枇杷(びわ)

ゴールデンウィークを東京で過ごしました。

おおむね、さわやかなお天気で、お休みにはぴったりの気候でした。

若葉も目に染み入るほどの緑色を放ち、花々もここぞとばかりにあでやかな姿を見せてくれます。

そんな春爛漫のゴールデンウィークに、珍しいものを手に入れました。

初夏の味覚、枇杷(びわ)の実です。

ホテルの集いの場に置いてあったものをちょいといただいて来たのですが、もう枇杷が出ているなんて、ちょっと驚きではありませんか。まだ5月なのに。


そんな枇杷の実ひとつを手に持って、ふらっと食事に出かけました。

まるで梶井基次郎の短編小説「檸檬(れもん)」のように、テーブルの上に目立つように置いておいたのですが、やはりお店の方も「何だろう?」と思ったようです。

それは、枇杷ですか?と、さっそく興味の目を向けてくれました。

今頃、珍しいでしょと言うと、あちらもうなずきながら、子供の頃、親戚の家に大きな枇杷の木があって、そこによじ登って実を食べてましたよと、なつかしそうに語ってくれました。

果物屋さんに並ぶような、今どきのおしゃれな枇杷と違って、自然のものは種がやたらと大きくて実が肉薄で、食べるところはちょっとしかないんだけれど、甘くておいしいんですよねとおっしゃいます。

それを聞いていると、ふと思い出したことがありました。わたしも子供の頃、庭に枇杷の木があって、夏になるとせっせとよじ登っては実を取っていたなと。枝から実をもぐのは、まるで「収穫」しているみたいで、子供ながらに嬉しいものなのです。

そして、もちろん、収穫のあとの「試食」も楽しみなものではあります。

でも、わたしの場合は嫌な体験があって、パクッとかじりついた実の中に、先客がいたことがあったんです。そう、白い虫の先客が・・・。

それ以来、大人になるまでの長い間、枇杷が食べられなくなってしまいました・・・。

その話をすると、お店の方も、なるほど、それは嫌な思い出ですねと同情してはくれましたけれど、結局のところ、虫も食べないような実は自然のものではないし、農家の方のようにひとつひとつ袋をかけない限り、虫に食べられてもしょうがないでしょと。虫に食べられないまでも、あまり完熟を待ち過ぎると、今度は鳥さんに食べられてしまうので、その収穫のタイミングが難しいのですと。

たしかに、自然のものは、人間さんのものばかりとは限りません。みんなで分かち合わなければならないことも多々あるのです。


食事が終わると、今度は夜のお散歩に出かけました。

大都会の真ん中にある広々とした公園。その隣にそびえ立つビルの群れ。ここは、オフィスやお店や高層ホテルの複合施設で、東京の目新しいアトラクションとなっています。けれども、夜はさすがに行き交う人も少ないのです。

そんな広々とした空間で、言葉を交わしました。

手を洗っていたわたしの洗面台の荷物置きに、重そうなバッグをどさっと置いていた方がいらっしゃいました。この「スペースの侵害」を同行の友人に指摘され、彼女はさっそく「ごめんなさい」と謝っていらっしゃいましたが、枇杷の実ひとつしか持っていないわたしにとっては、3センチ四方ほどの空間があれば十分なのです。

そこで、「わたしはこれだけしか持っていませんから」と、彼女たちに黄色い実を見せてあげました。

え、枇杷ですか? 珍しいですねと、ふたりとも驚いていたようですが、そのうちにひとりがこう声をかけてくれました。

「ありがとうございました。今日は、いい日になりました。」

たぶん、季節外れの珍しいものを見せてもらったので、縁起がいい日でしたという意味でおっしゃったのだと思いますけれども、そう言ってもらったわたしも、すっと心が軽くなったのでした。

そのあと、気持ちのいい夜風に当たりながら、広い公園を通って「ねぐら」に戻ったのですが、心が軽くなったついでに、わたしもちょっと声を出してみたくなりました。

そう、ここは、ある有名人の「真夜中の叫び」で話題になった公園なんですけれど、若者は心が軽くなったとき、叫んでみたくなるものなのでしょうね。

Got green? (グリーン持ってる?)

先日、「緑色のセント・パトリックス・デー」というお話をいたしました。アイルランドの聖人「聖パトリック(St. Patrick)」をお祝いする日がアメリカにも伝わっていて、その晩は、みんなでたらふくお酒を飲んで、思う存分に楽しむ習慣があるというお話でした。

そのセント・パトリックス・デーである3月17日には、今年はこんなジョークを耳にいたしました。

This year’s St. Patrick’s Day is a little bit different.

Nobody’s got any green left.

「今年のセント・パトリックス・デーは、いつもとちょっと違うよね。

だって、みんな(の懐には)グリーンが残っていないんだもん。」

そう、こちらの「グリーン(green)」という言葉は、緑色というわけではなくて、「お金」という意味で使われているのですね。

今年は経済状態が悪いから、誰の懐にもお金が残っていない。だから、セント・パトリックス・デーだといっても、思うように楽しめない、といった世知辛いジョークとなっているのです。

(上の文章を普通の英語の文章にすると、Nobody has gotten any money left となるでしょうか。Nobody ~ で「誰も~でない」という否定形を表し、has gotten と現在完了形を使うことで、「今までずっとお金がない」という継続的な状態にあることを示しますね。お金がない状態の引き金となったのは、昨年秋以来の金融危機といったところでしょうか。)


アメリカには、お金を表すスラング(俗語)はいっぱいあります。やはり、お金は日常生活には欠かせないものですから、自然と表現方法もたくさん生まれてくるのでしょう。

その中でも、上に出てきた「グリーン(green)」とか「グリーンバック(greenback)」というのは、最もポピュラーなものですね。

ご存じの方も多いでしょうが、これは、アメリカの紙幣が緑色のところから来ているのです。

アメリカの紙幣は、長い間ずっと、表は黒と緑の2色、そして裏は緑の1色だけが使われておりました。こちらの写真では、上が表側、下が裏側となっていますが、この1ドル札のように、裏の模様は全部緑色で印刷されていました。

そこから、「緑(グリーン)」とか「緑の裏(グリーンバック)」というスラングが生まれたのですね。

最近、若干のデザイン変更があって、アメリカの紙幣もほんの少しはカラフルにはなりましたが、基本的には、緑と黒の基調というのは変わっていません。こちらの写真では、上が昔ながらの20ドル札(表側)、そして、下が新しい20ドル札となります。

新しいデザインの表側には、オレンジ色の背景や金色の数字、それからワシの絵なんかが加わったりしていますが、あまり大きな変化はありませんよね。

裏側にも、オレンジ色の背景や黄色の細かい数字などが加わってはおりますが、基調となっているのは相変わらず緑一色です。


さて、お金のスラングの話を続けますと、「グリーン」の他に、bacon(ベーコン)、bread(パン)、dough(パン生地)というのがあります。

これは、かなりポピュラーな使い方となりますが、いずれもお金と同じく、「家に持って返る(bring home)」ところから来ているようです。食べ物もお金も、定期的に家に入れないと生活が難しくなりますからね。

パン生地 dough に類似したお金の表現としては、酸っぱいサワーブレッドを表す sourdough というのがあります。
 でも、こちらは普通のお金ではなくて、偽札(counterfeit money)を表すんだそうです。「酸っぱいお金」は偽物ということでしょうか。
(サワーブレッド sourdough bread というと、サンフランシスコの名物ではありますが、「偽札」とは聞こえが良くないですよね!)

それから、緑色の「グリーン」から派生した言葉で、cabbage(キャベツ)、lettuce(レタス)、kale(ケール、ちりめんキャベツ)などというのがあります。
 なんとなく、サラダを思い浮かべてしまいますが、こちらは、breadbacon ほどポピュラーではないような気がいたします。

食べ物を使ったお金の表現としては、gravy というのもあるようです。
 グレイビーというのは、お肉やマッシュポテトにかけるトロッとしたソースのことで、感謝祭のディナーのときには、必ず食卓に登場するものですね。
 こちらの表現は、普通に稼ぐお金というよりも、(たとえば非合法に)簡単に手に入るお金とか、自分の生活には不相応のお金とか、あまり良からぬ雰囲気が漂っているようです。日本語の「濡れ手に粟(あわ)」に似たところがあるみたいですね。


こういう風に、やはりお金は日常生活に深くかかわるものですから、食べ物との結びつきも強いわけですが、食材とはまったく関係のないお金のスラングもあります。

たとえば、C とか C-note というのがあります。C というのは、ローマ数字(Roman numerals)で100を C と表すところから来ているそうです。
 C-notenote というのは、覚え書きのノートではなく「紙幣」のことで、もともとは、100ドル札を C-note と言っていたところから、広くお金を指すようになったようです。

このスラングは、おもにアメリカで使われるもので、イギリスでは流行らなかったんだそうです。

(蛇足ではありますが、ローマ数字の 1~10 は I、II、III、IV、V、VI、VII、VIII、IX、X となりますが、90 はXC、900 は CMとなります。それぞれ、90 = 100 – 10、900 = 1000 – 100 という表し方になっております。)

それから、1000ドルを表す grand という単語が、お金全体を表すスラングともなっています。

不思議なもので、こちらの方は、アメリカからイギリスにも派生しているのだそうです。

(ちなみに、100 を表すローマ数字からC-note という言葉が生まれているわけですが、1000 を表す M を使って M-note とは言わないようですね。こちらは、すでに grand という表現が市民権を得ているので、わざわざ別の言い方はしなかったのかもしれません。)


そして、何といっても一番ポピュラーなお金のスラングは、buck でしょうか。

もともとは、1ドル札のことを buck と言っていたようですが、今は広く「ドル dollar」の代わりに「バック」を使ったりもします。たとえば、10ドルと言うときには、10 bucks という風に使います。

一説によると、紙幣があまり頻繁に使われていなかった時代に、商取引には「バックスキン(鹿や羊のやわらかい皮)」を使ったところから、1ドル札をバックと呼ぶようになったということです。もともと buck という単語は、角(つの)が立派な雄ジカを表すものなのですね。

(ちなみに、雌ジカは doe と言うのですが、これは有名な「ドレミの歌」に出てきますね。最初のドの部分で Doe, a deer, a female deer というのが、雌ジカのこととなっています。)

この buck という単語を使った表現で一番よく耳にするものは、pass the buck でしょうか。

こちらはあまり良い意味ではなくて、「誰か他の人に責任を転嫁する」という意味があります。

直訳すると、buck を誰かにパスする(渡す)となりますが、こちらの buck はドル札のことではなくて、トランプのゲームのポーカーのときに、次の配り手を示すために置く目印のことだそうです。

19世紀後半、アメリカではお金を賭けるポーカーが大流行したそうですが、いかさまを防ぐために、棒みたいな(人畜無害の)目印の代わりにナイフをテーブルの上に置いたそうです。そして、そのナイフの柄は、雄ジカ buck の角でできていた。そこから、ポーカーに使う目印を buck と呼ぶようになったそうです。

そして、ある人が配り手(ディーラー)の任を終えると、次の人に buck を渡すことから、「責任(任務)を転嫁する」という意味になったということです。

そういえば一度、同僚にこう言われたことがありました。

You’re passing the buck to me! (あなたは僕に責任転嫁しようとしてる!)

何のことだったかはまったく覚えていませんが、どうやら彼は、わたしが仕事を押し付けたと感じたようでした。どうせ大したことではなかったとは思いますが、彼はちょっとだけムッとしたのでしょう。
(もしかしたら、上司に何かを進言するとか、そんなことだったかもしれません。誰が猫の首に鈴を付けるのか?というのは、ちょっと揉めますからね。)


ところで、題名となっている Got green? ですが、これは、ある有名なコマーシャルをパクらせていただきました。

もともとは、Got milk? というフレーズだったんです。

こちらは、「みんなちゃんと牛乳飲んでる?」という、カリフォルニアの牛乳業界の宣伝なのでした。
 今までいろんなバージョンのコマーシャルがあって、有名な映画俳優やらスポーツ選手やらが次々と登場するのですが、みなさん一様に、口の上に牛乳の「ひげ」を付けて出てくるのです。牛乳を勢いよく飲むと、口の上にチョビッと白いのが付くでしょ。そんな「白ひげ」を女性でも堂々と付けているので、ちょっと目を引く映像ではあるのです。

そういったおもしろい映像や、Got milk? という覚えやすいフレーズのお陰で、かなりインパクトの強いキャンペーンフレーズとなったのでした。

ある意味、時の流行語となったとも言えるわけですが、その後、このコマーシャルのパクリもたくさん出現いたしました。

たとえば、Got beer?(ビール飲んでる?)とか Got soy milk?(豆乳飲んでる?)なんかがあるでしょうか。

それから、Got grass? というのもありました。こちらは、庭の芝生を売る会社のキャンペーンフレーズのようではありますが、grass と言うと、なにやら良からぬものを想像してしまいます・・・

そして、わたしのパクリ Got green? は、「お金持ってる?」という意味で使ってみました。

近頃、「グリーン」といえば、もっぱら「環境にやさしい(environmentally friendly)」とか「環境にいいことを真剣に考えてる(environmentally conscious)」とか、そんな環境保護(エコ・フレンドリー)の観点で使われているのですが、ここでは、あくまでもお金の話に終始してみました。

春のカリフォルニア名物

急に暖かくなったり、肌寒くなったりを繰り返しながら、サンフランシスコ・ベイエリアも本格的な春を迎えています。

春は、まだまだ雨季のなごりで山が緑色だし、辺りではいろんな植物がいっせいに芽吹き始めるし、やはり一番「生命」を感じる季節ですね。

そんなウキウキとするような春のカリフォルニア名物といえば、何といっても、カリフォルニアポピーでしょうか。カリフォルニアの州の花でもありますし、鮮やかなオレンジ色や黄色は、野原の中にあってもすぐに見分けがつきます。

日中は、そのつややかな花びらをしっかりと開きますが、夕方になると、「おやすみなさい」とあいさつするように、お行儀よく花びらを閉じるのです。夕方、お散歩しながら写真を撮ろうとすると、すっかりとタイミングを逸してしまうことがあるのです。

この日は、まだ間に合いました。以前は何も生えていなかった近くの空き地には、今年からカリフォルニアポピーが自生し始めました。この辺りでは、宅地開発の直後、ポピーがすっかり姿を消してしまいましたが、いつの間にか、自然も勢いを取り戻したようです。

力強く、燃えるようなオレンジ色で行き交う人の目を楽しませてくれています。


そして、もうひとつの春の名物といえば、やはりオレンジ色のものでしょうか。

この時期、フリーウェイを運転していると、車のフロントグラスにボチッと当たるものがあるのです。

あっと思ったら、もう遅い。目の前に突然現れたオレンジ色は、すでにガラスにぶつかっているのです。

そう、このオレンジ色の物体は、チョウチョです。

その名も、Painted Lady Butterfly、ペインティッド・レディー・バタフライ(学名 Vanessa cardui)。日本語で「ヒメアカタテハ」というチョウチョです。

なんでも、この蝶は、世界中に一番たくさん生息している蝶だそうですが、カリフォルニアにいるペインティッド・レディーは、渡り鳥ならぬ「渡り蝶」として有名なんだそうです。

もともとこの蝶は、メキシコやカリフォルニア南部の暖かい場所に住んでいるのですが、だんだん暑くなって、砂漠に花がなくなってくると、北を目指して移動し始めるそうです。

だいたい2月から3月に南で羽化した蝶は、すぐに北を目指して飛び始め、3日ほど後に、ベイエリアや農業の盛んな内陸部の谷間(the Central Valley)に達します。
けれども、何日も飲まず食わずで飛び続けていたものだから、お腹が空いている。そこで、この辺でひと休みして、たらふく花の蜜を吸って、交尾をして、卵を産みつけて、また北を目指して飛び立つのです。

蝶が車にぶつかったとき、フロントグラスにボチッと付着する黄色のシミは、いっぱい食べて、体にたくわえた脂肪なんだそうです。これからまた、しっかりと飛ばないといけませんしね。

最終的には、このベイエリアからは遠く離れ、太平洋岸のオレゴン州やワシントン州、それからカナダのブリティッシュ・コロンビアの辺りまで到達するそうです。メキシコからカナダといえば、かなりの距離ですよね。カリフォルニア、オレゴン、ワシントンと3州を超えるだけでも、2,400キロメートルありますもの。

その後、5月くらいになると、ベイエリアや内陸の谷間で生まれた子供たちも、親の後を追って、北を目指します(多分、北で再会したとしても、親子だとはわからないでしょうけれどね)。

そこでは、夏の間、子供たちが卵を産みつける番になるのです。

そして、北の地方がだんだんと秋を迎える頃になると、今度は南を目指して、子供の世代が旅に出る。この戻りの「渡り」は、8月から11月の間に見られるそうです。けれども、北への渡りほど集中していないのか、それとももっと内陸のルートを通るのか、ベイエリアの辺りではあまり見かけたことがありません。

というわけで、春になると親の世代は北へ、秋になると子供の世代は南へ、そして、また春になると孫の世代は北へ、秋にはひ孫の世代が南へと、代々片道飛行を続けているのですね。そして、同じような「渡り」は、アフリカ北部とヨーロッパの間でも観察されているそうです。


チョウチョさんは、そうまで苦労して食べ物を求めて飛行しているのに、それを車なんかで殺してしまうのは悲しいなぁと思うのです。ベイエリアにたくさん飛来していた3月の末日、わたしは行きに一匹、帰りに一匹殺してしまいました。
 もちろん、わざとぶつかっているわけではありませんし、回避などできるものでもありませんが、窓ガラスに付着した蝶の銀粉を見ていると、申し訳ないなと思ってしまうのです。

彼らは、ものすごく高く飛ぶことができて、森林の緑のキャノピーをも飛び越え、ときには標高9,000フィート(約2,700メートル)の山々まで達することがあるそうです。けれども、いつもそんなに高く飛んでいるわけではありませんし、とくに、ひと休みするベイエリアでは、花を求めながら低く飛んでいます。

だからこそ、近くで写真を撮ったり、観察したりもできるわけですけれどね。


4年前の2005年の春は、北を目指すペインティッド・レディー・バタフライの「当たり年」でした。ベイエリア中のそこかしこで、いっせいに飛んでいるのを見かけたのです。

我が家の裏庭にもたくさん飛来して、「この蝶の大群はいったい何だろう?」と不思議に思っておりました。

こちらの写真は、ちょうど先のローマ教皇が亡くなった4月2日(アメリカ時間)に撮ったものです。よく晴れた、穏やかな一日でした。

そのときは、蝶の飛来のカラクリを知らなかったものですから、花に群がる蝶たちが、まるで教皇のこの世の生命と旅立ちを祝っているかのようにも見えました。どこかに向かっていっせいに飛ぶ姿が、生命を育む旅にも思えたのです。

わたしはキリスト教徒でも何教徒でもありませんが、ヨハネ・パウロ2世は大好きな方でした。そして、毎年春になって、辺りでペインティッド・レディーを見かけると、自然と教皇を思い出すようにもなりました。

人の連想とは、ほんとにおもしろいものですよね。チョウチョがローマ教皇だなんて。きっとヨハネ・パウロ2世も、苦笑いなさっていることでしょう。

ベイエリアの海

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またまたお久しぶりの「フォトギャラリー」の掲載となってしまいましたが、今回は、ベイエリアご自慢の海を中心に載せてみました。

「ベイエリアあれこれ」というお話でもご紹介いたしましたが、今年の元日は、サンフランシスコからモントレーへと、日本からのお客さまをお連れしてドライブしてみたのでした。

その日は、サンフランシスコの街は、前も見えないくらいに霧に包まれていたのに、2時間ほど南に運転してモントレーの海岸に着くと、まるでウソのようにカラリと晴れ上がっていたのでした。
まさに、「遠来の客をもてなすかのように」という表現がぴったりなくらい、モントレーの海は、霧もまったく寄せ付けず、見事なまでに輝いていたのでした。

ベイエリアの一帯は、冬は雨季で霧が出やすくなるのですが、夏でも霧に包まれるモントレーの海がこんなに晴れていたというのは、やはり遠来の客の行いが良いのでしょうか?

このモントレー付近の海岸線は、美しいばかりではなく、生き物の保護区になっているので、いろんな海鳥やアザラシ(harbor seal)、それから、ラッコ(sea otter)なんかもいっぱいいるのです。

普段ラッコは、ケルプ(大きな海草)にくるまって、のんびりと海に浮いているのですが、残念ながら、この日はいっせいに姿を消しておりました。

わたしはずっと、「今日はラッコがたくさんいる!」と喜び勇んで叫んでいたのですが、よ~く見ると、海草にたくさん木の切れ端がひっかかっていたようです。前日海が荒れていたのか、きっといろんなものが流れ着いていたのでしょう。

近年、ラッコの保護には熱心なので、「やっぱり努力の甲斐があって良かった、良かった」と喜んでいたのですが、この日はそれも勘違いに終わってしまいました。

けれども、普段はたくさんラッコを見かけるんですよ!

ときには、カンカ~ンと、お腹の上でアワビか何かを割っている音がするのです。そう、お腹に載っけた石を目がけて、エイッとばかりに貝をぶつけるのですね。
逆に石の方を手に持ってぶつけたら、間違ってお腹を破ってしまうかもしれないではありませんか。だから、ラッコの親は、「注意しなさいよ」と、子供には厳しく教えるんでしょうね。

モントレーの海に来られることがあったら、ぜひかわいいラッコたちを探してみてくださいね!

先人の知恵

いよいよ4月ですね。新しいスタートの季節です。

そんな4月ではありますが、ここでちょっと先人に感謝することにいたしましょう。

いえ、たいした話ではないのですが、先日、晩ご飯のときに、魚の骨が喉にひっかかってしまったんですよ。

わたしはサーモン(鮭)が大好きでして、とくにスモークサーモンやサーモンステーキには目がないのです。それに、スモークサーモンとなると、お料理しなくても立派な一品になるでしょ。忙しいときにも、とっても重宝する具材なのです。

そんなこんなで、その日オーガニックのお店で手に入れた、個人商店お手製のスモークサーモンを晩ご飯の一品といたしました。ま、スモークサーモンといっても、レストランで出てくるようなお上品なピンク色のスライスではなくて、サーモンの固まりをドンとスモークしたようなやつ。だから、端の部分に骨がいくらか残っていたのでしょう。

何本かは気がついて口から出したのですが、そのうちの一本が喉に突き刺さったようなのです。食後、だんだんと喉が痛くなってきて、あきらかにチクッとする感覚が喉の奥から伝わってくるのです。

喉に骨がささるなんて、久しぶりだなぁとのんびりと昔を懐かしみながらも、「取れなかったらどうしよう」と、ちょっと恐いではありませんか。

そこで、「魚の骨がささったら、ご飯をまるごと飲み込みなさい」と母に言われていたことを思い出して、さっそくご飯を炊くことにいたしました。その晩は、珍しくリコッタチーズのチーズケーキなんていう洋風のデザートを食べたので、お腹はすでにはちきれそうです。でも、こうなったら仕方がありません。

夜中の12時近くになってご飯が炊きあがり、さっそく一口、二口と、ご飯を丸飲みいたします。すると、あ~ら不思議、喉の痛みがすっかりなくなったではありませんか!

ありがたい先人の知恵に、思わず手を合わせたのでした。


そして、一段落してみると、ふと疑問に感じたのです。ご飯を主食としない人たちが喉に魚の骨を詰まらせたらどうするのだろうと。だって、西洋の人たちだって、お魚はたくさん食べるでしょ。

そう思ってネットをサーチしてみると、「fish bone stuck in throat」という見出しで20万件くらいひっかかるんですよ! やっぱり、みなさん一度や二度は嫌な経験をなさっているのでしょうね。

そして、こんなアドバイスが載っておりました。

魚の骨が喉にひっかかったと思ったら、まずあわてずに、落ち着いて、ゴホッと咳ばらい(coughing)をしてみましょう。それでも取れないようだったら、パンのかたまりとか、ピーナッツバターやアーモンドバターを食べてみましょう。

何かが喉に刺さっている感覚(the sensation of “a bone stuck in your throat”)は、骨が取れても何日か残ることがあります。そういうときは、お医者さんが器具を使って覗いても、何も発見できません。きっと喉が少し傷ついているのでしょう。こういうことは、魚の骨ばかりではなく、スナック菓子なんかでも起こります。もし4、5日たっても痛みが消えないようなら、炎症をおさえる薬を飲めばいいでしょう。

なるほど、ご飯の代わりに、西洋ではパンやピーナッツバターですか! なんとなく、感覚的には日本のご飯と似ていますよね。

(ちなみに、パンの代わりに、マッシュポテトを勧める方もいらっしゃいましたし、「フィリピンでは、バナナよ!」という方もいらっしゃいました。「パンとバナナを試したけどダメで、ご飯だけが救いの神だった」という方もいらっしゃいました。「なんでも、日本ではご飯を丸飲みにするらしい」と書いていた方もいらっしゃいました。)

そういえば、わたしには子供の頃に嫌な思い出があって、そのときは、ウナギの骨が喉に突き刺さったのでした。近所の耳鼻咽喉科では発見できなかったので、大学病院まで行って診てもらったのですが、どうやら骨はすでに取れていたものの、かなり頑丈な骨だったようで、喉を傷つけていたみたいです。
 それ以来、風邪をひいたり、強い風に当たって喉が痛くなったりすると、必ずその場所から痛むようになりました。

今はもう大丈夫ですが、ウナギが大っ嫌いになったことは言うまでもありません。だって、せっかくの卒業祝いに食べたウナギだったんですもの。


それにしても、魚の骨ばかりではなくて、母からはいろんなことを学びましたね。まあ、育てられているときには、「口うるさい」なんて思っているわけですけれども、今思い返してみると、母の言葉が自分のモットーの根幹の部分を作っているような気もいたします。

たとえば、お友達が何かいいものを買ってもらったとき、「みんな持ってるから、わたしも欲しい」というのは、母には通じませんでした。どうして欲しいのかを自分なりに説明しなければ、母は納得しなかったのです。そういう母からはいつも「人は人、自分は自分」と言い聞かせられていました。

今となっては、そうやってずっと言い含められていたからこそ、人の言うことはあまり気にせず、自分のやりたいことを考えられたのかもしれないなぁと思うのです。

この新しいスタートの季節、初めて親元を離れた方もいらっしゃるでしょうし、初めて子供を巣立たせた方もいらっしゃることでしょう。

巣立たせた側は、とても寂しい思いをなさっているのでしょうけれど、巣立った側は、口には出さないまでも、きっと感謝の気持ちでいっぱいのことでしょう。だって、親元を離れてみて初めてわかることもたくさんありますからね。

どこに羽ばたくにしても、今までの人との繋がりは大切にしたいものですね。

そう、英語でもこう言うんですよ。Don’t burn your bridges.

今まで築き上げた人との関係は、あなたと人を結ぶ橋のようなもの。今のあなたがあるのは、その橋があるからこそ。それを焼き切ってしまったら、もう元の場所には戻れなくなる。そんな大切なメッセージが含まれているのです。

これもきっと、ありがたい先人の知恵でしょうか。

追記: 最後の写真は、「親元を離れる」イメージで、新しく買った器の写真にいたしました。桜の模様がなんとも春らしいのです。この花の季節、新たなスタートをきられた方には、ぜひがんばってほしいものですね!

緑の3月: 国民の怒りと懐ぐあい

Vol. 116

緑の3月: 国民の怒りと懐ぐあい

 


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春分の日を過ぎると、さすがに一段と暖かくなってきました。大地は雨で潤っている頃だし、天からは明るい陽光もふりそそぎ、シリコンバレーは輝くような緑に包まれています。

そんな気持ちのいい緑の3月は、まずは、「グリーン」なお話から始めましょう。グリーンと申しましても、環境の話ではありません。ちょっと世知辛い話題も出てきますが、今のアメリカ国民の心のうちを表すお話となっております。

<グリーンが残ってない!>
先日、3月17日は「セント・パトリックス・デー(St. Patrick’s Day)」でした。この日は、もとはアイルランドの守護聖人・聖パトリックを祝う日なのですが、アイルランド系移民の多いアメリカでも、「アイルランド人に見習って、お酒がたくさん飲めるぞ!」と、飲ん兵衛さんたちには大変な人気となっております。

みなさん、この日は「一日アイルランド人」になって緑色(グリーン)の服を着るお約束となっているのですが、今年はこんなジョークを耳にしました。
セント・パトリックス・デーだといっても、今年はちょっと違うよね。だってみんな(の懐には)グリーンが残っていないんだもん(Nobody’s got any green left)。


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そう、ここでの「グリーン」は、緑色ではなく、「お金」という意味ですね。みんな懐が寂しいから、せっかくのセント・パトリックス・デーだってなかなか楽しめないよね、という皮肉を込めたジョークなのです。(お金の俗語はたくさんありますが、アメリカの紙幣、とくにその裏側が緑色のところから、「グリーン(green)」とか「グリーンバック(greenback)」というのは最もポピュラーなものですね。)

そんな「グリーン」に関して、世知辛いお話をひとつ。アメリカの失業率は、2月末の時点で8.1パーセントだったそうです。今は職探しはしていない潜在的な失業も入れると10パーセント、そして、パートタイムから正社員になりたい人も含めると14.8パーセントであると、米労働省が発表しています。
これは、前回、前々回の不景気(2001年、1991年)よりも悪く、大恐慌以来最悪といわれた、1981年から翌年の不景気に追いつくほどの勢いなのだそうです。
けれども、トレンドとしては、今年1月から2月にかけて月間の失業件数が増加していないので、少なくとも雇用に関しては、もうそろそろ最悪の時期を通り越した頃かもしれない、と希望的観測をするアナリストもおりました。

ところが、3月も終わりに近づいてくると、「やっぱり3月も失業件数は減っておらず、国全体の失業率は8.4パーセントに増えそうだ」という予測が聞こえ始めました(これは、ちょうどドイツやフランスの失業率と同じくらいです)。
オバマ大統領自身も、職を失う人はさらに増加するだろうと述べていますし、今年の終わりには、失業率10パーセントを超えているのではないかという見方をするアナリストも多いようです。

「住宅バブル(Housing bubble)」に乗って建築ブームを享受していたカリフォルニアやネヴァダやフロリダは、これまでどっさりと職を失ったわけですが、そんな風に金融危機の荒波をもろに受けた建設、製造、小売り、サービス業の雇用状況が一段落するまでは、失業率の増加には歯止めがかからないのでしょう。
テクノロジーのメッカ、シリコンバレーも例外ではなくて、2月末の時点で、失業率はすでに10パーセントとなっているそうです。わずか一年前には5パーセントだったことを考えると、昨年9月の「リーマンショック」は、この豊かな谷間にも確実に暗い影を落としています。
ちょっとびっくりではありますが、今は、10年前の「インターネットバブル(Dot-com bubble)」がはじけた頃よりも悪いのだそうです。

そんな良からぬニュースに加えて、「インターネットバブル」「住宅バブル」と来た次は、「国債バブル(US Treasury bubble)」なんて嫌な言葉も聞こえています。
なんでも、今は投資家が株式市場に投資するのが恐いので、米財務省が発行する短期証券やら中期・長期債券が大人気なんだそうです。だっていかに危なくても、アメリカ政府は倒産したりしないでしょう。
そんなわけで、財務省がオークションを行うと、買い手が殺到し、高い値(なおかつ低い利回り)でも債券が飛ぶように売れるんだそうです。額面の3倍近くに値が跳ね上がることも珍しくありません。これを称して、すでにバブルがふつふつと湧いているという人もいます。
ところが、しょせん債券は国の借金。オバマ大統領の経済刺激策が功を奏して経済が上向きになれば、投資家は株式市場に戻り、国の債券には見向きもしなくなる。だって国債は安全だけど、投資リターンは低いのですから。
すると、国はお金を調達するのが難しくなって、国債の利率を上げる。それでも足りないと、造幣局で紙幣をどんどん印刷する。もともと悪化した経済では、税金による国の収入も少ないのですから、他に手がないのです。すると、世の中は逆にインフレになって、経済の回復がさらに遅れる・・・という悲観的なシナリオを書く人もいるようなのです。
(現に、3月下旬、連邦準備理事会は、住宅ローンの利率を下げる狙いで金融業界や政府系住宅金融機関に資金を投入する計画なので、新たに1兆2千億ドル(約118兆円)分を印刷すると発表しています。これですぐにインフレになる懸念は少ないそうですが。)

皮肉なことに、過去のバブルが自由放任型資本主義(laissez-faire capitalism)の生んだ人間の「貪欲さ」によるものに比べて、今度の国債バブルは人々が経済状況に抱く「恐怖感」に根ざしたものなんだそうです。
バブルに学んで人が正直になったとしても、やはりバブルからは逃れられないということなのでしょうか?

まだまだ世の中は混沌とした状態にありますが、来年のセント・パトリックス・デーには、みんなでグリーンを着て(グリーンを懐に入れて)、アイルランド名物のギネスビールで乾杯しながら、心の底から楽しめるようになればいいと願うこの頃です。

<怒れ、オバマ氏!>
お次は、大統領就任後、注目度満点の「最初の100日間(The First 100 Days)」を過ごしているオバマ大統領のお話です。

就任わずか一月半後の3月初頭、NBCのパロディー番組『サタデーナイト・ライヴ(Saturday Night Live)』では、こんな一コマがありました。
場所は、ホワイトハウス。登場人物はオバマ大統領と大統領首席補佐官のラーム・エマニュエル氏、そして、オバマ大統領には敵対心を抱く共和党議員の面々。

共和党議員たちは、チクチクと大統領を責めるのです。「(莫大な額の経済刺激策に2010年度予算案と)あんたのやってることは、金をどんどん使うだけで、まるでなってないじゃないか。アメリカは社会主義じゃないんだから、銀行に加勢なんかしないで、自分たちの始末は自分たちでつけさせろ・・・うんぬんかんぬん。」
それを聞いていたオバマ大統領は、なんとも涼しい顔。表情ひとつ変えません。
すると、共和党議員たちは、いよいよ調子に乗って、ますます毒づく。
それを脇で聞いていたエマニェル氏は、心中こう叫ぶのです。
「怒れ〜、怒れ〜、どんどん怒れ〜、オバマ氏!(Get angry, get angry, Obama!)」


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すると、さすがに堪忍袋の緒が切れたオバマ大統領は、見る見るうちに大きくなって、シャツははじけ、ズボンはちぎれ、表情も険しい「ザ・ロック・オバマ(The Rock Obama)」に変身するのです!(いうまでもなく、ザ・ロック・オバマというのは、英語の発音のバラック・オバマの韻を踏んでいますね。そして、ザ・ロック・オバマに扮するのは、元プロレスラーで今は映画俳優の「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソンさんです。)
 


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すっかり表情の変わった正義の味方ザ・ロック・オバマは、次から次へと共和党の連中を窓からポイッと放り投げ、最後に残ったマケイン上院議員(オバマ氏が大統領選で対峙した共和党候補者)は、「あ、そろそろ退散しようかな」と、あわてて席を立つのです。
それを脇で見ていたエマニュエル氏は、「いいぞ、いいぞ」と、満足そうにほくそ笑む・・・・・

というのは、実は、エマニュエル氏の白昼夢だったのでした。

このパロディーが実に良く表しているのですが、オバマ氏はずっと、「絶対に怒らない、クールな人物」と評価されておりました。ニューヨーク・タイムズ紙のトーマス・L・フリードマン氏も、彼のクールさは好きなんだけれど、どうもクール過ぎて、わざと自分と世の中の問題に距離を置いているようにも見える、と述べていらっしゃいました。
わたし自身は、今のご時世、その冷たいまでのクールさが大統領には求められていると思うのですが、実は、オバマ氏は、過去に一度だけ「怒った」ところを目撃されているのだそうです。
それは、彼がまだ大統領候補者のとき。遊説のために全米各地を行脚した際、演説用のテレプロンプト(画面に台本が出てくる仕掛け)の調子が悪くて、思うように演説がうまく運ばなかったというハプニング。その直後、舞台裏では、側近を怒鳴りつけているオバマ氏が目撃されたのだとか。

オバマ氏は、演説を原稿通りに忠実に読むタイプの政治家で、彼がしゃべる内容は、演説台の左右にある防弾ガラスに仕組まれたテレプロンプトに一字一句もらさずに出てくるそうです。彼が演説をするときに、右、左と交互に脇を向くのは、防弾ガラスのある場所を見ているのですね。
良い悪いは別として、これはオバマ大統領が言葉の一つ一つをとても大事にしていて、間違いのないように正確に演説したいという願いの現れなのですが、その原稿はスピーチライターが書くものの、自分で真っ赤になるまで添削して突っ返すそうです。そうまでして準備した演説ですから、テレプロンプトが動かないなんて稚拙な問題は、彼にとっては許せないのですね。そして、それが珍しく怒りとなって噴火した。

そんな風に、過去に一度だけ怒りをあらわにしたオバマ大統領ではありますが、先日、さすがに怒ったことがありました。そう、すでにご存じの通り、政府が援助している保険会社AIGが、1億6千5百万ドル(約162億円)のボーナスを社員に支払うという問題で。
このボーナスは、もとはといえば昨年春の社員契約の中に明記されていたもので、連邦議会や財務省の役人だって知っていたはずのことなんだそうです。けれども、お偉いさんたちは、ボーナスの支払い期限が迫るまで何もしていなかった。そこで、支払い当日になって、ガイトナー財務長官がAIGのトップに電話して「止められないのか」と打診したけれど、時すでに遅し。「今ボーナスをストップすれば、契約違反で政府は訴えられることになる」と、AIGのリディー氏は脅しをかける。そして、その日のうちにボーナスは支払われる、といった概要ですね。

ある晴れた日曜日、ガイトナー財務長官とリディー氏のやり取りを新聞で知ったわたしは、その日一日プンプンと怒っておりました。だいたい政府が1820億ドル(約18兆円)もの資金を投入してAIGの8割を所有しているのに、どうして国の言うことが聞けないのよ。どうして「訴えられるもんならやってみろ」と、ガイトナー氏はつっぱねなかったのよ。もうこうなったら、100パーセント課税しかない!と。
まあ、わたしが怒ったくらいですから、それはもう世の中のみんなが怒っているも同然。街ではシュプレヒコールが上がるは、レストランの隣の席からは「ふん、AIGめ」という毒舌が聞こえてくるはで、その週は騒然としたものでした。


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そして、ついにクールなオバマ氏も怒りました。記者会見の際、AIG問題について尋ねられ、ゴホッと咳をしながら「怒りでむせかえってしまったよ(I was choked with anger)」と、冗談とも本気とも取れないような怒りを見せたのです。
ボーナスは法的には許されることであったとしても、モラル・道義的には間違ったことであると。
 


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その3日後、歴代の現職大統領としては初めて深夜コメディー番組に出演したオバマ大統領は、ホストのジェイ・レノーさんの質問に対して、「怒りというよりも、唖然としてしまったね(I was stunned)」と答え、怒りは若干トーンダウンされたものになっておりました。(写真は、3月19日放映のNBCの『ジェイ・レノー・ショー(The Tonight’s Show with Jay Leno)』より)

ま、ここで難しいのは、大統領としてどんな反応をするかですよね。問題が発覚したときには、怒りを見せないと国民に対して示しがつかない。自分はこの問題にはまったく関与していないことを明示するためにも。けれども、あまり継続して怒りを見せていると、国民の怒りをさらにあおることになる。
ひとくちに怒りを見せると言っても、時の大統領としては、微妙な匙加減が必要となってくるのです。

それにしても、今回のボーナス問題で露見したことは、AIGにつぎ込まれたお金(国民の税金)がどこへ行ったかでした。それまでは秘密にされていたことが、さすがに隠しきれなくなったのですね。
AIGは保険会社なので、何らかの損失に対して保険を支払うことを業務としているわけですが、今回AIGが首まで借金に埋もれた理由は「クレジット・デリバティブ(credit derivatives)」というものでした。要するに、金融機関各社が危ない投資を行うときには、「もし投資で損失を出したら、わたしたちが保障してあげましょう」と相手に約束するものなのです。
これまでAIGが保険を支払った相手は、ゴールドマンサックスやメリルリンチなどの米金融機関だけではなく、フランスのソシエテ ジェネラル、ドイツのドイツ銀行、イギリスのバークレイズ、スイスのUBSなど海外の金融機関が含まれていることが明らかになったのでした。だとすると、アメリカの税金が世界を助けている!

けれども、そもそもリスクの高い投資に保険をかけるなんて、危ない行為を奨励しているようなものではありませんか?
それに、AIGのクレジット・デリバティブの親戚みたいな「クレジット・デフォルト・スワップ(credit default swap、何らかの損失が出たら保障してあげるという2社間のスワップ取引)」だって、そもそも今回の金融危機の原点ではありませんか。リスクの高いサブプライムローンを担保にした証券取引をガンガンあおっていたわけですから。

そんなことがまかり通っていたこと自体、十分に怒りに値するものではないでしょうか?

<日本2連覇!>


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最後に、のんびりと野球のお話でもいたしましょうか。先週、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦では、韓国を破り見事2連覇を果たした日本チームでしたが、テレビにかじりついて応援していたわたしは、思わず涙ぐんでしまいました。

とは言いながら、実は、日本チームがサンディエゴの球場に乗り込んで来るまで、わたしはワールド・ベースボール・クラシックという存在すら知らなかったのです!
まったく、アメリカという国は、とってもでかいくせに、しょせんは「島国」でありまして、世界で行われていることにはえらく疎かったりするのです。このWBCも同じこと。参加各国は国を挙げて応援しているのに、アメリカではほとんど話題にものぼりません。
日本チームの優勝ですら、「イチローが打って、日本が勝った」と、スポーツ欄の2面の片隅に、写真もなく小さく取り上げられておりました。ほんとに、開催国とは思えないほどの冷たさですよね!

ひとつに、今は時期が悪いのでしょう。ちょうど3月の後半というのは、大学のバスケットボールのトーナメント(NCAA Basketball Tournament)が開かれる時期で、人々の目は、こちらの方にグイッと集中しているのです。バスケットボールの大好きなオバマ大統領も、トーナメントの全試合の勝ち負けを予測し、メディアに堂々と公表しているくらいですから、今年はとくに注目度が高いのです。
それから、WBCアメリカチームの選手が所属するメジャーリーグの理解が足りないこともあるのでしょう。今は開幕前ですから、体ができあがっていない選手たちに怪我でもされたら、さあ大変。
それに、選手の方だって、「まったくお金にはならないのに、シーズン前に試合になんか出たくないよ」という人も多いことでしょう。国の名誉よりも実益を考えるのが、アメリカ人のアメリカ人たるところではないでしょうか。

けれども、さすがにWBC開催が2回目となって、アメリカチームが続けて決勝戦にも残らないとなると、野球関係者の目の色が変わってくるのです。野球はアメリカが世界に広めたスポーツではないか、こんな状態では自分たちの沽券にかかわると、多少なりとも関心を持ち始めたようです。
ドジャースタジアムで開かれた日本と韓国の決勝戦には、メジャーリーグのコミッショナーであるバド・セリグ氏も解説席にお目見えして、「なんとかしなくちゃダメだよ」という解説者の厳しい追及に、こう弁明しておりました。
 「今年はね、WBCに備えて、春のキャンプだって2週間早く始めたんだよ。メジャーリーグチームのオーナーだって、25対5で、もっと力を入れることに賛成してくれている。だから、次回からは有力選手がもっとたくさん出てきてくれるはずだ。」

それにしても、日本チームの活躍はすばらしかったですね! 個人的には、決勝戦を8回途中まで投げた岩隈久志投手が気に入っていて、韓国の攻撃になると、安心して観ていられました。彼は打たれる気がしないではありませんか。いつも落ち着いていて、一発ホームランを打たれたにしても、「大丈夫!」と大船に乗ったような気分でいられるのです。
決勝ラウンド進出を懸けたキューバ戦での岩隈投手の好投を評価して、アメリカ人の解説者も「今の様子では、松坂大輔投手とダルビッシュ有投手と岩隈投手の中では、岩隈が一番いいような気がする」と述べておりました。
何を隠そう、わたしは岩隈投手のプロ入り初ホームランを神宮球場(交流戦の対ヤクルト戦)で観たことがあるのです! いえ、だからどうということはないのですけれど、あれ以来、岩隈投手が活躍すると嬉しかったりするのですよ。

その岩隈投手を決勝戦で引き継いだダルビッシュ投手だって、すばらしかったですよね。9回裏の立ち上がりに打たれはしたものの、あとはビシッとまとめて存在感も大きかったです。「ありゃすごいスライダーだ!(That’s a nasty slider)」と、解説者も優勝を決めた奪三振を誉めそやしておりました。
ご本人は、日本の球界を離れる気はないということですが、きっとこのダルビッシュ投手には、メジャーリーグのスカウトたちもよだれを垂らしていることでしょう。

それから、決勝戦ではレフトを守っていた内川聖一選手。5回裏の守りの好プレーには、アメリカ人もタジタジだったようです。あんなにきれいにスライドして球をキャッチし、なおかつ2塁に完璧に送球するなんて、「これこそ、練習を積まないと絶対にできない好プレー」と誉めちぎっておりました。
画面で何回もリプレーを流しながら、「内川はもともと内野手なんだけど、内野手って足の動きがよくてステップもうまいから、ダンスだってうまいんだよね」と解説なさっておりました。本当なのでしょうか?
 


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そして、やはり最後に頼りになるのは、イチロー選手でしょうか。WBCでは今ひとつ調子に乗り切れなかったイチロー選手に対して、「なんでも日本では、青木宣親選手の方がすごい打者だと言われているらしい」などと、失礼な解説をする人もいたくらいです。が、さすがに尻上がりに調子を上げるイチローを目の当たりにして、「僕たちが青木選手の方がいいなんて言っていたのが、彼に聞こえたんじゃないか」と、少しは反省しておりました。
「やっぱり最後にはビッグマンが打ってくれた」とのコメント通り、彼はどこまでもビッグな存在なのです。

これで負けたら敗退というキューバ戦では、ここぞというところで、3試合ぶりにヒットを打ってくれたイチロー選手でしたが、翌朝彼を見かけた解説者はこんなことを言っていました。「今朝ものすごく嬉しそうにしていたイチローを見て、あぁ彼も人間なんだなと実感したよ」と。
みなさん、イチロー選手のことをロボットだとでも思っているのでしょうか。

そんなわけで、ワールド・ベースボール・クラシックの存在すら知らなかったくらいですから、わたしは日本の野球事情にはまったく通じておりませんが、今大会では日本人選手の活躍を観ていて、日本の野球は繊細でおもしろいことを痛感した次第です。そう、「大味な」メジャーリーグと比べて、「小気味の好い」野球をしてくれるような気がするのです。
日本の野球関係者も報道陣のみなさんも、メジャーリーグ、メジャーリーグとおっしゃるようではありますが、今はそのメジャーリーグだって、外国に学ばなければならないこともたくさんあるのではないでしょうか。日本も韓国も、アメリカに肩を並べるほどに伸びている。これは、今回、アメリカ人の野球関係者の多くが実感したことではないでしょうか。

たしかに、アメリカは世界の檜舞台ではありますが、日本の野球に誇りを持って「日本にずっといたい」と宣言するダルビッシュ投手も、なかなかかっこいいものだと思うのです。

夏来 潤(なつき じゅん)

 

緑色のセント・パトリックス・デー

先日、連れ合いが、お出かけする前に黄緑色のTシャツを着込んでいるではありませんか。

そこで、わたしは、すかさず聞いてみました。「今日がセント・パトリックス・デーだって知ってたの?」

そうなんです、セント・パトリックス・デーという日には、緑色の服を着なければならないお約束になっているのです。もちろん、本人は、そんなことは何も知らないで、その日の気分で選んでいるんですけれどね。

日本ではあまり馴染みがいないかもしれませんが、アメリカでは「セント・パトリックス・デー(St. Patrick’s Day)」というのを3月17日にお祝いする習慣があるのです。

もとは遠く離れたアイルランド(Ireland)のお祝いなのですが、この日は、みんなでアイルランド人(Irish)の気分になって、緑色の服を着て、夜はワイワイとビールやお酒をたらふく飲んで楽しむ! というのがお決まりとなっているのですね。


そもそもセント・パトリックス・デーというのは、「聖パトリック(St. Patrick)」を祝うカトリック教会の祭日なのですが、この聖パトリックさんという人は、西暦4世紀末に、当時ローマの支配下にあったイギリスで生まれた方なんだそうです。
 16歳の頃に奴隷としてアイルランドに連れて行かれたのですが、6年ののち自力で脱出し、母国でキリスト教の修行を積んで、それから修道士としてアイルランドに戻った方だそうです。
 今ではアイルランドの守護聖人(patron saint)として崇(あが)められているのですが、それは、聖パトリックさんが、当時異教徒の国だったアイルランドにキリスト教を広めたからなんだそうです。キリスト教では、「伝道」はとても重要な使命とされていますからね。

現地のアイルランドでは、「聖パトリックの日」は国民の祝日となっているそうですが、この国を挙げてのお祝いが、アメリカをはじめとして世界各国にも広まったようです。アメリカにもアイルランド系の移民は多いですから、最初は彼らが自分たちだけで祝っていたものが、いつの間にかアイルランド人でない人たちにも広まったのでしょう。

アメリカではさすがにお休みにはなりませんが、みんなが楽しみにしている日であることは確かなのです。

どうして楽しみなのでしょう?

アイルランドといえば、ギネス(Guiness)ビールだの、アイリッシュ・ウイスキーだのとアルコール類が名高いではありませんか。そんなアイルランド名物を堪能しながら、この日を賑やかに祝うのも、なかなか乙なものじゃないか!というわけなのです。
 なにせ、この国は、アイリッシュ・コーヒーなどといって、コーヒーにもお酒が入っているお国柄ですからね。そんなアイルランド人たちを見習って楽しくやりましょうよ、というのがモットーとなっているのです。

想像するに、この聖パトリックの日は、例年キリスト教の受難節(Lent、聖灰の水曜日から復活祭までの日曜を除く40日間)の期間に当たるので、ストイックな毎日を送っているキリスト教徒たちも、「この日ばかりは大目に見てよ~」といったところではないでしょうか。


もう7年ほど前になりますが、東京の表参道を歩いていると、偶然にパレードに出くわしたことがありました。ちょうどセント・パトリックス・デーとなった日曜日は、春の日差しの暖かい一日でしたが、どうやら、表参道を埋め尽くす賑やかな集いは、ギネスビールが主催したパレードだったようです。
 ギネスビールの乗り物に続くのは、外人さんの鼓笛隊ですが、みなさん緑色の軍服を着ていらっしゃるので、きっとアイルランドから訪れた軍人さんなのでしょう。
 さすがに外人さんの鼓笛隊は人々の目を引くもので、聖パトリックに馴染みのない日本にもギネスビールを流行らせよう!という企ても、少しは効果があったみたいですね。

アメリカでは、ボストンやニューヨークと、聖パトリックのパレードを賑やかに催す街もあるようですが、少なくともシリコンバレーでは、パレードを見かけたことはありません。まあ、休日というわけではないし、子供たちにはお酒なんか関係ないし、もうすぐやって来る復活祭のイースター(Easter)に比べると、ちょっとマイナーな祭日(キリスト教のお祝いの日)かもしれませんね。


セント・パトリックス・デーというと、わたし自身は「緑色の服を着ないとポカッとたたかれる」という印象が強いのですが、別の色を着ていたからって実際にたたかれた経験はありません。多分「たたかれるよ」という脅しは、地方色豊かな、ある種のジョークなのでしょうね。

けれども、どうして緑色を着なくてはならないかというと、それにはちゃんと理由があって、アイルランドの人々が一番身近に感じている色がだからなんです。

そして、セント・パトリックス・デーのシンボルである三つ葉のクローヴァーshamrock)が緑色だから。きっと、この日に三つ葉のクローヴァーを身につけているうちに、自然と緑色の服を着るようになったのでしょう。

なんでも、聖パトリックは、野原から摘んできた三つ葉のクローヴァーを使って、キリスト教の「三位一体(the Holy Trinity)」を説いて回ったそうですが、それが人々の心に深く印象づけられることとなったのでしょう。
 いつしか、聖パトリックと三つ葉のクローヴァーは切っても切れない関係となって、聖パトリックを守護聖人のひとりといただくアイルランドのシンボルは、三つ葉のクローヴァーと緑色となった。そんな歴史的な背景があるようです。

こちらのカードは、セント・パトリックス・デー用のグリーティングカードなのですが、中にはこんなメッセージが書かれています。

Happy Shamrock Day! (どうぞ楽しい三つ葉のクローヴァーの日を!)

驚くことに、お店に行くと、セント・パトリックス・デー用のカードが何十種類も棚に並んでいるんです。どれにしようかと迷うほどなんですが、このシンプルなクマさんの絵は一目で気に入ってしまいました。ほんとにハッピーそうですよね!(グリーティングカードで有名な Hallmark が出しています。)

こんなものもありました。こちらは新聞の日曜版の漫画なのですが、以前もご紹介したことのある『神秘のアジア人(Secret Asian Man)』では、こんなエピソードが登場です。(by Tak Toyoshima, published on March 15, 2009)

主人公のサムさんが、三つ葉のクローヴァーをかわいく頭に付けて「ハッピー・セント・パトリックス・デー!」とお出ましです。それを見た友達はゲッと「殺気」を感じてしまうのです。
 僕たちパレードに行くんだけど、フェイスペイント(face paint、顔に絵の具を塗る派手なお化粧)をしてあげようかと言うサムに向かって、友達は、「君たちのように、僕にまで馬鹿丸出しにさせようっていうの?」と毒づくのです。それから、サム派と友達の間でこんな押し問答が続きます。

友: そもそも、僕たちは誰もアイルランド人じゃないじゃないか。
サ: 君はクリスチャンじゃないのに、クリスマスを祝うじゃないか。
友: 関係ないね。だってクリスマスは誰もが祝うものだからね。
サ: 君は中国暦の獅子舞のパレードにも行ってたじゃないか。
友: だから? あれは、アジアのもんじゃないか。
サ: あれは中国のものであって、君は日本人じゃないか。だから、今回は何が違うっていうんだい?

とうとう押し問答に負けた友達は、顔に三つ葉のクローヴァーを塗られます。そこで、サムは勝ち誇ったようにこう宣言するのです。
 その格好で気分が良くなったのなら、これから君を Irishese と呼んであげようじゃないか。
(いうまでもなく、Irishese というのは、「アイルランド人」の Irish と「日本人」の Japanese を掛け合わせた造語ですね。)

まあ、アイルランド人でなくとも楽しければいいや! という精神が、うまく表れている作品なのでした。


そうそう、先日の3月17日は、見かけた女性のほとんどが緑色の服を着ていました。なかなか優秀なものですね!
 男性はというと、まったく気にしていない人の方が多かったようですが、さすがに女性となると、着るものには敏感なのです。(連れ合いも、この点では合格でした!)

きっとこの晩は、レストランやバーも、緑色を着た人たちで大にぎわいだったことでしょう。

そうなんです。この日はどうしても飲酒が増えてしまうわけですが、警察の方だってちゃんとわきまえているのです。だから、酒気帯び運転の検挙率だってグンと高くなるのです!

アメリカでは、飲酒運転で捕まると、そのまま留置所に連れて行かれるそうなので、これだけは気をつけた方がいいですよ!

追記: 文中に「アイリッシュ・コーヒー」というものが出てきましたが、これは、暖かいコーヒーの中に、砂糖を少しと、アイリッシュ・ウイスキーをいっぱい入れて、最後に生クリームをドンとトッピングしたものです。かなりウイスキーの量が多いので(コーヒーの半分の分量のウイスキーを入れる)、お酒が飲めない人とかお子様にはお勧めできません。
 なんでも、1940年代、寒い冬に船でアイルランドに渡って来たアメリカ人観光客のために、コーヒーにウイスキーを入れてあげたレストランのシェフがいて、そのジョセフ・シェリダン氏という方が、アイリッシュ・コーヒーの「発明家」として知られているそうです。たしかに、お酒を飲むと体が温まりますものね。冬の寒さが厳しい地方では、どこも「飲ん兵衛さん」が多いのです。

実は、サンフランシスコにも、The Buena Vista というアイリッシュ・コーヒーで有名なカフェがあるのですが、なんでも、このお店は、アメリカで最初にアイリッシュ・コーヒーを出したところなんだそうです。
 1953年に、カフェを訪れた有名な旅行ライターがアイルランドの空港で飲んだ「おいしいコーヒー」の話をしていて、それを耳にした当時のカフェのオーナーが、苦労してアイルランドの味を再現なさったんだそうです。最初は、なかなかコーヒーに合うウイスキーに出会わなかったり、上に浮くはずの生クリームが底に沈んだりと、かなりの苦労があったようですが、生クリームを48時間寝かせて、均一のキメで泡立てることによって、「白鳥のように」クリームが浮くようになったとか。(この苦労話は、The Buena Vistaカフェのウェブサイトに載っております。)
 こちらは昔から有名なカフェなのですが、観光スポットとして名高いフィッシャーマンズ・ウォーフ(Fisherman’s Wharf)やギラデリーのチョコレート屋さん(Giradelli Chocolate)の近くにあって、ひと休みするのには最適な場所となっております。

What is your favorite color?(好きな色は?)

近頃、いろんなことをパソコンで済ませたりしますよね。

今はちょうど、野球の祭典ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開かれていますが、開催国でありながら、いまいちノリの悪いアメリカでは、日本などの他国の試合を放映してくれなかったりするのです。

そんなときに登場するのが、パソコンでの試合観戦。有料とはなりますが、メジャーリーグ(MLB)のウェブサイトでは全試合を観戦できるようになっていて、テレビでは放映してくれなかった第2ラウンド日本対韓国戦の一回目も、ようやく観ることができたのでした。
 残念ながら、このときは4対1で負けてしまったものの、どうやって負けたのかがわかったので、ある意味、満足ではありました。


そんなスポーツやエンターテイメントに加えて、「パソコン文化」が盛んなアメリカでは、日常生活のいろんなところにパソコンが活躍しています。たとえば、わざわざお出かけしたり、銀行で振り込んだりしなくても、お金のやり取りが簡単にインターネットでできる仕組みにもなっています。

もちろん、日本でもインターネットのお買い物(オンラインショッピング)はずいぶんと流行っていることではありますが、アメリカでは、それに加えて、ネットでアクセスした銀行口座から電気代や水道代を振り込んだり、クレジットカードの支払いをカード会社のウェブサイトで済ませたりするのも流行っています。

もともと「ものぐさな」アメリカ人ではありますが、日本と比較して「自動引き落とし」という概念が浸透していないので、いちいちお金を払うのが面倒くさいと、インターネットで支払うケースが増えてくるのだと思います(従来のやり方だと、小切手を書いて郵送しなくてはならなかったので、とても面倒くさかったのですね)。
 それに、クレジットカードの場合だと、日本のように「翌月に全額を自動引き落としで支払う」のではなく、「自分で好きな額だけ支払う」人が多いので、勝手に自動引き落としにされても困るよ!という人がたくさんいるのでしょう(もちろん、未払いの残高が増えれば増えるほど、利子がかさんで、あとで大変になるのですけれどね!)。


というわけで、いろんな場面でインターネットのサービスが登場するということは、自分のアカウント(口座)にアクセスするときに、やれユーザ名だの、パスワードだのと、ややこしいものが必要になってくるわけです。すると、あちらこちらにユーザ名とパスワードを設定しなくてはならないので、ついつい忘れてしまうことがあるのですね。

アメリカ人なんて、日本人ほどきちんとした性格ではないので、「あれ、何だったっけ?」という人が続出するわけですが、そういう人たちにいちいち電話されたらたまらないではありませんか。だって、うるさくて仕事にならないですもの。
 そこで、本人だと確認できた場合は、忘れてしまったユーザ名やパスワードをすぐにネットで教えてあげましょうというお決まりになっているのです。

そして、そんなケースを想定して、近頃、いろんなサービスサイトでは、「あなただと確認できるように、好きな質問を3つ選んで、その答えを設定しておいてください」というのが流行っているのです。

その質問事項が多岐にわたっていて、う~ん、どれにしようかなぁと、結構考え込んだりするのです。

たとえば、表題になっている What is your favorite color? (あなたの一番好きな色は何ですか)というのもあります。

それから、似たようなところで、What is your favorite movie? (あなたの一番好きな映画は何ですか)というのもあります。

こういうのは、比較的単純な質問なので、設定しやすいのです。まさかあとで自分の答えをぽっかりと忘れたりはしないでしょうから。


それから、家族に関する質問も多いですね。

たとえば、What is your paternal grandfather’s first name? (あなたの父方のおじいちゃんのファーストネームは何ですか)とか、

What is your maternal grandmother’s first name? (あなたの母方のおばあちゃんのファーストネームは何ですか)というのがあります。

(血筋を表す場合、paternal というのは「父方の」という意味で、maternal は「母方の」という意味です。ちなみに、似たような表現の中に、paternity test「父親であるかどうかのDNA鑑定」とか、maternal instinct「母親の直感」なんてものがあります。)

ファーストネームを尋ねるのではなくて、What is your spouse’s nickname? (あなたの配偶者のニックネームは何ですか)というのもありますね。

(こちらの spouse という言葉は、単に「配偶者」という意味で、ダンナさんにも奥さんにもどちらにも使います。)

似たようなところでは、What is your father’s middle name? (あなたのお父さんのミドルネームは何ですか)なんて質問もありますが、これは日本人には関係がないですよね。

ちなみに、こういった家族に関する質問は、もともと金融機関ではよく使われていたものなのですね。たとえば、電話でお金に関する問い合わせをするときには、本人確認のために、必ずこのふたつを尋ねられるのです。

What is (the last 4 digits of) your social security number? (あなたの社会保障番号、もしくは最後の4桁は何ですか)

What is your mother’s maiden name? (あなたのお母さんの旧姓は何ですか)

(お母さんの旧姓、mother’s maiden name という言葉は、アメリカで銀行口座をつくるときには、必ず尋ねられる事柄のひとつです。一方、社会保障番号、social security number というのは、アメリカで働き、税金を払う人は必ず持っていなければならない9桁の番号です。各個人はこの番号を生涯持ち続けることになるので、銀行口座やローンを開設する際の身分証明に使ったり、政府が年金の額を算出したりするのに使います。サラリーマンの奥さんでも、確定申告のときに必要となるので、大人は全員持っている番号ともいえます。ティーンエージャーだって、アルバイトを始めると収入と税金が発生するので、取得する必要があるのです。)


さて、このような家族に関する質問事項に加えて、近頃は、意表をつくような質問が候補として出てくる場合があるのです。

たとえば、こんなものがありますね。

Who was your favorite middle school teacher? (あなたが中学校のときに一番好きだった先生は誰ですか)

What was the make of your first car? (あなたが最初に運転していた車の車種は何ですか)

こういうのになると、答えは何だったかなと、ちょっと考え込んでしまうのです。昔をなつかしみながら、思考がふと途切れたり・・・そこで、先日わたしは、こんな単純な3つを選んでみました。

What is your father’s birthday? (あなたのお父さんの誕生日はいつですか)

In what city did you attend high school? (あなたが高校に行った街の名は何ですか)

What is the name of the first company you worked for? (あなたが最初に勤めた会社の名前は何ですか)

こういう質問だと、答えがはっきりしていて、返答に迷うことがありませんよね。


ところで、表題となっている What is your favorite color? ですが、これは、我が家が加入している病院システムのウェブサイトで出てきた質問候補でした。

この病院は自分たちで医療保険も提供しているので、新しい保険の申し込みをオンラインでやってみることにしたのですが、連れ合いは病気の単語がよくわからないので、わたしがピンチヒッターとなりました(アメリカでも、さすがに医療保険に入るときには、いろいろとしつこく過去の病歴を尋ねられるのです)。

けれども、あとで本人が自分の口座にアクセスできないと困るので、好きな質問を選んでもらったわけですが、なんでも、彼は、人の名前だの、誕生日だの、学校の先生だのと面倒くさい質問は嫌いなので、いつもごく単純に「好きな色」を選ぶのだそうです。
 なるほど、そうやって考えてみると、わたしは一度も「好きな色」を選んだことはありませんね。だって、普通、好きな色って一色じゃないでしょ?

それで、答えは何に設定すればいいのかと尋ねると、意外なことに、「(green)」と言うではありませんか! これには、ちょっと驚いてしまいました。だって、何年も一緒にいるのにまったく知らなかったから。

そういえば、洋服を買うときに、茶色紺色が似合うよと勧めても、本人はなにやら緑系の服を選んでいるなとは思っていたんですよ。けれども、緑が一番好きな色だったとは!

そうやって改めて彼の身の回りの品を見てみると、緑色が多いことは確かですね。最近買ってきた皮のかばんもそうだし、今は使わなくなった腕時計のベルトもそうです。それから、部屋のソファやクッションもそうですね。なるほど、自然と好きな色が身の回りに反映されているということですか。

それにしても、何年そばにいても、相手についてはまだまだわからないこともあるものですねぇ。だから、夫婦生活はおもしろい(?)

Uncharted territory(地図にもない領域)

先日、「ライフinカリフォルニア」のセクションでは、「オクトマム」のお話をいたしました。
 1月に生まれた8つ子ちゃんたちのお母さんのことですが、今、オクトマム(Octomom)という言葉は、アメリカ中の話題をさらっている流行語ともいえるかもしれませんね。

そして、今、同じくらい有名なのは、「ジェイソン」「メリッサ」「モリー」の3人でしょうか。オクトマムと同様、タレントや映画俳優なんかではなく、一般の方々です。

まあ、「一般の方々」というのはちょっと語弊があるかもしれませんが、ABCテレビの『The Bachelor(ザ・バチャラー)』という番組に毎週登場していた方々です。バチャラーというのは、ずばり「独身男性」のことですね。

以前、「A piece of me(わたしの一部)」という英語のお話でもご紹介したことがあるのですが、この『バチャラー』という番組は、収入も安定していて、背が高くてハンサムな、まさに「絵に描いたような」一般の独身男性を中心に展開するのです。

全米から選ばれた25人の女性たちが、一つ屋根の下で共同生活をしながら、彼のフィアンセとなることを夢見る。でも、悲しい事に、毎週誰かが彼に「さよなら」を告げられる。そんな風な、なんともロマンティックで、かつ熾烈(しれつ)な番組なのですね。

その「選別」のプロセスの中では、彼と楽しく遊んだり、バンジージャンプなんかの冒険をしたり、キャンドルライトのディナーを満喫したりと、それなりに面白い趣向がこらされているのです。が、わたしは、第一回目だけ観て、あとは観ないことが多いのです。

ま、どんなステキな男性が出ていて、どんな魅力的な女性が25人に選ばれたのかという興味はあるので、最初の一回だけは観てみるのですが、あとは「熾烈な」部分が好きじゃないので、あまり観る気がしないのです。


ところが、先週の月曜日、「あ~、テレビがつまらない」とチャンネルをころがしていると、第一回目を観た『バチャラー』が最終回となっているではありませんか!
 いったい誰が選ばれるのか、ちゃんと見届けるしかないと、つい画面に釘付けになってしまいました。

なんと言っても、あまりの番組の人気に、今回は13人目のバチャラーなのです。これを逃すと、世の中の話題にも付いていけなくなるのです!

今回のバチャラーは、ジェイソン・メズニックさん。3歳の男の子を持つシングルダディーです。
 黒っぽい髪と瞳が魅力の30ちょっと過ぎの男性なのですが、一度結婚に失敗しているので、どうしてもいい奥さんを見つけたいと、以前のバチャラーたちよりも真剣です。

最後に残ったふたりの女性は、メリッサさんとモリーさん。メリッサは、いかにも「アメリカ娘」といった感じの、キャピキャピとした、活発でかわいい女性です。一方のモリーは、ちょっとおとなしめの、しっとりとした感じがありながら、なかなか芯の強そうな女性。

最終回では、ジェイソンは、活発なメリッサを選ぶのです。

そして、「愛してるよ。結婚してほしい(I love you. Will you marry me?)」とひざまずき、彼女に大きなダイヤモンドの指輪を差し出すのです。

もちろん、メリッサの返事は、「はい(Yes, I will marry you)」に決まってますよね。

そんなメリッサに、ジェイソンはこう誓うのです。「僕は一生きみと一緒に過ごしていくよ(I will spend rest of my life with you)」と。

一方、「今はもう、ただただジェイソンのことを愛しているわ(I’m so in love with Jason right now. So in love)」と語っていたモリーは、唐突にジェイソンに別れを告げられ、ショックを隠しきれません。

「まったく理解できないわ。だってほんとにあなたのことを想っているのに(I just don’t get it. I truly care about you. I really do)」と、ジェイソンに不満をぶちまけながらも、しかたなく涙でお別れとなってしまうのです。

それからモリーは、失意のうちに、ニュージーランドのロケ地からアメリカへと戻って行くのでした・・・


ところが、騒ぎはこのあとに起きるのです。この最終回の収録が終わったあと、数週間のうちにジェイソンが心変わりをして、こともあろうに、最終回のおまけとして収録された番組の中で、メリッサをふってしまったのです!

彼の言い分はこうなのです。「僕たちは互いにとってベストじゃない(We’re not right for each other)」そして「僕はモリーの方が好きなんだ(I just have feelings for Molly)」。

もちろん、メリッサは、「もうあなたには怒りだわ。電話もしないで。ひとりにしてちょうだい!(I’m so mad at you. Don’t call me. Leave me alone, please!)」と、怒ってスタジオを出て行ってしまいました。

それは、誰だって怒るでしょう。「心から愛しているよ(I love you with all my heart)」と自分にプロポーズした相手が、てのひらを返すように、しかも全米の視聴者の前で自分をふったのですから。

一方、ジェイソンといえば、このおまけの番組の後半に登場したモリーに、「友達から始めましょう」と求愛するのです!

最初は困惑の色を隠しきれないモリーですが、そのうちに、「これからどうなるのか、ちょっと様子をみてみましょうか(I think we can see where things go)」と、彼の求愛を受け入れるのです。

ニュージーランドで別れを告げられたあと、「僕が間違っていたよ」とジェイソンがドアの前に現れてくれないかしらと、彼女は繰り返し繰り返し願っていたとか。

「どんどん深くきみを愛していってるよ(I am falling in love with you still. It will never stop)」というジェイソンに対し、「その言葉をずっと待っていたわ(I’ve been waiting to hear that)」とこたえるモリー。

そんなモリーの手は、自然とジェイソンのひざに延びているのでした。

まあ、これで、ジェイソンとモリーのふたりはめでたし、めでたしとなったわけですが、このおまけの番組の放映以来、「ジェイソン」という名は、「優柔不断な嫌なヤツ」の代名詞となってしまったのですね。
 そして、そのジェイソンを受け入れたモリーも、「メリッサの心を踏みにじる嫌な女性」と、非難の対象となってしまうのです・・・

(ちなみに、愛の表現についてですが、単に I love you というだけではなく、モリーが使っていたみたいに、I’m in love with you や、それを強調して I’m so (much) in love with you という使い方もありますね。なんでも、love というと、家族や人類に対する愛や、新車や好きな食べ物に対する愛着も含まれるので、恋愛感情となると、be in love with ~ の方が強く受け取られるのだそうです。ただし、この論法には、男女間に温度差があって、男性は、ただ I love you でいいじゃないかと思っている節もあります。)


ところで、表題となっている uncharted territory

日本語では、「地図にも載っていないような、未知の領域」といった感じでしょうか。誰にも進むべき道はわからないので、まるで荒海に漕ぎ出したようなものだ、という意味合いがあります。

お仕事の場面でも、政治の場面でも、いろんな状況で使われる便利な言葉なのです。

どうして『バチャラー』の番組に関係あるのかって、ジェイソンがメリッサをふって、モリーを選ぶという意外な展開に一番動揺したのが司会者だったのですが、その司会者が発した言葉がこうだったのです。

So where do we go from here? (それで、これからどうなってしまうのかな?)
 I don’t have a map for this. (僕自身は、こんな展開に地図なんか持ってないよ)
 This is an uncharted territory. (これは、まったく未知の領域だよ)

やはり、脚本(script)も何もない番組では、司会者としては、展開が読めないのが辛いですよね。

彼自身も言っていましたが、まさに「口があんぐりとあくような(jaw-dropping)」ショッキングな展開ではありました。


それにしても、どんなに世間の不評を買ったにしても、自分に嘘はつけないと、心変わりを公にしたジェイソンさん。わたしは、なんとなくわかるような気もするのです。
 きっと、彼は、どちらの女性が3歳の息子のいいお母さんになれるだろう? といった観点からメリッサを選んだのでしょう。メリッサは、まるで保育士のように子供に慣れているし、息子もすぐに彼女になついたのでした。
 けれども、メリッサにプロポーズしてから時が経てば経つほど、もうひとりのモリーの存在が自分の中で大きくなってきて、どうしても消すことができなかった。きっと、もともとモリーの方にひかれていたのでしょうから、最終的には彼女を選ぶ結果になった。

そんなジェイソンを世間は「負け犬だ(He’s a loser)」などと酷評していますが、そのうち、みなさんも彼の事をすっかりと忘れ去ってしまうのでしょうね。

当のメリッサさんでさえ、名前が売れたところで、さっさと別の番組に登場しているくらいですから。そう、こちらは、同じくABCの『Dancing With the Stars(スターと一緒に踊る)』という、勝ち抜き戦の社交ダンスの人気番組です。「スター」として番組に出演しているのですから、結果的には悪くないですよね!

ちなみに、ジェイソン以前に登場した12人のバチャラーたちですが、結婚までたどり着いた人はひとりもいません。今までに、ひとりだけ結婚したバチャラーはいますが、彼はお仕事で知り合った昼メロの女優さんと結ばれたそうです。

そうそう、特例として、『バチャラー』の姉妹番組となる『バチャロレット(Bachelorette、独身女性)』でゴールインしたカップルがいました。

こちらは、以前バチャラーにふられた女性が主人公となって、25人の男性の中から、優しそうな、ステキな消防士のダンナさんを見つけたのでした。
 ABCにお金を出してもらって、何億円もする盛大な結婚式を挙げたのですが、その後はちゃんと続いていて(!)、かわいい男の子も生まれています。

おめでとうございました!

追記: 蛇足となりますが、「A piece of me(わたしの一部)」のお話に登場していたお医者さんとサーラは、とっくの昔に別れたみたいですね。あのふたりは「絶対に続かないよ!」といったわたしの予言は、見事に的中したのでした。
 お医者さんの方は、病院勤務を辞めてしまったのか、今は医療相談のテレビ番組でホスト役を務めているみたいです。やっぱり、一度テレビに出ると、その味が忘れられなくなるのでしょうか?

後日談: そして、われらがジェイソンさんとモリーさんは、めでたく一年後にロスアンジェルスで結婚式を挙げたのでした! それまでは、世の中の人たちから冷たい目で見られ、必死に支え合ってきたようですが、そんなふたりも晴れて夫婦。ABCで放映された結婚式の2時間番組では、ふたりはずっと満面の笑み。おめでとうございました!

オクトマム現象

「オクトマム」って何だろう? と思われたことでしょう。

「オクトマム」は「Ocotomom」と書きます。
「オクタプレット・マム(Octuplet Mom)」の略語となります。

日本でも、かなり有名なお話となったとは思いますが、1月26日にロスアンジェルスで生まれた、8つ子ちゃんたち(octuplets)のお母さん(Mom)のことですね。

今では、アメリカでは、「オクトマム」といえば誰もが知っている流行語になっています。しかも、あまりありがたくない流行語・・・

いえ、最初の2、3日はよかったんですよ。世界的にも珍しい8つ子ちゃんが生まれて、なおかつ全員元気そうでよかったと、みなさんが喜んだお話だったのです。なにせ、アメリカでは、たった2例目の8つ子ちゃんのケースでしたからね。

ところが、何日かたってくると、8つ子ちゃんのお母さんの方が脚光を浴びるようになりました。なになに、このお母さんには他に6人の子供がいて、しかも、ダンナもいない、収入もない学生だって? じゃあ、どうやって14人の子供たちを食べさせていくのよ? と、非難の声が全米で巻き起こったのでした。

それだけではありません。8つ子ちゃんを産んだ病院での費用が莫大なもので、もしお母さんが払えなければ、カリフォルニア州民の税金から払うことになるのだそうです。未熟児の出産や集中治療室の代金は高く、なんでも、全部で2億円を超えるのではないかともいわれています・・・

そこで、非難の声は、さらに強くなったのでした。どうして個人の勝手で産んだ子供たちに州民の税金を使わなければならないの? と。
(カリフォルニアには、患者の収入が極端に少ないと、州が税金で医療費を肩代わりするMedi-Calという制度があって、これが適用されるのではないかということです。)

そんな非難ごうごうの嵐の中、いつしか「オクトマム」というあだ名は、世の批判の標的となったのでした。


そして、このオクトマムがNBCテレビの独占インタビュー番組に出演すると、彼女の素性はだんだんと白日の下にさらされ、世の中の不評をさらに買うことになるのです。

彼女は、33歳のシングルマザー。離婚後に生まれた先の6人の子供は、5回の体外受精で誕生し、5回目は双子になったので、合わせて6人。そして、6人のうち下の3人は障害を持っていて、オクトマムのお母さんが面倒を看ている。
 精子のドナーは、元ダンナではなく、昔つきあっていた「友人」。8つ子となった6回目も合わせて、すべてドナーは同一人物。

現在のオクトマムの収入源は、月に5万円の生活保護(フードスタンプと呼ばれる食料品購入券)と、障害を持つ3人の子供に支払われる国の補助。そして、学生としてのわずかな奨学金。

8つ子ちゃんたちが退院して落ち着いたら、また州立大学の大学院生に戻って、専攻のカウンセリングのお勉強を続ける意思でいるようです。それから、仕事を探すのだと・・・

こんな風なオクトマムの正体に、アメリカの庶民は、「う~ん、なんとも無責任な親! 子供はいったいどうなるの?」と、怒りをあらわにしたのでした。


それにしても、オクトマムは、定職のない休学中の学生のはず。いったいどうやって合計6回もの不妊治療を支払ったのでしょうね? だって、アメリカでも、不妊治療には一回100万円から150万円はかかるでしょ。

オクトマムの地元となるロスアンジェルス・タイムズ紙の新聞記者がいろいろと調べた結果、どうも、彼女自身、かなりの傷害保険金を州からもらっているようなのです。以前、勤めていた病院の精神科で事故に遭い、そのときの怪我がもとで今も仕事には復帰できていない。だから、賠償金として過去8年間に1700万円くらいもらっているとのこと。

賠償金の支払いは、昨年の8月には終わっているけれども、もしオクトマムがまったく仕事に復帰できない状態であることが確認されれば、生涯支払いが続く可能性もあると。

それに加えて、先に生まれた3人の子供が障害を持っているので、国の給付金や生活保護を合わせると、月に30万円くらいは国と州からもらっているのではないか、とのことでした。

だとすると、そんなお金をかき集めて、せっせと不妊治療を行っていたのでしょうか。


そんなお金の問題に輪をかけて、まだ33歳と若いのに、どうして一度にたくさんの受精卵を体内に戻したのか、という医学的な問題もわき起こりました。

なんでも、オクトマムの場合、過去5回の体外受精(in-vitro fertilization)も8つ子となった今回も、それぞれ6つの受精卵をいっぺんに子宮に戻したということなのです。これは、何がなんでも多過ぎる!

だって、アメリカの生殖医療協会(the American Society for Reproductive Medicine)は、「35歳未満の女性には、受精卵は2つまで、そして、40歳以上の女性には5つまで」と、ガイドラインを出しているくらいですから。

オクトマムの場合は、もともと妊娠しにくい体質だったことや、受精した卵子を廃棄したくないという宗教的な考えから、「手元にある受精卵は全部使うのよ」と決めたんだそうです。そして、それが、今回の8つ子に結びついた!(6つの受精卵のうち、2つが双子になった!)

けれども、「どうしてそんな無茶を止めなかったのか?」と、不妊治療にあたった医師にも非難が向けられています。(そう、ハリウッドで開業している、有名なお医者さんみたいですね。)


そして、3月に入ったある日、なんとなく恐れていたことが実際に起きてしまいました。

「オクトマムみたいな、そんな無責任な親が続出しないように、体外受精の際、子宮に戻す受精卵の数を法律で取り締まろう!」という議案が提出されたのです。

幸いなことに、これは、国の法律を司る連邦議会で提出されたわけではありません。南部の州で、どちらかというと保守的なジョージア州の州議会で出された案です。

(オバマ大統領の所属する民主党とは敵対する)共和党のおじさん議員が、「40歳未満の女性には2つまで、40歳以上の女性には3つまでと、体内に戻す受精卵の数を規制しようではないか」と、法案を提出したのです。

相前後して、似たようなことは、ミズーリ州でも起きました。こちらでは、米生殖医療協会のガイドラインに沿うようにと、新たに法律を設ける動きが出てきています。


もちろん、こういった動きは、単に「無責任なオクトマム現象」をストップするためだけに起こったわけではないと思います。

やはり、双子などの多胎妊娠(multiple pregnancy)や複数児出産(multiple birth)となると、赤ちゃん、お母さんともに危険が伴ってくるわけです。そして、3つ子、4つ子と、数の多い複数児(high-order multiple birth)になればなるほど、危険は高まります。
 ですから、そういった見地からすると、いっぺんにたくさんの受精卵を使うのは慎むべきことなのかもしれません。

けれども、その一方で、実際に不妊治療を受けている側からすると、「法律で勝手に数を制限されても困る!」というのが正直な意見なのだと思います。

わたしのすぐそばにも、現在、不妊治療中のお友達がいて、彼女の体験談を聞いていると、とても受精卵の数を制限することがいい方策だとは思えないのです。なぜなら、状況はひとりひとり大きく違うものであって、単に年齢だけでガイドラインを設けていいという性格のものではないから。

お友達の場合は、過去に2回ほどトライしているのですが、最後の挑戦と考えている今回は、受精卵を10個使う計画なんだそうです。それでも、そのうちひとつが成長すればいいとのこと・・・

日本にいい水があると聞くと、さっそく取り寄せて毎日せっせと飲んでいる彼女ですが、その水の仲介役をしているわたしにとっても、彼女の挑戦は、なんとなく他人事とは思えないのですね。

それにしても、お騒がせなオクトマム!

重罪を犯したというならいざ知らず、単に子供を産んだだけでこれだけ嫌われ者となって、しかも、国を動かす生殖医療の潮流まで巻き起こすとは! まったく、彼女も大それた事をしでかしたものです。

追記: 生殖医療については、わたしはまったくの門外漢ではありますが、調べてみると、ヨーロッパでも国によって制度はまちまちみたいですね。
 たとえば、ドイツには、「体外受精に使える卵子は3つまで。受精卵の冷凍保存は禁止なので、全部体内に戻すこと」という規則があります。イタリアとスイスも、類似の法律があるようです。
 ハンガリーでは、「原則として体内に戻すのは受精卵3つまで。例外として、特別なケースに限り4つまで」といった規則のようです。
 イギリスでは、個人の規制ではなく、生殖に携わる医療機関にターゲットが設けられていて、たとえば、2009年は現行の複数児出産の全国平均から24パーセント下回ること、という規則となっているようです。(体外受精によって、複数児が増えるという観点からできあがった規則のようです。)
 北欧では、法律で禁止するよりも、自主的に「胚はひとつだけ戻す(single embryo transfer)」という習慣があるようです。

一方、フランスとスペインでは、何の規制もないようですね。それから、ギリシャとポルトガルは、今は規制がありませんが、現在、法律を検討中のようです。

参考ウェブサイト:www.oneatatime.org.uk 。こちらは、不妊治療による複数児出産を減らそうと働きかけている「One at a time」という名のイギリスのサイトです。「Research and evidence」という欄で、他の国はどうやっているのだろうかと、国ごとに説明しています。

虹の季節

今日は、3月8日。アメリカでは、もう夏時間が始まりました。

以前、「デイライト・セーヴィング・タイムふたたび」というお話でもお伝えしておりましたが、デイライト・セーヴィング・タイム(Daylight Saving Time)、つまり夏時間は、もう3月の第二日曜日には始まってしまうのですね。

まだ完全に春にもなりきっていないのに、もう夏時間? と、ちょっとした季節錯誤を感じてしまうのですが、今は、3月の第二日曜日には夏時間が始まり、11月の第一日曜日まで8ヶ月間も続きます。
 だから、一年のほとんどを夏時間で過ごすのだから、夏時間の方が「標準時間(Standard Time)」ではないのかと、もっともらしい意見も耳にいたします。

まあ、そんな議論はさて置いて、「春には進めて、秋には遅らせる(Spring forward, fall back)」、これが夏時間のやり方でしたね。

春には、Set your clocks one hour ahead.(時計を1時間進ませてね)

そして、秋になると、Set your clocks back an hour.(1時間遅らせましょう)

だから、3月の第二日曜日の午前2時は午前3時となり、11月の第一日曜日の午前2時は午前1時となるのです。

こんな風に、なぜだか午前2時が標準となっているので、土曜日に寝る前に時計を変えておくのが、みなさんの習慣となっているわけです。けれども、夜型のわたしにとっては、午前2時はまだ就寝前ですので、ベッドルームの時計くらいはリアルタイムに変更します。
 家中の時計を変更するのは、日曜日に起きてからゆっくりとやりますが、これが、結構面倒くさい作業なんですよね。壁時計や目覚まし時計、腕時計だけではなくて、今はオーブンや電子レンジ、冷暖房のセントラルシステム、そして、炊飯器なんかにも時計が付いているでしょ。それから、車にもありますよね。だから、変更する場所はたくさんあるのです。

ちなみに、どうして午前2時が変更の基準になっているかというと、どうも、多くの州で、バーなどの飲み屋さんが午前2時を境にアルコール飲料を出せなくなるからのようですね。多くの人は寝静まっているし、きっと都合のいい時間帯なのでしょう。
 すると、秋に午前2時が1時になるときには、1時間余計にお酒を飲めるのかという議論が必ず出てくるわけですが、答えは「ダメ!」だそうです。なんでも、厳密に言うと、バーでお酒が飲めなくなるのは午前1時59分なんだそうで、午前2時が1時になるときには、すでに「お酒は禁止」の時間帯に入っているのだそうです。

まあ、そんなこんなで、夏時間になるときには1時間を失って、睡眠時間が減ってしまうわけですが、嬉しいこともいくつかありますね。

まず、夕方いつまでも明るいので、なんとなく楽しい気分になってくるのです。

そして、日本時間との差が1時間縮まるので、アメリカから日本に向かう飛行機の離陸時間が、1時間遅くなるのです。ということは、起きるのも1時間遅くていい!


さて、今日は、明るい陽光の夏時間のスタートとなりました。
 なんとなく、太陽の光も一段と強く感じたので、裏庭の日よけをちょっとだけ下ろしてみました。すると、また一段と春らしく感じたりもするのですね。

でも、こんなに日差しは強くとも、まだまだ雨季は続いているのです。

シリコンバレーやサンフランシスコのある北カリフォルニアでは、11月くらいにスタートした雨季は、5月くらいまでは続きます。けれども、日本の梅雨みたいにジトジトと降るのではなくて、ドカッと降って、カラリと晴れ、またドカッと降って、カラリと晴れるといったタイプでしょうか。

ですから、一日のうちに天気がコロコロと変わることもあるし、自宅の辺りが大雨でも、隣の街ではカラリと晴れている、なんてこともしょっちゅうなのです。

ということは、雨上がりの虹を見かけることが多いのですね! だから、シリコンバレーの雨季は、虹の季節でもあるのです。

そう、虹というのは、雨上がりのように空気中にたくさん水の粒があって、太陽が低い位置にあるときに、太陽を背にして見えるものですね。だから、夕方になると、東の空に出やすくなるのです。
 いつか、西に向かって運転しているときに、バックミラーにちらりと「完璧な虹」が見えて、逆側に向かっている人たちがひどくうらやましかったことがありました。

この日は、きれいな虹の形とはいかなかったですけれども、自分のスポットは晴れていて、あちら側には雨雲がかかっているという絶好の虹のシチュエーションではありました。

もちろん、虹もきれいですけれども、こういうときは、夕日に照らされた山もきれいなのです。まるで、緑が輝くよう。

このように、雨季の特典は、雨で息を吹き返した、美しい緑の山でもあるのです。


せっかく夏時間になったことだし、今日はちょっとお散歩をしてみました。

最近は雨も降ったりするので、お散歩もさぼりがちなのですが、少し見ない間に、辺りは一面の緑色になっていました。

まだまだ芽吹かない木々の枝にも、小鳥たちがひと休みしていて、競うばかりに美声を聞かせてくれています。

風はまだちょっと冷たいけれども、もう少しで暖かい季節がやってきそうな予感がします。

「あ~、気持ちいいなぁ」と緑を満喫して家の近くまで戻ってくると、家の前が、なにやら遊園地のようになっています。小さな子供のいるご近所さんたちが、夕刻に自然と集まってきて、道路の上が遊び場みたいになっていたのです。
 静かな住宅地なので、あまり車の心配がないからでしょうか。小さな女の子たちがピンク色の自転車に乗ったり、おもちゃの車を運転したり、その辺を駆け回ったりと、楽しそうに過ごしています。それを満足そうに親たちが見守っています。

ご近所さんなのに、初めて顔を合わせた方々もいて、お互いに自己紹介をしたりもいたしましたが、ちょっと驚いたのは、全員が外国から来ている方々だったことです。アルメニア人、メキシコ人、インド人、イスラエル人とお見受けする方、どこだかわからないけれどアジア系、それから、わたしの日本人。
 みなさん、英語は完璧ですが、母国語はまだしっかりとしゃべれるようでした。きっと子供たちは、きちんとしたバイリンガルになるのでしょうね。

こういうところがまた、世界中から人が集まるシリコンバレーの醍醐味でもあるわけですけれども、雨季の晴れ間、春の陽光に誘われて外に出てみると、久しぶりに穴ぐらから出てきたみなさんともお会いしたりするのです。

追記: 冒頭で、どうして午前2時が時間変更の基準になっているかというお話をいたしましたが、この辺のところを説明してくれているウェブサイトがありました。カリフォルニア州政府のサイトなのですが、「そもそも夏時間にはエネルギーを節約できるのか?」という大事な論点から丁寧に説明してくれています。
 バーのお話は最後の方に出てくるのですが、もし英語でよろしければ、こちらをご覧くださいませ。
http://www.energy.ca.gov/daylightsaving.html

ちなみに、アメリカの夏時間は、2年前の2007年3月にひと月間延びたわけですが、こちらのサイトによると、「少なくともカリフォルニア州では、この変更によって、エネルギー消費量の削減はほとんど見込めない」ということです。
 ふむふむ、大騒ぎして夏時間を延長したわりに、あまり利点はないということですか・・・

長い間、アメリカでは、夏時間は4月の最終日曜日から10月の最終日曜日だったので、わたしなんかも、いつまでもその感覚が残っています。その後、1986年に3週間延びたりはしていますが、今回の新しい規則にみなさんが慣れるまでには、もうちょっとかかりますよね。

オバマ隊員出動!: アメリカの経済と外交策

Vol. 115

オバマ隊員出動!:アメリカの経済と外交策

 


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先月号の冒頭で雨が少ないと嘆いていたら、ようやくシリコンバレーにも雨が降り始めました。今の時期に降ってくれないと、6月頃にはもう水不足であえいでしまうので、雨はまさに「天からの恵み」なのです。

そんな恵みの2月は日数が少ないので、あっという間に終わってしまう感じがいたしますが、今月は、オバマ大統領のお話から始めましょう。
就任から100日間は、新しい大統領にとっては最も大事な時期だとされていて、みなさん、オバマ大統領の一挙手一投足をギョロギョロと虫眼鏡で覗いています。やはり、主人公「オバマさん」抜きには、この国の今は語れないのです。
 

<蜆(しじみ)からオバマ隊員へ>
今さらいうまでもなく、オバマ大統領が直面する大問題は、経済ですね。いったいどうして、こんなことになったのやら?

考えてみると、問題の根っこは、すでに「ネットバブル」がはじけた頃にあったのでしょうね。アメリカでは、1990年代後半、インターネットの隆盛で世の中がえらく大騒ぎになったあと、2000年初頭になると、突然バブルがはじけてしまいました。
そして、ブッシュ大統領が誕生して(2001年1月就任)、アメリカが世界の鼻つまみ者になって、その報復措置として、アフガニスタンとイラクで(要らぬ)戦争を始めました。

そんな戦争と経済活動の停滞のダブルパンチで、国の財政が大きく傾いたわりに、ブッシュ政権下では、国や国民を食い物にしようという輩(やから)がどんどん出てきたわけです。戦争でパクッ、石油投機でパクッ、エンロンみたいなエネルギー供給術でパクッ。

その「食い物」の中に、住宅ローンというのもありました。収入のない人でも誰でもいいから、変動制のローンを貸し出し、家を買わせ、そんな「サブプライムローン」をごそっと買い取って、ファンドにひとまとめにして、投資家に切り売りしようじゃないかと。
2005年、2006年は、そういった不動産関連の投資で「行け、行け!」の頃でした。なんでも、投資リターンが年に30パーセントという嘘のような実話も耳にしたことがあります。
結局、みなさん、世の中に「バブル」がないのは耐えられないらしく、「ネットバブルの次は、不動産バブルを作り出せ!」とばかりに、世界中で家の値段が急騰いたしました。

けれども、やはりバブルはバブルであって、おいしい話はいつまでも続きません。2007年の夏頃になると、問題が露見し始めます。「えぇっと、ローンが払えないんけすけど・・・」という人が続出したのですね。
そして、住宅バブルは崩壊し、家の値段はどんどん下がる。借金をしてまで、サブプライムローンをどっさりと抱え込んだ銀行は、「有毒な資産(toxic assets)」を保有するともいわれるようになりました。

気がついてみると、毒はアメリカの銀行を広く深く蝕(むしば)んでいて、それが、昨年春の投資銀行ベア・スターンズの身売り、そして9月のリーマン・ブラザーズの倒産へと発展いたしました。
今から振り返ってみると、ベア・スターンズを助け、その一方でリーマンを倒産させたのは、当時のポールソン財務長官とバーナンキ連邦準備理事会議長(現職)の過ちだったともいえるわけですが、そのときは、リーマン破綻が世界中を震撼とさせる「大事件」になるとは予測がつかなかったのでしょうね。
まさか、住宅ローンに始まった金融界の問題が、すべてを覆い尽くすとは・・・そして、地球全体がそこまで密に繋がっていたとは・・・

ちなみに、ポールソン前財務長官は、米投資銀行最大手のゴールドマン・サックスの最高経営責任者だった人で、その過去のしがらみがあって、ずっと「ライバル」だったリーマンを倒産させたんだという、うがった見方をする人もいます。
そして、リーマンの方にも、「国は絶対に自分たちをつぶさない」というおごりがあって、身売りを頑として拒否したともいわれています。
けれども、そんなことよりも、「銀行に手助けするなんて、アメリカは社会主義じゃないぞ!」との連邦議会の突き上げにポールソン氏自身が屈したことが、リーマンを見捨てる結果となったのでしょう。
皮肉なもので、その後すぐに、「回復の遅れた日本の轍(てつ)を踏むな」と、議会は70兆円規模の銀行救済プランに合意しています・・・

そんなこんなで、アメリカの金融危機は、あっという間に世界の津々浦々まで波及効果を与え、あんなに熱かった中国や中東のドゥバイの経済活動まで麻痺させてしまいました。
なんでも、ドゥバイには、はるかレバノン(イスラエルの隣国)から大学の新卒者が職を求めてやってくるそうですが、今年はきっと、彼らの就職活動はかなり厳しいだろうとの憶測も聞こえています。
新卒者が氷河期を迎えているのは、イギリスも同じことで、かの地では大学院進学者が急増しています。スペインでは、14パーセントとヨーロッパで一番高い失業率を記録し、ロシアでは、欧米風の宅地開発が頓挫(とんざ)し、もともと不安定な労働市場に不安が広がっています。
そして、アイスランドは、1月末に国が「倒産」してしまいましたね。アイスランドの通貨クローネは、もはや世界に対しては紙くず同然! この国は、たった一年前は、世界で最も豊かな国といわれていたのに。
 


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そんな危機的状況の中、スクッと立ち上がったのがオバマ大統領。彼はとても賢いので、事の緊急性は十分に理解しています。「一刻の猶予もならぬ」と、就任わずか1ヶ月で、アメリカ史上最大となる経済刺激策(stimulus package)を誕生させました。
先に可決されていた連邦下院法案からは1,100億ドルほど低くはなりましたが、両院が合意した額は、2年間で7,870億ドル(約76兆円)。
「とにかく素早く、そしてケチらずに」をモットーに、経済が少しでも安定するようにと願をかけた救済措置です(こういうのは、チビチビ出すと、かえって効果が望めないのだそうです)。
 


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さすがに実行派のオバマ氏は、下院の法案通過後、上院がモタモタしていると、すかさずインディアナ州、フロリダ州、イリノイ州を行脚し、早く法案を通すようにと国民の支持をあおぐのですが、そうやって就任わずか3週間と3日で勝ち取った刺激策は、実に1,000ページに上る法案なのです!

まず、失業保険を延長するでしょ、職業訓練を充実させるでしょ、ハイウェイや公共交通機関などのインフラに投資するでしょ、未来の大人たちにも教育で投資するでしょ、医療保険に充当するでしょ、クリーンエネルギーにもうんと投資するでしょと、国民生活のほとんどすべてに策をめぐらせてあるのです。
うまくいけば、3百万人分の仕事が生み出される予想で、なんとか、不景気に入る前のレベルまで持っていきたい考えなのです。

まあ、この巨額の法案に、「国は金を使い過ぎだ!」とか「小さな政府を目指してきたのに、またもや巨大な政府に逆戻りだ!」と、共和党陣営はギャンギャン文句を言っています。
けれども、オバマ大統領の信条は、「ここまで悪化した社会・経済情勢を救えるのは、連邦政府のみである」というもの。
今まで8年間の「やりたい放題」で国が崩壊の危機にあることを考えると、大統領を信じて、黙って付いていくしかないと思うのです。なぜなら、事の深刻さを一番身にしみてわかっているのは、オバマ大統領自身だから。

そこのところを、うまく描いた風刺漫画がありました。
(by Tom Toles – Washington Post, published in San Jose Mercury News on 2/5/’09)
 


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消防署に詰めているオバマ隊員。
ジリリリリ、「経済が火をふいています!(Economy on fire !)」と、緊急出動です。

2階からポールをすべり下りるオバマ隊員、行けども行けども地面にたどり着きません。
そして、心中こう叫んでいます。
「これは、思ったよりも長い降下だぞ(Longer drop than I figured)」

そして、巨額の経済刺激策にオバマ大統領が署名すると、こんなシナリオが登場しました。(by Tom Toles, published on 2/27/’09)
 


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木から下りられなくなった太った猫を助けようと、はしごを持って出動したオバマ隊員。
猫ちゃんの保護者に向かって、こう説明するのです。

「僕はあなたの猫を救出するだけではなく、彼女(猫ちゃん)に職を見つけ、彼女のエネルギー消費量を減らし、彼女を大学にやり、彼女に安価な医療保険を与え、彼女の借金を減らし、そして、彼女と隣の犬の戦争を終わらせてあげましょう(I’ll not only rescue your cat, but I’ll get her a job, decrease her energy use, send her to college, get her affordable health care, decrease her debt, and end her war with the neighborhood dog.)」

今年は「年男」のオバマ隊員。これから先、経済刺激策が吉と出るか、凶と出るかは、オバマ隊員の今年のがんばりにかかっているのでしょう。

追記: 表題となっている「蜆(しじみ)からオバマ隊員へ」の「蜆」って、いったい何だ?と思われた方もいらっしゃるでしょう。いうまでもなく、蜆とはブッシュ前大統領のことですね。「蜆貝で海を測(はか)る」、つまり、小さな貝殻で海を推し量ることなんてできないでしょう、という格言からきています。海は、あまりにも大きいのです。
振り返ってみると、ブッシュ大統領のもとでは、「金の亡者(もうじゃ)」はやりたい放題でしたね。バナナの叩き売り同然、国、国民、国民の幸福と福祉、それから科学や自然と、そんな大事なものすべては、「もってけドロボー!」とばかりに、亡者たちに売りさばかれていたのです。

<わたしのオバマ像>
「わたしのオバマ像」なんて、おだやかな題名ではありませんが、オバマ大統領のお話は続きます。

いろいろと深刻な問題を前政権から引き継いだオバマさんですが、経済と同じく、危機的状況にあるのが外交問題です。

ブッシュ大統領が2001年9月の同時多発テロ直後に侵攻したアフガニスタン、続く米軍侵攻で国中をひっくり返すほどの内乱に発展したイラク、そして、アフガニスタンの隣国で、イスラム教原理主義のテロリストが多く潜伏するというパキスタン。
さらに、それだけじゃ足りないよといわんばかりに再燃した、イスラエルとパレスチナ・ガザ地区の衝突。新人大統領の洗礼にしては、あまりにも重い問題が山積しているのです。

たとえば、アフガニスタンには、「さらに1万7千人の米軍を派兵しよう」とオバマ大統領は計画しているのですが、この国では、単に兵隊の数を増やせばいいという生易しいものではないようです。なぜなら、派兵増強が功を奏したイラクに比べると、アフガニスタンはまったく違う国だから。

石油という恵みのおかげで都市に住む中流階級が多いイラクと比べて、アフガニスタンという国はとても貧しく、人口の7割は、道路も電気も水道もないような、まるで「中世」の村に住んでいます。
そんな都市部のない国では、集落はあちらこちらに散在していて、たとえば、イスラム教原理主義組織「タリバン」の拠点のある南の平野部などは、とにかくだだっ広くて、兵隊が何人いても足りません。
国境はとてつもなく長く、ここを超えてタリバンは麻薬のアヘンを運び出し、武器を運び入れるのです。ケシの実からつくるアヘン(ヘロインの原料ともなる)は、この国では、大事な換金作物となっています。

もうひとつのタリバンの拠点がある東の国境地帯では、村は険しい山間に点在していて、兵隊が奥地の集落にたどり着いたにしても、誰が「敵」なのかも判別しにくいのです。現地には協力者も少ないし、もともと米軍はゲリラ戦には慣れていません。
しかも、現地の抵抗に遭って、唯一の舗装道路が破壊されたり、変わり易い山の天気では、ヘリコプターが飛べない日もあったりと、物資補給すらままならないこともあります。

そして、アフガニスタンという国自体、上から下へと腐敗した組織となっていて、たとえば、7年間大統領の座にあるハミド・カルザイ氏の弟は、アヘン密売組織に深く関与すると噂されているし、現地に派遣された外国人特派員などは、役人に賄賂(わいろ)を払わなければ、空港を利用することもできないのだそうです。
そんな崩れかけた政府が、自国の軍隊を組織し、国を統率することができるのだろうか?と、見通しはかなり暗いようです。

それゆえに、アフガニスタンでの「戦い」は長引くことが懸念されていて、こんなことを言う人もいるくらいです。「ヴェトナム戦争はリンドン・ジョンソン大統領の戦い、イラク戦争はブッシュ大統領の戦い、そして、アフガニスタンはオバマ大統領の戦争である」と(元アフガニスタン・パキスタン統括のCIA要人のコメント)。

さらに不気味なのは、パキスタンでしょうか。アフガニスタンとは、西に国境を接するイスラム教国ですね。
このアフガニスタンに近い国境付近では、日々イスラム教原理主義組織の抵抗が激化していて、パキスタン政府も先日、停戦とひきかえに、北西部のスワット渓谷をタリバン勢力の支配下に置くことを合意しています。
ここは、「パキスタンのスイス」と呼ばれるほどの風光明媚な高原で、ガンダーラ古代王国の頃には、仏陀ゆかりの場所でもあったという由緒正しい観光地です。今となっては、観光客は絶対に足を踏み入れてはいけない地域となっています。生きて出られる保証などありませんので。

パキスタンといえば、もともとは、この辺りの仏教徒やヒンドゥー教徒を改宗させた「スーフィ(Sufi)」と呼ばれる穏健派のイスラム教徒が勢力を持っていたわけですが、1958年に起こった軍事クーデターの頃から、だんだんと軍部の勢力が強くなってくるのです。隣国であり、そこからパキスタンが分裂したヒンドゥー教国のインドとも、にらみ合いを続けていかないといけませんしね。(そして、そのインドのお隣さんである中国は、インドとは国境問題でもめているので、せっせとパキスタンの手助けをしています。)

現在、パキスタンでは、軍事クーデターで政権の座についたムシャラフ前大統領の対抗勢力となる、パキスタン人民党のザルダリ氏(暗殺されたブット元首相の夫)が大統領となっていますが、実際、この国には、ふたつの政府が存在するようなものだそうです。
そう、「スーフィ」の流れをくむ穏健派と、厳しいイスラムの戒律(シャリア)を押す武装派。

そんなわけで、ややこしいことに、アメリカはこのふたつの勢力と対話していかなければならないわけですが、ここで道を踏みはずしてはなりません。なにせ、この国には、核兵器があるのですから! ひと
たび武装派が世を制圧し、核兵器を手にしたら・・・。
 


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そして、核兵器といえば、イランだって忘れてはなりません。パキスタンの核物理学者の手助けに端を発し、今はロシアが技術や核燃料を提供していて、今年末までには、イラン初の原子力発電所が本格的に稼働するだろうと予想されています。
つい先日(2月25日)、テスト運転も完了しています。(写真は、公共放送局WNETニューヨーク制作のニュース番組『WorldFocus』より)


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さらに、不気味なことに、今月の初めには、イラン革命30周年を記念して、自国の技術を使った衛星打ち上げにも成功しています。
ロケットはあるし、核燃料はあるし、イランが核武装する日もそんなに遠くはないともいわれています(先日、国連の国際原子力機関IAEAは、「イランは濃縮ウランを1トン保有する」と発表しています)。

前ブッシュ政権で諜報機関のトップとなる国家情報長官を務めたマイク・マコーネル氏は、こう語っています。「確証はないけれど、僕の推測では、イランは2013年には核兵器を持つことになるだろう」と。(退官をひかえた今年1月のインタビュー番組『Charlie Rose』より)

長距離ミサイルといえば、テポドン2号の北朝鮮もありますしね・・・もう十分に、アラスカまでは到達するといわれていますよね。

と、ここまで書いてくると、ふと、あることに気がつくのです。外交問題を熱く語っている自分は、まんまとオバマ大統領にのせられているんじゃないかなと。「大統領のつもりになって、自分自身で考えてみるように」と、自然とオバマ氏にしむけられているのではないかと。

そう、ブッシュ大統領からオバマ大統領に替わってみると、刻々と変化する世の中の進展を、来る日も、来る日も、律儀に観察している自分に気がつくのです。
短い間にも、さまざまな情報が明るみになって、実に多くをお勉強いたしましたし、今までは、あるのかないのかもわからなかった「お国の政策」が、とても身近に感じるようにもなりました。そして、そう思っているのは、わたしだけではないはずなのです。
 


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オバマ大統領の就任後、ほとんど毎日のように彼の顔を見るようになったわけですけれども、就任前とは打って変わって「すっかり大統領になった、厳しい表情」を見ていると、なぜかしら、「自分も大統領のために何かできないのかな」という気分になってくるから不思議です。

連日、彼が国民に向かって発言する内容は、すべてよくプランされ、練られ、タイミングも決して逸しない。パンパンと、間髪を入れずに出される新しい案に、聞く側は(とくに支持層は)、まんまとのせられてしまう。そして、自分の問題として、任務の片棒を担ってみようかという気にもなる。
これが、全米に広がる草の根運動で大統領の座を勝ち取った、オバマ氏の「カリスマ」なのでしょうか?

先日、近所のスーパーマーケットに行くと、顔見知りの従業員が世間話のついでに、「日本は今(GDPもマイナス成長で)、たいへんだよねぇ」と心配してくれました。
ここはローカルなお店なので、日本と取引があるわけではありません。日本に行ったことがあるわけでもありません。それでも、直接関わりのない国のことだって、よく把握しているのです。

もともとシリコンバレーには世界中から人が集まってくるので、人々の目が世界に向けられていることもあります。けれども、それにも増して、オバマ大統領の政策のひとつひとつや、世界への波及効果に対して、アメリカ国民として、ある種の責任感みたいなものを感じているのかもしれませんね。

まったく、みなさん、オバマ氏のアドバイザーでもないのに・・・。

<おまけのお話:地球のずっと上>


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先日、びっくりするようなお話がありましたね。シベリアの上空、高度800キロで、ロシアの人工衛星とアメリカの人工衛星が大衝突したと。
あちらさんは、12年間運転が停止していた軍事衛星「コスモス2251号」。そして、こちらさんは、世界のどこでも使える携帯電話イリジウム(Iridium)の通信衛星「イリジウム33号」。どちらもでっかい衛星で、こんなにでかい衛星同士の衝突は初めてのことでした。

地球に破片が落っこちてくる心配よりも、地球の上空600キロの軌道にいるハブル天体望遠鏡や、もっと高いところにいる気象衛星なんかへの影響が心配なんだそうですが、ハブルちゃんのいる辺りにどんな影響が及ぶのかは、3月中旬にならないとはっきりわからないそうです。だから、スペースシャトルの宇宙飛行士には危ないからと、ハブルちゃんの修理ミッションは、5月に延期となりました。

衛星といえば、ちょうど一年前、物騒なお話がありましたね。2008年2月号でもご紹介しておりますが、アメリカのスパイ衛星「USA193号」が間もなく地球に落っこちてくるから、みんな気をつけるようにと、アメリカが警告を発しました。
その後、すぐに前言を撤回し、「燃料が人に有害だから、衛星を撃ち落とす!」と、イージス艦レイク・エリーから「SM-3(Standard Missile 3)」をぶっ放し、見事衛星を破壊したのでした。
ふふっ、もともとは弾道ミサイルの迎撃用であるSM-3を衛星迎撃にも使えるなんて、アメリカにとっては、おいしい予行演習になったのでした。
 


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今回は、ロシアはそういう手を考えなかったのでしょうかね?

それにしても、地球のまわりには、こんなにたくさん衛星やら何やらが浮かんでいるのに、ミサイルで撃ち落とすのも大変な作業でしょうねぇ。
「あっ、間違って隣のを打っちゃった! エヘヘッ」というわけにはいかないですものね。

しかも、これだけ地球のまわりは「ゴミ」だらけとなると、これ以上、ゴミを廃棄してはいけません!といった感じですよね。

まあ、そんな物騒なお話は置いておいて、火星にいるスピリットくんのことを覚えていらっしゃいますか。そう、2004年1月に、双子のオポチュニティーちゃんと相前後して打ち上げられた、火星探査ロボットですね。
そのスピリットくんが、1月下旬にちょっとした不調を訴えました。火星日1800日目、地球から「歩け」と指示を出したのに、歩こうとしない。しかも、その日一日、自分が何をしたのか記憶がまったくない!
かわいそうに、「僕は誰? いったいどこにいるの?」と、一時的な記憶喪失になったのでした。

どうやら、宇宙線(cosmic ray)が影響して、不揮発性メモリ(電源がなくても記録保持できる記憶回路)が、一時的におかしくなったのではないかとのこと。翌日も、太陽の方向を間違えたりと、ちょっとした勘違いが続きました。

現在は、また元気にお仕事を続けているようですが、ちょっと心配な出来事ではありました。

火星日(sol)というのは、地球の一日よりも40分くらい長いので、1800日といっても、スピリットくんは、5年以上も火星の探査を続けています。双子のオポチュニティーちゃんは、テクテクと14キロも歩きまわりました。

火星に到着したのは、スピリットくんが2004年1月3日、オポチュニティーちゃんが1月24日。最初は、90日の命といわれていましたが、ふたりともまだまだ元気です。

どうか長生きしてくださいね!

夏来 潤(なつき じゅん)

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