね。

おうい雲よ
 ゆうゆうと
 馬鹿にのんきそうぢやないか
 どこまでゆくんだ
 ずつと磐城平(いはきたいら)の方までゆくんか

(仮名づかいと送り仮名は、底本のとおりです)

この磐城平の方角には、慕鳥の友である詩人・三野混沌が住んでいて、孤独な開墾生活を送っていました。
 慕鳥に勧められてキリスト者となった混沌は、この雲の行き先は俺のところだと、妻せいに語っていたそうです。

初出時は、「友らを思ふ」という名のこの詩。

雲を詠んでいるようで、実は、親しい友を詠んでいるのですね。


わたしが慕鳥と出会ったのは、小学生の頃。父の本棚にあった文庫本を覗いてみたのが縁でした。

ひとつひとつ読んでいくと、小学生のわたしにもわかるやさしい言葉遣い。詩人にありがちな小難しい表現もなく、心にすっと入ってくるような、飾りっけのない詩。どことなく土くささもあり、自然を感じます。

そのとき、「風景」や「雲」とともに、大好きになった詩がこれです。

驚くなかれ、名づけて「野糞先生」。ユーモラスな詩なのです。

かふもりが一本
 地べたにつき刺されて
 たつてゐる

だあれもゐない
 どこかで
 雲雀(ひばり)が鳴いてゐる

ほんとにだれもゐないのか
 首を廻してみると
 ゐた、ゐた
 いいところをみつけたもんだな
 すぐ土手下の
 あの新緑の
 こんもりした潅木のかげだよ

ぐるりと尻をまくつて
 しやがんで
 こつちをみてゐる

いやはや、最初にこれを読んだときは、大笑いしたものでした。そして、こんなもんが詩になるんだと、仰天もしました。

でも、大人になって、もう一度読み返すと、なんとも美しい詩だと思うのです。優しい新緑の風景の中にも、たくましい人の営みを感じる。何の見栄もない、人間賛歌ともいえる素朴な詩。

詩って、本来、こんな風でなくっちゃいけないのかもしれませんね。眉間にしわを寄せるのではなく、肌からすっと体の中に入っていくようなもの。


山村慕鳥さん。彼は、明治17年(1884年)、群馬県の農村で生まれました。

一時期、伯父である神官に育てられますが、父母を追って千葉県佐倉へ移ります。両親と同居したのもつかの間、わずか12歳で家を出て、陸軍御用商人、活版職工、紙屋、ブリキ屋と職を転々とし、16歳で生まれ故郷に戻ります。
 年齢を偽り、尋常小学校の臨時雇いとなったり、教会の英語夜間学校に通ったり、伝道学校に入学したりと、二十歳までに、いろんな人生経験を積むのです。

その後、伝道師として教会に赴任するかたわら、詩を書くようになり、27歳のときに自由詩社の同人となって、筆名を山村慕鳥とします。

ボードレールに心酔し、フランス語を学んでみたり、友・三野混沌の開墾生活を訪ね、自分も野菜づくりを始めたりと、いろんなことに興味を抱く慕鳥でしたが、35歳のときに結核におかされ、わずか40歳で他界してしまうのです。


子供の頃は、まったく頓着しませんでしたが、慕鳥さんの優しさには、キリスト者としてのあらゆる命への愛情が表れているのかもしれません。

短く綴られる言葉の中にも、その優しさが余すところなく出ています。

この「桜」という詩にも。

 さくらだといふ
 春だといふ
 一寸、お待ち
 どこかに
 泣いてる人もあらうに

追記:残念なことに、今では、山村慕鳥の詩集は、ほとんど店頭には見当たりません。
唯一見つけたのが、日本図書センター発行の『雲』。「愛蔵版詩集シリーズ」と名づけられたもので、山村慕鳥の他に、慕鳥の詩人仲間である萩原朔太郎、室生犀星らが取り上げられています。
 ご紹介した詩の中で、「風景」は『雲』の中にはありませんが、「雲」、「野糞先生」、「桜」が収められています。

ある日卒倒したほどの酷評を受けたこともある慕鳥。詩集『雲』は、そんな暗い時代を抜け、守るべき子供も生まれ、余分なものを全部削ぎ落としたような表現で編まれています。
 『雲』の序で、慕鳥はこう書いています。「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。」

慕鳥が『雲』の校正を終えたのは、病の床の中。数日後没した彼は、刊行された形を目にしていません。
 その頃、結核といえば死の病で、志半ばにして没した文壇の士もたくさんいたのですね。

百貨店めぐり

ある日、東京は強風でした。空は鈍色(にびいろ)。雨も降ると予想され、こういうときは、お散歩なんかしたくありません。

でも、悲しいかな、ホテル住まいをしていると、お掃除のために一日に一回は外出しなくてはならないのです。こんな日は、ずっとお部屋でゴロゴロしていたいのに。

そこで、外を歩かなくていい経路を考えます。まず、地下鉄・大江戸線で新宿の本屋さん、というのは却下です。だって、大江戸線の駅までは、外を歩かなくちゃいけません。

だとすると、ビル続きの日比谷線で銀座でしょうか。でも、いつも銀座へは行っているので、ちょっと食傷気味なのです。

そこで、銀座で銀座線に乗り換えて、日本橋方面へ。いつもは三越前まで乗って、行きつけのヘアスタイリストさんのお店を訪ねたり、三越本店をぐるっと見てまわったり。でも、この日は、ひとつ手前の日本橋でふっと降りてみました。


日本橋。なんとなく懐かしい響き。以前、日本に住んでいた頃は、よくここまで足を伸ばしていました。

この街は、父の学生時代のお気に入りの場所。たまに日本橋に出てきては、丸善で本を探し、高島屋をまわるのがお決まりのコースだったのです。

父がそう教えてくれたとき、梶井基次郎の短編小説「檸檬(れもん)」を思い出しました。黄色い檸檬を持った基次郎は、丸善で華やかな画集の上に檸檬を置き、店を出てくる。それが自然な構図だったから。

それ以来、丸善と高島屋コースは、わたしのお気に入りとなったのでした。


この強風の午後、丸善は省略して、高島屋に入ってみました。ここのエレベーターホールは、昔ながらの立派な大理石の造りになっています。多分、父の頃とあまり変わっていないはずなのですが、それがちょっと嬉しくもあります。

とくに目的があったわけではありませんが、催し物会場の8階まで上ってみました。「加賀百万石の味めぐり」なんて、とってもおいしそうな催しがあるそうなので。

ところが、エレベーターが8階に着くと、案内のお姉さまが、唯一の客のわたしに向かって、「名家百画展」は右のつきあたりでございます、と教えてくれるのです。何やら展覧会をやっているようで、せっかくの好意を無駄にしてはいけないと、ついつい足がそちらへ向いてしまいました。


「名家百画展」。現代の百人の画家たちの作品を集め、展覧会と頒布を兼ねているものです。日本画60作家、洋画40作家と、なかなかのバラエティーの豊富さでした。

中には、平山郁夫画伯のように、超有名な画家もありましたが、不勉強なわたしにとっては、名前を知らない方がほとんどでした。けれども、そんなことにかかわらず、壁に並べられた色とりどりの作品は、背筋がぴりっと伸びるような刺激を与えてくれたのでした。

油絵かと思われるような、斬新な色とフォルムの日本画。大胆に白を基調とした作品で、重ね塗りでもしているのか、卓上のデフォルメされた花が、立体的に目に飛び込んできます。

一方、こちらは具象の風景。緑の山間(やまあい)には豊かな水が流れ、水面(みなも)は淡い緑色に染められています。静けさが広がるこの作品は、名前もまた美しく、「静かに流る」。北野治男氏という京都の方の作品です。

子供の頃から、東山魁夷画伯が大好きだったわたしは、やはり日本画はいいなと思うのです。静かな木立、森に遊ぶ白馬、月の映える湖面。いったい風景画なのか心象風景なのか、画伯の作品は、まさに別世界への誘い(いざない)という言葉がぴったりでした。

時に、本物よりもリアルに心に訴えかける絵。

ほんの小一時間、展示会を眺めていただけなのに、そんな絵が大好きだった頃の自分を取り戻したような気分になったのでした。


そういえば、昔はよく、百貨店で展覧会がありましたよね。わざわざ美術館に出かけて行かなくても、お買い物ついでに気軽に芸術に接することができる。なんとも贅沢な、とってもいい企画だと思います。

歴史的にみると、明治42年に高島屋京都店と大阪店で開催された美術展が、民間初のものだったとか。以来、高島屋美術部は、間もなく100周年。

もともと京都でスタートしたお店は、その頃、「たかしまや 飯田呉服店」と呼ばれていたんですね。飯田は創業者の名、呉服商の飯田新七。


そんな素敵な百貨店の展覧会。近頃は、数字重視の経営方針からか、お金と手間のかかる展覧会はどんどん姿を消していっています。そして、お店のあり方すら変化している。

能装束や絵画・工芸のコレクションを今でも大事に保存する高島屋は、珍しい存在なのでしょうね。

何が出てくるのかわからない玉手箱。それが百貨店の醍醐味でしょうか。子供の頃、一番上等な服を身に着けて出かけた、そんな場所。

こういう玉手箱は、「デパート」と呼んではいけない気がするのです。

追記:文中の絵(最後の写真)は、京都在住の版画家、ミナコ・カワウチ氏の作品です。温かみあふれる「どくだみ」という作品の花の部分を、アップで撮らせていただきました(『京の花ごよみ』青幻舎発行より)。
 この方は、西陣帯の図案の描き手を経て、海外で日本の伝統技術を駆使したインテリアデザイン・制作にも携わった方だそうです。

それから、梶井基次郎が檸檬を置いてきた本屋さんですが、これは、東京ではなく、京都の丸善が舞台となっているそうです。その京都・丸善も、惜しまれながら閉店したということでした。
 閉店する直前、京都河原町店には、基次郎よろしく、檸檬を置いていく人が相次いだそうです。店員さんの目の届かないところに、そっと檸檬を置いていく。早世した基次郎に、そして長い歴史に幕を閉じた本屋さんに、敬意を表する檸檬なのでした。

日本は安全?

サンフランシスコ空港を飛び立って、今、東京におります。

日本は暖冬だとか、桜が咲いたなどと耳にしていたのに、着いてみると、思ったよりも寒いのです。
 やっぱり日本は、シリコンバレーよりも冷えるみたい。


というわけで、成田に着いた直後のこと。

いつもの成田エキスプレスで、東京駅に向かいます。ちょっと時間があったので、椅子に座って待っていると、隣に女性ふたりが座ってきました。

彼女たちも、海外からの長旅を終え、ほっと一息。さっそく、構内の売店にお茶を買いに席を立ちます。

でも、ふたりとも同時に席を立ってしまったので、荷物はそのまま席に置いたまま。勿論、お財布の入ったショルダーバッグは肩にかけて立ちましたが、ここでわたしは、なんとなく違和感を覚えてしまったのでした。

いかに売店が近くとも、海外でこれをやったら危ないかなって。

まあ、これを見ていたわたしは、言われなくとも自然と荷物番をしてあげました。幸い、あんまり構内も混んでいなかったので、誰かに席を取られることもなく、彼女たちは、じきにお茶を持って戻ってきたのでした。

そして、「あ~、やっぱり、日本のお茶ってホッとするよね~」と、幸せそうに仰せです。

きっと、ホッとするのは、お茶だけじゃなかったのでしょうね。この安全そうな空気も、ふっと息をつける瞬間。


悲しいことに、ひとたび外国に出ると、「基本的にまわりは泥棒さん」くらいの心構えでいないと危険ですよね。
 だから、ふたりで同時に席を立つことは危険だと思いますし、もし荷物を置いて離席する必要があれば、まわりの信用できそうな人に、こう頼んで行った方がいいですよね。

すぐに戻ってくるから、2、3分わたしの荷物を見ててくれない?

(英語では、I’ll be right back, so could you watch my bag for a couple of minutes?と言えばいいと思います。)

わたしは、よくこれを頼まれるのです。やっぱりどう見ても、人の物を盗むタイプには見えないらしく、相手も心置きなくどこかへ姿を消してしまいます。

ワイキキビーチでも、パラソルの下で休んでいると、荷物番を頼まれたことがありました。みんなで楽しそうに、波に乗って遊んでおられました。

一度、大学の図書館で、こんなこともありました。「荷物を見ていてね」と頼んで行ったわりに、相手は約束の5分を過ぎても戻ってきません。彼女の5分は、日本人のわたしの5分と違うのでしょうか。30分経った頃に、もう待てない!と、わたしはそのまま家に帰ってしまったのでした。

でも、だいたいの人は、約束の期限にはちゃんと帰ってきますね。やっぱり相手に悪いなという気はあるみたいです。


日本は、安全神話が崩れ、だんだん物騒な世の中になってきたと言われていますよね。

でも、わたしなどは、日本に戻ってくると、ホッとするのです。いつも気を張っていなくてもいいかなって。

だって、東京の地下鉄に乗ると、制服を着た小さな子供たちが、自分たちで登下校しているではありませんか。こういうのって、外国の人からすると、信じられないのだと思いますよ。

いつか、シリコンバレーのわたしの元上司も、こう言っていました。「東京の地下鉄に乗ったら、こんなに小さな制服の女の子が、ひとりで乗ってるんだよね。僕にしてみたら考えられないよ。でも、それほど、東京は安全なんだろうねぇ」と。

彼には、再婚後に生まれた女の子がいて、きっと、同年齢の愛娘と重ね合わせて見ていたのでしょうね。

そう考えてみると、日本の安全さも、まだまだ捨てたもんじゃないですよね。


そんなことをごちゃごちゃと考えながら、東京のホテルに到着しました。

日本はもう、いちごの季節だそうで、部屋にはいちごのお皿が置いてありました。部屋の中も、早春の香りに満ちています。

街にも、いちごのケーキに、いちごの小物たち。いちご色に満ちています。これほど季節に敏感な国民はいませんよね。ほんとに風流。

そして、また、ほっと息をついてみるのです。

コマーシャル談義:スポーツ界とIT業界

Vol. 91

コマーシャル談義:スポーツ界とIT業界


雨季のシリコンバレー。今年は雨が少なくて、梅や桃の開花がとても早いようです。それでも、山は一面の緑。「喜びの谷間」から遠くの山脈を眺め、ほっと息をつくこの頃です。

そんな潤いの如月(きさらぎ)。スポーツの祭典スーパーボウルも開かれたことですし、それにまつわるコマーシャル談義なんぞをいたしましょうか。 

 
<スーパーなスーパーボウル>
毎年2月といえば、フットボールの祭典「スーパーボウル(Super Bowl)」。アメリカで一番人気、プロのアメフトの天王山ですね。
まあ、アメリカではプロ野球も人気が高く、アメフトと互角だとは思いますが、テレビの視聴率が高いのは、断然アメフトの方。スーパーボウルともなると、年間最大の国民的行事となってしまうのです。

そのスーパーボウル。毎回、開催される場所が変わるので、あちらこちらに移動するのも楽しみのひとつです。今年は、フロリダ州マイアミだったので、とくに寒い地域から来る人にとっては楽園、楽園。
そんな渡り鳥たちを相手に、マイアミの高級ホテルでは、こんなプロモーションがお目見えしました。名付けて、「スーパーリッチ・パッケージ」。

たとえば、フォーシーズンズ・リゾート。一泊4千5百ドルのスイートにご宿泊いただいて、一日3千ドルぽっきりで、フェラーリをお貸しいたしましょう。勿論、滞在中どこへ行かれても自由です。
あ、そうですか、マイアミへの行き帰りにお迎えが欲しい?それでは、プライベートジェットで、お迎えにあがりましょう。マイアミまでは、たった3万ドルで往復できますよ。お安いものでしょう。

一方、こちらは、マンダリン・オリエンタル・ホテル。弊社の場合は、一泊5千5百ドルでスイートにお泊りいただけます。それに、こんなオプションも付いています。一日1750ドルで、「葉巻ボート(cigar boat)」を貸し切りいただけます。お仲間たちと、ゆるりと葉巻でも吸いながら、一日海の上でのんびり過ごされてはいかがでしょう。
勿論、スーパーボウルへの足も手配いたしますよ。往復1500ドルで、スタジアムまでボートでお連れいたしましょう。ボートで乗りつけるなんて、かっこいいでしょう。

極めつけは、こちら。どこかのリゾートの41万ドル(約4千9百万円)のパッケージ。何が特別なのかよくわかりませんが、ヘリコプターが使えるだとか、名車ベントレーが使えるだとか、そんなものが付いているらしいです。ベントレーは、帰るとき「おまけ」でもらえるんだとか。

いや、2006年は、とくに経済は上向きではなかったと思います。が、スーパーリッチにとっては、そんなことはどこ吹く風。
スーパーボウルを観戦しようと、マイアミに入るプライベートジェットは、実に1000機。プライベートジェットの運行会社は、「今年は、去年よりも7割もビジネスが増えたわい」と、ホクホク顔。

庶民にとっては、スーパーボウルのチケット一枚を購入するのも難しいのに・・・

そういう方は、新品のテレビで観戦いたしましょう。大きな高画質で観ると、迫力が違いますよ!
今年は、スーパーボウルのために、薄型テレビを買う人が250万人はいるだろうという皮算用。何はともあれ、経済効果抜群の祭典なのです。


<スーパーなコマーシャル>
スーパーボウルといえば、何といっても、テレビコマーシャル。まあ、試合自体も、そのハイレベルな展開に目が離せないものの、その間にちょこちょこと流される30秒のスロットも、翌日の話題として、欠かせないものなのです。

どのコマーシャルが一番かというのは、多分に主観の問題なので、調査によって微妙に異なるのでしょうが、ひとつびっくりしたことがあったのです。
スーパーボウル翌日の月曜日、ビジネス専門チャンネルのCNBC。コマーシャルの復習をしようと、Radioweekとかいう雑誌の編集者が出ていたのですが、このおばさんの「ベスト」と「ワースト」が、わたしとまったく逆だったのです。

おばさんの「ベスト」は、ビール会社バッドワイザーの"Bud Light"。メジャーなスポンサーとして、Bud LightのCMバージョンはいくつかあったのですが、彼女が選んだのは、お互いの顔を平手打ちするシーンが続く暴力的なバージョン。
裏庭のバーベキューで、プロバスケットのコートで、結婚式場で、いろんな場所で、向かい合ったふたりが、お互いを平手打ちするというもの。
いや、わたしにとっては、意味がわからない!まったく理解不能。でも、おばさん曰く、「これこそ、力と力のフットボールにふさわしい、カッコイイもの」だとか(あのねぇ、おばさん、フットボールって、力と力だけじゃなくって、すごくインテリジェントなスポーツなんですけど)。

そして、おばさんの「ワースト」は、Garmin(ガーミン)というGPS機器の会社のコマーシャル。
郊外を運転する男性が、道に迷っている。さあ、どちらへ行こうかと、車の中で地図を広げると、それがどんどん大きく広がっていって、怪獣「マッポザウルス」に変身するではないか。これを見た男性は、サクッと「ガーミンマン」に変身し、怪獣に果敢に立ち向かう。そして、腰に付けたナビゲーション機器から熱いビームを照射し、怪獣をやっつけてしまう!
いや、円谷プロもどきの力の入ったアクションに、これ以上わかり易い宣伝はあり得ないのに、例のおばさんの評は、「意味がわからない。これを観て、ガーミンのナビゲーション機器を買おうとは思わない」とか(ねえ、おばさん、ナビゲーションって何だか知らないんじゃないの?)。

そこで、思うのです。いわゆる「専門家」と言われる人と一般消費者の感覚には、もしかしたら、大きなズレがあるのではないかと。
広告会社はスポンサーに、「今年は、こんなのが旬でっせぇ」と詰め寄ります。でも、実際にCMを観た消費者は、ポカーン。もしくは、不愉快になってしまう。

まあ、アメリカという国は、社会経済や文化の層がいくつにも分かれているので、バッドワイザーみたいな暴力的なCMを好む人たちがたくさんいるのも事実です。もしかしたら、水面下では、こういった層は着実に増えているのかもしれません。
作る側、放送する側も、それに拍車をかけているようです。戦争のドキュメンタリーは残酷だからと放映中止とするわりに、テレビやビデオゲームの過激さには目をつぶる。そして、消費者から問題視されると、「米国憲法修正第1条・言論の自由(Freedom of Speech, Religion, and the Press)」の詭弁を持ち出す・・・

とは言うものの、これではいけないと、対抗する勢力が出てきているのも確かなようです。たとえば、スーパーボウルのコマーシャルに話を戻すと、コカ・コーラ(Coke)なんかがこれに当たるでしょうか。 若い層に向け、奇をてらったCMが多い中、コカ・コーラは近頃、もっぱら平和的な路線を保っているのです。

スーパーボウルでは、こんなファンタジーに満ち満ちた、かわいらしいコマーシャルを流していました。
若い男性が自動販売機にコインを入れる。すると、機械の中の小さな生き物たちが、寄ってたかってコーラを準備し始める。ビンに液体を詰める者、雪国でビンを冷やす者、きれいに統率された流れ作業。
そして、できあがったコーラを中心にパレードが始まり、取り出し口に運ばれて来たコーラを手にした男性は、おいしそうにゴクッ。あれ?でも、販売機の中から音楽が聞こえたような・・・

どんなコマーシャルにしても、ちょっとは頭と創造力を使って欲しいものですね。


追記:ここでご紹介したコマーシャルは、YouTubeで観ることができます。たとえば、"Garmin Superbowl commercial"とすれば、簡単に特定できます。
話題のガーミン社ですが、YouTubeを観てみると、コマーシャル以外にも、「ガーミンマン(Garmin Man)」や「マッポザウルス(Maposaurus)」のインタビューといった舞台裏(Behind the Scenes)も楽しめるのです。間抜けな顔のマッポザウルスが、真面目にインタビューに応じていて、得意技は?と聞かれて、モソモソと片手を伸ばしたりしています。

まあ、このコマーシャルのせいではないでしょうが、ガーミンは近頃、業績が順調に伸びているようで、売上げも利益も、ほぼ倍の成長率だとか。ようやく、アメリカでも、ナビゲーションのありがたさが広まってきたのでしょうか。


<熱いゲイツさん>
先月号の「おまけのお話」でご紹介したテレビコマーシャル。アップルがマイクロソフトをからかったCMで、カッコイイ「マックくん」と、野暮ったい「Windows搭載PCくん」が登場するシリーズ物です。
最新版は、先月ご紹介した通り、「大手術(major surgery)が必要なPCくん」。Windows Vistaをインストールするんだけれど、プロセッサーやメモリー、ビデオチップを交換する大手術が必要みたいだから、僕は生きて戻れないかもしれない・・・という悲しいお話。

2月に入って、突然、問題が起きました。マイクロソフトの会長ビル・ゲイツさんが、烈火のごとく怒ったのです。Newsweek誌のインタビューで、「この宣伝はウソばっかりじゃないか!」と、沫(あわ)を飛ばしたのです。
こんなコマーシャルを流すなんて、アップルは自分たちが勝っているとでも思っているのか! パソコンを使う9割のユーザーが、馬鹿でのろま(dullards、klutzes)だとでも言いたいのか!と。

う~ん、ゲイツさん、あなたの言い分もわかりますけれど、最新鋭のOSがアップルの真似をまったくしていない、とは言い切れないでしょう?

それに、このコマーシャル、すでにひと月は流れていたと思うのですけど・・・ちょっと反応が遅いですよ。
まるで、熱いゲイツさんをあざ笑うかのように、この報道の10分後には、例のコマーシャルが流れていたのでした・・・


追記:いや、敵もさるもの。アップルさんは、2月中旬、さっそく新しいCMを流し始めました。よりによって、マイクロソフトの一番痛いところを突いています。
外界からのアタックに弱いからと、PCくんは新たに「セキュリティーくん」を登用したのですが、この黒服の「セキュリティーくん」が、マックくんとPCくんの間をことごとく邪魔して、会話がまったく成り立たないのです。
「やあ、PCくん、こんにちは!」とマックが声をかけると、黒服がすかさずこう言うのです。
「マックが、あなたにあいさつを送っています。キャンセルですか、続行ですか?」・・・

アップルさんに立ち向かっている間に、マイクロソフトの背後からはグーグルさんが忍び寄ります。「マイクロソフトOffice」に対抗すべく、グーグルさんはビジネスユーザーに向け、オンラインソフト・パッケージ「グーグル・アップス(Google Apps)」を販売し始めました。マイクロソフトの「オフィス」みたいに、ワープロ、メール、予定表、表計算ソフトが、便利にパッケージ化されているものです。
まず、手始めに、GEやProctor & Gambleといった大企業や、10万件ほどの小企業が参加しているそうですが、これがグーグルさん念願の "オフィス・キラー(Office Killer)" となるのか、今後がちょっと楽しみなところですね。


<ゲイツさん、ロボットを語る>
マイクロソフトのビル・ゲイツさんが、珍しく科学雑誌に投稿していました。Scientific American誌の新年号だったのですが、今は黎明期にあるロボティックスも、これから大きな変革を遂げるだろうと、そんなところを語っています。

自分とポール・アレンが30年前にマイクロソフトを立ち上げた頃は、誰もコンピュータが各家庭に導入されるなどとは思っていなかった。コンピュータといえば、政府機関や大きな会社のメインフレームのことを指し、パソコンには何の規格もプラットフォームも定められていない時代だったから。そう、インテルが8080プロセッサーを発表し、アタリ(Atari)がポン(Pong)というビデオゲームを出し始めたような時代。
そういう流れを見ていると、ロボティックスも、同じような進化を遂げるのではないかと思う。今は、工場の生産ラインに並ぶロボット、イラクやアフガニスタンの戦場で爆弾処理をするロボット、手術台で医者を手助けするロボットが、バラバラに投入されている。けれども、この先、さまざまな研究機関の成果に基づき、技術の統合化が進み、どの家庭にもロボットが現れる、そんな時代が訪れるのではないか。

まあ、ロボティックスといえば、視覚・聴覚認識、ナビゲーション、学習能力など、やはりソフトウェアが中心となってくるので、マイクロソフトでも、2004年からこの分野に乗り出しているそうです。
たとえば、複数の知覚センサーに同時に入った情報をどう処理し、動作モーターにコマンドを送るのか。単純に連続処理していたのでは、階段から落っこちる危機をうまく回避できない。また、ロボットに問題が生じた場合、いちいちロボットをリブートすることなく、遠隔地から手当てはできないのか。
こんな風な問題に取り組んで来たそうですが、現在は、そういう研究成果を踏まえて、「ロボティックス・スタジオ(Microsoft Robotics Studio)」なる開発キットを作っているそうです。
あわよくば、ゲイツさんのところのソフトウェアが、1970年代のマイクロソフトBASICのように、開発環境の礎となればといったところなのでしょう。

ゲイツさんの記事には、こんな風な挿絵も付いていました。家の中には、(iRobotのRoombaみたいな)お掃除ロボットや洗濯物をせっせとたたむアームロボットがいて、病気で寝たきりのお母さんに食べ物や薬を与える介護ロボットもいる。家の外には、芝刈りをするロボットがいて、敷地内を見回る監視ロボットもいる。
そして、そのロボットたちを、会社のオフィスのパソコンで動作確認し、必要とあれば、家のホームパソコン経由で、ロボットたちに指示を出す。ロボットたちは、ワイヤレスでホームパソコンとお話できるから。

ゲイツさん曰く、そういった将来のロボットの一部は、映画「スターウォーズ」に出てくるC3POのような人間型(anthropomorphic)ロボットだけれど、大部分は、みんなが「ロボット」と思い描いているものとは似ても似つかない形になって、もう誰もロボットとは呼ばなくなるだろうと。

先月、ラスヴェガスのCES(コンスーマ・エレクトロニクスショー)に行ったとき、とっても嬉しいことがありました。ホンダの「アシモくん」のデモを初めて見てみたのです。
ちょっと小柄なアシモくん、もしかしたら、中に子供が入っているんじゃないかと勘ぐりたくなるほど、精密な動きを披露していました。相手との距離を一定に保って握手もできるし、走ったり、階段を上ったり下りたりと、すごい芸当も持っている。まさに、ロボット界の最先端なのです。

そのあと、アメリカのロボティックスの急先鋒iRobot社のブースを訪ねたのですが、彼らの新型ロボットが、床を這い回るゴキブリに見えてしまったのでした。

勿論、適材適所。床をお掃除するのに、アシモくんは必要ありません。「ゴキブリくん」で充分です。でも、スターウォーズ世代のわたしとしては、アシモくんの方とお友達になりたいかなぁと思うのです。


註:ゲイツさんが例に出していたアタリ社の「ポン」というのは、最も初期のビデオゲームのことで、テニスボールをふたつの棒状のラケットでポンポン打ち合うという、ごく単純なものなのです。それを思うと、30年の進化は素晴らしいですね。


<税金こぼれ話>
最後に、ちょっと話は変わります。新しい年を迎えると、そろそろ確定申告(tax return)が気になる季節となってきます。ご存じの通り、アメリカでは、サラリーマンであろうと、自営業であろうと、収入のあるほとんど全員がやらなくてはならないものなのですね。
毎年の締め切りは4月15日ではありますが、だいたい2月になると、必要な書類も揃ってくるので、多くの人が準備を始めるのです。自分でパソコンソフトを使ってやる場合もありますし、公認会計士を雇う場合もあります。

我が家は、何年か前から会計士の方にやってもらうことにしているので、毎年、この時期になると、会計士さんの事務所に書類をたくさん持って参上します。
源泉徴収票(W-2)や投資銀行の報告書だとか、会計士さんの質問書だとか、いたって無味乾燥なものなのですが、今年は、その質問書の中におもしろいものがありました。
「あなたは、2003年から2006年の間に、長距離電話会社に料金を支払っていましたか?」と。

こんな質問を見たのは初めてなので、主旨がわかりません。だから、保留にしておいて会計士さんに質問すると、こんな答えが返ってきたのでした。
これはもう百年以上も前のお話なんだけれど、電話会社がサービスを始めた頃は、まだ白人と先住のアメリカ・インディアンの部族との戦いが続いていて、電話料金の中に、戦いに使う目的の税金が入っていたのです。その「戦争税」が、ずっと上乗せされたままになっていて、最近になって、誰かさんが「これはおかしいじゃないか」と、集団訴訟(class action lawsuit)を起こしたのです。だから、長距離電話会社にたくさん料金を払っていた場合、いくらかお金が戻ってくるのですと。

まあ、個人の場合は、多くてもせいぜい2、30ドルの話なのでしょうが、大きな会社になると、2千ドル、3千ドルと戻って来るそうなので、一笑に付すようなものでもないらしいです。
詳細はわかりませんが、多分、訴えられたのは、AT&Tなんでしょうね。現在は、地域電話会社のSBCに買収され、もう地域電話も長距離電話も区別がつかなくなっていますが、AT&Tの前身であるベル電話会社(Bell Telephone Company)が設立されたのは1877年のこと。その頃の慣習が、亡霊のように付き纏っていたのでしょう。
まったく、今まで気が付かなかったというのも間抜けな話ですが、それを見つけ出して、集団訴訟を起こした人もすごいものですよね。(対象が2003年から2006年に区切ってあるのは、それ以上過去にさかのぼると、すごい金額になるからなのでしょうね。)

それにしても、面倒くさい確定申告。意外にも、アメリカ人の7割は、確定申告に賛成だそうです。アメリカでは、住宅ローンの利子を払っただとか、ボランティアをするために運転しただとか、慈善団体に寄付しただとか、いろんな場面で税金控除となるので、サラリーマンでも確定申告をした方が得ではあるのです。
それに、第一、政府のやることは信頼できない。我が家では、こんなことがあったのです。ある年、税務署(IRS)からお手紙が来て、「あんた、税金をズルしてるでしょ? だから、これだけ払いなさい」との仰せです。それが、ちょっとした物置が建つくらいの金額だったので、こちらはびっくり仰天。
まあ、何のことはない、取引銀行を変更した際、報告の仕方が悪くって、移した金額を、全部株で儲けた金額だと勘違いしたらしいのですが、それにしても、自動的に税金を支払う方式だったら、どうなっていたことか。

やっぱり、政府機関を信用してはいけないのです。

それに、企業だって過信してはいけません。このときわかったのですが、オンラインの税金ソフトに間違いがあって、IRSにちょっと税金を支払う結果となりました。

「自分のことは、自分で守る」。これが、アメリカの鉄則なのですね。


夏来 潤(なつき じゅん)

おみやげを買いました

そうなんです、もうすぐ日本に向かうので、おみやげを買いました。

普段は、あんまり人におみやげを持って行く方でもないし、どこかに行っても、自分におみやげを買うこともありません。

でも、アメリカからのものを楽しみにしている人たちがいるので、これだけは欠かせないのです。

別に特別なものでもないのですが、ブルーベリーチョコレート(chocolate covered blueberries)なんです。
 そう、ブルーベリーのまわりに、チョコレートがコーティングしてあるお菓子。

ブルーベリーの酸味とチョコレートの甘味のバランスが実にうまく取れていて、ひとつ口に入れると、どんどん次が欲しくなってしまうんだとか。
 わたしにしてはちょっと甘いのですが、あまり日本では見かけないお菓子なので、希少価値も手伝って、かなりの人気なのです。


いつもは、Harry & Davidというグルメ食品のお店で買ってみるのですが、今回は、ちょっとシリコンバレーにこだわって、C. J. Olsonという老舗の果物屋さんにしてみました。

このオルソンさん、シリコンバレーはサニーヴェイル(Sunnyvale)にありまして、ちょっと前までは、サニーヴェイルのど真ん中にかなり広い果樹園を持ち、さくらんぼやアプリコットを栽培していました。
 とくに、“ビング・チェリー(Bing cherries)”と呼ばれるさくらんぼは有名で、もともとのお店の名前も、C. J. Olson Cherriesというようです。

今は、時代の流れには逆らえず、果樹園はアパートやショッピングモールとなっていますが、それでも、お店は頑固に同じ場所で営業を続けているのです。
 サニーヴェイル市役所の斜め前、幹線道路エル・カミーノ(El Camino Real)とマチルダ通り(S. Mathilda Ave)が交差するところにあります。

まあ、このお店は、シリコンバレーが「喜びの谷間(the Valley of Heart’s Delight)」と呼ばれていた頃からの象徴のようなものでしょうか。

1899年の営業開始以来、穏やかな地中海性気候と豊かな土壌が育む地元の作物を、ずっと提供し続けてきたのですね。


お店の中では、季節の野菜や果物、自家製ジャムなどを販売しているのですが、いろんな果物をチョコレートでコーティングしたお菓子も名物となっているのです。

今回、わたしが選んでみたのは、ブルーベリーとさくらんぼ。それから、いろんな味の詰め合わせもあります。

もともとチョコレートのコーティング菓子といえば、レーズンなんかが有名ですが、ここには、アプリコットや西洋梨もありますし、アーモンドやピスタチオといったナッツ類もあるのです。

壁一面に色とりどりのチョコレート。選ぶのも、楽しみのうちですね。


さて、おみやげを買うミッションを終え、オルソンさんの果樹園へ。

もう今となっては、ほとんど残っていないのですが、全部手放すのは惜しいと、ちょっとだけ果樹園を保存してあるのです。

今は、一面の菜の花(もしくは、マスタードの花)。さくらんぼの木は葉っぱもなく、寒々としていますが、地べたは、もう春。
 きのうの大雨がすっかり止んで、ちょっと肌を射す風の中でも、元気に花を咲かせています。

そうそう、きのうは大雨でした。でも、夕方には太陽も顔をのぞかせ、街の中では、丸い、丸い、大きな虹が見えたのでした。
 あんなに大きな虹の架け橋を見たのは、ほんとに久しぶり。おまけに、虹が二重にかかっていて、なんとなく得した気分でした。

オルソンさんの菜の花を見た帰り道、遠くのディアブロ山脈には、雪が輝いて見えました。

どうやら、きのうの大雨が、あちらでは雪になったようです。


いつか英語の教科書に、こんな文章があったのを覚えています。

When spring comes, I always feel like jumping for joy.

春が来ると、わたしはいつも嬉しくて飛び上がってみたくなる。

シリコンバレーの今の季節、よくこの文章を思い出すのです。

黄色い菜の花に、遠くの尾根の雪。

チョコレートのおみやげと一緒に、シリコンバレーの風景もお届けすることにいたしましょう。

もうすぐお正月

もうすぐ、お正月!

え?とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、2月18日の日曜日は、旧正月(春節)なんですね。

英語で、Chinese New Year

Lunar New Year(農暦新年)ともいいますね。

今でも、中国、韓国、ヴェトナム、台湾などを中心に、世界各地で祝われているのです。

中国系の多いサンフランシスコやシリコンバレーでも、毎年、旧正月が近づいてくると、パレードやフェスティバルが開かれるよ、といった賑やかなニュースが聞こえてきます。

この辺りで一番大きなものは、何週間かあとに開かれるサンフランシスコの中国パレードなんですが、お祝い好きのアメリカ人にとっては、どこのお祭りであろうと、大歓迎なのです。


シリコンバレーに住む中国系の方とお話したら、彼女は旧正月をとっても楽しみにしていました。日本と似ていて、お正月には、ご馳走を食べてお祝いをするんだとか。

以前、「旧正月のご馳走」というお話で、ヴェトナム系の親友の旧正月を描いてみましたが、やはり、中国でも、腕によりをかけてご馳走を準備するのでしょうね。

ヴェトナムでは、ひと昔前までは、一週間かけてお正月料理を作っていたんだというお話でしたが、変化の激しい中国でも、きっともうそんなに時間をかける人はほとんどいないのかもしれませんね。

中国の新年のご馳走は、本来は、旧年と新年の境である午前零時に食べるのだそうです。けれども、シリコンバレーでは、もうすっかりアメリカのライフスタイルに同化してしまって、前夜みんなでわいわいと、パーティースタイルでいただくようです。

お話した彼女は、「わたしは前日の土曜日は仕事で忙しいから、仕事が終わって、お友達の家に直行するのよ。だから、もうお料理は全部できあがってるの」と、うきうきした声で仰せでした。


みんなで集まって飲んだり食べたりのあとは、テレビの特別番組を観るそうです。

そう、ちょっとローカルな話になってしまいますが、サンフランシスコ・ベイエリアには、アジア系専門のテレビ局KTSFというのがあって、日本や中国、それから、ヴェトナム、フィリピン、韓国、インドと、あらゆるアジア系言語の放送を流しているのです。
 1980年、わたしが初めてサンフランシスコにやって来た頃には、すでに放送が始まっていたので、もう30年くらいはやっているのでしょうね。

そして、この旧正月、いつもは、土曜日と日曜日のゴールデンアワーは日本語放送なのですが、このときばかりは、中国語放送のオンパレード。

なんでも、日本の紅白歌合戦のような番組があって、歌ばかりじゃなく、芸や漫才も飛び出すバラエティー番組なんだそうです。
 土曜日は、中国の「紅白歌合戦」。そして、日曜日は台湾の「紅白歌合戦」だそうで、シリコンバレーの中国系の人たちは、これをとっても楽しみにしているんですね。

まあ、テレビ番組って、祖国の薫り満載ですものね。


さて、翌日の旧正月当日は、比較的静かなようで、昼間、軽く餃子を食べたりするそうです。

餃子といえば、わたしはいつも、中国・西安の餃子専門店を思い出すんです。

餃子のコース料理が、ほんとに芸術品のようでした。

おもしろいことに、外側を見ると、中身が何だかわかる仕組みになっているのです。

たとえば、くちばしの付いた鳥さんは、鴨。緑の顔の蛙さんは、なんと、カエルの肉なのです!(カエルさんは、びっくり仰天で写真を撮るのを忘れました。)


そうそう、旧正月といえば、こんなことを聞いたことがあります。ヴェトナムでは、年が明けてからの訪問には、とくに気を遣ってしまうと。
 どうしてって、「あの人が今年最初の訪問客だったから、今年は調子が悪いのよ」なんて言われたくないからだとか。

中国でも、そんな言い伝えはあるのでしょうか?今度、聞いてみましょう。

今年は、「猪の年(the Year of the Boar)」。

「豚の年(the Year of the Pig)」とも言いますよね。

なんだか、中国では、金の豚の飾りが飛ぶように売れているそうですが、そういえば、お話した中国系の方のオフィスにも、金の豚くっきりの赤いカレンダーが貼ってありました。

赤は縁起がいいので、新年には、何か赤いものを身につけるといい、とも言われているそうです。
 逆に、白はいけませんよ。白はお葬式を思い起こしますからね。

どこの国でも、新年の縁起かつぎは、大事ですよね。


今年は、世界中で、春の花が早くほころびているようですね。
 そんな早春の花たちも、旧正月に華やかさを加えているのです。

シリコンバレーも、とっても穏やかな旧正月の週末。

この穏やかさが、ずっと続けばいいですね。

追記: 文中のヴェトナム料理の写真は、2年前の旧正月に、親友の家で旧正月ランチをご馳走になったときのものです(「旧正月のご馳走」でご紹介したものとは、また違ったメニューでした)。
 手前から、チキンサラダ、豚とゆで卵のシチュー、もやしと長ねぎの酢漬けです。

カラフルなチキンサラダには、チキン、キャベツ、ハツカダイコン、シラントロ(中国パセリ)が入っていて、味付けには、ちょっとスパイシーなヴェトナム風醤油、ヌックマムを使っています。

豚のシチューは人気が高い料理だそうですが、このゆで卵と豚のシチューは、わたしにとっては昔懐かしい香りがしました。砂糖をカラメル状にしたものを使っているからのようですね。

もやしと長ねぎの酢漬けは、なんとなく日本の酢の物のようなお味でした。お正月料理には、酸味が必要だということで、この酢漬けとかピクルスは、人気メニューなんだそうです。そういえば、日本のお正月に欠かせない「なます」も、酸っぱいお味ですね。

2月14日の表情

2月14日は、ヴァレンタインデー。立派な祝日(holiday)なんですね。

正式には、「聖ヴァレンタインの祝日(Saint Valentine’s Day)」といいまして、学校や会社はお休みにはならないけれど、聖なるお祝いの日なんですね。

(祝日というのは、必ずしも休日になるわけではありません。とくに宗教的な祝い事の場合は、お休みになるのはクリスマスくらいでしょうか。)


ヴァレンタインデーは、もともとカトリックの祝日なのですが、この「聖ヴァレンタインさん」に関しては、こういう伝説があるそうです。

時は、西暦3世紀。ローマ皇帝クラウディウス2世の帝政期。「富国強兵」を唱える皇帝は、若い男性の結婚を一切禁じていたのでした。それに反対するヴァレンタイン神父は、隠れて若いカトリック教徒の結婚を執り行っていました。

これに腹を立てた皇帝は、ヴァレンタイン神父を牢屋に入れてしまうのですが、神父の人となりを知った皇帝は、いっぺんに神父が気に入り、彼をローマ古来の多神教に改宗させようとします。

一方、ヴァレンタイン神父は、これを機会にと、皇帝をカトリックに改宗させようとするのですが、これが皇帝の怒りを買い、神父は処刑となるのです。

神父が牢屋に入っている間、看守のひとりが、目の見えない娘をたびたび連れていました。神父と彼女は親しくお話をするようになるのですが、神父が処刑となる直前、彼女にメッセージを記した小さなカードを送り、それがこういう風に結ばれていたといわれます。

「あなたのヴァレンタインより(From your Valentine)」。

これが起源となって、聖ヴァレンタインの命日である2月14日に、思いを寄せる人に、カードを送るようになったといわれています。そして、大事な人のことを「ヴァレンタイン」と表現するようにもなったのでしょう。


ヴァレンタインのお祝いは、もともとヨーロッパで広まったようですが、アメリカには、19世紀になってカードを送り合う習慣がイギリスから伝わって来たそうです。

チョコレートや赤いバラをカードに添えるようになったのは、20世紀に入ってから。

さらに、ダイヤモンドなどの宝石を女性に贈る慣習ができあがったのは、ごく近年のことなんですね。宝石業界の回し者(?)

まあ、もともとの起こりがどうであれ、人々の心の中には、「ヴァレンタインは愛の日」というイメージが刻み込まれていて、この日に婚約するアメリカ人も多いんですよ。

Blue Nileというオンラインの宝石屋さんによると、ダイヤモンドの婚約指輪お買い上げの7割は、一年のうち3日に集中するそうです。

一番人気は、クリスマス。年末のホリデーシーズンで、みんながリラックスしているときですね。

三番人気は、元日。新しい年を迎え、新たな人生の一ページを刻みたいと考える人が多いのですね。

そして、堂々の二番人気は、ヴァレンタインデー。さすがに、「愛の日」の人気は根強いです。

ちなみに、アメリカ式のプロポーズは、男性が片膝を地面に付け、光り輝くダイヤモンドの指輪を女性に差し出すのが儀礼となっております。


この日は、婚約だけじゃなくって、実際に結婚する人も多いそうです。

たとえば、シリコンバレーのサンタクララ郡。サンノゼ市にある郡の役所には、ここで結婚式を挙げようと、いつもよりも倍のカップルが詰め掛けたそうです。

いつもは、この役所のチャペルで結婚するカップルは、平均17組。でも、この日は、40組も結婚したんだとか。それこそ、分刻みのスケジュールだったのでしょうね。

地元の新聞マーキュリー紙も、トップページでこの話題を取りあげています!

Framed for love」とは、写真の「フレーム(額)」と、「愛情の土台」をかけた、うまい表題ですね。


アメリカでは、教会で結婚式(wedding)を挙げ、そのあと盛大に披露宴(wedding reception)を開くカップルも多いです。

けれども、あまり宗教的な儀式を好まない人や、ふたりで静かに挙げたい人などは、証人を連れて、役所で結婚式(civil service)を挙げるケースも多いのですね。
 経済的にあまり余裕のない人たちにとっても、ありがたい役所のサービスとなっているのです。

まあ、結婚証明書(marriage license)は、郡の役所が発行するものです。だから、役所が結婚式を挙げてあげても、何もおかしくありませんよね。

一度、テレビで役所のチャペルを観てみましたが、なかなか雰囲気も良かったですよ。


そうそう、2004年の2月14日は、こんなことがありましたっけ。

サンフランシスコの市長さんが、ゲイのカップル(男性同士、女性同士)の結婚式を市庁舎で挙げてあげたのです。

おもしろいことに、サンフランシスコは、市と郡を兼ねています。だから、市長さん(郡長さん)が、結婚を執り行う権限があったのですね。

あれから、早くも3年。同性結婚を無効にしようと、延々と裁判が続いています・・・

う~ん、個人的には、異性であろうと、同性であろうと、人と人が結びつくのに、性別の垣根は関係ないと思うのですが・・・だって現に、オランダ、ベルギー、カナダ、メキシコ、南アフリカ、スペインでは、同性結婚を認めているではありませんか。


ところで、今年のバレンタイデー。この日のシリコンバレーは、ちょっと肌寒かったけれど、雨もあがって、太陽が降りそそぐ穏やかなお天気でした。

路上には、バラ売りの人たちが立ち並び、行きかう車に向かって「これを買わないと、お家に帰れないよ~」と、赤やピンクのバラの花束を振り上げます。

そんな西海岸を尻目に、東海岸はまったく様相が違っていたようです。数日前からの悪天候が続いていて、ニューヨークの空港では、大混乱が起きていたそうな。

JetBlueという航空会社の飛行機が、嵐でJFK空港を飛び立てず、滑走路に12時間も立ち往生していたとか。機上では、食べ物や飲み物はなくなるし、(トイレの)水は流れなくなるし・・・

そんな飛行機が何機もあって、吹雪のニューヨークから暖かいアリゾナやフロリダに向かおうとしていた乗客は、よりによってヴァレンタインの日に、踏んだり蹴ったりの目に遭ったのでした。


一方、我が家は、連れ合いが出張しているので、静かなものでした。

でも、ちゃんと前もって手配をしていたようで、花とクマさんが届いたのでした。

「それだけ何年も経っているのに、なかなか殊勝な態度(nice gesture)だねぇ」と、お知り合いに妙な感心をされてしまいましたが。

いえ、我が家では、ヴァレンタインデーに出張すると、お花のペナルティーが科せられるのです!!

そして、ヴァレンタインのこの日、お友達のいろんなエピソードも耳にしました。

なんとなく、ほろ苦いものが多いみたいですが、その「ほろ苦さ」も大いに結構。

今なら絶対そんなことしないのに!というようなことでも、若さの勲章みたいなものですよね。

時間というものが、「すごく苦い」を「ほろ苦い」に変えてくれるのです。

You’re the only one (あなただけよ)

もうすぐヴァレンタインデー(St. Valentine’s Day)!

久しぶりに、行きつけのドラッグストアに行ってみると、お店はもう赤やピンクのオンパレード。

このお店には、薬やお化粧品以外に、インテリア製品なども置いてあって、ときどきドア飾りなんかを買ってみるのです。でも、その棚も、箱入りのチョコレートやぬいぐるみたちに占領されてる!


そこで、思い立って、ヴァレンタインのカードなどを買ってみることにしました。最近、連れ合いにあげてないし・・・

けれども、ちょっと問題が。カードのコーナーに行くと、なかなか男性へのヴァレンタイン・カードが見つからない!

女性への愛の告白カードが場所を占めていて、そのまわりには、子供へとか、孫へとか、家族のカードも置いてあります。でも、男性用は、隅っこのほうに追いやられてしまって・・・

ようやく、男性(夫)へのカードをいくつか見つけ、めでたく一枚選んでみたのでした。


表は、かわいいクマさん。

Husband(ダンナさんへ)・・・と書かれています。

クマさんのぽ~っとした顔がいいですよね。

そして、開けてみると、こんなメッセージが。

Wanna be my lovin’ teddy bear ?

わたしのクマさんになりた~い?

ご説明する必要はないかもしれませんが、wannaというのは、want to「~をしたい」の略語ですね。
 たとえば、I wanna go see a movie 「わたし映画を観に行きたいわ」とか。

これは、口語ではよく使いますけれど、書くときは、want toとするのが普通です。でも、このカードの場合は、ダンナさんへのくだけた表現なので、wannaで充分なんですね。

それから、lovin’は、lovingの省略形ですね。「誰かを愛している」つまり「愛に満ちている」という意味。
 Teddy bearは、ぬいぐるみのクマさん。だから、lovin’ teddy bearとは、ぬくぬくとした愛に満ち溢れたクマさん。

そんな「愛に満ちた、わたしのクマさん」にしてあげましょうか、といったところですね。

ふふふ、どちらかというと、思われている強みでしょうか(?)


こちらは、ついでに買ってみたカード。動物シリーズで、それがなかなかかわいいのです。うさぎや馬や牛といった、おどけた動物たちが登場人物です。

選んでみたのは、猫バージョン。唇がチョコレートになってる。

表には、こう書いてあります。

To me(わたしにとっては)・・・

中を開けると、

You’re Purrrr-fect!

もちろん、Purrrr-fectとは、perfectをもじったものですね。Purrとは、もともと動詞で、「猫が喜んで、のどをゴロゴロ言わせる」という意味なんです。

だから、「あなたはわたしにとって完璧な人よ」の猫語バージョンといった感じ。

それから、愛の告白には、こんなストレートな表現も使われますね。

You’re the only one for me 「わたしには、あなただけよ」

この the only one というのは、「唯一の人」という意味ですね。男性でも女性でも使える、便利な表現なのです。


ところで、以前もご紹介しましたが、アメリカのヴァレンタインデーは、男性から女性への愛の告白が主流なのですね。

だから、ヴァレンタイン商戦も、どちらかというと女性へのプレゼントが幅を利かせています。

赤いバラやチョコレート。それから、ぬいぐるみや宝石類は、常套手段ですね。

でも、男性にしてみると、「もう面倒くさいなぁ」と思っている人も多いようで、それこそ、お義理でプレゼントを求める人もいるようです。

そんな方には、こういうのはいかがでしょう?と、こんな広告を見つけました。17ドル99セント(約2200円)のアクセサリー。

ダイヤモンドのアクセントが付いた、色とりどりのジルコンだそうですが、こういうのをもらったって、あんまり嬉しくないかもしれませんね。


近頃は、アメリカのティーンもおしゃれになってきて、身に付けるケータイにも凝るようになってきています。

だから、今年は、ケータイの広告もよく見かけるのです。

こちらは、携帯キャリアのVerizon Wireless

Two Valentines for the price of one 「一台の値段で、ふたつのヴァレンタイン」

要するに、「ひとつ買えば、もひとつタダだよ(Buy One, Get One Free)」なのですね。

一押しのケータイは、Motorola RAZR。2台で50ドルなり。まあ、RAZRといえば、安いモデルになると、ひとつ30ドルで買えますからね。


そして、T-Mobileは、「仲良し5人組の間では、タダで電話できますよ」というキャンペーン中。

テレビでは、こんなコマーシャルが流れていました。

かわいらしい女の子の家に、クマの着ぐるみをまとったメッセンジャーが現れます。風船を手渡され、ワクワクしている女の子に、クマさんはこう歌い始めるのです。

君は、彼のケータイネットワークに入ってないから、すっごく高いんだよ。

だから、

He wants to break up with you today 「今日、彼は君と別れたいんだって」

うっ、なんともシビアな宣伝・・・

追記:「ヴァレンタインデー色」のデザートを作ってみました。テレビでやっていたのですが、簡単なので、ぜひどうぞ。

材料:赤ワイン、グラニュー糖、黒コショウ、いちご、ブラックベリー(分量は適宜)

赤ワインにグラニュー糖を溶かし、黒コショウを少々摩り下ろします。これに、いちごを薄くスライスしたものと、ブラックベリーを漬け込みます。それだけ。

「え、黒コショウ?」と思われた方もいらっしゃるでしょうが、これがピリッとアクセントとなっておいしいのです

わたしは、お好みでハチミツを加え、ブルーベリーも足してみました。ハチミツがあったほうが、照りがよくなりますし、ブルーベリーは目にもいいですしね。

赤ワインは、自分で飲むに耐えるいいワインを使うこと。そうでないと、おいしくありませんからね。

車でプッツン

ご存じ、車社会のアメリカ。どこへ行くにも、まず、車のキーを持ってお出かけです。

健康に悪いなぁと思いながらも、わたしなども、車がなければ、りんご一個も買えません。

そんな社会ですので、当然、街中は車で混雑します。とくに人口密度が高いサンフランシスコ・ベイエリアでは、朝夕の通勤ラッシュ時は勿論のこと、日中でも道路がガラガラになることはまずありません。

おまけに、近頃は、まわりにどんどん車が増えているような・・・


そうなってくると、みんなちょっとした事でイライラがつのります。

そして、それが原因で起こった「road rage (車でプッツン)」の話を、近頃、立て続けに耳にします。

わざと車をぶつけたり、ひどい場合は、先回りして、相手を銃で撃ったり・・・

こういうとき、銃社会の恐ろしさを、まざまざと見せつけられるのです。


そこで、シリコンバレーの新聞、サンノゼ・マーキュリー紙が調査をしました。「運転していて、あなたは何が一番頭にくる?」

栄えある第1位は、フリーウェイに乗るとき、合流が下手な人(写真では、右端が合流車線)。

まず、こちらがいるのがわかっているのに、ブンブンと合流して来るヤツ。こういうのは、事故がいつ起きてもおかしくない。

逆に、ノロノロと合流するヤツ。こちらがブレーキをかけなくちゃいけなくなるし、後続の車にもミニ渋滞が起きてしまう。迷惑千万!

まあ、気持ちはよ~くわかります。車の合流は、強引でも、臆病でも危ないのです。

でも、わたしはこう思うのです。フリーウェイで一番右側(遅い車線)を走っているならば、一般道路から合流があるってわかってるわけでしょ?だったら、仲良く入れてあげるか、さもなければ、左の車線にちょっと移動してあげたらどうでしょう。

勿論、フリーウェイを走っている人が優先権(the right of way)を持ってはいます。でも、合流する車が見えたら、少しは気を使ってあげればいいのに・・・アメリカ人って、こういうところに配慮がちょっと足りないんですよね。どうしても、我先に進もうとする。


惜しくも1位は逃したものの、「頭にくるトップ10」第2位に挙げられたのは、フリーウェイの追い越し車線をノロノロ走る人。

こういうドライバーを「道路の岩(road boulders)」と呼ぶ人もいるそうですが、確かに、追い越し車線(一番左側)で、頑固に動こうとしない人は多いですね。後ろからあおられようが、パッシングされようが、動かざるごと、山のごとし。

いや、カリフォルニアの大方のフリーウェイは、時速65マイル(104キロ)が制限速度ですよ。でも、10マイルオーバーの75マイル(120キロ)までは、だいたいOKなんです。それをノロノロと60マイルで走られ、しかも、隣の車線と同期して道をふさがれるとなると、こっちは行き場がなくなってしまう。

(あの、75マイルがOKとは、あくまでもたとえ話ですよ。でも、時速何マイルであろうと、車の流れに乗ることは大事ですよね。交通法規にも、そう書いてあります。)


実は、このノロノロ運転というのは、安全なようで、危険きわまりないのですね。「車でプッツン」の原因の最たるものが、このノロノロ運転の間近の割り込み(cut off)なんです。

突然、目の前に割り込まれて頭にきている上に、前でノロノロ走られ、更に激昂する。これが危険のパターンなんです。フリーウェイばかりでなく、一般道路でもそうなのですが、割り込まれた方はこう叫んでいるのです。

俺の前でノロノロ走るな!

まあ、スピード違反で捕まるのは、自業自得。だから、速く走りたい人には、走らせておいた方が、安全なんですよね。そう、触らぬ神にたたりなし。


さて、「頭にくるトップ10」の第5位に挙げられたのは、後ろからあおられること(tailgate、テールゲート)。

実は、これも、「ノロノロ運転の割り込み」と同じくらい、プッツンを引き起こす要因なのですね。

展開はこうなのです。後ろからガンガンとあおるドライバー。それに怒った前のドライバーが、急ブレーキをかける。すると、ぶつかりそうになった後ろのドライバーが、さらに怒り狂う。

こういう嫌がらせの応酬を、連れ合いが実際に見たことがあるのです。場所は、通勤時のフリーウェイ101号線。シリコンバレーを縦断する幹線道路で、混雑(traffic jam)の名所です。

若そうなドライバーが前後して、抜きつ抜かれつ応酬のスタントを繰り返す。仕舞いには、怒りは頂点に達し、後ろからわざと追突・・・(いえ、ほんとに追突したんです)


まあ、こういうのは日常茶飯事だそうですが、そこまでいかなくても、アメリカ人を後ろからあおるのは考え物ですね。だって、嫌がらせに、フロントガラスのワイパーを動かし、洗浄液をひっかけてくる人もいますから。

ちゃんと車間距離は開けましょうね。

逆にこちらがあおられたら、間違っても、急ブレーキを踏んで嫌がらせをしてはいけませんよ。後ろは、どんなヤツだかわかりませんからね。

そういう場合は、おとなしく右側の車線に移動するのが無難ですね。


ところで、わたしの「頭にくるトップ10」第1位は、何といっても、これです。

車線変更しようと、こちらが礼儀正しく合図しているのに、わざと車間距離をググッと詰めるヤツ。アメリカ人の9割がこのタイプですね。

あのねぇ、一台入れたからって、目的地に着くのが遅れるわけじゃないでしょ。

もうちょっと、おおらかに運転してほしいものですね。

追記:ちなみに、上でご紹介しなかった「頭にくるトップ10」は、以下の通りです。

第3位:運転中にケータイで話す人(確かに、異常に遅いカタツムリ運転は、大部分がこれですよね。完全に話に気を取られている。そうそう、来年7月以降、カリフォルニアでは「ハンズフリー」の法律が施行されますよ。)

第4位:ダイヤモンドレーンでズルをする人(以前、『ダイヤモンドレーンには気をつけて』でご紹介いたしました。ひとりでこの車線を運転すると違反なのです。)

第6位:雨が降っているのに、ヘッドライトを点けない人(カリフォルニアでは、雨でワイパーを動かしたら、同時にヘッドライトを点けるのが法律なのです。)

第7位:スピード違反(これはもう、万国共通ですね。)

第8位:方向指示灯を使わない人(アメリカ人は、ほんとにこれが多いです。思うがまま、好き勝手に運転している・・・これをやると、とくに右折(日本の左折)のとき、オートバイや自転車を巻き込む恐れがありますよね。)

第9位:赤信号で右折するとき、ちゃんと停止しない人(カリフォルニアでは、赤信号の右折進行はOKですが、このとき、一旦停止するのが原則なんです。まあ、当たり前のことなんですけど・・・)

第10位:法律を無視する歩行者や自転車愛用者(勿論、歩行者が横断歩道でない場所で道路を渡るのは違反ではありますが、サンノゼ市でこれをやると、警察に違反チケットを切られるのです。こういう違反を jaywalking と言いますね。)

つい先日、こういう光景を見かけました。自転車を運転しながら、「Fxxx you!」と、追い越して行った車に向かって中指を立てている男性。きっと危うく接触しそうになったのでしょうね。

車に比べると、自転車も歩行者も吹けば飛ぶような存在です。車の方が大きな顔をするのは、どこの国にしても間違いだと思うのです。

© 2005-2024 Jun Natsuki . All Rights Reserved.