さくらんぼの実が生りました

こちらの「ライフ in カリフォルニア」のコーナーでは、前々回、『さくらんぼの花を求めて』というお話を書いてみました。

3月の終わり、さくらんぼの白い花を見に、家からちょっと南へドライブをしてみたお話でした。


そして、今日、また似たようなコースをたどって、晴れた午後のドライブに出かけてみたのでした。

前回と同じで、まず、サンノゼ南端にある我が家から、フリーウェイ101号線を南下します。

この辺の101号線は、「エル・カミーノ・レアル(El Camino Real)」という、シリコンバレーの幹線道路と併用になっていて、道路脇に、「歴史的な道路」を示す鐘が立っています。
 いつか、このエル・カミーノのお話をする機会もあると思いますが、この道は名前を変えながら、カリフォルニアの南端サンディエゴの方まで、延々と続いているそうですよ。

途中、黄色いスクールバスを見かけたのですが、お尻の部分がやけに丸っこくて、とてつもなく年季が入っています。

さすがに、鼻先が飛び出たレトロなバスではありませんが、こちらもかなり古そうですよね。


 そのレトロバスに別れを告げ、フリーウェイ101号線を出て、コックレイン・ロード(Cochrane Road)を西に向かいます。

ちょっと行くと、前回利用したモントレー・ロード(Monterey Road)に出て来るので、ここを右折し、一路北へ向かいます。

モントレー・ロードは、101号線に併走しているので、混雑の迂回路に最適なのですね。

少し行くと、前回ご紹介した、給水塔が出てきました。

今日は、平日の午後。天気がよくって、絶好のドライブ日和だけれど、モントレー・ロードを走っている人は、ほとんどいません。
 時に、レーシングカー気取りの車が、猛スピードでビュンと通り過ぎて行きます。

道路の脇には、見渡す限り、さくらんぼの果樹園が続いています。


また前回のように、道路脇に車を止め、さくらんぼの写真を撮ってみることにしました。

5月も下旬ともなると、さくらんぼの実もたわわに実っています。
 赤いさくらんぼが、ポチポチ葉っぱの間から顔を出しています。

ちょっとアップにすると、こんな感じです。かなり背の高い、さくらんぼの木。上の方まで、びっしりと実っています。

それにしても、ふた月もしないうちに、こんなに変わるものなんですね。3月の終わりには、まだ花だったのに。


またちょっと北上すると、「さくらんぼ(Cherries)」の看板を見つけました。

そこで、中へ入ってみると、ほんの道路端に、こんな果物スタンドが立っていました。

こちらは、この辺でも有名な果樹園の直営スタンドなんですね。

その名も、「サーソ家のフルーツスタンド」。
 サーソさんの一家は、1927年から、この場所で果樹園を経営しています。


さっそく、さくらんぼを買いにスタンドに向かったのですが、売っているものも、いたってシンプル。さくらんぼにアプリコットにプラムです。

アプリコットだと、かごに山盛りで、8ドル。こちらは、近くの果樹園から配送されています。

さくらんぼは3種類あって、ダークチェリーのビング種(Bing)、山形県のさくらんぼに近いレニエ種(Rainer)、そして、ビングとレニエの交配種ブルックス(Brooks)。ひと山、それぞれ、10ドル、15ドル、12ドルで売っています。

買ってみたのは、今まで食べたことのないブルックス。普通、スーパーに行くと、ビング種が多く、たまにレニエが手に入りますが、ブルックスというのにはお目にかかったことがありません。
 でも、これはカリフォルニアで生まれた品種で、谷間の暖かい気候にもよく合うそうです。

ビングの濃い甘味と、レニエの酸味が、ほどよく溶け込んでいます。


お店番は、こちらのふたりのおじさん。

何を隠そう、右側の方が果樹園のオーナー、ケネス(ケン)・サーソさんです。

仲良く肩を組んでいるのが、一緒に育った、50年来の親友の方だそうです。名前は伺わなかったですが、日系の方とお見受けいたしました。ゴルフをしないときは、こうやってお店を手伝ってくれるそうです。

サーソ一家がこの辺りに引っ越して来たのは、おじいさんの代の1927年。このジョーおじいさんは、シリコンバレーはキャンベル(Campbell)の街から引っ越してきました。
 当時、キャンベルも果樹園の広がる場所だったはずですが、きっと、もっともっと広い土地を求めて南下して来られたのでしょうね。

こちらのピンボケの写真は、店内の壁に飾ってあった、昔の木箱の前面部分です。
 一番左は、ジョーおじいさんの名前が書いてあって、「南コヨーテ(South Coyote)」という地名が添えられています。
 真ん中がお父さんの代、一番右が自分たちの代だそうです。

お店の看板に書いてある「サーソの子供たち(Saso Kids)」というのは、ジョーおじいさんの誇り高き子孫、といった意味なのでしょうね。


ケンさんご自身は、この地で生まれ育ったそうですが、子供の頃は、まわりには日系の農家が多かったといいます。道を隔てたあちら側には、ナカオ・ファミリーがいて、ピーマンや唐辛子を育てていたそうです。

もう、今は、この辺りには日系の農場はほとんどなくなったそうですが、やはり、食べていくのは容易ではないからねと、ケンさんはおっしゃっていました。後継者不足ということもあるのかもしれませんね。

ケンさんと途中でお店に出て来た奥さんには、4人の子供がいて、みんなもう立派に大人になっているそうです。
 孫も何人かいて、店内の壁には、孫娘が描いてくれた、カラフルなさくらんぼの絵が飾ってありました。(ケンさんが12歳の頃の写真も、誇らしげに掲げてありましたよ。一時期、かぼちゃ畑をやっていて、大きなかぼちゃを腕いっぱいに抱えている写真です。)

さくらんぼの収穫のシーズンともなると、子供たちの家族が、週末に手伝いに集まってくれるそうです。


広大なさくらんぼの果樹園と放牧場を経営するサーソ家。

この辺の名物一家として、地元の新聞サンノゼ・マーキュリー紙にも、何度か取材を受けたそうですが、道理で、どこかで見たことのある顔なわけですよね。

このコヨーテ・バレーでは、いまだに大企業や住宅地の誘致プランがくすぶり続けているようですが、いつまでも、一家総出で、おいしいさくらんぼを作っていただきたいなと思うのです。

さくらんぼの時期に、シリコンバレーに来られることがあったら、ぜひ足を延ばしてみてくださいね。

地図は、こんなものでいかがでしょう。
 モントレー・ロードをモーガンヒル方面に向かい、サンノゼ南端のバーナル・ロード(Bernal Road)を越え、パーム・アベニュー(Palm Avenue)が交わるところにあります。

春の動物たち

いったい何時ごろだったのでしょうか。

耳元で誰かがささやく声がして目が覚めると、あたりはかなり明るくなっていて、外からは鳥のさえずりが聞こえてきます。
 まったく聞いたこともない言葉だったので、とても不思議な気がしたのですが、まだ起きる時間じゃないからと、もう一度目を閉じました。

次に目覚めた音は、小鳥のさえずりでした。どうやら、ベッドルームの窓にしがみついて、ピーピーと一生懸命に鳴いています。時にくちばしがコンコンと窓ガラスに当たり、知らないうちにノックのようになっています。


春になって、雨季も終わりを告げる頃になると、我が家のまわりには、いろんな動物たちが姿を現します。

一番たくさん見かけるのは、やっぱり鳥でしょうか。

数えたことはありませんが、それこそ、何十種類という鳥たちが現れます。きっと野鳥の会の方々だったら、望遠鏡を片手に、日がな一日、飽きることなく鳥たちを観察なさることでしょう。

こちらは、水を飲みに現れた小鳥さん。名前はわかりませんが、珍しくアップで撮れました。

目のまわりが白くて、かわいいのです。


こちらは、チョウゲンボウ(Kestrel)。

小形のタカなんですが、まだまだ自然の残る、近くのアルマデン(Almaden)の谷間でよく見かける鳥です。
 この日は、珍しく、裏庭にさっそうと姿を現しました。

何年か前は、こんなこともありました。

やっぱり今朝のように、窓のすぐ外に鳥がしがみついていたらしいのですが、この時のお相手は、啄木鳥(きつつき)。

まるで、ドリルでコンクリートに穴を開けるような、すさまじい音がしています。いくら熟睡している人だって、絶対に目を覚ますような、高らかな響き。

こちらは、家に穴を開けられたらたまらないと、内心ヒヤヒヤしていたのですが、間もなく音も止み、他の家に飛んで行ったようでした。
 そして、遠くの誰かさんの家から、またドリルの音が聞こえてきたかと思うと、じきに、その高らかな連続音も止んでしまいました。

どうやら、いくら啄木鳥さんといえども、しっくいで固めた外壁には、歯が(くちばしが)立たなかったようです。

その翌年からは、ドリルの音は、もう聞こえなくなったのでした。先日、「あ、啄木鳥だ!」と思ったときは、本物の工事現場の騒音でした。


以前、まわりには、ワイルドターキー(野生の七面鳥)やうさぎがいるというお話はいたしましたが、ちょっと恐い動物も住んでいるのです。

それは、コヨーテです。

前回、我が家のちょっと南は、「コヨーテ・バレー」と呼ばれている谷間だとご紹介したところでしたが、いまだに、我が家のまわりには、コヨーテが生息しているのです。

どうやら、このような小川のまわりを住処としていて、人間を横目にタッタッと闊歩しています。少しは人に慣れていて、共存のすべを知っているようです。

コヨーテなんて聞くと、すごく恐そうですが、実際に見てみると、そんなに恐ろしい感じはしないものですよ。なんとなく、耳の立った小形の犬とも、狐とも見受けられる風貌で、あんまり凶暴な感じはしないのです。(残念ながら、いまだに写真を獲ったことはありません。)

それでも、飼いならされた動物とは違っていて、以前は、春先の深夜ともなると、決まってコヨーテの遠吠えの大合唱が聞こえていましたし、犬や猫の飼い主たちが、コヨーテに噛まれて怪我をしたペットの話をしていたものでした。

普段は、野生のうさぎさんを食べているのでしょうか。一度、裏庭に、うさぎの前足が落ちていたことがありました・・・


まあ、そんなコヨーテ様ご一行ですが、近年は、宅地開発の影響で、だいぶ減ってきたみたいです。

先日の土曜日、普段は絶対に姿を見せないような大きな道路を、昼の日中に、のそのそとひとりで歩いているコヨーテを見かけました。
 毛皮はかなり白っぽく、痩せこけて見えたのですが、これは、年齢のせいなのでしょうか、それとも食べ物が足りないせいなのでしょうか。

そのゆっくりとした歩き方に、ちょっと心配してしまったのですが、こういうときに限って、カメラを持ち合わせていないんですよね!


ま、コヨーテも自慢のご近所さんではありますが、春の訪問者としては、カリフォルニア州の代表選手もいるのです。

そう、カリフォルニア・クウェール(California Quail 、学名 Lophortyx californica)。

何を隠そう、カリフォルニアの州の鳥(Sate Bird of California)です。

クウェールというのは、ウズラの仲間のことですね(そう、よく高級レストランのメニューに出てきますよね。でも、カリフォルニア・クウェールは食べられないと思いますよ)。

名前の通り、この鳥は州内に広く生息しているそうですが、19世紀、初めて白人たちに「発見」されたのは、南カリフォルニアのサンタバーバラだったとか。

我が家のまわりでは、近くの自然道の脇に住んでいるようですが、天気のいい日にここを通ると、必ず一羽は見かけるのです。


彼らは、冬の間は群れて生活しているそうですが、春ともなると、こんな風にカップルになって行動し、あちらこちらをお散歩し始めるのです。

普段は、あまり飛ばないので、ほんとに「お散歩」といった感じで歩き回るんですよ。ちょっと大きい方が、オスだそうです。

我が家でも、裏庭でチチチッという鳴き声がしたかと思うと、ふたりで仲良く餌探しなんかをしています。

でも、警戒心は強いので、動きもかなり素早く、写真を撮るのが難しいのです。

アップで見ると、こんな感じです。

そう、一番の特徴は、頭の上にちょこっと付いた「とさか」なんですね。
 これを見たら、カリフォルニア・クウェールだと思って、まず間違いはないでしょう。


ある日、またいつものように、チチチッという鳴き声が聞こえたので、カメラを準備して、外を覗きました。

すると、鉄柵の四角い枠に、ウズラちゃんがしっかりはまっているではありませんか。

う~ん、なんとなく、「お座り」っていう感じですよね。きっと、ここにいると、安全な気がするんでしょうねぇ。

で、このウズラちゃんが見つめている先は・・・

誰だかわからないけれど、違った種族の小鳥ちゃんでした。

当のウズラちゃん、なんとなく、敵対心を燃やして眼を飛ばしているようでも、仲良く話し掛けようとしているようにも見えますよね。

でも、お相手の小鳥ちゃんは、「我関せず」って感じで、そっぽ向いてますけど・・・

Sayonara (さよなら)

先日、連れ合いが、ギリシャの首都アテネに出張しました。なんでも、全世界から社員を呼んで、大きな会議があったそうです。

まあ、つまらない会議もさることながら、会議の合間に出されるホテルの食事も、ギリシャとは思えないほどおいしくなかったそうで、明らかに不満材料のひとつとなったのでした。

そこで、ある日、ひとりでふらりと昼ごはんを食べに出かけました。


エッセイやフォトギャラリーでご紹介しているように、ギリシャは、つい一年前にふたりで旅行したばかりでした。だから、方向感覚の鋭い連れ合いは、アテネの街中を、地図も見ずにスイスイと歩けたそうです。

行き着いた先は、アテネのプラカ地区。下町の雰囲気が立ち込めるレストラン街です。小さな通りには所狭しとレストランやカフェが並び、観光客を目当てに、おじさんたちが賑やかに客引きをします。

ちょっと疲れた連れ合いは、裏通りまで行き、誰もいない静かな屋外の席に腰掛け、青い空と新鮮な空気を楽しんでいました。

ほんの片とき会議を離れ、平和な時間が流れます。


すると、そこに、お昼休みの中学生の男の子の集団が現れ、お店の窓口で、サンドイッチなんかを買い始めます。ペチャクチャ、ペチャクチャ、かしましい集団です。

そして、連れ合いを見つけた男の子のひとりが、いきなり、こう言ったそうです。

Sayonara(さよなら)!」

え、日本語であいさつしてくれるのはいいけれど、いきなり、さよならはないでしょ!と思った連れ合いは、「さよならは別れのあいさつだから、こんにちはって言いなさい」と、親切に教えてあげたそうです。

あちらは、なかなか「こんにちは」の方は覚えてくれなかったそうですが、その場はなんとか会得して、さよならして行ったそうです。

それにしても、ギリシャ人の男の子が、「さよなら」を知っていたなんて!


所変わって、アメリカでも、一番知られている日本語といえば、やっぱり「さよなら」かもしれませんね。

なぜか、米語では、「おさらばする」という表現のときに、よく外国語を使います。

たとえば、スペイン語の「アディオス(Adiós)」も代表的なものですが、最近では、日本語の「さよなら」も負けずにたくさん使われていますね。
(「さよなら」は、どちらかと言うと、「さよ〜ら」みたいに、「な」にアクセントがあります。)

残念ながら、「こんにちは」の方は、まだまだ広まっていないですね。発音が、難し過ぎるのでしょうか。


「さよなら」みたいな慣用句に加え、「スシ(寿司)」、「ヤキトリ(焼き鳥)」、「スキヤキ(すき焼き)」といった食べ物の固有名詞も、もう立派に英語になっていますね。

「スキヤキ(sukiyaki)」は、レストランのメニューでもありますが、かの有名な、坂本九の名曲「上を向いて歩こう」も、「Sukiyaki」と呼ばれているのです。

一説によると、この歌を売り出したイギリスのレコード会社の社長が、すき焼きが好物だったからだそうですが、多分、この歌が流行った頃は、日本のもので知られているのは、すき焼きくらいしかなかったのでしょうね。

先日、こんなワンちゃんも見かけました。「スシ(Sushi)」という名前の秋田犬です。動物愛護協会が里親を探していて、新聞に広告を載せていたのです。

「わたしは、3歳のメスの秋田犬です。体も大きいけれど、心も負けないくらいに大きいです。新しい家族と一緒に、暖炉の前でぬくぬくと丸まりたいです」と書いてあります。

それにしても、今どき、車、電化製品、アニメ作品と、日本のもので知られているのはいくらでもあるのに、どうしてよりによって、「スシ」という名前にするのでしょうか。


まあ、いろんな文化にまつわる言葉の中でも、やっぱり、食べ物の名前は外国に伝わり易いですよね(ロシア語のピロシュキだって、誰でも知ってますよね)。

たとえば、大根。これは、英語では、daikon とか、daikon radish とか呼ばれています。大根は、小ぶりなハツカダイコン(radish)の仲間とされているのですね。

同じように、椎茸は、shiitake とか、shiitake mushroom とか呼ばれています。たしかに、椎茸は、マッシュルームの仲間ではありますよね。
(発音はかなり違っていて、「タ」にアクセントのある「シーキ」とか、意表を付く「シーラキー」とか呼ばれます。日本が世界に誇るカラオケだって、「キャリオーキー」になってしまいますものね。)


以前、南部のノースキャロライナ州に住んでいたお友達が、スーパーでこんなことを経験したそうです。

大根を手に取っていると、店員さんが、「この野菜、何ていうか知ってる?」と聞いてくるのです。
 日本語では大根だけど、英語ではいったい何て言うんだろうと、お友達が口ごもっていると、この店員さん、誇らしげにこう言い放ったのです。

「これはね、ダイコンっていう名前なのよ。覚えといてね。」

いやあ、西海岸ならいざ知らず、ノースキャロライナのスーパーに大根があるなんて、驚きですよね。(こんな風に、野菜スティックにでも使うのでしょうか?)

そういえば、我が家の近くのスーパーでは、オーガニックの水菜(mizuna)が手に入ります。うちのはねぇ、有機栽培なんだよと、自慢されたことがあります。
(水菜は、「ズ」にアクセントの付いた「ミズーナー」と発音します。)

一度、水菜を吟味していると、「なんだ、スープを作りたいんだね」と、店員さんに声を掛けられました。

どうも、日系人の店員さんのようでしたが、水菜をスープにするのでしょうか?普通、水菜は生で食べませんか?水菜とカリカリに炒めたシラスを和風ドレッシングで合え、温泉卵をとろりとかけると、おいしいですよね!


ところで、昨日、お買い物の帰りに、ラジオでこんなことを耳にしました。

明日は、海沿いに霧も出てくるので、気温は a little sukoshi cooler なのよ。

そう、ちょっと涼しくなるよという意味ですが、この sukoshi (少し)というのも、立派な英語のようですね。

南部ヴァージニア州出身のわたしの元上司が、以前、こんなことを言ってました。

自分がティーンエイジャーの頃、ジーンズの宣伝で、sukoshi bit と言っていたので、sukoshi というのは、「少し」という意味の英語だと思っていたと。

言葉って、ほんとに不思議ですよね。何が外国に伝わるのか、まったくわからないです。

鼻ちょうちん

先日、映画『フラガール』を鑑賞いたしました。

ご存じ、福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ(旧・常磐ハワイアンセンター)」の生い立ちを映画化したものですね。
 あのクライマックスシーンで女優の方々が披露する、驚くほど玄人はだしのフラダンスもさることながら、わかりやすいストーリー展開で、観る人をのっけから魅了する秀作です。

台湾から大切に運んできた椰子の木の「クリスティーナちゃん」に、上着を着せてあげるお兄さん。そして、寒さで枯れないようにと、街中のストーブを必死に集めるお母さん。わたしの大好きなシーンです。

北海道出身の連れ合いは、子供の頃、近所の商店街の福引で、「常磐ハワイアンセンター二泊旅行」を当てたことがあるそうです。幼少の頃より、くじ運がよかったんですね。
 でも、学校があるし、5人家族のうちどのふたりが行くのかと議論になったので、結局、お向かいのおばさんに差し上げたそうです。けれども、そのときの思い入れが強く残っているのでしょうか。この映画は、もう3回も観たらしいです。


わたしは、いわき市には行ったことがありませんし、炭鉱の街には縁もゆかりもありませんが、とにかく、この映画の地が懐かしかったです。誰の故郷であってもおかしくない、そう思うのです。

あの頃は、みんなが貧しかったし、食べていくのに一生懸命だった。そんな印象が、まず頭に浮かんだのでした。
 そう、何はともあれ、みんな生きることに必死だったんですよね。

炭鉱の街に生まれれば、長じては炭鉱に入る、これが当たり前の時代。四の五の小難しい事は考えず、じいちゃんや父ちゃんや兄ちゃんの後を継いで、穴に入る。

きっと、他のどこの街でも、選択肢は限られていたはず。
 海に行く街に育てば、海に行くし、畑を耕す村では、畑を耕す。


そういえば、昔は、育つ環境も、そんなにキレイ・キレイではなかったですよね。それが証拠に、「青っぱな」を垂らした子供もたくさんいました。そう、小学校のひと学級に、必ず一人はいたもんです。いくらすすっても、いつも鼻の下に、タラ~っと垂れてる。

それから、「鼻ちょうちん」。わたしは実際に見たことはありませんが、連れ合いはあるよと断言していました。

「鼻ちょうちん」ってわかりますか?鼻水を垂らしながら寝ると、何かの拍子で、ふとちょうちんみたいにプ~ッと鼻水が膨れる現象。うん、水は、表面張力がありますからね。

それにしても、なんで昔は「はなっ垂らし」が多かったんでしょう。「青ばなバイキン」でも流行っていたのかな?

(写真は、小学館発行の「ビッグコミック・オリジナル」の表紙を飾る、村松誠氏の作品です。猫ちゃんの鼻ちょうちんがかわいいですね。)


2年ほど前、東京・両国にある江戸東京博物館に行ったことがあります。シルクロード展をやっていたので、それが目的だったのですが、ついでに、常設コーナーも観てみることにしました。

すると、入っていきなり、後ろから声をかけられたのでした。「この玉川上水は、ごく最近まで使われていたんでしょ」と。そこには、昔の木製の水道管が展示されていました。

エッと後ろを振り向くと、おじさんがにこやかに立っていて、まるで10年来の旧友に語りかけるように、親しげに説明を始めるのです。こちらは思わず、知り合いだったかなと、頭の中の記録簿をめくります。いえ、該当なしですけれど。


なんでも、玉川上水(たまがわじょうすい)というのは、多摩川水系を源とし、東京都羽村市から新宿区四谷まで流れる用水路のことだそうで、昔は、そのまま飲み水としても使われていたそうです。

今は、だいぶ埋め立てられたりしていますが、展示されてあった木製の水道管は、江戸時代、大きな用水路から各家庭に配水するのに使われていたようです。

おじさんがおっしゃるに、今の新宿副都心には、淀橋浄水場というのがあって、これは、1964年の東京オリンピックの頃までは現役だったとか。
でも、その頃は水の出がとっても悪くて、晩のうちにお鍋や入れ物に水をためておいて、朝になってそれを使っていたらしいです。

今のように、蛇口をひねればお水がジャージャーというのは、夢のような話だったのでしょうね。


おじさんのお話は上水では収まらず、今度は下水のお話へと展開するのです。(お食事中の方には、ごめんなさい。)

東京オリンピックの直前は、首都・東京といえども、大部分のトイレはまだ汲み取り式でございまして、しかも、バキュームカーという文明の利器が、そこまで普及していなかったのですね。
 そこで、役所の人が柄杓(ひしゃく)ですくって桶(おけ)に入れ、それをえっちらおっちらトラックまで運び、トラックの上の大きな樽に移す、という大変骨の折れる作業をやっていたのです。

役所の方々は、マスクもせず、手袋もせず、汚物にまみれながら仕事をします。そして、辺りは、すごい臭いが立ち込める。でも、それを汚いとか、臭いとか、あざ笑っては決していけないのですね。だって、怒らせたら最後、汲み取ってもらえないから。
いつもお好みのタバコをお礼に差し上げていたそうですが、それがひと箱などとケチると、とんでもないことになるそうです。汲み残しがあって、すぐに満杯になる。

目黒のあたりでも、昭和30年代くらいまではそうだったらしく、目黒のアメリカンスクールの子供たちが車で通るとき、たいそう珍しがって、写真を撮っていたそうです。


で、ここでわたしが一番びっくりしたのは、人力で汚物を運んでいたということではなくって、運ぶのに使っていた桶の重さだったのです。

桶というのは、こんなものなのですが、江戸東京博物館には実物が展示してあって、実際に担いでみることができるようになっているのです。

わたしもトライしてみましたが、何もかもが、がっしりとした木でできていて、とにかく重い!
 何も入っていないのに、とっても肩に担げる気がしないのです。

昔の人は小さくても力持ちだったのかもしれませんが、それにしても、あの重い桶に中身を入れて歩くなんて、わたしにはとっても想像ができませんでした。

(写真は、ビッグコミック・オリジナルの連載作品、ジョージ秋山氏の「浮浪雲(はぐれぐも)」より)


結局、おじさんとは、1時間以上おつきあいすることになったのですが、こんな思い出話もしてくれました。

おじさんが子供の頃、家が遠くにあると、自費でわざわざ電柱を立てないと、電気が家に通わなかったそうです。ということは、貧しい家だと、電気が来ない。
 そこで、学校の先生は、こういう計らいをしてくれたのでした。今日の私の当直の時は、誰さんと誰さんが学校に来て、夜の間お勉強をなさいと。

そういう子は、よく弟や妹を背中におぶって子守りをしていたので、先生がおむつを取り替えてくれたりしたそうです。


これを書きながら、ふと思い出したことがありました。

子供の頃、おばあちゃんちに行ったら、おばあちゃんが母にこう言うのです。「お正月なのに、そんなに継ぎ当てのあるセーターを着せなくても・・・」と。
 姉もわたしも、肘(ひじ)に皮のパッチが付いたセーターを着ていたのですが、それがファッションではなく、かわいそうに、破れを繕う(つくろう)継ぎはぎだと思ったらしいのですね。

ま、たしかに、昔は服に破れがあっても、すぐには捨てなかったものですよ。

そういえば、もうすぐ「子供の日」。

現代の、青っぱなのない「はな垂れ小僧」たちも、元気に遊びまわっている頃でしょうか。

追記:鯉のぼりと港の写真は、島根県は美保関(みほのせき)のものです。4年前のちょうど今頃、両親と旅をしました。神話の里・島根にふさわしく、しっとりとした港町でした。

それから、博物館で出会ったおじさんは、別に説明要員のボランティアではなく、ただのお客さんだったみたいです。後ろから話しかけてくださるなんて、わたしの後姿が、よっぽど暇そうに見えたのでしょうね。

さくらんぼの花を求めて

少し前のことになりますが、3月の終わり、ちょっとしたドライブをいたしました。

その一週間前、観光地モントレー近くのゴルフ場で遊んだ連れ合いが、行く途中に真っ白い花の群れを見つけたから、どうしてもわたしに見せたいと言うのです。

そう、シリコンバレーの幹線道路、フリーウェイ101号線を南下すると、あちらこちらにさくらんぼ畑があって、春ともなると、辺りが真っ白に変わるのです。


そこで、お天気の良い土曜日、101号線を一路南へ向かいました。

この日は、思ったよりも風の強い日。途中、フリーウェイの真上では、小型飛行機が風に吹かれて、ユラユラ揺れています。

どうも、近くの小さな飛行場を目指しているようですが、着陸寸前に強風にあおられ、タッチダウンできません!

すぐ脇のフリーウェイでは、どの車も、固唾を呑んで見守ります。みんな速度を下げ、ノロノロ運転。

結局、当の自家用飛行機は、タッチダウンできないまま、また加速して、大空へと向かっていきました。が、飛行機の中では、誰かが大きく動いているのが見えました。動揺していたのかな?

う~ん、無事に着陸できたのかなぁと気になりながら、そこから更に、101号線を南下していきます。
 南の空は雲行きが怪しく、海沿いの山脈には、霧のかたまりが魔の手のように忍び寄っています。

きっと、海岸線は、霧で真っ白なのでしょうね。この辺の海は、とにかく霧が多いのです。晴れているからって、薄着で行くと、とんでもない目に遭う事があるんです。


さて、ニンニク栽培で有名なギルロイ(Gilroy)の街を過ぎると、101号線も一旦フリーウェイから一般道路となります。
 そして、ここまで来ると、ようやく、さくらんぼ畑が間近に見えてくるのです。

道沿いには、近くの果樹園の「さくらんぼ(Cherries)」の看板も立っています。さくらんぼの季節になると、沿道に小さな売り小屋ができて、誰でも気軽に立ち寄れるようになるのです。

肝心のさくらんぼの花は?そう思って、101号線の脇に車を止めてみたのですが、残念ながら、ちょっと盛りを過ぎていますね。花はだいぶ散り、ところどころに葉っぱも出ています。

やっぱり、連れ合いが見た一週間前が、一番の見ごろだったのかもしれませんね。

満開を過ぎていたので、ちょっとがっかりではありましたが、辺りを見渡すと、そこには、美しい緑の山。雲の隙間から注ぐ光に、雨季の新緑が輝いて見えます。

まあ、これを見られただけでも、よしといたしましょうか。


目的のさくらんぼの花にも出会えたので、ここからこの道を西へちょっと走り、シリコンバレーに向かって、北上することにしました。
 この先で右に曲がると、シリコンバレー方面に向かいます。

この辺りって、なんとなく、ヨーロッパの田舎町の雰囲気もありますよね。この農道だって、なかなか立派なものです。

途中、モントレー・ロード(Monterey Road)という大きな道を北上したのですが、この道は、フリーウェイ101号線に沿って南北に走り、渋滞の抜け道に重宝するのです。
 ところどころ信号はありますが、普段はあまり混まず、快適に運転できるのです。

まわりは、まだまだ農地や果樹園ばかりですが、こんなに立派な新興住宅地も出てきます。この辺りは、ちょっと前まで家なんてなかったはずですが・・・。

けれども、住宅地を過ぎると、途端に、田舎町の雰囲気に逆戻り。この標識は何だかわかりますか?

わたしも初めてじっくりと見てみましたが、「Tractor crossing」、つまり、「農業用トラクターが横断する場所」という目印なんです。
 トラクターは速度が遅いので、見かけたら、ぶつからないように注意すること、という標識なのですね。

そこからちょっと行くと、菜の花畑が!
(もしかすると、菜の花ではなく、マスタードの花かもしれません。そう、あの香辛料のマスタード。なんでも、菜の花は、マスタードの仲間なんだそうで、花の見分けが難しいのです。)

さくらんぼの花が満開を過ぎていたわりに、こちらはまさに、今が盛り。

この木の感じも、アメリカの田舎町の雰囲気をかもし出していますよね。

以前、「シリコンバレーってどこでしょう?」という中でご紹介いたしましたが、シリコンバレーは、サンタクララ・バレーという谷間にあります。西はサンタクルーズ山脈、東はディアブロ山脈に囲まれた、広大な、肥沃の谷間です。
 シリコンバレーの中心地にいると、谷間という気はぜんぜんしないのですが、この写真の辺りは、東西の山脈も互いに迫っているので、谷間もかなり狭くなっています。幅は4マイル(6キロ強)ほどしかありません。

それでも、肥沃な黒々とした大地が広がり、19世紀中頃に最初の入植者が入って以来、農業や牧畜の地として、名を馳せてきたのでした。


菜の花畑から少し北上すると、モーガンヒル(Morgan Hill)という街が出てきます。
 こちらは、モーガンヒルのダウンタウン。かわいいもので、わずか2ブロックくらいで、繁華街はもうお仕舞い。

ここには、小さな街ならではの歴史があって、街の名前は、初期の頃の地主さんの名前から来ているようです。
 19世紀後半、近くにサザン・パシフィック鉄道が開通し、最初、この辺りは「ハンティントン」と呼ばれていました。でも、駅はモーガンヒルさんちの屋敷の近くにあるんだから、「モーガンヒル」に変えましょうよ、ということになったそうです。19世紀末のことでした。

1906年、モーガンヒルは正式に街となったそうですが、20世紀前半は、アプリコット、プルーン、桃、梨、リンゴといった豊かな農作物によって、だんだんと成長していきました。

そして、1950年代以降は、シリコンバレーの繁栄に伴い、ベッドタウン(bedroom community)として、街の人口がどんどん増えていきました。
 繁華街からさほど離れていないのに、小さな田舎町の雰囲気を保っている。そして、シリコンバレーに比べると、まだまだ家も安い。
 自然に囲まれ、のんびりとした生活を送りたい人には、もってこいの街なんですね。

こんな風な昔の給水塔も残っています。


さて、モーガンヒルを過ぎて、どんどん北上すると、そろそろサンノゼに近づいてきます。この辺は、サンタクララ・バレーの中でも、特別な名前が付いていて、「コヨーテ・バレー(Coyote Valley)」と呼ばれています。そう、動物のコヨーテです。多分、昔は、コヨーテがいっぱいいたのでしょうね。

このコヨーテ・バレーは、正式にはサンノゼ市の領土なのですが、まだ市街地化していないので、自然がたっぷり残されています。あるのは、畑と果樹園くらい。
 ここでも、さくらんぼの花がきれいに咲いていました。

それでも、サンノゼの中心地から近いので(車で20分くらい)、絶えず、開発の危機にさらされてきました。
 たとえば、インターネットバブルの時期は、コンピュータ会社のIBMとネットワーク機器のシスコ・システムズが、大きな開発拠点を作ろうじゃないかという計画がありました。が、間もなくバブルがはじけたため、計画はオジャンとなりました。

そして、今は、コヨーテ・バレーの半分をつぶして、2万5千戸の家を建てようじゃないかという開発計画が進んでいます。市が計画を委託した開発業者は、この壮大な宅地プランのお陰で、5万人を雇うことができるんだよと、市を誘惑しています。
 けれども、恒久的な職場のない住宅地をむやみに増やすことに、市の財政の面や自然保護の観点から、反対意見も出ています。(住宅ばかりで企業がないと、市に十分な税金が入らないですからね。)

このコヨーテ・バレーの北端には、近隣住民の反対を押し切って火力発電所が建てられ、ごく最近、稼動し始めました。これを皮切りに、開発がなし崩しに進んでいくのではないかと、ちょっと心配でもあるのです。
(この火力発電所から我が家までは、直線距離でいくと、7キロくらいしかありません。だから、発電所建設はひと事ではありませんでしたね。)


そんな自然と人間の関わりを思いながら、我が家の近くまで戻って来ると、近くの住宅地では、牛さんがのんびりと日向ぼっこをしていました。

我が家のまわりは、もともとは放牧場だった所を宅地化しているのです。ここに引っ越して来た10年前は、まわりには牛さんの方が多かったですね。
 ここ数年で劇的に家が増えたとは言え、今でも、家々と隣り合わせ、牛たちが生活しているのです。

この日は、シリコンバレーは良いお天気。海岸線が霧でくもっていても、サンタクララの谷間は、晴れている場合が多いのです。
(こちらの写真は、シリコンバレーを南から望んでいます。手前に見えている住宅地は、牛さんたちを追い出し、ここ3、4年でできあがったものです。)

こんな日は、春の代表選手、カリフォルニアポピーも輝きます。

州の名に恥じないほど、光を放って見えるのです。

Friday the 13th (13日の金曜日)

突然ですが、わたしは、13という数字が好きではありません。

ホテルの13階なんかには、極力、泊まりたくないですし、病院の13号室にも入院したくありません。もしそうなったら、部屋を替えてもらうでしょう。

13段の階段も嫌いです。幸い、我が家の階段は16段あります。13段の階段のある家なんて、多分、買わないでしょう。


そう思って、この前泊まった東京のホテルで観察してみると、ありましたよ、13階が。アメリカ資本のホテルなのに、おかしいな。

実は、アメリカでは、ホテルやオフィスビルの13階は珍しい産物でして、いまだに、多くの新築のホテルでは、13階がスキップされているらしいです。

部屋を替えてもらうかどうかは別としても、13パーセントの人(!)は、13階の部屋は嫌だと、ごく最近の調査で答えています(USA Today/Gallup Poll の世論調査)。


いえ、アメリカには、もっとすごい人たちがいて、13日の金曜日は、行動をしない人までいるそうです。

たとえば、この日は出歩かないとか、飛行機に乗らないとか、それから、大きなお買い物や大事な投資は絶対にしないとか。

ある推計で行くと、こういった「13嫌い」の人は、全米で2千万人ほどもいて、13日の金曜日(Friday the 13th)には、アメリカ中で8億ドル(約950億円)ものビジネスチャンスが失われている、とも言われているそうです。

なんとなく昔の迷信のようですが、13を忌み嫌う習慣は、まだまだ現役なのですね。

でも、実際、ビルには13階がないことが多いので、消防士さんなんか、出動しても、13階がないと勝手に思い込んでいる場合もあるそうですよ。ちょっと危ない!


そして、ご丁寧なことに、この「13を恐れること」には、立派に英語の名前が付いているのです。

いやに小難しい名前ですが、triskaidekaphobia と言うそうです。

難し過ぎて、何と発音するのか、よくわかりませんよね。

まあ、単語を分解してみると、最後の phobia の部分は、フォビアと発音し、「(〜を恐がる)恐怖症」という名詞、接尾語です。
 たとえば、claustrophobia といえば、閉所恐怖症のことですし、acrophobiaといえば、高所恐怖症のことです(acro は、ギリシャのアクロポリスのアクロですね)。

それから、最初の triskaideka の部分は、13を表します。もともとはギリシャ語のようですが、英語風にはトゥライスケイディカとでも読むのでしょうか。
 細かく分けると、tris が「3」、kai が「と」、deka が「10」。つまり、「3と10」で、13なんですね。


そして、先日の4月13日は、バリバリの「13日の金曜日」でしたが、驚くなかれ、この「13日の金曜日に対する恐怖症」にも、立派な名前が付いています。

こうなると、もう「おまじない」みたいに聞こえますが、paraskavedekatriaphobia などと呼ばれるようです。

こちらも、ギリシャ語を連結した言葉で、「金曜(paraskave)、13(dekatria)、恐怖症(phobia)」です。

こんな風に、英語には「なんとか phobia (恐怖症)」がいっぱいあって、それこそ、何百とあるよといったリストを見たことがあります。

(こちらの写真は、4月13日金曜日の夕刻に撮ったものです。ちょっと、いつもと違うかな。)


そういえば、「13恐怖症」に似ていますが、日本や中国では、4という数字を嫌いますよね。発音が、「死」という言葉に似ているからと。

これも、英語文化圏には有名なもののようでして、英語では、tetraphobia と言うそうです(tetraとは、4本足のテトラポットのテトラでしょうね。つまり、ずばり「4の恐怖症」)。

まあ、いずれにしてもこんなものは、「黒猫が目の前を通り過ぎると、悪いことが起きる」みたいな迷信に過ぎないわけですが、それでも、わたしは、なんとなく13が好きにはなれません。

いつの頃からか、奇数もあまり好きではなくなりました。たとえば、テレビやステレオの音量調整だとか、エアコンの温度設定だとか、そういうのは全部、偶数の数値を選びます。

なぜだか、その方が落ち着くのです。


一方、日本では、奇数の方が好まれる傾向がありますよね。たとえば、結婚式のお祝いには、奇数の金額が望ましいだとか、お見舞いの花束は、奇数輪の花にしなさいだとか。

それに、お皿も、なぜか5枚セットがほとんどです。

わたしは、奇数が嫌なので、1枚買い足したこともあるくらいです。

ゲストはカップルでご招待する場合が多いので、偶数枚の方が理にかなっているとも思うのですが・・・。

ま、それにしても、7はラッキーだとか、8は末広がりで縁起がいいだとか、いろんな勝手な事を言っていますが、嫌われている13君、ちょっとかわいそうですよね。

追記:「13嫌い」という単語は、英語圏だけではなく、ドイツ語、ポーランド語、ポルトガル語圏などにも、存在するそうです。
 そもそも、「どうして13や13日の金曜日は縁起が悪いのか」には、諸説がありまして、確たる答えは存在しておりません。

たとえば、古代スカンディナヴィアあたりでは、12人の神々に13人目の悪い神が加わり、その後、人間界に不幸が訪れたから、というのがあるそうです。
 それから、イエス・キリストの最後の晩餐には、13人の弟子たちが参加し、十字架にかけられたのは金曜日だったから、という説もあるようです。

ちなみに、「13日の金曜日恐怖症」は、friggatriskaidekaphobia とも呼ばれるそうですが、この frigga とは、古代スカンディナヴィアの神話に出てくる偉い女神の名前なのですね。彼女は愛と繁殖の神で、「Frigga の日」というのが、「金曜日」を指すのだそうです。

いずれにしても、キリスト教以前のメソポタミアのハムラビ法典にも、13条目を除外してあったそうで、13は相当昔っから忌み嫌われていたようですね。

現代のハイテク業界でも、たとえば、マイクロソフトの次期 Office 製品は、13をすっ飛ばして 『Office 14』 と呼ばれるそうで、この「13嫌い」というやつは、津々浦々まで浸透しているようですね。

今月の現象:タイガー、グーグル、情報盗難

Vol. 93

今月の現象:タイガー、グーグル、情報盗難


4月。日本では、新たなスタートの時ですね。期待に胸をふくらませ、新しい職場や学校に入った方々もたくさんいらっしゃることでしょう。

4月は、アメリカでも、春の陽気に誘われ、心躍るとき。そんな季節の中、近頃あれやこれやと耳にすることを、3つのお話にまとめてご紹介いたしましょう。

<タイガー現象>
4月は、いよいよ、野球シーズンの到来ですね。日本でも、アメリカでも、大好きな選手への声援に、一段と力が入ります。

今シーズンの注目株は、何と言ってもレッドソックスの松坂大輔選手でしょうが、西海岸のサンフランシスコ・ベイエリアでは、残念ながら、彼の存在はあまり身近に感じられません。
まあ、レッドソックスの本拠地ボストンや、敵地ニューヨークでは、松坂投手や井川慶投手の一挙手一投足が細かに分析され、お互いを熾烈にけん制しあっているのでしょう。が、西のシリコンバレー辺りでは、相変わらず、のんびりと、サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ選手の歴代記録に迫るホームラン打数なんかが話題になっています(ひとシーズン本塁打73本という記録を持つボンズ選手は、ハンク・アーロン氏の生涯記録755本に、あと15本ほどに迫っています)。
それから、珍しくプレーオフ出場を決めたバスケットボールのゴールデンステート・ウォーリアーズや、プレーオフ第2回戦に進出するアイスホッケーのサンノゼ・シャークスというのも、地元の大きな関心事でしょうか。

ところで、現役も引退も含め、アメリカのスポーツ選手の中で、誰が一番人気だかご存じでしょうか?

そう、あまり難しくもないクイズでしょうが、答えは、ゴルフのタイガー・ウッズ選手です。
ちなみに、このときの調査でいくと、2位はバスケットボールのマイケル・ジョーダン、3位はボクシングのモハメド・アリ、4位は同じくボクシングのジョージ・フォアマン、5位は自転車のランス・アームストロングとなっています(5位のアームストロングは、20代半ばでガンを克服し、その後、ツール・ド・フランスで7連勝を果たした鉄人ですね)。

で、タイガー・ウッズくらい有名で、アメリカで一番人気ともなると、それこそ、数えきれないくらいのスポンサーが付き、コマーシャルにもバンバン出演するわけです。けれども、ここで、ふと疑問が湧くのです。いくら知名度があるからって、コマーシャルとして、ほんとに効果的なのかと。
まずは、ご存じ、ナイキ(Nike)。タイガーの名前を聞くと、まず思い浮かべるのが、この会社です。今では、ゴルフ用品の有名メーカーとして、クラブやボール、ゴルフシューズなど、あらゆるグッズを販売します。目立ちたい人のために、今月から、ピッカピカの金色のゴルフシューズも登場です。
「これは、タイガーが使ってるドライバーなんだよ」というのは、世界中のゴルフ場で聞こえてくる自慢話となっていますね。それに、タイガーが愛用するボールと聞くと、もうそれだけで飛ぶような気がしてくる。そして、つい手が伸びる。だから、それだけで、ナイキのタイガー採用は、大成功なんでしょう。

お次は、クレジットカードのアメリカン・エクスプレス(American Express)。日本でもアメリカでも、競争相手のビザやマスターカードに比べると、加入店舗数は少ないです。ひとつに、お店が支払う手数料が高いというのが要因になっているようですが、それゆえに、何かで差をつけなくてはなりません。
その対抗策のひとつが、「利用制限額なしのカード」。きっと、申し込みを受理するには、利用希望者の過去の支払い履歴など、相当のチェックをするのでしょう。が、制限をなくせば、利用者にとっても便利な上に、自分たちにとっても実入りが増え、好都合。妙案かもしれません。
けれども、タイガーさんがアメリカン・エクスプレスに貢献しているかどうかは、定かではありません。だって、第一、タイガーがほんとにクレジットカードなんて持ち歩くの?お付きの人が全部処理するんじゃないの?なんて思っちゃいますよね(あのマイクロソフトのビル・ゲイツさんだって、お財布にいくら入っているのと聞かれて、「財布はあんまり持ち歩かないよ」と言っていたし・・・)。

同じ論法で、どうも怪しいのが、時計のタグ・ホイヤー(TAG Heuer)。ダイバーズウォッチなんかで、かなりのネームバリューを築き上げているので、その点では、タイガーにも負けません。それに、2年ほど前、タイガーの協力を得て、プロ用のゴルフ時計も発売しています。
けれども、ゴルフ中に時計はしないでしょ?とくに、タイガーは、手袋すらしてないことが多いのに・・・なんか、怪しいぞ。

そして、一番怪しいのが、車のビューイック(Buick)。アメリカの三大自動車メーカー、ジェネラル・モータース社のブランドで、「エントリーレベルの高級車」とされています。
まあ、タイガーがビューイックの宣伝に出るようになって、持ち主の平均年齢が、60代半ばから50代半ばへと、10歳も下がったそうです。そういう意味では、タイガーの貢献度は大と言えるでしょう。
けれども、どうしても、この疑問がつきまとうのです。「いくらなんでも、タイガーがビューイックには乗らないでしょう。」
わたしなんて、ビューイックが「高級車(luxury car)ブランド」だったことすら知らなかったくらいですから、タイガーとの結びつきはゼロに等しいのです。

まあ、いくら知名度があるとはいえ、ウソ臭い宣伝は、かえって逆効果かもしれませんね。


追記:ウッズ選手のコマーシャルについては、ビジネス専門ケーブルテレビ局CNBCの4月5日放送番組を参考にさせていただきました。

それから、先日4月15日は、アメリカの野球史上、大事な記念日でした。メジャーリーグ野球に初めて黒人の選手が入って、ちょうど60周年だったのです。60年前、ブルックリン・ドジャースに仲間入りしたジャッキー・ロビンソン選手(故人)が、MLB初の黒人選手だそうです。この記念すべき日に、メジャーリーグ中で、ロビンソン選手の背番号42番を付けた選手たちが目立ちました。
当時は、メジャーリーグに黒人選手は許されない時代。「お前を殺すぞ」という脅迫状まで届いたそうです。けれども、そんなロビンソン選手の苦労があったからこそ、今は、有色人種のスポーツ選手たちが、思う存分活躍できるようになったのでしょうね。


<グーグル現象>
先月の第1話「お仕事と自主性」で、こういうことを書きました。検索エンジンの最大手グーグルでは、制限内であれば、従業員が就業時間中に好きな研究をしてもいいと許されていると。
これを読んだお友達が、こう言っていました。僕が聞いたのは、「プロジェクトに関係ないことをしてもいい」のではなくて、「しなくてはいけない」のだと。
グーグルさんは超有名企業なので、あちらこちらで参照されるケースも多いです。だから、ここでちょっとご説明しておきましょう。

実は、わたしからしてみると、この「してもいい」と「しなくてはならない」の違いは、同じ事象を表と裏から見ただけという解釈なのですね。
わたしが「してもいい」と書いた引用元は、グーグルのCEOエリック・シュミットさんでして、テレビインタビューでの彼の口調を再現しようとしたものなのです。経営者からすると、「プロジェクトの枠に縛られず、自由にやらせているんだ」という意識が強いのでしょう。
けれども、働く側からすると、いかに現行のプロジェクトと直接関係ないこととはいえ、それは立派に評価の対象となっているわけで、そのアウトプット如何によっては、「はい、さようなら」となってしまうのです。そういう状況下では、「しなくてはならない」という意識の方が強くなるわけですね。
ですから、「してもいい」と「しなくてはならない」という表現は、個人的には、どちらでも正しいのだと思っています。

というわけで、注目のグーグルさん。こちらでも、メディアの話題に上らない日はありません。先日も、利益が前年同期比7割増と、第一四半期の業績がバリバリに調子が良かったぞとか、そのうち、マイクロソフトのパワーポイントみたいなソフトを出すぞとか、株価は660ドルをターゲットとするアナリストまでいるぞとか、賑々しいお話もありました。
そんな中、地元紙マーキュリー新聞は、こんなことを書いていました。グーグルが株式公開して、億万長者(millionaire)が何千人と生まれたわけだけれど、これから、どれほどの従業員を繋ぎとめておけるのかと。

グーグルの株式公開から、間もなく3年。公開前から働き始め、間もなく勤続4周年を迎える従業員は何百人といます。ということは、この何百人にとっては、ストックオプションがすべて満期となり、株を売却できるようになる。だから、これを機に、株を全部売り払って、さっさといなくなる従業員が出てくるのではないか、そういった懸念があるのです。
たとえば、公開前の2003年に与えられた1万株のストックオプションは、4周年を過ぎると、5百万ドル(約6億円)ほどの利益を生むことが可能となります。うん、それだけあれば、もう会社を辞めてもいいやと思う人が、バンバン出てくるかもしれない。

ここで、頭を悩ますのは、会社側。少しでも、優秀な人を繋ぎとめ、モーティベーションを持って働いてもらわないといけない。しかも、どんどん金持ちとなっていく古株社員を尻目に、同じだけ働く新米社員にも、不満を持たせないようにしなければ。
そこで、グーグルさんは、あの手、この手の工夫をします。まず、ストックオプションとは違った、「ストックユニット」という制度を導入しました。ストックオプションでは、実際の株価がオプション価格よりも低くなる可能性もあり、オプションを行使すると、損をするケースも出てきます。そこで、株を何株持っているという「ユニット」という概念を設け、いつでも現行の市価の値打ちを保証するようにしました。
今月からは、従業員のストックオプションを、外部の投資家にオークションで売れるシステムを導入します。従業員の中には、ストックオプション価格が、グーグル株ピーク時のひと株510ドル近辺の人もいるのです。そういう人にとっては、外部にオプションを売れるとなると、もっと高く買ってもらえるかもしれません。
ストックオプション制度ばかりではありません。もともと女性社員にも男性社員にも「産休」が取りやすい制度はありましたが、希望者が長期休暇を取りやすいようにと、現在、新制度を整備中だそうです。
それから、夏には、グーグル社員がどれほど満足しているのか、4回目の「満足度調査(happiness survey)」も行われる予定です。

けれども、どんなに会社側ががんばっても、現状維持は難しいでしょうね。働きたい人は残るし、働きたくない人はいなくなる。こればかりは、防ぎようがありません。多くの人にとっては、今の仕事と新しいチャレンジを天秤にかける機会となるのでしょう。
ストックオプションで金持ちになって、同じ場所で働くモーティベーションが翳る現象は、古くはマイクロソフトも経験していることですし、ある意味、会社が大きくなる上での「成長の痛み(growing pain)」なのかもしれません。

ところで、ひとつお話をご披露いたしましょう。朝起きてカーテンを開けると、我が家のベッドルームからは、まず、丘の上の大きなお屋敷が見えるのです。もともと小高い我が家から更に高い場所にあるので、360度を見渡せる絶景の場所に建っています。
ここは、インターネットバブル期に、ISP(インターネット・サービスプロバイダー)で儲けた会社の創設者のお宅なのですが、普通の家の10軒分のお屋敷に、27台の車が入るガレージが付いています。車集めが趣味なんだとか。敷地の脇には、使用人の離れまであるといいます。
この創設者殿、もともとはトラック運送業を営んでいたそうですが、物を輸送するのも、インターネットのパケットを輸送するのも同じ事と、ISPを運営するようになったようです。すると、時流に乗って、あれよあれよと言う間にドカっと儲かり、自分は40歳を過ぎた頃に、早くも引退。悠々自適の生活を送るようになりました。
まあ、パーティーでも開こうものなら、専用の駐車場係を何人も雇い、立派なご門から長?い私道を登るのにゴルフカートでお客様をお連れする、という念の入れよう。参加した方々は、一様に、その立派なお屋敷と、シリコンバレーやサンタクルーズの山並みを見渡すパノラマに息を呑むと言われています(わたしはご招待を受けたことがないので、噂を頼りにするしかありません)。

ところが、数年前、このお屋敷が売りに出されました。売却の希望価格は、16億円くらいでしたか。けれども、なかなか買い手がつかなかったですね。第一、バブルがバーストしてあまり経っていない時期。そんな高い家は誰も買わない。
それから、家自体にも問題があったそうです。なんでも、屋敷内のそこここに、創設者殿のイニシャルがモティーフとなって盛り込まれ、イニシャルが違う人にとっては、買い難い雰囲気をかもし出していたとか。

結局、その時は売れず、そのままになっていたようですが、売りに出した理由は、離婚。どうしてかは知りません。でも、創設者殿の奥方は、さっさとどこかに行ってしまったようでした。

現在、このお屋敷に誰が住んでいるのかは定かではありません。けれども、お屋敷を見上げるたびに、こう思うのです。世の中うまくいかないものだな、と。
もしかしたら、創設者殿、お仕事に情熱を持てなくなってしまったわりに、代わりになる「楽しいもの」が見つからなかったのかもしれませんね。


<スパイ現象>
ここ数日、ローカルニュースで、こんな話題が取り沙汰されています。サンフランシスコから湾を渡って東側のコントラコスタ郡で、相次いで「アイデンティティーセフト(身元情報盗難、identity theft)」が起こっていると。
大手スーパーチェーンのAlbertson’sで、クレジットカードやデビットカード(銀行のキャッシュカード)で支払いをした人の情報が盗まれている。被害は一店舗では収まらず、複数店舗での被害者は、百数十人を越えているようだと。
盗まれているのは、カード番号。デビットカードの場合には、暗証番号まで一緒に盗まれています。被害者の中には、気が付いてみると、銀行口座に1ドルも残っていなかったケースもあり、ニュース番組では、頻繁にオンラインで会計処理や残高をチェックし、買い物をするときは、なるべく現金を使うこと(けれども、あまり高額の現金を持ち歩かないこと)と、視聴者に注意を促していました。

これを最初に耳にしたとき、自分はAlbertson’sでは買い物しないからいいやと思っていました。けれども、二度目にニュースを聞いたとき、ハタと、身の上に起こった事を思い出したのでした。
ごく最近、立て続けに、クレジットカードと銀行のデビットカードに、身に覚えのない処理を発見したのです。しかも、ゾッとすることに、両方とも同じ場所。ラスヴェガスのForum(フォーラム)というショッピングモール。ホテル・シーザスパレスに隣接する、小ぎれいなモールです。クレジットカードが3月末、デビットカードが4月初めの買い物で、両日とも、わたしがサンノゼ、連れ合いが日本にいるときの事でした。
明らかにおかしいので、カード会社にクレームしましたが、それにしても、こんな事が自分の身に起きるなんて・・・

後日、Albertson’sでの情報盗難は、カード読み取り機を偽物と交換してあったためと判明したようでした。読み取り機の中を細工するとか、読み取り機自体を偽物と交換という手口は、南カリフォルニアでよく使われているものだそうで、だとすると、ラスヴェガスの手口も同じなのかもしれません。
実は、あまり買い物をしない我が家も、フォーラムの地下のコンビニで、朝ごはんを買った記憶があるのです。1月のCES(コンスーマ・エレクトロニクスショー)のときでしたが、そこでクレジットカードが使えなかったので、銀行のデビットカードを使って買い物をしたあと、ご丁寧に、連れ合いがデビットカードを置き忘れた経験があるのです。
そのときは、ちゃんとカードが戻ってきたので、しっかりしたお店だと感心していたのですが、クレジットカード番号とデビットカード番号(暗証番号付き)は、しっかりと読み取り機に盗まれていたのかもしれません。

クレジットカード会社は、もう一度同じような疑惑の処理が出てくれば、カード番号を変えてしまいましょうと言っていました。あちらも慣れたもので、カードの持ち主が自分のじゃないよという処理に関しては、お店側に証拠を提出させるルールになっていて、多くの場合、忙しいお店の方は証拠を出してこない。だから、クレジットカード会社は、支払いはしないし、腹は痛まない(そんな事情で、アメリカでは、持ち主がクレームした6、7割は、支払いが行われない結果となっているのです)。

それにしても、カード番号が盗まれるなんて、身元情報盗難の中では一番単純なものとはいえ、あまり気持ちのいいものではありませんよね。 かといって、現金で買い物をする気にはなれないし・・・それだって、アメリカでは、充分に危ない!


<おまけのお話:サンジャヤ現象>
いやはや、参りました。アメリカ中に、奇妙な「サンジャヤ現象」が吹き荒れていたのです。

このシリコンバレー・ナウのシリーズでも何回かご紹介していますが、アメリカの超人気番組に『アメリカン・アイドル』というのがありまして、これに出ていたサンジャヤ君の人気が、尋常ではなかったのです。

このサンジャヤ・マラカー君は、17歳。インド系アメリカ人の男の子で、お目目パッチリの茶目っ気ある表情で、全米の女の子たちを魅了します。
けれども、困ったことに、この番組は、歌唱力のあるプロを見つける企画。サンジャヤ君は、ちょっとそれから外れている。決してヘタではありませんが、まわりのアイドル候補者とはレベルが違う。先のシーズンのアイドル、ケリー・アンダーウッドは、グラミー賞で新人賞を受けているし、過去の候補者ジェニファー・ハドソンだって、この前のアカデミー賞で助演女優賞をもらっているという、そんな、れっきとしたタレント発掘番組なのです。

ところが、何を間違ったのか、サンジャヤ君に魅了されてしまった方々が、「ヘタクソを救う会」なるサイトを立ち上げ、サンジャヤ君の救済を始めたのです。ラジオの超大物パーソナリティー、ハワード・スターンも助っ人となり、毎週、視聴者にサンジャヤ君への投票を促します(そう、この番組は、視聴者の電話投票で結果が左右されるのです)。
いつの間にか、話題はサンジャヤ君の歌唱力ではなく、毎週披露される奇抜な髪型へと移っていったのでした。

でも、しょせん無理があったのでしょう。先週、ベスト6を選ぶところで、さよならとなりました。「ベサメ・ムーチョ」では、アドバイザーのジェニファー・ロペスから絶賛を受けていたサンジャヤ君ですが、やっぱりカントリーの歌は難しかったですね。

あ~、やっとサンジャヤ君の歌から解放される! 平和な日々となりました。


夏来 潤(なつき じゅん)

だから、算数ヘタなのよ

おもしろいもので、人間というものは、いつも理にかなった行動を取るわけではありませんよね。

かく言うわたしも、たまに自分でおかしいなぁと思う行動を取ることがあるのです。

たとえば、おしゃれなお店でアクセサリーなんかを衝動買いするくせに、スーパーに行くと、1ドルをケチる。


先日、1ドルをケチったのは、バターでした。

いつも牛乳を愛用しているオーガニック・ブランドのバターを買おうとすると、これがまた、ダントツに高い。
 他のものが4ドルちょっとなのに、この赤い箱のバターは、7ドル以上するのです。

そこで、考えたのでした。値段がこんなに違うなんて、ほんとに分量は同じなの?

でも、ちょっと見には判断がつきません。どうしてって、箱の形状が違うから。容器の形が違うと、往々にして容量の判断がつかないですよね。

で、仕方がないので、表示されている分量を見てみることにしました。けれども、ハタと困った。どっちが大きい分量なのかわからない。

赤い箱には、こう書いてあります。「NET WT. 16 OZ.(正味重量 16オンス)」

比べた黄色い箱には、こう書いてあります。「NET WT. 1 LB.(正味重量 1ポンド)」

幸いなことに、但し書きを見ると、両方とも454グラムだということがわかったので、すかさず、安い方を買ったのでした。
 こちらは、「オーガニック」とうたってないけれど、「成長ホルモンは一切使っていません」と書いてあるので、まあ、同じようなものでしょう。


みなさんご存じのとおり、イギリスからの影響を受けている手前、アメリカの計量単位は、いまだに十進法のメートル法(metric system)ではありません。

以前、メートル法に変えようよという試みはあったようですが、結局、みんなの習慣は治りませんでした。

というわけで、長さ、高さ、重さ、速さといった単位は、みんなバラバラ。

たとえば、センチメートルに代わる、インチ(inch)。

1インチは2.54センチなんですが、次の単位のフィート(feet)に達するには、インチが12個集まります。

つまり、1 inch x 12 = 1 foot

けれども、上に出てきたオンス(ounce)とポンド(pound)の関係でいうと、1オンス(約28グラム)が16個で1ポンドになります。

つまり、1 ounce x 16 = 1 pound

ちょっとあなた、12か16で統一してちょうだいよ、と言いたくなりますよね。


長さの単位「インチ」は、単に「フィート」との換算が厄介なだけではありません。端数に困ってしまうのです。

上に書いたとおり、1インチが12個で1フット(フィート)となりますが、1インチ自体は、細かく16個に分かれています。(おっと、ここでもまた不揃いですね。)

だから、センチメートルのように、「2.54センチ」といった表現をするのではなく、「16分の1インチ」とか、「8分の5インチ」とか、分数の表現を使います。そう、図面には、そう書かれてあるのです。

学生時代、製図のクラスを取ったことがありますが、日本人のわたしでも、ちょっと頭が混乱することがありました。アメリカ人はなおさらのこと、分数は嫌いなんじゃないかな?


おまけに、分数の表記は、こんなところにも登場です。道路標示が分数なのです。

たとえば、この写真の箇所。看板には、こう書いてあります。
 別のフリーウェイに乗り換えるには、2分の1マイル、それから、次のフリーウェイの出口までは、4分の3マイルですよと(1マイルは、1.6キロメートルですね)。

まあ、普通は、距離の短い方が上に書かれているわけではありますが、分数嫌いの人にとっては、一瞬、え、どっちが先?って、頭を悩ますのではないでしょうか。
(今は書き換えられたみたいですが、この辺には、以前、8分の5マイルという表示も使われていました。4分の3マイルと、8分の5マイルを並べられた日には、さあ、大変!)


一般的に、アメリカ人は算数が不得意だと言われますが、わたしには、自分なりの立派な仮説があるのです。

計量の単位がすっきりとした十進法じゃないので、余計なところで頭を悩ませる結果となり、子供の頃から、自然と数字が嫌いになるのではないかと。
 算数の文章問題になったら、頭が混乱して困りますよね。

アメリカの場合、まだ、お金の単位が単純なので、ちょっとは救われているのかもしれませんね(1セントが100個で1ドルですが、これは、日本の円と銭の関係と同じですね)。


ま、重さと長さの話だけでもこれだけ複雑なのですが、液体の容量なんかは、またまた別世界なんですね。

いきなり、新たな単位の登場です。

ガソリンや牛乳なんかのガロン(gallon)、その下のクォート(quart)、更に下のパイント(pint)。
 それから、ガロンの上の、バレル(barrel)。これは、おもに石油に使われますね。

上で出てきた重さのオンスの場合は、個体と液体という違いがあって、「液量オンス(fluid ounce)」なる単位も存在するのです。こちらは、約30ミリリットルなんですが、いやらしい話、イギリスでは、28ミリリットルだそうな・・・

いや、アメリカ人だって、そんな単位の嵐を、空で覚えているわけではありません。だから、こういう風な、キッチンのお助けメモが出回っているのですね。


去年の夏、お向かいさんに頼まれました。1週間バケーションに行くから、その間、植木鉢に水をやってくれないかと。

そのとき、手渡されたメモがこちら。マーガレットには2ガロン、それから、ブーゲンビリアには1クォートあげてちょうだい、と書かれています。

ガロンは、牛乳の容器にも書いてあるので、なんとなくわかります。4リットル弱ですよね。でも、クォートって何?

そんな目を白黒させるわたしに、お向かいさんは、自分の庭で、ちゃんと実物で説明してくれたのでした。
 2ガロンは、この大きなジョウロに、なみなみ1杯。それから、1クォートは、こっちの小さなジョウロに、ほんのちょっと。ちょうど、この一番下の目盛りのところね、と。(1クォートは、1リットルを少し切るくらいの分量です。)

そして、水やりの週、いつもより早起きして、週に2回のミッションを無難にこなしたのでした。マーガレットもブーゲンビリアも無事に生き延び、ひと安心。

優しいお向かいさんは、ご褒美にと、シンガポールで買ってきた、鮮やかなオレンジ色のパシュミナのショールをくれたのでした(パシュミナは、ヒマラヤに生息する山羊で作った毛織物ですね。フワフワで気持ちいいのです)。

ご丁寧なことに、お得意のカリグラフィー(西洋ペン習字)の手書きカードも添えられていました。

ま、こんなのだったら、もう一度やってもいいよ、と密かに思ったのでした。

追記:ふ~ん、やっぱり人は、いろんな場面で最初に接した単位がしっくりいくのでしょうね。
 たとえば、わたしは運転免許をアメリカで取ったので、速度や距離を語るときは、マイル(mile)の方が調子がよいです。
 それから、ゴルフの距離なんかも、ヤード(yard)の方がいいですね。メートルで言われても、こればっかりは、さっぱりわかりません。

それでも、多少は学習することもあるようで、温度は、日本の摂氏(Celsius)だけではなく、華氏(Fahrenheit)でも感覚的にわかるようになりました。
 「あ、今日は64度しかないから肌寒い」と、寒がりのわたしなりの感覚が培われたようです。そう、せめて73度(摂氏23度)はないと、心地好くないですね。

それから、冒頭に出てきた1ドルをケチる人。この「けちん坊」というか「しっかり屋さん」のことを、英語では、penny-pincher と言いますね。
 最初の penny は、1セント硬貨のペニー。後ろの pincher は、「(お金を)切り詰める人」です。だから、「1セントでも、切り詰めようとする人」という意味ですね。

うさぎさんはいずこ?

去年の11月、「ワイルドターキーはいずこへ!」というエッセイを書きました。

七面鳥を食べる習慣のある感謝祭に、あたりのワイルドターキー(野生の七面鳥)が、いっせいに姿をくらましたというお話でした。

今日のお話は、うさぎさんです。

いえ、別にうさぎさんを食べる習慣はありません。でも、なぜだか、あたりの野生のうさぎが、いっせいに姿を消してしまったのです。


ご察しのとおり、我が家は、シリコンバレーでも市街地からちょっと離れたところにありまして、野生の動物をよく見かけるのですね。

うさぎもそのひとつで、いつもはゴルフ場の8番ホールに、ワンサカとたむろしています。もう慣れたもので、おじさんたちが近くでクラブを振り回そうと、ビクともしません。

「なにやってんの~?」といった面持ちで、みんなで並んで、人間たちの行動をのんびりと観察しています。

なのに、今日はたったの一羽。

べつに、うさぎ狩りにあったわけではないでしょうが、もしかしたら、うさぎさんがどこかに総動員されている?


うさぎが姿を消したこの日は、イースター(Easter)。日本語で復活祭ですね。

キリスト教のお祭りで、十字架にかけられたイエス・キリストが、3日目の日曜日に復活したという、ありがたい日。今年は、4月8日でした。

で、イースターのシンボルといえば、うさぎさん。

なぜって、うさぎは多産なので、息吹を感じる春(spring)や新しい生命(new life)、そして豊富さ(abundance)を祝う復活祭には、うってつけなんだそうです。

そこで、わたしは考えました。この日、うさぎさんが少なかったのは、人間に誘拐され、お家に連れて行かれたのではないかと。


以前「イースターってどんな日でしょうか」でもご紹介したことがありますが、イースターのお楽しみのひとつに、「エッグハント(egg hunt)」というのがあります。

大人たちが、イースターエッグ(卵)をあちらこちらに隠し、それを子供たちが探し出すという楽しいお遊びです。
 今は、色とりどりに絵付けされた本物のゆで卵よりも、プラスティック容器に入ったお菓子やおもちゃがよく使われます。

で、このエッグハントの立役者は、うさぎさん。「イースターバニー(Easter Bunny)が、卵やお菓子を隠したんだよ」と、小さい子供は言い含められるのです。

だから、ひょっとしたら、「ほ~ら、イースターバニー君だよ~」と子供に見せるために、野生のうさぎが連れて行かれたのではないか・・・と、そう勘ぐってみたのです。

だとしたら、うさぎさんはもう帰って来ない?


ま、事の真相は謎のままですが、ここで、イースターのトリビアをどうぞ。

子供たちがバスケットに収穫物をいっぱい集めるエッグハント。だから、収穫物となるお菓子とイースターは、切っても切れない縁なんですね。

そんなわけで、チョコレートやキャンディーのお菓子の売上げは、ハロウィーンに次いで、年間第二位なんだとか。

あくまでも宗教的なお祝いなので、ちょっと意外な気もしますが、イースターにめがけて、なんと20億ドル(約2千億円)がお菓子に費やされる、という統計もあるそうです。
 ほんとかなぁ?

でも、アメリカの親の9割が、子供にイースターバスケットを与えるというので、あながちウソではないのかも。


で、そのお菓子も、単なる普通のお菓子じゃなくって、うさぎの形をしたチョコレートだとか、ひよこの形をしたマシュマロだとか、卵に似せたチョコボールだとか、イースター専用のものが生産されているのですね(そう、ひよこも、うさぎや卵と並んで、「生命」を祝うイースターの立派なシンボルなんです)。

ちょうど、こんな感じ。べつに、これは、うさぎさんが共食いをしている図ではありません。チョコレートの中には、きっとマシュマロやクリームなんかが入っているのでしょうね。

こんなうさぎ型チョコレートを手にすると、10人中8人が、真っ先に耳をかじるそうですよ。

まあ、ひよこ型お菓子の頭にガブッとかぶりつくよりも、耳の方がまだましかな。


一方、きれいに飾り付けされた卵、「イースターエッグ(Easter egg)」。

色付けには、食用の染料を使います。ちゃんとイースターエッグ用に、何色かセットになっているものが売られているんですね。

ここで、ゆで卵を、食用染料の入った水に浸すわけですが、なんでも、お酢を入れると、鮮やかに色が付くそうな。お酢が苦手という人は、オレンジやレモンのような柑橘類の酸味を使う人もいるそうです。
 どうも、酸には、色素が定着しやすい効果があるようですね。

それにしても、イースターエッグなんて、子供のお遊びにしか思えませんが、卵に飾り付けをする習慣は、近年の流行ではないらしいです。なんと、6千年前の古代エジプトでも行われていたんですね。
 昔から、さまざまな文化で、卵は「春」を表し、ひなが卵からかえることは「生命の復活(rebirth)」とも解釈されていたようです。

飾り付け卵といえば、ウクライナの芸術品「ピサンキ(pysanky)」などもありますし、古来、卵という食べ物は、その形といい、白い殻のキャンバスといい、人々を魅了し続けてきたのですね。


で、話は戻って、我が家のまわりのうさぎさん。

イースターの2日後、やっぱり、一羽しかいませんでした。

う~ん、イースターで出払ったあと、まだ帰って来ていないようです・・・

追記:イースターの卵、「イースターエッグ(Easter egg)」。この言葉は、おもしろいところに転用されています。
 映画やDVD、ビデオゲーム、コンピュータ・プログラムといったものの中に、こっそりと隠されているメッセージや図柄のことを指すのです。

作者がお遊びで入れているので、ちょっと見にはわからないけれど、よ~く探してみると、ふと見つかる。ちょうど子供が卵を探し出すエッグハントのような感覚なので、イースターエッグという名前が付いたようですね。
 大人にとっても子供にとっても、何かを追い求めるゾクゾク感がたまらないわけですよね。

それから、エッグハントの写真は、シリコンバレーの地元紙、サンノゼ・マーキュリー紙に掲載されたものです。イースターの前日の土曜日、シリコンバレーのあちらこちらの公園で、エッグハントが催されたそうです。

うさぎのカードは、Hallmarkのものです。あまりにかわいいので、つい買ってしまったのですが、うさぎの毛の部分がフワフワと手触りがよく、なかなか芸が細かいのです。

半生 (はんせい)

え、なんとなく重そうな話題。そう思った方もいらっしゃるでしょう。

「半生(はんせい)」。そう、人の一生の半分、つまり、それまでの人生ってことですものね。

どうしてそんなことを考えたかというと、いろんな資料をひっくり返していたとき、父の書いた「わたしの履歴書」というものが出てきたからでした。

そう、父の誕生から近況までを箇条書きにしたもの。もともとはワープロで作られたのだけれど、途中から、こまごまと手書きで挿入された箇所があります。ワープロ専用機が壊れたあと、もう長らくパソコンに挑戦しないでいたから。

わたしには渡しておきたいのでしょうか、近頃、日本にいる父に会うたびに、手書きで加筆されたものを手渡してくれていました。

そこで、ふと思いついたのです。どうせもうパソコンなんか自分で操ることなんかないだろうから、わたしが代わりに更新してあげようと。
 勿論、一から打ち直しになりますが、そんなことは何でもない労力かもしれません。第一、今まで敬遠していた分、きちんと読んであげるいい機会にもなります。

それに、1999年で止まっているのも、なんとなく気になります。今までの8年間、それなりに活動してきたはずなのに。その後がないのか、聞いてみることにいたしましょう。


以前、「不思議なアパート」というエッセイでご紹介したとおり、わたしの父は、ずっと大学の中で生きてきた人なのでした。それでも、本職の合間に、自分の信念に基づき、学外の活動も長年に渡り続けてきました。

まあ、専門分野というよりも、学外の活動で名を知られるようになったのでしょうか。ときどき海を越え出かけていくこともあって、スペインの国営放送に招かれ、テレビ討論に生出演したり、中国の集会に参加し、拍手喝采を受けたりと、仕事で行く外国はたくさんあったようです。

数々の国際会議に加え、国連の場でもスピーチしたこともあるそうで、まったくわたしの見えないところで、いろんな「お仕事」をしてきたのでした。

そうなってくると、もう自分の父というよりも、まったく知らない顔を持った家族という感があり、かえって客観的に父の人生を学ぶことができるような気がします。

その活動も、今年で休止符が打たれます。10年間務めてきた代表の職を、正式に4月で退任するということでした。

時間的に余裕もできて、これから「わたしの履歴書」にも、バンバン加筆されるのかもしれません。


で、そんなことを考えていると、父に比べて、わたしはいったい何なんだろう?という疑問が、頭をよぎったのです。

これといって、自慢できる活動もしていないし、今はのんびりと書き物をしているくらいで・・・。

きっと、わたし版「わたしの履歴書」は、10行くらいで終わってしまうかなと。

そう考えると、なんとなく、寂しい気分にもなってきます。

でも、すぐに、別のわたしが否定するのです。いや、違う、そうじゃないって。

人の半生って、そう単純なもんじゃないよ。ひとつひとつの箇条書きをよ〜く見てごらん。その中にも、いろいろとあったでしょって。


実は、わたしには持論がありまして、それは、どんな人の人生でも本にすることができるということなんです。
 持論というよりも、信念でしょうか。わたしにかかれば、誰の人生でもおもしろい本になるって。

それは、人によって本の厚さには違いがあるでしょう。だって、ロボットじゃあるまいし、みんな同じだったら、気持ち悪いではありませんか。

けれども、どんなに長生きしてたくさんのことを成し遂げた人であろうと、どんなにこの世の生が短かろうと、誰に関しても、立派に本は書ける。

お気の毒なことに、生後間もなく亡くなった赤ちゃんでもです。
 だって、ご両親がどうやって知り合ったとか、どんな背景でカップルになったとか、ひとりひとり生まれてきた必然を語ることができるのですものね。

そう、違うのは、本のページの数だけ。中身は、誰のも見劣りはしない。

だったら、自分の半生だって、本になるんだろうなって思うのです。まあ、自分のことは、すごく書きにくいですけどね。

さて、おしゃべりはこのくらいにして、そろそろ、父の「わたしの履歴書」を打ち直し始めることにいたしましょうか。

追記:父に打ち直しのことを告げると、「助かるよ」と言っていました。あまり感情を表さない人ですが、あれはあれで、結構喜んでいたのかもしれません。
 けれども、わたしの知らないところで、あと何ページも加筆が増えているそうな。ほんとに打ち直しは完成するのかな?

と、若干の不安を抱えながらも、実際に始めてみると、それなりに知らない顔がどんどん見てくるものですね。最初に大学で教え始めたのは、なんとギリシャ哲学だったとか! 専門とはまったく違うと思うのですが。
 それから、父が活動を始めたのは、わたしの誕生がきっかけだったらしいです。赤ん坊のわたしも、それなりに貢献していたのですね。

春、笑う

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みなさま、その後、いかがお過ごしでしょうか。

まるで、お手紙の始まりのようですが、その後、日本のお天気はいかがなものでしょうか。

わたしが3月中旬まで3週間ほど滞在していたとき、東京はまるで冬が戻ったようなお天気でした。風は冷たいし、お日様は顔を出さないし。

3月6日の啓蟄(けいちつ)の日。虫たちも、モソモソと土の中から這い出る季節ですが、あの寒さに、みんな土の中に舞い戻ったのではないかと思っていました。

うつろう季節に、自然も人間もちょっと戸惑い気味なのでした。

けれども、もう4月。東京のソメイヨシノも満開を過ぎたと聞きます。さすがにもう今は、春の陽気を楽しめる頃でしょうか。

そういえば、今年は開花予想を間違ったと、気象庁が大目玉でしたね。桜がいったいいつ花開いてくれるのか、国を挙げての一大事なのです。

さて、表題の「春、笑う」。

これは、六本木ヒルズで見かけた、春のキャンペーン・フレーズです。なんとなく、うまいなぁと思いながら、ヒルズのあちらこちらで眺めておりました。

もともとは、「山笑う」から来ているのでしょうね。

山笑う。これは、春の季語ですね。山の木々が芽吹き、山全体に活気が戻る。そんな時期を表しています。

山を使った季語でいうと、夏は、山滴る(したたる)。秋は、山粧う(よそおう)。冬は、山眠る。

日本の季語は美しいですよね。そうそう、一度暖かくなって、寒が戻ることを「冴返る(さえかえる)」というそうですよ。

桜が咲く頃に、また寒くなることを「花冷え」ともいいますね。満開の中、名残り雪もちらついたと聞きますが、ほんとに花冷えという言葉のとおりでしたね。

さて、花冷えの日本と違って、北カリフォルニアは、まさに春満開です。

日本よりも季節の進みが早いのか、我が家の八重桜は、3月中旬に咲き始め、4月を迎える頃には満開となりました。

ぽってりとした、おいしそうな八重桜を見ていると、いつも桜餅が食べたくなるのです。そう、「桜餅」も立派な春の季語。去年の今頃は、京都の「都をどり」の会場で、開幕前の和菓子をいただいておりました。

そんな八重桜のとなりでは、早々とツツジが咲き誇っています。

ちょっと花の順番が違う・・・と思うのですが、この辺では、これが順番なんでしょうね。なんでも競い合うように一斉に咲く!

花の咲く頃、いつもは、まだまだ雨季のはずなのに、今年は雨が少ないです。

それでも、山は緑。一年で一番美しい季節です。

木々の若い緑を見上げるごとに、生命のいぶきを感じる。そんな新たなスタートの季節なのです。

さあ、お仕事、お仕事:自主性って大事ですね

Vol. 92

さあ、お仕事、お仕事:自主性って大事ですね


2月末から3月中旬まで、日本におりました。暖冬だ、暖冬だと耳にしていたわりに、日本はとっても寒かったです。風は強いし、お日様はあんまり顔を出してくれないし。「暖冬」とはいえ、やっぱり、日本の早春は手ごわいのです。

ようやく、その寒さに慣れた頃に、シリコンバレーに戻って来たのですが、戻ってみると、こちらはもう夏のような日差し。雨季のはずなのに、その暖かさに、ちょっと戸惑ってしまいました。

そんな暖かい早春を越え、街のあちらこちらで見かける桜も、そろそろ終わりを迎えます。思い出したように戻った雨と、吹き荒れる風に乗って、はらはらと舞い散っています。

そんなシリコンバレーの午後ですが、時差ボケと環境の変化で苦しむ今月は、筆もなかなか進みません。ふたつの文化の狭間に落ち入ると、どんなお話も「なんとなく違うなぁ(It’s irrelevant)」と思ってしまうのです。というわけで、苦しいついでに、お仕事のお話でもいたしましょうか。


<お仕事と自主性>
なにやら日本では、団塊の世代の大量退職が話題になっていますよね。でも、アメリカでも、状況は似たようなものなのです。
アメリカの場合は、第二次世界大戦の影響が少なかったせいか、ベビーブームは早くも終戦の翌年、1946年に始まっておりまして、ベビーブーマーたちの大量リタイアは、昨年からホットな話題となっておりました。
こういった現状は、国のレベルでは、社会保障制度もろもろの観点から問題になってきますが、当然、一企業のレベルでも大問題になりますね。いったい、どうやって、優秀な労働力をキープするのか?

シリコンバレーのように、日々状況が変化し、競争の激しい環境では、なおさらのこと。経営者たちは頭を悩ませます。いったい何が従業員のお眼鏡にかなうのかと。

そんな課題の解決策となるのでしょうか、こういった制度がお目見えしました。「好きなだけ有給休暇を取っていいよ」と。

インターネット企業の有望株として、誕生時から注目を集めていたNetflix(ネットフリックス)。ネット上でDVDレンタルを行うサービスサイトです。今のところ、DVDの物理的なやり取りは郵便でやっていますが、今後は、全部のプロセスをネットでやってしまおうという計画です。
レンタルビデオの老舗Blockbuster(ブロックバスター)など、ネットフリックスの商法を真似たサイトの続出ですが、制限枚数内だとレンタル期限がないのが、ネットフリックスの魅力。順調にユーザーを増やしています。

このネットフリックスでは、時間給のカスタマーサービス部門の従業員を除き、年棒制のほとんどの従業員に対し、有給休暇の制限を排除しました。
まあ、普通の会社では考えられないほどの太っ腹ぶりですが、自分の仕事を完結させれば、あとは、文句は言いませんよ、という会社側の姿勢の表れなのですね。
だって、みんなもう子供じゃないんだから(They’re all adults)。自分で自主性を持って、仕事のスケジュールを調整すれば?

もともとアメリカでは、国民の休日にしても、有給休暇にしても、あまりたくさんもらえません。試用期間を過ぎると、10日くらいの有給休暇はもらえますが、それ以降、あんまり増えないのです。ましてや、転職の多い環境です。休暇日数は、なかなか思うようには増えてくれません。
そんな中、「自分のことをちゃんとやっていれば、好きなだけ休んでいいよ」という方針転換は、自主性を愛するアメリカ人にとって、受けはいいかもしれませんね。

働く者としての自主性。英語で”employee autonomy”。この概念は、近頃、いろんな会社で注目されているようですね。
たとえば、検索エンジンのグーグル。この会社は、従業員への福利厚生が極めて良いことで有名ですが、仕事の仕方にも自主性が重んじられています。
制限内であれば、就業時間中、好きなことをしていいよ、と許されている従業員がいるのです。従業員全体で見ると、常に1割くらいの労働力が、直接プロジェクトとは関係のないことをやっているのだとか。
基幹サービスを超え、モバイル分野にも進出の兆し?との風の噂も流れるグーグル。現行の組織にとらわれない、自由な発想で勝負です。
その代わり、厳しさも求められています。これといって目立ったアウトプットがないと、すぐに「さよなら」するのがグーグルさんなのです。

ところで、私事ですが、英語を習いたての頃、格言をふたつ覚えました。ひとつは、”Practice makes perfect(習うより、慣れろ)”。そして、もうひとつは、”Never put off till tomorrow what you can do today(今日できることを明日に先延ばしにするな)”。
ふたつ目の格言は、構文上便利な文章だから覚えたまでのことですが、今になって内容を考えると、これは違うなと思うのです。
今だったら、断然こう言いたいです。”Put off till tomorrow what you can do tomorrow(明日できることは、明日に延期しろ)”。

いえ、決してふざけているわけではありません。人のやるべきことって、往々にして、すぐにやらなくてもいいこととか、状況がじきに変わってしまうことが多いのです。だから、あとになって考えると、がんばってやって損した、無駄だった、と思えることも無きにしも非ずなのです。
だから、言い換えると、”Only do what you have to do today”とでもいいましょうか。プライオリティー(優先順位)を考えて、今日やっておかないといけないことだけをいたしましょう、そんなところでしょうか。

物書きの世界でも、同じだと思うのです。毎日、ジャカジャカいろんなニュースを耳にします。でも、瞬間的に飛びつかなくてはならない種類のニュースって、意外と少ないのですね。たいていの場合は、ひと呼吸置いて進展を観察した方が、いいストーリーとなるのです。
いつか、こんなことを読みました。風刺漫画家の故はらたいら氏が、自分は新聞をひと月分まとめて読むようにしている、とインタビューでおっしゃっていたのです。
実は、この言葉は、アメリカの著名なジャーナリストの言葉に通じるものがあるのです。ごく単純に、”Wait(待て)”。
すぐに飛びつかず、じっくり咀嚼(そしゃく)したあとに書け。そうしないと、ウソを書くことになるやもしれぬ、と。

ちょっと話がそれてしまいましたが、きっと、どんなお仕事でも同じだと思うのです。力仕事でやっつける前に、ちょっと作戦を練りましょうよ、こう提言してみたいのです。
「おつきあい残業」だとか、半日つぶれる全員参加の定例会議だとか、そういうのって、これからは流行らないんじゃないかと思うのです。だって、一日は24時間しかないんですから。


<便利な機械>
いえ、たいしたお話ではありません。わたしはもうかれこれ半年以上も腰を病んでおりまして、ゆっくり歩くお散歩も30分までと制限されているのです。
まあ、動けないとなると、途端に「二起脚(にききゃく)」などの技巧に挑戦したくなるのが人情ですが、わたしにとって一番いけないことは、歩くこととか、物を持つとかじゃなくって、パソコンの前に座ることなんです。
パソコンの前に座る、つまり、仕事をするのが一番いけないんですね。なぜだか、姿勢よく椅子に腰掛けるのが一番辛い。座っているときはまだしも、立ったときに、アイタタタッとなってしまうのです。

だから、いっそのこと仕事はしたくないのですが、そうもいかない。だから、こう願っているのです。頭の中にある文章を、自動的にワードファイルに変換してくれる便利な機械が欲しいと。
頭に何やら考えを吸い取る輪っかを付けると、ワイヤレスで信号が飛び、自動的にパソコン上にシャカシャカと文字が出てくる。そんな機械が欲しいのです。これさえあれば、何時間も椅子に座ってなくてもいい。

脳の中がどうなっているのかなんて、わたしはまったく知りませんが、たとえば、寝たきりの人が、自分の意識でスクリーン上に文字を打つ、そんな機械が開発されているのではなかったでしょうか?
だったら、思考変換機は、すぐそこまで来ている?

だいたい物を書くときなんて、スクリーンの前にじっと座ってたって、いいことはあんまりないのです。わたしの場合は、シャワーを浴びているとか、髪の毛を乾かしているとか、掃除機をかけているとか、そんなときに、頭が一番よく回転するし、ふとおもしろい文章を思いつくのです。大事な論文の骨子がひらめいたのは、シチューにする人参を切っているときでした。
まあ、人によっては、トイレの中なんていうのもありますが、よほど複雑な論理を追っているときは別として、人の頭っていうやつは、体が動いているときに一番自由闊達に働いてくれるものではないでしょうか。
だから、自由自在に動きながら頭の中をモニターして、仕事をチャカッと仕上げる。理にかなっていると思いませんか?

どなたか、こんな機械発明してください。


 註:冒頭に出てきた「二起脚(にききゃく)」とは、少林拳術の蹴り技のひとつでして、いわゆる「二段蹴り」というものです。

まず、左足の爪先で前方を蹴り、その間に、軸足にしている右足を踏み切って跳躍し、その右足を前方高く蹴り上げ、足の甲で右掌をパーンと打つ、という技です。助走をつけず、その場で練習するのが伝統的なやり方なんだとか。
まあ、読むよりも、やってみるのが手っ取り早いですが、くれぐれも無理しないでくださいね。


<英語の格言>
またまた、ひとり言のようなお話です。最初のお話を書いていて、思い出したことがあったのです。 “Never put off till tomorrow what you can do today(今日できることを明日に先延ばしするな)”は違うぞというお話をしましたが、英語の格言でまったく腑に落ちない文章が、他にもあったのです。

いつか、日本の英語の教科書に、こんなものが出てきました。”There’s nothing new under the sun(太陽の下には、何も新しいものはない)”。

文章の作りにしてみると、ごく単純なものですが、何やら意味が深そうではありませんか。このときわたしは意味がよくわからないので、よっぽど先生に深意を問いただそうとしました。
でも、結局、どうせ先生に聞いたってわからないだろうと、言葉を飲み込んでしまいました。今となっては、その先生の顔すら思い出せません。

何年も経った今、ようやく、その出所を知るところとなりました。アメリカではよく耳にする言葉だけれど、今まで誰にも説明を受けたことがなかったのです。
実は、この文章は、旧約聖書の中にあります。旧約聖書の「伝道の書(Ecclesiastes)」、第一章・第九節に、こう出てくるのです。「日の下には新しいものはない」と。

この「伝道の書」を綴ったとされるのは、ダビデの子であり、エルサレムの王である伝道者。全十二章のうち、第一章は詩の形式で書かれ、こう嘆きます。
人の行うことは、すべてが無益であり、無意味である。新しいものだと人が言うことは、すでに、前の世からあったものである。が、前の者のことは覚えられることもなく、後の世に伝えられることもないと。
何もかもが空(むな)しい・・・「空(くう)の空、空の空、いっさいは空である」と、伝道者は嘆きます。

なんだか雲をつかむような話ですが、神の前には、人は取るに足りない空しい存在である、ということなのでしょうか。ゆえに、人は黙って、神の命令を守りなさい。それが人の本分なのだから。

まあ、わたしはキリスト教徒ではないので、この「空しさ」の真意はよくわかりませんし、ことさらに眉を吊り上げて反論する気もありません。
けれども、ほんとに、日の下に新しいものはないのでしょうか?

たとえば、この公理。「2つの点が与えられたとき、その2点を通る直線は1本しかない」。
これは、ユークリッド幾何学の世界で捉えると、正しいことですね。平面上では、2点を通る直線は1本しか存在しません。でも、曲がった空間で考えると、2点を通る直線なんて無数にある。
それを思いついたとき、人は日の下に新しいものを発見したのではないでしょうか?世界は、今まで見えていたようにたったひとつではない!
勿論、神はそんなことはすでにご存じだったのでしょうが、人がこれを発見したこと自体、すごいことでしょう。そして、この人による発見は、決して「空しい」ことではない。

きっと、そう思った人がたくさんいるのでしょうね。だから、”There’s nothing new under the sun”という言葉は、科学の文章の中に、たくさん引用されるのでしょうね。ある種の人間の挑戦状として。ほんとにそうなの?人は新しいことを発見し続けている のではないの?と。

この文章の派生語と思われる表現に、”everything under the sun(この世に存在すると思われるすべてのもの)”というのがありますが、ここで言う「人が認識する”everything(すべて)”の領域」とは、刻々と広がりつつあるものではないでしょうか。

それにしても、思うのです。何ゆえに、こんなにわかり難い旧約聖書の言葉を、わざわざ英語の教科書に載せるのでしょう?英文和訳ができたところで、生徒の心の中には、疑問符がいっぱい浮かぶだろうに・・・


追記: 書きながら、ちょっと気になったことがあるのです。言葉はとっても似ていますが、『伝道の書』の「空(くう)の空、空の空、いっさいは空である」という言葉は、仏教の「一切皆空(いっさいかいくう)」の教えとは、まったく異質なのだろうかと。
旧約聖書の空(くう)は、「空(むな)しい」の空、そして、「一切皆空」の空は、「実体のない幻」の空なのでしょうか。まあ、わたしは宗教には疎いので、この解釈は、想像の域を出ませんが。

それから、ちょっと言わせてください。日本では、桜の咲く頃に、卒業・進学を迎える。いつの頃からかは知りませんが、これが、日本のしきたりですよね。
ところが、近頃、こんな意見が飛び出しています。9月始まりの外国から留学生を受け入れ難いから、日本も新学期を9月にしようかと。
わたしは単純にこう思うのです。どうしてそこまで「西洋かぶれ」するのかと。他のシステムと違うなら、その間、あちらを待たせればいいではありませんか。きっと待つ時間だって、いい人生経験になりますよ。

回り道、大いに結構ではありませんか!


夏来 潤(なつき じゅん)

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